蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

  「鍼(はり)」を可能性を見つめる「蓮風の玉手箱」は今回も薬師寺執事の大谷徹奘さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談をお届けします。おふたりの話題は病気の原因から「自他」「生死」への視点へと及びます。健康を考えるという行為はとても深遠な思考活動なのだ、とあらためて感じる方も多いかもしれません。テレビや雑誌の「健康特集」ではなかなか得られない知恵もいっぱいですよ。(「産経関西」編集担当)

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 大谷 お釈迦様の考え方を見てますと、やっぱりものすごく医学のことについてもご存じだったと思うんですね。

 蓮風 「仏医経」というのがあるんです。私も少し見ましたけれど、非常に短い経典です。たぶん、いろいろお釈迦様も修行したうえで、やっぱり身体というものは大事だと気づいておられたと思うんです。
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 大谷 あの「倶舎論(くしゃろん)」という(仏教論書の)中にね、お母さんの中に受精してから子どもがどういうふうに育つか、ということが現代の医学書のように書いてあるんです。そしたらやっぱり身体が先なんですね。で、身体が育ってきて、脳が出来てきて、だんだん脳が大きくなっていく、というのが書かれてまして。そういう面で見ると、順番どおり、まず容れ物を頂いて、そこから内容が育っていく、という考え方だったんですね。

 蓮風 病気の大きな原因のひとつに、七情というのがあります。喜び、怒り、憂い、悲しみ、思い、驚き、恐れ、これがバランスを崩すと病気をする。この中で違和感があるのは、「喜びすぎる」ことですね。現代の世の中で、なかなか喜びすぎというのはないんですよ。だけども、昔の人はどうもあったみたいで。それこそ、博打で大当てして、喜びすぎて、笑いすぎて死んだというのがどうもあったみたいで、東洋医学的にはこういう分析をしているわけですけれども、こういう偏りについて、先生のお立場で、仏教のほうで、解決する方法は…。

 大谷 たくさんの人に会って、悩みを聞いたり、駅のベンチで人を見たりするのが好きなんです。そうするとですね、日本人は申し訳ないけれど、いま表情がありません。喜びも悲しみも、表情に出さない。もうほんとに冷たい顔をしている。たぶん、自分をさらけ出すことが、自分の評価を下げるように思ってしまうのでしょう。だからこうやって、たとえば面談で、2人で会っていても、なかなか本性が出てこないんです。私は、その人が、どういう心のコンディションなのか、言わせるようにしているんです。徹底的に言わせるんです。自分で言わせるんです。

 蓮風 僕らの場合はねぇ、これを身体の体表観察というんですけれど、手足の大事なツボ、背中、お腹、これを触ることによって、この人がどういう(七情の)傾きがあるかがわかるんです。ただ、その傾きをどういうふうに整えていけばいいかというと、もちろん病因病理を立てて、証を立てて、そして鍼をしていくわけなんですその場合に、なかなか心のクセというのは修正しにくいですよね。そういったことについて、「あんたはイライラしすぎやで」とか「ものにビクビクして、もう不安でしゃあないやろ。それは非常に身体に悪いから、自分を反省してやりなさい」と言うんですけどね。
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 大谷 僕はいつもこんな質問を説法を聞く人たちにするんです。「人はどんな時に腹が立つのか」。これ、学校ではされない質問ですよね。結論は簡単なんです。思い通りにならない時に腹が立つんです。先生の仰っている、たとえば、人はどんな時に、喜ぶのか、怒るのか、憂うのか、と。そしてこの「人」に「あなた」の名前を入れてください、と言うんですね。大谷徹奘がどんな時に喜ぶのか、怒るのか、憂うのか、と。その中で感じた時に「なんで?」「なんで腹立ってるの?」「なんでその人が憎いの?」「なんで殺したいほどなの?」と問うていくと、最終的に出てくるのが、「思い通りにならないから」という答えなんです。
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 蓮風 そうですねぇ。その思い通りにならないことも、その内面はもちろん最終的なものだけれども、いろんな要因がありますよね。親が愛してくれなかったとか、社会に出て会社でなかなか上下関係がうまくいかないとか、自分でどうにもならない部分もあるわけですよね。

 大谷 私は、お寺の修行があまりうまくいかなかったんですね。もうこの性格だから、ものすごくぶつかったんですね。高田(好胤)というお師匠さんはものすごく好きだったんです。で、高田にくっついていったら、そこが薬師寺だったんです、ま、言っちゃ悪いけれど。高田が他のお寺や企業の人だったら僕、そこに行ってたと思うんです。で、行きましたら、そこに兄弟子という人たちがいるんですよ。僕は望んでないんですが、いるんですわ、そこに(笑)。その人たちとぶつかるんです。そうすると、習おうという人に対しては人間って素直だから、自分のものさしの尺度の幅を変えるんです、価値観を。だけど自分の持っている価値観はなかなか変わらない。そうすると、人間は、「自分は○、相手は×」。これが基本中の基本だと思っているんです。これを修行の中で、「自分も○、相手も○」にしてみようと。いまはこれくらいまである程度わかっているんです。だけど、僕はいま、究極の目的は、「自分+相手=◎」にしようと。時に悪い人は「自分×、相手×」。これが一番やりにくい。それからもうひとつ、「自分×、相手○」、これもやりにくい。もう全部譲っちゃって、自分の意志じゃない人。これは救いにくい。

 蓮風 私もそう思います。

 大谷 で、私は自分の修行の中ですごく先輩達を否定してきた。その否定した、この○はなにかというと自分の価値観。だから、会社に嫌な人がいて、会社をやめたい人がいっぱい来るんです。辞めようかって相談に来るんです。その時に「おまえ、相手が悪いって言うけど、自分だけ突っ張ってるんじゃねぇの」って言います。それで自分のツッパリで、自分を喜怒哀楽させて、通じた時だけ良かったと。人間はゴリ押しして通そうとして通るときはたくさんありますよ。だけど、後から必ずツケが来る。後からはじかれるというツケが来るんですよ。

 蓮風 基本的にやっぱり何か感情が起こるというのは、その人の感情の欠けている部分だと思うんです。欲しかったものがない、という、あるものを喜ぶというのではなく、ないものが欲しいという人間のスタンスのようですね。ないものねだり、というは多いですねぇ。そこで、一番大事なことは、「死と生」の問題ですが、自分と相手を分けるということがもうすでにして問題だと思うのです。東洋医学では「気一元」というのがあるんです。

 大谷 気一元?

 蓮風 本にも書きましたが、もともと(生と死は)一つなんだという、それが分かれたんだと。ところが西洋の場合は、もう最初から分かれていて、分かれた中で仲良くしようという発想です。だから自分の所がやられたらいかんから、壁をつくる、鍵をかける、もうひとつ悪いのは、先生もいま仰ったように、心の鍵をかけてしまう。だけど東洋医学は、もともと一つだったものが分かれた。で、こっちの生と死の問題も、気というものが集まると「生」、これが散ると「死」という。荘子哲学ではこれを非常に重要視します。「千の風になって」という歌がありますが、あの発想に近いですね。だから生と死というのはひとつの変化過程なんであって、全く別物じゃない。

 それをホントに体感したのはインドに行ったときですわ。ガンジス川の流れるところに、朝早く起きて行くんです。行ったらもうすごい人で。川の中で洗濯してる人もおれば、沐浴する人もおるし。それからその洗濯ジャブジャブやってる後ろで、野菜を洗ってる人もいる。もうひとつ目を上げて川岸を見ると、火葬の煙がもうもうと上がっている。あの国では、死というのが当たり前みたいですね。その中でお釈迦様が生老病死ということもお説きになったと思うんですけれども。気という考え方からすると、自分と相手を分けるというのは基本的にはおかしいんですよね。

 大谷 おかしいですよね。

 蓮風 だからその根源にもし目覚めることができたならば、そういう問題は解除すると思うんです。大谷先生が仰ったように、おできが一つ出来ても、結果なんだと。それは必ず中から起こっているんだと。そういう考え方からすると、人間の身体はひとつの有機体で、つながっているわけなんです。我々の身体はバラバラなんだけれども実はもともとはつながっておったんだ、という発想がもしできるならば、これはまた変わった考え方になると思うんですよね。

 それと生と死の問題も、気の集散で説明しております。荘子という哲学者は面白いですねぇ。自分の嫁さんが亡くなっても盆を叩いて踊ったというんです。そしたら友人達が来て「おまえ、自分の嫁さんが亡くなったときくらい悲しんだらどうや」と。そしたら「いや、元の世界に戻ったんやからな、ほんとは喜ばないかんのや。それを喜べないのは、生と死を分けてるおまえの姿が間違いだ」と。こういう荘子の考え方がありますね。それは東洋医学の非常に重要なところだと思うんです。やっぱり有るものが無くなったら寂しいですよ。うちの親父なんか面白いですよ、骨董趣味がありましてね。お抹茶の道具を大事にするんです。で、人が壊したらものすごい怒るんですよ。自分が壊したらどうするかというと「あぁ、諸行無常や」(笑)。だけどそれで納得しますね。人が壊して怒るんだけれど、「あっ、怒って悪かったな。ほんとは壊れるんだ」と言いましたね。だからその、形あるものにこだわるのは、我々のまさしくこの器がそういうことを思わすんじゃないですかね。
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 大谷 僕はちょっと他の方々と違ってですね、独特の生死観を持ってまして、それをいま説いて歩いているんです。

 蓮風 ほう。

 大谷 たとえば、こうやって生きてますけれど、今日こうやって皆と仲良くいますけれど、あと50年も経てば、だれも居なくなります。世間の人たちがですね、「死んだらしまい」と言いますけれど。

 蓮風 そう言いますね。

 大谷 いやそれが僕の修行の目的のひとつだったんです。死んだらしまいだったら、生まれてこなくてもいいじゃないか、っていうのが僕の考え方なんです。僕が持っている一番の基本は、「生まれたものは必ず死ぬ」ということです。奈良を大和といいますが、1300年前に大和言葉というのを使っていて、その大和言葉で「現在」という言葉を「中今(なかいま)」と言うんです。私たちは現在のことを「今」しか使わないじゃないですか。そうすると、この「今」という字だけを見ますと、今さえ良ければいい、自分さえ良ければいい、という思想になってくるんです。

 だけど、「中」が上についているということは、「先(さき)」があって「後(あと)」があるということを考えたときに、私たちには先祖というものがあり、先祖があって私たちは生まれてきた。自分も死ぬ。そして死んだら今度は自分が先祖となって、子孫が存在してくる。その時に、この「中今」を生きる人たちがどういう生き方をするかだと思うのです。たとえば、先輩達の言うことをよく聞き、僕らの時代に拡幅させて次へ伝える。電柱の間を電線が延びて電気が伝わっていく。電気は放電していくから、前の電柱で電気が100だったものが次の電柱では80になっている。減っていく。その時に、次の電柱にトランスをつけて、拡幅をして100にして次に送っていくことが大事じゃないかなと。僕は「中今」しか生きられないですけれども、ちゃんと先輩方の長い命の流れの中にあって、自分がそういうものをしっかりと、時代的なものを合わせて、現代的にして、拡幅して伝えていく。だから先生も14代目でしたっけ…。

 蓮風 そうそう。

 大谷 先生のところの先輩方がずっとやってこられたことを先生が現代的にアレンジをして、それを強くして、これ(電柱)で強くして、80を120にして、でも構わないと思いますが、拡幅していく命ということを考えると、いまの自分を尽くすだけじゃなくて、未来のことを考えながら生きていく。自分の迷いは先輩方から答えをもらえばいい、っていう生死感をもって毎日修行しているんです。

 だからお師匠さんが死んで、お師匠さんが持っていたものを僕が絶やしてしまったら、ただの1本の電柱だけだったら、たぶん次に伝わらずに消えてしまうと思うんです。自分に与えられた役目というのは、次の人のためのことを考える。「今」という言葉だけを考えたら、快楽主義が出ちゃうし、死んだらしまい、という考えも出てきてしまうんで、自殺者も出ちゃう。この「中今」というのは「広辞苑」にも載っている、生きてる言葉なんですね。知らなかったんですけど。だからいま、中今を生ききる、ということを説法してるんです。それがわからないと、結局、僕もですね、先生もさきほど僕に身体を大事にと言ってくださったけれども、今さえ良ければいいと、人からの評価が欲しいから一生懸命走るわけですよ。認められたいというのは、どっかに媚びているから。だけど、少しでも良いものを育てていければ、エゴを超えて生きることができるので、エゴを超えて生きたときに、人間というのは、さきほど先生が仰った、皆がつながっている、自分は先祖とつながっているという、縦軸と横軸の命の連続性について理解することができると、人間はすごく静かになるし、優しくなれる気がするんです。〈続く〉

 鍼灸師の藤本蓮風さんが「鍼(はり)」の力をさまざまな角度から見つめる「蓮風の玉手箱」は前回に引き続き、薬師寺執事の大谷徹奘さんとの対談をお届けします。大谷さんの手のひらから、スキンシップにまつわる生き物の共通性に話題が広がっていきます。日本中を説法で飛び回っている大谷さんが、ユーモアたっぷりの法話で有名だった師匠の思い出を語り、後悔も告白。「器」としての「身体」の大切さをいろいろな視点から考えるヒントを提示してくださっています。(「産経関西」編集担当)

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 大谷 身体が元気ですとある程度までは引っ張ってこれるんですけれど、私は来年で数えで50にさせていただくんですが、40代前半まで疲れるって感じたことがなかったです。寝てもすぐ疲れはとれるし、夢もあるし、やりたいことに対しての熱意もあるし…。だけど、なんとなく50近くなってきて思うんです。親父が70歳で死んでいるんですね。…ということはあと僕が今までの生きてきた時間の4割しか生きられない。で、今までお寺に30年お世話になって、人生50年やらせていただいて、そうすると、あと20年なんてあっという間だろう、自分をじっとみると、極端に何も変化することはない。まぁ、大体この程度までなのかなぁ、って見えたり、責任感が出たりするんですね。どんどんどんどんですね、重たいものが乗っかってきちゃって、それを越えなきゃいけないと思うと、やっぱり身体を酷使してしまうのです。

 蓮風 それなんです。だから、先生は非常に素晴らしいことをやっているし、素晴らしい良い手をしてはる。私は手のひらでわかるんです。人を癒やす手なんです。あの、この間もね民族学の小山修三先生(国立民族学博物館名誉教授)が(オーストラリア先住民の)アボリジニにもヒーラーがおるんだとおっしゃったんです。

 大谷 ヒーラー?
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 蓮風 手をかざして、痛みを取ったり、病を治したりするんです。その手の写真を見せてもらって納得したんですが、大谷先生も良い手をしてらっしゃいます。理想像は仏様の手になればいいと弟子たちに言うんですがね。だから、やっぱりそういうふうに人々を救済なさるんであれば「器」も大事ですよ。ぜひ大事にしていただきたい。

 大谷 私は師匠の高田好胤(薬師寺第124世管主)に、あこがれて小僧になったんですけれど、晩年お師匠さんは、病気で倒れて亡くなるんです。僕はよく師匠のことを“とろろ昆布”って言っているんですよ。なぜかと言いますとね、東京のデパートで仕事をしたときに、北海道物産展ってのをやっていたんですね。たまたまそこを通ったときに、生まれて初めてとろろ昆布を作る実演ショーをやっていた。そうしたら(実演する人が)足袋を履いていて、その指のところに昆布を挟んで、ピンと引っ張って、大きな板のような包丁で、ザクザクザクザクと擦っていくんです。そうすると、下にですね、削られたとろろが出てきて、お母さんたちがね、とろろだけを見て「おいしそう」って言うんですが、その昆布はどんどん痩せていくんですね。で、最後に、たまたまなのかもしれないけれども、その時に昆布が僕の目の前でブチって切れたんですね。

 それを見たときにですね「うわー、うちの師匠と一緒だ」と思ったんですね。こうやって人に喜びを与えて、そのとろろ昆布を作り、人に喜びを与えている自分は身を削ってブチっと切れた。あの、マザーテレサさんが、ロウソクは人を照らし自分はとけていく、と言ったのと同じことをその時感じたんですね。(平成10年に)74歳で亡くなるんですけれど、今、お師匠さんが生きておられたらこの世情をどういうふうに思われるだろうか。もちろん戦争の経験もあるから、苦しみの中でどういうふうにあるべきかってのを、お師匠さんにお話ししてほしいので、生きてくださったらなって思うんですが…。
 
 僕はうちの師匠もね、頑固だったって思うんです。で、ある時ですね、身体の具合が悪くなったんです。60代の中頃だったと思いますけど、もうお寺は優秀なお坊さん達たくさんいるから、お師匠さんに、「もう引退なさって、法を説く、自分のことだけをおやりになったらどうでしょう?」って言っちゃったんですね。こんなこと、弟子が師匠に言ったらあかんのですけど
…。そしたらね、師匠は僕のこと怒ったことがないのに、その時だけはですね、「俺がやらないで誰がやるんだ!」って言って、烈火のごとく怒られたんですよ。お師匠さんに怒られたのはその時だけですよ。だけどその時に思ったのは、あの時、弟子としてもう少し食いついて、「お師匠さん、そうじゃなくて、長く使ってもらうことが大事ですよ」って言えなかったことを、未だに悔いを残しているんですね。

 蓮風 そうなんですね。ですから、あの私もね、ほぼ70に近いんです。68でね。この前もいちびって、若い人たちと一緒に馬の障害に出て行って、4位取ってきたんです。かなりレベル高いんですけどね。そういうことをやって楽しむ。そうして身体を鍛える。これがね、ものすごい大事ですね。今、先生も素晴らしい仕事しておられるから余計に思うんだけど、やっぱり身体を守られて、そこから輝きでる生命が人々を感動させると思うんですよ。

 大谷 這いつくばるようにして講座にいくんですよ。(「心を耕そう」をスローガンに法話行脚などをしていて)日本を1年間で大体6、7周して、講座数が最低でも200講座以上ありますので、多いときはガイダンスも含めると400くらいやるわけですよ。僕の乗っている車のニックネームは「霊柩車」って言うんです。乗ったとたんにもう死んでいるように、グーっと寝るわけですよ。それで、車が着いて扉が開いてお迎えの人がいると思うと、もう顔が変わったように出て行くんです。で、その人たちの喜んだ顔が、自分の喜びになってしまうんですね。

 蓮風 そこらあたりはね、我々も一緒なんです。ただ、やはり器ですから、これはやはりまさしく諸行無常でね、つぶれるもんですから、大切にして、長持ちして、その中でいい仕事ができれば最高じゃないですか。

 大谷 そうですね。本当に。僕は死ぬのはいつでも死ねると思うんですけど、死んだら終いだとは思ってないんです。でも、死んだら生きていることに幕が下りてしまうと思うんですね。ですからそういう意味では、僕は、親父が70歳、師匠が74歳、お釈迦さんが80歳、そこをライバル視して(笑)、身体のメンテナンスしたい。だから実は今回の震災(東日本大震災)がなければ、仕事量を3分の2くらいまで減らす予定でつとめてたんです。しかし、震災をいただいてしまったんで、まぁこれもお役目だからと思っています。

 蓮風 まぁ、それはそうなんですけどね。とにかく身体を大切にして、いい仕事をしてもらいたいです。
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 大谷 あの、病気をすると、さするってのがあるじゃないですか? 僕、この手の温もりってね、絶対にね、肉体に対してはどうかわかりませんけれど、精神に対してはものすごいと思います。僕は自殺志願者をずいぶん世話したんです。よく一緒に寝たんですね、一つの布団で、抱いて寝てやるんですよ。同じ部屋に寝ているんですけれど、最初は別に寝ているのだけど、「おい、こっち来い」ってクッと抱いてやるんです。そうするとですね、すっごく柔らかくなるんです。それまでの固かった身体が。

 蓮風 あのね、私はそれも少し経験しているんだけど、亡くなっていく人を何回かみたんです。何かしてあげたい、どうしたらいいかっていったらやっぱさすってますわ。そうするとね、安らかーな顔で向こう行きますね。最後はね、結局さすることなんです。我々はこれを「手当て」って言って、一番原初的な医学の形をとっている。その典型例が母親の行動ですね。医学の知識がないのだけれども、(子供を)さすってやる、抱いてやる、先生のおっしゃるとおりですわ。そしてね、もう一つ面白いのは、私はオーストラリアの馬を持っているんですよ。もともとは競馬場で走っていた馬です。その馬はものすごく素直なんですね。いわれを聞くとね、(オーストラリアでは)馬が生まれたときに思いっきり抱きしめるんだって。そうするとね、素直な馬になる。今の話、本当にすごいですね。

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 大谷 盲導犬のお手伝いをしたことがありまして、盲導犬も生まれたときに、人間に従順になるように人間にあずけて、絶対に怒らずにものすごくなでて、抱いてやるといい盲導犬になるっていう話を聞いたんですね。今の話と同じですね。

 蓮風 だから、生き物というのはそういう共通性がやっぱりあるんですよね。理屈じゃなしに。

 大谷 あの、人間を見てましてですね。裏切れない人を持っているか、持っていないかというところ、例えば家族は裏切っちゃいけない、この人は裏切っちゃいけないっていう人を持っている人と持っていない人ではね、全然人格が違うんです。そういう裏切れないっていう相手を持っている人は大事にされているんです。大事にされた人は人を大事にするんです。人から、さげすまれたり、相手にされなかった人が、やっぱり悪い方向へ行くんです。人間の心のことはよくわかりませんが、僕らは唯識という世界の専門の勉強をするんですけれども、人間の経験が自分の心の中に蓄積されて、その蓄積がその人の行動になるっていうのがあるんですけれども、まさに今の、さすってもらったり、抱いてもらったり、優しい言葉を言ってもらうと、心の中に優しさがあるから出てくるものが優しくなる。日本はたぶん、常にちっちゃいときから競争社会で、「だめじゃないか」っていう否定語の数の方が誉められた数より多いんだと思いますね。誉められた数と否定された数によって、人間の人格って変わると僕は思っているんです。

 蓮風 それは大事なことですね。だからねぇ、結局、さきほどの心と身体の問題からいうと、やはり、先生が仰るとおり(前回参照)「身心」のその「身」を先に置いたというのに私は非常に感動しますね。〈続く〉


医学ランキング

初回公開日 2012.1.21

「鍼(はり)」の力をさまざまな視点から探る「蓮風の玉手箱」は今回から薬師寺執事の大谷徹奘さんにご登場いただき、鍼灸師の藤本蓮風さんと、宗教や医学について語っていただきます。仏教にしても医療にしても人を救うことが根本にあるわけですが、日本の社会では病院の次に行くのがお寺…というブラックジョークのような構造が印象として定着していることは否めません。今回のご両人の対談を機会に鍼だけでなく仏教への印象が変わったという読者がいらっしゃれば、その方の「自分」という存在への見方も広がるのかもしれません。(「産経関西」編集担当)
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大谷徹奘(おおたに・てつじょう) 薬師寺執事。1963(昭和38)年、東京・江東区の浄土宗・重願寺住職の次男として誕生。17歳で故・高田好胤薬師寺住職に師事、薬師寺の僧侶に。龍谷大学文学部仏教学科卒業、同大学院修士課程修了。1999年から「心を耕そう」をスローガンにして全国を法話行脚。2003年、同寺執事となり、04年、茨城・潮来市の薬師寺東関東別院水雲山・潮音寺副住職に就任。特定の場所ではなく心を学びたいと思う人々が集う「こころの学校」活動を展開しており、宮城、福島、東京、大阪などで定期公開法話会を開いている。主な著書に『静思のすすめ』『「愛情説法」走る!』など。 

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 蓮風 大谷先生、お忙しい中お越しいただき、とても嬉しく思っております。

 大谷 いえいえ。私はですね、医学と宗教については非常に興味があるところなので。ですから、逆にお誘いをいただいて嬉しく参上いたしました。

 蓮風 あの、このコーナーはですね、一口に言えば、世間にどうも正しく知られていない「鍼」について、正確な情報を伝えたり、誤解を解いたりして、本当の姿を知っていただこうという趣旨で進めてきています。大谷先生も仏教について知らない人たちに一生懸命かみ砕いてお話しなさっていると思いますけれど、我々も鍼について、もっと世間の人たちに知っておいていただきたいと思っています。

 やっぱり、知っておって(鍼を)受けないのは自由だと思うんです。何かのきっかけで知って、実際に鍼をしてみて、そのお陰で助かる人もたくさんおります。鍼のことを全く知らずに、鍼を受けるチャンスもなく病気が良くならなかったり、そのまま亡くなったりする場合がある。そういう人たちがおられるのが非常に僕としては残念。そういう意味で、啓蒙運動の一環としてやっているんです。このコーナーは、ご存じのように、国立民族博物館の小山修三名誉教授が第1回目ですね。それから、2回目に帝塚山学院大学の杉本雅子教授で中国文化の専門家。その次が九州大学の麻酔科の外須美夫教授です。その次が、先生。そういう順番できております。

 そこでですね。私も先生に鍼をさせてもらって、ご縁があったわけですけれど(初めての来院の際に)問診事項ありましたね? いろんなことを聞いたんですよ。ああいう問診の中から何かお感じになったことがありますか?

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 大谷 すごく細かな項目で、たくさんの質問を受けました。私は少年刑務所の面接官をやらせていただいているんですね。平成13年から自分で望んでなったんですけれどもね。罪を犯した子供たちと初めてたくさんの接点を持った時にですね、僕の心の中は「こいつらは悪い奴らだ」と正直に思いました。だけれども、そこにですね、どっぷり浸かって話をしていきますと、実際の彼等と、私が描いている彼等とが一致しないんです。極端にずれている人がいるんですね。中には何でこんなにいい子がいるのかという子供に出会うんです。

 その時に私は、例えばおできができたとするじゃないですか?そうすると私たちはおできができたことを悪いと言うけれども、そのおできは一体、何が原因でできたのか? 腎臓が悪かったのか、肝臓が悪くてできたのか。だから私は子供たちとたくさん付き合ってわかってきたんですけどね、やっぱり彼らは追い込まれて罪を犯しているんです。その追い込んだものから探っていかないと、実は表面的に彼等は嘘をつくんです。人間ってね、自分の評価を下げられることがすごくかなわないんです。正直なことを言わない。この顔も、この声も。だから、その時にリラックスしながら、彼等がどんな家庭環境を持って、どんな精神活動をしてきた結果、罪を犯して入ってきたかっていうことをですね、すっごく時間をかけて聞くんです僕は。

 蓮風 問診ですね?(笑)。

 大谷 そうなんです。そうしないと、彼等が罪を犯しましたっていうその区分だけをみても答えは出てこないんですね。ですからここへ来て、例えば本当に普通の人にだったら言いにくいようなことも、例えば性的な問題なんかも先生がはっきり質問表の中に持っておられて、そういうことなんかでも、やっぱり聞かないと人間ってそう部分を言いたがらない。そこに大きな種が隠れているかも知れないので、最初に僕が先生のところに来たときに、すぐに鍼を打ってくれるのかなって思ったら、長い時間の問診があって(笑)、「これは一体なぜなんだろう?」と思ったんですけど、やっぱり先生が肉体を診ることは、もちろんプロだからおわかりになるんだと思うんです。けれど、精神性とかその人の持ってきた過去を暴いてみないと、ほぐしてみないとわからないという手法をお取りなんだろうということはすごく感じました。

 蓮風 そういう意味では共通する部分がありますね。

 大谷 一緒ですね。はい。で、先生ね、まず、この言葉だけ先に聞いていただこうと思います。それが「身心安楽(しんじんあんらく)」。ちなみに「心身(しんしん)」の場合は心が先で身が後なんですね。でもお経の場合は身が先なんです。私どものお寺はお薬師さんの寺でしょ。お薬師さんのお経の中に、お薬師さんが人を救う、自分が如来となるまでの修行を12の項目を立てるんですね。

 蓮風 ほう。

 大谷 その中に、第7番目に「身心安楽」という教えが出てくるんですね。この語は「楽身」と「安心」に分解できます。この「楽身」が「らくちん」に変わるんです。

 蓮風 なるほど。

 大谷 で、仏教の「安心(あんじん)」というのが、これが「安心(あんしん)」になるんですね。で、仏教の究極の教えの中には、「幸せ」という言葉が出てこないんです。これは「happy」とか「happiness」の当て語ですね。それに対して、仏教の究極の目的は「安心(あんじん)」。安らかな心。安らかな心と身の楽。だから、私はわかりませんが、先生がおやりになっている治療はたぶんね、「楽身」。それに対して問診は「安心」。これが先生がおやりになっている東洋医学のような気がいたします。
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 蓮風 なるほど。面白いことが一つあるんですけれどね、ものすごく、くよくよしてノイローゼのような形で、爽やかにおれない。実は私の弟子にそんなのがようけおるんですが、それに鍼をしてくれって言うから鍼をする。そうすると、「先生なんかこう、今までのなんか、全てが吹っ切れた」という。で、身体を楽にするということは一体どういうことか? 実は心の問題と大きく関わるんです。心の負担に関わる。だから、我々は身体の方から楽にしてあげる。身体の解放の後、心も、まさに「安心(あんじん)」ですね。はい。そういう方向で我々はやっているわけですがね。

 先ほどおっしゃるように、結果だけみてはだめなんだと、必ず原因があるんだと。我々それを「病因病理」といいますけれどね。原因が結果ではないです。病因から時系をたどって、症状としてあらわれた原因や心も含めた患者さんの状況全体との関係のようなものを探るわけです。結果としての病の本質は「証」という字を書きます。「あかし」ですね。我々東洋医学ではそういうものを最終的に求めて治療をするわけですね。その過程が非常に重要なんです。ですから、患者さんの話をずっと聞いていくと、賢い人は、自分ここが間違っとったな、生活のここが間違っとったと。食べ過ぎた、いらんこと考え過ぎた、仕事し過ぎた、いうことをね、わかっていただけるんです。で、それがわからんかったら我々の方が逆に問診から、なんでこうなったという話を申し上げます。それでわからん人もようけおりますけど、わかる人もおります。

 大谷 そうですね。
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 蓮風 最終的に鍼をするということは、身体を通じて心の方に作用する。まぁいったら身体は器だと私は思います。器の中に「心」という生命の本心っていうのが僕はあると思うんです。それから、もう少し先に行くと今度は魂という問題と僕は関わっていくと思うんですが、とりあえず、わかりやすいのは身体が器で心が中の本心だと。だから、いくら中をしっかりやっても、まぁ受け皿の入れ物が悪けりゃどうにもならんという考え方があるわけで、もちろん身体を良くしていってもいつまでたっても心ができない人がおる。これはねぇ、私は説得じゃなしに、納得という言葉を使います。説教は外的な力であるのであって、納得は「あっ、そうか」というわけです。

 大谷 インサイドの問題ですね。

 蓮風 そういうことですね。それが起こるようにね、いろんな話を私もいたします。ただね、忙しくしてるとね、なかなか時間がとれないんです。まぁその人の性格とか仕事によってですね。私は馬術やっているんですよ。馬術に誘っていろいろ話を聞いたり、いろいろ工夫いたします。
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 大谷 先生の今おっしゃった納得というのはね、僕らの世界で言うと「気づき」なんです。人間っていくら言っても、その人が気づかない限り変わらない。今先生がおっしゃった、肉体は入れ物であるというのは、今から2200年前に初めて文字になった、『法句経』というお経にも説かれています。

 蓮風 はいはい。知ってます。

 大谷 その『法句経』の中にですね、お釈迦様は、ものすごい健康なお方だったと思うんですけどね、晩年は一番最後にですね、病気になって80歳で亡くなられるんですが、その『法句経』の節を読んでいると、肉体についてはですね、これをですね、街の城郭のようなものだって書いてますね。

 蓮風 あぁ、そうですか。

 大谷 で、その中側にですね、人間というものの心があって、その中でですね、ものすごくお釈迦様は人間に厳しいから、説いてあるのは、そこに偽りと高ぶりが隠されてあるって書いてあるんです。

 蓮風 ほう。

 大谷 心の中にはすごくいい精神も隠されてあるけれども、その半面それと同居して私たちの汚い心もその中に隠れている、それをうまくコントロールしなければならないということが説かれるんですね。

 蓮風 私の父が非常に敬虔なる仏教徒でございまして、まぁ在家ですけれども、子供の頃からそういう影響を受けております。先生のおっしゃったことで私の頭に浮かんだのは父がよく話していた徳本上人という方のことです。

 大谷 はい。

 蓮風 その方がお説きになった話の中に、「幼子(おさなご)の 次第に次第に知恵付きて 仏に遠く なるぞ悲しき」という歌をうたった。人は本来、仏やと思うんですよ。本当はそうなんだ。だけど、この器を持っているがためにあらゆる願望や欲望が出てくる。それが汚(けが)れてくるということになるんでしょうか。だから神道じゃないけど、清め祓うという、あれは非常に大事な意味を持っていますね。で、ご存じのように、邪気を祓うのに、昔から先の尖ったものを使いますね。事実、破魔矢というのがある。それから、源氏物語に出てくる光源氏が邪気を祓うのに弓の弦を、とんとんとするのは矢を放つことを意味するんだと、思うんですよね。そういう中で、鍼というものは一つは邪気を祓うという意味があると思うんですよね。ですから、今言いますように、身体と心の問題は非常に微妙で、先生がおっしゃったように、『法句経』の城郭と中身の話が非常におもしろく感じました。〈続く〉

先月からお届けしている九州大学大学院医学研究院教授(麻酔・蘇生学分野)の外須美夫さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談も最終回となります。医学の東西を超えて患者の立場からの医療とは何か、を中心に話が進んで来て、今回は蓮風さんが自身の健康法(?)も明らかにしています。医療と宗教と哲学の関係から「医の原点」を見つめ、まだまだ話は広がりそうですが、おふたりのお話はひとまず閉幕。カーテンコールの拍手をして、アンコールを要望したい方もいらっしゃるはず。次の機会をお楽しみに。(「産経関西」編集担当)
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 蓮風 この間、馬(=乗馬)の試合行ってね。17~18歳の子と戦って、2位3位を取ったんです。だから決して病気じゃないし、元気なんで多少この、えー酒…いや燃料として「バイオエタノール」は許してもらうとして(笑)、他のことは大体節制できていると思うんですがね。

 外 今はもう、もの凄く偏った人たちが多いですよ。

 蓮風 そうですね。昔、漢方医学、古い時代には食医というのがおった。で、一般に我々みたいに鍼をやったり、先生みたいに、こう、薬出したり、そのような医療をやる人を疾医、疾病の「疾」。疾医いう漢字を書く。

 外 ほぉ。

 蓮風 で、食医の方は、もう、まず「食べ物で治せ、食べ物を治せよ」ということです。で、食という字は「やしなう」とも読むんですね。漢文では。養うっていうことは単に食べるということじゃなしに、生活全体です。さっき先生が仰るように、生活習慣、とんでもないことやっとりゃぁね、そりゃあ病気するからそれ治せって、そういうことを非常に激しく言った医者とか、時代があったんですよ。だからそれは疾医より位が高かった。

 外 今、本当はそっちのほうが大事なのかも。

 蓮風 だから現代は本来、食医の時代なんですわ。はい。

 外 疾医でないと儲からないものだから。

 蓮風 だから、そこら辺りがね、コマーシャルと繋がっている医療というのはね、本当に人の体を治すんじゃなしに、商売儲けに使っているということだろうね。

 外 まぁ、そこをすぐにはできないけれど、そういうところを政治家が変えていく力を持っていかないといけません。

 蓮風 そうです。本当に政治がそこにいかないとだめなんですよ。

 外 思いますね。

 蓮風 うん。しかし、話は少し飛びますけど、政治家は長生きしますね、元気で。

 外 政治家が?
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 蓮風 はい。 先生のイメージされる政治家はどうですか。

 外 うーん。長生きが多いですね。

 蓮風 ねぇ。ほいで、結構元気ですよね。

 外 うん。

 蓮風 あれなんでやと思います?

 外 やっぱり、自分が国を動かせるということに喜びを感じてるのかなぁ。

 蓮風 そうですね。僕はね、もうひとつ、その、野心があると思うんです。はぁ。自分が天下を取ってこうやりたい、ああやりたいって、その為にはどういう風に人を丸め込めばいいかって。

 外 うーん。

 蓮風 それはねぇ、非常に人間のその生きるエネルギーと繋がっているんですよ。野心。だから、あの、北海道の、あの、北大の前身の、札幌農学校におられたクラーク博士が「Boys, be ambitious」って言ったのはねぇ。「少年よ大志を抱け」と訳したけどね。あれ、野望なんです。大志というのは。ambitiousいうのは。だから、そうするとね、その野望こそがね、人をね、僕の場合は東洋医学を世の中へ発展させようってひとつの野望かもしれん。それが僕を非常に元気にするんですよ。

 外 うん。

 蓮風 だから人の数倍生きるっちゅうようなブログ書いているけど…。最後はねぇ、大志というか野望というかね。それを持つことがねぇ…。

 外 大事ですよね。野望であり、結局情熱を注ぐということですね。

 蓮風 そうそうそう。だから野望と情熱はもう裏表です。

 外 そうですね。

 蓮風 はい。だから政治家は野望によってその情熱を燃やしているわけや。

 外 それがエネルギーになるわけですよね。
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 蓮風 医学と宗教の関わりあいについて、先生はどう思われますか?

 外 おぉ、これはまた面白いテーマを。
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 蓮風 そうですね。これが一番ね、私は最後に、先生に纏めて頂きたいなと、思うんですよ。

 外 ありがとうございます。蓮風流にいくらでも言うことがあると思いますが。最後はですね、宗教というか哲学というか、それが無いとだめだと思います。医療をやる人は。少なくともなんらかの哲学がいります。ただ、これまでの色んな人が言っているような哲学じゃなくてもいいと思いますよ。

 蓮風 うんうん。

 外 自分の生き様として、ある信念が必要だと思います。

 蓮風 そうそうそう。

 外 その信念のバックボーンとして哲学の流れを生かしていけばいい。この本(「東洋医学の宇宙」藤本蓮風著)を読んだり、老子を勉強したりしたことからも思うのですが、西洋の哲学は、色々分析して、揺らぎの無い価値や真理や神への愛というような、誰も口出しできないような崇高なもの求めて行きます。宗教で言えば、イエス•キリストや、マホメットや、一神教的なものに皆が向いていく。皆がそれで救われる。そういう絶対的なものに繋がっています。それで解決しようとしますが、それでは人間の持つ多様性が失われやすい。

 蓮風 うーん。多様性。はい。

 外 人間は色んな価値観を持っている。生きていれば、色んなことがどんどん変化する。そういう変化に対して、西洋哲学や宗教は、固定した価値観を持ちなさい、それに従えばいいと言っていますが、人間はやっぱり弱いから、その通りに生きられない。それで、皆がもがき苦しむ。だから西洋哲学もだいぶ変化して、反哲学と言われていわれる人たちが出てくる。

 蓮風 はいはい。

 外 ニーチェの頃から変わって来ます。既存の哲学に「そうじゃないのだよ」というように。そこでは、今ある現象の中に自分を探していこうとする。それは元々東洋哲学の中にあったものであり、結局は、老子や荘子が言うような、変化するものや流転する中に身を置くということです。

 蓮風 そうですね。

 外 先生の本に書かれていますけれど、もうこれだと決まったものは無い。決まった時にはもう次が動いている。

 蓮風 そうそう。

 外 陰と陽がいつも作用し合っている。

 蓮風 そうです。そうです。

 外 変化していくものだという考え方ですね。僕たちは日本人として、神道も仏教も混合して取り入れることが可能です。それはなぜかというと、神様がその辺のあっちこっちにいるのだという考え方があるからです。

 蓮風 そうそう。

 外 自然の中にもいるのだという。

 蓮風 そうですね。

 外 そういうことで、包容する力も持っている。あまり固まってない。家族を愛するし、全体との繋がり、地域との繋がりを大事にしてきた。それが大事な事であって、老子や荘子が持っていたものをバックボーンとしている東洋医学がある。そして、鍼灸も含めて、そこに真理っていうようなものがあるような気がします。

 蓮風 うん。

 外 そこが治療においても、人間を癒やすことになる。人間全体を固定したものと見ないで癒やしていく。同じ様に体と心を区別しない考え方で、人間が生きて死ぬということを、自然の流れの中で受け止めていく。そうすると死の苦しみからも、解放してくれる。それはもう、まさしく宗教がずっと目指してきたことです

 蓮風 そうですね。

 外 そういうところへ繋がっていくような気がします。日本人としては、西洋化してきた流れの中で、もう一回原点に戻って、別に老荘までいかなくてもいいので、日本人的に自然と調和することが大切です。

 蓮風 いやいやいや。あの、その、その通りやと思いますわ。で、まぁ、今日色々とお話を伺うと、もうあえて東洋医学言わんでも先生はちゃんとご存じだというような感じを受けました。

 外 いやいや(藤本蓮風さんが書いた)「東洋医学の宇宙」にあることです。いっぱい良いことが書かれていて、最後に、お父さんが「自然をよくみなさい」と諭したとあります。

 蓮風 そうなんです。そうそう。

 外 「自然をよく観察しなさい」と。結局、それは人間の中にも自然があって、それをよく観察しなさいということだと思います。

 蓮風 そうですね。

 外 それが医の原点ではないでしょうか。

 蓮風 そう、なるほどねぇ。

 外 そう思います。

 蓮風 素晴らしい締めくくりになった。ありがとうございます。

 外 こちらこそ、ありがとうございました。 <終>

 

 

次回からは「こころの学校」活動や『静思のすすめ』などの著書で知られる薬師寺執事の大谷徹奘(おおたに・てつじょう)さんと、蓮風さんの対談が始まります。


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new!☆お知らせ
2019年5月、外須美夫先生の出版物が刊行されました。
「文・句・写真 裏の細道紀行~福岡ー山陰ー高野山 八百六十キロの旅~
外先生が実際に歩かれた記録が文章、写真、俳句と共に綴られている素敵な一冊です。
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2012(平成24)年を迎えて2回目の「蓮風の玉手箱」をお届けします。社会の高齢化が国の財政を圧迫の大きな要因となり、国全体の活力も奪っていく現実が明らかにになってきています。消費税問題などとも絡んで今後、医療費の問題がさらにクローズアップされてくるのは間違いありません。自分の身体のことなのに病院に頼り切りでいいのか? 九州大学大学院医学研究院教授(麻酔・蘇生学分野)の外須美夫さんと鍼灸師の藤本蓮風さんと今回のお話しは日本の医療の将来像を描く大きなヒントになっているような気がします。みなさんはどのような意見をお持ちになるでしょうか。とにかくじっくり読んでみてくださいね。(「産経関西」編集担当)
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 外 東洋医学の魅力は、調和という全体で見る考え方ですね。

 蓮風 はいはい。

 外 東洋医学は根本を治そうとするじゃないですか。そこが長所であり、そこでは「等置」(前回参照)とは違う考え方でいいと思います。

 蓮風 そういう点から言うと、先ほど先生が仰ったように、この各部門、分解してやっているのと、総合して診る監視役が必要ですね。

 外 うんうん。

 蓮風 それは東洋医学にはなれないでしょうかね?

 外 いや、なれると思います。

 蓮風 そうですか。

 外 東洋医学だけだと、西洋医学の細かい所はわかりにくい。西洋医学の持つ大きな力というのがあると思うので、やっぱりそこを分かった上で見ていく。

 蓮風 それはそうですね。かつて中国では、よく『中西医合作』と言われたのですが…。ご存じですか? これ毛沢東が言った言葉なんですけどね。あのー、西洋の医学も医学で立派なんだけど、中国の発想によってできた漢方医学もあると。これがひとつになれば、素晴らしい医学になるんじゃないのかと。

 外 うん。

 蓮風 これが現代中国の中医学と西医学の、その発展の大本をなしているんです。今はまただいぶ変わってきましたけども。だからまぁ、西洋医学もない東洋医学もないひとつのものを作ろうという、そういう発想もあるんですよ。で、事実鍼灸界には代田文誌(しろた・ぶんし、鍼灸師、故人)とかあの辺りはやっぱり、西洋とか東洋じゃないんだと、次の医学を作る、それは東洋でも西洋でもないひとつの融合した世界だという人もおるんですよ。その辺りを先生にも話を聞きたいと思うんですが。

 外 どうですかね。合作というか融合しなければいけないのは確かなのですが。多分ですね、西洋医学をやっている人は東洋医学の考え方を納得できないと思います。

 蓮風 そうですよね。ほとんどね。ほとんどがそうだと思います。

 外 だから私が今大学病院でそういう事を言ったり、鍼を刺したりしても、若い人たちは何をやっているのですかという感じです。

 蓮風 あやしげなことを。

 外 だからあとは患者さんがどうするかいうことです。今の患者さんのニーズもだいぶ変わってきていると思います。で、これからは特にもっと大きく変わるでしょう。これから高齢化が進んで、攻めの医療じゃなくて、守りの医療というか、いわゆる優しい医療というのですかね。そういう医療が求められるわけで、しかも医療費の削減ということもあるでしょう。強力な西洋医学の攻めでかえって苦しめてしまうのではなくて、穏やかな医療に道があるのではないでしょうか。合作とか、一緒に取り込むというところにはあまり感心しません。

 蓮風 感心しない?

 外 うーん。西洋医学の人たちはそういう思いにならない。

 蓮風 全然知らんふりしてますね。

 外 中々そこに向いていかない。

 蓮風 で、僕はね、やっぱりこの、根本的に、形の医学と形で無い医学ということ、それからやっぱし、生命観が違いますよね。さっき仰ったように、あのー部分部分のあれが繋がってできた全体じゃなしに、東洋の場合気というものによって統一されているわけですから、従ってその生命観が違えば、やはりあの、それぞれの医学であっても、簡単に一つにならないだろうし、する必要も無い。ところが現代の鄧鉄涛という漢方の偉大な方は、現在はそれでいいんだと。しかし、将来同じ生命観が出てくるかもしれない。

 外 うんうん。

 蓮風 その時はひとつになるのかもしれないと仰っているんですね。

 外 うん。

 蓮風 これよくわかるんですよ。

 外 うん。
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 蓮風 だから僕たちは今、西洋医学を、まぁ、お互いに良さを認めるならばね、あの、合作じゃなしに協力という概念。互いに「こんな時は助けて頂戴よ」「じゃあやりましょう」「僕らも困るからちょっと助けてよ」という具合に。

 外 ええ。そうだと思います。

 蓮風 はい。実はそういう鍼灸医療病院みたいなものをね。

 外 ほぉ。

 蓮風 はい、ひとつは構想も持っている。

 外 うん。

 蓮風 はい、だから西洋医の先生にも来てもらうんだけど、あくまで鍼灸を中心として、この病院の場合は、西洋医学に「あぁ、これちょっと我々では弱いから手伝って」って。
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 外 いやぁ、そういう病院ができればまた画期的だと思います。そうやって確実に地道に広がっていって欲しい。

 蓮風 そうそう。だからこういう合作とかなんとかじゃなしに、この医学特有のものを大事にしながらね。ただ西洋医学も立派なことをやっているわけやから、先ほど先生が仰るように、長所短所があるならば、短所がある場合は補ってよと。

 外 そうそう。

 蓮風 これはお互いありうると思う。だからそれを私は協力という概念で話しているわけなんですけども。

 外 そうですね。

 蓮風 はい。まぁ勝手なことばっかり言うてるけど。さぁいよいよもう、大詰めになってきているわけなんですけども。西洋医学も東洋医学も実際はどうですかね、あの、患者さんのためにどういう方向に向かった方が、先生は理想的というか、こうあるべき、というような形があったら仰って頂きたいのですが。
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 外 ひとつは患者側ももうちょっと学ばなければいけないと思います。例えば、東洋医学だけを求める人もいますね。最初から西洋医学だけを求める人もいます。やっぱり頼りすぎている。もっと自分で考えて欲しい。

 蓮風 自分で選ぶと。

 外 それならいいのですが。そして、今のところ、多くはやっぱり西洋医学の薬、薬というように、薬神話がありますね。あれは大きな問題で、病院に行って、なんか薬下さいっていうわけです。

 蓮風 そうそうそうそう。

 外 薬なしで生活を変えましょうとか、別なことを言ったら、そういう医者は求められないわけです。医者は患者さんに薬をくれる人になっています。それは間違った方向だと思います。

 蓮風 そうやろうなぁ。

 外 だから、根本的にはそういうところも変わらなければいけないと思います。医療も変わらなければいけない。東洋医学では未病って言うんですか。
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 蓮風 未病ね。未だ病にならざるを治す。と。

 外 そうそう。そこが大事なポイントです。

 蓮風 そうですね。だから病気じゃないんやけど、病気の前段階であるということ。

 外 私はそれが東洋医学が発展する非常に大事なところだと思います。

 蓮風 そうですね。

 外 健康というものを考えると、病気があって、何か異常があって、病院に行きます。しかし、最近は、生活習慣病であったり、生活が狂っていたり、食べ過ぎたり、飲み過ぎたりして病気になる。それらの全部の結果を病院で治して貰おうと考えている。自分には責任は無いのだから、薬で治してくれと言う。

 蓮風 で、治らんかったら医者が悪いという(笑)。

 外 そうです。医療がなんとかしてくれるという思いがある。

 蓮風 ありますね。

 外 それは誤っていると思います。

 蓮風 うーん。

 外 病気にならない為にどうしたらいいか。そしてそれは、東洋医学の力が発揮されてもいいところじゃないかなと思います。

 蓮風 だから、まぁ、私は毎日の診療の中で、大病になりたくなかったらね、健康維持に予防に治療しなさいと。それこそ本当の東洋医学なんだよって。で、その中で僕は、色んな小言を言うけれども、やっぱり生活を正さんと、だめですよね。まぁ私、酒飲みで、まぁ酒で死ぬのかもしらんけど(笑)。〈続く〉

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