蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

カテゴリ: 九大大学院医学研究院教授・外須美夫さんとの対話

2012(平成24)年を迎えて2回目の「蓮風の玉手箱」をお届けします。社会の高齢化が国の財政を圧迫の大きな要因となり、国全体の活力も奪っていく現実が明らかにになってきています。消費税問題などとも絡んで今後、医療費の問題がさらにクローズアップされてくるのは間違いありません。自分の身体のことなのに病院に頼り切りでいいのか? 九州大学大学院医学研究院教授(麻酔・蘇生学分野)の外須美夫さんと鍼灸師の藤本蓮風さんと今回のお話しは日本の医療の将来像を描く大きなヒントになっているような気がします。みなさんはどのような意見をお持ちになるでしょうか。とにかくじっくり読んでみてくださいね。(「産経関西」編集担当)
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 外 東洋医学の魅力は、調和という全体で見る考え方ですね。

 蓮風 はいはい。

 外 東洋医学は根本を治そうとするじゃないですか。そこが長所であり、そこでは「等置」(前回参照)とは違う考え方でいいと思います。

 蓮風 そういう点から言うと、先ほど先生が仰ったように、この各部門、分解してやっているのと、総合して診る監視役が必要ですね。

 外 うんうん。

 蓮風 それは東洋医学にはなれないでしょうかね?

 外 いや、なれると思います。

 蓮風 そうですか。

 外 東洋医学だけだと、西洋医学の細かい所はわかりにくい。西洋医学の持つ大きな力というのがあると思うので、やっぱりそこを分かった上で見ていく。

 蓮風 それはそうですね。かつて中国では、よく『中西医合作』と言われたのですが…。ご存じですか? これ毛沢東が言った言葉なんですけどね。あのー、西洋の医学も医学で立派なんだけど、中国の発想によってできた漢方医学もあると。これがひとつになれば、素晴らしい医学になるんじゃないのかと。

 外 うん。

 蓮風 これが現代中国の中医学と西医学の、その発展の大本をなしているんです。今はまただいぶ変わってきましたけども。だからまぁ、西洋医学もない東洋医学もないひとつのものを作ろうという、そういう発想もあるんですよ。で、事実鍼灸界には代田文誌(しろた・ぶんし、鍼灸師、故人)とかあの辺りはやっぱり、西洋とか東洋じゃないんだと、次の医学を作る、それは東洋でも西洋でもないひとつの融合した世界だという人もおるんですよ。その辺りを先生にも話を聞きたいと思うんですが。

 外 どうですかね。合作というか融合しなければいけないのは確かなのですが。多分ですね、西洋医学をやっている人は東洋医学の考え方を納得できないと思います。

 蓮風 そうですよね。ほとんどね。ほとんどがそうだと思います。

 外 だから私が今大学病院でそういう事を言ったり、鍼を刺したりしても、若い人たちは何をやっているのですかという感じです。

 蓮風 あやしげなことを。

 外 だからあとは患者さんがどうするかいうことです。今の患者さんのニーズもだいぶ変わってきていると思います。で、これからは特にもっと大きく変わるでしょう。これから高齢化が進んで、攻めの医療じゃなくて、守りの医療というか、いわゆる優しい医療というのですかね。そういう医療が求められるわけで、しかも医療費の削減ということもあるでしょう。強力な西洋医学の攻めでかえって苦しめてしまうのではなくて、穏やかな医療に道があるのではないでしょうか。合作とか、一緒に取り込むというところにはあまり感心しません。

 蓮風 感心しない?

 外 うーん。西洋医学の人たちはそういう思いにならない。

 蓮風 全然知らんふりしてますね。

 外 中々そこに向いていかない。

 蓮風 で、僕はね、やっぱりこの、根本的に、形の医学と形で無い医学ということ、それからやっぱし、生命観が違いますよね。さっき仰ったように、あのー部分部分のあれが繋がってできた全体じゃなしに、東洋の場合気というものによって統一されているわけですから、従ってその生命観が違えば、やはりあの、それぞれの医学であっても、簡単に一つにならないだろうし、する必要も無い。ところが現代の鄧鉄涛という漢方の偉大な方は、現在はそれでいいんだと。しかし、将来同じ生命観が出てくるかもしれない。

 外 うんうん。

 蓮風 その時はひとつになるのかもしれないと仰っているんですね。

 外 うん。

 蓮風 これよくわかるんですよ。

 外 うん。
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 蓮風 だから僕たちは今、西洋医学を、まぁ、お互いに良さを認めるならばね、あの、合作じゃなしに協力という概念。互いに「こんな時は助けて頂戴よ」「じゃあやりましょう」「僕らも困るからちょっと助けてよ」という具合に。

 外 ええ。そうだと思います。

 蓮風 はい。実はそういう鍼灸医療病院みたいなものをね。

 外 ほぉ。

 蓮風 はい、ひとつは構想も持っている。

 外 うん。

 蓮風 はい、だから西洋医の先生にも来てもらうんだけど、あくまで鍼灸を中心として、この病院の場合は、西洋医学に「あぁ、これちょっと我々では弱いから手伝って」って。
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 外 いやぁ、そういう病院ができればまた画期的だと思います。そうやって確実に地道に広がっていって欲しい。

 蓮風 そうそう。だからこういう合作とかなんとかじゃなしに、この医学特有のものを大事にしながらね。ただ西洋医学も立派なことをやっているわけやから、先ほど先生が仰るように、長所短所があるならば、短所がある場合は補ってよと。

 外 そうそう。

 蓮風 これはお互いありうると思う。だからそれを私は協力という概念で話しているわけなんですけども。

 外 そうですね。

 蓮風 はい。まぁ勝手なことばっかり言うてるけど。さぁいよいよもう、大詰めになってきているわけなんですけども。西洋医学も東洋医学も実際はどうですかね、あの、患者さんのためにどういう方向に向かった方が、先生は理想的というか、こうあるべき、というような形があったら仰って頂きたいのですが。
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 外 ひとつは患者側ももうちょっと学ばなければいけないと思います。例えば、東洋医学だけを求める人もいますね。最初から西洋医学だけを求める人もいます。やっぱり頼りすぎている。もっと自分で考えて欲しい。

 蓮風 自分で選ぶと。

 外 それならいいのですが。そして、今のところ、多くはやっぱり西洋医学の薬、薬というように、薬神話がありますね。あれは大きな問題で、病院に行って、なんか薬下さいっていうわけです。

 蓮風 そうそうそうそう。

 外 薬なしで生活を変えましょうとか、別なことを言ったら、そういう医者は求められないわけです。医者は患者さんに薬をくれる人になっています。それは間違った方向だと思います。

 蓮風 そうやろうなぁ。

 外 だから、根本的にはそういうところも変わらなければいけないと思います。医療も変わらなければいけない。東洋医学では未病って言うんですか。
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 蓮風 未病ね。未だ病にならざるを治す。と。

 外 そうそう。そこが大事なポイントです。

 蓮風 そうですね。だから病気じゃないんやけど、病気の前段階であるということ。

 外 私はそれが東洋医学が発展する非常に大事なところだと思います。

 蓮風 そうですね。

 外 健康というものを考えると、病気があって、何か異常があって、病院に行きます。しかし、最近は、生活習慣病であったり、生活が狂っていたり、食べ過ぎたり、飲み過ぎたりして病気になる。それらの全部の結果を病院で治して貰おうと考えている。自分には責任は無いのだから、薬で治してくれと言う。

 蓮風 で、治らんかったら医者が悪いという(笑)。

 外 そうです。医療がなんとかしてくれるという思いがある。

 蓮風 ありますね。

 外 それは誤っていると思います。

 蓮風 うーん。

 外 病気にならない為にどうしたらいいか。そしてそれは、東洋医学の力が発揮されてもいいところじゃないかなと思います。

 蓮風 だから、まぁ、私は毎日の診療の中で、大病になりたくなかったらね、健康維持に予防に治療しなさいと。それこそ本当の東洋医学なんだよって。で、その中で僕は、色んな小言を言うけれども、やっぱり生活を正さんと、だめですよね。まぁ私、酒飲みで、まぁ酒で死ぬのかもしらんけど(笑)。〈続く〉

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先月からお届けしている九州大学大学院医学研究院教授(麻酔・蘇生学分野)の外須美夫さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談も最終回となります。医学の東西を超えて患者の立場からの医療とは何か、を中心に話が進んで来て、今回は蓮風さんが自身の健康法(?)も明らかにしています。医療と宗教と哲学の関係から「医の原点」を見つめ、まだまだ話は広がりそうですが、おふたりのお話はひとまず閉幕。カーテンコールの拍手をして、アンコールを要望したい方もいらっしゃるはず。次の機会をお楽しみに。(「産経関西」編集担当)
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 蓮風 この間、馬(=乗馬)の試合行ってね。17~18歳の子と戦って、2位3位を取ったんです。だから決して病気じゃないし、元気なんで多少この、えー酒…いや燃料として「バイオエタノール」は許してもらうとして(笑)、他のことは大体節制できていると思うんですがね。

 外 今はもう、もの凄く偏った人たちが多いですよ。

 蓮風 そうですね。昔、漢方医学、古い時代には食医というのがおった。で、一般に我々みたいに鍼をやったり、先生みたいに、こう、薬出したり、そのような医療をやる人を疾医、疾病の「疾」。疾医いう漢字を書く。

 外 ほぉ。

 蓮風 で、食医の方は、もう、まず「食べ物で治せ、食べ物を治せよ」ということです。で、食という字は「やしなう」とも読むんですね。漢文では。養うっていうことは単に食べるということじゃなしに、生活全体です。さっき先生が仰るように、生活習慣、とんでもないことやっとりゃぁね、そりゃあ病気するからそれ治せって、そういうことを非常に激しく言った医者とか、時代があったんですよ。だからそれは疾医より位が高かった。

 外 今、本当はそっちのほうが大事なのかも。

 蓮風 だから現代は本来、食医の時代なんですわ。はい。

 外 疾医でないと儲からないものだから。

 蓮風 だから、そこら辺りがね、コマーシャルと繋がっている医療というのはね、本当に人の体を治すんじゃなしに、商売儲けに使っているということだろうね。

 外 まぁ、そこをすぐにはできないけれど、そういうところを政治家が変えていく力を持っていかないといけません。

 蓮風 そうです。本当に政治がそこにいかないとだめなんですよ。

 外 思いますね。

 蓮風 うん。しかし、話は少し飛びますけど、政治家は長生きしますね、元気で。

 外 政治家が?
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 蓮風 はい。 先生のイメージされる政治家はどうですか。

 外 うーん。長生きが多いですね。

 蓮風 ねぇ。ほいで、結構元気ですよね。

 外 うん。

 蓮風 あれなんでやと思います?

 外 やっぱり、自分が国を動かせるということに喜びを感じてるのかなぁ。

 蓮風 そうですね。僕はね、もうひとつ、その、野心があると思うんです。はぁ。自分が天下を取ってこうやりたい、ああやりたいって、その為にはどういう風に人を丸め込めばいいかって。

 外 うーん。

 蓮風 それはねぇ、非常に人間のその生きるエネルギーと繋がっているんですよ。野心。だから、あの、北海道の、あの、北大の前身の、札幌農学校におられたクラーク博士が「Boys, be ambitious」って言ったのはねぇ。「少年よ大志を抱け」と訳したけどね。あれ、野望なんです。大志というのは。ambitiousいうのは。だから、そうするとね、その野望こそがね、人をね、僕の場合は東洋医学を世の中へ発展させようってひとつの野望かもしれん。それが僕を非常に元気にするんですよ。

 外 うん。

 蓮風 だから人の数倍生きるっちゅうようなブログ書いているけど…。最後はねぇ、大志というか野望というかね。それを持つことがねぇ…。

 外 大事ですよね。野望であり、結局情熱を注ぐということですね。

 蓮風 そうそうそう。だから野望と情熱はもう裏表です。

 外 そうですね。

 蓮風 はい。だから政治家は野望によってその情熱を燃やしているわけや。

 外 それがエネルギーになるわけですよね。
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 蓮風 医学と宗教の関わりあいについて、先生はどう思われますか?

 外 おぉ、これはまた面白いテーマを。
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 蓮風 そうですね。これが一番ね、私は最後に、先生に纏めて頂きたいなと、思うんですよ。

 外 ありがとうございます。蓮風流にいくらでも言うことがあると思いますが。最後はですね、宗教というか哲学というか、それが無いとだめだと思います。医療をやる人は。少なくともなんらかの哲学がいります。ただ、これまでの色んな人が言っているような哲学じゃなくてもいいと思いますよ。

 蓮風 うんうん。

 外 自分の生き様として、ある信念が必要だと思います。

 蓮風 そうそうそう。

 外 その信念のバックボーンとして哲学の流れを生かしていけばいい。この本(「東洋医学の宇宙」藤本蓮風著)を読んだり、老子を勉強したりしたことからも思うのですが、西洋の哲学は、色々分析して、揺らぎの無い価値や真理や神への愛というような、誰も口出しできないような崇高なもの求めて行きます。宗教で言えば、イエス•キリストや、マホメットや、一神教的なものに皆が向いていく。皆がそれで救われる。そういう絶対的なものに繋がっています。それで解決しようとしますが、それでは人間の持つ多様性が失われやすい。

 蓮風 うーん。多様性。はい。

 外 人間は色んな価値観を持っている。生きていれば、色んなことがどんどん変化する。そういう変化に対して、西洋哲学や宗教は、固定した価値観を持ちなさい、それに従えばいいと言っていますが、人間はやっぱり弱いから、その通りに生きられない。それで、皆がもがき苦しむ。だから西洋哲学もだいぶ変化して、反哲学と言われていわれる人たちが出てくる。

 蓮風 はいはい。

 外 ニーチェの頃から変わって来ます。既存の哲学に「そうじゃないのだよ」というように。そこでは、今ある現象の中に自分を探していこうとする。それは元々東洋哲学の中にあったものであり、結局は、老子や荘子が言うような、変化するものや流転する中に身を置くということです。

 蓮風 そうですね。

 外 先生の本に書かれていますけれど、もうこれだと決まったものは無い。決まった時にはもう次が動いている。

 蓮風 そうそう。

 外 陰と陽がいつも作用し合っている。

 蓮風 そうです。そうです。

 外 変化していくものだという考え方ですね。僕たちは日本人として、神道も仏教も混合して取り入れることが可能です。それはなぜかというと、神様がその辺のあっちこっちにいるのだという考え方があるからです。

 蓮風 そうそう。

 外 自然の中にもいるのだという。

 蓮風 そうですね。

 外 そういうことで、包容する力も持っている。あまり固まってない。家族を愛するし、全体との繋がり、地域との繋がりを大事にしてきた。それが大事な事であって、老子や荘子が持っていたものをバックボーンとしている東洋医学がある。そして、鍼灸も含めて、そこに真理っていうようなものがあるような気がします。

 蓮風 うん。

 外 そこが治療においても、人間を癒やすことになる。人間全体を固定したものと見ないで癒やしていく。同じ様に体と心を区別しない考え方で、人間が生きて死ぬということを、自然の流れの中で受け止めていく。そうすると死の苦しみからも、解放してくれる。それはもう、まさしく宗教がずっと目指してきたことです

 蓮風 そうですね。

 外 そういうところへ繋がっていくような気がします。日本人としては、西洋化してきた流れの中で、もう一回原点に戻って、別に老荘までいかなくてもいいので、日本人的に自然と調和することが大切です。

 蓮風 いやいやいや。あの、その、その通りやと思いますわ。で、まぁ、今日色々とお話を伺うと、もうあえて東洋医学言わんでも先生はちゃんとご存じだというような感じを受けました。

 外 いやいや(藤本蓮風さんが書いた)「東洋医学の宇宙」にあることです。いっぱい良いことが書かれていて、最後に、お父さんが「自然をよくみなさい」と諭したとあります。

 蓮風 そうなんです。そうそう。

 外 「自然をよく観察しなさい」と。結局、それは人間の中にも自然があって、それをよく観察しなさいということだと思います。

 蓮風 そうですね。

 外 それが医の原点ではないでしょうか。

 蓮風 そう、なるほどねぇ。

 外 そう思います。

 蓮風 素晴らしい締めくくりになった。ありがとうございます。

 外 こちらこそ、ありがとうございました。 <終>

 

 

次回からは「こころの学校」活動や『静思のすすめ』などの著書で知られる薬師寺執事の大谷徹奘(おおたに・てつじょう)さんと、蓮風さんの対談が始まります。


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new!☆お知らせ
2019年5月、外須美夫先生の出版物が刊行されました。
「文・句・写真 裏の細道紀行~福岡ー山陰ー高野山 八百六十キロの旅~
外先生が実際に歩かれた記録が文章、写真、俳句と共に綴られている素敵な一冊です。
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