佐々木3-1

鍼(はり)」の力を伝える「蓮風の玉手箱」は僧侶で医師の佐々木恵雲さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の3回目をお届けします。「善」と「悪」は相反するものなのか…。宗教の「救済」とは何なのか…。今回はそのようなテーマでお話が展開していきます。それは、すべてが生まれては消えていく無常のなかで、人間の心や身体の「痛み」を取り除く医学や宗教の意味を問う試みともいえそうです。(「産経関西」編集担当)

佐々木3-2 
 蓮風 生きるっていうのは力まないっていうことがなかなか大切なことなんですよね。つまり楽な生き方。しかし、その楽な生き方もなかなか難しいですよね。
佐々木3-3

 佐々木 うん。

 蓮風 え~、楽なことやると、欲望の方に駆られると言いますから(笑)。

 佐々木 うんうんうん。

 蓮風 だから堕落に走らないということは大事。しかも、厳しくあり過ぎてはイカン、中道でないと…。これは誠に理想なんだけど、なかなか出来ん。

 佐々木 うーん…。

 蓮風 浄土教、浄土真宗の場合の教えというのは、やはり信心。「行」か「信」かといった場合「信」が大事なんです。

 佐々木 うん。

 蓮風 その「信」というのがまた、なかなか難しい。

 佐々木 難しい。

 蓮風 「これ信じなさい」と言われてスッと信じられるかって言うと…。

 佐々木 そうそうそう。

 蓮風 (信じきって)断崖絶壁から飛び降りるようなところがある。そういう世界だと思うんですね。だから、それを徹底できないからだんだんだんだん堕落していく。だから私は「信」というものを患者さんに最初に植え込むんです。最初は信じられんけど、まあ、信じんでもいいけど、信じるつもりでおってくれ、と。

 佐々木 うん。

 蓮風 治療してるとだんだんだんだん身体が軽くなる。

 佐々木 なるほど。

 蓮風 信じざるを得ない。

 佐々木 うん。

 蓮風 それが非常に信心という事が大事。

 佐々木 うん。

 蓮風 じゃあ、一般の人、病気でない人はどうかというと私の考えでは、その人なりの生き方の中に「道(みち)」があります。それを常々意識しておれば、それがだんだん、そういう信心の世界に入る。というのが、私、勝手な考えで。

 佐々木 そうですね。今、先生のおっしゃった「道」という言葉は非常に深い言葉で、もともと仏教とは、明治までは言われなかったんですね。仏教というのは仏法とか、あるいは、仏道、仏の道といわれていたんですね。ですからその道を究めるというのはとても大事だと思うんですね。僕も浄土真宗の僧侶、住職ですけども、先生がおっしゃるように信心、あるいは念仏とはどういうものかと言われると、中々難しいんですけども、親鸞さんはその、善悪を超えたものであると。ですから、やはり自然に良し悪しってものはないんだろうなって。それから、先生、それこそ陰陽と言われるものは、陰が悪くて陽が良いとかいうのではないですよね。

 蓮風 はい(笑)。

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 佐々木 ですから、やはりそういった点ではね、割合、なんと言うんですか。こう、シンクロしているというか。

 蓮風 ちょっと、近いところありますね。

 佐々木 近いところありますね。

佐々木3-5

 蓮風 かなりね、今のこの陰陽の法則というのは、また相対性という問題が出てくるし、陰陽の絶対性という問題も出てくるし、

 佐々木 うんうん。

 蓮風 まぁ、荘子哲学がある程度は解決しているんですけれども、荘子哲学の面白いところはね、論理性をね、否定するんですよ。


 佐々木 うん。

 蓮風 徹底的に否定する。で、それを否定するために論理をやる。ある意味ね、自己矛盾なんだけど、その哲学こそが面白いなぁと思うんですわ。

 佐々木 うん。

 蓮風 これからまた、お話に出てくると思うんですけども、人は本当に救われるかどうか?(笑)

 佐々木 うん。

 蓮風 ははは。私はむしろね、救われんなぁと、そういう感じです。その時、私はもう(親鸞の話をもとにした)「歎異抄」を高校3年生くらいだったかな? 読みましてね。ものすごく感動して毎晩毎晩、それを抱いて寝た。

 佐々木 うん。

 蓮風 まず救われんなぁという事が分かったんで、で、その中で親鸞さんと唯円さんが話し合いをしますよね。「どうも、救われんように思うけど」と言ったら、「お前もそうか」って…(笑)

 佐々木 うんうん。

 蓮風 はっはっは。やり出すんでね。「いや、実はわしもそう思う。だけど、そういう救われんものが救われるのが本当の真実なんであって」。

 佐々木 うん。

 蓮風 そこに阿弥陀如来の教えとか、そういうものがあるんじゃないか、っちゅうことを確か、話しておられたんじゃないですかね。

 佐々木 ええ。

 蓮風 だから最初から清らかな道じゃなしにまず、放蕩にふけって(笑)、そういう迷いに迷った中に何か一筋に光明を見つけて行くという…。これはやっぱり…大したもんですね。

 佐々木 そうですね。親鸞さんも最初は比叡山に登って、29年間修行して、これじゃ無理だということでおりられ、法然さんのもとに通われることになったのです。すなわち、方向転換されているわけなんです。師匠であられる法然さんはあの時代のスーパースターですから、知らぬ人はいない。「知恵の第一」と言われた。

 蓮風 そうそう!そうです。

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 佐々木 浄土教というのは中国なんかでは、日本でもそうですけど、一歩低く見られてたんですね、仏教の中では。いわゆる…「イギョウ(易行)」であり…。

 蓮風 うん、そうそう。

 佐々木 イギョウとは「簡単な行」って意味ですけど、低くみられてたんですね、あの時代では。その「知恵の第一」と言われた法然さんが、易行である浄土教を取り入れたってことは、これはもう物凄い衝撃的な、日本の仏教界にとっては事実だったんですね。でも言ってみたら、そんな法然さんでも方向転換してる。ですから、そういう意味では先生がおっしゃるように、やっぱり最初からその清らかな、まっとうな道に行くのが、人生ではなくて、いろんな挫折を繰り返しながらやっていくのが人生なんでしょうね、後でまた、根本的な話をしますと、救われるかどうかっていうのは、分かりませんけれども…。

 蓮風 ははは。

 佐々木 まぁ、分からないんでしょうね、結局。だから、そこら辺が、面白いとこかなって気がしますねぇ。

 蓮風 「歎異抄」について色々と言われるようになったのは明治以降ですよね。

 佐々木 うん。

 蓮風 それまでもあったんだけど、秘してねぇ、秘伝書として隠されとった。

 佐々木 うん。

 蓮風 これがねぇ、浄土…真宗のまた非常に難しいとこだろうと思うんですよねぇ。非常に「歎異抄」を読むと感動するんだけど、同時に危ういことを平気でいっとるんですよ、あの中には…。はそういう事が、やっぱこういう信仰という面においては非常に難しい。

 佐々木 そうですね。

 蓮風 でしょうね。

 佐々木 ええ。やっぱり、先程いいましたけど、念仏とかそういうものをその、善悪を超えたものであるという事は、これは間違いなくおっしゃってますんで…。

 蓮風 うん…。

 佐々木 善悪を超えるってことは、その道徳的な善悪も超えて行くという事ですから…。危ういところに行くわけです。ですから、実際にあの時代には、あの時は一向衆による過激な戦いも繰り広げられますね。ただ、あの当時の日本にも、人口の4割、ぐらいは、おそらく一向衆門徒ですね。

 蓮風 そうですねぇ…。

 佐々木 あと日蓮宗も非常に大きな勢力。この二大勢力が民衆の間でしっかりしていて戦争を繰り広げちゃうわけですけども、

 蓮風 そうですね。
 
 佐々木
 非常に過激な方法に走る可能性も。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 ですから「オウム(真理教)」で、日本では宗教が非常に大きな打撃を受けたわけですけれども、これまた微妙な発言かもしれませんけども、宗教は元々やはり、非常にこう過激であり…。

 蓮風 うん。

 佐々木 非常に危ういところも…。

 蓮風 ありますね。

 佐々木 ある!あり得る存在であることも、これはやはり知っておかないと…。これから皆さん(=蓮風さんのお弟子さん)ら、若い人がですねぇ、それぞれのが思想信条がおありですから、それは自由ですけれども、宗教っていうのは、薬であると同時に毒も持っているということはやはり知っておかなければいけないですね。〈続く〉