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蓮風さんと小山修三さん(国立民族学博物館名誉教授)が「鍼(はり)」をテーマに対談する「玉手箱」のオープニング企画もこれが最終回です。これまで時空を超えて変幻自在に論考を披露した小山さんが鍼との出合いなどについて語ってくださってますが、まだまだ話題は尽きないようです。ふたりの対談の第2弾もあるかもしれませんね。(聞き手:「産経関西」編集担当)

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 ――小山さんが鍼に信頼を置かれてる理由は?

 小山 なんというのか、蓮風さんと馬が合うというか、鍼して気分がいいから。それと健康診断に来ているような気もする。

 ――最初なぜ鍼を受けようと思ったんですか?

 小山 私自身はあまり関心がなかったんです。女房が大学で外国人相手に日本語をおしえてたんですが、これが月曜から金まで朝8時からと厳しいスケジュール。いつも木曜日くらいからバテバテになり、学期末は金曜までもたなくなる。それで、病院にいったら抗生物質、胃薬、栄養剤など山のような薬をもらってきた。こんなのはよくない、捨てろって言ってお灸につれていった。しばらく通っていたら、ある時、体中がゴロゴロ鳴ったそうで、そのあとずいぶん良くなった。そのあと蓮風さんを紹介されて規則的に通うようになった。

転ばぬ先の鍼?
 蓮風 そうそう。先生のお弟子さんがうちの近所におられて、そのお母さんが僕の鍼のファンやったので紹介してくれたんです。

 小山 それがよく効いて“蓮風信者”になった。いろいろ人をつれてきていますよ。四国にいる姉は心臓をわずらって、私も行くって。

 蓮風 これが面白い人でね。大きい声で、他の患者がおる前で「あんた、何本うってもらってる? 3本? 私1本しかうって貰ってないの!」って(笑)。

 小山 しかも「私には、鍼を置く時間が短い」と(笑)。その娘婿が交通事故を起こした時、うちに1週間くらい泊まって通院したら治った。ほかに、肋間神経痛の同僚とか、みんなよくなおるので感謝されてるようです。わたし自身は、20年くらい前からか。そのころは酒は飲むわ、世界中駆け回るわで、もう理想の生活(?)だった。

 ――民博(国立民族学博物館)にいらっしゃった時ですね。

 小山 九州の学会から帰った後。(疲れていて)何かふわっとなった。そこで、無理矢理連れてこられた。おもしろかったのは、はじめから鍼は打たなかった。ウッチン(宛陳)だといって刺絡をしたり、灸から始めた。鍼を打ったのは2、3回後でしたね?
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 蓮風 そうです。

 小山 全体を整えてからはじめたんでしょう。それ以来、あまり病気したことないね。

 蓮風 一回だけ、お腹痛いといって来た。ここ来た時、吐くし。で、脈を診てから、若い子に(足の裏にあるツボの)湧泉(ゆうせん)だけ揉ませたけれど、全然脈が良くならない。で、舌診ると、これはあかんわ。我々の領域じゃないから、早く病院に連れて行けと若い者に車を運転させて行ったら、4時間かけて検査したら盲腸が破裂したっていうのがわかった。あの時は鍼一本もうってないやろ? あれは、やっぱ、やっちゃいかん。

 ――「等置」(国立民族学博物館の小山修三名誉教授との対話(3)参照)みたいなところですね。 

 蓮風 大事な先生ですからね、殺す訳にはいかんので(笑)。

 小山 今の僕の望みは、その昔の、玄宗と楊貴妃の世界。だけど、それは無理やって。

 ――絶世の美女を寵愛したいってことですか(笑)

 
 蓮風 小山先生の面白いのは、理想と現実がズレるんですよ。

  
 小山 だから、週1回行きなさいって言われてるんだけど、時々忘れて。

  
 蓮風 健康維持には、なってるね。


 小山 私は、あんまり必然性無く来てるんですよ。

 蓮風 でも先生の鍼の受け方っていうのは正解なんです。東洋医学では未病を治すというくらいですから。病気じゃないけど、病気の一歩手前のところで治療しとくと大病しないという考え方がある。そういう意味で一番合っているんじゃないですか。

 小山 うん。

 蓮風 なってからも効くんだけど、ならない前に、ね。<終>

 

★次回からは、帝塚山学院教授の杉本雅子さんと蓮風さんの対談が始まります