蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)


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藤本蓮風さん

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」でお届けしている児童文学作家、ひこ・田中さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談も終盤に近づいてきました。10回目の今回のテーマは「近代医学の功罪」とでも言えばいいでしょうか。それは日本の近代化の功罪にもつながるようです。何かを得れば何かを失う、光があれば陰がある…。それが道理ですが、合理性や効率化を追求する場合、プラス面ばかりを見がち。マイナス面への想像力も大切なようです。とはいえ臆病になりすぎてはいけないのは当然ですが…。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 近代医学について、よく言われることですが、日本に西洋医学をもたらしたドイツ系の人々は、かなりキリスト教の影響を受けていたようですね。ところが、日本の医学部で講義されるのは、そういう宗教的なものを背景にしていないらしい。まぁ、それがいいかどうか、わからんけども、少なくとも西洋医学には西洋医学なりの宗教性、哲学があるわけであって、そういうものを明確にしないままに来ているために、統合医療やプライマリ・ケアのように「人間とは何か」ということに、もう一回、目を向けないと答えが出てこなくなってきたんですね。そういうことで、東洋医学の在り方とだいぶ違うわけですよ、やっぱり。(ひこ・田中)先生は「どっちでもええ」って言うけどな。「それを分ける必要もない」と仰るんだけど、これはハッキリ分けないかんと私は思う。もう一度反論しますが…。

 田中 日本は明治から西洋化するわけです。教育、医学もそうですけど、西洋のあらゆるシステムを取り入れていって、廃仏毀釈もし、城も潰して、自国の文化を、すべてとは言わないですが、否定するか、横に置くことによって、急速な近代化を果たして来たわけですね、日本っていうのは…。

 蓮風 そうですね。

 田中 自国文化にこだわらなかったお陰で、植民地にならなかったともいえるかもしれませんね。

 蓮風 そうそう。あの辺りがね、私は坂本龍馬とかが考えた、下手すると西洋列強にやられるから、西洋列強に伍するほどの力を持ちたいという…富国強兵ですよね。そこまでは正しいと思うんや。医学に関しては、どっちかというと軍人医学です。軍人医学というのは切ったり貼ったり、それから伝染病を予防することに力点が置かれている。そういう意味では東洋医学より優先されてきた。だけど、徳川幕府以前の医療はみんな東洋医学をやってきたわけですよ。その実績全部消したという点がね、この医療文化としても大きな間違いがあったと思うんですよ。だけど、ある程度それをやったから、先生が仰るように、植民地にされずに生き延びたことも事実です。

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 田中 それが正しかったかどうかはとりあえず横に置くとしまして、藤本先生が仰った西洋の医学の背景に宗教があるということを私は存じ上げなかったんです。なるほどな、と思ったのは結局、西洋の近代化を日本は急速に推し進めるわけですけども、西洋の場合はなぜ近代社会が生まれてきたかというと、中世があったからです。中世なしには近代というシステムは生まれてないわけですよ。で、中世は王権と宗教が支配するシステムです。

 宗教がハッキリと生活に根ざしていて、それがひとつの支えとなっていた。そういうものを前提として、背景に持った上で、近代というものを作っていくわけです。宗教と科学の関係は実は色濃いものです。たとえばニュートン力学は、神をその座から追い落とし近代科学の扉を開いたというイメージがありますが、実はニュートンは神によって創られた世界がいかに美しい秩序によって成り立っているかを示したくて研究をしていたのですね。ケプラーは元々プロテスタントの聖職者であったりもします。近代科学はそうした土台の中から生まれてきました。そして、そのように宗教が色濃く日常に存在する世界だからこそ、科学は魂から離脱したし、離脱してもやっていけたのです。魂は、宗教の内にありますので。だから今でも常に宗教というのは大きな意味を西洋では持っていますよね。

 なんぼ近代医学や近代文明が発達しようと、ちゃんと日曜礼拝も行くし、良くも悪くも、未だにアメリカだったら進化論を認めない州があったり、色んなことがありますよね。ところが日本の場合は、そのシステムと知識だけを持ってきました。だって、日本には西洋のような中世はなかったわけですから。江戸時代までを切り離して西洋近代だけを受けとめたことが、やっぱり医学の問題も含めて、非常に無理があったことは、これは確かだと思うんですね。

 蓮風 そうですね。

 田中 これは教育もそうなんですけども、日本の明治の時に西洋から色んなものを入れてくるのですが、本当は西洋でも違うわけですよ。近代の西洋といっても大きく分ければ、ヨーロッパ文化とイギリス文化です。

 蓮風 そうですか。
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 田中 ヨーロッパの中ではその頃一番進展していたのはドイツですよね。で、イギリスは産業革命もあって一番発展していた。

 蓮風 そうですね。

 田中 その時に、どっちのシステムを採用するかを明治政府は考えるわけです。で、結局、学校教育システムの基本はドイツ式を採用して、で実際小学校1年の教則本というのは、ドイツの1年が使っていた本で、それはグリム童話なんですよ。

 蓮風 はぁ。

 田中 だから日本の明治の子供は、グリム童話で西洋文化を知ったわけですよ。

 蓮風 うん。

 田中 もう一つは先生が仰った医学です。一方、鉄道とか軍事とか政治システムの方はイギリス式を採用したんです。JRの線路の幅はイギリスで一般的に使われている幅です。だから、そういう歪(いびつ)な近代を日本は持っている。だからといって単純に、じゃあ江戸に戻るんか、中世に戻るんか、奈良時代に戻るんか、というとこれはやっぱり、何度も言いますけど、無理は無理なんです。で、近代医学の方は、仰ったように、西洋の近代医学の人だったら、もしかしたら「魂」という答えが出せるかもしれないですけども、日本の人が出せないというのはそういう意味も、おそらくあると思います。

 蓮風 うん。

 田中 そうした場合、じゃあそれはあかん、という風に切り捨ててええのかというと、やっぱりそうではなくて、藤本先生が色々と活躍されているように、東洋医学が持っている自然全体を捉える形での治療とか考え方、これは別に宗教とかかわりなくても存在できる魂の問題ですよね。

 蓮風 そうです、そうです。

 田中 そういうものが、どっちが主とか従ではなくて、上手く融合、もしくは連携を取りながら、治療というものが(治療だけに狭める必要は全くないと思いますが)行われていけば、とても素敵な展開をするんじゃないかなぁと私は思っているんですね。それは逆に西洋に行って、西洋の近代医学の方に、鍼灸を含めた東洋医学を持っていくよりも、違う展開をする可能性は確かにあるとは思いますね。

<続く>


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ひこ・田中さん

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は児童文学作家、ひこ・田中さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談をお届けしています。今回は、その9回目。前回は最近の子供は塾やゲーム、携帯などで忙しくて昔に比べると、ボーっとする時間が少なくなっているという話題が出ました。やはり休憩は必要だというわけです。さて、みなさん、うまく休めていますか? 休めている方も、そうでない方もおふたりの話を楽しんでくださいね。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 「休憩」とは何かというと、時間じゃないんですよ。一瞬の間でフッと休むことができる。宗教とか思想とか言わんでも、そういう術をね、伝えないかんなと思いますねぇ。

 田中 そうです。スキル、技ですね。それは本当に伝えていってほしいです。子供に限らず、いろんなスキルが、私も含めて、みんな落ちています。地縁も血縁も薄れてますから、知恵もスキルも伝わりようもなくそれはもうしょうがないんですよ、私はそうした社会が戻せるとは全然思ってないんです。

 蓮風 ああ、そうですかね、意外と。

 田中 だから、本当にいろんないいスキルというのは、みんなシェアして、使えるようになっていくほうが、絶対いいと思うんですよね。

 蓮風 こんだけネットが盛んになって、伝達が非常に速いとは思うんだけど。

 田中 その代わり、肝心なものが見えにくくなっています。

 蓮風 ああ、肝心なものが埋もれていて、いらんものは伝達して。であれば、余計叫ばないけませんな、我々はね。

 田中 そうですね。だからスキルで言えば、子供がなぜ孤立して、どんどん細かい時間の中で友達を薄く作っていくようにせざるを得ないかいうと、一つは時間がないという問題です。その他に、社会性を身につける機会を、子供たちがどんどん奪われている点が大きいです。一番わかりやすい例は、どこかへ家族で遊びに行くときに車で出かける。たとえば、奈良からディズニーランドに行くとするじゃないですか。ディズニーランドに着くまでの間、子供たちは車の中という我が家のリビングにいるのです。

 蓮風 はっはっは、そうですね、家族と一緒にひとつの部屋におるわけで。

 田中 車の中は、何をしてもいいリビングなんです。確かに車は家のガレージから出て社会のど真ん中を走っていますが、車内は社会じゃないんですよ。そして、ディズニーランドで遊んで、またリビングで帰ってくるから、その間の移動は実は距離がなくて、我が家という点からディズニーランドという点へと移動しただけなんですよね。バスや電車で行くと、周りに見知らぬ他人がいることを、嫌が応でもわかりますよね。その時に、リビングとは違う対応をしないといけないことを学習するのです。

 小さい子だったら声かけてくる、おっちゃん、おばちゃんがいるかもしれないですよね。「坊や、どこに行くんや」とかね。そうして社会との接触ができる。それってものすごく大事です。見知らぬ他人に声かけられるとか、頭をなでられるなんていうことを、初めの頃は怖がったりする子供もいるでしょう。それが段々そうじゃなくて、親以外の大人、つまりは社会ですね、それが自分に好意的なんだというサインをもらっていると思えるようになることで、子供自身も世界なり、他者を信じる大人に成長していけるんですよ。ところが、全肯定してくれる親と一緒にしか行動しないとなると、そこで閉じてしまう。あとは学校だけですよね。
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 田中 学校で子供が過ごす空間である教室は同年齢が40人くらい集まってる超異常な集団ですよね。上も下もいない。だから、そういう異様な空間と、そしてリビングとしかほとんど時間を過ごしてないから、全く見知らぬ他者とか、それから見知らぬ空間でどう過ごすかというスキルが、本当に年々なくなっているんですよ。これは子供にとって大変なことです。なぜなら、社会に嫌が応でも出なければならなくなった時に対処できないわけでしょ。就職していきなり社会に出たって、社会との接続方法がなかなかわからなくて、みんな敵にしか見えないとか、そういう問題があります。車で行った方が、ちょっとは安いとか色々なことはあるだろうけど、家族旅行をするんやったら2回に1回くらいは、やっぱり列車に乗って旅をする。そしたらそこで躾(しつ)けなければならないことがあるでしょ。「靴をはいたまま乗ったらだめ」とか言わなきゃだめだし…。親が注意しないで、他所の人がだめって言ったら、親もちゃんと恥をかけるし、そういう体験をうっとうしいから避けちゃうんでしょうけど、やっぱり子供の事を思うんだったら、私はそれだけでも随分違ってくると思います。

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 蓮風 いや、それは非常に大事なことじゃないですか。(すべてのものは一つのものだという東洋哲学の考えである)「気一元」ということから言うと、あらゆる人達との繋がりの中で一つになっているわけだからね。それはもう、限られた人達だけでやったら歪(いびつ)ですよ。どう考えてもね。

 田中 世界には色んな人がいて、それをお互いが認め合うことで、心地よい空間が維持できるんだということを、やっぱりどんどん学んでいける環境が欲しいです。大人がしなければならないのは、そういう環境を子供に与えてあげることだと思う。あと、子供がそれをどう判断するかわかりませんよ。

 蓮風 それはそう。そういう環境を与えてあげる。

 田中 本当に必要なことだと思います。その中で、世界を信じてくれることを、私は本当に望みますね。

 蓮風 そうですね。全く大賛成ですね、それは。

 田中 そして多分、そうであれば、心と身体と魂がパーツとして分かれたりすることはないと思います。

 蓮風 そうですね。ところが、この間、若いドクターを4人集めてね、北辰会の主催で(2012年4月に)シンポジウムをやったんです。まぁ色んな話が出ました。鍼灸師が司会をして、ドクターたちに意見を言ってもらった。こんな企画は日本では初めてですよ。色んな話をする端緒を作ったわけやけど、「西洋医学は魂をどう考えるか」という話題になったんですよ。そうするとね、ドクターの先生方は、ある程度魂ということを意識しているけど、いわゆる西洋医学としてはほとんど回答なしですね。これはどう思いますか?

 田中 「回答なし」に関してですか?

 蓮風 うん。だから、そういうことに関して答えられない医学。

 田中 西洋医学は、それに答えるというような進化の仕方が出来なかったと思うんですね。パーツにしてどんどん悪いところは切除し、できないことは通り過ぎるまで、ステロイドなんか典型的ですけど、とりあえず抑えておけという方法を採っているときに、魂を考えたらそれができなくなる。

 蓮風 結局、唯物論ですよね。

 田中 そうです。

 蓮風 機械なんだから。

 田中 初めからそういうことは含まれない前提で、近代医学は、良くも悪くも進化して来たんだと思います。<続く>


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藤本蓮風さん=奈良市の藤本漢祥院

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。児童文学作家、ひこ・田中さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の8回目です。児童文学と東洋医学…。何のつながりもないような、この2つが実は相性がいいというか、密接な関係があるというか…。これまでの流れの中で、おふたりのお話に違和感を覚えた方はいらっしゃいますか? たぶんいらっしゃらないでしょう。それがどのような意味を持つのか。さまざまな見方ができると思います。一度、子供のころの気持ちに戻って現代の医療について考えてみられてはいかがでしょうか。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 心・身体・魂は一体であり、切り離すことは出来ないものと考えます。先生の作品においては心・身体・魂の連続性というものを意識されますでしょうか?

 田中 はい、これはもう、人間を描く限り前提として、意識しないと書けませんから、もちろん意識はするんです。けれども、ただ、たとえば現代を舞台にして子供を主人公にした物語を書く場合、戦後すぐにいたような子供を描いても意味がないので、今の子供を書くということになります。だから、そうした場合、魂はとりあえず置くとしても、心と身体を考えると、両者の意識が切り離されている気はするのです。

 蓮風 そうです、そうです、そうそう。

 田中 ですから、そうした子供を描くことになりますね。どうしてそうなっているか、それはどういう状況なのか、そういう風になったらどういう風に生きていけばいいのかを子供に伝えようとするわけです。

 蓮風 それは食べ物とね、その人の生活環境との問題で取り上げても面白いんじゃないですか? ずぅっと肉食ばかりとか、しつこいもん食べとった者が急に、菜食中心に変えたら、しばらくしてなんか身体の状態も変わったけど、気持ち自体も変わったんだちゅうような、話の展開になりませんか?

 田中 なるでしょうね。うん。

 蓮風 ねぇ!ちょっと面白いと思いますよ。

 田中 ものすごくシンプルに言いますと、ここにも若いお弟子さんがいらっしゃいますけども、藤本先生の時代の子供時代と、私の子供時代と、彼らの子供時代ではおそらく、ぼぉーっと過ごす時間の量が格段に減ってると思うんですよね。

 蓮風 ああ!ぼぉーっと過ごす、そりゃその通りですね。

 田中 結局、今の子だったらほとんど休む時間は、寝る時以外ないです。特に都会の子供というのは。

 蓮風 携帯とかゲームとかにも夢中ですしね。

 田中 そう、塾の合間に携帯していますから。この前も、あるお父さんと小学3年生の子供の話をしていたら、「僕よりも息子の方が、忙しいですよ」と言ってましたね(笑)。

 蓮風 なるほどね(笑)。

 田中 「私が仕事から帰宅したときに、息子がいたことがない。まだ、塾から帰っていない」って。そういう風にして、一人でぼんやりする時間がないために、考える時間がないのです。そのために、自分がどんな人間か、自分は誰かが、ますますわからなくなっていく。

 蓮風 あー、そうか。

 田中 自分の欠点を見つめる時間も、いいところを見つける時間も少ない。だから、とりあえず周りの反応を気にするしかない。

 蓮風 そうそう、とりあえずそう、とりあえず、本当そうだよ。

 田中 そしてその反応をよくするために友達を増やしたいという形になっているので、それはすごくしんどい生き方だなと思うんですよ。自分が今、その立場の10歳の子供だったら、とても生きて行かれへんのちゃうかなと思います。

 蓮風 あー、それはありますね。私は特に子供の頃ね、ぼぉーとした男やったからね、「なんかぼぉーっとして、何を考えてるのか考えてないか、わからんような子やった」とよく言われるんですよね。今の子そういうのないですな。

 田中 なかなか、いないですねぇ。

 蓮風 ねぇ。もうしょっちゅうゲームやるか、携帯やって、パソコンでしょ? それがもう、休憩なんですね、彼らにとって。だけど、本当の意味で心の休憩になってない。

 田中 なってないんですけども、本当にもう、スケジュールがびっちり詰まって5分しか空いてない、10分しか空いてない時って、ゲームするのが一番気晴らしにはなるんですよ。
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 蓮風 先生やってるんですか?

 田中 もちろんやらないと子供の時間がわかりませんから、やってますよ(笑)。

 蓮風 ああ、そうですか、仕事やからね(笑)。実際は休憩かも(笑)。

 田中 かもしれませんね(笑)。その場合「そういう生き方あかんでー」と、「そんな酒ばっかり飲んだらあかんでー」と大人にいうみたいに注意しても仕方がないのです。その子だけタヒチの孤島に行けるなら別ですけれど、それは無理で、子供たちはこんな時代のこんな状況の中で生きていくしかない。ですから、その状態そのものはまず肯定してあげたとこから、物語は紡がないとしょうがないなぁと、思うんです。

 蓮風 なるほど、なるほど。うん。

 田中 それは悪いことじゃないよ、そうして君はなんとか生き抜いてきてるわけだからって。彼らのサバイバルだと思ってますもん、私。

 蓮風 いまこんだけやったら、数時間休憩せないかんといった場合に、その休憩というものの本質ですね。「7時間寝たら大体いい」とか何とか言うけれども、時間の問題ではなく、質の問題なんですよ。

 田中 でしょうね。

 蓮風 はい。だから、その質を上げるにはどうしたらいいか。僕なんかね、この間、北辰会の定例会の時に、別室で打鍼の実技を1日中ずーっとビデオ撮りして、本会場の講義が終わるまで椅子に座ったままですよ、40分寝てんねん。一種の坐禅のやり方なんですけど、呼吸を整えて、フッーともうほとんど意識のないとこまでいきます。そうするとね、一気に疲れがとれる。そういう術を教えないけませんな、子供たちに。

 田中 ああ、それはいいですね。ぜひ子供たちに伝えてあげてください。

 蓮風 うん。短時間でもいいけど、本当に心から「ハァー、休憩したな」と…。

 田中 40分ってちょうど授業時間(笑)。

 蓮風 もうもう、いらん。授業聞かんでもええねん(笑)。

 田中 確かに。1回ぐらい授業聞かなくても困りません(笑)。

 蓮風 そうそう、命を守るために、自分を守るためにね、そのホーっと休憩する時間をね、作らないかんですな。それを、先ほどの話で、時間じゃないですよ、質の問題ですわ。だから私は(患者が)何時間寝た、どうこう言うけど、あんま信じてない。私もね、寝てるようで起きてるようで、起きてるようで寝てる。(患者から)「眠れんで困る」と訴えられたら「寝れんかったら色々本読んで勉強できないんか」と言ってあげます。「そんなことしたら眠くなります」「だから寝たらいいねん(笑)」。結局、天の邪鬼なんですよね、人間ちゅうのは…。

 田中 特に藤本先生は天の邪鬼ですよ(笑)。

 蓮風 そうですかねぇ、私は、まぁ素直な人間やと思うんですけどねぇ(笑)。<続く>


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藤本蓮風さん(写真左)と、ひこ・田中さん。今回は身体に「おいしい」話です=藤本漢祥院(奈良市学園北)

 鍼(はり)の知恵を探る「蓮風の玉手箱」をお届けします。児童文学作家、ひこ・田中さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の7回目。農耕民族と狩猟民族のどちらが自然を破壊してきたか…という話題の続きです。田中さんは前回、農耕民族のほうが自然を壊してきたと推論しながらも、それだからこそ「里山」のように自然を人間向きに改良してきたし、狩猟民族の在り方を西洋型の自然征服志向と一緒にして「不自然」だと断じるべきではない…という趣旨のお話をされました。今回はその続きです。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 2500年前(の中国)に老子という哲学者がおって、農耕民族に非常に密着した人なんですよ。その人が何を言ったかいうと…。「お前たち、田畑を耕すのに道具を使っちゃならん。道具を使うと、便利がいい。便利がいいから、その上また便利のいいもの作ろうとする。そのことは結局、本当の人間の幸せにつながらん」と説くんですね。だから、農耕は農耕なんだけど、自分が生かしていただいているという謙虚な気持ちがあれば、人間が生きるんだから、やはり多少は自然を侵したんかもしらん。しかし、広く考えた場合、謙虚な気持ちのもとにやって、しかも道具を使ってどんどん伐り開くのではない、ということであれば、農耕民族のほうが自然を大事にしてると、いうふうに思うんですよ。

 田中 老子はおもろいですよね。

 蓮風 ええ、「ラオズー」(老子の中国語読み)は、私ね中国語で読んでね。

 田中 私は翻訳ですけど。

 蓮風 老子の場合は「道」の思想、タオ(「道」の中国語読み)。

 田中 そうですね、タオ。

 蓮風 タオというのは一本筋の通ったという意味ですね。それの理論があるから「道理」と言うんですよね。普遍なるものをずーっと見続けていく、哲学者の一人が老子ですね。

 田中 老子に限りませんけども、老子を考えても、人間って、別に新しい人間やから偉いとかいうことは全然ない、という気がしますね。

 蓮風 ないないない!

 田中 時代を超えて使える考え方がある。

 蓮風 むしろ老子は「昔の人は立派やった。今の人間は堕落してしまった。だから昔へ帰れ」と言っている。一種の尚古(しょうこ)主義ですな。私は必ずしも尚古主義がいいとは思わんけども、しかし、人間が元々生きとった世界、子供のような本来のものを持てば、随分、文化も変わるし、生活も変わるように思うんですよ。節電の話が出たけど、元々みんな、ロウソクで暮らしとったんや。うん。確かに電気は便利だけど、便利がいいからってさらに便利を求める。それはやっぱり人間の欲望ですな。

 田中 そうですね。
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 蓮風 はい。欲望にほかならない。だから欲望に突き進んでいくことが人を幸せにするかっていうと、必ずしもそうじゃない。むしろ不幸せにする。なぜね、農耕民族と狩猟民族の話をしたかいうと、農耕民族はね、まぁ言ったら、菜食人間…?

 田中 菜食主義者?

 蓮風 あぁ…。それから「肉食…人間」って、まぁ若い子言っとるけど。

 田中 ああ、草食系、肉食系。

 蓮風 あくまでもね、血を見る世界ですよ。で、私なんかほとんどベジタリアンやから、たまに肉を食うたらカッカッカッカして身体熱くなって仕方ない。

 田中 魚も食べられないんですか?

 蓮風 魚は食べます。やっぱり海洋民族ですし…。私が生まれ育ったのは島根県の出雲で、日本海の美味しい魚が獲れるところですから。

 田中 じゃ、ほぼ私と同じ。

 蓮風 やっぱりね、野菜を食べると気持ちも穏やかになります。これは本当なんです。極端に言うと食べ物によって性格まで変わってきますね。肉食だと、どうしてもね、猛々しい気持ちになりますね。今の若い子でほら、統合失調が多いでしょう。あれもね、実際よく調べたらほとんど肉食ですわ。野菜食べとらん。(弟子に向かって)この間(実際に症例を)たくさん見たな?

 だから結局、食べ物がその人の身体を作り、そして、すべてじゃないけどその人の精神をも育んでいく。これは東洋的な考え方です、東洋医学の。

 田中 あれは、不思議ですね。なんで段々みんな野菜食べんようになったんでしょうね?

 蓮風 やっぱり西洋に災いされたからですね。元々、日本人ちゅうのは、まぁ食べとったよ、ある程度は、肉を食べとったし、猪(イノシシ)を獲って食べることもあったけど、今ほど食べてませんがな。あれは西洋の肉食文化がダーっと入ってきて、病気も高血圧だとか、癌(がん)とかなんか、増えてんのも、肉食生活文化がね、はびこりすぎているのが原因じゃないですかね。
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 田中 身体は割と正直で、玄米はタンパクが多く含まれているからでしょうか、30年位前から無農薬の玄米に切り替えた途端に、肉類を欲さなくなりました。

 蓮風 そう、そうでしょう。

 田中 驚きました。

 蓮風 陰陽の関係なんですよ。だから、少なくとも、今お気づきになったように食べ物で、生活の感覚が変わったでしょう。

 田中 面白いなぁと思いました。身体が要求しないのですもの。あれから自分の身体が愛おしくなりました。

 蓮風 だから、東洋医学では、そのことを陰陽でもって説明してる。こういう食べ物に偏っちゃいかん、こういう物を逆にもっと食べないといかんと。結局、農耕民族は植物を中心に食べます、で、少し海のものを食べます。たまに動物を食べていいんですよ。食べていいんだけど、ほんのちょっとで済むわけです。すき焼きなんかが流行りだしたのが明治の時代ですね。

 田中 そうですね。

 蓮風 はい、それまではまぁ、狐(キツネ)や狸(タヌキ)を獲って食べたこともあるだろうけど、それはほんのわずかで…。

 田中 ああ、あと兎(ウサギ)かな。

 蓮風 はい。それから鹿(シカ)。私の弟子に鉄砲撃ちがおって鹿肉で上手にシチューを作りますねん。一回食べに来てください。めっちゃ美味しいですよ。

 田中 鹿、美味しいですね(笑)。ぜひ今度ごちそうをしてください。

 蓮風 はっはっは。それはほんまに年に一回食べるかどうかなんですよ。それもね、ほとんど調味料入れないんですよ。塩と胡椒(コショウ)だけ。あとはお野菜で甘味、酸味、辛味、みんな出すんですよ。

 田中 『故郷』の歌詞に「兎追いし」というのあるでしょう?あれは(遊びで)兎を追ってるんじゃなくて、ホンマに兎狩りの歌なんですよ。

 蓮風 あ、そういう意味なんですか?

 田中 そうです。京都とかだとね、50年くらい前まではまだ、小学校のイベントで兎狩りに山へ入ったりしてたんですよ。

 蓮風 兎と一緒に遊んどったいうイメージやけど、実際は兎狩りを…。

 田中 追ってるんです(笑)。

 蓮風 ハハハ。食べとったかもしれんな。でもそれはほんのわずかなんで、ねぇ。<続く>

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談笑する藤本蓮風さん(写真左)と、ひこ・田中さん=藤本漢祥院(奈良市学園北)

 2013(平成25)年、第1回目の「蓮風の玉手箱」をお届けします。児童文学作家のひこ・田中さんと、鍼灸師で北辰会代表の藤本蓮風さんの対談の続きです。疲れたときに「物語」という逃げ場がなくなると、生きることがしんどくなる、という前回の田中さんの言葉を受けた蓮風さんの言葉から始まります。では今年もよろしくお願いします。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風
 ひこ・田中先生の本質を表してるような感じで…(笑)。逃げ込む場所というのは、一つのポケットとしてあっていいんだけど、多くは、しんどいというのはやっぱり、心というより身体がいたんでる。身体の歪みがあると、心でなんぼ正そうとしてもしんどい。その場合に一つのポケットとして、物語に逃げ込むのはいいということは私は納得できる。その根本には身体ですよ。身体が弱いと、どうしても精神的に弱くなる。

 だから、身体を丈夫にする。それから、丈夫にするためにどうしたらいいか、という養生法を説きます。食べ物は、こうあるべきだ、運動はこうあるべきだって…。どうしても性格の問題もあるんでしょうけどね。一方、やはり物語の場合は、必ず帰ってこないかんわけで(笑)。それが自由にできればいいんだけれど、できなければやっぱりこの変な方向にまた行きますよね。ちょうど脱法ドラッグで現実にないことが自分に起こってきてるような状況なわけですから、だから逃げっていうのは所詮は逃げなんであって、私は医学として完璧にその人の「心・身体・魂のバランスをとる、そして、そのバランスをとる場合の基本はやっぱり身体にある」という考え方ですね。うん。

 田中 それはそうだと思いますね。物語は、書物という形なり、テレビドラマなりアニメなり、いろんなもので提供されていますけれど、そこにある機能というものは当然、限定的なものなんですよね。いま藤本先生がおっしゃったようなことというのは、もっと広がりのある世界すべての話ですから、当然、おっしゃるとおりだと思うんですよね。

 身体から自然までを視野に入れて考えた場合なんですが、今「節電節電」と言われるように、私たちは、電気という汎用性のあるエネルギーに身を任せすぎてしまっています。それは、個人電力消費の話と言うよりも、産業が電力を使って作る製品の話であり、その商品を買うことが個々人の幸せだとコマーシャルやドラマなどで欲望をあおり立ててきた資本構造の話でもあります。

 先ほどの近代とつなげてみますと、近代的な考え方は個が大事だからということで、人より優位に立つためや、他人に自分の存在を認めてもらうために、いい車、いいスマートフォン、いい家と買っていく、買い換えていくシステムを導いてきたのです。実際それで、近代資本主義社会は発展してきたわけですけども、その方向いうのは、どういう方向だったかというと、脱自然なんですよね。自然からいかに逃げていくか、もしくは抜けていくか、もしくは勝っていくか。

 蓮風 はいはいはい、征服していくしかないですな。
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 田中 征服していく、という形の進化の仕方をしてきたわけですよね。そのある種の果てを私たちは、日本人は現在見ている。じゃあソローのように自然に返れと言われても、これはできない。児童文学の世界でも、子供たちはもっと自然の中で遊ばせなければいけないとか、子供を自然に戻そうとかいう人がいました。でも、今の日本で平地の緑のあるところに子供全部を返そうとしたって無理です。脱自然で来てしまったこと自体は、痛みと反省を以て受け止めて行くしかないとは思いますが、だからといって自然に返ろうなんていうのは極端な話です。

 蓮風 だからね、そこに自然に対する、ネイチャーに対する考え方がどうあるか。西洋の場合は人と自然をね、やっぱり対立的に見てますよ。だから東洋医学は自然の中から生まれて、相対的に独立したものを自然と共に、自然に生きるという、ひとつの考え方があるわけです。我々日本人は元々農耕民族ですから、もう自然の中におるのが当たり前なんであって、それから、はずれること自体おかしい。西洋の場合はもう完璧に対立、見るものと見られる側とがはっきり分かれてるでしょう。そこから自然に対する考え方が違うと思うんです。西洋的な意味で、自然と対立したものが自然に戻るいうのはもう無理だということになる。そこにも思想の回帰が東洋にあるように僕はむしろ思うんですよ。「気一元」という考え方自体がね。

 だから本当の意味でこの、医学として存在する東洋医学は基本的には正しいと思うんですよ。私の弟子には、西洋医学のお医者さんもようけおりますけどね。基本はね、やっぱ東洋医学的に考えないとと思うんです。そりゃ、事故でけがをしたとか、折った切れたいうのは、そりゃつなぐしかないんですけどね。だけど一般の雑病というか、田中先生が言うようにこう、「しんどい」というような病気が多いわけですよ、いま。それを癒やす思想はやっぱり東洋思想だし、それを本当に身体の方から癒やすのは東洋医学だというふうに私は思うんですよ。もちろん選ぶのは勝手ですから(笑)。そこにね、東洋医学の落ち着く場所があるんじゃないですかねぇ。

 児童文学も一つの物語で、癒やしながら助けてはくれるんだけども、東洋医学の場合はそのもう一つ人間としての根本的な問題をね、やってる。それを、まぁ極端に言えばまた、児童文学の世界はそれを活かされへんかいなというのが今日の提言。山彦海彦の話がありますよね。あれなんか中々良く出来てますよ。入れ替わったらどないなるか、全然だめやったと…(笑)。で、元に戻したらうまく生活できる。これが自然なんですよ。持ち場持ち場があるという教えを、たぶん持ってきてると思うんだけど、そういうことの中にネイチャー、自然があるんであって、単に山河だけを自然とするんじゃなく、本来の人間の気持ちの上での自然というようなものを考えるべきなんです。里山という発想ありますね。人間が開発したんだけど、自然との調和を図ってる。こういう発想もできるわけなんです。元々東洋医学はね、そういう意味で知られて欲しいから、この「蓮風の玉手箱」も開いてると、いう趣旨なんですよね。

 田中 里山の発想はいいと思いますね。里山は、またブームになっていまして今、里山関係の本がたくさん読まれています。今のお話に関して少し述べますと、農耕民族だからというのは若干違うとは思うのです。例えば、狩猟民族と農耕民族を比べてみた時、どちらがより自然を破壊したかといえば、森林を壊し、そして耕し、人間が食べるための穀物を作っていくという意味では圧倒的に農耕民族なんですよね。

 蓮風 まぁ、そうとも言いますね。

 田中 狩猟民族は自然を守ります。なぜならそれが破壊されると、狩りの対象である野生動物が絶滅するからです。

 蓮風 だけども、もとなるその自然とのバランスを常に考えながらやってますよ。焼き畑耕作にしても、単に焼いて灰にして肥やしを作るっちゅうことやなしに、順番を考えてます。今年はこっち、来年はあっち、で結局順番が回ったらまた元に戻るという。だから決してね、あの西洋がやったような自然を征服するという方向でのやり方でなしに、やっぱり大いなる大自然の下に私たちはやむなく生かしていただいてる、そして、あらゆる生き物を犠牲にしているという反省の下に生きてると思うんですよ。

 田中 おっしゃる通りだと思います。自然破壊をしてきたから、自然とのバランスを図ろうとし始めたのです。ですから、農耕が自然で、西洋が…という分け方じゃなくて、農耕民族いうのはそういう風にして、自然をどんどん人間向きに、改良していきましたから、だから自然とのやりくりの付け方はよく知っているというふうな言い方をしたほうが、私は誤解がないと思うんですね。それこそ里山なんかそうですね。<続く>

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