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談笑する、ひこ・田中さん(写真右)と、藤本蓮風さん=奈良市の藤本漢祥院

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。児童文学作家、ひこ・田中さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談もこれで最終回。最後は、東洋医学での子供に対する治療と、その親との関係がテーマです。親と子供の病気の因果関係については、さまざまな見解があるようですね。親の姿勢、考えなどが"原因"と指摘された場合、お母さんが過剰に責任を感じて自分を責めたり、非常に違和感を覚えたりする例もあるようです。さて、今回は、そんな問題に東洋医学と児童文学の視点から切り込んでいただいています。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 子供さんの病気ね、色々診てるんですよ。アトピーあり、喘息ありね。それからネフローゼから、腎臓病、肝臓病、目の病とか耳の病とかね。ほぼ全科に渡っている。だから「先生何がご専門ですか?」って聞かれたら「私はゼンカモノ(全科者)や」って言うんです。

 この「全科」である東洋医学が一番気にするのはね、特に小学生からそれ以下の子供を診るとき、誰が連れてきたか、ということ。多くはお母さんです。お父さんが連れて来る場合もあるけど、多くはお母さん。お母さんが、どういう考えを持っているか、ということを知っていないとね、そりゃあ子供はやっぱり治せないですよ。どうもね、問診やなんやしているとね、たいてい母親は口を出してくる。「あぁだ」「こうだ」言うわけですね。その口の出し方をね、私は研究するんですよ。「ははぁ、これは母親がとんでもない間違いだな」とかね。

 この間も、小児病院に入っている子供の患者がステロイドから免疫抑制剤まで使っても中々治らない。で、うちに来たんです。どうも見とったら子供は比較的明るいんだけど、お母さんが暗い。「何でかいな」と思って、色々と聞いたら、お父さんとだめになっていて、もう同居もしてないし、別れ話になっている。子供にとっては別れない方がいいに決まってるけども、でも、どうにもならんかったら、これちゃんとしなあかんで、って話をしたら、それから急激に明るくなった、お母さんが。そしたら子供もね、もっと明るくなってきた。これはねぇやっぱり、子供にとって母親の影響力は大きいということ。特に小学生以下の場合もの凄く影響がありますな。だから、子供を本気で治そうと思ったら、やっぱりお母さんの考えに間違いがないかどうかをよく観察して検討することから始まる、というのが僕の医療ですわ。そういう話についてどうですか?

 田中 母親の子育てが間違っているという非難が、子育ては母親がするという前提のもとに言われているから、問題が起こるのですよ。夫婦が揃っているならば、母親だけで子育てしていると考えること自体がまず、とても異常なことだと私は思うんですよね。

 蓮風 だけどね、実際、お父さん一生懸命稼いでこないかんじゃない。家のことまで携われない。まぁ携わりたくても、疲れてくる。酒を飲んで寝るくらいしかない。そういった中でね、母親の役割というのは、やっぱり夫婦の絆がどれだけあるかということだと思うんですよ。

 田中 「夫婦の絆がどれだけあるか」というのは、そうですね。

 蓮風 うん。で、絆がちゃんとあればいいんだけど、もうてんでバラバラであればね、これは子供にとって大変な不幸なことで。

 田中 それは、家庭環境が安定していないと、子供は不安定になるという話なんですよね。

 蓮風 そういうことです。
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 田中 子供は親のストレスが分かりますから、影響します。ただしそのことと、母親云々は分けて考える必要があります。

 一つ目は「働いているのは本当に夫だけか?」です。専業主婦率は、年々減少していて、1990年代半ばには共稼ぎ夫婦と並び、それ以降は共働きの方が一貫して多いのです。お父さんだけが疲れているのではなくて、お母さんも疲れています。ところが、子育ては母親がするものという考え方がまだ根強く残っています。母親は育児休暇が取りやすい雰囲気があるけれど、父親は取りにくい雰囲気というのもそうでしょう。母親は仕事と子育ての両方をすることとなり、ストレスは増えます。子供が病気になったとき、母親の方が仕事を休んで病院に連れてくるのです。であるにもかかわらず、子育ての責任は母親にあると言われたら、それは怒りますよ。

 藤本先生のところに治療に来られる子供の母親は、もちろん育児休暇中の方もいらっしゃるでしょうけれど、ひょっとしたら専業主婦の方が多いのかもしれません。専業主婦は、暇です。暇ですなどというとお叱りを受けるでしょうが、家事一切は、共働き家庭の夫婦でもこなしているのですから、専業でないとできない作業ではありません。専業主婦が悪いと言っているのではありません。幸い夫に、彼女や子供を食べさせるだけのたくさんの稼ぎがあり、彼も望み、自身も望んでそういう関係の家庭を作っているのでしたら、それでいいと思います。私が指摘したいのは、専業主婦という身分は、何かやることを自分で見つけないと時間が余ってしまうということだけです。その時間をボランティアにつぎ込んでもいいし、自分のスキルアップに使ってもいいし、お金に余裕があるのなら、毎日おいしいランチ巡りをしてもいい。

 しかし、子育ては母親の仕事という考え方が周りにあり、かつ、自分に時間が余っていると、それを子育て以外に使うのは、まずいのではないかという自己制御がかかり、子育てだけに自己のアイデンティティを賭けてしまおうとするかもしれません。その場合、母親に責任があると言われたら、彼女たちはますます追い込まれてしまいます。

 周りからの情報によって、私の子供は言葉が出るのが遅すぎるのやないか、歩き出すのが遅すぎるのやないかなどが気に掛かって仕方がない母親がたくさんいますが、これも子育て以外の周りを見られない故に起こるのだと思います。子供はそれぞれですから、他の子供と比べても仕方がないのです。でも比べてしまうのは、自分のアイデンティティを子育てだけに預けてしまっているからです。それと、先ほど子供の社会性が失われていっているという話の中でも言いましたが、子育てだけにアイデンティティを賭けてしまうと、他者との繋がりや社会性が希薄になる危険性が増大し、すると母親たちも自分の立ち位置がわからなくなったり、不安定になったりしますので、できるだけ周りと同調したくなるのではないかと思います。それで、自分の子供を周りの子供と比べてしまう。

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 蓮風 なんか平均化した人間像を選んで大概色んなこと言うんですよ。

 田中 そうなんです。平均した人間なんて、一人もいーひんのに(笑)。

 蓮風 ははは(笑)。関西弁や、「いーひん」って言うのは。あり得へんということやね。

 田中 必ず平均から全員外れてる。その外れているところが、その子のおもろいところやねんから、「平均よりうちの子、言葉が出るの遅いわ。きっと、自分のこと話すより、人の話を聞くのが好きなんやな」と思っていればいいのに、過度に心配をされてしまう。そうしたことは、藤本先生は現場におられますから私よりご存じやと思いますけど、子供って言葉が出ていなくても、結構分かっているんですよ。

 蓮風 そうそうそう。

 田中 親がしんどいとか、機嫌が悪いとか。ほんで幼いなりに必死で、気を遣うんですよ。

 蓮風 そうそう。

 田中 なんでかって言ったら、親にほっとかれたら死ぬから。

 蓮風 そう。

 田中 食わして貰わな死ぬから。そんなこと赤ん坊でも分かっているから。

 蓮風 それでね、私が言いたいのはハッキリ言って最近の親は幼い。

 田中 幼いですよね。

 蓮風 幼い。それは良い意味じゃなしに、親になるんであればもっともっとそういう覚悟が必要なんですよ。子供を産むなら、産んで育てるという覚悟がいるのに、どうもその気概が少ない。若いけど一生懸命やっている人もいますよ。そやけど、平均してみると、なんかもう実にぞんざいな考え方でやっている。だから子供を産んで育てることに対する意識とか危機感とか、そういうことがもの凄い希薄な人が多いように思うんですよ。
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 田中 それから(家庭環境が安定していないと、子供は不安定になるという話について)安定しているのは、2人が揃っているという意味では全くなくて、2人が揃っているがためにイライラしているケースもあるので、それは全然安定していないわけです。それくらいだったら、はっきりと別れてお互いが、その男と女が自分の気持ちを落ち着かせた方が、子供はずっと安定すると思いますよ。こんなん当たり前の話なんですけどね。

 藤本先生が仰ったように、今の若い親御さんはどうも云々というのは、社会性が育たないまま親になってしまうケースがあると思います。

 蓮風 そうそう、そういう子が親になっていくんです。それを連鎖から起こった、まぁ言ったら幼稚な親。

 田中 社会性をなかなか上手く持てないから本人達も不安なわけです。親になったことも不安。公園デビューが命がけっていうのは、それぞれが社会性を持っていないから、お互いに年も違うお母さん同士がどうコンタクトとっていいかわからないから、軋轢が起こったりするわけですよ。それでもデビューせなあかんと思って必死になって悪循環になる。

 でもね、そんな風に育ってきて、自分が親になった人を、もう一遍育て直せって言ってもそれは無理なんで、彼らが、どう安定的に子供と家族を営めるかをみんなで考えていくのが大事で、それを否定してしまうのはやっぱりまずいと思います。

 蓮風 そうですね。それは全くそう。もうどうしようもない子供で、親が「私は扱いきれない」とか何とかいう場合にね、「あんた産んだ子に愛情はないのか」と聞くと「あります」と答える。で「その愛情というものをね、ずっとこう抱き続けながらね、子供を見つめてやったらどうや」と言うんですよ。だから親やからね、実際愛情が、あるかないかといったら、あるに決まっている、それやけど、それより他の楽しみに目が向くんやわ、親は。社会でチャラチャラした世界を求めてね。そうすると、子供、子育てに集中できない。だから本当は子供への愛情があるんだけど、それが希薄になってきて、その扱いがぞんざいになってくるというようなことはたくさんありますね。

 田中 ええ。それと、愛情を持たなあかんプレッシャー。親は何が何でも子供に愛情を持たなあかんというプレッシャーもかなりキツくて。たとえばね、兄弟がいる場合、親は一応聞かれれば平等にどっちも愛していると言うんですけど、明らかに好き嫌いあるんですよ。

 蓮風 それはありますあります。

 田中 そうした場合、お父さんは太郎君と次郎君をどっちも100%愛しているかというと、実はそんなことはなくて、ということも考えの中に含めないと、親に加重がかかりすぎます。

 蓮風 だけどその場合にね、重要なことはやっぱり、親はいいとしてもね、受け取る子供としたらやっぱり差別を受けていることは事実なんですよ。だからその辺りを埋めるにはどうしたらいいか。

 田中 そうです。

 蓮風 だからどっちを好きになって、どっちを嫌いになるか。嫌いじゃないけど、優劣があるんですよ。で、優劣に対して親側はそれでいいとしても、子供がどう受け取るかというとまずやっぱり差別受けていると思いますね、それだけで。だからそれを埋め合わせるにはどうしたらいいんですか。

 田中 藤本先生は、えらく難しい質問を投げかけられますね(笑)。埋め合わせることばかり考えるのは、さっき話題に出ましたが、周りと比べて、平均値を求めるのと同じ発想だと思うのです。少なくとも衣食住が親によって持続的に確保され、保証されていて、精神的虐待を受けているわけでもないのなら、たとえば、自分より弟の方が愛されているように見えることへの、怒りや恨みや悲しみを自覚した子供は、それを「負」として抱え込んだままでいるのはしんどいし、前を向けないので、どう受容していくかの方が重要だと思います。つまり、その感情を自分が人生を歩んで行くためのスタートラインと見定め、前へ進む力を獲得していくこと。

 子供の物語も、そのためのヒントを言葉で書き表し、大丈夫だよと励ます役割を担っていると私は思うのです。答えになっているかどうかは分かりませんが。

 蓮風 いや、話は先生尽きないけども、また次回に期待をしまして、今日は非常にご苦労様でした。東洋医学に対して色んな示唆をいただいたことも事実だし、人間を見つめる目というようなことが非常に良い話になったと思います。どうもありがとうございました。

 田中 藤本先生の包容力に甘えて、色々生意気な物言いもいしましたが、お許しください。こちらこそ、どうもありがとうございました。<終わり>

次回は歴史地理学者の川口洋・帝塚山大学教授との対談をお届けします。