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「鍼(はり)」の本当の力を伝えるため鍼灸師の藤本蓮風さんが各界の著名人と語り合っている「蓮風の玉手箱」をお届けします。前回に引き続き、医師で僧侶の佐々木恵雲さんとの対話です。今回は身体と心の関係を宗教と医療の両面から探っていきます。(「産経関西」編集担当)

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蓮風 仏教の立場から鍼灸、東洋医学をみられて何かコメントしていただくことはできるでしょうか?

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 佐々木 そうですね、僕もまだそういう面での研究者ではないので、あまり確実なことは言えませんが、仏教っていうのはインドから起こりましてね、一つのルートは中国を通って朝鮮に、でもう一つのルートは主に東南アジアを通る。

 蓮風 北伝仏教と南伝仏教ですね。

 佐々木 で、実は仏教にもお釈迦さんの時代には呼吸法を中心とした仏教医学が、おそらくあっただろうなと思います。
 
 蓮風
 うんうん。

 佐々木 けどもあまり残っていないんですね。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 西洋とインドの大きな違いっていうのは、西洋は哲学と宗教と科学を、分けて考えていくんですね。インドというのは面白いところで、それがもうごっちゃになるんです。哲学も宗教も科学もすべて一つというのがインドの考え方。その中で医学も、仏教医療もあったんでしょうね。

 蓮風 そうですねぇ。

 佐々木 ただ今の仏教のそのものにはあまり残っていない。

 蓮風 そうですね、で、あの、少し私の話をしたいんですけども。子供の頃から私の父は浄土真宗、西本願寺の信者で、息子の私は全然そういうのは弱いわけですけども、ただ言われとったのはお釈迦さんが何故こういう仏教を説かれたか。何故我々は浄土真宗によって救われるのかを常々小さい頃から聞かされてた。そこでの話を聞くと先生が今おっしゃたように最初はバラモン教の教えを受けて修行をやっておられた。そういう修行をやって悟りが得られたかというと得られなかったとウチの父はそう言うんです。

 
 何で悟りを得られなかったというと、肉体を苦しめてもあんまり意味がないんだ、むしろ肉体を解放してあげることがある程度大事だと。修行に疲れ果てて、羊飼いの少女からお乳を頂いて飲んだら非常に気も栄えた、それから肉体だけを攻めてもダメなんだ、とおっしゃるようになった。肉体から心というのも重要なんだけども肉体を攻めただけではどうにもならんというのをお悟りになった。というようなことからね、浄土真宗の教えを教えてくれたんですよ。

 佐々木 その通りなんですね。お釈迦さんの生まれた釈迦国は都市型国家だったらしいですね。仏教は、非常に洗練された、都市型宗教だったのです。先生がおっしゃったようにお釈迦さんはそこの王子として生まれたことになっております。ですから若い頃は非常に快楽に耽った生活を送ってこられて、29歳でしたか、出家されたんです。バラモン教では解脱するっていうのは大きな目標ですけども、インドでは、非常にカースト制度というのが厳しいですので、そんなことができるのは一番上の身分の人しかできないという教えがバラモン教なんですね。ですからそのような難行、苦行をやった、つまり極端なことをやられたんです。


 だからお釈迦さんの魅力の一つは、始めから苦行してあんな悟りを開いたということではなくて、最初に快楽に耽るという快楽主義を経験されてから、それから禁欲主義という極端に走られる。みなさんがコーヒーを飲むときに入れるミルクに、「スジャータ」っていうのありますでしょ。それはそこの社長さんが仏教徒で、お釈迦さんが飲む牛乳を与えた娘の名前がスジャータといい、そこからスジャータという会社を作ったと言われています。でも、すでにそこでお釈迦さんはいわゆる精進してませんよね。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 だから釈尊はお肉を食べちゃいけないって言ってるわけじゃない。最後亡くなるときは、これも諸説があるんですけども、一つは信者さんが御布施つまり物をくれたときに豚肉を食べてその豚肉が腐ってて食中毒で亡くなられたというのが有力な説なんですね。ですから肉を食べてはったわけで。つまり身体を痛めつけるだけではダメなんだと。身体と心が一緒というかね、それが仏教の「中道」と言われる、一つの大きな概念。これは中国では同じ意味で使われてる「中庸」という字で表すことが多いと思うんですが、仏教では中道という。これはさっき言った快楽主義と禁欲主義のちょうど真ん中を取ったというわけではないです。本当に人間があるべき道はここでしかないという道になるんです。そういった意味になると思うんです。で、釈尊の仏教は、中国に伝わったんですけれども、中国人ってなかなか凄い民族ですからそれを全部漢訳していったわけです。

 蓮風 そうですねぇ。

 佐々木 あらゆるお経を全部持ち帰りまして、中国流に受け継いでるんです。色んなものを受け継いでいく力ってのは大事だと思うんですね。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 一つの全く新しいものを生み出す力、これを西洋では非常に重視するんです。僕ら科学論文というものを投稿してもですね、オリジナリティーがないと全然ダメなわけです。オリジナリティーというのはつまり誰もやったことがないことをいいます。だけどアジアの伝統として、中国、朝鮮、日本と受け継いでいく中でそれをアレンジしていく力、それも非常に重要だと思うんです。仏教に話を戻しますと、中国人はそれを中国流に消化吸収していったんですね。

 蓮風 それはね先生、言い方を変えれば、中国人の思想のなかには様々な思想があって、受け皿があると。考えてみると日本では鎌倉新仏教というのが密教系の仏教をある意味で凌駕した。これはやっぱりさきほど先生がおっしゃったように上の方の人たちは救われたけど、下の方の人たちは救われん。そこに鎌倉新仏教の様々な人たちがなんとか庶民を救おうということでやっとった。鎌倉新仏教の殆どは中国の漢訳を中心として、特に浄土教の場合、老荘思想が背景にある。仏教の「空」という概念も既に道教とか道教の考え方の中にあって、従って翻訳はしやすかった。

 佐々木 そうですね。

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 蓮風 そういう影響を朝鮮も日本も受けてアジアには受け皿があったという。それも自然が違うからちょっとずつ皆違うわけですね。そういうことを受け取っていくこと自体がね、やはり農耕民族の特徴じゃないでしょうかね。

 佐々木 そうですね。だから先生おっしゃる通りで、専門家は認めないでしょうけど、例えば禅宗というのは荘子哲学。先生お詳しいですよね。

 蓮風 はいはい。

 佐々木 ものすごく強い影響を受けてるみたいですね。先生が仰ったように、浄土真宗などの浄土教も、老子の影響がおそらくあるなというのは、間違いないと思いますね。

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 蓮風 そうです。

 佐々木 ただもう一つ東洋医学で僕のキーワードになると思うんですが、「身体性」という点ですね。「身体性」という、禅宗もそうですが、身体からアプローチしていくというやり方。以前、先生にお話したことがあると思うんですけれども、例えば、鬱病の患者さんですね。で、精神疾患と言われるものは、精神症状からスタートすることは絶対無いんですね。

 蓮風 もちろんそうです。

 佐々木 で、どういう順番で行くかというと、まずは身体症状が出てくるという。例えば、目眩(めまい)とか、肩凝りなどの症状です。その次に行動の症状が出てきます。例えば、会社で言いますと、遅刻したり、無断欠勤したり。

 蓮風 うん。

 佐々木 で、ここで、何らかの形で上手く介入ができるといいんですけども、そこがさらに進むと初めて精神的な症状が出てくる。それが例えば鬱病とか。それはどういうことかというと、人間は心が非常に大事ですから、それをしっかり守る為にですね、まずそこをいきなり…影響を受けないように、こう身体の面から。

 蓮風 ガードをしてる。

 佐々木 ガードしてる。ですから、いきなり、そのカウンセリングを含めて心からアプローチすると、僕も経験あるんですけども、あまり上手く行かないことがあるんですねぇ。

 蓮風 それねぇ、先生。臨床的に非常に深い意味がありますねぇ!まぁ、あのカウンセラーとか、その、心療内科とかあって、色々まぁ、カウンセリングやってる訳やけども…。うちらにもそういうこと受けて、まぁ、どうしようもない患者さんが来る訳。それでまぁ、「先生、どんな風に私、心持ってったらええか?」って言わはるけど、「そんな事せんでもいい。任しなさい。身体を私が解(ほぐ)して、身体を解して解して、解し切ったら、本当のあなたの心が出てくるから、もう任しゃええ」と言うんです。

 佐々木 うんうん。

 蓮風 こういうやり方やるんですねぇ。

 佐々木 そうですねぇ。
 
 蓮風
 そんで、体が解れてくると心がやっぱり冴えてきますから、観念も正しい方向へ行きますね。だからやっぱり、あの、先程のお釈迦さんの話じゃないけど、やっぱり、こう肉体だけを痛めきったり、何とか心だけをやろうというのは、やっぱり無理なんであって。

 佐々木 うん。

 蓮風 私は心という中身と、肉体という器という考え方をします。それで、その器をある程度治すとね。

 佐々木 うん。

 蓮風 勝手に良くなる。

 佐々木 うん。

 蓮風 心というのは本来は「心コロコロ」というね、動き回るんだ。その、動き回るという事が出来なくなったのが鬱の状態。

 佐々木 うん。

 蓮風 だから、身体をまず、調えてやる。これは医療として非常に重要なことだなぁ、という風につくづく思います。

 佐々木 おっしゃるとおりだと思いますね。だから、一部の精神科の先生は、その鍼灸っていうものを積極的に、取り入れるべきじゃないかと仰ってる方もおられるのは、そういった意味ですね。

 蓮風 そうそう。

 佐々木 「心身医学」は心から先に書きますけども、僕は身体からアプローチするっていうのが、本来だったんじゃないかなって気がするんですよね。

 蓮風 そうですねぇ。
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 佐々木 禅宗なんかは、まずはとにかく座禅をしろと。

 蓮風 そうそうそう。

 佐々木 ズバリ座れと。これは身体からのアプローチですね。

 蓮風 そうですねぇ。

 佐々木 先生が前から仰っていましたが、歩くということを勧められて、僕も「歩け、歩け」って言われたんですけれども。それは先生、あの「ゆったり歩け」ってことは歩行禅。

 蓮風 そうそう。

 佐々木 そういうことにつながって行くんです。ですから、そこら辺が東洋のひとつの特色なんだと思うんですね。だから身体からのアプローチっていうものを本来重視していますね。

 蓮風 そうですねぇ。

 佐々木 その通りだと思いますね。

 蓮風 先程先生がおっしゃったように荘子の話なんですけれども、荘子には、内篇、外篇、雑篇とあるんですけども、内篇の中では非常に重要なことを言っておりますね。逍遥遊(しょうようゆう)篇という、この逍遥遊というのは「心任せの散歩」というような意味なんですね。あれは見事に心と身体の問題をこう、融合させた話なんで。だから、気持ちよく歩く。

 佐々木 うん。

 蓮風 「先生、荷物持ったりなんかしたらアカンって言うけど、なんで?」って聞かれるけれど、やっぱり、荷物持ったり、それから、せかせか歩くというのはね、これはやっぱり緊張するわけ。だから、「心も身体もゆったりする為にはダラダラ歩け」。それから、よく景色を見て、自然の移り変わりを見なさい。

 佐々木 うん。

 蓮風 それから年寄りが本当にふらふら歩いてるけども(笑)。あの姿が理想的なんだということで、私も休みの日は実践してる。1時間から1時間半くらい。

 佐々木 ふーん。

 蓮風 だいたいこの辺り、元々山があったところを切り開いているから、起伏が激しい。

 佐々木 ええ。

 蓮風 ものすごいええ運動になるんですね。

 佐々木 うん。

 蓮風 その間にブログの写真を撮ったり…。まさしく楽しんでやってるんですね。〈続く〉