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藤本漢祥院で対談する小山揚子さん(写真右)と藤本蓮風さん=奈良市学園北

 鍼(はり)の力を伝える「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回は関西外国語大学名誉教授の小山揚子さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の6回目。これまでより一層、医師や鍼灸界への批判が激しくなっています。批判される方々は反論や異論を抱かれると思います。そのような意見を出し合って、医療のあるべき姿を探っていく。この「玉手箱」はそんな未来を生み出す場にもなるかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 藤本 これまでの話で結論が出たような感じですけれども、西洋医学が発達すると、この(東洋医学や漢方などの)医学は不必要になるでしょうか?(笑)。

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 小山 私は全然そう思いませんけれど(笑)。特に個人的に、東洋医学ベッタリで今まで健康を維持してきたものですから、なくてはならないと思います。西洋医学は、お年寄りとか子供に対して色々な検査をして、かなり無理なことを強いるわけですから、弱者に優しい医学も大切です。そういえば最近、お子さんも結構多いですよね?

 藤本 そうです。今ね、西洋医学では、どうしょうもなかった子供の患者さんが来てるんです。「低酸素脳症」といいましてね。大学病院にかかっとったが、もうそれ以上治らんで…。最初2年前やったかな、3歳の女の子で、今5歳くらいになってるかな? 来た時は寝てるか起きてるか、わからない状態。今は、こっちが話しかけたら反応するようになった。ドクターたちも、この病気は治らん、脳の後ろの半分が、全部機能してないからダメだって…(言っていたそうなのに)。

 お母さんがまたね、熱心やったんです。「なんとかならんか」言うて。僕は東洋医学の考えで徹底的にやってみるいうことで、2年間ずーっとやったんです。寝てるか起きてるかわからん状態からもう名前呼んだら反応するし、特にお母さんにはものすごい反応しますね。で、そういう見放されたような患者さんって、ようけ居るわけですよ。

 小山 そうです、ホントに西洋医学は冷たいと思います(笑)。

 藤本 なんか実感がこもりますねぇ(笑)。それを諦めんと、最後までやるのは、やっぱり親ですわ。母親はものすごいもんですね。西洋医学がわかってるという振りしてるけど、実際はわからんことようけある。もう全然治らん、と言った医大の小児科の先生が「良くなってる!」ってハッキリ言うんですよ(笑)。癲癇のね、発作止めを飲んどったんやけど、「もうやめていい」って言う。で、そのお母さんは「ホントに大丈夫やろか」って言うて…。「そんなの出してる本人がそない言うてるから大丈夫やろ」って(笑)。結局ね、鍼だけにしたら、もっと冴えてきました。

 小山 はぁー。

 藤本 発作止めと言いながら眠らせてたのかもしれません。そうだとしたら、生命に対する大変、不遜なやり方。で、おまけに、「諦めろ」なんていうようなこと言う権利も何もないんですよね、ホントは…。だからいつも、この若い人達(蓮風さんのお弟子さん)に言うんだけど、「生命というのはまだまだわからん」て。西洋医学の世界では相当わかったような事を言っているけど、まだわからん。だから簡単にそう決め付けてはいけないんだと。希望を持って、医療人として、患者さんから「なんとかしてくれ」って言われ、しがみつかれたら、それを一生懸命受け止めるべきだというようなこといつも話してるんです。いま結構、後天性の低酸素脳症、多いんですわ。

 小山 あ、そうなんですか。

 藤本 以前、ブログに書きましたけども、やっぱり効果が上がってきてるんです、やれば。だから諦めちゃいかんのですな。学問でこれだけしかわからんからもうダメだというふうに…。僕は逆やと思うんですよ。分からんかったら分かるように、もっと学問展開すればいいわけであって。そういうところがなんかこう、変に、先生がおっしゃる冷たさがありますよね(笑)。そういう意味では、東洋医学も、もっともっと活躍する場もあるし、そういう医学なんだいうことで、自覚せないかんですよね。結局ね、鍼灸とは何かといった場合、一言で言えばこう、2500年前にできたバイブル『黄帝内経-素問・霊枢-』というのがある。その中に、どういうふうなものが人間であって、どういう生活するのが人間であって、その人がもし病気した場合どういう治療すればいいか、そういうことが事細かに書いてあるんですよ。そういう素晴らしいバイブルがあるにもかかわらず、目を向けない。学校行ってもそういうことを教えない。

 学校で教えるのは西洋医学がほとんどなんですね。元々、明治以前は「漢方医学」と言わなかった。「医学」と(言っていた)。ところが、蘭方が入ってきて蘭方が大きく影響し出すと、うちは「漢方」だと言い出した。面白いもんで人間というのは、「この医学が当たり前だ」いう時は、 “西洋医学”だとか“漢方医学”だとか、そういう名称を持たないみたいなんですね。それから、漢方・鍼灸ということを言い出してから、段々、西洋医学の考え方を導入せんとダメだと(いうふうになった)。これは明治政府自体がそういう方向へ持っていった。もういい加減に鍼灸師自体が、西洋医学と違う医学なんで、その違うとこに意味があるんだということを自覚すればいいのにそれをやらない。「鍼灸」と、「鍼灸師」の意識や力量の間にズレがあるんです。

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 小山 その鍼灸というのは、2千何百年前のバイブルに事細かく書いてあるのが鍼灸で、鍼灸師というのは私たちの身のまわりの治療をなさる方ということですよね。そう言われても、門外漢の私たちにとって、鍼灸師しか知らないわけで、片方しか知らなければズレはありませんよね。先生のお話の素晴らしいバイブルを教えないとおっしゃいますが、鍼灸師自体が本当に偉い先生でも、自分のノウハウはちょっと秘密にしてるようなところがある…?
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 藤本 あ、それはある程度、伝統というか、もうこれから先は門外不出と、いうのはありますね。それとやっぱり2千数百年前のバイブルは固定化されたもんじゃないんですよ。その時代と地域によって(違う)。例えば同じ漢方・鍼灸であっても中国でやるのと、それから朝鮮でやるのとは同じではない。まぁこれ日本も含めて、東アジア医学はやっぱり、個別にそれぞれ発展してますね。あの韓国ドラマの『宮廷女官チャングムの誓い』とか『ホジュン』なんかで見られるようにですね、韓国の鍼灸は、ちょっと日本とはまた違う。で、中国とも違う。それぞれ歴史的な伝統があるわけです。明治以降、政府の意向もあったけれど、歴史的な伝統を当の鍼灸・漢方やってる連中も忘れていったというか…。まだ漢方の方はね、比較的、西洋医学のドクターが中心でやってますんでね、伝統はしっかりしてますけど、鍼灸の方は医者じゃないから、そういう点でもまぁ問題あるんですがね。

 小山 鍼灸の国家試験を通って、実際に治療を始めても、経験の少ない時点でのレベルは、先生のように経験を積んだレベルとはずいぶん違いますよね。それどういう風にして、こう引き上げられるか、ということですねぇ。

 藤本 そういうことですねぇ。一番悪くて、恐ろしいのは、自分らが低レベルにおるっちゅうことを自覚しないということ(笑)。自覚する人たちが居ってもまたそういう勉強ができないとかね。

 小山 そういう自覚なさる方は、自分で数をこなしていくうちにこう色々、自分なりに、体系を整えてっていうことはあるでしょうけれど。

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 藤本 まぁ、極端に言えば、こういうことはあんまり言いたくないけれども、鍼灸をやってる人たち自体が、医療だという風に思っていないことが結構多いんですね。これは医療・医学じゃないということを割り切って、慰安的な、ちょっとやって気持ちよくなればそれでいいんだという発想の人も結構あるんですよね、これ。だからそういう人たちの存在を克服せんことには、医学者としてものを言えないんですよね。

 小山 でもまぁ、あーいい気持ちになったという、鍼灸をしていい気持ちになったというのも存在意義はありますよね?

 藤本 そうですね、ただ、医療としてはね…。確かに、良い鍼灸をやると実際は気持ちよくなるんですよね。でも、それは結果であって、その目的が最初から気持ち良ければいいというのとちょっと違いますよね。

 小山 やっぱり患者が、なんか自覚症状があった時には、行くところは西洋のお医者になってしまうのが現況ですよね。

 藤本 でもね、鍼やってもらって気持ち良いというだけなら、悪くなったら、また行かないかんということになります。だけど面白いのは、ここ(藤本漢祥院)へ来たら1回2回やったら、結局根本のところが治る。枝葉ではなく根本の問題の解決は、バイブルである『黄帝内経』の考え方に基づいてやらないといけないんです。〈続く〉