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初回公開日 2014.3.29

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鈴村水鳥さん

 鍼の知恵を明らかにする「蓮風の玉手箱」は今回から新しいゲストの登場です。鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんと、語りあっていただくのは小児科医の鈴村水鳥さんです。医療に取り組む真摯(しんし)で誠実な姿勢が初回からも伝わってくるはず。このシリーズで対談されたメンバーのなかでは最年少です。まずは医師を志した理由からお話が始まります。(「産経関西」編集担当)

鈴村水鳥(すずむら・みどり)さん 
小児科医。1983年(昭和58)年愛知県生まれ。私立滝高校(愛知・江南市)卒業後、2003(平成15)年、東京女子医科大学入学、09年3月、同大学卒。同年4月から名鉄病院で初期研修医のスタートを切り「北辰会」入会。11年4月から同病院小児科勤務し13年10月から名古屋大学医学部付属病院小児科勤務を経て14年4月から名鉄病院小児科に復帰予定。

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対談する鈴村水鳥さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

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 蓮風 
鈴村先生、蓮風の玉手箱へようこそ。

 鈴村 よろしくお願いします。

 蓮風 鍼灸を知って治療に取り入れている若いドクターたちに医療・医学のビジョンについてうかがっています。村井和先生にはじまり、竹本喜典先生、沢田勉先生、藤原昭宏先生ときて、本日は鈴村先生にお越し頂きました。まず、どの先生にも聴くのですけれど、そもそも、なぜ、お医者さんを志向なさったのですか?

 鈴村 まず、生まれてくることができて良かったと思っているからです。この世に生を受けて、幸いにも私は家族や友人や周りの人に本当に恵まれて過ごしてくることができて、生まれてくることができたからこその邂逅みたいなものに感謝することが多くありました。その感謝の気持ちを何かの形で還元していきたいと思い、何の仕事に就こうかと考えた時に、人の生命に携わるような仕事に就きたいと思い志しました。

 蓮風 なるほど、お礼という意味ですね。

 鈴村 そうですね。

 蓮風 その中にドクターという道を選ばれたということですね。他にも世の中の役に立つことはいくらでもあると思うんです。どんな仕事でも世の中の役に立たないことはないと思うんですけど、特にドクターを選ばれた理由は?

 鈴村 ちょっと多感な時期だったというのもあると思うんですけど…。

 蓮風 それはいつごろ決心なさったんですか?

 鈴村 小学生のころに。

 蓮風 凄いなぁ!

 鈴村 幼稚園のころから憧れを持ち、小学生から医師になりたいと思っていました。その後、中学に入って本格的に進路を考えた時に、学校の授業でアフリカとかの貧困の中で生きている子供たちの写真を見る機会や、闘病生活をしている子供の写真を見るチャンスが何度かありました。

 その時にこの子たちは「自分たちが今幸せと感じていて、生まれてくることができて良かったと思うことができるのかな」と思ったんですね。ちょっと大げさな言い方かもしれませんが、この世の中には要らない人は誰もいないと思っていて、自分のことを肯定できないような環境にいる子達に、自分は必要な人なんだよというメッセージをおくりたいなと思いました。めざすものは子供だったので、小児科医というものを最初から目標にしていました。

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 蓮風 なるほどね。そういう理由からね。わかりました。先生は我が漢祥院(=蓮風さんが奈良市で開いている「藤本漢祥院」)に来られた患者さんの一人なんですけど統合医療で日本でも有名な川嶋朗先生(東京女子医大)のご紹介で来られましたね。ここへ来るまでの経緯について教えて頂けますか。

 鈴村 まず大学2年生の夏に「尋常性天疱瘡」という病気を発症しました。簡単に言うと自己免疫疾患の一つで、難病指定にも指定されている病気です。身体のあちこちに水疱なり糜爛(びらん)が生じる病気です。私が受けた治療法としては、ステロイドの内服と血液を出して、濾過をして抗体を除いた上でまた元に戻すという血漿交換を受けました。分かりやすく言うと透析と似ています。

 蓮風 そうですね、透析ですね。

 鈴村 はい、それを受けました。やっとなんとか退院に漕ぎ着けて、どうしても学業を続けたかったので、大学に通いながら治療を続けていました。退院後の講義で腎臓内科の川嶋先生の授業が2年生の秋にありました。腎臓内科の透析室で治療を受けていたので、川嶋先生は私のことを噂でご存じでした。授業後に分からないことがあって質問に伺った時に、川嶋先生から「君が天疱瘡の子だね。いつかステロイドをゼロにできるからね」と言って頂いたんです。

 西洋医学のドクターでステロイドをいつかゼロにすることができるなんて言って下さる先生は初めてで、本当に嬉しくて涙が出ました。最初は川嶋先生の漢方の治療とかを受けながら、ステロイドも内服していましたが、どうしても自己免疫疾患なので再発の影がちらついてしまいました。私も半年くらいでやっぱりまた抑えきれずに、水疱がちょっと出たりしていて、根本的な治療を模索していた時に川嶋先生から「奈良にある藤本先生のところに行ってみてはどうか」と言われたのが来ることになった経緯です。

 蓮風 そうですか。西洋医学の治療では、透析とステロイドですか。

 鈴村 血漿交換とステロイドですね。あと免疫抑制剤の投与ですが私の場合は断りました。

 蓮風 そういう治療を受けられて、川嶋先生と縁があって鍼を受けたらどうや、ということで来られたわけですね。これが鍼灸との初めての出会いだったと思うんですけど、どうでしたか、感想は? 西洋医学の殿堂というか、お医者さんを作る学校におって、しかも大学病院もあって、こういう所へ紹介されたということは、率直なところどうでしたか?

 鈴村 学生のころから肩こりは酷(ひど)かったので、慰安鍼としての鍼灸接骨院には通っていました。ただ、こちらに伺って、本当に全く違う鍼灸医学としての医学を受けることができました。問診の長さもそうですし、体表観察の仕方もそうですけど、まず鍼を1本しか打たないということに衝撃を受けました。ただ受けた初日から、口の中に水疱ができて、その日の夜いつもの症状とは違う細かい小さい紅斑が身体中に出て、痒(かゆ)くて一睡もできませんでした。しかし、そういう反応が出たことで「これはいける」という確信めいたものを掴んだ事を覚えています。

 蓮風 そうですか(笑)。普通はそれが副作用と違うか、とかね、そういう風に取るけれど。先生はそうじゃなしに好転反応であろうという風に捉えられたわけですね。

 鈴村 そうですね。

 蓮風 治療はだいぶ続けましたね。

 鈴村 そうですね。今年で約10年になります。

 蓮風 今なお予防も含めてやっているわけですけども、我々の方から言うと非常に敏感なお身体で、それから何でもかんでも皮膚が反応するような印象が残っていますね。その大本(おおもと)は何かというと、我々の病の分析の一つである「肝鬱」ですね。精神的に非常に敏感で、様々な現象が起こる、それが人によっては頭痛であろうし、腹痛であろうし、それから現在であったらアトピー…。アトピーなんかほとんどそうなんですね。そういう類いのお身体であったと思います。それを一生懸命治すようにして、最初は鍼とお灸を使いましたね?

 鈴村 はい。あと漢方薬も内服しました。

 蓮風 川嶋先生が非常に私を信用してくれて、何とかせないかんと思って、悪戦苦闘はしたんですけど、まずまず成功はしたんですね。はっきり言って医学部卒業できるかなという位に思っとったんだけども、先生はちゃんと卒業なさったし、ドクターに実際なられたし、ご結婚もなさった。そういう点では心も身体も非常に素晴らしい状況になられたというふうに思っております。そこで、慰安鍼というふうに先ほど仰っておりましたけども、肩こりはやっぱり子供のころからありました?

 鈴村 そうですね。受験勉強をしていた事も関係あると思いますが、酷い肩こりがありました。

 蓮風 それいくつ位の時からありましたか?

 鈴村 小学生ですね。

 蓮風 やっぱりね。だから、そういうようなものがやっぱり「肝鬱」がきついのを指し示している。だからその時点でもっとキッチリとした手当てをしとったら、ああいう病気も発病しないというふうに僕は思ったんですがね。でも、なってしまったものは仕方ないので、ここへ来られて一生懸命必死になってやったし、あなたも頑張ってね、東京の大学からずっと続けて来られました。よくやって来られたんですけども。

 鈴村 今の私の生活状況とか身体の状況があるのは、本当に先生の鍼の治療のお陰です。この事を本当に今日はちゃんと伝えたくて伺いまして、先生の鍼がなければ今のこの状況は絶対に保ててなかったと思いますし、命と人生を両方救って頂いたと思って心から本当に感謝しています。〈続く〉