蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

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ひこ・田中さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市学園北の藤本漢祥院

 「鍼(はり)」の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は児童文学作家、ひこ・田中さんと、鍼灸師で北辰会代表の藤本蓮風さんとの対談の2回目をお届けします。前回は田中さんが鍼灸治療を受けた印象から話が展開しました。今回は西洋医学と東洋医学の違いについて質問された田中さんの意見から口火が切られます。おふたりの見解の相違が浮き彫りになります。真剣な討論を楽しんでください。(「産経関西」編集担当)

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 田中 2番目の質問としてご用意いただいた「西洋医学と東洋医学の違いは何でしょうか」というところに移ります。東洋医学と西洋医学と言うからややこしくなる、と私は思っているんです。東洋医学と近代医学だと思うんですよね、西洋医学ではなくて。というのは、もちろん藤本先生はご存じだと思いますが、近代医学以前の西洋でも行われていた多くの治療も、薬草を使うなど、今、東洋医学で行われているような治療に非常に似ています。

 蓮風 手段としては似たところがありますね。

 田中 そういうものが、もちろん西洋、東洋限らず、それこそアフリカも南米も、あらゆる地域で人はそういう治療方法をどんどん開発してきた。もちろんその中でも文字が早く発達した中国はより先端的に医学書を記し残し、知識と知恵を広めてきた。

 一方西洋では、近代という時代が訪れることによって、西洋にあった今の東洋医学的なもの、人の身体も含めた自然全体をとらえて、その中でのバランスをどう取るかみたいな形の治療方法はしだいに排除されていく過程がある。どんな病かを特定し、分析して、それにどういう治療をすれば良いかを当てはめて、近代医学へと体系化されていく。たとえば産婆という存在は医学の場では女から遠ざけられるかたちとなり、近代医学がその場所に収まりました。女が再び治療の場に戻るには女医の出現を待たなければならなかった。そうして近代医学は独占権を得るわけです。

 疾患を見つけて、分析して、というやり方は、どんどん細部へこだわっていくしかないわけですよね。そのため近代医学は、それぞれの専門家に細分化せざるを得なくなっていったと思うんですよ。

 ただ、ひとつの疾患をその場で治せたように見えても、なんらかのマイナス面が生じる可能性があるわけですから、どんどん色んな種類のマイナスが重なってくる危険性が出てくる。それが今、近代医学がぶち当たっている壁だと思います。日本でもなかなか普及しませんけれども、「ホームドクター制度」(の必要性)を盛んに言い始めていますよね。

 蓮風 プライマリ・ケア。

 田中 そうですね。あれは単純に言えば、ひとりの患者さんをとりあえず全体のことを把握している医者。何かあったら、そこに行って話す。で、そのお医者さんに手に余るものがあれば、専門医でもいいし、東洋医学でももちろん構わないのですけど、割り振るということですよね。その仕事をする医者というものの必要性というものをようやく最近、気づき始めた。

 蓮風 そうですね、あれは1970年代、アメリカで興ってますけどね。

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 田中 日本ではまだこれからですよね。ちょっと話は外れるんですが、このことは保険医療制度に対してもものすごく重要なことだと私は思ってるんですよね。というのは、ホームドクター制度があれば、「その程度の風邪やったら薬屋行って、何系の薬買ったらええよ」と、それで済む場合も、内科医へ行って血液検査したり体温測ったり、そして薬を出してもらったりするから、医者の数が足らなくなり、過重労働になる、ということになっていますよね。ホームドクター制度がもっと普及すれば、医療費も、医者の労働量も減ると思うんですよね。

 蓮風 今の話について言うと、かなり乱暴な所があるんで、ひとつずつそれをひっくり返そうというのが私の目論見なんですが(笑)。真剣に討論することであなたの医療観が生まれると思うので。

 田中 はい、ご教示ください。

 蓮風 まずね、東洋医学と西洋医学、基本的にはそう違いはないのだと理解されていたということですね。で、西洋医学はいま、近代医学として、科学の様相を持ってきた。そのためには分析的になって、最終的にはプライマリ・ケアの方向に向かったという、お話なんですけれど、まず一番最初に言いたいのは、東洋医学と西洋医学はやっぱり根本的に違うということ。何が違うかというと、医学が発生した場所が違う。そしてその社会を規定する哲学思想がやっぱり違うんだね。特に古代中国2500年くらい前には、百家争鳴といわれるくらいで、様々な思想が出てきている。その中で覇者となった哲学思想が東洋医学の根幹をなすわけなんです。

 たとえば「陰陽五行」とかね、気の哲学とか。そういうわけで、ひとつの個性を持った医学を展開する。仰ったように分析する医学とはまったく違う。強いて言えば分析かもしれないが、分析らしきことを通じて常にトータルな意識に持っていく。西洋医学の場合は分析を通じて更に分析していく。だからその反省としてプライマリ・ケアになっていると思うんだけれども、そこが全然まず違うということですね。

 それと、人というものをどういうふうに見つめるか、ということ。人はやっぱり人から生まれているけれども、しかし大自然の子供だという考え方。これが古代中国医学、そして現代に伝わる東洋医学の基本だと思うんです。だから自然の中から生まれて、自然と共に生きる。しかし独立しながら、最終的にはやっぱり自然の中に生きていく、というね、こういう屈折した人間像というものを東洋医学は持っていると思うんですよね。

 そういう中で見ると、近代医学というのはやはりサイエンスです。サイエンスだけれども、じゃあ今、トップクラスのサイエンスを西洋医学が使っているかというと、全然使っていないのではないでしょうか。古典物理学的な世界で収まっていると思うんですよね。ある対象物と、観察する側がまったく常に客観的に同じ状態だという前提です。絶対的に客観性がそこにはあるはずだという(暗黙の)認知のもとに対象物を見ている、だから「客観的に分析できるんだ」という立場だと思うのです。しかし、高等な現代の物理学とか量子力学からすると、もう見る側が対象物を見ることによって対象物自体が変わる、という発想がありますね。 こういうことが近代科学には欠けているのではないでしょうか、それを入れると客観性がなくなるから。

 蓮風さんからの「註」:量子力学の世界で「あの月はその人が見ている時にしか存在しない」とたとえられる。あらゆる物質(観察の対象物)は、電子や量子など小さな小さな要素から構成されているが、それらは常に運動変化しており、"実在"していない可能性もある。その時、その場で、その人が見た(観察した)モノと、別の時に別の位置から別の人が見た同じモノ(対象物)は、全く完全に同じモノではなく、別のモノの可能性がある、あるいは、そのモノは(その時点では)存在しないと観察されるかもしれない、ということ。
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 蓮風 要するに、考え方が違うという話ですね。だから西洋医学が近代化したところで東洋医学とは一緒にならないわけです。それから薬屋と医者の話をなさったんやけど、私もほとんど似た意見なんですよ。

 田中 はい。

 蓮風 だけども、医者がおってはじめて薬屋があるという話はこれ、当たり前のことなんで。日本の漢方でも、あるいは中国でもそうやったけども、薬屋というのはおったんです。で、医者もおった。だけども薬を使うのが医者なんであって、薬が先行して患者に与えるわけじゃない。虫に噛まれたから、薬欲しいといったらそりゃ、やるだろうけれども、基本的には西洋医学では病名診断、東洋医学では証の診断というのがなくなったら(投薬は)あり得ないことなんですよね。そういうようなことを考えていくと、薬屋と医者とはやっぱり違う。もちろん簡単なやつは、今仰るようにプライマリ・ケアの医者がやればいいんだけれども、ちょっと複雑で病気らしいということになると、薬屋では出来ません。

 田中 出来ませんね。

 蓮風 もともと薬という言葉の語源を言いますと、「くする」という言葉。「くすぐる」という言葉がありますが、身体触ってね、だから昔は「薬師(くすし)」と言ったんですね。それを医者と呼んだんだけど。結果的には医者と薬屋は違うということですね。もうひとつぐらいあったと思うんですけれど、まぁぼつぼつお話しながら…。

 田中 私のほうは素人ですので、どんどんそういう話をしてくださいね。<続く>

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初回公開日 2012.12.1

「鍼(はり)」の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は、今回から児童文学作家、ひこ・田中さんと、鍼灸師で北辰会代表の藤本蓮風さんとの対談をお届けします。

 児童文学だけでなくゲームやアニメ、マンガなどにも造詣が深い田中さんですが、今回は鍼灸治療を受けている立場から医療に対する考えを語っていただいています。子供の文化の世界を見つめる作家の眼には、現代の医学はどのように映っているのでしょうか。また新しい鍼の世界が見えてきそうです。ちなみに文字にすると、少し厳しい応酬のような印象を受ける方もいらっしゃるかもしれませんが、実際はなごやかで、そうだからこそ、おふたりの思いが率直に表現できているようです。(「産経関西」編集担当)

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ひこ・田中(ひこたなか)児童文学作家、「児童文学書評」主宰。1953(昭和28)年、大阪府生まれ。同志社大学文学部卒業。90年『お引越し』で第1回椋鳩十児童文学賞、97年『ごめん』で第44回産経児童出版文化賞JR賞を受賞。それぞれ映画化もされた。その他の主な著書に『サンタさんたら、もう!』『ふしぎなふしぎな子どもの物語』『レッツとネコさん』など。

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 蓮風 「蓮風の玉手箱」へようこそいらっしゃいました。先生ご自身が鍼灸治療を受けられる前、東洋医学についてどのような印象をお持ちでしたか。そして実際治療を受けてその印象は変わりましたか。鍼灸治療を受けて何か発見などがありましたらお聞かせください。

 田中 私は何かの疾患を抱えて自分を律せなくなったら、しんどくない方向とか、快適な方向に押してくれるものなら、いいだけなんです。手を握ってくれるだけで元気になれるんだったら、手を握ってくれる人でもかまわない。

 蓮風 それはあれですか、たとえば脱法ドラッグというのがありますが、あれでも基本は変わらないということですか?

 田中 それが脱法という時点でダメですけれど、基本は変わらないでしょうね。ただし、病を抱えているというのは、自分で自分をうまく律せなくなっている状態だと思うんですよ。いま仰った脱法ドラッグは、より自分を律せなくなって、心地良くなっているだけですから、これは治療とはまったく逆の方向だと私は思います。
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 蓮風 しかし、それがもし合法的に出された場合、癌(がん)の末期とかにモルヒネを使いますけれど、あれは有効ですか。

 田中 それは有効だと思います。自分自身が治癒の方向へ向かおうということを自分自身で放棄することはあると思います。つまり、これ以上治療を続けることが自分にとって快適でないと思うことって人にはあると。

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 蓮風 …と同時に、それには副作用がありますよね。それを認めたうえでですか、その場合は。

 田中 もちろんです。副作用のない薬は…、治療も含めて、ないと思っています。病というものは、基本的には、ほとんどの病がバランスを崩すことですから、そのバランスを戻すにあたって、たとえばマイナスになっているものをプラスにする場合、別の部分がマイナスになる場合はあると思うんですよね。

 蓮風 それは副作用と言わないんじゃないですか。

 田中 それは藤本先生の言葉で仰っていただいていいんですけれど。

 蓮風 私が思うには、癌で亡くなる方多いでしょう。その場合に、食べれんようになる。それを無理に周辺の者が栄養をつけさせようとする。ところが食べられんかったら食べられんままに放っておくと何が起こるかというと、身体のシステムがうまく働いて、モルヒネ様の物質を出すように脳を刺激するといわれている。だから、癌だからといって、さわらんほうが、自然死に近いことが起こる、ということを言う人もおるわけですよ。

 僕の経験でも、肝臓癌、ある種の肝臓癌ですが、西洋医学じゃなしに、東洋医学で治療しようということでやりましてね。いよいよダメな時に「先生、どうしようか」って電話がかかってきたので往診に行ったんです。「どうですか」と訊くと、「気持ちがいいんですよ。すごく気持ちがいい。今までにないくらいに気持ちがいい」と言う。薬はほとんど使っていない。「ただ先生ね、周辺の者がうるさい。集まってきて、危ないからと騒ぐから、僕はもうあれがうるさくて仕方がない。静かにしてくれ」と言う。そんな実例があるんですよ。

 田中 とてもよくわかります。

 蓮風 東洋医学というのは、どっちかと言うと、何もせん医療ですよ。いま、あなたが仰ったように、バランスの崩れを治すんだけれども、自然に治ろうという修復過程の中で少し援助するだけです。極端に言ったら医療の中で一番弱いと思う。だけどそれが、いま言った事例のように、まれにでも自然死を招来できるのであれば、これはやっぱり医療をもう一回考え直さなければいかんことだし、僕はここにこそ東洋医学のチャンスがあるのでは、いうふうに思うわけですが。
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 田中 いまのお話でもそうなんですけれども、自分自身でバランスが取れなくなっている状態の人が病人ですよね。その場合、ポンと押してあげることはあると思うんですよね、その傾きを元に戻すというか…。その押し方の違いみたいなものが、それこそ西洋医学、東洋医学と色々あるわけでしょうけれども、押し方さえ、患者である自分にとって的確であれば、西洋、東洋を、私は問わない。どれでもかまわない。

 逆に西洋だ、東洋だと言われるほうが、患者のほうはどっちがええのやろうと迷ってしまうので、患者の側だけの気持ちで言えば、あんまり西洋、東洋で強調されるのは非常にキツイ。ただでさえ疲れている時にどっちがええねんと言われるのは、ちょっと失礼な言い方かもしれませんが、迷惑というような気がします。

 そこは単に治療法なり、歴史の違いとして受け止めておくほうがいいのであって、もちろん今、西洋医学と言われているものが、東洋医学をなかなか受け入れないのは馬鹿げたことだと思いますし、逆に、東洋医学の方が、もし、そうは東洋医学の方の人はほとんど仰っておりませんが、西洋医学よりも、いいんだともし仰るならば、それも馬鹿馬鹿しい話だなと、つまり患者の側から見てですよ、そういうふうに考えます。

 蓮風 でもね、我々のほうはアクティブに行動する方ですよね。そうすると、僕は50年間やってるわけで、相応の経験を持っているわけです。その中から見たら明らかにこっちの方が安全に治るよ、というのはあるわけです。これは患者さんに対してひとつの親切であるし、やっぱり見解を言うべきだと思うんですよね。それを迷惑だと言われると困るんだけれど…。

 田中 それを迷惑と言っているのじゃなくて、どっちかを取れと言われるのが迷惑なんです。

 蓮風 それは選ぶのはまったく患者さんの自由です。それはもう基本的に趣味の問題で、私の基本的な考え方は、西洋医学も必要なんです。場合によっては必要です。だけど、多くは必要でない場合が多い、という見解で。だからそれを知らない患者さんは、ほとんど西洋医学に育てられているんですよ。

 田中 あ、それはそうですね。仰ることは、よくわかります。

 蓮風 だからそういうところの間違いを、或いは、より一層その人が楽になる方法を考えてあげるのが僕の仕事と、こういうふうに思うわけです。<続く>


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藤本蓮風さん(写真左)と松田博公さん(同右)

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。鍼灸ジャーナリストの松田博公さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談も今回で、ひとまずは終了。「鍼だけに可能な治療あり」「東洋医学に足りないもの」「世界標準の鍼灸は可能か」…。これまでの見出しをざっと見ただけで、松田さんと蓮風さんのお話の幅広さ、奥の深さがうかがい知れます。現場での治療から、医療の歴史やグローバルスタンダードの問題まで、縦横無尽でした。日本の鍼灸界への厳しい見方もあり、最終回でも辛口の指摘がなされていますが、そこから、おふたりの鍼灸への信頼や愛着がにじみ出てくるようです。(「産経関西」編集担当)

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 松田 中国の強みはねぇ。これはマイナスの面もあるんですけど、中国革命の時に、毛沢東を中心とする人達が、中国式のマルクス主義を定着させ、その唯物論的哲学を国家公認の学問にしましたよね。中国の知的エリート、共産党エリートは、鍼灸界にも勢力を占めるわけですけど、彼らは弁証法的な哲学を英才教育で身につけているので、中医学の論文書くときもエンゲルスの自然弁証法だとかを引用する、この鍛えられた頭脳の論理性が強みなんです。日本の鍼灸家の場合、戦後、マルクス主義の影響を受けた世代は柳谷素霊の周辺にも、竹山普一郎がいましたし、丸山昌朗、藤木俊郎、島田隆司もそうだし、福島弘道もそうでした。けれど、そういった思想性、哲学的スタイルは今、どんどん風化してしまって、日本的な、ただただ情緒的な、感性だけというような事になってしまっている。

 もともと日本人は古代以来、論理的思考が弱く、理論不信と実感主義、実用主義の傾向が強かったというのは、山田慶児さんが(日本で現存する最古の医学書の)『医心方』の研究を踏まえて言っていることなんですが、戦後は特にアメリカ文化の影響もあり、更に過剰な感性主義、技術主義に流れ、鍼灸家自身の中から、論理構築がしにくくなっている。先生はマルクスだけじゃなく、老子、荘子も含め、いろんな思想家を押さえて、哲学的な表現をされる。それが多くの鍼灸師には出来なくなっているという弱さがやっぱりあるんですね。

 蓮風 だからそこら辺りもね、やっぱり、どっちを愛するかですな。鍼灸を愛するのか、鍼灸師を愛するのか。だからこの間の、若手の医師を集めてシンポジウムやった時、(医師に)「あなた方の方がずっと勉強のプロや。だからこれから鍼を持って治療するのはあなた方ですよ」って言った。もう鍼灸師はいらないかもしれない、って、極論を言ってやった。そしたら、彼らは、やっぱり鍼灸の先生はおってもらわないかんと言った、僕らは確かに勉強のプロやけど、だからといって鍼がうまいわけじゃない、ということを上手に言いましたね。その通りだと思うんだけど、鍼灸師を発奮させようと思ってわざと言ったわけです。
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 松田 いやぁ。西洋医学のお医者さんと話をするとね。彼らの好奇心というのかな、向学心というか、レベルが違うと思わざるを得ない方がおられるんですよ。彼らは日ごろ、死に直面していますから、死亡診断書書かなきゃいけないしね。それだからかな。
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 蓮風 そうそうそう。

 松田 命についても、死についてもね、考えている人は考えている。その気迫と好奇心の幅が、イマイチ鍼灸界には乏しい。

 蓮風 うん。それはね、やっぱり鍼灸を医学と考えてないということです。一番の根源はそこにあるんですわ。鍼をもって医学と思っている人が何人おるか。私はね、自分の家族を最後まで看取っています。医者にかからなかった、うちの親父に「おい、あんたの命もらったぞ」って言った。「どういうことや」って訊くから「あんたを鍼で看取ってやるからな、安心しろ」って。そしたら、さすがですな、先代も。「わしはな、鍼のおかげでここまで来れたから、鍼の供養になるから是非そうやってくれ」と言った。どうですか?これ藤本の鍼は偽もんじゃない、医学なんや、あくまで医者なんや、鍼を持った医者なんや、という意識をずっと植え付けられてるわけ。だからそういう本当の医者たる鍼灸師、鍼灸医がやっぱ出ん事にはダメじゃないんですかね。

 松田 そういうことですね。僕はね、やっぱり柳谷素霊をなぜ評価するのか、もう一言だけお話ししたいんですけど。

 蓮風 はい。

 松田 彼は、哲学なくして鍼灸医学なし、と思っていた人なんです。じゃあ今の日本に、哲学的な医学としての鍼灸について語れる鍼灸師が何人いるか。

 蓮風 うん。

 松田 藤本先生はそうですよ。

 蓮風 いやいや。
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 松田 もちろん小林詔司先生とか、何人かの方はいらっしゃいますが、数少ないでしょ。じゃあ過去に誰がいたのか。戦前、戦中、戦後、誰がいたか。さっきあげた丸山ほかの人たちの中心にいたのが柳谷素霊です。臨床家としての柳谷については、批判があるかもしれないが、少なくとも彼は、当時、時代を席巻した西田幾多郎の生命論哲学や西洋の宗教学や量子力学などの先端科学にも目を向けながら、鍼灸を基礎づけようとした。彼は大学院まで行って集中して6年間くらい宗教学を勉強した時期がありましたし、そういう思想的苦闘と鍼灸学構築の作業とを一緒にやった人物として、そのスタイルは、引き継がなきゃいけないなと思うんですよ。

 蓮風 そうですね。それは全くそうですね。ただね、私も酒飲みで、このごろ、三種混合。ビールと泡盛と、それからこの頃はウィスキーでやりますな。

 松田 そうですか(笑)。

 蓮風 で、柳谷素霊さんも大酒飲みで、胃潰瘍で亡くなったっていうけど、やっぱり飲みが足らんかったんちゃうかと…。

 松田 胃潰瘍から胃癌(がん)にまでなった。あれはねやっぱり、酒に殺されたんですね。

 蓮風 そうでしょ。飲まれちゃったんだ。結局。僕から酒を取ったら何も残らん。

 松田 (笑)

 蓮風 で、酒を飲んだうえで、元気になって鍼を持つと、面白いことができる。だからそれもね、やっぱり人生哲学ですよ。やっぱり、今死ねない。とにかく俺の思っている事、ひとつずつ活字に直していかんと絶対に死ねないという強い意図があるんですよ。うん、だから恐らく死なないと思いますよ。

 松田 (笑)

 蓮風 まぁ、90歳くらいまで馬で障害飛ぶっていうのが私の考えですから。その力をね、なんとか鍼にね、向けてやりたいなと。ちょっと様々な話になってあっちこっちに散ってしまったけど、長くなったから、また続きは後日ということにしましょ。こういう対談は今後も何回かやったほうがいい。これからさらに開拓される世界ですしね。先生にはがんばってもらわないと。

 松田 いやいや、もうだいぶへこたれてるんですわ。

 蓮風 酒飲むんやったらしっかり飲んで下さいよ。三種混合くらいやると一番良く効きますからね。ということで、どうもありがとうございました。

 松田 先生には益々ご活躍してもらわないと困るんですよね。幸い(蓮風さんが代表をつとめる)「北辰会」はずいぶん、いろんな方が、頭角を現しておられて、頼もしいですね。

 蓮風 そうです、そうです。

 松田 人材生産力といった意味でも「北辰会」は天下一だと思いますよ。

 蓮風 いや、やっぱりね、(文章を)書かなダメなんですよ。結構みんな賢いから、こういう方向で書きなさいと言ったら書きますよ。一冊ずつ、みんな。「藤本先生も偉いけど、お弟子さんが偉いね」って言われてます。「うん、そうやな俺はあんまり大した事無いけど弟子が偉いからここまで引き上げられたんかもしらん」って(笑)。

 松田 師の偉さは弟子によって測られるわけですよね。それ以外に測りようがないです。<終>

 
次回は児童文学作家、ひこ・田中さんとの対談をお届けします。

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藤本蓮風さん(写真左)と松田博公さん(同右)

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。鍼灸ジャーナリストの松田博公さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談も7回目となり終盤が近づいてきました。鍼治療のグローバルスタンダードについての議論が続いています。時の流れ、時代の背景、気候、風土…。さまざまな要素で構成される人々の生活環境は千差万別で、さらに人間の身体もそれぞれ違います。「スタンダード」とは何かという線引きも難しそうです。しかし、治療が名人の“技”にとどまるならば超能力になってしまい、コンスタントな継承は不可能になってしまいそうです。そんなことも意識しながら読んでいただくと、一層おふたりのお話が面白くなってくるはずです。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 私は治療するには(患者の)全生活を把握する必要があると思っています。しかも子供のころから、どのような環境で育って、どういう精神的な生活を送ってきたか、食べ物はどうだったかとかね。こういうことをやらなくちゃ。脈があぁだからこうだとか、それは、単なる“考え”。『素問』の「三部九候論」だったかな、人の気色から脈からそれらを総合検討して初めてこの病気はどうだという事を決定せよ、と書いてある。私はそれを「多面的観察」と呼んでいます。それを実行しなければ、いけないですよ。なるほど脈診も重要です、急性病は非常に変化が早いからね。しかし、それだけで何でもかんでもっていう訳にはいかんのですよ。

 特にここ20年ほどやってきてる「舌診学」がもの凄い有効です。日本人だけどアメリカで現地の医師免許を取って精神科の医者をやっている女性がいます。彼女は「東洋医学こそ本当の医学じゃないか」と言って中国の四川まで行ったんですよ。でもあれで本当に治るのかと…と思ったし見てきたけど駄目だったそうです。その先生は、僕と同じ年で、ここの近くの医師の妹さんなんです。(兄弟)みんな医大を出ていて。(私のことを)ちょっと変わった男だが鍼に夢中になっているからあそこ行けっていうことになったらしい。で、(帰国中に)来たんですよ、彼女が。「先生(蓮風さん)の鍼こそ本当の東洋医学なんだろうな」と思ったそうです。それでアメリカに帰ってから、白血病の患者の治療をやっているから診てくれ、ということで、その患者の舌の写真を送ってきたんですよ。地球の裏からネットで送ってきました。便利な時代ですね。その舌の色と状態を診て、「先生、これもう半日以内であかんで」って伝えました。すると、その通り、亡くなりましたね。

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 松田 そうでしたか。

 
 蓮風 舌一枚で。「二枚舌」やったらあかんけど…(笑)。で、『鍼灸Osaka』という雑誌がありますな。そこに載ったんですよ、そのことが。

 松田 はい。

 蓮風 ちゃんと残っていますよ、記録に(2003年発行の『鍼灸OSAKA』=Vol.19、No.2=に「舌診がどれくらい有効か」として掲載されている)。で、それを広州中医薬大学の鄧鉄涛先生のお弟子さんの士英先生が見て、「凄い舌診学者が日本におる」ってということで、評価してくれたんや。それが、鄧鉄涛先生主編の『実用中医診断学』(人民衛生出版社刊)という中国で出版された専門書にその症例が引用紹介されとるんです。それからおふたりと仲良くなった。そういうこと一つずつ取り上げてみると、東洋医学はほんま宝の山なんですわ。

 松田 そうですよね。

 蓮風 それをもっと、もっと気づいてやれば鍼は効きまっせー。

 松田 本当にそうですね。

 蓮風 だから、そういう『黄帝内経』の根本の根本を踏まえながら、そういう色んな時代に色んなこの学問が発達したから、それをやっぱり生かさなくちゃ。

 松田 グローバルスタンダードというと何か難しい話のように感じる鍼灸師さんもいるかもしれないけど、基本的には『内経』(=『黄帝内経』)の「陰陽論」なら「陰陽論」をちゃんと踏まえるということですよね。『内経』の「陰陽論」は、単に陰陽を概念的に語っているだけでなくて、天地宇宙がまず陰陽の構造になっているんだから、じゃあ天の健康な状態はなんなのかというと、カラッと晴れていて涼やかで、何の憂いもなく雲一つない青空だっていう状態です。大地の健康な状態っていうのは、あらゆる生命を包んでどっしり重く温かいという状態なんだから、それに合わせて身体も陰陽に分けて、陽である上半身はカラッと晴れて涼やかで、鬱の状態がないと、雲一つない。陰の下半身はどっしりと落ち着いて温かい、すべてを包んで生命の宿っているところだ、と。天地の構造に合わせて身体を養って、そしてそれが、逆転して頭寒足熱じゃなくて、頭熱足寒、上実下虚になっているのだったら、鍼や灸で元へ戻してやればいい。これがグローバルスタンダードの一番のベースです。それがわかれば、後はより複雑に「経脈論」や「病因論」を考えて、じゃあ「温病論」を入れようとか、そういうことになっていくわけだから。
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 蓮風 そうそう。大体ね、その中医学がその現代中国によってまとめられたのは色んな歴史的背景があるんだけど、僕が歓迎しているのは非常にスッキリした論理。もともと私は数学好きやから、キチッとせんと気分が悪い。そういう意味では、日本の鍼灸、漢方というのはもうひとつ解せなかった。ずばり言ってね。で、中国の医療政策の中で、毛沢東が応援した事もあって、素晴らしい医学の宝庫やから研究せないかんということになり、それをまとめた時のね、一番の基本は明代の張景岳※にあるんですわ。張介賓ですわ。
 ※補註:張介賓とも言う。中国・明代の名医で、『景岳全書』や『類経』といった書物を遺した。

 
 松田 『類経』ですね。

 蓮風 うん。それから『景岳全書』とかね。歴史的にはあれを基本にして現政府がまとめたのが現代中医学。ところが、そこの一番根底のところを唯物史観でやっちゃった…現代中国の。だから気というものに対する解釈は、現代中国がやった、言わば中医学の建設事業の中の、大きな問題点ですね。だけど、ひっくり返せばいいんですよ。ちょうどヘーゲルがやった弁証法を…。

 松田 マルクスが継承したように…。

 蓮風 うん、マルクスがひっくり返してやったようにね。もう一回戻してやればいいわけ。だけどね、(現代中国が)あそこまでまとめたというのはね、大変な我々にとってはプラスでしたね。特に北辰会のみんなに、そこそこの教養を身につけさせて、腕を持たすためには、非常に重要なもんになっています。昔は、あるグループに名人が一人おれば良かったんやけどね、(今は)そうはいかんですよ。で、たくさんの患者さん抱えてね、治すには、どれだけの名人であっても一人では限界がある。だから、限りなく名人に近い人達を作るにはどうしたらええかということが、私の心の中にあった。中医学にベースを求めたのはそこなんです。

 松田 なるほど、そうでしたか。

 蓮風 これまでも言ってきたように中医学にも問題点はあると思うんですが全てじゃないけど、とりあえずここまで、現代において、学問をまとめてくれたというのは大きな功績じゃないでしょうか。これからグローバルスタンダードの中での中医学の位置づけは、やっぱり僕は依然として大きいと思います。はい。だから柳谷素霊(故人、素霊鍼灸塾=現・東洋鍼灸専門学校=を創立)が「鍼灸は素晴らしいけど、鍼灸師がそれをやっておらん」と仰ったのは、誠に我が意を得たり。はぁ。鍼灸は悪くないんですよ。鍼灸は最高なんやけど、やってる人間がもうひとつだね。<続く>

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藤本漢祥院で対談する松田博公さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市学園北

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。鍼灸ジャーナリストの松田博公さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の6回目は、東洋医学のバイブルと言われる『黄帝内経』の“力”のさらなる深みに迫っています。疲労と病気の関係から「性」にも踏み込んで人間の身体についての考察が広がっています。さてさて「玉手箱」を開いて、ご自身の健康について考えるヒントを見つけてくださいね。
(「産経関西」編集担当)

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 松田 先生の所に来ておられる西洋医学のお医者さんは、鍼灸医学は西洋医学とは全く違う別の…。それこそ生命観、人間観が異なり、独自の診断論があり、治療論がある別のシステムなのだということを認識して入ってこられるのですか?

 蓮風 最初はそうではなかった。だけど、けっこう頭のいい人たちが多いので「これは違うな」と思ったらそのまま受け取りますね。むしろ鍼灸師の方が頑固ですわ。自分たちの医学も大切だけど、もっと素直になって患者のためにいかにあるべきかという視点が欠けている。やっぱり医療っていうのは、患者があっての医者。だから生徒があっての学校の先生なんであって、その関係を忘れちゃいけない。我々がやろうとしているのは、より良い医学。それも『黄帝内経』に基づいて、あの大きな大きな知恵を借りながらやっていく。それが我々の仕事かなと思っています。

 松田 先生、今素晴らしいことおっしゃって僕の心にグサってきたんですけど、僕は鍼灸に関わる前に教育記者をやっていたんです。2冊くらい教育関係の本を出しているんです。そこで僕が一貫して言っているのは、生徒がいないと学校が成立しない。生徒がいて初めて教師が成立する、そう考えないから教育がおかしくなっている、ということだったんです。先生は今、同じことおっしゃった。モノの見方というのは、本来、全部一貫しているはずなんです。鍼灸の思想の素晴らしいところは、政治のあり方から社会のあり方、人間関係いかにあるべきか、どう生きるべきか、全部が統合された全体論的な思想、生き方、技術であるってことだと僕は思っています。『黄帝内経』は、そういう意味で、人のトータルな生き方について書かれているから、魅力的なんです。

 蓮風 全くそうですね。やっぱり中国の書店で真ん前に置いてある意味が深いと思うんですよね。医学は医学だけど、本当の意味で人が救われるのはどうすべきか、という事と繋がっているんです、結局。『素問』の「上古天眞論」に「恬淡虚無なれば、真気之に従い、精神内に守り、病いづくんぞ従い来たらん」と書いてある。しかも「上古天眞論」の中には、人がお金持ちでいい生活してて、もそれを羨(うらや)んだらいかんって書いてある。おそらく老子の考えが入っていると思うんだけれども、素晴らしいですね。心を非常に安定させて、肉体と精神の両方の面を整えれば病気なんて入ってこないと言い切っているんですよね。あれはすごいですね。僕の考えでは難病は色々あるけれど、大抵は多くの疲労を抱え、それを放ったらかしにして病気というものが起こる。だからその根底にある疲労というものをある程度解決すれば難病がもっともっと治りやすいという考え方なんです。
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 松田 鬱(うつ)病なんか、典型的ですよね。根底に疲労があるからストレスに耐えられなくて、鬱という状態でしか耐えられない、鬱という状態で耐えようとする。
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 蓮風 この間、学校の先生でね、教育委員会の仕事までやっている患者さんに問診を2時間、弟子にやらせた。そして私が、「あんた柄にもないことしたらいかんな。僕が早く治してあげるから教育委員会なんて辞めて近くのマンションでも借りて生徒集めて塾の先生でもやりなさい」と言ったら、「先生わかりますか?」と。これで治ったわと判断したら、本当に1回でガラっと変わった。あんなに長くかかった鬱病が。だから、その人の心の歪みは歪みだけど何でそういうことが起こったかという事を問診で詳しく聞く。これも中医学の基本なんだけども。もっと踏み込んで精神生活と肉体生活どうなっているかを「北辰会」では詳しく聞く。おまけにこの頃は嫌がられるけども男性カルテまで取っている。勃起の具合であるとか、射精したその精液がどうだとか。

 松田 そういう質問って、最初で答えられます?(笑)。

 蓮風 それがね、年寄りほど答えない。多分あなたも答えないだろう。

 松田 僕は答えますよ(笑)。

 蓮風 若い人は比較的正直に書く。大体50歳を過ぎたら書かない。何で僕がそういうことをやるのかというと、前にも言ったかもしれないが、安藤昌益という江戸時代の漢方医で哲学者が『自然真営道』の中で「男女」と書いて「ヒト」と読んでいる。だからヒトというものは男と女。婦人科で勿論、性の状態を聞く、婦人科じゃなくても女性のバロメーターとして性を聞くんですよ。そうすると男性のバロメーターはやっぱりSEXに関わる事だと私はみた。それからその人の身体の虚実がわかり易くなった。これは中医学もやってないんです。だから今度中国に持って行ってね、これが中医学に足らないんじゃないかって言ってやろうと思う。

 松田 日本よりは重点を置いているみたいですよ。中国人男性には昔からある種の民族的心性があると言われています。複雑な心理の絡みとして去勢コンプレックスがあるそうなんですよ。宮廷で宦官が制度化されていたこととも絡むんでしょう。男性の生殖能力というものに対して中国医学は昔から関心があったので、先生の意見も受け入れられますよ。<続く>

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