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藤本蓮風さん(写真左)と関隆志さん=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は東北大サイクロトロン・ラジオアイソトープセンター(CYRIC)高齢者高次脳医学研究部門講師の関隆志さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の10回目をお届けします。今回は東北大での工学系の研究グループと漢方内科との共同プロジェクトについて関さんが説明してくださっています。それから東洋医学の「気」と現代科学との関係についても言及されています。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風
 関先生がいらっしゃる東北大学漢方内科と「北辰会」が協力しあって患者さんのために今後何ができるでしょうか?

 関 非常に困難だとは思うんですが、蓮風先生がなさっている体表観察を機械でできないかなと考えています。東北大学は医学部よりも工学部…工学系のテクノロジーが世界のトップクラスの能力を持っている。今そこの先生たちと共同でいくつかのプロジェクトをやっています。

 たとえばお灸をする機械です。鍼灸治療の代わりに超音波を使う。普通の超音波ではなく「集束超音波」と言いまして、パラボラアンテナみたいな所から超音波を出して、皮膚から何ミリメートルの所に超音波を集束させるんですね。それで刺激を起こす。そうすると痛くも痒(かゆ)くもない刺激ができるんですね。

 蓮風 そういうので医療的に効果が出てきますか?

 関 普通のお灸、あるいは漢方薬と、お灸の機械を比較すると、たとえば「神厥(しんけつ)」…おへそにあるツボを温めた場合などが明らかですね。腸に血液を送る動脈で上腸間膜動脈というのがあるんですが、42度ぐらいに温めるとですね、20分から30分すると血流がガーっと上がるんです。「足三里」に鍼を刺しても同じように変化しますし「大建中湯」を飲んだ時にも同じように変るんですね。

 それから集束超音波を確か(足の甲にある)「太衝(たいしょう)」にあてるんですが、太衝に鍼をするとですね、上腕動脈の血流が増えるんですね。要するに冷え性が良くなったりとかいう現象のメカニズムだと思うんですが、それと同じように集束超音波をあてるとですね、やはり同じように増える。そうして鍼と超音波、あるいは鍼と温熱刺激、刺激は違いますけども同じような効果が出る可能性があるということが分かってきました。

 蓮風 そういうことを通じて体表観察を機械化できないかと考えてるわけですね?

 関 それで今は、サーモグラフィというのが昔からありますけれども、皮膚の直下の血流をもっと瞬時に定量化できる技術が開発されてきていまして、それを用いて新しい診断装置ができるのではないかと検討している所です。

 蓮風 僕もサーモグラフィというのは非常に面白い発想で、それで鍼の効果が客観的にわかれば、素晴らしいことだと思います。体表観察をどこまで機械化できるかというのは、ぜひともやって頂きたいと思います。できる可能性はありますか?

 関 かなり困難だと思いますね(笑)。
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 蓮風 そこなんですね。人間の掌というのはものすごく色んな要素を持ってますからね。東北大学というのは、工学関係が得意であってその部分でどこか突破口が作られるかもしれませんね。私が思うには、大学という環境ですから色んなデータをとっておられると思います。そういう難病治療の情報と「北辰会」が持っている症例データがありますから、相互にデータを活用して交流やっていったらいかがかなと思いますね。

 後は(鍼を刺さない)打鍼法というのは面白いでしょ。あれの効果というのは大きいものがあるので、お互いに講習会みたいなものを開いてみるとかね。ちょっと遠いけれども、惚れて通えば千里も一里。やっぱりお互いに道を志していけば、そういう距離も超えることができるかもしれませんね。
 
 あと何か先生に聞きたいこと、同席いただいている小山(修三)先生(国立民族学博物館名誉教授)はどうですか? 何か今までのお話を聞いて?

 小山 色々と面白かった。最後に「できる可能性はありますか?」と言ったら、「かなり困難だと思う」と言ったことが面白くて…。蓮風さんの、手で触って身体の中を調べる技術と鍼一本で治す技を、何億円も使って何年も研究をしても、結局は訳分からんなあという風になるんじゃないかなという場面を想像して、おかしかった。

 私が学会とかそういうインテレクチュアル(知的)なところに入っていって思ったんですが、私らの若いころは西洋医学が絶対だった。何が鍼だ灸だと、そんなん効くかという感じでしたね。うちの兄が医者をしていたんですけれども、全く表面上は受け入れない。気がつくと私らも鍼とか灸とかいうものに否定的になっていたんですね。ああいう迷信的なもの…「気」がどうのとかこうやったら分かったとか、私達の言葉の世界の中で証明するのが非常に難しいわけでしょ。

 「気」というのは。どうですか、学問的に。これでいけますかね。「気」とは何かという論文を、私たちのレベルの人たちが理解できるような論文として出せますか? 先生。「気」とはなにか?

 関 「気」に限らずですね、気(き)・血(けつ)・水(すい)、中国医学では水を津液(しんえき)と言いますが、日本の漢方だと水と書いて「すい」とよみますけれども、非常に概念的な、物体というよりは概念ですね。伝統医学というのは、病気とか人間というブラックボックスがあって、おそらくですけれども、その時に例えば身体のここを押したとか刺激したと、そしたらこういう症状がこう変わったとか、こういう草や葉っぱを煎じて飲んだらこういう症状がこう変わったとか、そういうブラックボックスに対して刺激があって、アウトプットがあって、そこから身体の中の構造というものを、あるいは病気のメカニズムを考えていったんだと思うんですね。その積み重ねで、それで理論的に構築していったのが、今の鍼灸や漢方の学問だと思うんです。

 ですから、あくまでも、やはりこうだろうという所だと思うんですね。それそのものを見ているというよりは、刺激に対する反応をみているというのが正解だと思うんです。たとえば「気虚」と言いまして気が足らない状態。そうすると疲れやすい、息切れがする、しゃべるのも嫌だとか、それが消化器系にでれば食欲がないとかお腹を壊しやすいとか、呼吸器にでれば風邪を引きやすいとか、そういう気虚というのがあって、それに対して、足らなければ補うという治療をするわけですね。

 これは西洋医学だけを勉強してたらそんな訳の分からないこと何言ってんだと思うわけですけど、実際にそういう患者さんに、たとえば薬でもいいですし、あるいは足三里などのツボに鍼治療でもいいんですけど、やれば症状が変わるんですね。そうすると気というのは何なのか分からないけれども、そういう風に昔の人は気が足りなければこうやればこう良くなりますよ、という通りにやるとそうなるので、そうすると気というのは本当に誰も分からないけれども、少なくともそういう現象はあるから、「気」というのはあるんじゃないかなという風に臨床して始めて感じましたね。ですから先生が今おっしゃった気の論文を書けるかというと、あくまでもインプットに対するアウトプットをみているので、そういう「気」というものを想定すると、どうも、うまくいく…そういうことではないのかなぁと私は思っているんですね。〈続く〉