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奈良・山添村の風景=2013年10月11日

 鍼(はり)の可能性を探る「蓮風の玉手箱」は、鍼灸学術研究会「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんと、医師で山添村国保東山診療所長の竹本喜典さんとの対談の9回目をお届けします。これまで8回にわたり、おふたりのやりとりをお伝えしてきて、医療に従事する人々は「病気」ではなく患者さんそのものと対峙することの大切さを再認識したように思います。みなさんはいかがですか。現代の医療現場では木を見て森を見ないような状態が普通になっていないでしょうか。これは患者の側にとっても大切なことで自分の病巣や痛みだけを考えるのではなく自身全体の見直しも必要のようです。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 50年も(鍼灸師を)やってると、相当いろんなものに当たります。夫婦喧嘩の仲裁に入ったり(笑)、袋だたきにあったり、ヤクザが殴り込みに来たりね…。もう命懸けの事がたくさんありましたね。でも、そういうことも含めて、全体として人間を見た場合に、人間というのは可愛い存在だなというふうに思えてきたんですよね。だから先生がおっしゃったように患者さんが痛みや病気に逃げ込んでいる場合もあるというのは、推察なさった通りだと思いますわ。

 竹本 いろんな人がいて、いろんな性格とか、生き方があって良いんですよね。病気であってもいい時期もあるんだと言うことが、少しは腑に落ちるようになりました。(患者の行動や発言に対して)怒らんでもようなったいうのは、その辺に理由があるのかなとは思います。

 蓮風 なるほどね。で、まぁどうですか? 端的に患者さんとはどんなもんやと、それから人とは何なのか、これから医者を志す人とか、鍼灸を志す人に「自分はこういうふうに思うけどどうだ!?」っていう話があったら、お伺いしたいんですが。

 竹本 僕ね、南方熊楠が大好きなんです。ちょっと読んだ本に、熊楠さんが、「因」があって「結果」があるんだけど、そこに「縁」がないと起こらないというような考え方を書いていたように思うんです。

 蓮風 要するにその、種があるから発芽するとは限らない。そこには一定の条件が…。

 竹本 そうそう。その「因」が結果に変化するための条件である「縁」というのが、別の因果から起こっている。因果同士が複雑に重なってそれぞれが「縁」となっているって言ってはるんです。結局、何が言いたいか言うたら、患者さんと診療で交わるというか、それが、その患者さんの「因果」でもあり、自分の中で自分のまた成長の「結果」にもつながるものだ、というふうなイメージ…。

 蓮風 それは仏教的にまとめると、「因・縁・果」ですね。つながりと、いうことなんですね。

 竹本 そうそう、そうなんです。患者さん一人一人を診るというのは、患者さんを良くするということでもあるんですけれども、自分がやっぱりひとつずつ変わっていくための、その一つ一つの「因果」の重なりというような考えで生きたいなと思っています。

 蓮風 そうですね。私もね、この鍼灸をやりだしたのが21歳。で、それまではね、もうしょっちゅう病気してた。もう病気だらけで、今から思うと自律神経失調症もあるし、胃潰瘍みたいなのもあって、血吐いてた。だから親父にしょっちゅう鍼してもらって、まぁ、それはそれで助かっとったんやけど、なかなか治らん。

 開業して半年ですわ、元気になってきた。今の話聞いてるとね、患者さんを治すと言いながら、実は自分が癒やされとった(笑)。医療というものの不思議さというんか、「因・縁・果」の関係で患者さんとの関わりの中で互いに「因」となり「縁」となり、そして「結果」を作っていく。なんかこれがね、すごい、医療のね、本質を言い当ててるように思うんですよ。うんうん、素晴らしい! 先生、お悟りを持っておられる!

 竹本 医療じゃなくても、そうなんだろうと。いや、そんな宗教家みたいに…(笑)。

 蓮風 いやいや、そういうことでしょうね。

 竹本 そうやって関われたらいいかなと思います。

 蓮風 そうですね(笑)。わかりました。で、もうだいぶ終わりに近づいてきたんやけど、医療やってて、何が楽しみで、何が幸せなんですかね?

 竹本  やっぱり元気になってもらって「ありがとう」とか「ああ、ようなったわ」って言って、喜んでもらうのは幸せですね。というのと、また釣りの話になりますけど、「してやったり、よっしゃー」みたいなのがすごく楽しいです。「あれ?なんで治ったんやろ?」みたいな…釣れてしまった大物みたいなのは面白くないです。一所懸命考えて、狙って釣った魚っていうのは、大物じゃなくてもうれしいものです。同じように、自分の組み立てとか自分の仮説がうまくいった治療っていうのが、ものすごく嬉しいです。
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 蓮風 なるほどね。僕は『鍼灸医学における実践から理論へ いかに弁証論治するのか』という本をシリーズで4冊書いてるんですけど、あれ、お読みになりました?

 竹本 もちろん読みました。

 蓮風 ああ、そうですか。「もちろん…」ですか(笑)。 あの中で私がひとつ言ってるのは、医療とは結局「苦痛に歪んだ顔を喜びに満ちた顔に変えることなんだ」っていうこと。要するに、痛みもあり、それから病気で苦しんでいる姿もあるんだけれど、それがホッと救われる。病気によって治らんやつもありますやん、ねぇ? だけど「先生にここまでやってもらったから嬉しい」って言われた時にもう、猛烈な喜びが起こってきますね。

 竹本 頼りにされて、喜んでもらったら嬉しいですね。

 蓮風 まぁ、究極は同じこと言ってるんだろうと思いますけれども、先生はそれを魚釣りに例えておられるわけで、大物は大物で面白いけれども、小物であっても良いんだと。

 竹本 そうですねやっぱり。遊びと同じにしたら悪いですけれども…。

 蓮風 結果的に、喜びを与えたということ。それが大であろうが小であろうが構わんのやと、いうことですよね。同じこと言っておられると思います。

 竹本 喜んでもらって、必要としてもらえるっていうことと、その過程が面白いということですね。

 蓮風 そうですね。だから、医療の中にそういう心情的な側面と、何とかして治そうといった時にそのメカを考える。それは、我々は「弁証論治」というんですけど、弁証論治がうまくいった時にやっぱりとても嬉しいですね。

 竹本 はい、嬉しいです。

 蓮風 で、うまくいかんこともあります。例えば私の娘がね、悪性リンパ腫で、もうホント苦労して…。結局、向こうへ逝っちゃったんだけど、その同じ悪性リンパ腫でね、徳島からきている50歳代の女性をほぼ治した段階に入ったんですよ。だから、敵(かたき)とったように思って、非常に自分では嬉しいわけです。不可能を可能にする喜びみたいな…。先生はどうですか?

 竹本 まだまだ遠いんですが(笑)。もちろん不可能を可能にしたいです。魔術でもええから治したいとも思います。でも現実はそうはなかなかいかないので。

 蓮風 それはこれからですわ。

 竹本  そうですね。積み上げていく中で、そこまで、たどり着けたらいいと思います。〈続く〉