蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

カテゴリ: 春日大社・岡本彰夫権宮司との対話


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初回公開日 2012.3.10
春日大社は平城京の昔から日本の信仰と文化を伝えてきました。今回から「古都奈良の文化財」として世界遺産にも登録されている、この神社で権宮司をつとめている岡本彰夫さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談をお届けします。岡本さんと鍼(はり)との不思議な出会いから始まり、「目に見えない世界」の話など、初回から深遠な世界が語られています。日本人は「魂」をどのように捉えてきたのか…。風土と身体と精神の関わりについて考える示唆深いお話が始まります。さぁ「玉手箱」からまた新しい「宝物」が出てきましたよ。(「産経関西」編集担当)

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 岡本彰夫(おかもと・あきお) 昭和20年奈良県生まれ。国学院大学文学部神道科卒業後、春日大社へ奉職。権宮司。(現奈良県立大学客員教授) 主な著書に『大和古物漫遊』『大和古物拾遺』『大和古物散策』など。
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  蓮風 岡本先生、今日はお忙しい中、ありがとうございます。(産経新聞大阪本社の情報サイト)「産経関西」で多くの方に東洋医学を理解していただくため啓蒙をしております。鍼も色々あるんですけど、いい鍼にかかれば助かるのに、西洋医学一辺倒というのが普通の、国民の常識なんですが、そういうことは非常にもったいない。古いけど、非常に有効な医療なんで、各界の著名な方に来ていただき、お話させていただいて鍼の力を知ってもらおうコーナーでございます。ひとつよろしくお願いいたします。

 岡本 よろしくお願いします。

 蓮風 先生は春日大社の権宮司さんということで、私は深いご縁があると思うんです よ。私は藤本でしょ。藤原系です。氏神さんは春日大社なんです。

 岡本 そうですね。

 蓮風 だから亡くなった私の親父は生前、春日大社にお参りさせていただき、ご縁があって御祭りでは、競い馬まで奉納させていただいて。

 岡本 えらいご縁がございますね。

 蓮風 だから今日は本当に楽しみにしておったんです。

 岡本 そこで先に先生とのご縁を言うておかなければいけないと思います。うちの次男坊がね、骨折しましてね、学校で、あばらを。それから体調がおかしくなって、学校へ行けなくなったんですわ。で、学校の先生は登校拒否やないかって言うんですけれど、私はそうではないと思いましてね。これは絶対、身体のバランスが狂っとるんやろうと思ったんです。で、初めは西洋医学の医者にずっと診てもらい、で、某医療器具メーカーの秘書部長という方が、「なんでも困ったことがあれば言うてきてくれ」と、とにかく「適切な西洋医学の先生を紹介するさかいに」と言うてね、紹介してもらったんです。で、大阪まで行って入院させて、頭の先から足の先まで診てもらったんやけれども、わからしません。で、私はこれ絶対に西洋医学でカタつかんと、東洋医学でないと絶対あかんと思うてた時にですな、これまた不思議に、神社に岩波新書が届きまして。それは鍼の話やったんです。

 蓮風 そうそうそう『鍼灸の挑戦』(松田博公著)。

 岡本 そうです。それでその本を見てたらね、先生のお名前が出てたんです。これは間違いない、この先生の所へ行けと。これはもう神様のお示しや、御神縁やと思うて家内に言うて、子どもを連れて来さしていただいたところが、お蔭さまで治ったんですわ。

 蓮風 そうでしたねぇ。

 岡本 それから随分ねぇ、困ってる人がおったら、ここへ行けと言うてね。

 蓮風 薬師寺の大谷(徹奘執事)先生も、先生のご紹介で。

 岡本 はい。某病院の医務部長も、長いこと五十肩でね、リハビリやるんやけど手が挙がらないと言うので、「そらあかんわ」言うて、藤本先生の所へ行かせたら、治ったんです(笑)。そんなことでね、私は東洋医学というものには、元々から、大変興味がございましてね。

 蓮風 はい。

 岡本 東洋医学というのは、目に見えない世界があるということがわからないと、理解できない世界やと思うんです。

 蓮風 まさにその通りです。
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 岡本 そやから唯物論の西洋医学ではわからない、裏にもっと深い大きなものがあるので、その背景がわからんといかん、ということを常々思っておりましてね。実は神道のほうに「鎮魂(たましずめ)」というのがございましてね。
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 蓮風 いわゆる普通に言う「鎮魂(ちんこん)」ですか。

 岡本 はい、鎮魂なんですけれどね。普通、西洋で言う鎮魂は、死者の魂を鎮めるという鎮魂なんですが、日本の場合は、「フリタマ」なんです。静かにしている魂を振り動かすという。

 蓮風 ほぅ。

 岡本 実は、健全な肉体には健全な魂が宿る、というのが西洋の考え方と言われてますけど、東洋の方は、精神や霊魂を健全にすれば、肉体が健全になる、という逆の考え方なんですね。「フリタマ」というのはどういうことかと言いますと、魂というのは、「玉之緒」という緒で身体に結びついているというのが、日本の考え方なんです。

 蓮風 玉之緒。

 岡本 はい。百人一首にね、「玉之緒の 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする」。これ、恋歌でね。私、これほど恋焦がれて、もうこのまま死んでしまうのいやや、と。いっそ、玉之緒切れてしもうてくれ、というのがこの歌で、だんだん身体が弱ってくいく、という歌です。そうしますと、魂が玉之緒で身体に結びついているということで、魂が切れたら死んでしまうわけです。宮中に鎮魂祭というお祭りがあるんです。天皇様が11月の卯の日に、中の卯の日か下の卯の日か、大体、卯の日に新嘗祭というのがありますけれども…。

 蓮風 ありますね、新嘗祭。

 岡本 これはご存じのように、お米は人間が生きていくために食べるもんやからと神様がおっしゃって天孫降臨の時にお渡しになった。高千穂の峰にそれを持って降りてこられて、それを撒いたというのが日本の稲の発祥ですよね。その感謝を申し上げる新嘗祭というのを11月の卯の日にするんです。で、その日の前日の寅の日に鎮魂祭というのがあるんです。鎮魂祭とはどういうことかと申しますと、「令義解(りょうのぎげ)」という本がのこってるのですが、律令格式いうてね。律は刑法、令は行政法ですが、国家が1年間にするお祭りをちゃんと決めてるんです、日本の場合は。そのまま中国の思想を入れたのとは違って、日本は神様を大事にする国やから、神様のことを先にやろうとしたので、神祇官という役所を置いて、で、法律の中でも神様のお祭りのことを事細かに規定してあるんです。その中に鎮魂祭が出てくるんです。その意味がどういう意味かというのを書いたものに「令義解(りょうのぎげ)」という本があるんです。令の説明をした本。「令集解(りょうのしゅうげ)」と「令義解」の2種類あって、その「令義解」のほうにね、「遊離の運魂を身体の中府に鎮む」という鎮魂祭の但し書きがついているんです。鎮魂祭の注釈です。

 これを見ますと、魂というのは玉之緒でつながっているけれども、方々をうろうろ歩くわけです。これが遊離の運魂ですわ。ところがこれが外に出てたら身体が弱ってくると。それで身体の中府に、真ん中に鎮めるためのお祭りやと書いてあります。この中府というのは、日本語で言うと「なかご」なんです。この「なかご」はどこにあるのか、というと、おそらく丹田にあるんだろうと。丹田に鎮めるんだろうと言われているんですわ。日本にのこっている鎮魂法というのは、ひとつは天皇陛下の鎮魂をするために宮中に残っている鎮魂法があるんです。もうひとつは奈良県の石上(いそのかみ)神宮。石上神宮は物部氏の根拠地なんですが、物部氏が伝承した石上式の鎮魂法というのがのこっておりましてね。この鎮魂法というのは、石上神宮の秘伝なんですが、臍(へそ)から始まって臍に終わるんです。あぐらを組んで、手を回していくんです。こうして(おへその前で円を描きながら)右ふりとか左ふりとか、前ふり後ろふり中ふりとか、振るんですが、それが必ず臍から始まって臍に終わるんです。

 蓮風 これは非常に重要なことですわ。

 岡本 ものすごい大事なことでしょ、先生。

 蓮風 あの、淡路島に、オノコロ島というのがありますね。

 岡本 はい。

 蓮風 あれがどうも人間の臍(へそ)に当たるみたいで。そういうことを書いた本にヒントを得まして、身体が非常に弱りきった人を治療する場合に、お臍の周辺に鍼灸をやるんです。これはもう本当に弱りきった人にはその術を使わないと戻らないんですわ。いまのお話を聞いていますと、玉之緒、中府に鎮むのはどこか、丹田か、とおっしゃった。この話は非常に素晴らしいですね。感動しますね。

 岡本 ああ、そうですか。

 蓮風 だから臍というのは、心―身体―魂をつなぐ部分ではないでしょうか。

 岡本 まさにそうですね。

 蓮風 弱りきった人は、ここ(臍)が冷たくなってきます、我々臨床家から見ると。他の部分は温かいのに、なぜか臍は冷えて、しかも盛り上がってきます。

 岡本 だから臍は大事なんですね。〈続く〉

鍼(はり)の力を探る「蓮風の玉手箱」は前回に引き続き、春日大社権宮司の岡本彰夫さんと、鍼灸学術研究団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんとの対談をお届けします。今回は神話や日本の伝統祭事、「ケガレ」などが話題にのぼっています。一見、とらえどころがないような不思議な神事も、背景が説明されると、そこに「理」があり、人間の感覚や経験を総動員したような「知恵」があるような気がします。本来、人間に知覚されて存在していたものが「科学」という枠に縛られて「ない」ことになってしまっている例は多いのかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 私が育ったのは出雲でして…。
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 岡本 ああそうですか。

 蓮風 ヤマタノオロチ伝説のクシナダ姫は「日本書紀」では「奇稲田姫」と書きます。「稲田」を象徴しているともいえるわけですね。稲田が毎年、大蛇にやられて困っている。それをスサノオノミコトが退治して、出てきた刀が「草薙の剣」。私の高校時代の先生がこういうことを調べるのが好きな方でして、ヤマタノオロチ自体が出雲国の川を表しているという…。

 岡本 …という説がありますね。

 蓮風 川が氾濫して、稲田を襲う。それを何らかの形で治めたんじゃないかということを聞いて、僕は感動したんです。一番大事なのは稲田なんです。(前回に出た)高千穂の峰に神様がお米を持ってこられた話につながってくる。

 岡本 それでね。続きを申しますと「鎮魂(フリタマ)」というのは、魂を振起(しんき)させるのが大事でして。魂に活力を与えると、身体が丈夫になる、健康になる、長寿になる、ということですね。たとえば、「紅葉狩り」というは何でするのか。あれは結局、紅葉に宿っている真っ赤な生命力を家に持ち帰ってきて、身体に振りつける。それから「禊(みそぎ)」といって、水の中に浸かって行(ぎょう)をしますが、これは水の霊力を身体に振りつける。これ全部「フリタマ」なんです。身近でいうと、毎月新しい、お榊を神棚に上げる、あれも瑞々しい生気を家の中に取り込む、身につける、というフリタマなんです。

 蓮風 ほう。

 岡本 だから我々いままで何のためにこういうことをやるのかわからんようなことは、結局、魂を健全にすれば肉体が健全になる、ということがわかっていないと、理解できないということですね。

 蓮風 そこのところがまたお話が面白いんですが、日本は「瑞穂の国」といいますね。水と稲の穂と。

 岡本 はい。

 蓮風 水というのは、フリタマの中でもかなり大きな意味を持つのでしょうか。

 岡本 フリタマと、それとはまたちょっと違うのですけれど。

 蓮風 ああそうですか。
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 岡本 ただ漢語を大和言葉に当てていきますから、かえって漢字の意味からとれるものもあります。瑞穂の「瑞」を瑞(みず)と訓読み、水(みず)も同じです。それから、瑞穂の国とフリタマというのは直接関係はないのですが、先ほど申し上げた「禊」は、水の中の霊力を身体に振りつける行為ではありますね。

 蓮風 それはお祓いみたいなものですか。

 岡本 祓いと禊はまた違うんです。

 蓮風 ああそうですか。

 岡本 ややこしいんです。もういっぱい言わなあかんことあるんですわ(笑)。「祓い」というのは、言葉がややこしいんですが、中国語の「祓」という漢字を持ってきます。本来は「ハラヒ」、ある説では「ハルヒ」といいます。「ヒ」というのは、日、火、霊、と表すこともあります。お日様も火も、霊も、霊妙不可思議なものが「ヒ」なんです。その「霊(ヒ)」を張るのが「張る霊(ハルヒ)」ではないかという説があるんです。これも魂や霊力を充実させるためにやるもの。それに対して「ケガレ」という言葉があります。「ケ」というのは「生気」のことですよね。いわゆる中国でいう「気」。これは日本語でいうと「ケ」。もののけ姫の「け」ですね。「ケガレ」とは「気(け)」が枯れることや、というんです。というのは、生命力が衰えてくることがケガレであって、ただ汚れているとか汚いというのは二次的な話でね。根幹はケが枯れる、生命力が衰える、これがケガレなんです。

 蓮風 大事な解釈ですね。
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 岡本 それからもうひとつ。「晴(ハレ)」と「褻(ケ)」という考え方がありますよね。私らの日常生活を「褻」、特殊な状態になる時が「晴」なんです。「今日は晴れ着つけます」とか、「晴れ舞台ですわ」とか言うのは「ハレ」ですよね。それに対して「ケ」というのは、出雲大社と、うちの神社にも神楽の歌がのこっていまして、「すめ神を よき日 まつれば あすよりは あけの衣を けごろもにせん」 。ふつう知らない人が解釈したら、「なんや毛皮着るのかいな」と思ってしまうけれど、「あけの衣」(=晴れ着)を「け衣」(=普段着)に替えます、ということなんです。だから「ケ」言うたら普段のことなんです。

 それに対して「ハレ」は…。人間の一番晴れがましいのは何かというと、神様の前に出る時が一番晴れがましい。だから神様のお祭りをするのがハレなのです。日常の生活がケです。日常の生活(=ケ)からハレに行こうと思ったら、精進潔斎せなあきません。身体を清めて、心を清めて、そしてハレの状態になる。でもハレの状態ばっかりでは暮らしていけませんよね。それでもう一回、精進落とししてケの状態に戻るんです。これが日本の聖と俗の一本線なんです。だからある種、特定の人しか神様の祭りができないかというたら、そうやないんです。みんなができる。ただしそれは精進潔斎をせんとできませんから、ケからハレにもっていかんと。そしてハレの状態から、またケに戻して日常に戻る。この繰り返しなんです。ところがだんだんそれが邪魔くさくなってきてね、精進潔斎するのが。それで神主という職ができた。もうそればっかりする人、作ったらええやないのということで。このケガレのもうひとつの説は、日常生活が営めなくなることをケガレというものです。

 蓮風 通常我々は、ケガレというと何か汚いものや、悪いものが来た、それを祓うんだ、というふうな意識が強いですけれど、違うんですね。

 岡本 実は違うんです。もっと生命的な、宗教的な問題なんです。生命体が枯れていく、日常生活が営めなくなる。
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 蓮風 それはねぇ、ものすごく東洋医学的には大事なんです。身体の生命力、これを東洋医学では正気といいます。それに対応して邪気が正気を邪魔して戦う。これが病気だと考えているんです。いまの話を聞いていると、正気が中心なんですよ。正気がしっかりしてないから、生活のあれこれができないとか、生気が弱っていること、そのもののことを言っているでしょう。これは非常に重要なことで、最終的には正気と邪気の戦いの中で病気を考えるけれども、戦(いくさ)と一緒で、勝ち戦と負け戦がある。勝ち戦の時は邪気を払えばいいけれども、負け戦になると、邪気もあるけれど正気も弱っているから、どんどん兵糧を高めて、兵隊の力を強くしなければならんのです。それができなかったらたいてい死ぬんです。

 岡本 はい。

 蓮風 そうなってくると、最初に言われた生気が枯れてくるという考えは、非常に示唆的ですね。最終的には正気と邪気の戦いで、我々専門的には勝ち戦を「実」というし、負け戦を「虚」というのですが、最終的には正気がしっかりしていなければいかんのです。まさしく、ケガレては困るのです。ある意味、戦いは戦いだけれども、正気を守るための戦いなのです。だからいまのは、非常に深いですね。ケガレという言葉は、2つの意味、共にそうですね。びっくりしました、あまりに近いので。

 岡本 そうなんですよ。あの、「和法(=和方)」というのがありますよね。漢方に対する和法ですけれど…。

 蓮風 はい、和法。

 岡本 どうもわからへんのやけども、たとえば神様の名前にね、オキナガタラシ姫(息長帯比賣命)という方がおられます。神功皇后ですわ。ということは、普通に考えると長息ですわね。息を整えることが充分にできた方というような意味合いでとるということもありますよね。オキというのは息のことで。たとえば手当てとかね。これも手を当てることで。日本は日本でやはり独自の技術を持っていたはずですわね。因幡の白兎も蒲(がま)の穂でね。

 蓮風 あれ、記録に残ってるんですわ。あれこそ全けき和法ですな。

 岡本 私、一回ね、『大同類聚方(だいどうるいじゅほう)』というのを読んだことあるんですわ。

 蓮風 ああ、すごいですね。

 岡本 難しうてわからしません。

 蓮風 あれはもう漢方医学の中でも非常に重要な典籍で。

 岡本 そうですか。

 蓮風 どちらかというと漢方薬が中心になりますが。

 岡本 やっぱりあれを見てると、それぞれ家伝薬というのを持っているんですね。どこどこの神主の家にある薬やとか、どこどこの国造(くにのみやつこ)がもっている薬だとか。

 蓮風 不思議なことに、徳川家康が実は薬の知識を網羅していたという。自分で(薬材をひくために)薬研(やげん)で薬を作って飲んで、たいていの病気を治したといわれてます。あまり知られていないけれど。

 岡本 ああそうですか。

 蓮風 和法漢方も、日常生活の中で、センブリなどをうまく使ってますね。

 岡本 この間、テレビ見てたら、世界中で色々な植物を採集してきて薬にならんかという研究をやっていて、なんや結局、漢方と一緒やなと思いました。

 蓮風 西洋医学の薬も結局自然の生薬に効果がないか、って探ってるんです。

 岡本 そうですね。〈続く〉

春日大社権宮司の岡本彰夫さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談をお届けしている「蓮風の玉手箱」。今回は「祈祷」に話題が及びます。医療の源流をたどると、お祈りやお祓いをしていた祖先の姿が見えてくるようです。それが「煙」や先端の尖った道具といった「目に見えるもの」の利用につながってくる。祈りと医術が表裏一体だった時代もあったようです。もしかすると現代の医療に欠けているのは祈りなのかも…。そして祈りと「真心」と言い換えられるのかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 西洋医学でよく使う喘息を抑えるエフェドリンがありますね。あれは麻黄(マオウ)という漢方薬から作ってる。ですから元々そこらにあるものをなんとか医療に使えないかというのがあったみたいですね。それが伝説になって、神農さん(=古代中国で医療と農業を教えたという伝説の皇帝)がいる。『神農本草経』という経典があるんですが、神農さんがいろんな薬草を食べて、毒にあたったり、それから身体が良くなったりする。それを記録したって言われてます。そこから医学が始まったという伝説があります。
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 岡本 結局最先端の医学が求めてるものは、やっぱり生薬に帰ってくるさかい。ほんで漢方なんですよね。

 蓮風 そういうことなんです。自然のものをそのまま活かそうという発想は、むしろ現代の方が大事なんです。昔の人は当たり前なんです。ヨモギを止血剤に使ったりね。そういう事が発展したんじゃないですかね。特にお年寄りとか、村の長老のような方はよく知っているというのがあったみたいですねぇ。それと先程お話し頂いた「肉体・身体」と「心・魂」の問題ですね。先生は、日本ではとにかく心が先で、健全な肉体に健全な精神が宿るという西洋とは反対なんだとおっしゃった。

 ところが、我々の漢方医学のバイブルで、『素問』『霊枢』というのがございます。その中には非常に面白いことが書いてある。2500年前の人が言うところの一番古い時代、これを上古と言います。それから中古。それから現代ですね。その上古、一番古い人達は何やっとったか言うたら、お祈りで治してた。ところが、年が経つにつれてだんだん人間には罪業が強くなってそれ(お祈り)だけではいかんので、鍼や漢方を使うようになったいうようなこと書いてあるんです。だから、そういった「祝由(しゅくゆ)」と言うんですけどね、そういうお祈りで治すのが古くから、一番正統なものやったらしい。『素問』の移精変気論篇というところに出て来まして、要するに、昔は、お祈りをして治しとった、ということが書かれています。

 岡本 神社には社務日記言うて毎日記録を綴っています。鎌倉時代から日記つけるんですけどね、その中にね、「祷医効無く」という表現が出てきますねん。御祈祷と医術と両方で手を尽くしたけどもついにダメやったと…。これ大事と違いますかね。

 蓮風 今我々に残ってるのは「薬石に効無く」ですね。「祷医効無く」は神道の言葉ですか。

 

 岡本 いえ、神道の言葉っちゅうか、江戸時代の記録に出てくるんです。いい言葉や思ってね。祈祷と、それから医術と両方でお願いしたけどダメやったっていうね。これ今日の人、忘れてますからねぇ。

 蓮風 そうです、そうです。鍼灸の起源を辿れば、山田慶兒さん。中国学者で、漢方医学もよく勉強してはる山田慶兒さんは、お灸の起源は煙だとおっしゃるんですよねぇ。であのー、民俗学の小山修三先生(国立民族学博物館名誉教授)に言わすと、オーストラリア(先住民の)アボリジニーがどうやって病気治すかいうと、煙で燻すって言うんですよ。

 岡本 あーそうですか。

 蓮風 だから地域は全然違うけど、発想自体はよく似たもんがあって、お灸は煙を出す。煙を出して、いろんなものを祓いながら、身体の病気を治す、という方向に行ったみたいですね。それから鍼はね、これ私の独特の解釈なんですけど、お正月、お宮さんに行ったら破魔矢っちゅうのございますな。矢の先っぽは、弱ったときに入ってくる邪気を祓うんじゃないかと思うんです。源氏物語で、光源氏が弓の弦をパンパンと弾くとこありますね。あれは邪気を祓ってるんです。形は無いけども、実は矢を放ってるんだと僕は思うんですよ。

 岡本 なるほどなぁ。
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 蓮風 先年ね、チベット行きまして、お守りを買って来たんです。その中に鍼の形をしたものが入っとるんですわ。ゼンマイを巻いた様なものも入っている。これ本当はお守りやから開けちゃいかんねやけど、私はこういうのを開けてみるのが好きで。ハハハ。

 岡本 ほほう。

 蓮風 これが鍼の形してるんです。それにこういうもんも入っとるんです。なんかゼンマイみたいな…。

 岡本 はぁ、渦巻き。
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 蓮風 こういうの神道にはございませんか?

 岡本 いや、渦巻きっちゅうのは、しめ縄がそうです。あれ二重螺旋(らせん)構造になってる。それでね、これちょっと話飛ぶけど、昔NHKが世界中の螺旋を特集したことがあるんです。で、神道でも非常に回るっちゅうことが大事でね。でその、オノコロ島そうですやん。イザナギとイザナミの神さんがね、天の御柱(あめのみはしら)の周りを回らはるんです。で、回り方が反対やったんで…。

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 蓮風 そうそうそう。

 岡本 今度逆に回ったっていう。神事でもね、回る神事ってものすごい多いんですわ。でこれとね、NHKはあの時、DNAが二重螺旋構造でしょ。世界中にいろいろな渦巻き形のものがある。せやから古代の人は渦巻きというのに対してね、もっと我々より敏感な感覚をもってたんやないか、という番組でしたけどな。私もちょっと渦巻きが気になっていろいろ見ますとね、神事の中で非常に回る神事っていうのが多い。お百度もそうでしょ。

 蓮風 はぁ、面白いなぁ。

 岡本 せやけど、このお守りは鍼にぴったりですな。

 蓮風 そうそう。そういうことなんです。だから結局ね、何かこう人間を守る為にこう先っちょの鋭いやつが必要なんだという考え方があるんでしょうね。

 岡本 仏教でも「五鈷(ごこ)」とか三鈷「(さんこ)」とかがですしね。

 蓮風 そうですね。

 岡本 あれ武器ですからね。

 蓮風 そうそう。特に真言系の修法で使いますねぇ。

 岡本 そうです。

 蓮風 いやー面白いなぁ。

 岡本 なんぼでも話はあるんです。どうしても目に見えない世界があるということがわからんとね…。〈続く〉

「鍼(はり)」の本当の姿を探る「蓮風の玉手箱」は、春日大社権宮司の岡本彰夫さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の4回目をお届けします。今回は嘘が通らない霊妙な世界から本当の芸術家の“条件”まで、幅広いテーマで東洋医学についての話が展開されています。本当の自分を感じることが病気を防いだり、健康になったりする秘訣かもしれません。でも色々なものに所有している現代人にはなかなか容易ではないようです。では、いかに「捨てる」か…。そのヒントが明らかにされています。(「産経関西」編集担当)

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 岡本
 近頃、とみに思うんですけどね、形のある世界っていうのは嘘が通用しますわね。

 蓮風 まぁそうですね、ごまかせますね。

 岡本 形のない世界っていうのは嘘が通らない世界なんですよね。

 蓮風 普通一般の人達はその反対のように見えるんですよね。
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 岡本 だからね、ある人は「あんた気楽やな、神頼みして」って言いますけどね、その逆でね、嘘が通用しない世界と接するわけですわ。そうするとそこにね、計算とか打算は持ったらいかんわけですな。我々でも人とお付き合いするのに、あの人とお付き合いしたら、得か損かっちゅうことでお付き合いする人ばっかりですわ。だから、こけたら誰も寄りついてくれしません。一目散に逃げていく奴はおっても、助け上げてくれる奴っていうのはおりません。

 せやけど目に見えない世界っていうのは嘘が通用しない世界ですから、神や仏や先祖に対してね、見返り求めたらダメなんですな。だから無償の愛をね、捧げ尽くす。代償のない愛を捧げ尽くさないと、この世とあの世の壁は破れません。せやからこれほど難しいことはない。「神頼みは楽やろ」って、そんな馬鹿なことはない。かえってしんどいですよ。

 蓮風 たくさん患者さんを診てきたし、今も診てるんですけどね、「あんた感謝が足らんな」と言うことが多いです。ありがたいっていうのを漢字で書いたら「有ることが難しい」。そのおかげで頂いてることに対して目が向けられない人が多いんです。もう自分が心からうれしい、ありがとうございましたという言葉が出てくる、これが大事やと私は思う。

 岡本 おっしゃる通りですね。

 蓮風 感謝の気持ちのある人は早く治ります。これ正直なもんですわ。それが足らんとね、まさしく気が枯れて「ケガレ」の状態になってしまう。結局、そういう感謝の気持ちがないと生命力というか人間の器なんかが活き活きしてこないという風に思うんですよ。患者さんは「あっちがつらい、こっちがつらい」と言う。せやけど、理由もなしに悪くなったんではなく、「あんたの日頃の所業が間違っとるからや」という話をよくやりますね。実際たくさん体験するとはっきり出てきます。まずその人の精神の高さというか、魂の、気位の高さというか。今おっしゃるように、物ばっかり見て、お金の高さでばっかり見てる人たち は(精神の高さが)低いです。それを高めるのはなかなか難しい。

 岡本 そうですよねぇ。

 蓮風 (漢方医学のバイブルの)「素問」にも関する話ですが、医者にも生活習慣に目を向けていく「食医」や、一般的な医者にあたる「疾医」というのがあります。

 岡本 ほうほう。

 蓮風 食医のほうがレベルが高いんです。

 岡本 なるほどねぇ。

 蓮風 せやけど今、食医のようなことは、なかなかできない。もう生活習慣病にまみれきってる人達がほとんど。だからそのためにまず救いとしては身体を楽にしてあげる。私の弟子にもいろいろ迷い人が多いんで、鍼をしてやる。うっとりして寝だすんです。鍼をし終わって「はい起きてごらん、ほら、今のあんたが本当のあんただよ。雑念にまみれてるのは本当のお前じゃないんだ」と言ってやるんです。

 岡本 なるほど。

 蓮風 だからそういう意味でね、肉体の問題は、今の世にはむしろ大事で、それが落ち着いてくると勝手に、感謝とか、有り難いとかそういう気持ちが起こってくるように思うんですわ。だから内と外の問題ですから、一つと言えば一つなんですけど、人を救うにはいろいろな方法があるみたいです。だけど、僕らが春日大社にお参りに行った場合に何を一番感じるか言うたら、なんか神々しい感じなんですよ。清々しい。それがもの凄い有り難い。そういう気持ちを大事にしてまた患者さんにあたれる。だから自分をまず神々しいというか清々しい気持ちにさしてもらうっちゅうのは非常に有り難いですね。

 岡本 充電して頂かないといけないですもんね。

 蓮風 そうそう、そういうことですね。

 岡本 やっぱり接しておられる方が全てそういう気を持ったりとか、いろいろな方がおられるから、それだけに治療される方は常にどこかで充電を、清らかな気を充電して頂かないと。

 蓮風 まさしく疲れてきます。その疲れも肉体的な疲れは、それこそまた鍼とかでできますけどね、魂はそうはいかない。何かで覆われてくるんですが、やっぱり神さんに参ったらたらスッとしますな。仏さんをお参りするとか、先祖参りするとやっぱりだいぶ違いますけどね、一番清々しいのはやっぱりそれこそ春日大社さんの清々しい雰囲気。だからやっぱり大事なんですね、建物とかその場所の感じとかね。

 岡本 何千年も前からの霊地ですからねぇ。いやそれだけにね、本物がどこにあるのかっちゅうのが、これが一番の考えどころでしてね。せやからマスコミに出てるのが本物だというのは疑問やと思うんですな。むしろ本物の人ほどね、隠れたとこにおられてね、そもそも偉い人っちゅうのは偉そうにしませんわね。偉いから。
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 蓮風 ほんまに偉い人はね、そうそう。(偉そうに)する必要が無い。

 岡本 偉そうにする奴っちゅうのは偉くないから偉く見せる為に偉そうにするんで。だから本物っていうのはそんなにかき分けて人前も出て行かないし、自分に自信がある。本物を持ってはるさかい。そういう人にめぐり会うっちゅうのは難しいですわな。でむしろそういう人でない人ほど表に出ていくので、ついそっちが本物かと思いますけど。

 蓮風 それはね、我々の業界でもそうなんです。

 岡本 でしょうね。

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 蓮風 はい。もう鍼も何も持たんとね、ただこう知識だけでね、ベラベラ喋ってる。それ本人はいいんですよ、それで。だけどそれを聞いた学生がね、その嘘ばかりの話を信じよるんですわ。で我々はもう何十年やってきて「鍼というもんはこういうもんやで」って言うんやけどなかなかね。まさしくそういう邪気に覆われて。ハハハ。だから今おっしゃるようにね、なかなか真実いうのは通らないけど、しかし根気よくね、それを思い続けて実践してるとやっぱりなんか不思議な力でね、なんか起こってきますね。

 岡本 で、また巡り会えますね。そういうことを思っていれば。

 蓮風 このコーナー(「蓮風の玉手箱」)もね、うちの漢祥院(=蓮風さんが治療にあたっている「藤本漢祥院」)にたくさん奈良の著名人が来ておられるので、一人ずつね、対談さしてもらって、それで啓蒙運動しよかと、いうことでやったんです。これも今言うように自分から求めたんじゃなしに、知らん間にそういう縁を頂いて、本当に有り難いですわ。だから鍼に関してはねぇ、もう「鍼狂人」と言うぐらいで、狂っていると思われるほど没頭していると私も思うんですよ。だけどそれはね、たった一人でできないです。あらゆる環境がね、整わんと。

 岡本 だから、職人みたいな人やないとできませんね。私ね、芸術家と職人は違うと言われるけど、ただの芸術家っちゅうのは薄っぺらいと思うんです。職人が芸術家になるべきでね。だから、(書家の)榊莫山(1926~2010年)っちゅう先生ね、あのおもしろい字書きはると思てたら、なんのことない、楷書を書かせても一流、行書を書かせても一流、かな、書かせても一流。その人が捨てはった姿があれですからね。

 蓮風 なるほどねぇ。

 岡本 あれだけ習いに行く奴おるんですわ。あれはそうでなくてね…。

 蓮風 その結果ですね。

 岡本 結果ですわ。あの先生はあらゆるものやって、持つだけ持って、それで捨てはって、残ったもんがあれですわな。だから私ね、無駄やけどね、これからの若い人らにも言いたいんやけど、持つだけ持ったらいいと思うねん。なんでも。ほんでね、いつか捨てなあかん時くるんですわ。その時ね、何を捨てても大事なもんは残るねん。それが本物やわ。

 せやから(蓮風)先生はいっぱいやらはって、それで捨てはった形が今やと思うねんな。せやから本物残ってんねん。だからそれがね、時間がかかるねん。なんぼ真似しよと思ても越えられへんわけ。弟子は師の半分ちゅうねん。越えられへんねん。そやから師匠から学んだもんを今度はどのようにして自分が熟成さしていくかっていう、これが腕の見せどころやね。それにはね、無駄なもんなんてこの世にあらへんわ。〈続く〉

 鍼灸師の藤本蓮風さんが「鍼(はり)」の本当の姿を伝える「蓮風の玉手箱」をお届けします。春日大社の権宮司をつとめる岡本彰夫さんとの対談の5回目となります。今回は一言でいうといつも以上に「生きるコツ」が満載です。岡本さんの意外な過去の思いや名人芸にまつわる話…。もしかして悩みが思ってもみなかったことで解決するヒントになるかもしれませんよ。岡本さんの名人芸ともいえる話術が文字では、うまく伝わらないのが残念です。(「産経関西」編集担当) 

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 蓮風 よく患者さんでおるんですよ。「私は無駄な人生を送ってきました」っていう人が…。「あんた何を考えてんや。もし本当に無駄って思ったらもう全てあんたの人生何もないんやで」っていうんですどね。

 岡本 (対談の場にいる蓮風さんの弟子達に向かって)本当にね、皆さんもせいぜい寄り道せなあきませんで。最短距離っちゅうのは一番遠いねん。誰でも楽な方向に行こう思てる。最短距離行ったらえぇ思てるけど、最短距離はどう考えても失敗する。だからあっちで頭打ち、こっちで頭打ちした方がね、最終的にはえぇとこいきまっせ。えぇお弟子さん揃てはりますね。
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 蓮風 素直な子達です。

 岡本 私ね、50(歳)過ぎたとこでね、いっぺん神主辞めよかな思たんです。

 蓮風 あーそうですか。先生何年生まれですか。

 岡本 (昭和)29年なんです。

 蓮風 はぁそうですか。

 岡本 ほんでね、だいたい50までにやらんないかん仕事ってひと通りしてますわ。50過ぎてね、してへん奴は60になっても70になってもでけへん思いますねん。ところがね、振り返ってみたらね、さほど他人様のお役に立てる事できてないしね、いっぺん50でね、仕切り直してもう一回人生歩めるなと思たんです。70まででもあと20年あるしね。自分はもうこの道を歩んで来ていっぺん卒業さしてもろて、今も道半ばですけど、全然違うことやってもえぇなと思たことあるんですね。せやけどなんやかんやしててグズグズしてて、よう飛びませんでね。結局今思てますのはね、後進の育成しかないなと思うんですよ。人材を育成していきませんとね、いろいろな勉強したかて、伝わっていきませんもんね。

 蓮風 そう、それなんですよ。だから我々の方では伝統医学、伝承医学を伝えてきています。特に今言いたいのは、我々のバイブルは『素問』『霊枢』。2500年前の書物です。それが未だに我々の周りにおる人達の病気を治す原理なんです。凄いですよねぇ。そういう医学なんですよね。

 岡本 だからそういう点ではね先生、えぇお弟子さん育てておられるのでね、お幸せやなぁと思て。

 蓮風 でも、頭も打ちます。いろんな意味でね。こういうことなんだがなぁ…、違うんだけど…っちゅうことがありますけどね、しかしそういうことも含めて、まさしく私自身が"おかげ"を受けてるという風に思います。はい。ほいで50歳で道を変えようと思ったけどまた思い留まりはった。

 岡本 はい。よう飛びませんでした。いや私もね、よう知ってる人で飛んだ奴がおるんですよ。それが某新聞社のね、企画部長を目の前にして、「企画部長になれ」って言われてんのに辞めた人がおってね。それがずーっと展覧会の世界におった人なんです。お金のあるとこはね、展覧会せんでもえぇっちゅうたんですよ、その人は。それよりね、そのお金もなくて困ってはるとこの展覧会をして、いかにこういうものが世の中に守り伝えられてのこっててと、いうのを出してあげたい、と言うてその人は会社を辞めました。同い年でしてね。ちょうど50の時に辞めてね、自分で会社立ち上げてやってますわ。せやからだいたいね、人生50年って言いますのは、一つの節ですね。うん、やっぱり寿命でなくて仕事の節目。だから50過ぎたら、ものの考え方を変えていかなあかんねんなってずっと思ってますねん。とにかく今私も及ばずながら後進の育成をさして頂けたらこんな有り難いなと思てますねん。

 蓮風 なるほどね。

 岡本 せやから先生らこないして実践してはるから大したもんやな思てます。

 蓮風 「鍼狂人」と自分でも言うてるように、鍼の事しか考えとらん単純な頭やから、他が見えないんですよ。その中でね、2500年も続いてきて、その原理で未だに人を治せるっちゅうので、毎日が愉快で仕方がない。

 岡本 一芸と言いますか、ひとつの道をずーっと来はった人の生き方とか、哲学っちゅうものはものすごく面白いですな。

 蓮風 そうですか。
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 岡本 そういう意味では、これは余談ですけれどね。芸談読んだら面白い。

芸人さんの話。こんな話がある。鶴沢道八っていう三味線弾きがおる、文楽に。

 蓮風 それは東京ですか?

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 岡本 いいえ、大阪でね。明治か大正くらいの人ですわ。その道八がね、『道八芸談』という本を出しておるんです。この人の師匠が日本の文楽の三味線引きの中で最高峰っていわれた豊沢団平。もう空前絶後の三味線引きやった。「団平の前に団平なし。団平の後に団平なし」っちゅうぐらい素晴らしい人。この人ね、普段暇があったらずっと指の爪をずっとトントンと叩いていいる。爪を固めるためにですよ。だから風呂につけたことないっていう。四国の金比羅さんを大変信仰していて、死ぬときにね、金比羅さんのこと語る談で死んでるんです、脳溢血起こして。
 それが(仇討ちものの)『田宮坊太郎』の話。お辻っていう乳母が坊太郎を育てる。その子になんとか(親の)仇討ちをさせてやりたいっていうので、お辻が寒い寒い時に水かぶって「南無金比羅大権現」、「その子に仇討ちさせていただきたい」っていう場面、それ弾きながら死ぬ。その豊沢団平のところに道八は弟子入りするんですわ。

 『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』っていう芝居があるんです。それは、奈良の五条に半七っちゅう男がおって、大坂(大阪)の酒屋の娘のお園のところへ入り婿する。お園が16なんです。半七は入り婿するねんけど、女がおる。新町に三勝っちゅう芸者がおる。そこに入りびたって帰ってきませんねん。それで有名な「酒屋の段」というのがあって、店先に行灯が灯っていて、お園が出てくるわけ、それでなんぼ待っても半七が帰って来いひんさかいに、お園の口説きっていう有名な一節でね、「今頃は半七さん。どこでどうしてござろうぞ」って有名なところがある。
 「今頃は半七さん」ってところで、三味線が「ツーン」ってひとつ、それをね、道八は団平の前で何万回弾いても、師匠は「うん」とは言わへん。「あかん」って言う。もう、気狂う程弾いたって、一つだけやで、「ツーン」っていうだけ。「うん」って言わへん。何年も経っても「うん」って言わへん。それで、もうあかんってことで旅に出るわけ。九州を巡業に歩いた。くたくたになって帰ってきてね、木賃宿の煎餅布団の中に潜り込んで寝ようと思ったんです。寒い寒い時に。そしたらね、どこからともなくね「チョビーン」っていう音が聞こえてくるねん。それが、身の毛もよだつほど寂しい音やった。それがどこにあるのか探し出したら、裏庭から聞こえてくる。裏には大きな古井戸があって、つるべがかかっとった。ひとつ上に跳ね上がっとって、ひとつは下にある。この上のつるべにたまった水が深い井戸に落ちていきよる。その音が「チョビーン」っちゅう音や。「これや!この音や!」と思ったらしいわ。それを帰って師匠の前で「ツーン」って弾いたら、それからは「あかん」とは言わんようになったっちゅう。この名人同士のせめぎ合い。ひとつのことをずーっと追求してきた人っちゅうのはね、神業を起こすんやわ。

 それはな、とんでもないところに気づきがあるっちゅうこっちゃ。だから、算数の答えは国語にあるかもわからん。国語の答え算数にあるかもわからん。私だってそうや、今日ここに来させて貰って、藤本先生と話してたら、神道の答えが鍼にあるかもわからない。で、東洋医学の答えが神道にあるかもわからない。関係ないと思ったらあかんねん。我々だってキリスト教の人と話していてわかることだってあんねん。「あぁ、なるほど!」って。せやから勉強の中に無駄なんてない。それだけに常にやね、問題意識をもって歩いてなきゃあかんねん。問題意識を持って。そしたら、どこかで気づくんやわ。

 蓮風 これは先生、うちの弟子どもにいいお話聞かせて貰って(笑)。

 岡本 先生、うちの息子も言うこと聞きよらへん。よその人の言うことは聞くんやわ。いつもこのお弟子さんらも、ありがたみがわからんのや、先生の。だけどな、たまによその人の言うことを聞いたら頭に入ってくる。そんなもんやで。いっつもおったら、つい甘えがある。聞きゃあ教えてもらえる、見せてもろうたらわかるって思うさかいに、そこが甘いんやな。どないしたって、そこにゆるみが出てくる。だから、たまにこういうような全然違う世界の人の話を聞いたら、勉強になることがある。

 蓮風 まったくそうですね。

 岡本 すごいですよ先生。名人や。

 蓮風 とにかく毎日ね、鍼を持って患者さんに対応するのが、ものすごい嬉しいんですわ。

 岡本 まさに一芸や。

 蓮風 いやいや。なんで先生そんなに面白いんかっていうと、毎日同じようなツボで、同じような鍼をするんやけれど、そこには新しい発見がある。それが面白い。それでずっときました私。若いとき喘息一つ治せなかったんですよ。

 岡本 若い頃から鍼を目指さはったわけですやろ?

 蓮風 それがな、14代も続いてまんねや。古い古い家なんです。

 岡本 お父さんも鍼師ですな?

 蓮風 そうです。代々そうなんです。代々つなぐDNAは、酒飲みやゆうことです(笑)。
続く〉

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