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現代医学の中での「鍼(はり)」を考える「蓮風の玉手箱」をお届けします。僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の4回目です。医療と医学は同じものだと思っていたのですが、現実にはそうでない…。そんな驚くような話が最初のほうから展開され、宗教と医療の関係へと進んでいきます。鍼治療を受ける患者としての佐々木さんの言葉も興味深いですよ。(「産経関西」編集担当)

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 佐々木 最初にも言いましたように西洋医学の根本にはユダヤ、キリスト教がバックボーンとしてある訳ですけども、日本では明治の時に、そこをあまり取り入れずに、その形だけを取り入れてきた。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 で、問題がちょっと今、出てきつつあるかもしれない。形だけ取り入れたために。

 蓮風 うんうん。

 佐々木 魂は取り入れてない。医学と医療というのはですね、東洋では、先ほど言ったインドもそうですけども、医学と医療が一体化してる訳です。東洋医学も、東洋医学という思想の下に医療がある。だから、別に東洋医学では医学と医療が別個のものというイメージが皆さんの中にはおありじゃないと思うんですけども、西洋医学は違うんです。これはみんな知らない。あんまり気づかれてないんですけども、西洋医学というのは医学と医療というものが、今、分離したような状態なんですね。

 蓮風 うん。

 佐々木 西洋医学では現代医学が土台にある。それはいろんな考え方があって、例えば機械論とかあるんですけども、医学っていうのは一番遅れてきた科学と言われてるんです、科学の中で。

 蓮風 科学の中ではね。

 佐々木 その科学がどうしてキリスト教から発展していったかって言うと、先程言いましたように、キリスト教っていうのは、神から自然を与えてもらった。ということは自然は神が作っているから、その自然を精緻に分析して行けば、神の意図が分かるんじゃないかっていう、それがスタートなんですね。ですから、例えば、ニュートンとか、あるいはガリレオは…非常に敬虔なキリスト教徒。

 蓮風 うんうん。

 佐々木 自分らのやってる事は、その神の意志に適ってるという。それがもの凄い勢いで科学が発達してきた一つの原因です。その中で当然物理学というものが最初に、一番進歩していく。で、その中で医学というのは科学で一番遅れた学問であって、特に低くみられてたんですね。つまり論理がはっきりしない。「何故そうなるの?」ということが分からない。それが戦後、それはクリックとワトソンがDNAの螺旋構造を解明した、そこから分子生物学――モレキュラーバイオロジーという、全てを還元してみていく考え方ですけれども、分子生物学が勃興して、そこから医学というものが一気に発展していった。

 ただ、医療はもうそこになかなか追いつけないんですね。だって医療というのは、これはもう人が相手ですから、経験も必要ですし、これは東洋でも西洋でも違いないです。関係性ですね。人との関係性というものはもの凄く医療では大事でしょ? たとえば家族との関係や、職場での人間関係、人間関係のストレスが体調と強く関係している。だけど、そんな事を科学的に判断出来ませんよね。そういう人間関係などの関係性を取り入れる事は不可能なんですね。

 蓮風 お言葉に反する様な事言うかもしれませんが、いわゆる社会科学というのがありますね。あれはある意味でやっぱり人と人とのこの関係という科学的に追究する立場ですよね? それとは、どうなんですかね?

 佐々木 その立場は客観的な視点から見た社会での人間関係ですが私が話したのは二人称的と言いますか、主観的な人間関係ですね。私たちは社会的な生き物である訳ですけれども、たとえば肩書きというのは、その人の社会的な立場を表していて、他には家族としての立場、でもそれ以外いっぱいありますよね。

 蓮風 そうそう。

 佐々木 たとえば北辰会での立場とか、友人関係とか。それなんか全然表に出て来ませんよね?

 蓮風 せいぜいシステムが現れるだけのことでね。

 佐々木 そうですそうです。

 蓮風 社会科学に一時ね、私凝った事があるんですよ。これは素晴らしい、人間関係を築く、エ~労働者が天下取ってどうのこうのちゅう話なんですけども。しかしよく考えて見るとね、あれはやっぱり人間関係を物質に置き換えて機械的に捉まえようとする、ある意味、非常に単純なことですよね。だから今言うよう、先生がおっしゃったように、人間と人間の絆みたいなのは、あんまり出て来ないですよね。ね?

 佐々木 そうですね。マルクスなんかもまさにそうですね。

 蓮風 対立闘争が中心であって。

 佐々木 そうです。まぁあれもひとつの弁証法。

 蓮風 うん、そうそう。

 佐々木 マルクス思想では全てはモノ化されてしまう訳です。人を人として扱わない。

 蓮風 その辺りは問題ですね。
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 佐々木 問題ですよね。だから人間関係が入って来ると、科学で手に負えない訳です。だけど医療では、人間関係を考えていかないと病気は良くなりません。ですから西洋医学の先生が、医学はサイエンスで医療がアートやって言うんですけどね、なかなかきれいな言葉かも知れんけど、よくよく考えてみたら、科学者と芸術家なんて・・・どうすんやと。それはそうかも知れないけども。

 それに医学と医療が分離しているというのは、日本では特に顕著ですが、例えば大学の仏教学の教授がですね、素晴らしい仏教者かどうかは分かりませんもんね。
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 蓮風 それはまた別ですよね。

 佐々木 別ですよね。それは何となく皆さんわかるでしょ? 仏教学してる人が、もの凄くこう人間性豊かな仏教者かどうか分かりません。

 蓮風 あくまでも学問としてやるもんと、信仰としてやるのとまた違うんであって、

 佐々木 ただしね、これがですね、有名な大学の医学部の教授となると、一般の人は素晴らしい臨床家であるというイメージを持ってるはずなんです。そうでしょ? 医学部の教授やったら、お医者さんとして臨床家としては最高だろう。そう考えることが普通でしょう。

 実は医学部の教授になるには、科学的な論文、特に基礎的な論文の業績が第一なんですね。最近少しずつ変わってきてはいますが。

 ですから医療というのは二番手みたいなもんなんで、先ずは医学の研究が、医者として第一のこととなるのです。ですから日本では医学と医療が対立関係にありちょっと医療を一段下のものにみる傾向があるのかもしれません。

 蓮風 なるほどね。まぁそこであの~医学と医療は違うという事で、まぁ一般の我々臨床家はもう医療の方ですけれども、その医療と宗教との係わりについて少しお話頂くと有りがたいですね。

 佐々木 これまた難しいんですけれども、元々、西洋ではユダヤ、キリスト教がベースにあって色々生まれて来たということは、その影響が医学でも、医療においても強いことは間違いないんですね。たとえばホスピスとかですね、これはキリスト教の教会が中心となっている動きですけども、元々そんな事を考えても、西洋ではキリスト教がバックにあるのはもぅ肌感覚、皮膚感覚みたいなものなんですね。日本はちょっと特殊で、宗教と医療となるとちょっと一般の方も宗教者も医療関係者らみんなが構えるところがあるんですね。特にオウム真理教にはたくさんのお医者さんがあのなかに入って色んな問題を起こしましたし、あの事件以来、そういう意味で構えちゃうんですね。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 やはり東洋医学でも先生がお話しになったように、老荘思想を含めた色んなものが当然バックにあるんですし、少なくとも医療と宗教は協力が出来るって事は間違いない。

 蓮風 協力できる。

 佐々木 ただ日本の場合どうですかね。宗教性っていうか宗教と言ってしまうとどうかなぁ・・・。自分もまぁ宗教家でもあるんでしょうけど、宗教性という様な形で捉えた方がいいかもしれません。たとえばカトリックはそこがもの凄く熱心で影響力を持ってます。カトリックとプロテスタントとでは、やっぱり全然違うんですね。で、カトリックは存在の論理といって、一人の存在はもぅ非常にかけがえのないものとして大切にします。まぁこれは先程最初に言った神から与えた神聖な命だからという事になる訳ですけども。ですからその倫理、医療倫理という中でもキリスト教のそういった考え方が、非常に根強く出て来ている。

 蓮風 で、宗教性というのは何か言うと、僕も色んな宗教を知ることが好きで、百科事典的なものも色々とみているんですが、怪しげな宗教は別として、大方の宗教は先ず感謝ということ言いますね。存在する事が素晴らしいという事と繋がるんかも知らんけど、多くの患者さんを診てるとね、どうもその感謝というのが足りないんでね。今自分がここ迄治ったと、それに対してやっぱり喜ばないかんのに、ごく当たり前で次もっと治らないかんって。もぅ完璧にこれ人間の欲望に捕らわれている訳ですね。そうじゃなしにここ迄来たんだからありがたい、ありがたいからもっと治療受けようという気持ちになるのとならないのとでね、全然効果が違う。これ先生も気付いておられる。

 佐々木 ええ、それ…。

 蓮風 もぅ文句ばっかり言うてね、一つもええとこ見んと悪いとこしか見ない。だからそういう人はやっぱね、効果も薄いですね。

 佐々木 でも先生のところでは、そういう患者さんは少ないでしょ?

 蓮風 いや、そんなことないですよ。だから喧嘩する、場合によっては。

 佐々木 そうですか。
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 蓮風 喧嘩しても本当の事教えないかんからであります。だから、そら先生おっしゃる様にね、かなり良い患者さん来てくれてます。だけど中には訳のわからん人もいる。その根本は何か言うと、自己中心的で、文句ばっかり言う、感謝、喜び、前向きな姿勢というのは欠けてますね。仏教だけじゃなしにあらゆる宗教が感謝なんかの大切さを強調しているだからそういう意味では、宗教を万遍なく見ておりゃ、毒の部分はあんま無いと思うんだよね。せやけど本当の宗教いうの、もっとこう深いとこ行くと、毒性の部分と深く係わるんで、それ先生も注意しておられたと思うんだ。だけど一般のこう宗教の全体を見ると押し並べて、どういう生き方をせないかんかいうこともそんなに多く変わりませんよね?

 佐々木 おっしゃる通りで、宗教というのは洗練化されてくるわけですよね。だから生まれた当初のものは非常に荒々しいもの、荒々しさというのはこれ毒と関係しますので、キリスト教にしても、いわゆる、十字軍みたいなのもやってたわけですから。しかしそれはもの凄くこうマイルドになって来てるから、いわゆる伝統宗教というものに関して皆さんが危惧する様な、そういう毒性は無い。しかし宗教は本来的、根源的には毒の要素があるのは確かですよね。

 僕が長らく(蓮風さんの)治療を受けて、どうかってことも関わって来ると思うんですけども、僕はやっぱ先生の鍼を受けて一番感じるのは、やった後ね、この身体と心がこう一致感といいますかね、これ言葉で表現し難いんですけど、一体感というのかな、いや~あの生きてて良かったなという思いにね、この感覚、本当の自分ってこうやったんや、先生がおっしゃる事に僕凄く大事だなと思うのは、凄くそのイライラしてる時にやっぱ人間って皆さんそうなんでしょうけど、色んな仕事上、或いは家庭でもストレス感じてても、言ってはいけない事、やってはいけない事しちゃうんですね。で、どんどんトラブルになっていくんですけど、その鍼を受けた後にその一体感の中で本当の自分っていうのはこうなんだ。その中で人にやさしくなれるって言うんですかね、穏やかになれる。でそこからやはりその感謝、有りがたいなという気持ちがわいてくる。

 蓮風 いやそれね、だから患者さんが「あぁ先生今日はもの凄く楽になった、ありがとう」って、さぁ、そのありがたいと言うのは本当はあんたの心だよいうこと、よく言うんですがね。

 佐々木 それは大きいですよね。

 蓮風 それがやっぱり一つの生命の本当の輝きなんであって、もぅあれやこれや、あれこれぐちゃぐちゃだと生命の輝きがないんで、そういう意味でね、僕は鍼をして身体をくつろがして本当の自分みたいなもんに気づいていく、これは宗教性だとやっぱり思いますよね。〈続く〉