蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

2019年08月


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川口洋さん(写真右)と藤本蓮風さん

 歴史地理学の視点を交えて鍼灸に迫った川口洋・帝塚山大学教授と、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談も最終回となります。これまでの各界の著名な方々のお話をお届けしてきた「蓮風の玉手箱」をお読みになってきた方は東洋医学と西洋医学に優劣はないという印象を強くされたと思います。今回も、そんな話題から今後の医療の在り方や人間の幸福について話が及びます。「正解」がない問題を探る醍醐味を楽しんでください。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 日本で医学・医療というとほとんどイコール「西洋医学」というのが現状ですが、これまでのお話では、先生は西洋医学と、鍼灸などの東洋医学とを、患者がうまく使い分けできるほうが良いという、お考えですね。

 川口 それが正解かどうかわかりません。私も、(蓮風さんの藤本漢祥院に)通院するチャンスがなければ、鍼灸の治療がどこまでカバーしているのか、知らずに過ごしたと思います。恥ずかしい話。

 蓮風 いえいえ。

 川口 鍼灸にこういう治療効果があることを知る機会が増えたら、苦しみが少なくなる方が増えると思います。

 蓮風 そうですね。僕はもうすぐ70歳で年がいってますけど、できれば私の存命中にね、鍼灸専門の病院を創ってみたい。

 川口 いいですね。ぜひ実現させてください。健康保険が適用されると、我々患者は助かります。

 蓮風 これでやれたら、自分の本望だなという風に思うわけです。やっぱり僕らの患者さんの中には、西洋医学でどうにもならん病気がたくさんあるんですよね。医学が発達したといいながらもね、実際は難病で、もう治らん病気もたくさんあります。で、ある程度それは医学が発展する事によって、解決するわけですけども…。そういう意味でもね、発達するということは逆にいうと未完成だということです。

 東洋医学の場合はね、根本は変わらんのですよ。気の歪(ゆが)みを治す、陰陽の調整という事で変わらない。この原則を外れないので、そういう意味では西洋医学ほど発達しない。逆に言えば発達しなくてもある程度対処できる、ということがいえると思うんです。だから、どれだけのことができるかということを実証してみせないかんわけです、だから「鍼灸病院」みたいなのがね、必要だなという思いがあるんですよ。こういう良い医学もあるんだよっていうことを知っておればいいけども、知らないのが大方ですよ。だからそういう意味で、この「蓮風の玉手箱」も、その使命の一環を成すものという風に思っているわけなんです。

 近現代においては西洋文化が圧倒的優位に立っておりますが、今後これが逆転するということはあるでしょうか、先生の歴史地理学から見て、どう思われますか?

 川口 地理学がどうということではなくて、価値観の問題ですのでね。どちらが優位かという設問自体が価値観の問題ですので、簡単に予測できません。

 蓮風 あぁ、そうかそうか。

 川口 価値観というのは、常に相対的です。近代の工業化社会、産業化社会に適する価値観を生んだのが、200年前のヨーロッパでした。その論理が世界を席巻して現在に至っているわけです。

 蓮風 そう、そういうことを、まぁ優位だと言っているわけです。

 川口 それは、あくまでヨーロッパ、西欧の主張です。2011年でしたか、ブータンの…。

 蓮風 はい、はい、はい。あの国王夫妻が来日されましたね。

 川口 ブータンというのは貧しい国です。しかしブータンでは「幸せですか」と尋ねられると「幸せです」と答える方が多いそうです。日本独自の価値観を主張する事がかなえば、つまり、一人一人が自分の幸せはこういうことですよと主張できれば、どちらが劣っているとか、優れているという議論は、成り立たないような気がします。

 蓮風 なるほどね。

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 川口 自分が見た感じではアジアは元気です。台湾に行っても、ベトナムに行っても、タイに行っても、日本ほど豊かではないですが、エネルギーが街を覆っているように思います。(1983年4月から1年間、日本で放映されたNHK連続テレビ小説の)「おしん」が、途上国で翻訳されて、視聴率がすごく高いです。日本を見習えというわけです。これほど頑張れば幸せになれるぞ、とベトナムだとか発展途上国の方が考えておられる。「おしん」の世界に同調して見ておられるわけです。日本の若い世代、自分の教えている若い世代が「おしん」を見て、心からシンパシーを感じるかと言ったら、感じないんじゃないかと思います。経済が成長して豊かな生活ができることが、本当に幸せなのか、よくわからなくなります。若い者は…と言い出したら、年寄りになった証拠ですかね。

 それにしても、今の若者は、頑張っておられる方も、たくさんおられるとは思うのですが、元気がないように思います。学生さんの年代で男女を比べたら、女性の方が元気です。一人一人がオーラを出して、幸せ感を持って生きることのできる社会を作るのが、政治の役割かと言ったら、ちょっと違うような気もしますが、我が国は心配な状況だと思います。活力が感じられなくなっているので心配です。

 蓮風 まぁ、心配ですね。ある歴史学者が言っているんですよね。古くは東洋医学が優勢であったと、で近現代になってグーッと今度は西洋の方が勝っていく。そうするとこの波からいうと次には東洋文化が中心になるんじゃないかという説を立てておられる。それと先ほど先生が仰ったように幸せ度っちゅうのは、宗教と深く関わってきますね。例えばブータン(の国教)はチベット仏教の一つであって。何をもって幸せとするか、なかなか難しいですね、英語で言えば確かにハッピーなんですけど、じゃあアンハッピーとは何か。その幸福感というのは、全くそれぞれが持つ価値観によってまさしく変わりますね。だけど一応、まぁ幸せだと。僕もたぶん彼らは日本人から見れば幸せだろうなぁと思うけれど、大きく宗教というものが関わっております。で、東南アジアの方でもそういう傾向がありますよね。

 ところが、この間、浄土真宗の佐々木恵雲先生(医学博士、藍野大学短期大学部教授)と話した時にも仰ったんですが、宗教というのは非常にまた難しいんですよね。凄く良い面と同時に、オウム真理教を生み出すような力も持っている。非常に爆弾を抱えているような、ある種の文化ですよね。だから、僕が一番言いたかったのは、先ほど歴史学者が言った、非常に古い時代は東洋が勝って、近現代においては西洋が勝って、次の時代に東洋文化が出てきた場合に、そのバックボーンとなる思想や考え方というものが、大いに見直される時代が来るだろうと思っています。僕は常に言うんだけど、東洋文化っちゅうのは根底には農耕文化があると思うんですよね。で、農耕文化というのは皆で手を携えて力を合わせないとできないんですよ。狩猟ちゅうのはある4、5人おればできるんだけど、農耕っちゅうのは、今は機械が発達したから、ある少人数でできるけど、基本的にはたくさんの人が協力してやる。ここにはある種の宗教性もあるし、多神教的でもあるし、そういうところに僕は人間の救済みたいなもんがあるじゃないかなという感じがしたわけなんですけども。今日は長い事、先生ありがとうございました。

 川口 ありがとうございました。きょうは、日ごろ考えたことのない大きな問題を考えるきっかけを作っていただきました。江戸時代から明治時代までの東洋医学と西洋医学との関係について、これからも考えていきたいと思います。<終>

次回は正倉院事務所長の杉本一樹さんとの対談をお届けします。


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川口洋さん(写真右)と藤本蓮風さん=奈良市学園北の藤本漢祥院

 4月になりました。読んでくださっている方の中には新社会人や進学した学生さんもいらっしゃるかもしれません。慣れない環境に戸惑ったり、新しい経験に驚いたり…。これまで知らなかった文化に触れた方も多いはずです。今回は違う文化同士が互いに触れ合ったときに、どのような影響を与えるのか、という話題から対談が始まります。では「蓮風の玉手箱」の第8回。歴史地理学者の川口洋・帝塚山大学教授と、鍼灸師の藤本蓮風さんのお話を味わってください。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 先生が歴史地理学を通じて色んな文献をお読みになったり、事実をご覧になったりしてきたなかで、異文化には双方に浸透する関係があるように見えることはありますか? 私は東洋医学という世界から、ほとんどが西洋的な考え方が主流になっている世の中に影響を与えています。ひとつの文化に異文化が入ってきて影響しあうことに関心があるんです。例えば、平安時代の安倍晴明で有名な陰陽師という存在。怪しげではありますけど、天文学の専門家でもあったわけですから非常に科学的な知識を持っていたわけです。でも幕末になって「よろず相談所」のようになって祈祷もしているという風に形態が変わってきていますよね。時代や社会の需要と供給の関係のなかで陰陽師の文化が影響を受けて変容してきていると思うんですが…。

 川口 そうですね。需要と供給の関係が、文化変容に一番影響しているのかもしれません。以前、アメリカの方と話していて、日本の生活スタイルとアメリカの生活スタイルが、ずいぶん違うのか、ほとんど変わらないのか意見が分かれたことがありました。横で聞いていたスウェーデンの先生が「じゃあ、ディベートを始めてください」と言われたので、一つ一つ例を挙げて比較してみました。生活スタイルの形の上では少し違うところがあるにしても、生活の基層にある文化の違いって、どんなもんなんですかね。よくわかりません。

 蓮風 そうですか。

 川口 安くて美味しいオーストラリアビーフが日本に輸入されて、調理されるようになったというのは、需要と供給の関係で説明できるのかもしれません。しかし、輸入された物を利用することと、先生の言われるように、考え方の根本部分を受け入れるというのは、随分違うことだと思います。

 蓮風 違いますかね。

 川口 人はどうしても母国語で考えてしまいます。我々の場合は、日本語で考えてしまうので、日本流の理解と言いますか、自分の生きてきた脈絡の中での理解になります。それを文化の受容というのかどうか、簡単に判断できることではないように思います。たとえば、キリスト教を自分で理解したつもりになることはあったとしても、その本質をヨーロッパの人達がキリスト教を理解しているのと同じように理解できるかって言ったら、そこのところは疑問です。

 蓮風 そうですね。だけど日本に西洋医学が入ってきてから、わずかの間でこれだけの勢力を持って、国から認められるところまで来ている。それを一つの異文化と捉えると日本人は結構器用に受け取っているんじゃないんですかね。ある意味では欧米の医療を越えるところまで来ていますよね。例えば万能細胞を発見して、それを移植手術に使ってみようと考えたり、次の新しい薬の開発に利用しようとしたりする。日本人は、そういう文化を受け止めて応用していくのがうまいですね。理解していないかもしれないし、猿真似かもしれない。そういうことを言うのは失礼かもしれませんが…。

 川口 たとえば、赤ちゃんが夜泣きします。疳(かん)の虫封じに、東北の山の中では、山伏さんのところへ行って、ご祈祷してもらうとか、お札を貰うだとかしています。あるいは赤ちゃんのヘソの緒を切ったら、下手くそやったらデベソになります。デベソを治すのに、お医者さんのところではなくてベテランの産婆さんのところへ行って対処してもらうのは、今でも行われています。それを医学というのかどうかは別としましてね。困ったことがあったら先祖返りして、伝統療法が脈々と生きているような気はします。しかし、伝統療法を利用する方も、血圧が急に高くなったとか、心臓発作で倒れた場合には、迷わず病院には行かれると思うんです。共生と言いますか、西洋医学も伝統療法も両方とも脈々と生きていて、生身の人間は、こういう場合にはこう、こういう場合にはこうと、使い分けをしているのかなという印象は受けます。
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 蓮風 そういう風に実際にはあるんじゃないかということですね。で、唐突なんですけど、先生にとって命、生命ってなんでしょうか?

 川口 ふだん考えた事がありません。考えなければいけない重要な問題ですが…。痛いところがない人は、健康や病気を意識しないと思います。自分もそうでした。ぎっくり腰で歩けなくなって初めて、改築前の近鉄学園前駅にエスカレーターもエレベーターも無いことに気付きました。障害のある方にとって、つらいことなのだと気付きました。生命についても、普段の生活では意識していませんが、阪神大震災の時にポートアイランドにおりましたので、緊張感がガッと高まって、ふだん考えない命の尊厳のことまで考えさせられました。生死の場に立ち会いますからね。

 蓮風 どこにおらはったって?

 川口 父が入院していたので、神戸のポートアイランドの病院の中におりました。

 蓮風 現場を見られたわけですね。

 川口 そういう時には、否が応でも感じます。

 蓮風 たくさんの人が亡くなりましたからな。

 川口 そういう時には、普段考えないことも考えてしまいます。

 蓮風 もう僕ら50年やっているんですよ、この仕事。そうするとね、まぁ軽い病気は軽い病気でやるんだけどね、重症も結構多くて、亡くなったって方も年間下手すると数十人になる場合もありますね。で、そういうことと常に繋がりながら診療をやっているわけで、なかなか人間が生きているというのは、ある意味で奇跡だなと思います。色んな点でね、本当は色んな力が支え合ってくれているんだけど、それを気づかないというのがほとんどですね。だから、そういう意味で昔から「賜る」ということを言いますね。貰ったもんやと。そういう感じはありますね。

 先日、初診で腎臓癌(がん)の方がいて、酸素吸入しながら電車で来たんです。舌とか脈とか診るとよくなることがわかったんで、それ以降、何回か治療して調子がよくなったんですよ。もう吸入器を外しても動けるようになっていた。ところがある日、可愛がっている自分の娘から、きつい事言われてそれがショックで一気に身体が弱ってしまった、電話で往診でもしようかと言ったら、「ぜひ来てくれ」と言われたので、行くつもりだったのに、その前に亡くなっちゃった。

 ちゃんとやれば助かるんだけど、その腕だけでどうにもならんこともあるんですよね。で、それはやっぱり運命というか、色んな大きな力で生かさして貰っているんだなってつくづく思いますね。だからそういう本当は助かるべき者が助からんっちゅうのは、人間の努力でどうにもならん部分がかなりある。で、そういうことに対して、生命というのはひとつの運命で繋がっているなという感覚を持っているわけです。だから大変な仕事でね、本当は。それを深刻に思っていくとね、ノイローゼになる位大変な仕事ですね。だけどもう、とにかく自分の存在を、鍼を持って少しでも苦痛を取ってあげる役目だと。人が助かる事をやろうということでね、自分の中で決着をつけるんですよ。だから後は、「人事を尽くして天命を待つ」という、もうこれしかないですね。そういう点で、生命と運命は繋がっているんだなという感じはしますね。<続く>


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日本での西洋医学の歴史について語る川口洋さん=奈良市・藤本漢祥院

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。歴史地理学者の川口洋・帝塚山大学教授と、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の7回目です。前回は完成品としての身体の「歪み」を取るという鍼治療の“メカニズム”について蓮風さんがあらためて説明してくれました。今回は川口さんが研究者としての立場から日本で西洋医学が定着していく歴史に言及しています。新しいものが本当にいいのか、「進歩」に見えることに「退歩」の可能性がないのか…。時代の分岐点とも言われている現代を検証する参考にもなりそうなお話です。(「産経関西」編集担当)

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 川口 黒崎千晴先生(歴史地理学者、故人)の御研究によれば、漢方のトレーニングを受けた従来開業医と、明治政府が創った医学部や医学校を卒業した無試験免許医、あるいは自分で勉強して内務省の医師開業試験に合格した試験免許医といった西洋医学のトレーニングを受けたお医者さんとの割合が、半々になるのは明治の終わりです。

 蓮風 明治の終わりまでかかりますか?

 川口 20世紀に入った時にちょうど半々になります。長い歴史を考えると、今はお医者さんと言えば国家試験に通って…。

 蓮風 ドクターですけどね。

 川口 ドクターになるわけですが、それが医者の過半数に達したのはわずか100年前の話です。長い歴史のごく一時期の現象にすぎません。医学教育がスタートした幕末維新期から、西洋医学はすごい実力を持っているのではないか、という幻想があったのではないでしょうか。しかし、明治維新から医制が確立する明治10年代まで、日本に伝わった西洋医学と東洋医学を比べて、どちらに実力があったか判定するのは簡単ではないと思います。

 蓮風 いや、あれは記録が残っているんですよ。実は「脚気相撲」※といいましてね、ご存じですか?

脚気相撲:1878(明治11)年、政府が脚気病院を開設して、漢方医学と西洋医学に、当時難病の一つであった脚気に対して治療成績を競わせた。当時の人たちは、これを「漢洋脚気相撲」とはやしたてた。漢方医は、適切な食事指導をとりいれて、巧みに脚気を治した。明治天皇も西洋医の処方を拒み、麦飯で脚気を克服した。脚気の治療では、当時は西洋医よりも漢方医の方が優れていた。

 川口 はい。

 蓮風 まぁ、西洋医と漢方医が、公式に競い合って、漢方医学が実際は勝っているわけですね、結果的には。だけど一般の医者を全部集めてやったわけじゃないんで。だからサンプルを作ったということでしょうね。

 川口 オランダ、ドイツからやってきた医学の外科治療は、漢方より優れていたと思います。一方、感染症の要因がはっきりするのは1880年代以降です。コレラ菌の発見ですとか、ペスト菌の発見ですとか、結核菌の発見とか、1880年以降、コッホとパスツールを中心にドイツとフランスで細菌学の華が開いたわけです。1870年代に明治政府が、医制、つまり医学行政の方針を決める時に、西洋医学が優れていると判断する根拠があったのか、もう一度考えてみる必要がありそうです。

 蓮風 そうですね。

 川口 江戸時代の終わり頃になると、漢方医であれ蘭方医であれ、熱心なお医者さんは、自分が読める漢訳の医学書を読むわけです。漢訳というのは、漢文に翻訳された西欧の医学書です。
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 蓮風 あれって先生どうなんですかね? 向こうから直接日本語訳したものより、漢訳の方が多かったですか?

 川口 江戸時代は漢訳の方が多いのではないでしょうか。中国へは西欧から人も書物もたくさん来ましたから。

 蓮風 交易やなんやもありますからね。

 川口 ヨーロッパの最新医学書が漢訳されるんです。その漢訳医学書で…。

 蓮風 日本人が勉強したと。

 川口 はい。漢方医のなかにも、漢訳の西洋医学書を勉強していた臨床家が少なくなかったと思います。そうでなければあのように劇的に明治前半で変化しないと思います。勉強家が多かったという気がします。今のように、お医者さんと言えば、医学部を卒業して西洋医学のトレーニングを積んだ方々だということになったのは、それほど長い歴史があるわけではないのです。自分が国外で見る限りでは、漢方だけではなくて、代替医学と訳される地元の伝統療法、ヨーロッパで言えばハーブを使って身体の不調を改善させるような、その地域その地域で身体の不調を整える方法は、伝統的に持っているわけです。そういったものが見直されてきたのかなという印象は持っています。

 蓮風 「自然と人間は一体」という僕の考え方。これが、現代のエコロジーというか…、自然環境を大切にせなあかん(そうしないと)結果として人間の身体に影響するんだという発想が今やっと出てきたんじゃないかなぁという気がするんですね。

 「生気論」と「機械論」の問題も実は古くからあったんだけども、なかなか医学の中で徹底できなくて漢方医学を本当に忠実にやると当然そんなことになるんです。そうでない文化に対しては違和感を持つ人が多いわけですよね。一般にはなかなか分かってもらえないですね。どっちかというとちょっと怪しげな雰囲気を持っているという印象をもたれるわけです。でも生命を本当の意味で説明するにはこっちの考え方でないと説明できないことが多い。特に先生のように不定愁訴を持っておられる方(笑)、西洋医学がなんぼ頑張ったかといって私の身体を何にもわかってないじゃないかという論に繋がってくるわけですね。そういう考え方が今後の科学とか、哲学に影響するかどうか知らんけど、そういうものによって影響した場合、文化が大きく変わるような気がするんですけどね。

 川口 そうかもしれないですね。我々は、分析的な考え方のトレーニングを生まれた時から受けています。戦後教育は、日本の伝統的なトレーニング方法というよりも、アメリカのトレーニング方法に大きく影響されて、幼稚園からずっと機械論的にトレーニングされています。そのため、『素問』や『黄帝内経』を訓読することは不可能ではないにしても、教育の土台が東洋風になっていないので、何が書かれているのか、考え方の基本を理解するのが難しくて意味が分かりにくいのではないでしょうか。

 蓮風 それはありますよね。<続く>

 



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初回公開日2013/2/16

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川口洋・帝塚山大学教授(写真右)と、鍼灸師の藤本蓮風さん
=奈良市の藤本漢祥院

 お花見の季節がやってきました。自然が失われているとはいえ、人間と四季のうつろいが織りなす習慣はなかなか変わらないものです。社会が自然と文明が融合した姿の一つだということを実感します。では文明を築いた人間は自然そのものなのか、自然と対立する存在なのか…。今回の「蓮風の玉手箱」はそんな問いに思いを巡らせるときのヒントになるかもしれません。では、歴史地理学者の川口洋・帝塚山大学教授と、鍼灸師の藤本蓮風さんの対話をお楽しみください。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 鍼や灸は単純に見えますが、これが病に効果があるのは、なぜだと思いますか?

 川口 なぜかは、私にはわかりません。(藤本漢祥院の)待合室では様々な患者さんがいらっしゃいますね。身体の不調じゃなくて、精神を病んだ方もみえているのではないでしょうか。

 蓮風 それはかなり多いですよ。

 川口 私は通院するまで、鍼灸の治療は痛みを取るものと思っていました。しかし、待合室で様々な病気の患者さんを見ていて、病の種類を問わず癒やしておられるのだと気づきました。私は長く通院しているので、どんな患者さんがみえるのかわかりますが、通院の経験がない方は、わからないでしょう。それが残念です。

 蓮風 たとえばですね、認知症は(高齢化に伴って)増えてきています。昔は“老人呆け”とか“痴呆”とか言ったけど、症状としては、ある種の“呆け”ですね。これは西洋医学ではある種のタンパク質が脳の神経細胞に蓄積し、神経細胞が破壊されて脳が萎縮してしまうんだ、と言うんです。アルツハイマー型とかいうんだけど、それがあまりなくても起こる場合もあるし、そういったものはやっぱり気の歪みという考え方からするとですね、ある部分は確かにかなり改善します。

 内科小児科の先生で京都大学を出ている医師が毎週研修に来られて「何でこんなに鍼が効くと思う?」と聞くと、「効くという事実を私は目で見た。しかし何でだろうなぁ」と言うので、「先生、人間の身体は完成品ですよ、未完成じゃないんだ」と説明しました。ところがね、よく考えてみると、西洋医学は未完成だと根底には考えている。何でかというと要らない物が出来たら取ってしまえ、足らないものがあったら足せという。「機械論」ですよね。東洋医学はそうではなく、「元々は完成品なんだから、完成品が未完成になることはない、完成品のままだ」ということになるんです。完成品のままで何かの状況の中で病気を起こす。東洋医学では病気は気という存在が歪んで起こってくると考えているわけです。

 ですから人間の身体が良く出来ているから鍼は効くということになる。極端に言うと、それを推し進めると、今度は鍼灸が効かなくなったら何をやっても効かんぞと…。そういう世界に私は気づいているわけです。ほんのちょっとした皮膚の接触によってですね、治るという現実もある。それはやっぱり生命というのは非常に完成しているからじゃないかなと私は思うわけなんです。だからどんな病気でも鍼の反応が悪くなったらダメなんですね。この間も癌(がん)でギリギリまできていたケースがありました。

 胃癌で(手術で)開いたけどどうしようもないから塞いで。それでぼつぼつ治療しとったんやけど、亡くなる前日まで来て脈やなんやを診て「これは明日来ない方がいいよ。もちろん本人が来たかったら来てもいいけども、多分しんどくて来れないだろう」と予言したら、その通りになりました。完成品の気の歪みの信号を読み取る事が出来れば、脈とか舌でそれがわかるわけなんですね。それくらい人間の身体っていうのは良く出来ているんだというのが私の考え方なんですがね。どうですか?この完成品だという考え方。

 川口 私は患者として来ていますので(笑)。

 蓮風 思ったとおりそのままの感想で結構です。

 川口 先生から「緊張しすぎ、もっとリラックスして」とご注意いただきます。緊張が続くと、お尻に現れたり、肩に現れたり、時によって、現れる症状は違うようです。不調の原因は、簡単には分からないでしょうが、自分で原因を考えるきっかけになります。先生にお目にかかると普段の私の生活態度が全部透視されているような気になります。
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 蓮風 元々は灸は煙が立ちますね。中国学というか、中国古代の考え方を研究している、京都大学名誉教授の山田慶兒という先生がいらっしゃいます。その先生は煙を出すというのは、燻(いぶ)すことなんだ。あらゆる邪気を払い除ける為にあるんだということを本の中に幾つか書いておられるわけですね。

 鍼は何かと言うと、春日大社権宮司の岡本彰夫先生とお話ししたんですけども、破魔矢というのがありますね、先が尖っていて魔を破る。そのことは源氏物語の中で光源氏が時々邪気というか、変なもんがあったら弓の弦を引くんですね、弓矢を引いている姿を模してやっているわけですね。だから針先の尖ったもので邪気を砕くという、あるいは封じる。だから「鍼」という字は金偏に咸(かん)。これが一番の正字なんですよ。「針」もあるけど「鍼」の咸(かん)という字は糸偏をつけると緘(かん)、封書の裏に緘と書いて、封ずるという意味ですよ。だから鍼でもって病を封ずる。こういう意味がどうもあるみたいで。ですからこの鍼灸というのは人間が持っている根源的な一番古い病に対する考え方、邪気にやられると。それを封ずるんだという考え方、それは艾(もぐさ)では燻すし、鍼では突き刺して魔を取るという考え方にどうも繋がっているみたいで。人間の病気に対する願いというか、そういう意思が物凄い強く出た医学じゃないかとも思うんですよ。

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 川口 中医学は、薬の治療と鍼とか灸など様々な療法の組み合わせではないのかと思います。広い中国で、薬を主に使う場所、薬の種類が非常に豊富な場所、鍼やお灸を主に使う場所があるのでしょうか?

 蓮風 そうそう、それこそ地理によってね、南の方は草が多いけども、乾燥地帯、砂漠地帯では無いですよね。そういった事も鍼の発生と繋がりがあるという学説もあります。

 川口 場所によって、自然環境によって、その場所に適する療法もあるのでしょうか?

 蓮風 あります。(東洋医学の聖典の)『素問』の「異法方宜論」というところには海辺で塩辛いものをよく摂る人間は血液がおかしくなる。だからそれは鍼灸で治すんだという説がある。薬はずっと南の方から起こったと。(医薬と農業を司る神の)神農さんみたいなね、ああいったのも、南の方から起こったと書いてある。それから『素問』の中には湯液、薬ですね、この薬は身体の内側を治す。鍼灸は外側を治す。両方でもって内も外も治るという事が書いてある。

 川口 役割分担ですね。

 蓮風 そう。必ずしも内に入るから内、外からやるから外というわけじゃないけども、役割分担があることを言っているわけですね。「薬師」と書いて「くすし」と読むんですね。これは元々くすぐるという言葉がありますね。

 川口 はい。そうですね。

 蓮風 触るんですよ。昔は医者を称して薬師と言っているわけですね、鍼灸師もそうなんです。だけど薬を中心とする医療と、鍼灸を中心とする医療が分かれていたと。中国の宋の時代に『鍼灸資生経』という本があるんですけども鍼・灸・薬の三つを用いて本当の医療なんだと説を打ち立てていますね。ですから手で触れて手当てをやるという事では根源的に一緒なんですがね。ただ先生がおっしゃるように確かに薬がよく取れるところと砂漠地帯のように取れないところとあるんでそういった地域性の問題もある程度医療を限定する要因の一つかなとも思いますね。今日はなかなか面白い話が出ているわけで、私の一番の課題はここなんですがね。この医学の考えは今後の文化、学問に与える影響は何かあると思われますか?

 川口 将来予測はしにくいので、過去のことをお話ししたいと思います。先ほどから話が出ていますが、江戸時代には、ほとんどの医者が和風漢方でした。蘭方医は、わずか“0.何パーセント”といった割合です。明治政府が医制を改革して、医師開業試験を始めましたので、その割合は少しずつ変わっていきます。それでも急に変えることはできないわけです。江戸時代の終わりまでお医者さんといえばほとんど全部が漢方医であったのに、明治政府が方針を180度変えると、西洋医学のトレーニングを積んだ方がいきなりワッと出て来て、入れ替わるという事はありえません。

 蓮風 ありえないですね。<続く> 


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初回公開日2013/2/16

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藤本蓮風さん=奈良市の藤本漢祥院

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。歴史地理学者の川口洋・帝塚山大学教授と、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の5回目です。今回は東洋医学の考えを知るキーワードともなる「生気論」についての話題から始まります。「生気論」と聞くと、古代ギリシャの哲学を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょうが、実は東洋医学の思想と通底しているというわけです。身体をめぐる様々な考え方をもとに生命について思いをはせてみてはいかがでしょうか。(「産経関西」編集担当)

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 川口 「生気論」とはどういうものですか? 簡単に教えてください。

 蓮風 簡単に言いますとね。「生気論」の反対が「機械論」なんですね。人間の身体はメカニックで、部品が寄り集まってできてるから、その部品をひとつずつ点検…。つまり検査ですね。部品をひとつずつ点検して問題がなければ異常は「ない」とするわけです。これが「機械論」。これに対して「生気論」は、そんなバラバラに、生命ちゅうのはできないんやと…。元々ひとつの、つながった全体で、もっとこう、エネルギッシュな何かが動いて、人間の身体を動かしてるという考え方ですね。で、この生気論というのは元々ギリシャの哲学者アリストテレスあたりが、既にそういうことを言っているんですよ。

 川口 なるほど。

 蓮風 はいはい。現代もね、生物学上では「機械論で説明できる」「否、生気論でしか説明できない」とする連中同士が論戦しています。現代、医療現場では機械論のほうが勝っているのが現実です。だけど、我々の方から見ると、先生がおっしゃったように「肩が痛い」「頭が痛い」「腰が痛い」…。だのに、なんぼ検査をやっても(原因が)出てこない。それは、部品を見てるからですね。ところが我々は「生気論」全体の「気」という、ひとつのプシュケーみたいなもの考えてるわけです。それに歪みがあると考えると、説明つくんです。だからそれに対して治療すると実際、楽になったでしょ? 先生?

 だから、この事によって「生気論」ちゅうのはやっぱり間違いはないんです。だけど、もっと公平に見ていくと確かにね、いま心臓の移植などの臓器移植なんかに見られるようにですね、機械論の部分もある程度あると思うんですよ、公平に見てね。東洋医学はもっぱら「生気論」ですけども、全体として生命を見た場合に、やはり「生気論」の方が本当に生命の実像に迫っているんじゃないかというのがまぁ、僕の考え方なんですがね。こういう事でどうでしょうか?

 川口 「機械論」と「生気論」は、スタンダードが違うわけですね。

 蓮風 そうそうそう、土台が違うわけです。

 川口 出発点から違うということですね。
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 蓮風 はいはい。それが実は、西洋医学と東洋医学の違いというか、根幹的、根本的な違いになる。我々、臨床家から見ますとですね、癌(がん)で西洋医学では「絶対ダメだ」と言われた患者さんが、私の治療を受けてますが、例えばね、乳癌で骨転移してもうだめだと医者から言われていたのに、鍼を併用して疼痛も緩和されてもう7年保っているんです。抗癌剤もやってるけど、抗癌剤だけではそれだけの効果はふつうは出ないそうです。これは生気論の有効性を証明していると思うんです。

 川口 人間の身体も、心も含めてトータルに診て、体調の改善を図るということでしょうか。

 蓮風 その場合のトータルも部分部分を寄せ集めてのトータルじゃなしに、元々ひとつだったんだと、分ければこうだという発想と、バラバラのものがひとつになって統一だという考え方の大きな違いだろうなと思うんですがね。どうですか、こういう考え方?

 川口 地理学は英語で「Geography(ジェオグラフィー)」と言います。「Geo(ジェオ)」が地球とか大地という意味で、「graphy(グラフィ)」が叙述する、描写するという意味です。2つの言葉からできているんです。グラフィという語尾がつく分野には、他に「Bibliography(ビブリオグラフィー)」、書誌学ですとか、「Demography(デモグラフィー)」、人口学ですとか、そういう分野があります。同じGeoが付いても「Geology(ジェオロジー)」、地学のように、「logy(ロジー)」という、理性や真理を意味するギリシャ語のlogos(ロゴス)を語源とする言葉が語尾に付く分野があります。グラフィの方は、先生がおっしゃることにつながるかどうかわかりませんが、百科全書的に総合的に見たいという分野です。地理学では、その場所に住んでいる人々の暮らしを総合的に見なければ、その場所の特色がわかりません。逆に、分析的な科学には語尾にロジーがつきます。西欧の学問分野のスタイルにも、大きく2つか3つくらいあるのかなという気がします。私の専門は地理ですので、先生が御著書の中で詳しく書いておられる、総合的につながりを見たいというお考えに親近感を覚える気がいたします。

 蓮風 そうですね。私ね、ここ6年ほどね中国語を学んでるんですわ。年寄りがね(笑)。その中で、この間、面白い言葉を教わりました。「離不開」。中国語では「リーブカイ」と言いますが、離そうとしても離すことができない。いい言葉ですね。バラバラのように見えても、実際は切っても切れない関係。こういう中国語があるんですよ。これは生命というものは「機械論」の部分もあるけれど、最終的にはこれだろうと私は思うんですよね。非常にいい言葉で、もう物忘れのひどい年寄りですけれど、これ忘れることが出来ないんですわ。ええ言葉を教えてくれました。はい。



 川口 ちょっと話が変りますが、私は学生さんの発表や様々な会議で研究発表を聞く機会が多いわけです。同じ分野の方だと10年以上の付き合いになります。同じ方でも、身体からエネルギーがバーっと出ているような発表される時と…。

 蓮風 いわゆるオーラのある?(笑)

 川口 ええ、同じ方でも、丁寧なご報告ではあっても、あまりエネルギーを感じない時があります。この発表は素晴らしいと思う時には、その方からオーラが出ているように感じます。

 蓮風 ああ、そうですか。中身もあるんだけども、なんかその言葉とかそういうもの超えて、なんかこう光り輝くもの感じると?

 川口 はい。そういう時があるんじゃないかと思います。若い院生や若い先生からも、すごい迫力が伝わってくるような時があります。同じ人でも、場面によって気迫が変わりますね。<続く>

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