蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

大型連休が始まりました。旅先でお読みになっている方もいるかもしれない「蓮風の玉手箱」は春日大社の権宮司、岡本彰夫さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の8回目をお届けします。「罪」の語源や「祓(はらい)」の意味など、神仏が人間の暮らしの中に違和感なく存在していた日本の古来の姿を垣間見ることができるようなお話も出てきます。そんな状態を利用して悪いことをする人間もいたようですが、だからといって「迷信」で片付けてしまうのは、人間の深い知恵を認めない“損な”行為なのかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 岡本 (奈良の法相宗大本山の)興福寺さんがね、中金堂を復元なさるんですな。ところがね、上はボルト、ナットで締めますねん。

 蓮風 あぁ。

 岡本 で、興福寺の貫首がね、嘆いてはるんです。これ千年たって解体したら笑いもんやで…と。(奈良・斑鳩町の聖徳宗総本山の)法隆寺の塔(=国宝「五重塔」、飛鳥時代)は木組みでいけてるんですけど、国は新たに建てる木造建造物に、この木組みの技術を認定しておりませんねん。

 蓮風 あぁ、そうそう。組子でやるのが本当の伝統的なやり方やのに…。

 岡本 ということはね、漢方と一緒なんです。千年二千年と続いてて、厳然としてそれに実績のある技術を無視して、外国の、範疇でしかダメやという。

 蓮風 そうそうそう。

 岡本 これが根本的な間違いなんですわ。

 蓮風 大きな間違いですね。
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 岡本 自分たちの民族がやってきたことで、しかも実証結果が出とんのにね、それを打ち消してですな、わずかな歴史の西洋の力学でこれ組み立ててええのかということですわ。

 蓮風 我々の業界も一緒ですわ。伝統的なもの、実践を大事にして、そしてそれを実践するわけですけども、西洋的な、科学的な光を当てんと信用できないという発想が間違いやねん。

 岡本 そうですよ。根本的に間違ってますよね。

 蓮風 はいはい。

 岡本 こっち実績あるわけですわ、千年二千年の。

 蓮風 そうそう、そういうこと。

 岡本 それを無視してね、外国のものばっかり入れとくっちゅうのは、いかがなものかと思いますよね。

 蓮風 あぁ、そのボルトの話は全くそうですね。組子ちゅうのは凄いですね、釘一本使わんでも、あの五重塔が崩れない。大風が吹こうが、地震が来ようが、揺れ揺れしながら結局崩れない。

 岡本 そうなんですよね。

 蓮風 揺れるから保つんですって。だからもうちょっと先祖から伝わってきた知恵とか伝統とかいうものに目を向けんとね、もう日本人何も無くなってしまう。

 岡本 そうです。もう滅びてしまいます。

 蓮風 はい。

 岡本 きょうはええ話やな~。
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 蓮風 大体先生という人が分かってきたんですけども、先にも問題になった「けがれ」の話と、お祓ということはどういう意味があるのかちょっと教えて頂きたいのですが。

 岡本 日本人にはね、「罪」と「けがれ」は一緒なんですわ。罪を犯すとけがれるんです。「けがれ」を起こすことが罪なんですわ。

 蓮風 うん。

 岡本 「けがれ」の語源ちゅうのは先にも申し上げたように2つの意味があって、生気が枯れる「気枯れ」と日常生活が営めなくなる「けがれ」。それは祓によって除くわけですわな。

 蓮風 うんうん。

 岡本 で、罪っていうのは悪いことをどんどん、どんどん積んでいく。「ツツミ」という言葉が罪になったんです。

 蓮風 「ツツミ」から罪が来てるわけですか。

 岡本 神や仏から頂くご加護を遮断する悪い事しよるわけですよ。その天からの恵みを遮断して包んでしまう。だから「ツツミ」やと。で、「祓」をするわけです。神様のお力を持ってそういう魂を「ハル」。ハルヒですな。(それから)拭う。この両方の意味がありますね。中から魂の力をもっと増大させる。外からの力は拭って頂くと、この両方で「祓」というのは成就する。

 蓮風 うん。
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 岡本 先生は「邪気」と「生気」とおっしゃいましたけど、昔はね、こんな例がある。罪を犯すとね、祓が科せられるんですねん。これ刑罰ですわ。罪を犯すと祓を科すんですわ。で、その祓というのは何かと言うとね「悪祓(あしのはらい)」と「善祓(よしのはらい)」。どういうことかと言うとね、これにはね罰金刑も伴ったんですわ。普通反省せいへんもん。「反省せい」って言われたって…。命取られる次に何がかなわんって、財物金銭取られるの人間一番怖いねん。かなわん。そやから財産没収しますねん。財産全部じゃないけど馬が1頭とか刀何振りとか布何反とか、それ出さすわけ。それがまぁ言ったら贖罪やね。身を贖うための罰金刑やね。それを出して祓をするわけ。で、その祓を2回やるわけ。それがひとつは先「悪祓」やって「善祓」。これはマイナスから0のところまで持っていくのが「悪祓」。それから0からプラスに持っていくのが「善祓」。

 蓮風 あぁ。

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 岡本 さっき仰った邪気を払うのと、それから生気を増大させるのと、これ2回しとるわけ。ところが、この制度が平安時代に無くなるねん。何故かって言うたら、どの時代にも悪いやつって出てきよんねん。何かお前罪を犯したやろって言いがかりをつけて、そいつから物品奪うやつ出てきてん。それでこの制度は止めになる。

 蓮風 ほぉ。

 岡本 ただし春日大社は、実は明治まで一部この制度を残す。どうするかというと、境内で例えば小便したやつがおると、これ捕まえるわな。

 蓮風 うん。

 岡本 そしたら罰金刑を科すわけ。お祓する前に米を二石出せって。米二石出させてそれ罰金や。それでお祓したるっていう制度や。ところが、これがひとつの便法でね。そうするとね、村方とか町方から嘆願書が出るんですわ。「こいつは貧乏ですから堪忍してやって下さい」っていうてね。それで米二升くらい取るんですよ。それでお祓する。これ古代の罰金刑、春日大社は明治4年まで残している。

 それはさておき、言わんとするところは、邪気を払うのと、それから生気を増大する払い、っちゅう2つがある。で、祓っていうのはその、魂の力を増幅させるっていう意味合いと外から神さんの力で拭い去って頂くという両方なりますわな。

 蓮風 うんうん。

 岡本 で、祓と罪と「けがれ」っちゅうのはそういう関係になっている。

 蓮風 なるほど。それから、一般の者はそういうお祓を受けてそれからお守りを頂きますね。

 岡本 はい。

 蓮風 そのお守りの意味は。

 岡本 お守りはね、その神様の気がこもったもったものを頂戴して、ご加護を仰ぐわけですな。

 蓮風 はい。

 岡本 それがあのお守りですよね。

 蓮風 うん。ご加護。

 岡本 で、まぁお札もそういうことですわな。〈続く〉

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「蓮風の玉手箱」をお届けします。春日大社の権宮司、岡本彰夫さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の7回目です。岡本さんは先人が遺した工芸品に光を当てた著作『大和古物散策』や『大和古物拾遺』などでも知られます。今回は岡本さんがそのような文筆活動を始めるようになった動機も語られています。また2006年から07年にかけて行われた高松塚古墳の石室解体に挑んだ職人の覚悟を伝えるエピソードには心を動かされる方も多いでしょう。では、おふたりのお話をお楽しみください。(「産経関西」編集担当)

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 岡本 なんで骨董をやろうかって思ったかというと、まぁ好きだっちゅうのが一番ですけどね。人間国宝だからええとは限りませんわ。本当に貧乏してね、名のない人でも、こんな素晴らしいもん作ったんかっていう人いっぱいおるんですわ。そんな人のもんをね、世に出したいなって思ったんがきっかけなんです。こんだけの仕事をしてるのに、なんでこの人一生貧乏でね、しかも説曲げずになんでこれ作ったんかっていうのにものすごい尊いものがありましてね。

 そういう人の供養なんですわ。供養は仏教用語で、日本の大和言葉ではね、「トブラフ」なんですわ。「とむらう」。弔うの語源はね、「トブラフ」なんですよ。トブラフいうことはね、訪問するということなんですよ。死んだ人の所には訪問できしません。だから絶えず亡くなった人のことを思い、忘れず、語るっちゅうことがね、一番の弔いなんですな。だからね、これ弔いじゃないかなって思う。

 蓮風 私もね、先生の『大和古物拾遺』を読ませてもらったんですが、はっきり言ってね、一般に言われてる骨董とちゃいますな。もうそこらの昔のお年寄りが持っていた、タバコ入れみたいな、そんなところに細工したり、そんなん多いですな。

 岡本 そうなんです。

 蓮風 古物と骨董は違うんですか?

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 岡本 一緒なんですけどね。要は日本人は真心の塊なんですわ。で、本物っちゅうのは真心の塊で、先生のやってはることも真心の塊や思うねんな。いわゆる手を抜いていいかげんなやつは効きゃしません、感動もない。せやけども、わざわざ今みたいにね、マスコミが上手に宣伝して、患者集める人じゃなくて、そんなことせずにこつこつとやってはる。しかし、やっぱりそういう人が本物だって、世に出さんといけない。今はいっぱい情報が溢れていてね「これがええのか」「あれが悪いのか」ってわかりませんですやん?

 蓮風 そういうことを紹介して、弔う人もおらないかんということですね。

 岡本 それをしたいなって思ったんがきっかけなんですな。せやけども、あんな本売れやしません。その代わりに古本屋で出たら10倍くらいの値段ついてますわ。スッとしますけどね。わかるやつが見たらわかる、わからんやつは「どうでもええねん」って思って書いています。

 蓮風 先生がおっしゃるように、弔うという意味で古物を紹介するっていうことがここにも書いてありましたな。

 岡本 本物はやっぱり世に出すべきやしね、間違ったもんは違うって言うべきやし、それが今はわからなくなっていますでしょ?

 蓮風 僕が拝見するところ、一般に言われている骨董学と、先生のはちょっと違いますな。

 岡本 どっちかと言うと、私は資料集めなんです。遺さないかん資料を集めるっちゅうのが宿題なんですよね。

 蓮風 骨董に対する考え方が違うんだな。

 岡本 もう一つ、技術の話させてもらえますでしょうか?

 蓮風 どうぞどうぞ。
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 岡本 うちの神社には20年ごとに「式年造替」っていう制度があって、御殿を建て替えるんですわ。国宝、重要文化財は約半額の負担金が国から出るんですね。文化庁から。ある時に会計検査院が来ましてね。「春日さん、これ20年で御殿が傷まなかったら、30年にしたらどうなんですか?」って言うたアホなやつがおるんです。日本の文化が全くわかっていない。20年ごとになんで御殿建てるかっていうのがね。人間の寿命に合わせているわけです。20歳の息子、40の親父、60のじいさん。20歳で初めて体験して、2回目に本番を40で迎える。そして、3回目の60のおじいさんが指導すると。これで、1200年間、間違いなく日本の技術っちゅうのが遺ったんですよ。これを30年ごとにしますとね、30、60、90ってありえないんですわ。どうしても20年にせないかん。これ日本人の知恵ですね。だから、建物を残す、これ一番大事ですけれども、それともう一つ大事なことは、人を遺すっていうこと。これ巧みな計画なんですな。ただ金を出すのが惜しいということで30年にしたら、日本の文化が消えてしまうんですね。

 そうしますとね、さっきの私が申し上げた「世に出る技術」と「世に出ない技術」っちゅうのがあって、たとえば人間国宝や芸術院会員になる人もおる。美術や工芸の人は恵まれています。ところがね、奈良国立博物館に私の知り合いがおって、子供が生まれた、親が群馬県から出てくるんで会ってくださいよって言われて会いましてん。そこのお父さんっちゅうのがね、3代続いた散髪屋さんの主人やったんですわ。それで「近頃の散髪屋さんは道具作りませんからね」って言わはったんです。初めて聞きました。まぁその時は忙しかったから別れたんですけどね。

 (奈良の)西大寺に「ヒロ」っていう行きつけの散髪屋があって、岩沢っていう主人がおって、そこにいつも行く。ほんで「岩沢さん、散髪屋って自分で道具を作るのか?」って言うたら「ちょっと待ってくれ、40年、散髪屋してるけど、こんなことを聞いてくれたのはあんたが初めてや」って「ちょっと、かまへんか」ってかけたまま20分間ずっと話を聞いて、そんで奥から櫛を持ってくんねん。「この櫛はベッコウで、実はこれ1本10万円するんや」と。「えっ!櫛10万もするんか」というわけですわ。今度は「これ、水牛ですねん。これは安い。ただしこれで頭突いたらな、お客さんの頭痛いから、砂買ってきて半日打つねん」って、するとね、先が柔らこうなって初めてこれでお客さんに櫛通すねんって。それにびっくりして、それからね、あの、和剃刀。
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 蓮風 うん。

 岡本 女の人の産毛と、赤ちゃんの産毛は和剃刀じゃないと当たれないんですね。洋剃刀じゃ剃れない。

 蓮風 うん。

 岡本 ところが、あれは技術やと。

 蓮風 はぁ。

 岡本 研がないかんしね。それ色々聞いててね。3つ気づいたんですわ。1つはね、自分の仕事に誇り持ってはるねん。「俺は散髪屋や」と。2つ目はね、どんだけ自分の技能を高めるかっちゅう向上心、これは2つ目や。3つ目はね、どんだけ優れた技能をお客さんに与えることができるかっちゅう真心や。この3点ですわ。しかし日本人ていうのは凄いなと、散髪にこれだけの技術を投入していって、磨き上げていったというのは素晴らしいなと…。散髪で一番難しいのは角刈りなんですって。

 蓮風 何?

 岡本 角刈り。

 蓮風 あっ角刈りね。

 岡本 これがね。高倉健の映画やっている時は角刈りの人がよく来た。

 蓮風 はい。

 岡本 今、角刈りみたいなする人誰もおらん。

 蓮風 あっはっはは(笑)。

 岡本 「俺が何十年かけてやってきたこの磨いてきた技術を伝えるものがおらん」ちゅうのです。

 蓮風 はぁ。
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 岡本 それがね、色々考えていたら、このね、さっき言った3つ。私はこれを「路傍の技術」やって言うてるんですわ。もうそこらにあるもんやから誰も見向きもせんけども、その路傍の技術の中にね、散髪は(断髪令から)140年間の汗と油と血が滲んだ技術の結晶や、これをもっと世に出す方法は無いのかと。そしたらある時ね、今度あの、高松塚古墳があのカビ生えた、あれ解体したのがね、左野勝司(さの・かつじ)さん。うちの神社の近くで飛鳥建設っていう会社をやってはる。で、この人が学校あがって(=中学を卒業して)すぐにね、丁稚奉公で石屋になって、叩き上げです。

 蓮風 はぁ。

 岡本 ほんで見事大成功してね。文化庁長官表彰と吉川英治文化賞をもらったん。

 蓮風 ほほう。

 岡本 で、ホテルで祝賀会するっちゅうわけや。

 蓮風 はい。

 岡本 で、「あんたもすまんけど発起人になってくれ」っていうさかい。喜んで行きました。

 蓮風 はいはい。

 岡本 これが段取りの悪い会でね。行った時にね、その場で挨拶せぇっちゅうわけですわ。そんなん挨拶みたいなことは2、3日前には言うとけや…と。

 蓮風 あっはは(笑)。

 岡本 今言うてすぐにはできへんがな。ふっと見たら文化庁の連中がいっぱい来とったんですわ。あっ、これはいいわ!と思って、散髪屋の話をしました、さっきの。

 蓮風 なるほど。

 岡本 散髪屋っていうたら誰も見向きもせんやろと。せやけど、もの凄い知恵と技術と力と日本人の真心と凝縮やと。

 蓮風 うんうん。

 岡本 こんな人らが何で人間国宝になったり、芸術院会員みたいな優遇を受けられへんのやと。日の当たる場所がいるのとちゃうかと。で、私は何よりも嬉しいのはね、今までただの石屋と思っていたオッサンの技術を国が認定したのと一緒やないか、こんな嬉しい事はございませんって言って降りてきたんですわ。

 蓮風 あー。はは。

 岡本 そしたらあくる日にね、左野さん饅頭持って飛んで来はったんです。「あんたの話が一番良かった」って。

 蓮風 あはは(笑)。

 岡本 でもその時聞いたらね。奈良からその飛鳥へ毎日解体に通いますわな。途中にね、枝振りのいい松の木あるそうでんねん、道に。失敗したら絶対この松の木で首つって死んだろうと思うて通ったって言いますねん。だから、左野さんは命がけで解体したんですわ。そやから私ね。この日本みたいに資源の無い国はね、これから世界に冠たる国として行くにはやっぱり知恵と技術が無いとあかんと。で、それにはね子供の頃から日本の技術やとか知恵っちゅうのは素晴らしいもんやっちゅう日本人の誇りをね、国粋主義になれっちゅうんじゃなくて、自分の生まれた家に誇りを持つ、自分の育った郷土に誇りを持つ、自分の学校に誇りを持つ、自分の師匠に誇りを持つ。

 蓮風 本当にいいものがあるのに、外ばっかり見て。

 岡本 外ばっかり。

 蓮風 はい。〈続く〉
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鍼灸師の藤本蓮風さんが「鍼(はり)」を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。春日大社の権宮司をつとめる岡本彰夫さんとの対談も6回目。今回は蓮風さんが若かったときの葛藤も打ち明けてくれています。目に見えないものは私たちにさまざまな影響を与えてくれているようです。お二人の話をうかがっていると、「目に見えないもののほうが大きな力を持つのではないか」「形とは一体、何なんだろう」という疑問が浮かんできます。私たちに見えるものなんて世界を構成するホンの一部なのかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 岡本 (蓮風さんが)こんだけ抜きん出てくるには、この道を究めて、きはった過程があると思うんですな。(具体的には)何を勉強なさったんですか?

 蓮風 最初は抵抗なんです。鍼を打ったり、お灸をすえたりしてね。治すのは治してる。それはわかるんだけど、華やかさがなかった。僕はどっちかというと派手な世界が好き。西洋医学がやってる、切った、はい治ったぞっていう世界が華やかに見えたんです、当時は。ところが、自分の方向と違う方向に行きかけたら、運命が止まってしまった。思うようにならん。今までは思うようになってた。やっぱり、先祖の力でしょうな。背いたとたんに全然患者に対する神通力のようなものがなくなった。それで、これは間違いやったんやなって。17、8の時までずっと病気がち。しょっちゅう先代に鍼してもらって助かった。そういう人間が、患いをもった人をどうして助けることができるか。悩みましたよ。それが無駄じゃなかった。それこそ、宗教とか哲学書をよく読みました。嫌っちゅうほど読みました。

 岡本 悩まんやつほど、どうしょもないの、おりませんもんね(笑)。悩んだやつは必ずどっか殻を破って出てきますからね。

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 蓮風 患者さんをね、1人、2人、10人と診ていく内に、「ははぁん、病気っちゅうのは、これの部分だな」ってちょっと見えてきたんですわ。今、先生がおっしゃったように、心や魂の問題から起こってるのが多いんです。本人は気づいていないけれども。それに気づいたとたんに私は元気になりました。そして、32歳から馬術をやりだしてもう一つ元気になった。人は“なんとか本願”と言うけど、私は“馬力本願”やなって(笑)。

 岡本 ふつう鍼の学校行ってみな鍼医者になりますやん。でも、鳴かず飛ばずの人がいっぱいおりますでしょ? せやけども、抜きん出て先生の鍼が効くっていうのは何が一番の理由だと思いますか?

 蓮風 やっぱり若い頃は自信がないですからね。その頃の患者さんまだ来てますねんけど、「先生若かったで。私、子供の頃喘息治してもらったで」って言うてくれますねん。それなりに道を求めてなんか、腕以上に効いたんとちゃいます?

 岡本 そこで先生ね、会得しはるもんてありますやん?

 蓮風 会得したものは、病気は治るということです。はい。鍼一本で必ず良くなるんだって信念みたいなもんができてきましたな。だから、難病だって聞いたらむしろ、チャレンジ精神が旺盛になって。

 岡本 職業に誇り持たんと絶対にダメですね。自信と誇りと確信とを持つっちゅうことがまず大切。せやけど、それ持とうと思ったらそんだけここ(腕)に自信がないと持てないですよね。

 蓮風 そうですね。やってもやってもダメやったらそれはできませんね。だからある程度できると、先生のおっしゃるように誇りとか、プライドみたいなもんができてくる。確かに人間は努力っちゅうんは大事なんやけれど、それだけじゃない。今、先生がおっしゃったように、背後にある目に見えないもんが大きく作用していて、自分が10の力だったら100の力まで持っていってくれるんですわ。だから、そういうことに知らん間に手を合わせていくという、そういうことに気づきましたね。

 岡本 それはわかる人やないとわからんですね。ここが難しいところです。わからんやつはなんぼしゃべってもわからない。

 蓮風 昔から教えている相当学問の出来る人に「お前、なんでも自分でやっていると思っているけれど、実は目に見えんもんがたくさんあって動いてるんや」と言ったことがあります。「お陰」ということに気づかないもんですから…。

 岡本 そこを会得するにはどうするか…。これは今言うてはる中に、ものすごくいっぱい秘訣がありますね。下手に聞いたら「なんかこの先生、宗教的にかぶれてはるな」と思う人がおるわけや。そうでないわけやな。せやから、なんか知らんけど、神と言うやら仏と言うやら、先祖と言うかわからんけど、人間の力の及ばぬものがあるんやわ。

 蓮風 前向いて歩いてるんやけれど、背中押してくれますわ。

 岡本 そうすると、後ろから押してくれるさかいに、追い風になる。せやから10の力が100にもなる。

 蓮風 ところが、ちょっとはずれたことを考えたりすると、力がいっぺんになくなります。ちょうど車のガソリンがなくなるように、アクセルなんぼ踏んでてもダメ。

 岡本 それには一つに「感謝」やな。それから「謙虚さ」っちゃうことやろうね。それと「腕に自信を持つ」こと「誇りを持つ」こと。こんだけつながったら先生みたいになれるけど、これがなかなかなれん。
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 蓮風 まぁでも、形のないものに目を向けろという話はものすごく大事なことで、東洋医学の世界は全く形のない世界で「気」という形のない世界が中心ですね。

 岡本 これがね、頭でわかっている人はいっぱいおるんです。ところが、会得するっちゅうことは「腑に落ちる」っちゅうこと。「腑に落ちる」ってことは「内臓に入る」っちゅうことやから、これはいっぺんやってこんとわからんちゅうことやな。

 なんで「神道」って「道」つくんかなって思ってましたけれど、日本は「剣道」「柔道」「茶道」「華道」ってみんな「道」つきますねん。なんで「道」つくんかなって思います。「医道」ってのもありますな。これね、いっぺんやって来いっちゅうことやっちゅうことに初めて、この頃になって気づきましてん。いっぺんやってきてね、踏んでこんとわからん。たとえば、ここにめちゃくちゃ熱い鉄板があって、真っ赤に焼けて、見ても熱いさかい触らへん。せやけど、これ、いつか触るんですわ。人間って悪いことすんなっていっても悪いことするんやから、ところが、いっぺん大火傷して「熱っ!!」って水膨れできたら二度と触らへん。これが「腑に落ちる」っちゅうことやね。今はみんな頭ではわかっとる。「あっ、そうやろな」って、せやけど腑に落ちてへん。自分がいっぺんえらい目にあってないからわからへん。藤本先生は下から這い上がってきはったわけや。だから腑に落ちた。だから心底鍼は効くって思ってはるねん。実践したけど間違いない。だから鍼は効く。

 蓮風 先生、これね、また自慢話になるかも知らんけど、北海道から肺癌で、血痰を吐いてね、息苦しくて息切れする患者さんが来たんですわ。最初は車椅子で来て、2日間治療を朝昼晩やって、うんと楽になったって言うて、ご飯が食べられる。最初の日、おにぎりを1つ食べて、昨日なんか2つ食べて、今日は他のをぼつぼつ食べられる。だから、形から見ると癌はあるんですけれど、形のない医学が形を制覇する。

 岡本 それすごいですな。

 蓮風 そういうのが、体感できるのでありがたい。普通のもんだったら怖がって触りません。

 岡本 せやから、毎日の治療でね、目に見えない偉大な力があるっていうことの証明を先生は体験してはるわけですね。

 蓮風 だから「よく見とけよ」って(弟子に言います)。よそではたぶん見れないからこれを見とけと。今すぐわからんかっても、必ずどっかで「先生はあぁいうことをほんまにやって見せたな」と、それが私の伝承ですわ。

 岡本 本当に教えることは至難なことやけれど、ほんまにこれこそ、腑に落ちて、会得してもらないかんから、この人ら(=蓮風さんのお弟子さんたち)も下から這い上がってもらわなあきませんわな。
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 蓮風 一種の修行ですな。それで、話が変わるんですが、私、春日大社のお祭りのNHKのハイビジョンで撮ったやつ、2時間かな、先生も出てこられて、あれを見て非常に感動しました。

 岡本 あれ、実はね、NHKにね、川良(浩和)さんっていうプロデューサーがおって、この人がNHKスペシャルを150本以上撮った人なんです。この人のやり方は違うんです。半年間勉強にくるんですよ。

 蓮風 神道の?

 岡本 はい。とにかくものを読む、それから体験する、これを半年やるんです。その次に…。

 蓮風 先生等と一緒にですか?

 岡本 そうです。泊まりがけで。それで、いろいろな体験をするんです。それからね、今の世の中でなぜこれをやる必要があるのかを求めるんです。その時点で初めて台本を書きはる。ただね、川良さんが来られたとき私は申し上げたのはね、神様ってのは目に見えない御存在だと、見てはならないものであると。それを映像で記すことは至難の業やと、けども神の気配というものはあると。それを川良さんはお撮りになりますか?って言ったら、やってみますって言ったのがあの番組の出発点なんです。

 蓮風 あれはね、真夜中。真夜中の1時、2時、3時、ずっと春日大社にあるいろんなお宮さんに全部挨拶に行って、お供えものをして、僕は詳しいことはわからないけど、敬虔な祈りがずうっと続くんや。そしたら、白々と空が明けていく。

 岡本 それもね、人に一切宣伝せぇへんかった。1200年間密かにやっているわけ。まぁね、遣唐使が持ってきた菓子をね、未だに作ってるんです。月に3回。「唐菓子」と言って。せやけども、1200年間ずうっと伝わっているわけです。その川良さんって人の偉いのはね、撮影しに歩くわな、その時にコード持って走っているお兄ちゃんまでそこに座らす。ふつうは担当者出てこいと、責任者にこうこうこうだから、みんなに言っとけよってこれで終わりますわな。あの人は全部座れって、そこで1時間半から2時間しゃべってくださいと。コード持って走っているお兄ちゃんまで、なぜこの映像を撮らないかんかっちゅうことが腑に落ちるねん。そしたらね、映像を普通の3倍撮ってね、始末書出しはったらしいです。ところが、聞いたらね、あの人は毎回始末書出してはるみたいなんです。その中からエッセンスだけを取る。
 ※注 1947年生まれの川良さんは現在もフリーランスの作家兼ドキュメンタリープロデューサーとして活動中で、ご本人に確認したところ「(映像は)普通の基準が難しいですが、3倍というか…。3倍から5倍は撮ってました。始末書を書いたというのは伝説で、正確には、なぜこんなに撮影しなくてはいけなかったかという説明のようなものを書かなければならなかったんです」と笑ってらっしゃいました。(「産経関西」編集担当)

 蓮風 映画監督の黒澤明って人がいましたね、あの人もものすごい撮るみたいですね。西洋でやってた、古典劇の、なんやったかな、馬の競走シーンありますやん? 戦車に乗って。あのシーンをね、実際映像を流すの15分ほどなんですよ。勝った負けた言うのはね。それを何時間も撮る。そん中で一番良いのを使う。黒澤明もそうみたいですわ。だから、あまり金にならんからね、「椿三十郎」をやった三船敏郎も仕舞いには逃げて通ったらしい。

 岡本 (費やす金が)安いってのはろくなもんにならんのですわ。でき上がりはやっぱり悪いですわ。

 蓮風 安もんですね?

 岡本 安もんですわ。本物はやっぱりね、時間も費用もかかってるんです。それだけに、ええ結果出てきますわ。

 蓮風 それはやっぱり「まこと」が通じるからですな。〈続く〉
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 鍼灸師の藤本蓮風さんが「鍼(はり)」の本当の姿を伝える「蓮風の玉手箱」をお届けします。春日大社の権宮司をつとめる岡本彰夫さんとの対談の5回目となります。今回は一言でいうといつも以上に「生きるコツ」が満載です。岡本さんの意外な過去の思いや名人芸にまつわる話…。もしかして悩みが思ってもみなかったことで解決するヒントになるかもしれませんよ。岡本さんの名人芸ともいえる話術が文字では、うまく伝わらないのが残念です。(「産経関西」編集担当) 

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 蓮風 よく患者さんでおるんですよ。「私は無駄な人生を送ってきました」っていう人が…。「あんた何を考えてんや。もし本当に無駄って思ったらもう全てあんたの人生何もないんやで」っていうんですどね。

 岡本 (対談の場にいる蓮風さんの弟子達に向かって)本当にね、皆さんもせいぜい寄り道せなあきませんで。最短距離っちゅうのは一番遠いねん。誰でも楽な方向に行こう思てる。最短距離行ったらえぇ思てるけど、最短距離はどう考えても失敗する。だからあっちで頭打ち、こっちで頭打ちした方がね、最終的にはえぇとこいきまっせ。えぇお弟子さん揃てはりますね。
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 蓮風 素直な子達です。

 岡本 私ね、50(歳)過ぎたとこでね、いっぺん神主辞めよかな思たんです。

 蓮風 あーそうですか。先生何年生まれですか。

 岡本 (昭和)29年なんです。

 蓮風 はぁそうですか。

 岡本 ほんでね、だいたい50までにやらんないかん仕事ってひと通りしてますわ。50過ぎてね、してへん奴は60になっても70になってもでけへん思いますねん。ところがね、振り返ってみたらね、さほど他人様のお役に立てる事できてないしね、いっぺん50でね、仕切り直してもう一回人生歩めるなと思たんです。70まででもあと20年あるしね。自分はもうこの道を歩んで来ていっぺん卒業さしてもろて、今も道半ばですけど、全然違うことやってもえぇなと思たことあるんですね。せやけどなんやかんやしててグズグズしてて、よう飛びませんでね。結局今思てますのはね、後進の育成しかないなと思うんですよ。人材を育成していきませんとね、いろいろな勉強したかて、伝わっていきませんもんね。

 蓮風 そう、それなんですよ。だから我々の方では伝統医学、伝承医学を伝えてきています。特に今言いたいのは、我々のバイブルは『素問』『霊枢』。2500年前の書物です。それが未だに我々の周りにおる人達の病気を治す原理なんです。凄いですよねぇ。そういう医学なんですよね。

 岡本 だからそういう点ではね先生、えぇお弟子さん育てておられるのでね、お幸せやなぁと思て。

 蓮風 でも、頭も打ちます。いろんな意味でね。こういうことなんだがなぁ…、違うんだけど…っちゅうことがありますけどね、しかしそういうことも含めて、まさしく私自身が"おかげ"を受けてるという風に思います。はい。ほいで50歳で道を変えようと思ったけどまた思い留まりはった。

 岡本 はい。よう飛びませんでした。いや私もね、よう知ってる人で飛んだ奴がおるんですよ。それが某新聞社のね、企画部長を目の前にして、「企画部長になれ」って言われてんのに辞めた人がおってね。それがずーっと展覧会の世界におった人なんです。お金のあるとこはね、展覧会せんでもえぇっちゅうたんですよ、その人は。それよりね、そのお金もなくて困ってはるとこの展覧会をして、いかにこういうものが世の中に守り伝えられてのこっててと、いうのを出してあげたい、と言うてその人は会社を辞めました。同い年でしてね。ちょうど50の時に辞めてね、自分で会社立ち上げてやってますわ。せやからだいたいね、人生50年って言いますのは、一つの節ですね。うん、やっぱり寿命でなくて仕事の節目。だから50過ぎたら、ものの考え方を変えていかなあかんねんなってずっと思ってますねん。とにかく今私も及ばずながら後進の育成をさして頂けたらこんな有り難いなと思てますねん。

 蓮風 なるほどね。

 岡本 せやから先生らこないして実践してはるから大したもんやな思てます。

 蓮風 「鍼狂人」と自分でも言うてるように、鍼の事しか考えとらん単純な頭やから、他が見えないんですよ。その中でね、2500年も続いてきて、その原理で未だに人を治せるっちゅうので、毎日が愉快で仕方がない。

 岡本 一芸と言いますか、ひとつの道をずーっと来はった人の生き方とか、哲学っちゅうものはものすごく面白いですな。

 蓮風 そうですか。
岡本26
 岡本 そういう意味では、これは余談ですけれどね。芸談読んだら面白い。

芸人さんの話。こんな話がある。鶴沢道八っていう三味線弾きがおる、文楽に。

 蓮風 それは東京ですか?

岡本27
 岡本 いいえ、大阪でね。明治か大正くらいの人ですわ。その道八がね、『道八芸談』という本を出しておるんです。この人の師匠が日本の文楽の三味線引きの中で最高峰っていわれた豊沢団平。もう空前絶後の三味線引きやった。「団平の前に団平なし。団平の後に団平なし」っちゅうぐらい素晴らしい人。この人ね、普段暇があったらずっと指の爪をずっとトントンと叩いていいる。爪を固めるためにですよ。だから風呂につけたことないっていう。四国の金比羅さんを大変信仰していて、死ぬときにね、金比羅さんのこと語る談で死んでるんです、脳溢血起こして。
 それが(仇討ちものの)『田宮坊太郎』の話。お辻っていう乳母が坊太郎を育てる。その子になんとか(親の)仇討ちをさせてやりたいっていうので、お辻が寒い寒い時に水かぶって「南無金比羅大権現」、「その子に仇討ちさせていただきたい」っていう場面、それ弾きながら死ぬ。その豊沢団平のところに道八は弟子入りするんですわ。

 『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』っていう芝居があるんです。それは、奈良の五条に半七っちゅう男がおって、大坂(大阪)の酒屋の娘のお園のところへ入り婿する。お園が16なんです。半七は入り婿するねんけど、女がおる。新町に三勝っちゅう芸者がおる。そこに入りびたって帰ってきませんねん。それで有名な「酒屋の段」というのがあって、店先に行灯が灯っていて、お園が出てくるわけ、それでなんぼ待っても半七が帰って来いひんさかいに、お園の口説きっていう有名な一節でね、「今頃は半七さん。どこでどうしてござろうぞ」って有名なところがある。
 「今頃は半七さん」ってところで、三味線が「ツーン」ってひとつ、それをね、道八は団平の前で何万回弾いても、師匠は「うん」とは言わへん。「あかん」って言う。もう、気狂う程弾いたって、一つだけやで、「ツーン」っていうだけ。「うん」って言わへん。何年も経っても「うん」って言わへん。それで、もうあかんってことで旅に出るわけ。九州を巡業に歩いた。くたくたになって帰ってきてね、木賃宿の煎餅布団の中に潜り込んで寝ようと思ったんです。寒い寒い時に。そしたらね、どこからともなくね「チョビーン」っていう音が聞こえてくるねん。それが、身の毛もよだつほど寂しい音やった。それがどこにあるのか探し出したら、裏庭から聞こえてくる。裏には大きな古井戸があって、つるべがかかっとった。ひとつ上に跳ね上がっとって、ひとつは下にある。この上のつるべにたまった水が深い井戸に落ちていきよる。その音が「チョビーン」っちゅう音や。「これや!この音や!」と思ったらしいわ。それを帰って師匠の前で「ツーン」って弾いたら、それからは「あかん」とは言わんようになったっちゅう。この名人同士のせめぎ合い。ひとつのことをずーっと追求してきた人っちゅうのはね、神業を起こすんやわ。

 それはな、とんでもないところに気づきがあるっちゅうこっちゃ。だから、算数の答えは国語にあるかもわからん。国語の答え算数にあるかもわからん。私だってそうや、今日ここに来させて貰って、藤本先生と話してたら、神道の答えが鍼にあるかもわからない。で、東洋医学の答えが神道にあるかもわからない。関係ないと思ったらあかんねん。我々だってキリスト教の人と話していてわかることだってあんねん。「あぁ、なるほど!」って。せやから勉強の中に無駄なんてない。それだけに常にやね、問題意識をもって歩いてなきゃあかんねん。問題意識を持って。そしたら、どこかで気づくんやわ。

 蓮風 これは先生、うちの弟子どもにいいお話聞かせて貰って(笑)。

 岡本 先生、うちの息子も言うこと聞きよらへん。よその人の言うことは聞くんやわ。いつもこのお弟子さんらも、ありがたみがわからんのや、先生の。だけどな、たまによその人の言うことを聞いたら頭に入ってくる。そんなもんやで。いっつもおったら、つい甘えがある。聞きゃあ教えてもらえる、見せてもろうたらわかるって思うさかいに、そこが甘いんやな。どないしたって、そこにゆるみが出てくる。だから、たまにこういうような全然違う世界の人の話を聞いたら、勉強になることがある。

 蓮風 まったくそうですね。

 岡本 すごいですよ先生。名人や。

 蓮風 とにかく毎日ね、鍼を持って患者さんに対応するのが、ものすごい嬉しいんですわ。

 岡本 まさに一芸や。

 蓮風 いやいや。なんで先生そんなに面白いんかっていうと、毎日同じようなツボで、同じような鍼をするんやけれど、そこには新しい発見がある。それが面白い。それでずっときました私。若いとき喘息一つ治せなかったんですよ。

 岡本 若い頃から鍼を目指さはったわけですやろ?

 蓮風 それがな、14代も続いてまんねや。古い古い家なんです。

 岡本 お父さんも鍼師ですな?

 蓮風 そうです。代々そうなんです。代々つなぐDNAは、酒飲みやゆうことです(笑)。
続く〉

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「鍼(はり)」の本当の姿を探る「蓮風の玉手箱」は、春日大社権宮司の岡本彰夫さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の4回目をお届けします。今回は嘘が通らない霊妙な世界から本当の芸術家の“条件”まで、幅広いテーマで東洋医学についての話が展開されています。本当の自分を感じることが病気を防いだり、健康になったりする秘訣かもしれません。でも色々なものに所有している現代人にはなかなか容易ではないようです。では、いかに「捨てる」か…。そのヒントが明らかにされています。(「産経関西」編集担当)

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 近頃、とみに思うんですけどね、形のある世界っていうのは嘘が通用しますわね。

 蓮風 まぁそうですね、ごまかせますね。

 岡本 形のない世界っていうのは嘘が通らない世界なんですよね。

 蓮風 普通一般の人達はその反対のように見えるんですよね。
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 岡本 だからね、ある人は「あんた気楽やな、神頼みして」って言いますけどね、その逆でね、嘘が通用しない世界と接するわけですわ。そうするとそこにね、計算とか打算は持ったらいかんわけですな。我々でも人とお付き合いするのに、あの人とお付き合いしたら、得か損かっちゅうことでお付き合いする人ばっかりですわ。だから、こけたら誰も寄りついてくれしません。一目散に逃げていく奴はおっても、助け上げてくれる奴っていうのはおりません。

 せやけど目に見えない世界っていうのは嘘が通用しない世界ですから、神や仏や先祖に対してね、見返り求めたらダメなんですな。だから無償の愛をね、捧げ尽くす。代償のない愛を捧げ尽くさないと、この世とあの世の壁は破れません。せやからこれほど難しいことはない。「神頼みは楽やろ」って、そんな馬鹿なことはない。かえってしんどいですよ。

 蓮風 たくさん患者さんを診てきたし、今も診てるんですけどね、「あんた感謝が足らんな」と言うことが多いです。ありがたいっていうのを漢字で書いたら「有ることが難しい」。そのおかげで頂いてることに対して目が向けられない人が多いんです。もう自分が心からうれしい、ありがとうございましたという言葉が出てくる、これが大事やと私は思う。

 岡本 おっしゃる通りですね。

 蓮風 感謝の気持ちのある人は早く治ります。これ正直なもんですわ。それが足らんとね、まさしく気が枯れて「ケガレ」の状態になってしまう。結局、そういう感謝の気持ちがないと生命力というか人間の器なんかが活き活きしてこないという風に思うんですよ。患者さんは「あっちがつらい、こっちがつらい」と言う。せやけど、理由もなしに悪くなったんではなく、「あんたの日頃の所業が間違っとるからや」という話をよくやりますね。実際たくさん体験するとはっきり出てきます。まずその人の精神の高さというか、魂の、気位の高さというか。今おっしゃるように、物ばっかり見て、お金の高さでばっかり見てる人たち は(精神の高さが)低いです。それを高めるのはなかなか難しい。

 岡本 そうですよねぇ。

 蓮風 (漢方医学のバイブルの)「素問」にも関する話ですが、医者にも生活習慣に目を向けていく「食医」や、一般的な医者にあたる「疾医」というのがあります。

 岡本 ほうほう。

 蓮風 食医のほうがレベルが高いんです。

 岡本 なるほどねぇ。

 蓮風 せやけど今、食医のようなことは、なかなかできない。もう生活習慣病にまみれきってる人達がほとんど。だからそのためにまず救いとしては身体を楽にしてあげる。私の弟子にもいろいろ迷い人が多いんで、鍼をしてやる。うっとりして寝だすんです。鍼をし終わって「はい起きてごらん、ほら、今のあんたが本当のあんただよ。雑念にまみれてるのは本当のお前じゃないんだ」と言ってやるんです。

 岡本 なるほど。

 蓮風 だからそういう意味でね、肉体の問題は、今の世にはむしろ大事で、それが落ち着いてくると勝手に、感謝とか、有り難いとかそういう気持ちが起こってくるように思うんですわ。だから内と外の問題ですから、一つと言えば一つなんですけど、人を救うにはいろいろな方法があるみたいです。だけど、僕らが春日大社にお参りに行った場合に何を一番感じるか言うたら、なんか神々しい感じなんですよ。清々しい。それがもの凄い有り難い。そういう気持ちを大事にしてまた患者さんにあたれる。だから自分をまず神々しいというか清々しい気持ちにさしてもらうっちゅうのは非常に有り難いですね。

 岡本 充電して頂かないといけないですもんね。

 蓮風 そうそう、そういうことですね。

 岡本 やっぱり接しておられる方が全てそういう気を持ったりとか、いろいろな方がおられるから、それだけに治療される方は常にどこかで充電を、清らかな気を充電して頂かないと。

 蓮風 まさしく疲れてきます。その疲れも肉体的な疲れは、それこそまた鍼とかでできますけどね、魂はそうはいかない。何かで覆われてくるんですが、やっぱり神さんに参ったらたらスッとしますな。仏さんをお参りするとか、先祖参りするとやっぱりだいぶ違いますけどね、一番清々しいのはやっぱりそれこそ春日大社さんの清々しい雰囲気。だからやっぱり大事なんですね、建物とかその場所の感じとかね。

 岡本 何千年も前からの霊地ですからねぇ。いやそれだけにね、本物がどこにあるのかっちゅうのが、これが一番の考えどころでしてね。せやからマスコミに出てるのが本物だというのは疑問やと思うんですな。むしろ本物の人ほどね、隠れたとこにおられてね、そもそも偉い人っちゅうのは偉そうにしませんわね。偉いから。
岡本21
 蓮風 ほんまに偉い人はね、そうそう。(偉そうに)する必要が無い。

 岡本 偉そうにする奴っちゅうのは偉くないから偉く見せる為に偉そうにするんで。だから本物っていうのはそんなにかき分けて人前も出て行かないし、自分に自信がある。本物を持ってはるさかい。そういう人にめぐり会うっちゅうのは難しいですわな。でむしろそういう人でない人ほど表に出ていくので、ついそっちが本物かと思いますけど。

 蓮風 それはね、我々の業界でもそうなんです。

 岡本 でしょうね。

岡本22
 蓮風 はい。もう鍼も何も持たんとね、ただこう知識だけでね、ベラベラ喋ってる。それ本人はいいんですよ、それで。だけどそれを聞いた学生がね、その嘘ばかりの話を信じよるんですわ。で我々はもう何十年やってきて「鍼というもんはこういうもんやで」って言うんやけどなかなかね。まさしくそういう邪気に覆われて。ハハハ。だから今おっしゃるようにね、なかなか真実いうのは通らないけど、しかし根気よくね、それを思い続けて実践してるとやっぱりなんか不思議な力でね、なんか起こってきますね。

 岡本 で、また巡り会えますね。そういうことを思っていれば。

 蓮風 このコーナー(「蓮風の玉手箱」)もね、うちの漢祥院(=蓮風さんが治療にあたっている「藤本漢祥院」)にたくさん奈良の著名人が来ておられるので、一人ずつね、対談さしてもらって、それで啓蒙運動しよかと、いうことでやったんです。これも今言うように自分から求めたんじゃなしに、知らん間にそういう縁を頂いて、本当に有り難いですわ。だから鍼に関してはねぇ、もう「鍼狂人」と言うぐらいで、狂っていると思われるほど没頭していると私も思うんですよ。だけどそれはね、たった一人でできないです。あらゆる環境がね、整わんと。

 岡本 だから、職人みたいな人やないとできませんね。私ね、芸術家と職人は違うと言われるけど、ただの芸術家っちゅうのは薄っぺらいと思うんです。職人が芸術家になるべきでね。だから、(書家の)榊莫山(1926~2010年)っちゅう先生ね、あのおもしろい字書きはると思てたら、なんのことない、楷書を書かせても一流、行書を書かせても一流、かな、書かせても一流。その人が捨てはった姿があれですからね。

 蓮風 なるほどねぇ。

 岡本 あれだけ習いに行く奴おるんですわ。あれはそうでなくてね…。

 蓮風 その結果ですね。

 岡本 結果ですわ。あの先生はあらゆるものやって、持つだけ持って、それで捨てはって、残ったもんがあれですわな。だから私ね、無駄やけどね、これからの若い人らにも言いたいんやけど、持つだけ持ったらいいと思うねん。なんでも。ほんでね、いつか捨てなあかん時くるんですわ。その時ね、何を捨てても大事なもんは残るねん。それが本物やわ。

 せやから(蓮風)先生はいっぱいやらはって、それで捨てはった形が今やと思うねんな。せやから本物残ってんねん。だからそれがね、時間がかかるねん。なんぼ真似しよと思ても越えられへんわけ。弟子は師の半分ちゅうねん。越えられへんねん。そやから師匠から学んだもんを今度はどのようにして自分が熟成さしていくかっていう、これが腕の見せどころやね。それにはね、無駄なもんなんてこの世にあらへんわ。〈続く〉

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