鍼(はり)の力を探る「蓮風の玉手箱」は前回に引き続き、春日大社権宮司の岡本彰夫さんと、鍼灸学術研究団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんとの対談をお届けします。今回は神話や日本の伝統祭事、「ケガレ」などが話題にのぼっています。一見、とらえどころがないような不思議な神事も、背景が説明されると、そこに「理」があり、人間の感覚や経験を総動員したような「知恵」があるような気がします。本来、人間に知覚されて存在していたものが「科学」という枠に縛られて「ない」ことになってしまっている例は多いのかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 私が育ったのは出雲でして…。
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 岡本 ああそうですか。

 蓮風 ヤマタノオロチ伝説のクシナダ姫は「日本書紀」では「奇稲田姫」と書きます。「稲田」を象徴しているともいえるわけですね。稲田が毎年、大蛇にやられて困っている。それをスサノオノミコトが退治して、出てきた刀が「草薙の剣」。私の高校時代の先生がこういうことを調べるのが好きな方でして、ヤマタノオロチ自体が出雲国の川を表しているという…。

 岡本 …という説がありますね。

 蓮風 川が氾濫して、稲田を襲う。それを何らかの形で治めたんじゃないかということを聞いて、僕は感動したんです。一番大事なのは稲田なんです。(前回に出た)高千穂の峰に神様がお米を持ってこられた話につながってくる。

 岡本 それでね。続きを申しますと「鎮魂(フリタマ)」というのは、魂を振起(しんき)させるのが大事でして。魂に活力を与えると、身体が丈夫になる、健康になる、長寿になる、ということですね。たとえば、「紅葉狩り」というは何でするのか。あれは結局、紅葉に宿っている真っ赤な生命力を家に持ち帰ってきて、身体に振りつける。それから「禊(みそぎ)」といって、水の中に浸かって行(ぎょう)をしますが、これは水の霊力を身体に振りつける。これ全部「フリタマ」なんです。身近でいうと、毎月新しい、お榊を神棚に上げる、あれも瑞々しい生気を家の中に取り込む、身につける、というフリタマなんです。

 蓮風 ほう。

 岡本 だから我々いままで何のためにこういうことをやるのかわからんようなことは、結局、魂を健全にすれば肉体が健全になる、ということがわかっていないと、理解できないということですね。

 蓮風 そこのところがまたお話が面白いんですが、日本は「瑞穂の国」といいますね。水と稲の穂と。

 岡本 はい。

 蓮風 水というのは、フリタマの中でもかなり大きな意味を持つのでしょうか。

 岡本 フリタマと、それとはまたちょっと違うのですけれど。

 蓮風 ああそうですか。
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 岡本 ただ漢語を大和言葉に当てていきますから、かえって漢字の意味からとれるものもあります。瑞穂の「瑞」を瑞(みず)と訓読み、水(みず)も同じです。それから、瑞穂の国とフリタマというのは直接関係はないのですが、先ほど申し上げた「禊」は、水の中の霊力を身体に振りつける行為ではありますね。

 蓮風 それはお祓いみたいなものですか。

 岡本 祓いと禊はまた違うんです。

 蓮風 ああそうですか。

 岡本 ややこしいんです。もういっぱい言わなあかんことあるんですわ(笑)。「祓い」というのは、言葉がややこしいんですが、中国語の「祓」という漢字を持ってきます。本来は「ハラヒ」、ある説では「ハルヒ」といいます。「ヒ」というのは、日、火、霊、と表すこともあります。お日様も火も、霊も、霊妙不可思議なものが「ヒ」なんです。その「霊(ヒ)」を張るのが「張る霊(ハルヒ)」ではないかという説があるんです。これも魂や霊力を充実させるためにやるもの。それに対して「ケガレ」という言葉があります。「ケ」というのは「生気」のことですよね。いわゆる中国でいう「気」。これは日本語でいうと「ケ」。もののけ姫の「け」ですね。「ケガレ」とは「気(け)」が枯れることや、というんです。というのは、生命力が衰えてくることがケガレであって、ただ汚れているとか汚いというのは二次的な話でね。根幹はケが枯れる、生命力が衰える、これがケガレなんです。

 蓮風 大事な解釈ですね。
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 岡本 それからもうひとつ。「晴(ハレ)」と「褻(ケ)」という考え方がありますよね。私らの日常生活を「褻」、特殊な状態になる時が「晴」なんです。「今日は晴れ着つけます」とか、「晴れ舞台ですわ」とか言うのは「ハレ」ですよね。それに対して「ケ」というのは、出雲大社と、うちの神社にも神楽の歌がのこっていまして、「すめ神を よき日 まつれば あすよりは あけの衣を けごろもにせん」 。ふつう知らない人が解釈したら、「なんや毛皮着るのかいな」と思ってしまうけれど、「あけの衣」(=晴れ着)を「け衣」(=普段着)に替えます、ということなんです。だから「ケ」言うたら普段のことなんです。

 それに対して「ハレ」は…。人間の一番晴れがましいのは何かというと、神様の前に出る時が一番晴れがましい。だから神様のお祭りをするのがハレなのです。日常の生活がケです。日常の生活(=ケ)からハレに行こうと思ったら、精進潔斎せなあきません。身体を清めて、心を清めて、そしてハレの状態になる。でもハレの状態ばっかりでは暮らしていけませんよね。それでもう一回、精進落とししてケの状態に戻るんです。これが日本の聖と俗の一本線なんです。だからある種、特定の人しか神様の祭りができないかというたら、そうやないんです。みんなができる。ただしそれは精進潔斎をせんとできませんから、ケからハレにもっていかんと。そしてハレの状態から、またケに戻して日常に戻る。この繰り返しなんです。ところがだんだんそれが邪魔くさくなってきてね、精進潔斎するのが。それで神主という職ができた。もうそればっかりする人、作ったらええやないのということで。このケガレのもうひとつの説は、日常生活が営めなくなることをケガレというものです。

 蓮風 通常我々は、ケガレというと何か汚いものや、悪いものが来た、それを祓うんだ、というふうな意識が強いですけれど、違うんですね。

 岡本 実は違うんです。もっと生命的な、宗教的な問題なんです。生命体が枯れていく、日常生活が営めなくなる。
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 蓮風 それはねぇ、ものすごく東洋医学的には大事なんです。身体の生命力、これを東洋医学では正気といいます。それに対応して邪気が正気を邪魔して戦う。これが病気だと考えているんです。いまの話を聞いていると、正気が中心なんですよ。正気がしっかりしてないから、生活のあれこれができないとか、生気が弱っていること、そのもののことを言っているでしょう。これは非常に重要なことで、最終的には正気と邪気の戦いの中で病気を考えるけれども、戦(いくさ)と一緒で、勝ち戦と負け戦がある。勝ち戦の時は邪気を払えばいいけれども、負け戦になると、邪気もあるけれど正気も弱っているから、どんどん兵糧を高めて、兵隊の力を強くしなければならんのです。それができなかったらたいてい死ぬんです。

 岡本 はい。

 蓮風 そうなってくると、最初に言われた生気が枯れてくるという考えは、非常に示唆的ですね。最終的には正気と邪気の戦いで、我々専門的には勝ち戦を「実」というし、負け戦を「虚」というのですが、最終的には正気がしっかりしていなければいかんのです。まさしく、ケガレては困るのです。ある意味、戦いは戦いだけれども、正気を守るための戦いなのです。だからいまのは、非常に深いですね。ケガレという言葉は、2つの意味、共にそうですね。びっくりしました、あまりに近いので。

 岡本 そうなんですよ。あの、「和法(=和方)」というのがありますよね。漢方に対する和法ですけれど…。

 蓮風 はい、和法。

 岡本 どうもわからへんのやけども、たとえば神様の名前にね、オキナガタラシ姫(息長帯比賣命)という方がおられます。神功皇后ですわ。ということは、普通に考えると長息ですわね。息を整えることが充分にできた方というような意味合いでとるということもありますよね。オキというのは息のことで。たとえば手当てとかね。これも手を当てることで。日本は日本でやはり独自の技術を持っていたはずですわね。因幡の白兎も蒲(がま)の穂でね。

 蓮風 あれ、記録に残ってるんですわ。あれこそ全けき和法ですな。

 岡本 私、一回ね、『大同類聚方(だいどうるいじゅほう)』というのを読んだことあるんですわ。

 蓮風 ああ、すごいですね。

 岡本 難しうてわからしません。

 蓮風 あれはもう漢方医学の中でも非常に重要な典籍で。

 岡本 そうですか。

 蓮風 どちらかというと漢方薬が中心になりますが。

 岡本 やっぱりあれを見てると、それぞれ家伝薬というのを持っているんですね。どこどこの神主の家にある薬やとか、どこどこの国造(くにのみやつこ)がもっている薬だとか。

 蓮風 不思議なことに、徳川家康が実は薬の知識を網羅していたという。自分で(薬材をひくために)薬研(やげん)で薬を作って飲んで、たいていの病気を治したといわれてます。あまり知られていないけれど。

 岡本 ああそうですか。

 蓮風 和法漢方も、日常生活の中で、センブリなどをうまく使ってますね。

 岡本 この間、テレビ見てたら、世界中で色々な植物を採集してきて薬にならんかという研究をやっていて、なんや結局、漢方と一緒やなと思いました。

 蓮風 西洋医学の薬も結局自然の生薬に効果がないか、って探ってるんです。

 岡本 そうですね。〈続く〉