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現在の「藤本漢祥院」。乗馬を趣味にする藤本蓮風さんらしく“馬の風見鶏”(?)が目印になっている=奈良市学園北

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回は関西外大名誉教授の小山揚子さんと、鍼狂人・藤本蓮風さんの対談の5回目です。「どうすれば、もっと本当の鍼を知ってもらえるか」という課題はこの連載の一貫したテーマのひとつですが、その方法として小山さんが漫画での表現を提案しています。それから話は昔の蓮風さんの治療院の様子から現代医療の流れが個人として患者を診る鍼による治療と重なっている点などに話が広がっていきます。じっくりとおふたりのやりとりを味わってください。(「産経関西」編集担当)

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 小山 昔、本の好きなウチの子供が膠原病だったとき、手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」に(膠原病のひとつ)「エリテマトーデス」とかが出てたらしいんです。私は漫画を読まなかったけど、彼女はそういうので自分がどういう難病なのかがよくわかってたみたいです。

 蓮風 その娘さんには私も往診なんかで治療を手伝ったわけなんですけれども…。

 小山 ステロイドなんかで、髪の毛が抜けたり、ムーンフェイスになったりするというので、先生に往診をしていただいたら髪の毛は抜けませんでしたね。顔は少し丸くなりましたけどね。だからそういう意味で凄いなぁって思って…。

 蓮風 ものすごく賢くてね、可愛い女の子だったんですよ。だから"あの時"は本当に悲しかった。

 小山 私は後になって漫画を読んで彼女としてはそうやって理解してたんだなぁって…。漫画もバカにしてはいけないんだって思いました。

 蓮風 一つの手段であってねぇ。

 小山 だから東洋医学の経験もある方で漫画も描けるような人が上手くやったら啓蒙になる。主人(小山修三・国立民族学博物館名誉教授)の友人でイラストレーター(さかいひろこさん)なんですが、乳癌(にゅうがん)になって「乳がん治療日記 まんが『おっぱいがたいへん!!』」という作品を描きました。あれもすごく(世の中の)啓蒙になったみたいで。ずいぶん色々講演会などに呼ばれたりしてましたね。だから東洋医学の経験もある方で漫画も描けるような人が上手くやったら啓蒙になる。

 蓮風 そしたら漫画描きと仲良くしないかんですな。僕はね、最近の漫画ちょこちょこと見てるけどもやっぱり剣術の達人とかね武道を非常に追究していくという面白そうなのがあるんです。僕、脚本は書けますわ。(安土桃山時代の)鍼の名人、御園意斎の話とかね。鍼でこんだけ治したよっちゅう話も。

 小山 なんか、もうちょっと取っつきやすいものを…。

 藤本 そうですね…。ちなみに私の患者さんの移り変わりなんてだいぶ見られました?
 
 小山 
そうですね、最初は堺の方から(奈良の)菖蒲池(あやめいけ)のほうに引っ越していらした小さな仕舞屋の2階が診察室で、ベッドが4つくらいでしたか?

 藤本 4つか5つまでですね、せいぜい。

 小山 下の方にソファがある待合室があった。先生が堺から移ってきて、まだそう日が経ってないので、そちらの方からいらっしゃってる方が多くて、「あの先生は俳優の誰に似ていて格好いい」だとか…。噂話に花が咲いて、そのころは半分以上が堺の診療所から先生についていらっしゃたようで…。

 藤本 かなり初期なんですね。
 
 小山 
次に学園前のマンションに移って…。

 藤本 あそこで15年やって、ここ(現在の藤本漢祥院)で18年ですわ。

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 小山 菖蒲池の時はこの近くの方の他に、電車で通ってらっしゃる方が多かったですけれど、患者の間でコミュニケーションができてきて、鍼以外にも、この化粧水がいいから買ってきてあげたとか…(笑)。そういう形で交流がありましたねぇ。リウマチやなんかで若い方も混じってましたけど、どちらかというとお年を召した方が多かったような気がしました。学園前のマンションに移ったら、お年寄りもいれば若い人もいるという感じになった。それでいろいろ聞いていると、みなさん大変な病を抱えてらして「あんさんどこが悪いの?」って聞かれて、どこといって悪くないので、非常に肩身が狭いですけど「ちょっと微調整しに」って言うと、すごい贅沢だってみんなに羨ましがられました。

 今のこの新しい漢祥院に移ってからは何となく患者同士の会話っていうのは少なくなったように思いますねぇ。それまでは大阪のおばちゃん的に色々ごちゃごちゃ話したり、感じとしては女の方が多かったように思うんですよね。私が来る時間帯がそうだったのかも知れませんけど、こっちに移ってどうしても私が来るのは夕方、夜の時間帯なんで男性の方が結構多いなぁという感じ。そうすると大阪のおばちゃん的な会話っていうのもほとんどせずに…。

 藤本 そうですね、全体から見るとやっぱり男性はあまりしゃべりませんな。女の人はホントに買い物の話かなんかで結構しゃべるんだけど、男性っちゅーのは意外とね、むっつりしてますよね。「あんたどこが悪いの?」って聞いたら「ほっといてくれ」っちゅー感じで(笑)。

 小山 そうですね(笑) だからそういう意味で、ここに移ってからは男性の患者さんも増えて、いわゆる、あの無駄話的な会話は少なくなったように思います。

 藤本 しかしあれが大事なんだよね。一回ね、批判されたことがあんですよ。「あんた、大きいとこに替わってから、なんか冷たくなった」って。でまぁ、確かにベッドの数も増えたし、忙しくなったいう面もあるんだけど、なんせマンションの時は狭いとこベッド5台、それも2階建てでしたね、あれ。

 小山 そうですね、中2階みたいな感じで。

 藤本 うん、中2階。下にベッド2つ、上では3つで、5台あって、そこへ患者さんがもう溢れとってね。

 小山 座るとこありませんでしたね。

 藤本 待合室では入りきらないから、ベッドとベッドの間に座布団敷いて、その間を駆け抜けるんですよね。で、駆け抜けるときにちょっと挨拶せにゃいかんから、アホな冗談をパパパーっと、こう言って、なんかこう芸人が働いてるような感じしてきましてね。あれはあれでまた独特の味がありましたねぇ。今はもうある程度、器が大きくなってるからそれがない。それがやっぱり寂しさにつながるんかなぁという気もするんですよね。確かにね、全体としてやっぱり女性が多いです。男性はやっぱり仕事でどうしても縛られるから、夕方とか夜が中心になってきますね。

 小山 最近、若い方が多いような気もしますけど。

 藤本 ああ、最近ね。これはねやっぱり、時代の移り変わりというか、鍼に対する認識がずいぶん変わってますねぇ。昔はまぁ極端に言うたら鍼灸なんちゅーのは年寄りがするもんやというような、変な常識が通っとったわけですけど、今は西洋医学ではあかんやつを助けてくれるから…。そういう意味で明るい面もかなりあるなとは思います。

 小山 そういう方たちは結構ネットかなんかで見て、自分で探して来てらっしゃるんじゃないかなーと思いますけれど。

 藤本 はい、はい。

 小山 だから、私も菖蒲池の時から来させていただいて、当時は仕事場に近い(大阪府の)枚方に住んでたんですが、岩船街道という山道を夜、クルマで走るのは結構しんどいので、まぁ奈良はお水も美味しいし、藤本先生に近いからと越してきました(笑)。

 藤本 非常に、ありがたいお話なんです。まぁ、確かに、近くでね、安心して受けられる医療があるっちゅーのは、本当に患者さんにとっては大事なことなんでしょうね。

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 小山 そうですね。だから昔、子供の時は町医者さんがそういう感じで、ちょっと熱出したりなんかしても割と簡単に往診してくれて、その子の体質をよく知っていた。それこそ(家庭医療などの)プライマリケアをしてもらった覚えあるんですけれど、今の普通の病院っていうのはやはりそういう意味では…。

 藤本 個人で気軽にかかれる先生が少なくなって、病院に行かないかん。商売で言うと、まるで個人商店がスーパーになったような形が…。

 小山 そうそうそう、そんな感じありますねぇ。

 藤本 そういう意味で、あくまで個人を大事にしようという、そういう風潮が医学界でも起こってるんだけど、全体としてはまだまだですね。

 小山 今、若い人が来てて、プライマリケアを色々していただいてるっていうのは、非常に将来的には、スーパーじゃないところで美味しいもの買えるよというのが広がっていくような気がします。

 藤本 そうですね、だから今、西洋医学の方向としては、全体としてはやっぱりスーパーなんだけど、同時にプライマリケアで、個人医・家庭医というようなものを置いて、そこで、ある程度こう診ておいて、それをセレクトして、これはこういう方向で病院かかったほうが良いという、そういう方向性まで教えるような段階にきているらしいですわ。この間の(北辰会が主催したシンポジウムに参加した)ドクターの話では。だからまぁ、両方必要なんだろうけども、全体としては、僕はやっぱり、漢方・鍼灸やってきた個人医というのは大事だなぁとは思いますね。〈続く〉