蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)も今回で最終回。若いドクターや鍼灸師への佐々木さんからのメッセージが中心となっています。医療には技術は必要ですが、やはり、人々の魂にふれるような取り組みが必要だというのが、おふたりに共通した思いのようです。それがオカルト的な考えでなく、現実に対応した姿勢だというのは、これまでの対談で実感していただけるのではないでしょうか。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 佐々木先生は宗教家でもありながら医師でもあり、藍野大学短期大学部学長という教育者でもあります。これまで色々な、お立場で突き進んでこられたわけですが、その経験や視点から若いドクターたちに、こうあってほしいというご意見がありましたら、お聞きしたい。

 佐々木 言いたいのはやっぱり日本人の心の奥底にある本質って言いますか…。

 蓮風 はいはい。そこがテーマですね。

 佐々木 そのへん非常に難しい。やはりそこに関わらないと日本人の本当の医療っていうのは僕はなかなか得られないんじゃないかと思いますね。ですから、先生にお話ししたように、先生はそういうことされてると思うんですよね、一つは。だから鍼灸もですね、いわゆる、その本質的なところに関わっておられる。先生がですよ。

 蓮風 いえいえ。

 佐々木 ですからそれもアプローチの一つですし、少し本(『臨床現場の死生学 関係性にみる生と死』法藏館刊)にも書きましたけど、僕が最近、取り組んでいるテーマが<死>です。<死>についても、日本人独特の勘、感性って言いますか、捉え方とかありますんで、それはやっぱり医療に関わってきます。これは日本人論にも関わってくることかもわからないんで、僕の手にはとても負えないですけどね。

 日本人の心の奥底に眠っている本質的なものは何なのかっていうのをもう少し考えていかなくちゃいけないだろうと思うんですよね。そういう意味では、ドクターとか鍼灸師の先生方も同じやと思うのですが、色んなこと、たとえば宗教であれ、文学であれ、芸術であれ、色んなことに目を向けてほしいって言うんですか、チャレンジして欲しい。

 蓮風 そうですねえ、なるほどねえ。

 佐々木 だから単なる医学馬鹿と言いますかね、医療だけやってたらいいというわけではなくてですね、そういうことが必要やと思うんですよね。で、そのために色んな経験をやはり積んでいただいて、視野をやっぱり広く持ってほしいなと思うんですよね。

 蓮風 視野を広くね。

 佐々木 僕は生まれた環境が割合特殊ですから、ニュートラルにものが見れて、あんまり偏見がないんですよ。宗教にも、それはあんまりない。宗教の怖さもわかっていますけれどもね。あるいは東洋医学とか鍼灸に対しても全然偏見がないんですよね。

 蓮風 そのニュートラルこそが老荘思想ですね(笑)。

 佐々木 そうそう、それがね中庸ってことかもわかりませんし、老荘思想につながってくるんでしょうけど。だから、視野を広く持つってことですね。で、もう一つは実際、ドクターであれ鍼灸師であれ関わる患者さんは、ほとんど自分より年上、年輩の方が多いですよね。そういう患者さんは色んな人生経験を積んでおられて、深いものをお持ちなんで、やはりこう、それに対して敬意を持ってですね、非常に敬意を持って接して、人生観とかその人の持ってるものを吸収してほしいなと思うんですよね。

 蓮風 なるほどね。

 佐々木 鍼灸師の方にね、特に若い鍼灸師の方に僕がお願いしたいのが、鍼灸医学の支えになる思想とか哲学を学ぶ、僕は、それをやることは当然だろうと思ってたんですけど、先生と前に話をしたときにちらっと、「いや、そんなことしてる人、あまりいないよ」って仰ってた。

 蓮風 だから僕らみたいな暴れ馬が出てきて“いななか”なければあかん(笑)。

 佐々木 僕は、鍼灸は全くド素人ですけど。技術も大事です、でも技術だけを追うんではなくてですね、その土台にあるものに、やはり目を向けてほしい。

 蓮風 そうそう、その土台にあるものがしっかりしてるから技術も上がるんですよね。
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 佐々木 先生は物凄く名医でいらっしゃるんで、凄い技術はお持ちやというのは分かるんですけど、ただそれだけで、先生の治療がこれほど成果をあげられているとは、僕は考えられない。やはりそこに土台がおありだから、魂に触れられるんだろうな、と思ってますね。

 蓮風 今、先生のお話を聞いとったら思い出した、ある哲学者が言った言葉なんですが、「医師にして哲学者たるは神に等しい」という。今、先生はお考えがあって、まとめておられることはそういうことかなと思うんですよね。だから技術はもちろん大事やけど、その土台を成す思想、哲学、そして常に哲学的な考え方を持ってるかということ自体が、これはもう普遍的な力だろうと言ったことがあると思います。

「医師にして哲学者たるは神に等しい」は、医聖ヒポクラテスの言葉である。(「北辰会」註)

 佐々木 そういう時、あんまり表に出し過ぎるのも…ね、先生。それはもう押し付けみたいなもんで。ただこう自ずと、僕も十分できてないですけど、自ずとそこから湧き上がるね、香りって言いますか、薫習(くんじゅう)って言い方も仏教ではしますけども。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 そういうことが患者さんを救えるって言いますか、先生にはおありだと思うんですけども。

 蓮風 いやいや(笑)。

 佐々木 「(藤本)漢祥院」の玄関に入っただけでなんとなく落ち着くっていうのは、その香りって言いますかね。湧き上がる…、何て言いますかね。そういうものっておそらく大事で。それにはやっぱり経験を積まないと。

 蓮風 ああ、そうですね。

 佐々木 うーん。でもやっぱり技術だけではないんだっていう、そういう心という言い方も良いかもしれませんね。

 蓮風 そうですね。先生、長時間にわたり、色々非常に面白い話になりました。私も非常に乗ってきて時間も忘れるぐらい話しさせてくださり、有り難うございました。

 佐々木 いえいえ、有り難うございます。<終わり>

次回からは、医学博士で東北大学大学院医学系研究科講師の関隆志さんをゲストにお招きした対談をお届けします。


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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)をお届けします。前回は日本の共同体や宗教の話題が中心でした。10回目の今回は、日本と海外との関係について考察が及びます。日本が欧米を手本にして近代化するなかで得たものは大きかったですが、失ったものは何なのか…。歴史観も含めて意見が飛び交っています。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 ヨーロッパは工業的な部分が発達して、かつて燃料の石炭の煙がすごかった。「霧の都」と言われるロンドンの霧をさらに濃くしていったわけですね。幕末に日本から行った連中は、そういう光景を見て「日本は生産力が弱い、ヨーロッパに追いついて追い越さないと」という発想になった。これに日本は近代化という名前を付けておるわけですね。

 佐々木 そうそう、そうですね。だから最初に「洋魂洋才」という言い方をしましたけど、あれぐらい徹底的にやったことが中国や朝鮮半島を遥かに凌ぐ勢いで近代化できた理由ですね。近代化というか西洋化ですよね。ただしその分失ったものも多いんじゃないでしょうか。その反動が色んな面で出てきてる。先にも話が出た「オウム真理教」の問題でもそうですけども、そういう宗教的なものが、もうみんなわからんようになってきてしまってる。

 蓮風 何が宗教かがわからなくなってきてる(笑)。

 佐々木 そうそう(笑)。で、あるいは東日本大震災後の問題とかですね、色んな問題が日本で出てきてるのはやっぱりそういう失ったものの…。

 蓮風 そうですねぇ、先生の話を聞いとってつくづく思うんだけども、近代日本を創った、時の明治政府。これはね、東南アジアでは最も模範的な国として崇められて、だから近代中国を創った孫文とか、みんな日本へ来て学んでいた。

 佐々木 そうですね。

 蓮風 今、私ね、ちょうど中国語を学んどって出てくるんですけど、孫文らが学んでいた時代のね、日本の言葉が中国語になってるんですよ。だから近代の、東南アジア、まぁ東アジアを日本がどうも先導しとったみたいですね。

 佐々木 だから、やはり明治から大正ぐらいまでの日本って、パワーみたいなものが今よりもあったんでしょうね。

 蓮風 その中で日本は先導者やから西欧…欧米の列強にやられちゃいかんという意識が非常に強くなって海外に進出していった。この間(あいだ)、台湾行ってきたんですけども、日本人を嫌ってるか言うたら嫌ってないですよ。日本が統治してくれたおかげで我々の文化は上がったんですという声も聞きました。だから日本語を喋るのが上手い人が多くて、中国語を喋ろうと思ったけど必要なかった(笑)。

 東南アジアなどに対して日本は悪いことばかりしたという自虐史観のような見方がありますけど、そんなことはない。確かにね、占領なんかは善くないかもしれない。でも、副産物として、意外と良い文化を遺してるんですよ。たとえば、台湾にある漆の文化。日本に学びながらもっと良いもの作ってますよ。この間見てきたけど、あれ日本人が教えてくれたって言うんですよ。だから、本当に歴史を正しく知るっていうことは公平に物を見ないとできない。さっきの話やないけど、極端に行っちゃいかんのであって、ほどほどに見とかんと見誤りますね。
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 佐々木 台湾も含めて中国を理解していくという姿勢が今の日本から薄らいでいますね。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 僕らの小さいころはまだそういう意識があったんですけどね。やっぱりそういうのもなくなってしまって、逆に偏見が強くなっちゃってるような感じですね。だから、いわゆる中国文化、あるいは東洋哲学、中国哲学と言いますか、そういったことももっと勉強すべきなんだろうなとは思いますね。

 蓮風  私は中国の広州中医薬大学の人たちと交流をしています。年賀状を送り合ったりなんかしています。そしたら先日、中国語の杉本(雅子)先生(帝塚山学院大教授)宛に中国からメールが来たんです。その中で非常に良いこと言ってるんですよ。最近色々、日本と中国の関係はよくないといわれている、だけどこれは非常に短い期間のことであって、日本と中国の長い長い歴史の上から見れば、本当は友好の方が勝ってるんだっちゅうことが書かれていたんですね。中国人は上手いこと言いますね(笑)。私は感動したんやけどもね。

 佐々木 僕も浅はかな知識ですけど、日本は今おそらく中国を、仮想敵国みたいにしてます。でも、そんな時代ほとんどなかった。いわゆる日中戦争の前には、非常にこう、友好国としてやってる。で、日本人の土台を作ってるのは、仏教もありますけどもやっぱり儒教であり、あるいは老荘思想。これはやっぱり日本人に物凄い影響を及ぼしてますんでね。

 蓮風 大きいですよね。

 佐々木 そこがやっぱりわからないといけない。仏教だけが日本の精神の基礎を成しているということは絶対にない。それに日本独特の神道というのがありますし、そういう中で中国の影響って物凄く大きいんです。それに先生が、おっしゃった話でもわかるように、物事のスパンの見かたが長いんですよね。日本はそういう力が弱いですが、中国は、三千年の歴史の中でそれを見るんでしょうね。

 蓮風 たぶんそういう発想があるから、そら喧嘩あるけども短いもんで、長い目で見だしたら友好なものが勝ってるんだっちゅうことを、上手いこと言いますわ。

 佐々木 ですよねー。<続く>


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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の第9回をお届けします。前回は日本に“移植”された「西洋医学」と、その背景にある「個人主義」との齟齬について話が進みました。今回は農耕民族の共同体意識がテーマです。仏教ですら日本的に変容して拡大してきた実情が説明されています。それは単純な日本民族の特殊性ではなく、風土が生んだ人間の身心や生活形態の自然の流れとも言えそうです。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 個人主義の話をうかがっていて今、パッと頭に浮かんだんですけど、僕が子供のころに「とんとんとんからりと隣組♪」っちゅう歌がありまして「あれこれ面倒味噌醤油♪」…それを助けられたり助けたりっちゅう、そんな内容なんですよ。あれは先生がおっしゃる共同体意識が非常に強い発想だなと思うんですよね。だから昔は家でもあんまり鍵掛けてないですよね。今はもうマンションなんか入り口からオートロックで、みんなパシャッと掛けてるけども。

 1940年(昭和15年)ごろから、戦時体制において導入された制度の一つである「隣組制度」を宣伝啓発する内容の歌。隣組制度は廃止されたが、メロディーが陽気であるため戦後も歌われNHKのテレビ番組の主題歌としても使われた。(「北辰会」註)

 佐々木 そうそう、僕の田舎ですとね、お葬式を仕切るのは特に隣組ですね。いわゆる隣親戚といわれるものですけども、本人も血が繋がった親戚なのかわからない、昔からここは親戚やと言われてる。

 蓮風 そうそう。

 佐々木 葬式になると一所(ひとところ)にまず集まってきて、どうやろかっていうことで、みんなで助け合う。互助体ですね、いわゆるね。

 蓮風 互助体ね、あの頼母子(たのもし)とか。

 日本の金融の一形態である。複数の個人や法人等が「講」などの組織に加盟して、一定又は変動した金品を定期又は不定期に講に対して払い込み、利息の額で競合う競りや抽選によって金品の給付を受ける。地域によって「無尽」「無尽講」「頼母子講」等ともいう。(「北辰会」註)

 佐々木 そうですね、ですから冠婚葬祭すべて共同体で取り仕切っているっていうのがやはり日本の伝統ですよね。ところがその中に個人主義が入ってきます、戦後…。そうすると、わけが分からんようになって、日本人にとっちゃ。なんか個人主義っていうと先生がおっしゃるように一人でなんかやるのか、あるいは悪い意味で言うと利己主義的な、自分が勝手にやるのが個人主義だという間違った認識というか…今でもそうなんですが、そこらへんのズレみたいなものが、まだあるんだろうなと思いますね。

 蓮風 やっぱりねー、さきほども、ちょっと申し上げましたが、人間は生きてるんだけども、後ろから支えられているという意識と、いや何が何でも俺が生きてるんだというのと、大きな違いができてくる。これも一つの宗教性かなと思うんですよね。

 佐々木 そうです、そうです。

 蓮風 極端に論を展開してみると、農耕民族というのは嫌でも共同体でないと集団や社会が維持できないですよね。狩猟民族とかそんなんも、ある程度共同体でないとできないけど、農耕民族ほどじゃない。農耕民族は、いつ種をまいて、いつ収穫して、いつ肥やしをやるかっていうことを心掛ける。それから発達したのが暦なんですよね。それが実は易経の思想の根本的な部分になってくるんやけども、そうするとどうしてもこの共同体的な発想でないとできない。

 佐々木 仰る通りですね。
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 蓮風 で、この個人主義が発達するとセルフィッシュになって利己主義というか…。

 佐々木 そうなってくるんだと思うんですよね。僕も、先生は極端とおっしゃいましたけど、農耕民族と共同体の関係はその通りじゃないかと思います。だから浄土真宗がですね、あれほど日本で広がったっていう事実。実際、織田信長がもし徹底的に弾圧をしなければおそらく、歴史学者も言ってますけど、浄土真宗の、まぁ日本が一つの宗教王国みたいになってた可能性もあるんですよね。

 蓮風 はいはい。

 佐々木 なぜそんなに広まったかっていうと、一つはお釈迦さんっていうのは、どちらかというと個人主義的なところがあるんですよ。都市国家で生まれた都市仏教なんですよね、お釈迦さんの仏教というのは。けっこう個人主義的な、自分の心をどう捉えるかに主眼を置いているんです。

 蓮風 そうですね。原始仏教典に『ダンマパダ』というのがありますね。

 『ダンマパダ』(Dhammapada)は、原始仏典の一つで、お釈迦さんの発言録の形式を取った仏典である。ダンマパダとは「真理の言葉」といった意味。原始仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。漢訳されて『法句経』(ほっくぎょう)として日本にも伝わっている。(「北辰会」註)

 佐々木 そうですね。

 蓮風 あれなんか見ても必ずまず自分がどうならないかんかということを説いてますね。で、みんなでやるっちゅう発想じゃなしに個人がまず救われること、個人が修行して解脱するとかね。

 佐々木 だから今アメリカ、日本でもそうですけど、お釈迦さんの教えを支持する声が広がっている理由として、個人主義的な要素はあるんですね。ただ日本の伝統っていうのは農業…いわゆる、農村ですよね。それにやっぱり浄土真宗っていうのは(日本人と)波長が合いやすい。その共同体の中で、みんなで手を合わせて、支えあって生きていこうっていう、まぁいわゆる「ご縁」というものですね。

 蓮風 うんうん、そういう話聞くとよく昔連れて行ってもらった「報恩講」っちゅう、あれがまた良いんですね。あの「報恩」っちゅうのは恩に報いるですから、これはもう仏様に報いるためにね、あれがまた独特の雰囲気ですね。

 佐々木 そうですね。

 蓮風 それを開催すると子供も、みな連れて行かれて、お菓子やなんや貰ってね。子供にとってはそれが一番嬉しくって、みんなでガヤガヤやってる雰囲気がね、忘れられませんね。

 佐々木 これはもう浄土真宗の最大の行事ですね。

 蓮風 そういうことですね。これを忘れたら浄土真宗じゃなくなりますね。

 佐々木 だからやっぱりその日本の伝統って言うんですか、一番やっぱり原点っていうのは先生が言う農村での人と人との繋がり、人と人とが繋がっていないと生きていけないんだっていうことになってくる。実際そうですよね。農業は一人でできないんで。だからそこが日本の原点みたいなところかなと…。<続く>

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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)も終盤に入ってきました。8回目の今回は「西洋医学」の問題点がテーマとなっています。現代日本で主流になっている医学は日本の風土に培われた生活文化や人間関係の在り方に合致しているのか…。病院などで違和感を覚える経験を持っている方は、その理由を考えるヒントになるかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 宗教の問題点についての、お話が出たわけですが、では次に医療はいかがでしょうか。現代医療の問題点について…。

 佐々木 そうですね。すでに、ちょっと言いましたように、特に西洋医学といいますとね、僕が改めて言わずとも、今までも蓮風先生と対談されたドクター達も、いろんな問題点を指摘されている、その通りだと思うんですね。ただ、なぜ、そのようなことになっているかというと、やはり西洋医学というのは、原点に西洋の…欧米の文化があります。哲学とかですね、だから日本的な要素というのは全く入ってないんです。

 蓮風 なるほど。

 佐々木 全く入ってない。

 蓮風 日本人にとっても西洋医学でいいんだけど、そこに日本人の魂が入っていないと、そういう(問題点は意識しておくべきだという)ことですね。

 佐々木 はい、そういうことです。だからそこで、みんなの不満が出てくるんです。あるいは治療効果がうまく出ないこととかですね。僕は(その原因が)そこ(=日本人の魂が入っていないこと)にあるんだろうと思いますね。たとえば、それは治療だけじゃなくて、医師と患者さんとの関係などにおいてですね。で、これも全くの欧米的な考え方に基づいているわけです。

 以前、先生がおっしゃったように「問診」という言い方をやめて、「医療面接」という言葉にするとかですね、そういうのも全部まさに西洋的なものなんです。治療に関して全く西洋的な…、漢方といっても、これはもう西洋的な考え方で漢方を取り入れてるだけであって…。

 蓮風 そうそう。

 佐々木 本当の意味での漢方を出されているケースは少ない。

 蓮風 最近の医学部には漢方講義はあるんですね。

 佐々木 あるんですけど…。

 蓮風 我々は、患者さんが来られて「病院で出された漢方薬がある」と言うので見てみると、ドクターは全然(東洋医学の)根本が分かってなくて出しているケースがけっこう見受けられるんです。ああいう在り方自体はどうなんですかね。西洋医学が足らんものを、漢方医療技術でもって補おうという発想は。

 佐々木 うん、それですよね。アメリカでも、NIH(National Institutes of Health=アメリカ国立衛生研究所)なんかが、ずいぶん前から鍼灸などをとり入れてると言うてますけど、それは経済的な効果で取り入れているとかいうだけで…。(コスト面での有効性を)上手く利用しているといいますかね、だから…。

 蓮風 だから、僕らそれを「木に竹を接(つ)ぐ」と言いますがね。

 佐々木 そうそう。

 蓮風 木に木を接ぐんじゃなしに、全然異質なものを、寄せ集めて作っていくという。あの一種の実用主義というか、プラグマティズムというか。

 佐々木 その通りです。

 蓮風 ねえ。

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佐々木 先生がおっしゃるように特にアメリカは、プラグマティズムの考え方はものすごく強いんで、もうなんでも利用したれという、あったらなんでも利用したれという考え方なんですね。だからきちっとやらないと飲み込まれて…。

 蓮風 下手すると。

 佐々木 下手すると、飲み込まれてしまう。よく「欧米」とひとくくりに僕らもしちゃいますけど、ヨーロッパとアメリカっていうのはね、かなり違うんですね、考え方が。

 蓮風 どういう風に違うんですかね。

 佐々木 基本的には先生が言ったように、ひとつ目はプラグマティズムっていう考え方ですね。アメリカは非常に強い。それと、アメリカで、やはり特に強いのは、徹底した個人主義ですね。

 蓮風 個人主義。

 佐々木 ここに一番大きな違いって言いますか。ヨーロッパは、北欧、中欧、それと南部、たとえばスペイン、ポルトガル、イタリアですが、両者は全然違うんですよね。7、8年前ですけどね、京都にポルトガルの緩和ケアのドクターが講演に来られまして、それを聴きに行ったんです。現代の医療なら、癌(がん)の場合、癌という病名の告知をしなくちゃいけないとか、病名告知をですね。これは当然であってそれをしないとおかしいっていう風潮ですよね、今はね。

 だけどその先生曰く、南ヨーロッパではそんなことはないというんです。いわゆる日本的な感覚と似てるんです。家族主義的な地域の結びつきとか…。病名告知を必ずしもしないとか…。「だってショック受けるじゃないか」と言うんです。日本的な要素がすごくあるんです。だからヨーロッパでも結構違いがあるんですよね。

 蓮風 僕ちょっと今、閃(ひらめ)いたんですけど、やっぱり生活様式に問題があるんですかね。

 佐々木 そうですね、違いがあるんでしょうね。で、まぁヨーロッパもそういう違いもあるんですけども、アメリカとの違いっていえば、公的なものを割合重視していることです。

 蓮風 あぁ、公のもの。

 佐々木 公の。共同体とかですね。一方、アメリカの考え方の基本は個人主義。つまり個人が「それでいい」と思うんやったら何をやってもいいんじゃないかと…。人に迷惑をかけなければ。だから、たとえば再生医療にしても何にしても、あるいは一時期言われたクローンなんかにしても、基本的にはいいんじゃないか、自分で決めれば、っていうのはあります。

 ただそれに対抗するって言いますか、割合アメリカで出てきてるのが共同体主義ですね。どこまで共同体と捉えるのか難しいところなんですけど。共同体というのをどこまで認知すべきか、共同体っていうのをもっと重視すべきではないか。これが『白熱教室』なんかでも有名なサンデル、サンデル教授っていってハーバードの先生のテーマになっています。

 マイケル・サンデル(英: Michael .J. Sandel)は、アメリカ合衆国の哲学者、政治哲学者、倫理学者。ハーバード大学教授。コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者である。『白熱教室』はマイケル・サンデル教授による大学の講義を収録した、アメリカのテレビ番組。日本では『ハーバード白熱教室』という名称でNHKが放送。この番組を原点として『スタンフォード白熱教室』や『コロンビア白熱教室』などシリーズ番組、関連番組も放送されている。「学生を議論に参加させる講義スタイル」で、例題や実例を提示しつつ、学生に難題を投げかけ議論を引き出し、サンデル教授が自身の理論を展開する。(「北辰会」註)

 蓮風 はいはい。

 佐々木 彼の哲学者としての立場は共同体主義なんです、個人主義ではなくって。だからそういう流れはありますけども、でもアメリカは基本的には個人主義ですね。

 蓮風 基本的にはね。

 佐々木 だからそこは日本とマッチするかっていうと、うーん…。個人主義っていうのはある意味厳しい。責任が問われますんでね。

 蓮風 そら、そうですよね。

 佐々木 お互いのきちっとした話し合いの下で契約を交わしてという、これが日本に中途半端に導入されますとね、非常に難しいことになるでしょうね。<続く>


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