鍼灸師の藤本蓮風さんが「鍼(はり)」の力をさまざまな角度から見つめる「蓮風の玉手箱」は前回に引き続き、薬師寺執事の大谷徹奘さんとの対談をお届けします。大谷さんの手のひらから、スキンシップにまつわる生き物の共通性に話題が広がっていきます。日本中を説法で飛び回っている大谷さんが、ユーモアたっぷりの法話で有名だった師匠の思い出を語り、後悔も告白。「器」としての「身体」の大切さをいろいろな視点から考えるヒントを提示してくださっています。(「産経関西」編集担当)

大谷10

大谷11
 大谷 身体が元気ですとある程度までは引っ張ってこれるんですけれど、私は来年で数えで50にさせていただくんですが、40代前半まで疲れるって感じたことがなかったです。寝てもすぐ疲れはとれるし、夢もあるし、やりたいことに対しての熱意もあるし…。だけど、なんとなく50近くなってきて思うんです。親父が70歳で死んでいるんですね。…ということはあと僕が今までの生きてきた時間の4割しか生きられない。で、今までお寺に30年お世話になって、人生50年やらせていただいて、そうすると、あと20年なんてあっという間だろう、自分をじっとみると、極端に何も変化することはない。まぁ、大体この程度までなのかなぁ、って見えたり、責任感が出たりするんですね。どんどんどんどんですね、重たいものが乗っかってきちゃって、それを越えなきゃいけないと思うと、やっぱり身体を酷使してしまうのです。

 蓮風 それなんです。だから、先生は非常に素晴らしいことをやっているし、素晴らしい良い手をしてはる。私は手のひらでわかるんです。人を癒やす手なんです。あの、この間もね民族学の小山修三先生(国立民族学博物館名誉教授)が(オーストラリア先住民の)アボリジニにもヒーラーがおるんだとおっしゃったんです。

 大谷 ヒーラー?
大谷8
 蓮風 手をかざして、痛みを取ったり、病を治したりするんです。その手の写真を見せてもらって納得したんですが、大谷先生も良い手をしてらっしゃいます。理想像は仏様の手になればいいと弟子たちに言うんですがね。だから、やっぱりそういうふうに人々を救済なさるんであれば「器」も大事ですよ。ぜひ大事にしていただきたい。

 大谷 私は師匠の高田好胤(薬師寺第124世管主)に、あこがれて小僧になったんですけれど、晩年お師匠さんは、病気で倒れて亡くなるんです。僕はよく師匠のことを“とろろ昆布”って言っているんですよ。なぜかと言いますとね、東京のデパートで仕事をしたときに、北海道物産展ってのをやっていたんですね。たまたまそこを通ったときに、生まれて初めてとろろ昆布を作る実演ショーをやっていた。そうしたら(実演する人が)足袋を履いていて、その指のところに昆布を挟んで、ピンと引っ張って、大きな板のような包丁で、ザクザクザクザクと擦っていくんです。そうすると、下にですね、削られたとろろが出てきて、お母さんたちがね、とろろだけを見て「おいしそう」って言うんですが、その昆布はどんどん痩せていくんですね。で、最後に、たまたまなのかもしれないけれども、その時に昆布が僕の目の前でブチって切れたんですね。

 それを見たときにですね「うわー、うちの師匠と一緒だ」と思ったんですね。こうやって人に喜びを与えて、そのとろろ昆布を作り、人に喜びを与えている自分は身を削ってブチっと切れた。あの、マザーテレサさんが、ロウソクは人を照らし自分はとけていく、と言ったのと同じことをその時感じたんですね。(平成10年に)74歳で亡くなるんですけれど、今、お師匠さんが生きておられたらこの世情をどういうふうに思われるだろうか。もちろん戦争の経験もあるから、苦しみの中でどういうふうにあるべきかってのを、お師匠さんにお話ししてほしいので、生きてくださったらなって思うんですが…。
 
 僕はうちの師匠もね、頑固だったって思うんです。で、ある時ですね、身体の具合が悪くなったんです。60代の中頃だったと思いますけど、もうお寺は優秀なお坊さん達たくさんいるから、お師匠さんに、「もう引退なさって、法を説く、自分のことだけをおやりになったらどうでしょう?」って言っちゃったんですね。こんなこと、弟子が師匠に言ったらあかんのですけど
…。そしたらね、師匠は僕のこと怒ったことがないのに、その時だけはですね、「俺がやらないで誰がやるんだ!」って言って、烈火のごとく怒られたんですよ。お師匠さんに怒られたのはその時だけですよ。だけどその時に思ったのは、あの時、弟子としてもう少し食いついて、「お師匠さん、そうじゃなくて、長く使ってもらうことが大事ですよ」って言えなかったことを、未だに悔いを残しているんですね。

 蓮風 そうなんですね。ですから、あの私もね、ほぼ70に近いんです。68でね。この前もいちびって、若い人たちと一緒に馬の障害に出て行って、4位取ってきたんです。かなりレベル高いんですけどね。そういうことをやって楽しむ。そうして身体を鍛える。これがね、ものすごい大事ですね。今、先生も素晴らしい仕事しておられるから余計に思うんだけど、やっぱり身体を守られて、そこから輝きでる生命が人々を感動させると思うんですよ。

 大谷 這いつくばるようにして講座にいくんですよ。(「心を耕そう」をスローガンに法話行脚などをしていて)日本を1年間で大体6、7周して、講座数が最低でも200講座以上ありますので、多いときはガイダンスも含めると400くらいやるわけですよ。僕の乗っている車のニックネームは「霊柩車」って言うんです。乗ったとたんにもう死んでいるように、グーっと寝るわけですよ。それで、車が着いて扉が開いてお迎えの人がいると思うと、もう顔が変わったように出て行くんです。で、その人たちの喜んだ顔が、自分の喜びになってしまうんですね。

 蓮風 そこらあたりはね、我々も一緒なんです。ただ、やはり器ですから、これはやはりまさしく諸行無常でね、つぶれるもんですから、大切にして、長持ちして、その中でいい仕事ができれば最高じゃないですか。

 大谷 そうですね。本当に。僕は死ぬのはいつでも死ねると思うんですけど、死んだら終いだとは思ってないんです。でも、死んだら生きていることに幕が下りてしまうと思うんですね。ですからそういう意味では、僕は、親父が70歳、師匠が74歳、お釈迦さんが80歳、そこをライバル視して(笑)、身体のメンテナンスしたい。だから実は今回の震災(東日本大震災)がなければ、仕事量を3分の2くらいまで減らす予定でつとめてたんです。しかし、震災をいただいてしまったんで、まぁこれもお役目だからと思っています。

 蓮風 まぁ、それはそうなんですけどね。とにかく身体を大切にして、いい仕事をしてもらいたいです。
大谷13
 大谷 あの、病気をすると、さするってのがあるじゃないですか? 僕、この手の温もりってね、絶対にね、肉体に対してはどうかわかりませんけれど、精神に対してはものすごいと思います。僕は自殺志願者をずいぶん世話したんです。よく一緒に寝たんですね、一つの布団で、抱いて寝てやるんですよ。同じ部屋に寝ているんですけれど、最初は別に寝ているのだけど、「おい、こっち来い」ってクッと抱いてやるんです。そうするとですね、すっごく柔らかくなるんです。それまでの固かった身体が。

 蓮風 あのね、私はそれも少し経験しているんだけど、亡くなっていく人を何回かみたんです。何かしてあげたい、どうしたらいいかっていったらやっぱさすってますわ。そうするとね、安らかーな顔で向こう行きますね。最後はね、結局さすることなんです。我々はこれを「手当て」って言って、一番原初的な医学の形をとっている。その典型例が母親の行動ですね。医学の知識がないのだけれども、(子供を)さすってやる、抱いてやる、先生のおっしゃるとおりですわ。そしてね、もう一つ面白いのは、私はオーストラリアの馬を持っているんですよ。もともとは競馬場で走っていた馬です。その馬はものすごく素直なんですね。いわれを聞くとね、(オーストラリアでは)馬が生まれたときに思いっきり抱きしめるんだって。そうするとね、素直な馬になる。今の話、本当にすごいですね。

大谷14
 大谷 盲導犬のお手伝いをしたことがありまして、盲導犬も生まれたときに、人間に従順になるように人間にあずけて、絶対に怒らずにものすごくなでて、抱いてやるといい盲導犬になるっていう話を聞いたんですね。今の話と同じですね。

 蓮風 だから、生き物というのはそういう共通性がやっぱりあるんですよね。理屈じゃなしに。

 大谷 あの、人間を見てましてですね。裏切れない人を持っているか、持っていないかというところ、例えば家族は裏切っちゃいけない、この人は裏切っちゃいけないっていう人を持っている人と持っていない人ではね、全然人格が違うんです。そういう裏切れないっていう相手を持っている人は大事にされているんです。大事にされた人は人を大事にするんです。人から、さげすまれたり、相手にされなかった人が、やっぱり悪い方向へ行くんです。人間の心のことはよくわかりませんが、僕らは唯識という世界の専門の勉強をするんですけれども、人間の経験が自分の心の中に蓄積されて、その蓄積がその人の行動になるっていうのがあるんですけれども、まさに今の、さすってもらったり、抱いてもらったり、優しい言葉を言ってもらうと、心の中に優しさがあるから出てくるものが優しくなる。日本はたぶん、常にちっちゃいときから競争社会で、「だめじゃないか」っていう否定語の数の方が誉められた数より多いんだと思いますね。誉められた数と否定された数によって、人間の人格って変わると僕は思っているんです。

 蓮風 それは大事なことですね。だからねぇ、結局、さきほどの心と身体の問題からいうと、やはり、先生が仰るとおり(前回参照)「身心」のその「身」を先に置いたというのに私は非常に感動しますね。〈続く〉