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「和クリニック」での村井和さん。
カメラで患者の舌の様子などを記録する=和歌山市吹屋町

 鍼灸学術研究会「北辰会」代表の藤本蓮風さんがさまざまな分野のエキスパートをお招きして鍼(はり)について語り合う「蓮風の玉手箱」をお届けします。医師で鍼灸を治療に取り入れている村井和・和クリニック院長との対談の2回目です。
 前回は神戸大医学部を出た村井さんが兵庫県立尼崎病院で消化器内科と東洋医学科を掛け持ちして治療をしていた時のことを話してくださいました。今回はその続き。同県立東洋医学研究所所長などもつとめ漢方医学の著書も多い松本克彦医師のもとで勤務されたころの思い出から、お話は始まります。(「産経関西」編集担当)

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 村井 入院患者さんを担当させていただいたり、最後のほうは外来もさせていただいたりしたんですけど、たくさんの患者さんが来られて喜んで帰られますけど、病棟の患者さんは結構重症の方が多くて、やっぱり漢方は補助的な感じで扱われてるというふうに、病院では思いました。自分自身も、そこで出産したんですけれども、すごい難産で、もう死にかけるぐらい。その時に東洋医学で何もしてもらえなかった。母がずっと何日間もつきっきりで、なかなか生まれないっていうことで、助産師さんが母に「免許をお持ちなのでしたら、それを活かしてぜひ鍼をしてください」って仰ってくださったんです。

 その時「三陰交」(ツボの名前)に鍼をしたら子宮口がずっと開かなかったのがある程度は開いたんです。そのタイミングとかやり方とかもっと工夫したら上手くいったんじゃないかって、すごく思いましたね。

 蓮風 先生の話は非常に実体験が多くて興味深いわけですけども、そうですか、ご出産に関してそういう体験を持っておられるわけですね。で、西洋医学の勉強なさって、東洋医学的な考え方について松本克彦先生からお話を聞いて、最初はどういう風にお思いになったんでしょうか?

 村井 小さい頃から親しんでいる世界でもあったので、違和感はなかったんですけど、やはり用語とかが独特ですし他の西洋医学と掛け持ちでするので、結構ちょっと体力的にも…。

 蓮風 うふふふ(笑)。

 村井 もともと運動もしてなかったんで、すごく体力なくって。で、研修医時代に、眼の病気になったりとか、下血してたりとか、体調がものすごく悪かったんですよ。不眠もありましたし。で、一生懸命勉強しようと思っても、ちょっと…。

 蓮風 身体が付いていかなかった?(笑)。

 村井 身体が付いていかなかったところも(笑)。

 蓮風 やる気はあるけれども(笑)。

 村井 はい。当時の研修医というのは、特に激務だったので、周りに難病になって、医者を続けられなくなる方とかも結構いました。

 蓮風 うんうん。

 村井 あの時、おばあちゃんの傍にいて、鍼を受けられていたら、もうちょっと体調良くしっかり勉強できたかもと思ったりもしますね。
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 蓮風 うんうん。なるほど。私もね、あれ、今からもう十何年前ですかね。診療中に突如、あなたのお母さんから電話がかかってきて(笑)。「今から行くから診てくれ」と言う。あれ、どういうことやったんでしょうか?

 村井 数年ぶりに奈良の三輪山に家族でお参りに行ったんです。祖母が良くお参りしてた神社で…。

 蓮風 ああーお参り、信心してはったんや。

 村井 ええ。その帰りに、ちょっと電車が動かなくなって、バスで迂回して駅まで行かなくちゃいけなくなったんです。私、バスで立っていられなかったんですよ。で、母が、もうこれは私の手に負えない、と思って蓮風先生に電話したんです。まあ、「放り投げたんや」と言うてますけど(笑)。もう蓮風先生しか頼れない、と思って。

 蓮風 うん。あの当時はね、先代の和風さんはね、生きてはおったけども、もうほとんど仕事できなくなった段階で。たぶんそれでお母さんも、それじゃあということで僕の所へお連れになったと思うんですね。で、その当時の先生のお身体の状態を、眼とか色々あったけども、簡単にちょっと聞かせて頂けますか?

 村井 そうですね。まぁ仕事はできない状態で(休職していた)。

 蓮風 そうでしたね。

 村井 ええ。その時は2003年の夏。ちょうど10年くらい前ですね。で、右眼に炎症が起こって、痛みと眩しさがステロイドで治まるんでずっと点眼し続けてて…。でも副作用もあって「これ以上ステロイドを出させてもらうわけにいきません」って、眼科の先生もおっしゃって。で、他に治療法もないと言われました。首とか腰とかがほとんど常に痛くて、頭痛とかで週に5日くらいは寝込んでいるような状態だったですね。

 蓮風 確かにまあ、僕の記憶もだいぶ薄れているんだけども、かなりお疲れが酷くって。で、あの当時使ったツボというのが「後渓」もあるけども「内関」をよく使ったんですよね。

 村井 そうですね。

 蓮風 「内関」を使うということは余程の肝鬱のきついやつで、しかも重症なんですよね。しかしながら、まあ、症状としては重いけれども、東洋医学的には、邪気も強いけれども正気もしっかりしているという風に見立てたから「内関」使ったんですよね。

 村井 はい。

 蓮風 それからどうなったんでしたかな?

 村井 そうですね。それから、どんどん元気になりまして、そういう身体の痛みもなくなりまして。

 蓮風 確か僕はあの時「仕事に復帰してからもまた鍼の治療を受け続けたらどうや」と言ったと思いますね。

 村井 そうです。

 蓮風 それは何回目ぐらいに言ったんですかね?

 村井 もう初診の時ですね。

 蓮風 だいたい職場復帰はそれから何年くらい経って?

 村井 8月に初診で11月の初めに職場に。

 蓮風 ああ、もうすぐ行きだしたんやね、うん。

 村井 だから、3カ月くらいで復帰ですね。〈続く〉