佐々木5-1
現代社会での「鍼(はり)」を考える「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回は僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の5回目。「恬淡虚無」とか「エゴ」「自己」「自我」「無意識」などと難しい言葉が出てきますけれど、それをおふたりが様々な現場での経験を通じて分かりやすく話してくださっています。現在の自分に見合った、それなりの健康を得るのは、それほど難しいことではないのかも。そして難しくしているのは自分なのかも、と思いました。(「産経関西」編集担当)
佐々木5-2
佐々木5-3
 佐々木 状態の悪い鬱(うつ)の患者さんに精神科のドクターがどう言うかっていうと…。「仕事を辞めるなどといった大事な決断は冷凍して先送りにした方が良い」とアドバイスします。つまり身体と心が非常に調子の悪い時の決断というのは、本当の意味でその人の決断じゃない、本来の自己ではないんですね。そういうことを、西洋医学でも言う訳で、そういう意味では僕が感じている鍼灸の醍醐味というのは、やはり感謝することに繋がるんです。

 蓮風
 そうですね。

 佐々木 それを積み重ねて行くってことが大事なんだなと。それが人間の救済ということにも、おそらく繋がっているんだろうと思うんですね。

 蓮風 我々の東洋医学のバイブルに『素問』というのがあって、そん中に「上古天真論」ちゅうのがあるんですが、ここには何が書いてあるかと言うと、上古…、昔の人は立派だったと。一種の尚古主義なんですね。そこに「恬淡虚無なれば真気これに従え」という言葉があるんです。「恬淡虚無なれば」という事は、要するに心がさっぱりとして、わだかまりがないんだということ。非常に良いことを言っております。だから、そういう中でのこの、人の生き方として他人がうまいことやって金儲けしたからといって、それを羨んではいかんと書いてある(笑)。

 なかなか面白い事を言っておる。おそらくこれは、老荘思想の中の老子の考え方が反映していると思うんですけどね。それから「恬淡虚無なれば、虚にして精神内に守らば病いずくんぞ従い来たらん」心をしっかりねぇ持って本来の自分というものを大事に保てば、決して病気は入ってこないという、病気になる根本原因みたいなものを「心」においているんですね。

 佐々木 そうですね。

 蓮風 はい。これまでの話とちょっと矛盾するみたいですけど、実は裏表なんです。形を大事にしてその中身を大事にするか、中身を大事にして形を大事にするか、これは以前に対談した春日大社(権宮司)の岡本(彰夫)先生の話にも出てきたんですけどね、要するに裏表なんですね。だからある部分をちょっと強調してこっちを良くするか、こっちを強調して、あっちを良くするかというだけの事で、とにかく東洋医学の根本精神は「上古天真論」という篇名もにあるように「天真」、自然から与えられた生命というのは、誠に清浄なるもので、そこには淀みがないんだという話なんです。はい。

 佐々木 ちょっと関連があるかもしれませんが、仏教の根本的な思想には無我という考えがあります。それに対し自我はその対極にあるわけですけども、その自我がなかったら、僕らが意識しているのはどこなんだ、というのをよく聞かれるんです。これが西洋のフロイトが言ったエゴと考えてもらったらいいですね。

 蓮風 はいはい、エゴですね。

 佐々木 仏教というのは何を求めているかと言うと、自己、これはセルフ(self)なんです。先生が仰ったように、やってもやっても、もっと良うなりたい、もっと良うなりたいという欲望が出てくるのは自我がどんどん、拡大した状態なんです。本当にその人が求めるべきは、本来の自己を取り戻すこと。

 蓮風 そう、そう、そう。

 佐々木 それは仏教でもそう言うわけですけども、それにはセルフ、自己を取り戻すことはなかなか難しい。ユングの言うように色々な無意識の影響をうけますしね。

 蓮風 そう、そう、そう、そう。

 佐々木 先生の『鍼1本で病気がよくなる』(PHP研究所刊)にも書かれていますけど、「俺は何でも予言できる」という男の人が、鍼1本で夢を見なくなったというのがありましたね。

 蓮風 そう、そう、そう、そう(笑)。自分は修行によって、悟って夢でこう宗教的な予言ができるというて、ここ(奈良・学園前の「藤本漢祥院」)で、肩こりがあるから治してくれという。「あんた、それは病気やから鍼で治してあげる」って打ったんです。「肝兪」というツボだった。それから夢見なくなったんです。商売あがったりで(笑)。だから錯覚を一種の超能力みたいに思っているわけです。

 佐々木 そうですね。
佐々木5-4
 蓮風 結構多いんですよ。これね。

 佐々木 自己というのは、当然いろんな無意識と繋がっていますから、たとえば親が亡くなった時にですね、自分の夢で見たと。それはその超能力でも何もなくてですね、やはり人間の本質的なところで、そういう繋がりあうものがあるという、そういうことがあっても、別にそれを非科学的とかですね、迷信であるというのじゃなくてですね、人間とはそういうものだというように、ユングが言っているような事、ある意味正しいと思うんですけどね。
佐々木5-5
 蓮風 東洋医学は「気」というもので統一した考え方があるので、だから超能力を認めないわけじゃないんだけど、錯覚した超能力があるんで、それとは峻別せないかんと、いう風に思うんですけどね。なかなか世間的には、こんがらがっていますね。

 佐々木 えぇ、そうですね。

 蓮風 僕はその点では、非常に鋭い東洋医学の鍼をやっているおかげで、勘が鋭くて、これは本物か偽物か、大体わかるんですね(笑)。で、やっぱり「上古天真論」に本当の人間像というものは何かということが、ちゃんと書いてありますよ。飲食を節して、そしてどういう生活をするか、それによって健康になったり病気にならなかったりするんだ、というわけです。その中で一番中心になるのが、心なんだと説くんです。

 佐々木 だから先生が仰ったように、身体からのアプローチ、あるいは逆に(心の側からの)感謝ですね。心から、内面からの両方の表裏ということは非常に大事だと思いますね。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 それが相乗作用といいますか、相互作用といいますか、それによって人というのは良くなっていくと。

 蓮風 そうですね。先生もドクターですから、本当に出会われたと思うけども、亡くなっていく人に対していったい何ができるかと。僕はすぐに擦ってやるんですよ。まず掌でね。一回やってみてください。その時に苦痛に歪んだ顔がねぇ、明るい顔になるんですよ。この手当というものの、ほんまの原点に戻ってくる時に、医療というものが輝いてきますなぁ。まぁそこには、そのまぁ鍼を打ってどうのこうのとか、それから薬をやってどうのこうのとか、注射をやってどうのこうのとかあるんだろうけども、最終的にはその生命を看取るものはやっぱり生命ですな。肉体を通じて擦るという姿が本能的に出てきますね。だからあのまぁ元気ちゅうか、そこそこの病気で来た人に、治療した後、僕は何やってるかというたら、うん、これで大丈夫だよと脈を診て、ポンと肩を叩いてあげる。

 佐々木 あれはいいですねぇ(笑顔で大きく頷きながら)。

 蓮風 ねぇ。先生にようやってますよね、僕。(笑)

 佐々木 あれは落ちつきますねぇ(笑)

 蓮風 それで何かが吹っ切れるんですよね。

 佐々木 うん。そうですね。

 蓮風 だから、不思議ですな、生命というものは。〈続く〉