蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

カテゴリ: 九大大学院医学研究院教授・外須美夫さんとの対話


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初回公開日 2011.12.4
「鍼(はり)」の力と可能性を探る「蓮風の玉手箱」は今回から藤本蓮風さん(鍼灸師、北辰会代表)と九州大学大学院医学研究院教授(麻酔・蘇生学分野)の外須美夫さんとの対談が始まります。人の苦しみのひとつである「痛み」と向き合う外さんが鍼に興味を持ったきっかけなどを語ってくださっています。患者の「幸せ」を重視する外さんの考えと東洋医学との出会いは「本来の医療とは何か」という問いの答えになっているかもしれません。(「産経関西」編集担当)
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外須美夫 (ほか・すみお) 九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学分野教授。 昭和27年、鹿児島県生まれ。九州大学医学部卒業後、同学部手術部助手、米・ウィスコンシン医科大学麻酔科留学、北里大学医学部麻酔科教授など経て現職。著書に『眠りと目醒めの間― 麻酔科医ノ-ト』『痛みの声を聴け―文化や文学のなかの痛みを通して考える』など多数。



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 蓮風 外先生、今日は大変お忙しい中、お越しいただいてありがとうございます。産経新聞大阪本社の情報サイト「産経関西」、もうご存知だと思いますが、そこで蓮風の玉手箱で対談を連載しております。第1回目は民族学者の小山修三先生、第2回は中国学の杉本雅子先生、そしてこの3回目に外須美夫先生と対談させていただいて、我々としては大変嬉しく思っております。

 外 私こそ、誘っていただいて大変感謝しております。力不足かとは思いますが、私も蓮風先生のセミナーや教えを少し学びましたので、何かお役に立つことができればと思っております。

 蓮風 恐れ入ります。まぁ、先生のことやから、おそらく東洋医学とは古くからお付き合いがあったと思うんですけれども、まぁ男と女でいうと、馴れ初めみたいなものがあると思うんですけれどね、あの出会いというかなんかは、いつ頃どのような形でなさったんでしょうか。

 外 以前から興味はあったのですが、私は医学部を卒業して西洋医学にどっぷり浸かって医療をしてきました。特に手術の麻酔はまさに西洋医学の力が大きく発揮される場所です。人の生死に関わる場面で西洋医学を駆使しながら医療をやってきました。ただなんとなく、西洋医学の中にいながらそれがすべてだろうか、という思いはずっと持っていました。麻酔に関しても、歴史を振り返りますと、華岡青洲が世界に先駆けて全身麻酔を成功させております。華岡青洲のことを読んだり、調べたりして興味を持っておりました。200年以上も前のことですが、華岡青洲は自分の患者さんを助けてあげたい、手術を成功させたいという思いで、勉強をして、通仙散(つうせんさん)を自分で調合しました。朝鮮朝顔が主成分です。

 蓮風 そう、曼荼羅華(まんだらげ)。

 外 調合を間違うと怖い薬ですが、困難を極めながらも、やがて全身麻酔を成功させます。華岡青洲の信条に、「内外合一」という言葉があります。内と外を一緒にする。それはたぶん、内科と外科、オランダ医学と東洋医学を合一させながら進めなければならないということだと思います。そして苦難を乗り越えて、全身麻酔を成功させます。西洋ではそれから遅れること40年して、エーテルを吸わせることで全身麻酔を成功させて、一気に世界中に広まっていきました。

 華岡青洲のことも東洋医学に興味を持つひとつの理由でしたが、私は麻酔科で手術の麻酔をしながら、痛みにずっと興味を持っていました。手術の痛みは、麻酔薬を吸わせたり、意識をなくせたりすることで取れますが、ペインクリニックや緩和ケアで長く続く痛みをどう治療したらいいのか、西洋医学だけでいいのか、東洋医学の力はないか、そういう気持ちもずっと持っていました。そういうなかで今回、北辰会のことを、去年のペインクリニック学会で(医師の)藤原昭宏先生との出会いがあって、知ったわけです。

 蓮風 いまの先生のお話を伺っていると、まず麻酔を使っての手術で、日本の偉大な科学者といいますか、西洋と東洋の折衷というか、そういうことから麻酔術を使って乳がんの手術をやった華岡青洲先生に非常に感動なさった、ということですけれども。私どものほうから言いますと、中国の唐の時代に、(中国・後漢時代の伝説的名医の)華陀が、麻沸散(まふつさん)というのを使って全身麻酔をやっているんです。また、「内科と鍼灸でもって治らんやつを、外科術でやるんだ」と。そのことは実は華岡青洲先生もおっしゃっているんです。で、意外かもしれませんが、華岡先生は舌診の専門書を遺しておられます。華岡青洲の口授とされる『舌診要訣』という書物が存在するようです。我々臨床家のほうから言うと、身体の全身の状態がよくわかるんですね、舌1枚で。たとえばショック状態で、もう意識が朦朧としているが、でも意識があるという場合に、脈が触れないんですよ、私が診たのでは。ところが舌出すと、これは助かるか、向こうへ行くかというのがわかるんです。だから、おそらく、華岡先生も舌診を術後の判定に使ったのではないかと。

 外 そうですか。

 蓮風 だからそういう東洋医学の、単なる麻酔とか、外科術ではなしに、総合的に診断学を見事に使っているのではないかと。当時の西洋医学の診断学いうのは、まぁそうたいしたことはないですよね、実際のところ。そうするとまぁ脈診たり舌診たりするのがせいぜいだと思いますが、その中で舌診を使ってられたことに、まず感動しました。それとやはり、彼がやったのは、(江戸時代に広がった蘭方医学の)カスパル流の外科学ですかね、西洋では。それをやってしかも、漢方専用の外科学があるんですよ。たとえば戦で矢が刺さった、引っこ抜いて傷を治す。それから刀傷なども。そういうことを漢方でもやってるんですね。だけれど先生のおっしゃるように、乳がんのような、とんでもない病気を外科術においてやる。内科でも治らない、鍼灸でも治らないものをなんとか治らんか、命を助ける立場から他の方法がないかといったときに、あの人ははっきり、外科が適用になる、そのために麻酔というのが必要なんだ、とおっしゃってたと思うんです。そういうことを外先生もお気づきになってたとのお話を伺うと、もう感動しますね。
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 外 以前、ニクソン大統領が訪中して、鍼麻酔のことが話題になりましたが、その後、脚光を浴びなくなりました。最近、私は100人位の中国人の麻酔科医の前で講演する機会があって、その中で鍼麻酔を実際に臨床で使っている先生はおられますか?と質問したのですが、手を挙げたのは1人だけでした。ただ最近、医学雑誌に心臓手術の麻酔を鍼で電気刺激して行う方法が紹介されていました。西洋の麻酔薬と少量一緒に使いますが、呼吸を残したまま行うという特殊な麻酔法です。左右6所の経穴を電気刺激していました。

 蓮風 それは鍼に電気を通すんですか?

 外 はい。
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 蓮風 麻酔科の先生からすると、西洋の薬、エーテルとかを使うより、安全度は高いですか?

 外 私たちから見ると、麻酔薬を使ったほうが安全ではないかと思います。気道確保を行った方が安全ですし、患者さんにも負担は少ないと思います。ただ、鍼麻酔は医療費が安く済みます。

 蓮風 それは非常に重要な部分でしょうね、特に中国では。

 外 そうですね。しかも術後の経過が良い。集中治療室にいる期間も、入院の期間も短いし、術後の経過も良かったと書かれています。ですから、鍼麻酔もまだ使われているということですね。

 蓮風 鍼麻酔というのは、ある意味で政治的に中国が巧みに使った術なんであって、日本の鍼灸師がまたワッと乗ったんですよ。「我々は麻酔だ」とかなんとか。そんなん、なるわけないんであって。ただ中国がアメリカと外交をやりかけ、日本と外交をやりかけたときの、ひとつのセンセーショナルな出来事をうまく使ったんだろうと思うんです。

 外 そうですね。

 蓮風 麻酔と鍼とはもともと関係ないかというと、「止め鍼」というのがありまして。痛みをなんとかして止める術を研究した学派もあるんですわ。ですからあながち根拠のないことではないんですけれども。あの当時は、テレビで、頭を開いてね、(開いたまま)物を言ったりして、もうびっくりするようなことをやったけれども。ちょっと解剖を学んだ人間にとっては、実は、ここ(頭)を開けても、なんともないんですよね、ものを喋 が、患者さんを幸せにしているかというと必ずしもそうでもありません。

 蓮風 その点に関してね、また、先生に数時間、聞いていただかないといけない臨床事実があるんです。ただ時間がないので、1例だけ。脊柱管狭窄症あるでしょ。

 外 あれも難しい病気です。

 蓮風 それで間歇性跛行(かんけつせいはこう)あるでしょ。ある人がひどい場合はブロック注射するんだけれども、もうひとつ効果がない。それを私がやりましたら、数回で痛みが取れてきた。そのあたりをもしよかったら先生に伝授して、先生が直々にやっていただけたら…。

 外 いや、僕にできますか。

 蓮風 できます、できます。

 外 そうですか?

 蓮風 ほんとにちゃんとやればできると思う。それがまた鍼の魅力なんです。

 外 僕は先生の診療風景を見て、ほんとうに奥深いと思いましたね。北辰会との出会いは、ペインクリニック学会で藤原先生のお話を聞いてからですけれども、その時も「本当に効くのかなぁ」と半信半疑でした。印象的だったのは、「帯状疱疹後神経痛は鍼で治せる」と藤原先生がおっしゃった。私は帯状疱疹後神経痛で自殺された方を知っています。それぐらいつらい痛みです。藤原先生の発表を聞いた後、すぐ藤原先生をつかまえて、「どうしてできるのですか。先生の診療を一回見せてください」とお願いしました。そうしたら「私の診療より、蓮風先生の所へ行かれたらどうでしょう」と紹介していただきました。

 蓮風 それが北辰会との出会いということでしょうね。

 外 そうです。 〈続く〉


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「鍼(はり)」の力をさまざまな視点から探る「蓮風の玉手箱」は前回に続いて九州大学大学院医学研究院教授(麻酔・蘇生学分野)の外須美夫さんと藤本蓮風さんとの対談をお届けします。今回は「痛み」が話題にのぼっています。患者さんにとって検査の数値がいくら改善しても楽にならなければ、しょうがない。反対にいくら数値が悪くても楽になるのならば救われる。そんな素朴な考えからおふたりの話は「病」を局所ではなく身体全体の「歪(ひず)み」に広がり、患者本位の医療について考えるヒントを与えてくださっています。対話に出てくる局所を“叩く”という治療からモグラ叩きの際限のなさを思い起こす方もいるかもしれません。(「産経関西」編集担当)
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 蓮風 ペインクリニックということでは、大阪医科大学の故・兵頭(正義)教授、それから鍼を(理学療法の)「良導絡」というかたちでもっていった中谷義雄先生(故人、医学博士)。中谷先生に鍼を教えたのがうちの親父なんです。中谷先生が兵頭教授に話をして、ペインクリニックに使えないかと。当時、京都大学でそういう東洋医学をもうちょっといい方向に持っていけないかと、笹川久吾先生(生理学者、故人)らが集まって、「東洋医学談話会」というのを作った。その中にうちの親父がいれてもらっていろんな話をした。

 外 兵頭先生はペインクリニックの大御所です。

 蓮風  私も大阪医科大学で講演したことがあります。

 外 東洋医学に強く興味を持ったひとつのきっかけはですね。痛みの患者さんをみる中で、石田秀実という人が書いた「気のコスモロジー」という本に出会ったことです。

 蓮風 石田秀実さん、はいはい。
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 外 これはなかなかすごい本だと思いました。身体が発する声というのでしょうか。私たちは脳に心がある、脳がすべてをコントロールしていると思っているけれども、そうではなくて、身体そのものが心というものを表出する。この本や、彼の他の本の中には、鍼のことや経絡のことや、東アジアの身体に関する考え方が書かれています。そんな本との出会いから、私自身も東洋医学の神秘や、現代における意義を感じるようになりました。

これまで西洋医学をずっとやってきましたが、なんでも薬、薬になってしまいます。製薬会社の言いなり、といってはいけませんが、あまりにもお金がかかるし、患者さんの負担も大きい。そういうこともあって、もっと違う世界があるのではないかと思っていました。

 

 蓮風 たしかに西洋医学の医療手段としては薬の位置が大きいですよね。あまりにもね。
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 外 多くの医者は、診断までは考えながらやりますが、それから先、ある診断が下れば、治療薬が並べられて、それで治療することになります。その薬が病気を本質的に治すというよりも、ある悪影響を与える物質の作用を抑えようという目的で薬を使うことになります。医療は進歩しているのは事実で、昔治らなかった病気が治るようになりました。癌(がん)の治療もだいぶ進んでいます。高血圧の治療薬もあります。

しかし、あまりに薬に頼っている世界があります。たとえば、ある物質の作用を抑えようという目的で薬を投与すると、そこだけに効くのではなくて他のところにも影響が出ます。だから全体的に見ると、ある機能を変化させると他の所までに歪みが生じてきます。部分では治療できているようでも、全体からみると歪みはもっと大きくなっている。そういう要素を西洋医学は持っています。

 
 蓮風 先生に一本取られたような感じで、あの、身体の歪みという考え方、局部がどうのというより、全体の歪みという考え方自体が、気の医学につながっていくんですよねぇ。

今日もあるお医者さんと話していたんですけれど、インターフェロンがC型肝炎の治療法だということですけれど、インターフェロン自体が人間の身体の中で生産される物質だと。ところが、人間の身体の中で生産されて動いている限りは、一種の免疫として働くんだけれど、薬として注入した場合には、いい面もあるけれども、先生のおっしゃるように、いらんところまで行って、身体を歪ますという面がある、ということを聞きました。
そこでC型肝炎の患者さんに鍼をしましてね。ほかの方法をなにもやらずに、鍼をしたところ、C型肝炎ウイルスが消えていく現象があるんです。あるいは全く消えなくても、減少する傾向にあるという西洋医学的なデータもあるんですわ。 

 外 不思議ですよね。

 蓮風 だから、もしね、無理なく、人間の身体から出てくるとするならば、いま先生がおっしゃったように、薬剤として投与した場合とは意味が違ってくる。いらん所へ行っていたずらして、歪みを大きくすることはまずない。もし鍼が関与するということになると、大変なことなんですよね。
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 外 そうだと思いますよ。先生の診療現場を見ると、不思議なことが起きていますよね。それは人間にそもそも備わった力というものを鍼が導いているということになります。西洋医学はそういうところを叩こう、叩こうとしている。本来持っている力を叩こうとするところがあります。

 蓮風 結局は、自然治癒力というか、漠とした概念かもしれないが、そういうものが働かないと、実際、人間の身体は治らんのですよね。

 外 そうだと思います。

 蓮風 まさしくもう、なんか、先生に最初から一本取られた感じで。気という医学は、そういうことが根本命題なんですよね。だから局部が治っても、全体がダメになるとまたダメなんだと。そういう発想からいうと、面白い現象があるんです、臨床をやっていると。あの例えば鍼をやっとっていろんな病気を良くしていくわけですけども、患者本人の自覚症状はかなり改善してきているのに、西洋医学のデータでは全然良くなっていないという結果が出ることもあるんですよ。

 外 ほう。

 蓮風 例えば今日来とった、あのおばあちゃん。肺の非常に重い病気。その人なんかはもう西洋医学ではもうまぁ言うたらデータが全然悪い。

 外 肺の機能としては悪いけれども元気なのですか。
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 蓮風 ところが、ちゃんと診たてて鍼を頭へ1本するとねぇ、脈が良くなって。もうどんどん咳がでて痰が出てたのがうんと減ってきとるんです。

 外 はぁ。

 蓮風 だから西洋医学の基準とズレてても実際にある部分でまた改善できているんですよねぇ。

 外 うん。そうだと思いますよ。それはデータには表れない。

 蓮風 はい。逆に言えばデータ中心とする西洋医学から見るとまさしく珍奇な現象で。

 外 うん。そう思いますね。

 蓮風 ところが患者さんは「救われるか救われないか」という点から言うと、先生がさっきおっしゃったように、もうとにかく「痛みとってくれ」と言った場合に、とれればそれは一つの患者さんの救いになりますよねぇ。

 外 まさしくそうだと思いますねぇ。患者さんが何を求めているかということですよね。そこに合致するかどうかが大事だと思います。

 蓮風 このカルテの人は緑膿菌肺炎。

 外 結構重症じゃないですか。

 蓮風 重症ですよ。それでもう本人は死ぬ死ぬ言うからね、「ちょっと待てよ」て。舌診て脈診て、「あんたまだまだそんな簡単に死なんで」て。「残念やったなぁ」という話をするんですがね。で、鍼するとやっぱり良くなる。ところが西洋医学の検査受けるたびにまた肺が白なったとか(炎症反応を表す値の)CRPが上がったとか言われてね、でもそれを十何年やってきて落ち込んでいったんやろうって。せやけど今僕があなたに、別の方法で助かるかもしれないって言ってるんだからいっぺんこっち(東洋医学)の方に向けたらどうやということ言って今がんばって治療には来てるんですがね。

 外 おーそうですか。

 蓮風 はい。

 外 なんて言うのですか、免疫力の低下とかいろんな病気になる基の身体の具合っていうのがあるのでしょうね。そういうところを気で説明できるのかもしれません。

 蓮風 そうですね。

 外 不思議ですね。それも頭に。

 蓮風 (頭のてっぺんにあるツボの)百会に1本。おもしろいです。

 外 その辺がね。

 蓮風 だからまたね、お忙しいだろうけども、時々診療所へ来てこの怪奇現象を見て頂いて。ハハハ。

 外 それが不思議でならないのですね。

 蓮風 先生はそういうところに関心を示されて北辰会で勉強なさる気持ちになったと思うんですけど、でも実際は鍼の勉強はどうなんですかね、先生の…。

 外 実を言うと昔に西洋鍼というか、とにかく背中の圧痛点に鍼を刺す方法をやったことがあります。

 蓮風 はいはいありますねぇ。

 外 そういうトリガーポイントに似たようなことをしたことはあります。

 蓮風 それとまぁ先生の今のお話しから言うと、魅力的なのは癌でどうしょうもない痛みが、(拳をつくると小指の根元にできるしわのあたりにある)「後溪」というツボを使いますとですねぇ、かなり…。

 外 それはどうしてでしょう?

 蓮風 だからこれは東洋医学の五臓論から言うと、五臓には木・火・土・金・水の五臓でそれぞれ各臓に神さんがあるという。「五神」と言うんですがね。で一番それを統轄するのが「心神」ですわ。まぁ西洋医学で言うと脳みたいな働きをするやつがあるということを言っとるわけで。でその心神が最終的には支配するから、痛みに関してもその心神が痛くないと思えば痛くないんです。

 外 ほぉー。
 
 蓮風
 「神主学説」といいます。

 外 ほぉ。

 蓮風
 こういう考え方があるんです。

 外 うんうんうん。

 蓮風 「神主学説」。でそれを思うとこの後溪がなぜ効くかいう説明ができます。それと、これを昔の人もやっとったかもしらんけど、直々にやりだしたのは私なんです。なんでか言うと、私の娘が急性悪性リンパ腫でもうここ(のどの辺り)が痛い痛い言うてもう夜これまたひどかったんですよ。半年かかって亡くなったんですけども、朝・昼・晩と治療しとったんですよ。せやけど、夜になって治療院を出て帰ったら「痛い痛い」と言う。もういろいろやったけど治らんで、最後にこれ(後溪)にやることによって、最初は鍼を捻るからちょっと「響く響く」と言うとったんですけど、やがてスヤスヤ寝だしたんですよ。:「響く」というのは刺鍼部位にズンズンとした刺激感(人によっては軽い痛みに感じる場合もある)を覚えることがあり、これを「鍼の響き」という。

 外 そうですか。

 蓮風 自分の娘だからやってみたんですが、これは凄い事を発見したと。それが「神主学説」概念の応用のあの鎮痛法なんです。

 外 そうなのですか。〈続く〉

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「鍼(はり)」の力について藤本蓮風さんと九州大学大学院医学研究院教授(麻酔・蘇生学分野)の外須美夫さんが対談する企画の第3回目をお届けします。今回も前回に続いて「痛み」がテーマです。痛みの“正体”や痛みに対する東洋と西洋の考え方の違いについても話が及んでいます。医療の文化論としても興味深い展開になっていますよ。(「産経関西」編集担当)
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 外 いやいや癌(がん)の痛みはなかなかですよ。

 蓮風 で、この前もあれ(『鍼灸ジャーナル』vol.15)に書いとったと思いますが、歯医者さんで、前立腺癌も骨転移の激痛で、鎮痛剤が効かないんで困っとったやつに、かなりこれ(拳をつくると小指の根元にできるしわのあたりにある「後谿」への鍼)やりましてですね、驚くことなかれ、痛みが数回でとれて、でひと月もたたん間に本業の歯医者さんに戻れたんですね。一瞬の間やけど。

 外
 へぇー。

 蓮風 ひと月やふた月ね、自分の仕事ができだした。そのことによって本人はものすごい自信がついた。いや俺やっぱり治るかもしらんて。ま、結局最終的に亡くなったけども、しかしそれが一つの救いではなかろうかと私は思っております。

 外 そうですねぇ。それは凄いですねぇ。

 蓮風 それもねぇ、実は(治療に鍼灸を取り入れている医師の)藤原昭宏先生が連れて来たんですよ。

 外 そうですか。

 蓮風 あそこ行ったらひょっとしたら助けてくれるかもしらんので。一回やってみてくれへんか、ということで。

 外 先生は痛みの治療はやっぱりもういろんなところを使っていますか?

 蓮風 やってますね、はい。でも最終的にこの「心神」というもの、心(しん)の神(かみ)ですねぇ。この心神が最終的に痛みを知覚するかどうかを支配してるから。で元々、痛みのメカニズムというのは、東洋医学では気血の不通。気血は十分にあっても気血がうまく流通しない、あるいは気血両方とも弱るから、弱りすぎて通じない。だから先程の鍼麻酔が効くのは気血の流通を良くするだけなんです。気血が弱ったケースには鍼麻酔は効かないんです。

 外 はぁ、なるほど。そうなのですねぇ。痛い痛いという患者さんも多いですけど、痛みの種類によって違いますよねぇ。

 蓮風 違います、違います。でねぇ、私もいろいろ診てきたんやけど、結局、心(こころ)からでた痛みは一番とりにくい。

 外 うんうん、そうですねぇ。

 蓮風 東洋医学で痛みというのは痛苦。痛みを苦しみの一つと考える。痛苦という考え方。はい、だから最も人間的な苦しみの一つが痛みではなかろうかと思って。

 外 癌の患者さんは特に身体が痛いということと同じように心の痛みを持っています。

 蓮風 そうそう。むしろね、痛みに対する恐怖心、死に対する恐怖心がきつい人はね、これは戻しにくい。

 外 うーん。

 蓮風 やっぱり逆に居直って、俺はもう死んでもいいんだという人はね、意外と痛みも本当はあるんだろうけど、あんまり感じてない。そして多少痛みがあってもそれはもう鍼で簡単にとれるということはたくさん経験してるんですがねぇ。だからあれはやっぱり非常にこう人間的な、一つの現象かいなと思っております。

 外 先生の所に来られた患者さんは心の苦しさや心の悩みとかを持った方も来られていますね。

 蓮風 たくさん来ます。

 外 そういう方には心に効くような治療をされるのですか。

 蓮風 うん、だからそれはですねぇ、私達は心と身体と魂は一体だと言っておりますよね。で鍼をしてなぜ、人が救われるか言うと、身体を通じて心を動かす。で結果として魂にまで響くんだと、そういう考え方を持っております。弟子の中にもいろいろ私の治療を受けながらやってる人おるんですけども、もう常にこう迷って、イライラして、毎日を苦しみととらまえてる。それは間違いだぞと。ブログ(「鍼狂人の独り言」)の中にも書いとるんですけどね、毎日が苦しみでは本当の人生じゃないっちゅうようなこと言っとるんですけども。鍼をしますと、今言うように身体の気が調い、心の気が調うということ、本当の自分が現れるんですよ。だから鍼をしてぐっすり寝るんですよ、そういう人は。ほんでパッと、おい終わったぞって。ほら、今何も考えてなかった時のあんたが本当のあんたなんだと。いつもあれこれあれこれ思い悩んで苦しんでるのは本当のあんたじゃないんだと。いうこと言ってやることよくあります、はい。
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 外 その身体と心の結びつきっていうのでしょうか。身体を一括りにすると見えにくいところがあるのですが、身体のどこの部分が心と繋がっているのでしょうか。

 蓮風 やっぱりね、東洋医学が元々持ってる心身一如という考え方。心と身体は一つなんだと。だからあのー古くはギリシャでしたかね。健全な肉体に健全な精神が宿るという、あぁいう発想はやっぱり東洋医学にも元々あったわけなんで。だからこそ身体を鍛えると精神も鍛えられて、例えば武道なんかでは精神状態も変えられるということを言ってます、はい。あれは単なる心の鍛えじゃなしに、肉体の鍛えなんですね。それを鍼でもしやれるとするならば、それはねぇ、よく神経衰弱みたいになった人でクヨクヨしてる。で鍼をしていきますとだんだんだんだん肩こりとれて楽になったと。どうや、昔みたいにクヨクヨ考えるのはどうやって言うたら、もうあれは不思議なことに鍼をしてもらってからあんまりくしゃくしゃ考えんようになったとかね。これは明らかに身体を通じて心の方にアプローチして、その心を動かした証拠ではなかろうかと、いう風に思います。

 外 先生が(病の状態を表す)「証(しょう)」をみて身体を診ますよね。その中の歪みは心の部分と関連するのですか。

 蓮風 うん、だからそれが身体にも反映されているわけです。だから心から身体、身体から心へというこう相互浸透というか、そういうもんがあるみたいで、我々は鍼を持つとその部分を利用して身体からまず心を素直にするというか、そうしてから「実は本当はこういう風に物事を考えんとあんたまた同じ病気するよ」という話しを致します。

 外 そうですねぇ。

 蓮風 ほんであの、鍼に来ても最も鍼がその力を発揮する状態にして置いてやるから効くんであって。

  ほー。

 蓮風 ほいでそこから身体を支配して、身体から今度は心を知らん間にね、悪く言えば盗み取ると言うか。ハハハ。そうすると素直に、私の言うことを聞いてくれるようになります。

 外 うーん。なかなかでも素直になれない患者さんがおりますよね。

 蓮風 おりますおります。「あんたな、身体が歪んでるけどもやっぱり同時に心も歪んどるぞ」ということも言います。やっぱり状況ですね。最初からそう言われへんし、ある程度良くなってからどうやと言ったら「確かに先生、考え方間違ってました」って。それを私は根性直ししたんよというようなことをよく言うんですがね。えぇ、だから先生この前僕が統合失調の患者を良くしたって言ったら、「そんなもん治るんですか!?」っちゅうようなことおっしゃったけども、かなり成果上げます。なかなか難しいのもありますけども。えー今日も来とったけども、彼もちょっとほんとにおかしい行動とっとったんですけど、鍼すると良くなってきてます。

 外 それも結局身体のバランスをとることによって心のバランスをとる?

 蓮風 そうですね。まぁ言うたら五臓六腑のバランスが心の方まで整える。実際肉体から心の問題っちゅうのは卑近な例が、食べ過ぎたり飲みすぎたりした後、やっぱり気分が悪いでしょ?精神的に不安定になりますね。で、寝ると変な夢みますね、怖い夢を。これも、肉体から心への問題ですね、はい。
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 外 そうですよねぇ。西洋医学では、脳を非常に重視して、脳の病気は脳に何かが起きているという考え方です。身体と脳を分けて考えるやり方です。私もそこに限界があるような気がするのです。 

 蓮風 でそこでちょっと話を変えましてですね。先生どうですかね、この医療というのは一つの文化と捉えますか?それとも医療と文化は別なんでしょうかね。

 外 うーん。
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 蓮風 これはこの間民族学者と話しとったらまさしく「医療は文化だ」という話しされますし、別の先生によると医療と文化は別なんだと。

 外 医療は文化に含まれると思います。

 蓮風 はいはいはいはい。

 外 医学は、科学の一分野と考えられています。科学の中に医学がある。ただ医療は人を相手にする。人がそこにいて、あるいは患者さんがそこにいて医療がある。ですから、決して人との関係が切れる事はないわけです。そしてその人には家族がいて、村があり、地域があり、自然があり、文化がある。文化の中から人は出ることできないですから、人を治そうとする限りは、医療がそういうものである限りは、必ず文化と接点があります。

 蓮風 そうですねぇ。

 外 私は痛みの患者さんを診ることが多いですが、痛みそのものも文化によって違いがあり、影響も大きく受けます。元々痛みという言葉が日本語の痛みと、西洋人の痛み(pain)、は異なった語源を持っています。日本語のいたみは、「いたく」なんとかというように、ある心持ちが極端な状態をいいます。英語の痛みpainはpoenaというラテン語からきており、それは、punishmentという罰の意味に繋がっています。

 蓮風 はぁー。

 外 痛みは神の罰を意味します。痛みは神の罰であるという風に自分を責めてしまう。日本人はもっと大らかで、痛いというのは自分の身体が極端な状態にあるということです。それは罰として苦しむのではなく受け入れやすかったのではないかと思います。西洋人は罰である痛みから遠ざかろうとする。無痛分娩に対しても、日本人は分娩時の痛みを割と受け入れられる。西洋人はどの痛みであれ、痛みは神に背いた罰だから取り除かなきゃいけない。

 蓮風 そうですね。

 外 痛み一つとっても文化とは離れられない。

 蓮風 うーん。なるほどね。

 外 だから日本は東アジアにあって、明治以降西洋医学が日本を支配していますけれども、元々あったアジア的身体感が戻ってきてもいいのじゃないかと思います。

 蓮風 そうですね。

 外 そこに救いみたいなものがあるのではないかと思います。〈続く〉

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 鍼灸師で北辰会代表の藤本蓮風さんと九州大学大学院医学研究院教授(麻酔・蘇生学分野)の外須美夫さんの対談は前回、風土を背景にした「アジア的身体感」という視点に話題がおよびました。今回は天体の動きや季節、文化と身体との関係が説かれています。大学という科学の最先端の現場で活動する外さんの口から西洋医学について「からくり」という言葉も出てきます。一般人の感覚からすると予想以上に私たちの身体は解明されていないような気がしました。身体って一筋縄ではいきませんね。おふたりの対談を読まれて、みなさんがどのような感想をお持ちになるのか…。とても興味があります。(「産経関西」編集担当)
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 蓮風 私があえて医療を文化と言いたいのは、まぁ先生がおっしゃるようないろんな意味で家族とか、自然とか、それから文化とかいう事がみな影響するわけですけども、あえて我々臨床家の立場で言いますと、日本は一応こう明確な四季折々がございますねぇ。で中国も、中華の華中。中心部は、今は砂漠になってるんだけど、ほとんどはね、緑なす大地だったというのが学者の定説なんです。日本とよく似た気候なんです。だから身体が春の身体、春の心、夏の身体、夏の心、四季折々全部あるって言うんですよ。そうすると春に現れる「弦脈」だって自然界が春なんだから人間の身体も春の状態。これが正常。こういう文化的なものがね、まぁ言うたら西洋医学にあんまりないですよね。

 外 ないです。すべてがグローバル化していきますから。

 蓮風 はい。だからそこに緑なす大地の中で生活する人間はこの四季というのがもの凄い大事。特に農耕民族においては、いつ種を撒き、いつ肥やしをやって、いつ刈り取るか。だから暦が発達して、先生が今お持ちの様な陰陽論(『東洋医学の宇宙』)がでてくるというのが僕の考え方なんです。そういう考え方からすると、東洋医学ちゅうのは独特の文化を持ってるのはそういう農耕文化みたいなんが背景にあってね、だからこそ自然と一体の中に緑の変化もあるし、天空でいうと月の巡り、太陽の巡りがある。特に月の巡りは、私もこの間から魚釣りに凝っとるんですけども、潮の流れが変わるんですよ。大潮とか小潮とかね。で大潮の時ほど大きく潮が流れるから魚が動きやすい。したがって釣りやすいとかね。で、月が周期的に新月、満月と変化するわけやけど、それが実は人間で言うと男は陽、女は陰。陰体のその女性生理というのは月の巡りだからこれを月経という。という考え方がある。だから自然とこう一体になってる人間こそ本当の人間であり、健康な姿だと。こう考えてるわけですね。

 外 スーっとその考え方は私にも入ります。

 蓮風 そうでしょ。
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 外 先生が書かれているように、農耕民族と狩猟民族の違いがあるのじゃないかと思います。そういうことはずっと長い歴史から積み重ねたものとしてあると思いますね。文化的なものとしてもずっと残っている。農耕民族は自然の脅威に従い、そしてその中で自然から得られた恵みによって生きている。だから自然の流れに従って自分の身体の中も流れているという考え方ですね。狩猟民族はどちらかというと、自然を支配しようとします。

 蓮風 そうですね。でこの間もそれを言っとったんですけどね、民族学者の先生と。まぁ言うたら緑なす大地にはもう食べ物はなんぼでもあるんですよ。水もあるしね。ところが砂漠においては、例えば先生見られたか知らんけど、「アラビアのロレンス」という映画ありましたね。

 外 ありましたね。

 蓮風 あれにあるように、水一つでも自分のものと他人のものを分けとるわけですよ。で、下手に自分のやつを他人がとったら殺してもいいという。極端に言えばね。だからその、緑なす大地の豊かな土地の中で生まれた文化と、砂漠に生まれる文化の違いがあるとするならば、今言うように、西洋医学の背景となっている文化っていうのも、やっぱりあるんじゃないかと、いうふうに僕は思うわけで、はい。

 外 うん。それは大きいと思いますね。ええ。私たちは自然の中にいるとほっとする感覚がありますね。

 蓮風 はいはい。まずね。

 外 私は山登り好きです。

 蓮風 山登りですか?

 外 はい。大学時代はワンダーフォーゲル部に入っていました。今も時々山の中に入るとほっとします。頂上を極めることが楽しいのではなくて、山の中に入って、樹木の間を歩むことが楽しい。その時に、私は自然と一体となっているという感覚があります。東洋医学もそうだと思うのですが、陰陽五行説、自分の体の中に自然があり、自然の中に体があるという、そういう考えですよね。

 蓮風 そうですね。だからこれを『天人合一』といいます。天と人は一つなんだと。だから、あの今、自然界が大荒れしていますがね、あれはやっぱり人間がいろいろなことをやって、天に向かって唾を吐いたと言う考え方もできるわけです。

 外 そうですね。

 蓮風 事実、古代中国においては、自分の政治がきちっと、政治家がきちんとやっておるかどうかは、自然の動きを見て、今俺は怒られている、間違った政治をやっている。で、うまく行っているときはその政治は正しかったと反省をしているのが事実あるんですよ。帝がね。

 外 今の日本はどうですかね。

 蓮風 そこまでね、自然に対してあの、畏敬の念というかね、はい。現代人はね、それがないから。

 外 それは、日本人の心も魂も西洋化されてしまった。なんでも自分の思い通りにできる、支配できるのだという、西洋化の流れがあります。

 蓮風 やっぱり、自然を征服する立場と、自然とともに一緒に生きるんだと。で、自然がなかったら生活できないんだというのは、やっぱり農耕民族だからですかね。結局。

 外 日本人は本当はどこかに身についていますよね。みんなの心の中にはあると思います
外先生見出し4-5
 蓮風 ちょっとまた話を変えましてですね。まあ、我々の方では、あの、鍼の効果があったかなかったか、この業界には西洋医学を意識して、西洋医学のご意見を伺わなくてはだめなんだと、そういう不思議な思想もあるんです。だから、その中には、ここにやったら効いたという、あの、いわゆる西洋医学でいうエビデンス(証拠)ですかね。ああいうことを絶対にやらないかんっていう発想をもった人たちがおるんですが、冷静にというか、客観的に見てどういうふうに思うのか…というか。

 外
 確かに西洋医学では、みんなを納得させるために、エビデンスっていうのが必要で、Evidence-based medicineという言葉が一般的になっています。ただ、よく考えてみると、統計処理の結果なのです。100人のうち、95人に効いたら、それはエビデンスとして認めましょうというような統計的処理なのですね。

 蓮風 確率論ですか?

 外 確率論です。だからいろんな条件をしっかり考えないといけません。結構まやかし的なこともエビデンスの中にはあるのですね。いくらエビデンスといってもそれは真実ではない。真実がどこにあるかは誰にもわからない。
外先生見出し4-6
 蓮風 そこらあたりを、先生にはしっかり言っていただきたい(笑)。と言うのはね、あの、わかるんですよ、明治以来劣等感をもってきたこの医学ですから。だけれども、西洋医学が認めるか認めないかという基準で、我々の医学をやっちゃだめなんだと。そうじゃなし、独自の基準があるんだという発想の中で本当の東洋医学があらわれるっていうのが我々の立場なんですけれど。

 外 今は世界中である治療法が認められるか、認められないかは、一流の雑誌にちゃんと掲載されるかどうかによっています。現場にいて、エビデンスも一流雑誌も、なんていうのでしょうか、いろいろなからくりがあるように思います。

 蓮風 からくりですか。

 外 はい。結局、真実を評価しているわけじゃなくて、査読委員や編集長が判断をするわけですね。そこには、いろんな思いが入ってきます。そして何年後かに、あの時はエビデンスがあると思ったけれども、覆されることがよくあります。みんなを納得させるのは、ある物質が見つかったとか、はっきりと目に見える形で証明することが大切ですが、エビデンスという言葉を聞いたときには、やっぱり疑う目も必要です。

 蓮風 疑い(笑)。

 外 真実との間には乖離があると思った方がいいです。

 蓮風 そうすると、我々の理解としては、エビデンスというのは一つの確率論、統計学であって、統計学をどういうふうに使うかによって、随分意味が変わってくるのだということでしょうかね?

 外 はい。五木寛之が、他力や親鸞の教えなどいろいろ本を書いていますが、「養生の実技」の中に、「全ての統計はフィクションである」と書いています。真実とは違うと彼は言っています。そして、自分の体を、体の声を一番信じると彼は言っています。結局、痛みを取るか取らないかは、その人が痛くないと言うかどうかですから。

 蓮風 そうそう。そういうことですね。

 外 痛みの原因があるにせよ、その人が痛くないと思えば痛みがないということになります。誰も、他人の痛みを見ることはできない。それはとくに大事なことで、痛みを可視化して、目に見えるようにしようとか、痛みを測定できるようにしようとか、血液を調べたり、MRIを撮ったりして、痛みを見つけようとしますが、そういうことと実際の痛みが一致するかというと、決してそういうことは言えません。

 蓮風 非常にすばらしいことを伺っているわけですけれど、我々もね、ある程度客観化っていうのは必要だと思うんですよ。だから、たとえば、ここが神経痛で痛いと、そして何回か治療して、先生大分痛みが取れたと。その時に言う、ペインスケールというか、あの、最初鍼をする前の痛みを数字の10とすると、いまいくつや?って患者に聞くと「2か3です」っていう。それじゃあ大方取れたと。この程度のことはやります。

 外 私たちもそれは行っています。

 蓮風 そうですか(笑)。なんか嬉しくなってきた。

 外 痛みの評価で世界共通なのは、VAS(Visual Analogue Scale)とか、NRS(Numeric Rating Scale)とかいう評価法ですけど、結局は0から10までのどこにあるかという方法です。それが今の共通の痛みの評価法です。

 蓮風 世界共通の方式をもう取っとったでってことですか?

 外 ええ、そうだと思います。患者さんにどれくらいの痛みですかと聞いて、10分の8ですって言ったら、これは大変な痛みだと思わなきゃいけない。10分の9だったら痛みでなにもできない状態に違いありません。ただし、10分の8と言っている人と比べて10分の4って言っている人の痛みが半分の痛みかといったらそれは違います。

 蓮風 違いますね。

 外 逆転することだってあります。それはしょうがないです。だから、10分の4の痛みに対しては治療を頑張って10分の2を目指しましょうとか、十分の二になったらよしとしようというような大まかな指標です。

 蓮風 先ほどの脊柱管狭窄による、間歇性跛行は10から2くらいにはすぐなります。で、次に、統合医療と西洋医学、統合医療と東洋医学についての先生のお考えを伺いたいのですが…。

 外 私も、元々西洋医学に染まって実践しながら、患者さんにいい医療があればなんでもやってあげたいという気持ちがあります。だからアンテナを張っていて、その中に統合医療があっても良いと思います。しかし、統合医療は余りに多くのものが含まれすぎて、医療と言えないものまで入っています。どこまでやるのか、どういう切り口でやるかといったいろいろ難しい側面がありますが、日本人としてアジアの東洋医学が統合医療の核になるべきじゃないかとも思っています。

 蓮風 そうですね。〈続く〉

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あけましておめでとうございます。

 新年第1回目の「蓮風の玉手箱」です。昨年は時代の大転換を予感させた1年でした。2012年はどんな年になるのでしょうか。予想通りのこと、想定外のこと…。さまざまな変化があるのは間違いありません。どのような事態にも対応できる心身の大切さを感じている人は多いはず。そんな方々の参考にしていただくため前回に引き続き、鍼灸師で北辰会代表の藤本蓮風さんと九州大学大学院医学研究院教授(麻酔・蘇生学分野)の外須美夫さんの対談をお届けします。おふたりのお話をヒントにして、ご自身の心と体について考えて、時代の変化への備えに思いをめぐらせてはいかがでしょう。(「産経関西」編集担当)
外先生見出し5-1
 外 (東洋医学は)漢方とか、アロマとか、いろいろな繋がりが出てくると思いますが、たとえばインドの伝統医療も。

 蓮風 はいはい、アーユルヴェーダ医学。

外先生見出し5-2
 外 インドはいわゆるアジア圏の一つだから、元々の仏教思想との繋がりもあるし、日本人に馴染みやすいというところもあるので、考え方は入りやすい。あと、インドにはヨガがあります。ヨガと医療がどこまで接点があるかどうかわかりませんけれど、人の心を自然と調和させていくという意味では、繋がりがあるような気がします。だから私は、統合医療はもしそれが患者にとって利用できるものであれば、自分のやり方でやればいい。ただし、金儲けのために使ったりするようではいけません。そんな怪しいものもあるので注意が必要です。

 蓮風 それはもうねぇ、怪しげなものになっていきますね。ついでにもう一つ、先ほどの話にある一部のところが触れるんですけどね、あの、お釈迦様おられますね?あのインドの。あれを正確に言うと、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)というんです。釈迦牟尼仏の「牟尼」と言うのは、ヨガの行者という意味らしいです。したがって、ヨガの行を耐えてやってきたという形跡があるということを指摘すると思うんですよ。はい。

 外 あぁ、なるほど。
外先生見出し5-3
 蓮風 だから、先ほどの話とつながるんだけども、心の問題は体の修行…。

 外 そう思いますよ。やっぱり、ブッダもある期間は本当に修行をして、やっぱりその修行があってこその悟りでしょう。

 蓮風 最後はね、その修行をしているんですけど、その前提があるわけですね。私はね、最近、中国の老荘の『荘子』のね、あの、自然、老子と一緒に「無為自然」と言うんだけど、最初から無為自然じゃなしに、私は「練達自然」ということを言うんですよ。ははは。

 外 練達?

 蓮風 はい。

 外 それはあまり聞いたことがない。

 蓮風 この、体と心を練って練って、練り直す中で本来の自然があらわれる。これを練達自然と言う人がおりますよ。私、これは正しいと思う。だから、心の問題も、最初からねぇ無為自然で元に戻れっていってもできないですよ、簡単に。だから、最初元々は無為自然やったのに、こう、いろんな経験したり知識で、ひねくれてくる。そのひねくれたものを戻すには、こう、一定の修行なり、鍛錬が必要だと。

 外 何かを越える。なるほどね。たぶん、荘子にせよ、老子にせよ、直観に至るまでに練達があったのじゃないですかね。
外先生見出し5-4
 蓮風 そうなんです。ね、老子の場合は明らかに幼子の状態に戻れということを最初からいうんですね。直観からなんですけれど。この荘子の場合は、もう、論理を重ねて、ものすごい論理を重ねているんです。で、最終的にはやっぱり論理はだめだとやるんです。このねぇ哲学がすばらしいと、私はねぇ一時あれに凝ったんです。肩が凝った(笑)。

 外 いやぁ、私も哲学とか思想が好きで本も読んできました。西洋的な哲学や思想を勉強しましたけれど、結局は老荘思想に行きつく。そういう思いがありますね。

 蓮風 だから、我々東洋医学のバイブル『黄帝内経』『素問』『霊枢』、その中の『素問』の「上古天真論」という第一章に…。

 外 それも、蓮風先生の『東洋医学の宇宙』に書いてありました。私も、『黄帝内経』とか一応名前は知っていましたし、訳書を買っているのですが、先生のこの本を読んで初めて老子の言葉がそこに載っているのだと気づかされました。

 蓮風 東洋医学の中に入ってしまっとるわけです。

 外 うん。そういうことなんだってびっくりしました。

 蓮風 また『黄帝内経』の面白いのは、医学書であることはみんな知っているんだけれど、中国の宋の時代には医学書のみならず、哲学書として位置付けられています。もう『黄帝内経』自体が哲学思想書という位置付けの中で、思想が展開していくわけですよ。

 外 そうなんです。

 蓮風 だから、大変な思想、哲学が詰まったものが、東洋医学のバイブルであるということなんですよ。だから、人間いかにあるべきかとか、どういうふうに生きていかないかんか、全部説かれておるんですね。それが一番魅力だったんですよ。私は20代の時、嫌で嫌でしゃあなかった。鍼をやるのが。

 外 そうですか。へぇ。

 蓮風 先祖伝来のあれやから、おやじにねぇ、やれやれと言われとった。

 外 やっぱりそうですか。

 蓮風 せやけども、当時のね、今から40年前の東洋医学といったらね、あの、薄暗い裏通りでねぇ、蛍光灯が点いたり消えたりして、ぼやっとやっている、あの暗いイメージがねぇ、私は嫌いやった。もっと派手な世界が、そういう意味では、当時は西洋医学は派手に見えました。せやけどね、これをやむなくやらないかんときにねぇ、私は光り輝くねぇ医学にしたい、もっともっと本当にね、このすばらしいことに気づいてもらうように、この医学を作り上げるんだ。なんて野望をね、抱い思っとったんです。

 外 それは『黄帝内経』を読んで?

 蓮風 そういうこと。そこから、古代中国にはいろんな考え方があって、いろんなものの見方、考え方があるんだって、ものすごい良い勉強になりましたね。

 外 そういうふうにね、輝いてくるところが血を引いていたのでしょう。やっぱり。

 蓮風 先生は、人の体を治す場合に、西洋医学だけじゃなしに、こういう東洋医学を一緒に取り入れたらいいんじゃないかと。

 外 そうですね。でも、お互いがお互いの長所を出し合えばいいのです。西洋医学は固まってしまうと、それ以外の医学を認めないですよね。

 蓮風 一般的にはそうですよね。そういう意味では、先生のお考えっていうのはものすごい重要というか、患者さんのためだったら、多少手を汚しても構わないということですよね。

 外 そうそう。私は大学病院にいますから、とにかく新しい西洋医学を追いかけるわけです。先進的な、先端的な医学を。
外先生見出し5-5
 蓮風 ちょっと、私が口をはさむみたいやけれど、西洋医学が先端を求めるのはアメリカ医学ですか? ヨーロッパ医学ですか?

 外 アメリカの方が中心だと思います。でも、もうアメリカもヨーロッパも境目がなくなっています。これからの医療は先進医療、先端医療という風にどんどんと前に進んでいきます。それはどういうことかというと、どんどん細かくなっていき、遺伝子を動かしたり、再生医療で臓器を作り替えたりします。もうそれは神の領域という世界に入り込もうとしているかもしれません。
外先生見出し5-6
 蓮風 そうですね。遺伝子の操作とか。

 外 それは、大きな危うさを秘めた医療です。試験管の中でしかできないようなことが、実際に行われるようになってくると、人間とは何かという根源的なところが問われてきます。どこかで歯止めがかかるべきだし、倫理性も問われなきゃいけないし、そういうところに、人間を全体的にみる東洋医学の力というのが必要ではないかと、私は思っています。

 蓮風 なるほど。そういう中にも東洋医学の考え方が大事なんだと。

 外 西洋医学の問題は、1カ所悪ければそこを何か治せばいいという考え方ですから、全体を見失うところがあると思います。

 蓮風 ありますね。

 外 そういう医学に対して誰かが見張りをしないといけません。

 蓮風 その見張り人になるのは一体どういう世界なんでしょうね?

 外 それは私たちがやらなきゃいけないのだと思います。だから大学にいながら、いつもこれでいいかという疑問を持ちながらやっていますよ。結局は、医学が医業になり、商業化して、商品化してしまう。資本主義社会の市場原理で動いています。そういうところまで行ってしまうと、結局目的が何かを失うでしょう。価値観が全然違う世界に入って行きます。

 蓮風 病気を治すためじゃなしに、それを使うことによって儲かるから…。

 外 これだけの市場があるからそういうところに医療を投資しようとします。

 蓮風 かつて言われましたね、医療産業とかなんとかいう概念がありましたね。そういうもんと結びつくんでしょうかね?

 外 正にそうだと思いますね。

 蓮風 それで、あの、色々なお話をいただいたんだけれど、まあ、この間民族学者とお話ししたんですけど、西洋医学と東洋医学のあり方っていうのは、民族学、文化人類学がどういうふうに考えるかと言ったら、「等置」という考え方を出してきたんですよ。西洋医学も医学やし、東洋医学も医学やから、対等にこう、もう一つの医学もある。そこから、対等なんだという概念が確か民族学者の先生がおっしゃったと思ったのですが。この考え方どうですかね先生は?

 外 うーん。等置という風に置かないでいいのかなと思いますが。

 蓮風 おぉ、置かなくていい?

 外 結局、適材適所というんですか。

 蓮風 あのー、それぞれの長所を生かして。

 外 及ばないところというか、西洋の力の進んだところもあります。その領域では、そちらで行くという風に私は思います。

 蓮風 うん。

 外 手術や腫瘍をとる治療では西洋医学的な治療が必要になると思います。そういうのを鍼でするのは難しい。東洋医学が力を発揮する場面は別の所にあると思っていますし、場所を選んでやればいい。そういう考え方で等置されるという事はあるかもしれません。

 蓮風 そうですね。

 外 あまり、等置だといって対等という形は、必要ないかと思います。

 蓮風 それぞれこう、特徴がある。そういう意味ではまぁ、あぁ、等置という概念で置きかえることもできるかもしれんと。

 外 えぇ。

 蓮風 そういう感じですね。〈続く〉 
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