蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)


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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)も終盤に入ってきました。8回目の今回は「西洋医学」の問題点がテーマとなっています。現代日本で主流になっている医学は日本の風土に培われた生活文化や人間関係の在り方に合致しているのか…。病院などで違和感を覚える経験を持っている方は、その理由を考えるヒントになるかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 宗教の問題点についての、お話が出たわけですが、では次に医療はいかがでしょうか。現代医療の問題点について…。

 佐々木 そうですね。すでに、ちょっと言いましたように、特に西洋医学といいますとね、僕が改めて言わずとも、今までも蓮風先生と対談されたドクター達も、いろんな問題点を指摘されている、その通りだと思うんですね。ただ、なぜ、そのようなことになっているかというと、やはり西洋医学というのは、原点に西洋の…欧米の文化があります。哲学とかですね、だから日本的な要素というのは全く入ってないんです。

 蓮風 なるほど。

 佐々木 全く入ってない。

 蓮風 日本人にとっても西洋医学でいいんだけど、そこに日本人の魂が入っていないと、そういう(問題点は意識しておくべきだという)ことですね。

 佐々木 はい、そういうことです。だからそこで、みんなの不満が出てくるんです。あるいは治療効果がうまく出ないこととかですね。僕は(その原因が)そこ(=日本人の魂が入っていないこと)にあるんだろうと思いますね。たとえば、それは治療だけじゃなくて、医師と患者さんとの関係などにおいてですね。で、これも全くの欧米的な考え方に基づいているわけです。

 以前、先生がおっしゃったように「問診」という言い方をやめて、「医療面接」という言葉にするとかですね、そういうのも全部まさに西洋的なものなんです。治療に関して全く西洋的な…、漢方といっても、これはもう西洋的な考え方で漢方を取り入れてるだけであって…。

 蓮風 そうそう。

 佐々木 本当の意味での漢方を出されているケースは少ない。

 蓮風 最近の医学部には漢方講義はあるんですね。

 佐々木 あるんですけど…。

 蓮風 我々は、患者さんが来られて「病院で出された漢方薬がある」と言うので見てみると、ドクターは全然(東洋医学の)根本が分かってなくて出しているケースがけっこう見受けられるんです。ああいう在り方自体はどうなんですかね。西洋医学が足らんものを、漢方医療技術でもって補おうという発想は。

 佐々木 うん、それですよね。アメリカでも、NIH(National Institutes of Health=アメリカ国立衛生研究所)なんかが、ずいぶん前から鍼灸などをとり入れてると言うてますけど、それは経済的な効果で取り入れているとかいうだけで…。(コスト面での有効性を)上手く利用しているといいますかね、だから…。

 蓮風 だから、僕らそれを「木に竹を接(つ)ぐ」と言いますがね。

 佐々木 そうそう。

 蓮風 木に木を接ぐんじゃなしに、全然異質なものを、寄せ集めて作っていくという。あの一種の実用主義というか、プラグマティズムというか。

 佐々木 その通りです。

 蓮風 ねえ。

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佐々木 先生がおっしゃるように特にアメリカは、プラグマティズムの考え方はものすごく強いんで、もうなんでも利用したれという、あったらなんでも利用したれという考え方なんですね。だからきちっとやらないと飲み込まれて…。

 蓮風 下手すると。

 佐々木 下手すると、飲み込まれてしまう。よく「欧米」とひとくくりに僕らもしちゃいますけど、ヨーロッパとアメリカっていうのはね、かなり違うんですね、考え方が。

 蓮風 どういう風に違うんですかね。

 佐々木 基本的には先生が言ったように、ひとつ目はプラグマティズムっていう考え方ですね。アメリカは非常に強い。それと、アメリカで、やはり特に強いのは、徹底した個人主義ですね。

 蓮風 個人主義。

 佐々木 ここに一番大きな違いって言いますか。ヨーロッパは、北欧、中欧、それと南部、たとえばスペイン、ポルトガル、イタリアですが、両者は全然違うんですよね。7、8年前ですけどね、京都にポルトガルの緩和ケアのドクターが講演に来られまして、それを聴きに行ったんです。現代の医療なら、癌(がん)の場合、癌という病名の告知をしなくちゃいけないとか、病名告知をですね。これは当然であってそれをしないとおかしいっていう風潮ですよね、今はね。

 だけどその先生曰く、南ヨーロッパではそんなことはないというんです。いわゆる日本的な感覚と似てるんです。家族主義的な地域の結びつきとか…。病名告知を必ずしもしないとか…。「だってショック受けるじゃないか」と言うんです。日本的な要素がすごくあるんです。だからヨーロッパでも結構違いがあるんですよね。

 蓮風 僕ちょっと今、閃(ひらめ)いたんですけど、やっぱり生活様式に問題があるんですかね。

 佐々木 そうですね、違いがあるんでしょうね。で、まぁヨーロッパもそういう違いもあるんですけども、アメリカとの違いっていえば、公的なものを割合重視していることです。

 蓮風 あぁ、公のもの。

 佐々木 公の。共同体とかですね。一方、アメリカの考え方の基本は個人主義。つまり個人が「それでいい」と思うんやったら何をやってもいいんじゃないかと…。人に迷惑をかけなければ。だから、たとえば再生医療にしても何にしても、あるいは一時期言われたクローンなんかにしても、基本的にはいいんじゃないか、自分で決めれば、っていうのはあります。

 ただそれに対抗するって言いますか、割合アメリカで出てきてるのが共同体主義ですね。どこまで共同体と捉えるのか難しいところなんですけど。共同体というのをどこまで認知すべきか、共同体っていうのをもっと重視すべきではないか。これが『白熱教室』なんかでも有名なサンデル、サンデル教授っていってハーバードの先生のテーマになっています。

 マイケル・サンデル(英: Michael .J. Sandel)は、アメリカ合衆国の哲学者、政治哲学者、倫理学者。ハーバード大学教授。コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者である。『白熱教室』はマイケル・サンデル教授による大学の講義を収録した、アメリカのテレビ番組。日本では『ハーバード白熱教室』という名称でNHKが放送。この番組を原点として『スタンフォード白熱教室』や『コロンビア白熱教室』などシリーズ番組、関連番組も放送されている。「学生を議論に参加させる講義スタイル」で、例題や実例を提示しつつ、学生に難題を投げかけ議論を引き出し、サンデル教授が自身の理論を展開する。(「北辰会」註)

 蓮風 はいはい。

 佐々木 彼の哲学者としての立場は共同体主義なんです、個人主義ではなくって。だからそういう流れはありますけども、でもアメリカは基本的には個人主義ですね。

 蓮風 基本的にはね。

 佐々木 だからそこは日本とマッチするかっていうと、うーん…。個人主義っていうのはある意味厳しい。責任が問われますんでね。

 蓮風 そら、そうですよね。

 佐々木 お互いのきちっとした話し合いの下で契約を交わしてという、これが日本に中途半端に導入されますとね、非常に難しいことになるでしょうね。<続く>



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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の7回目となります。今回も前回に続いて宗教の話題で、特に仏教に焦点が当たっています。テーマは「いい加減」。「いいかげんな奴」というと、無責任な人間というニュアンスで使われることが多いですが、そうではなくて仏教では大切な考えだ、という、お話です。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 釈尊…お釈迦さんは、もともとは王子様でしたよね。

 佐々木 ものすごく贅沢な暮らしをしてたわけですよね。結婚もして子供も生まれて。

 でも「これではだめだ」ということで、出家して、その時…最初はバラモン教ですから、ものすごい難行苦行をやったんですね。極端に走ったんですね。難行苦行をやって悟りを求めて、だから今も像が残っていますけど、ガリガリの身体になってね。

 蓮風 そうですね、ガンダーラ美術の仏像にも、その姿が残っていますね。

 佐々木 極端に走ったわけですよ。それが魅力的なのは、この現代に通じる都市文明といいますか、贅沢なものも経験したし…という背景があるわけで、今度はもう極端に難行苦行に走ったわけです。でもこれで、それではダメだということになった。苦行をして生死の境にあるような中でスジャータという娘さんに、牛乳、あるいはお粥、いずれにしても動物性タンパク質を貰って心身ともに回復して、悟られたわけです。スジャータという今ある有名なメーカーはそこに感動してスジャータという社名を取り入れたらしいです。それから…。

 蓮風 享楽と苦行と、その両方とも偏るのがあかんのであって…。

 佐々木 そうなんです。そこでお釈迦さんが、「中道(ちゅうどう)」といいますね。ただ中道というとまたイメージが中途半端な、こことここの真ん中ぐらいを取っているような感じです。でも、そうじゃなくて、もう本当に丁度「いい加減」ですよね。「良い加減」といいますか。悪い意味ではなくて、本質でいうと…。

 蓮風 ほどほどに、ということですね。

 佐々木 そうです。だからこれは中国でいう「中庸(ちゅうよう)」ですね。

 蓮風 はい。中庸ですね。

 佐々木 中庸とほぼ通じる考え方かもしれません。

 蓮風 向こうの聖人は「中庸は徳の至れるものあり」と言ってますよね。

 孔子の『論語・雍也篇』に「子曰く、中庸の徳たる、それ至れるかな。」とある。何かをするのにやりすぎてはいけない。そうかといってやらないのも良くない。ほどほどに行動することが、最高の人徳であるという考え。(「北辰会」註)

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 佐々木 これは、だから、結局「自力」も「他力」も、大事だけども、本質はやはり極端なことに走るのではなくてね。で、身体をいじめ抜いてする修行は本質じゃないんだと分かってもらえると思うんですけど…。この中道という考え方がいま、曖昧な中途半端なというようなとらえ方をされているかもしれませんね。

 蓮風 物事を一面的に捉えるんじゃなしに、いろんな世界を認めた上で、ほどほどに位置をとっていくというんでしょうかね。

 佐々木 そうですね。だからほどほどっていうのは、良い加減というやつは大事ですよね。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 それはでも確かに…。

 蓮風 なんか世間ではね「ええかげんや」ということに繋がってきますからね。
 

 佐々木 もとは「ええ加減」という言葉は良い言葉です、関西弁のね。ちょうどいいところという本質をつかんでいるということで。だから僕はそこらへんが、すごく大事なんだと強調したいですね。

 蓮風 お風呂の温度でも、いいますね。「良い加減ですわ」って。あれがぴったりなんですね。

 佐々木 ぴったりなんです。だから結構、仏教ってそういう生活に根ざしてます。ですから、そこら辺は今でも言えると思うんですけどね。〈続く〉


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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の6回目をお届けします。前回は宗教と医療との関わりについての話題が中心となりましたが、今回は宗教がクローズアップされています。藍野大学短期大学部(大阪・茨木市)の学長という“顔”を持たれている佐々木さんが9月20日に講師をつとめる講演会も告知しておりますので、興味のある方はぜひ、ご参加ください。(「産経関西」編集担当)

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 佐々木 あまり既成仏教が出てきて医療に関わってくるというやり方がいいのかどうか…。ちょっと疑念を抱くんです。先生がおっしゃる「つながり」といいますか、そういう形が、本来の日本的なあり方かなと思うんです。

 蓮風 そうですね。死にゆく人を家庭で見守るか、病院で看取るか、ということにもつながってきますね。ついこの間までは病院で死ぬというのが当たり前やったけど、やはり医療費問題も関係しているのか、家で親族らが見守って送るというケースも多くなってきていますね。

 私は、あれが自然だろうと思うんです。僕が子供のころ、家で亡くなっていく人をたくさん見ましたわ。うん。「あの人癌で亡くなりそうや」というたら、身内の人ができるだけ集まって傍(そば)におってやる。それだけなんですよね。病院では何かできるかというたら、これまでの話にも出たように、あんまり何にもできない。

 佐々木 そうですね。

 蓮風 だからあったかい気持ちで集まった人たちに囲まれていること自体が、ある意味最高の救いではないかなと思いますね。先生は、お坊さんとして檀家さんを回られたり、お説教もなさると思うんですけど、仏教も含めて今の宗教界の問題は何なんですかね。

 佐々木 そうですね。だから、一番大きいのは…。やはり「魂」にも繋がってくるんですけどもね。現代人は、よくグローバル化という言葉を使っていますよね。まあグローバル化というのは、簡単に言ってしまうと欧米化、西洋化ですよね。西洋化という言葉が最近、使われなくなりましたよね。

 蓮風 そうですね。昔はよく使いました。舶来物とかいう言葉もあって。

 佐々木 私たち日本人というのは本当に西洋化してしまっている。だから僕らの前の世代では、たとえば、『論語』とかですね、そういうものをこうしっかりやらなくちゃいけないという意識があったのですが、現代では中国文化に対する意識が本当になくなっちゃって、西洋化してしまってるわけですよね。

 はっきり言うと、仏教の教学、教義というのは明治以前つまり江戸時代からその考え方があまり変わってないんですね。だから浄土真宗もそうですけど…。あまり言うと怒られるんですけど、(中国文化の影響を受けていた)江戸時代の教学というのか、考え方がそのまま引き継がれているんですね。それでは、やはり(現代には)マッチはしませんよね。

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 蓮風 あれ「お西」(西本願寺=浄土真宗本願寺派)の方でしたか、「お東」(東本願寺=真宗大谷派)のほうでしたか、明治の廃仏毀釈があって、たぶん原点に立ち返らないとあかんということで、チベットの方へ大探検旅行をやってますね。

 佐々木 そうです。

 蓮風  あれそういうことですかね。

 佐々木 うーん。そうですね、(本願寺派の)大谷光瑞(こうずい)という有名な人物ですけど、そういうような考え方も彼にはあったでしょうね。で、お東には清沢満之(きよざわ・まんし)という人物がいましてね、これまでのだけではダメだということで、いわゆる宗教改革をしようとする。

 蓮風 宗教改革。

 佐々木 それはひとつにはヨーロッパの哲学を取り入れなくちゃいけないということでした。だからそういう動きはあったんですけどね。ただし、それが現代につながっていってない。やはり、田舎にいてるとよく分かるんですけど、世代と共に宗教に対する思いはもう薄れてきてますよね。

 蓮風 そのひとつの反動ですかね。まあちょっと古くなるけど、オウム真理教みたいなものも出てきた。先日もオウム裁判のニュースで井上(嘉浩)死刑囚が出てきて…、彼は高校生ぐらいの時から、のめり込んでいるんですね。

 佐々木 そうそう、仏教には2つの面があるんですね。ひとつは、救済…。これは大乗仏教にある、「救われる」ということです。まあこれがメイン。キリスト教なんかもそうだと思うんですけど。もうひとつは、オウムがしきりに言っていた「解脱」ということ。これが、言い換えれば「悟り」ということになるんですけども。日本の仏教というのはほとんど大乗仏教ですから「これ(=救済)」がメインになっているんですね。

 宗教学者なんかも、一時期オウムをもてはやしましたが、オウムが、これ(=「解脱」)を強く言ってたからでしょうね。つまり空中浮遊とかですね。で、若者達がのめり込んでいったのは自分たちが新しい自分を作れるかもしれないと期待したからでしょう。

 だからやはり救われるだけでは受け身…。浄土真宗では「他力本願」という言い方をしますけど、たぶん若い人、20代とかには、今でもそうでしょうけど、物足りないんですね。「あれは他力本願だからダメだぞ」とか、今でもよく使われますよね。ですから…。

 蓮風 悪い意味で使ってますね。

 佐々木 ええ。全くの間違った使い方ですけど。本来「自力」と「他力」というのは、表裏一体ですが、偏って「自力」を強調したものだと思いますね。

 蓮風  なるほどね。まあその極端なやつがオウムとか、ああゆう形ですね。〈続く〉




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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の5回目をお届けします。今回は宗教と医療との関わりが、佐々木さんと蓮風さんの経験をもとに語られます。それは「最高の医療とは何か?」を探る試みにも通じるようです。まもなく死を迎える方々に対して何ができるのでしょうか。おふたりの考えをぜひ読んでください。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 宗教と医療との関わりについて先生のご意見をうかがってきました。で、実際の現場の実践面ではどうなんでしょう。具体的な話があれば教えてください。

 佐々木 そうですね。これまた難しくてですね。僕も、大学病院で、研修医の指導医という立場の時に、ひとりの肺癌(がん)の患者さんがおられました。終末期で、手のほどこしようがない状態だったんですけれど、最後「死にたくない、死にたくない」と、もうずーっと言っておられるんです。研修医が、もうお手上げ状態ですね。

 私も何回も呼ばれたんですが、話を聴くだけしかできませんでした。ただ、その方の看護日誌の記録に、宗教の欄があったんですよね。そこに浄土真宗の熱心な門徒であると、書いてあったんです。そのころには少し仏教に興味を持ち出していたんで、ちょっと、そんな話もしてあげたらいいのかなと一瞬思ったんです。

 ただ目の前でそんな時に、たとえば、お念仏がどうのとか、仏教がどうのこうのという話がね、やはり僕にはできなかったですね。だからもう結局、話を聴くだけ。話といいますかね、そこにいって、手をこう握ってあげるといいますかね、そういうことしかできなかったですね。

 そういうことで、宗教を持ち出すドクターもいるかもしれませんけど、僕は…できなかったですね。

 蓮風 なかなか難しいことですよね…。

 佐々木 難しいですよね。

 蓮風 下手にやるんやったらやらない方がマシやね。

 佐々木 本当にそうです。

 蓮風 この前ね、NHKでやっとったんだけど…。確か龍谷大学のね、大学生や大学院生が授業の一環だと思うんですが、寒いのに駅前に座って、通りがかる人に「何か愚痴を言ってください」と…。何でもいいから愚痴ってくれと言っているんです。で、学生は聴くだけです。聴くだけじゃなしに答えた方がいいんじゃないかなと言う学生もおるんだけど、教授は「いやいやそうじゃない、ただ聴くだけでいいんや」とやらせてみる。これもひとつのあり方ですね。

 佐々木 そうですね。

 蓮風 で、「なぜ意見を言っちゃいけないか?」というと、その教授は(愚痴を言う人が)自分で頭を打って、気づくための「壁」になって、反射する「鏡」のようになりなさいと説明するんです。「それが救いなんだ」と言っている。なかなか良いこと言うなと思って、まあ、視とったわけですけどね。それに通じるところがあるかもしれません。いやぁ死にゆく人を簡単には慰められませんね。何人か会ったけどね、僕の場合は摩(さす)ってあげる。

 佐々木 ええ。

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 蓮風 どこか辛(つら)いとこあるかと聞いて、もう全体…手から足から腰から全部摩る。それだけでね、ほっとするんですね。顔つきが変わりますね。あれも、やっぱりひとつの宗教だと思うんですね。もう鍼も打てない状態になってるんで、摩るしかないですよ。家族も家族で見つめとって何かしてやってくれっちゅう顔するでしょ。でも何もできない。

 そんなときに「宗教とは何か」ということを考えてみますと、ひとつひとつの宗教・宗派や教義の問題ではなく、生きるということは「支えられている」ということに行き着く。人生の中で自分を支えている“後ろ”が見えないかん、ということを確かおっしゃった偉い人がおったんやけどね。そうすると結局、みんな支えられて生きているわけです。自分が身体を摩っているのも、なんかこう、押されてやっているような感じで…。

 佐々木 ありますね。

 蓮風 はい。

 佐々木 まあ、先生が前におっしゃっていた手当てということですね。

 蓮風 そうですね。手当て。

 佐々木 ですから、それ僕もありますね。それから、その時もやっぱり手を握ってあげる肩を抱いてあげるとかですよね。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 そういうことは、通じますね。

 蓮風 言葉以上に。

 佐々木 言葉以上に。

 蓮風 言葉以上にね。それこそ、医療としては最高の医療じゃないですかね。

 佐々木 ええ。

 蓮風 もうそれしかないですね。

 佐々木 ないですね。だから、欧米のようにですね、キリスト教が生活の、非常にこう、基礎に明らかにあるような文明と、やっぱり日本はちょっと違うかなと。

 蓮風 そうですね。〈続く〉

 


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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の4回目。ここでお話の最初のクライマックスを迎えたと言えるかもしれません。医療を語る文脈で「魂」という、ある意味、非科学的な言葉が登場してきます。しかし、現代医学の行き詰まりを説明するのに、これほど的を射た言葉はないかもしれない…。今回の対談を読み終えたあと、そう思われる方も少なくないはずです。

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 蓮風 「緩和医療」をわずかに勉強したんですけれども、肉体だけではなくスピリチュアルな部分での救いがないと「緩和医療」ではないということのようですね。あれは、結局(現代の医療の)足らない部分を補うために強調されているのではないかと思うんですがね、どうですか?

 佐々木 スピリチュアル、スピリチャリティという問題は、僕も少し勉強していますけれども非常に難しくてですね、ただそのスピリチュアルという言い方をするのか、魂という言い方をしたほうがいいのか…。

 蓮風 どっちかというと魂だろうと思うんですがね。

 佐々木 魂というか心というか…。きょう、お話しておきたいなと思ったことがあります。宗教の問題と医療の問題につながってくると思うのですが、一応明治から政府のスローガンは、よく言われているように「和魂洋才」でした。

 蓮風 明治のころの概念ですね。それ以前は、菅原道真の「和魂漢才」というのがありますね。それを展開したんですね。

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 佐々木 僕が思いますに、たとえば先生がふだんから、おっしゃっているように明治になって東洋医学を完全に捨て去っていますよね。

 国家の原点…国家を作り直すのに一番大事なことは、今でもそうですが、医療と教育、これに軍事的なものも入るかもしれません。国家の根本的なものから東洋的なものを全部捨て去っているのですね。教育も西洋的な教育方法を取り入れている。

 実は明治以来、日本は「洋魂洋才」ではないかと…。ただ明治から第二次世界大戦までは、日本人、うちの祖父でもそうですが、ある世代までは日本の「大和魂」といいますか、悪い意味ではなく日本人独特のものを持っていたと思うんです。こういう形で「洋魂洋才」にしても日本人の魂は保たれていた。これが世代が変わって増々「これ」(=「洋魂洋才」)ですよね。

 実は、日本人が西洋を理解するのはまだ難しいんですよ。ただし日本人が東洋を理解することも非常に難しくなっているんですね。今の日本人は残念ながら中途半端な西洋人といいますか、西洋の目で東洋をみてしまうし、日本をみてしまう。若い人は特にそうなんです。科学というのは西洋的なものですから。今の日本人が東洋を理解するのは非常に難しくなっている。

 蓮風先生や先生が主宰する「北辰会」が非常にすごいなと思うのは「魂」の部分だと思うんです。今、西洋医療が行き詰まっている、ひとつの理由は…実はこうは言ってはいるけれども、やっぱり日本人は日本人ですから。日本人という原点というか、心の奥底には日本人固有の魂というのはあるんですね。若い人でもね、桜をみて、ものの哀れを感じるでしょうし、大震災の時の人々の繋がりをみても、日本人独特の魂というのはあるんですね。

 ただし西洋医学は日本的な要素は捨て去っていますので、そこに西洋医学の行き詰まりがあるんですね。僕は先生が治療の中でここ(白板の「魂」を指して)に働きかけている人だと思うんです。だから、先生がよくおっしゃっている治療の土台に東洋哲学というものを置くべきだという理論は、実践からいえば、日本人としての魂に働きかけてるんだろうなと思うわけですね。だからこそ、あれだけ先生の鍼が効くんじゃないでしょうか。技術的なことは分からないんですけれど…。ただおそらく日本人の魂に触れるような治療をされているんだろうと…。それは、僕が非常に感銘した先生の『数倍生きる』などに結実しているのではないかと思っているんです。〈続く〉

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