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 初回公開日 2012.8.4

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藤本蓮風さんとの“つきあい”は長いという小山揚子さん

 
 鍼灸師の藤本蓮風さんが各界の著名人と現代社会の中での「鍼(はり)」の役割を考えてきた「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回からは関西外国語大学名誉教授の小山揚子さんが対談のお相手です。小山さんは1年前にこのコーナーが始まったときにゲストとして登場してくださった国立民族学博物館名誉教授の小山修三さんの奥様で、ご夫婦で蓮風さんの治療を受けてらっしゃいます。

 

 長年、外国人に対する日本語教育の実践や研究に携わってこられた小山揚子さんから見た鍼灸とはどのようなものなのでしょう。古くから蓮風さんをご存じなので、こぼれ話も出そうです。

 

 まず、そんな“玉手箱”を開ける前に小山さんの略歴をご紹介しておきますと…。

 1941年に茨城県水戸市でお生まれになり、国際基督教大学に入学。同大学大学院教育学部視聴覚教育科に進まれて教育学修士号を取得。米国やオーストラリアの大学の夏期日本語学校講師などを経て1980年に関西外大の非常勤講師となり、助教授、教授を歴任。1999年2月から1年間休職をしてオーストラリア国立大学で日本語教育と研究に従事し関西外大に復職されたあと、2007年に定年退職されました。

 

 では“玉手箱”を開きます。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 「蓮風の玉手箱」へようこそ。

 

 小山 お呼びいただきましてありがとうございます。

 

 蓮風 今日は本当に楽しみにしていたのです。先生は長らく私の治療院に来ていただいて、もう人間としての藤本蓮風すべてを見られていると思うし、僕も先生を患者さんというよりも、親しくひとりの人間としていろんな面を見させていただいて勉強になっているわけですけれども、今日はね、患者さんという立場で自由に喋っていただきたいというのが私の本音であります。もちろん先生は、大学で外国人に日本語を教えておられたので、その中で、また色んな人を見ておられると思います。そこで、実は人間というのは、こういうものなんだというお話もいただくと、我々臨床家にとっては、ものすごく勉強になるので、何か面白いお話があれば、よろしくお願いいたします。

 

 小山 はい。

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 蓮風 では1番目のテーマですが、先生は長らく大学で教鞭を取っておられました。そこでのお身体の具合はどうでしたか?

 

 小山 同僚や学生は私のことを非常に元気な先生だと思っていたと思うんです。留学生相手で、まぁ留学生はそれぞれ自分のお金と時間を使って日本に来るわけですから、来て良かったと思われるように、授業の準備だとか、いろんな工夫とかを目いっぱいやって、わりと頑張っていたと思うんです。若い頃はその頑張りがずっと続いたんですけれど、30代の終わりから40代にかけて、学期の途中に潰れるんですよね。朝起きると起き上がれない、起きたら吐き気がする、だけど授業は穴を開けられないという感じで…。とにかく医者に行くと、極度の疲労だと言われて、手に余るような薬を持たされるんですよ(笑)。それで主人(国立民族学博物館名誉教授の小山修三さん)が「こんなに薬飲んだら、殺されるから」と言ってました(笑)。 

 

 まぁそれまでも肩こりがひどかったので、近くの鍼灸院でマッサージを受けていたんで、そこに行ったんです。とにかく授業に行けるようにしてくれと言ったら、お灸をしようと。で、お灸も色々な方法があるけれども、皮膚に傷をつけないような方法もあるけれども、これはもう直接やったほうがいいと仰って(笑)。 で、授業終わったら、そこへ行って、お灸をしていただいて、それでまた家に帰って寝てるという生活を1週間続けましたら、ある時に、身体中の体液がぐるぐるぐるぐる音を立てて回るような感覚があったんです。

 

 蓮風 ほう。

 

 小山 で、それから吐き気もなくなったし、起きられるようになって、ああ私ってわりかし、東洋医療に体質的に向いているのかな、というので、こちらの藤本先生をご紹介してくださる方がいらしたんです。その頃はまだ(現在の奈良市学園前ではなく同市内の)菖蒲池(あやめいけ)の…。

 

 蓮風 そうそう、だからもう(患者として)古いんですわ。

 

 小山 そうそう(笑)。だからもう30年以上になりますか…。菖蒲池の治療院は、小さい所だったから、予約を取るのにもすごく時間がかかるんです。もうすごく待つ。具合が悪くなってからでは間に合わないので体調のいい時に予約を申し込んで何カ月待ちで診ていただいて。

 

 蓮風 こんな偉い先生ならもっと早く入れてあげれば…(笑)。

 

 小山 いえ(笑)、それ以後は私がわがままを申しまして、関西外大の友達とか主人とか、「もうここに入れてください」とか「先生、今日入れてください」とか無理強いしてます(笑)。それからのおつきあいですね。これはねぇ、体質というか、子供の時からそうだったんですけれど、頑張り屋で学校行っている間は非常に元気で、休みになると寝てたんですよ。だから、お祖母さんがこの子は弱い子だと言って、よく湯治に連れて歩かされました。

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 蓮風 先生、ご出身は東北ですか?

 小山 生まれたのは茨城の水戸なんですけれど、たまたま叔父や祖父が東北で仕事をしていましたので。

 蓮風  そうすると温泉が多いということですね。
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 小山 そうですね。でも冬はやっぱり伊豆の方に来てましたね。

 蓮風 そうですか…。

 小山 で、「七日帰り」はよくない、と言うので、必ず十日以上、温泉で湯治してました。

 蓮風 温泉はよく効いたでしょう?

 小山 はい。そうだと思います。

 蓮風 僕は長く診させてもらっているけれど、結局、先生はもともとあんまり丈夫じゃない。だけど、勢いがいいから、勢いでやる。そうすると後でガクッとなる(笑)。そういうタイプの方で。

 小山 確かに(笑)。

 蓮風 本当に気持ちが勝ってらっしゃる方で。身体はその割に丈夫じゃなかったんですね。だからそういう方にはやっぱり温泉で心と身体をほぐすのは非常に良いことだと思うんです。鍼もそれに近い働きをしていると思うんですけどね。

 小山 子供の頃、よくしもやけができたんですけれど、温泉に行くと治りましたし。だから普段は元気にしてるんで、周りの人からはとても元気な人だと思われていたでしょうね。
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 蓮風 ご主人の修三先生は「わしは按摩ばっかりさせられた」と言っておられましたが(笑)、まぁあんまり丈夫じゃなかった。けれど気持ちで勝って生活しておられる。それはたぶん大学での教鞭やなんやで無理なさったと思うんですよ。でもまぁ、この間ちょっと膝の故障で大きく問題になったけれども、いわゆる大病はしておられない。

 小山 そうです。病気になる前の状態、未病の状態というんですか、未病の状態で微妙な身体のバランスを取って頂いて、大病にならずにここまで来られたというのは本当に感謝しております。

 蓮風 先生のお言葉で言うとね、「微調整お願いします」といつも仰ってたんです。そう悪くないんだけれども、微調整やってもらうと、後がすごく楽なんだということをしょっちゅう仰ってましたね。

 小山 だから治療院来ると、待合室で皆さんがどこが悪いとか、いろいろお話しなさってらして、そういった意味では私はどこも悪くないので、肩身の狭い思いをしておりました(笑)。

 蓮風 あの実はね、そういう方は結構多いんです。でもそういう方が病院に行っても、「あなたどこも悪くない」って言われるんです、残酷なことに(笑)。ところが東洋医学から言うと、それは立派な病気であって。陰陽の幅が狭いんだな。幅が狭い中でなんとか調整してる。だから大きく揺らがないけれども、しょっちゅうバランス取らないとダメなんだな。それが肩こりとかに出とったんですね。

 小山 でも不思議と、先生のところにかかるようになってから、それまでは肩こりとかでしょっちゅう按摩に行ってたんですが、その症状がなくなったんですね。たまに温泉なんかに行って、按摩さんにやってもらうと「結構、凝ってますよ」と仰るんですが、意識としては凝ったという意識がないもんですから、先生にかかり始めてからは、いわゆる按摩・マッサージには行ったことはないんです。

 蓮風 修三先生は「わしが助かった」と言ってました(笑)。〈続く〉