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竹本喜典さんが所長をつとめる診療所がある山添村の一角

 鍼(はり)の可能性を探る「蓮風の玉手箱」をお届けします。医師で山添村国保東山診療所長の竹本喜典さんと、鍼灸学術研究会「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談も終盤に入ってきました。毎回、読者としては「発見」があるのですが、8回目となる今回は特に興味深いことが語られています。先に“ネタばらし”をしてしまうと「治してはいけない病気がある」という考え方で、おふたりの意見が一致しています。意外な言葉ですよね。詳しくは本文で、ご覧ください。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 僻地で内科的な疾患ではどのようなものが多いですか? 高血圧の問題が出ましたけれども、他には?

 竹本 はい。色んな統計もあるんですけれども、やっぱり高血圧、糖尿病、高脂血症とか心不全とか慢性の肺疾患だとか、あとは整形外科的な問題とかいうのが多いんじゃないかと思います。

 蓮風 内科的な疾患というのはある程度限定されるわけですか?

 竹本 いや、そうではないんですけども、イメージよりはたぶん整形外科疾患が多いんじゃないかと思います。僕が整形外科というのももちろんあるんですけれども、ニーズとしては大きいです。

 蓮風 やっぱりこう農作業をする関係ですかね、生活環境とか。

 竹本 そうですね。(農作業をやっているので)ちょっとくらいは腰も痛くなるやろ、というのは、もちろんあるんですけれども、やっぱりあちこち痛くて辛がってはる人は多いと思います。

 蓮風 痛みですか。人間やから痛みはあるわけで、最も人間的な苦しみのひとつですね。苦しみというと宗教での救済も考えられますけど、先生は医学と宗教との問題には、どのような考えを持っておられますか。

 竹本 難しい質問なんです(笑)。もともと僕、宗教とか大っ嫌いだったんですよね。なんかこう、うまいこと人を束ねるために使うとるわと、そんな思いを昔は持っていたんですけど、今は必要なもんなんだろうと思っています。ただ頼ることで安心できて、うまいこと変われたり、安定したりする人が多くいると思います。自分の中での価値観とか倫理観みたいなものが、形となれば、ひとつの宗教なのかなと思ってます。

 宗教と痛み、苦痛がどうとは、あまり考えたことがなくて良い答えがありませんが、痛みがなぜ起こってくるかとか、それはメカニズムとしてじゃなくて、文脈的に考えるというんですかね。「こうこうこうやったから、こうならないと、しゃぁなかったんちゃうかぁ?」とか。「ブツブツがなんで顔にできるのかいうたら、それは外に見せなあかんから、できるのとちゃうかぁ?」とか(笑)。まぁ、なんかそういう物の捉え方みたいなのも、どっかではあってもいいのかなとか、そういう因果関係みたいなものをいろんな方面から考えてみたいなとは思います。全然宗教の話じゃないですけど(笑)。

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 蓮風 そういったことは結局のところ、病める人とは何か、患者さんとは何か、それから人とは何か、というところに関わってくると思うんですよね。ですから、まさに人さまざまで、もう色々ありますよね。極端な場合は、病気に逃げ込んだ方がその人の人生にとって楽なこともある。

 竹本 はい、治してはいけない病気があるってことですね?

 蓮風 そうそう「緩衝地帯」というかね。

 竹本 治らないんですよね、そういう人。

 蓮風 治しちゃいけない。で、そういう疾患に対してはどうですかね、先生だいぶ診られましたか? そういう人。

 竹本 引きこもっちゃう人とか、なんかいろんな理由があるんだろうというような人っていうのはありますし、確かにその人の一つの言い訳になってんのかなと思うこともあります。で、そういう人に対しては「そんなんやったらあかんやんか!」と、昔は思ってたと思いますし、今でもそう思っちゃう時もあります。だけども、そうじゃなくて、その人の生き方としての現時点での「形」かなというように思うようになりました。

 蓮風 そうですね、その「形」を病気として捉えるっていうことが必要か、どうかっていうことがありますね(笑)。生き方の「形」に向き合う場合は病気とは違うアプローチが大切になってきますけど、患者本人は病気ということで来るわけですし…。

 竹本 でも、それも含めて治したろと思うんですけど、まあ現実は難しいというか・・・。

 蓮風 難しい…。

 竹本 ちょっと目標として置いとこかっちゅー感じです。

 蓮風 そうそう。で、僕らも若い頃はね「コノやろ、なんだ、お前の考え方が間違っとるからそういうことになるんだー」いうようなことを常々思っとったけども、事実、そういう部分もあるんだけれども、しかし同時にね、こう幅広く人間を見つめた場合に、やっぱこういう苦痛があって、そこに逃げ込んでいるのが楽かなという人生訓みたいなね。人間理解においてそういう幅がないと、患者さんを本当の意味で救うことができない。

 私が宗教と医学の問題を取り上げた理由はそのあたりにあるんですよね。結局、病気も治さないかんけど、人間が救われないかんのですよね、それなりに安心立命が得られないといけない。医学的には、いろんな理屈はあるけど、救いとか、安心立命っていう部分には無縁ではいられないと思うんですわ。だからその部分は、単なる医学じゃなし、単なる宗教でもない、そういう部分がね、やっぱり患者さんを診る場合に大事やなというのがつくづく思うところなんですけども。

 竹本 なかなか、宗教家にはなれないですけど…(笑)。でも、段々そういうことを考えるようになったと思います。

 蓮風 そうですね。やがてそれがまた先生の人生を深くしていくし、医者としての深みも出てくると思うんですけれども。〈続く〉