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初回公開日 2014.1.18
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藤原昭宏さん=2014年1月10日「藤原クリニック」

 鍼(はり)の力を探求する「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回から医師で、「藤原クリニック」院長の藤原昭宏さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんの対談が始まります。蓮風さんと北辰会ゆかりの医師の方々の対談は「和クリニック」院長の村井和さんから始まって藤原さんで第4弾となります。お医者さんが鍼灸に関心を持たれた理由はさまざまでしたが、その背景で現代医療の問題が浮き彫りにもなってきました。藤原さんはどうだったのでしょうか。まず初回は医師を志したきっかけからです。(「産経関西」編集担当)

藤原昭宏(ふじわら・あきひろ)さん

藤原クリニック(鍼灸・漢方・ペインクリニック)院長。兵庫県尼崎市出身。大阪星光学院高校卒業後、京都府立医科大学医学部へ入学。昭和62年同大学卒業、同年4月から同大学附属病院の麻酔科研修医、京都第一赤十字病院麻酔科、同大学附属病院麻酔科助手、京都きづ川病院麻酔科部長などを経て平成16年10月、京都府城陽市に同クリニックを開業。

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対談する藤原昭宏さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

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 蓮風 「蓮風の玉手箱」のドクターとの対談シリーズも先生で4人目となります。よろしくお願いします。まず、なぜ、お医者さんになられたか、というところからうかがいたいと思います。

 藤原 元々ね、私は文科系というか、できたら弁護士さんになりたいなと思っていたんです。それで文科系の勉強をずっとしていたんですが、たまたま当時ロッキード事件で、田中角栄さんが捕まった。で、大物弁護士をつけてですね、何億か払って、保釈されてしまうということがありました。当時は真っ直ぐやったんでね(笑)、なんで弁護士は、そういう人を弁護するのか、なんかおかしいじゃないかってね。

 で、単純ですから何か嫌になりましてね。じゃあ何をやりたいというものがないし、就職してサラリーマンになりたいという気もなかった。これは困ったなと思っていると、当時、医学部ブームがね、始まりつつあったんです。自分で言うのもなんですけど成績がイマイチの人達が次々医学部コースみたいなのに挑戦するんです。あの人らが行くんやったら医学部受けようかみたいな。文系やったんで、理系の勉強が必要やったにもかかわらず、無謀にも…。法学部に行くのをやめたのは正義感溢れてたみたいなところはあるんですけど、医学部を目指そうと思ったのはそういう不純な動機でした。

 蓮風 元々、法律の専門家になって弱い人を助けたいということが希望やったんやね。

 藤原 そういうことだったんです。

 蓮風 そんなイメージが崩れてしまったわけですね。じゃあ何が残っているかということで医学部に行きはったんですね。

 藤原 医学部ブームがあってね。そっちに行ってしまったという感じでね。だから患者さんを助けたいとかという具体的なことじゃなくて。

 蓮風 助けるということではね。

 藤原 弱者をね、助けるという気持ちはあったんでしょうけど…。
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 蓮風 なるほど。で、どうですか? 実際に医者になって。先生もう何年になられるんですか? 臨床やりだしてから。

 藤原 臨床15年ですね。

 蓮風 15年ですね。「きづ川病院」に長いことおられたみたいですが。

 藤原 そうですね。大学も長かったですし「きづ川病院」も10年以上いました。計らずもというか、当然臨床をやっていると、結果的にはね、お助けすることができた患者さんもいますし、助ける手術の手伝いもできました。ペインクリニックを通じて痛みで苦しんでいる人を助けることができる。そういう仕事に就けたのは、非常にありがたいですね。

 蓮風 良かったですね。

 藤原 良かったです。

 蓮風 そういう中で、最終的に専攻なさったのは麻酔科なんですね。これは何か理由があったんですか。

 藤原 これはですね、痛みの治療に凄く興味がありまして。

 蓮風 麻酔というよりもペインクリニックですね。

 藤原 そうなんですよ。とにかく麻酔が何者かというのは、大学でサラッと研修しているだけですので、実際はやったこともない。だから麻酔そのものがどういうものかというのは全然わからずに、ただただ患者さんの痛みが取れるんだと…。痛みというのは患者さんの悩みの根本の問題ですからね。そこに携わることができるんであったらこれはいいんじゃないかと。だから僕は麻酔なんかいいから、その痛みの治療をやりたいという一心で麻酔科を選んだということですね。〈続く〉