蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の6回目をお届けします。前回は宗教と医療との関わりについての話題が中心となりましたが、今回は宗教がクローズアップされています。藍野大学短期大学部(大阪・茨木市)の学長という“顔”を持たれている佐々木さんが9月20日に講師をつとめる講演会も告知しておりますので、興味のある方はぜひ、ご参加ください。(「産経関西」編集担当)

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 佐々木 あまり既成仏教が出てきて医療に関わってくるというやり方がいいのかどうか…。ちょっと疑念を抱くんです。先生がおっしゃる「つながり」といいますか、そういう形が、本来の日本的なあり方かなと思うんです。

 蓮風 そうですね。死にゆく人を家庭で見守るか、病院で看取るか、ということにもつながってきますね。ついこの間までは病院で死ぬというのが当たり前やったけど、やはり医療費問題も関係しているのか、家で親族らが見守って送るというケースも多くなってきていますね。

 私は、あれが自然だろうと思うんです。僕が子供のころ、家で亡くなっていく人をたくさん見ましたわ。うん。「あの人癌で亡くなりそうや」というたら、身内の人ができるだけ集まって傍(そば)におってやる。それだけなんですよね。病院では何かできるかというたら、これまでの話にも出たように、あんまり何にもできない。

 佐々木 そうですね。

 蓮風 だからあったかい気持ちで集まった人たちに囲まれていること自体が、ある意味最高の救いではないかなと思いますね。先生は、お坊さんとして檀家さんを回られたり、お説教もなさると思うんですけど、仏教も含めて今の宗教界の問題は何なんですかね。

 佐々木 そうですね。だから、一番大きいのは…。やはり「魂」にも繋がってくるんですけどもね。現代人は、よくグローバル化という言葉を使っていますよね。まあグローバル化というのは、簡単に言ってしまうと欧米化、西洋化ですよね。西洋化という言葉が最近、使われなくなりましたよね。

 蓮風 そうですね。昔はよく使いました。舶来物とかいう言葉もあって。

 佐々木 私たち日本人というのは本当に西洋化してしまっている。だから僕らの前の世代では、たとえば、『論語』とかですね、そういうものをこうしっかりやらなくちゃいけないという意識があったのですが、現代では中国文化に対する意識が本当になくなっちゃって、西洋化してしまってるわけですよね。

 はっきり言うと、仏教の教学、教義というのは明治以前つまり江戸時代からその考え方があまり変わってないんですね。だから浄土真宗もそうですけど…。あまり言うと怒られるんですけど、(中国文化の影響を受けていた)江戸時代の教学というのか、考え方がそのまま引き継がれているんですね。それでは、やはり(現代には)マッチはしませんよね。

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 蓮風 あれ「お西」(西本願寺=浄土真宗本願寺派)の方でしたか、「お東」(東本願寺=真宗大谷派)のほうでしたか、明治の廃仏毀釈があって、たぶん原点に立ち返らないとあかんということで、チベットの方へ大探検旅行をやってますね。

 佐々木 そうです。

 蓮風  あれそういうことですかね。

 佐々木 うーん。そうですね、(本願寺派の)大谷光瑞(こうずい)という有名な人物ですけど、そういうような考え方も彼にはあったでしょうね。で、お東には清沢満之(きよざわ・まんし)という人物がいましてね、これまでのだけではダメだということで、いわゆる宗教改革をしようとする。

 蓮風 宗教改革。

 佐々木 それはひとつにはヨーロッパの哲学を取り入れなくちゃいけないということでした。だからそういう動きはあったんですけどね。ただし、それが現代につながっていってない。やはり、田舎にいてるとよく分かるんですけど、世代と共に宗教に対する思いはもう薄れてきてますよね。

 蓮風 そのひとつの反動ですかね。まあちょっと古くなるけど、オウム真理教みたいなものも出てきた。先日もオウム裁判のニュースで井上(嘉浩)死刑囚が出てきて…、彼は高校生ぐらいの時から、のめり込んでいるんですね。

 佐々木 そうそう、仏教には2つの面があるんですね。ひとつは、救済…。これは大乗仏教にある、「救われる」ということです。まあこれがメイン。キリスト教なんかもそうだと思うんですけど。もうひとつは、オウムがしきりに言っていた「解脱」ということ。これが、言い換えれば「悟り」ということになるんですけども。日本の仏教というのはほとんど大乗仏教ですから「これ(=救済)」がメインになっているんですね。

 宗教学者なんかも、一時期オウムをもてはやしましたが、オウムが、これ(=「解脱」)を強く言ってたからでしょうね。つまり空中浮遊とかですね。で、若者達がのめり込んでいったのは自分たちが新しい自分を作れるかもしれないと期待したからでしょう。

 だからやはり救われるだけでは受け身…。浄土真宗では「他力本願」という言い方をしますけど、たぶん若い人、20代とかには、今でもそうでしょうけど、物足りないんですね。「あれは他力本願だからダメだぞ」とか、今でもよく使われますよね。ですから…。

 蓮風 悪い意味で使ってますね。

 佐々木 ええ。全くの間違った使い方ですけど。本来「自力」と「他力」というのは、表裏一体ですが、偏って「自力」を強調したものだと思いますね。

 蓮風  なるほどね。まあその極端なやつがオウムとか、ああゆう形ですね。〈続く〉




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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の5回目をお届けします。今回は宗教と医療との関わりが、佐々木さんと蓮風さんの経験をもとに語られます。それは「最高の医療とは何か?」を探る試みにも通じるようです。まもなく死を迎える方々に対して何ができるのでしょうか。おふたりの考えをぜひ読んでください。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 宗教と医療との関わりについて先生のご意見をうかがってきました。で、実際の現場の実践面ではどうなんでしょう。具体的な話があれば教えてください。

 佐々木 そうですね。これまた難しくてですね。僕も、大学病院で、研修医の指導医という立場の時に、ひとりの肺癌(がん)の患者さんがおられました。終末期で、手のほどこしようがない状態だったんですけれど、最後「死にたくない、死にたくない」と、もうずーっと言っておられるんです。研修医が、もうお手上げ状態ですね。

 私も何回も呼ばれたんですが、話を聴くだけしかできませんでした。ただ、その方の看護日誌の記録に、宗教の欄があったんですよね。そこに浄土真宗の熱心な門徒であると、書いてあったんです。そのころには少し仏教に興味を持ち出していたんで、ちょっと、そんな話もしてあげたらいいのかなと一瞬思ったんです。

 ただ目の前でそんな時に、たとえば、お念仏がどうのとか、仏教がどうのこうのという話がね、やはり僕にはできなかったですね。だからもう結局、話を聴くだけ。話といいますかね、そこにいって、手をこう握ってあげるといいますかね、そういうことしかできなかったですね。

 そういうことで、宗教を持ち出すドクターもいるかもしれませんけど、僕は…できなかったですね。

 蓮風 なかなか難しいことですよね…。

 佐々木 難しいですよね。

 蓮風 下手にやるんやったらやらない方がマシやね。

 佐々木 本当にそうです。

 蓮風 この前ね、NHKでやっとったんだけど…。確か龍谷大学のね、大学生や大学院生が授業の一環だと思うんですが、寒いのに駅前に座って、通りがかる人に「何か愚痴を言ってください」と…。何でもいいから愚痴ってくれと言っているんです。で、学生は聴くだけです。聴くだけじゃなしに答えた方がいいんじゃないかなと言う学生もおるんだけど、教授は「いやいやそうじゃない、ただ聴くだけでいいんや」とやらせてみる。これもひとつのあり方ですね。

 佐々木 そうですね。

 蓮風 で、「なぜ意見を言っちゃいけないか?」というと、その教授は(愚痴を言う人が)自分で頭を打って、気づくための「壁」になって、反射する「鏡」のようになりなさいと説明するんです。「それが救いなんだ」と言っている。なかなか良いこと言うなと思って、まあ、視とったわけですけどね。それに通じるところがあるかもしれません。いやぁ死にゆく人を簡単には慰められませんね。何人か会ったけどね、僕の場合は摩(さす)ってあげる。

 佐々木 ええ。

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 蓮風 どこか辛(つら)いとこあるかと聞いて、もう全体…手から足から腰から全部摩る。それだけでね、ほっとするんですね。顔つきが変わりますね。あれも、やっぱりひとつの宗教だと思うんですね。もう鍼も打てない状態になってるんで、摩るしかないですよ。家族も家族で見つめとって何かしてやってくれっちゅう顔するでしょ。でも何もできない。

 そんなときに「宗教とは何か」ということを考えてみますと、ひとつひとつの宗教・宗派や教義の問題ではなく、生きるということは「支えられている」ということに行き着く。人生の中で自分を支えている“後ろ”が見えないかん、ということを確かおっしゃった偉い人がおったんやけどね。そうすると結局、みんな支えられて生きているわけです。自分が身体を摩っているのも、なんかこう、押されてやっているような感じで…。

 佐々木 ありますね。

 蓮風 はい。

 佐々木 まあ、先生が前におっしゃっていた手当てということですね。

 蓮風 そうですね。手当て。

 佐々木 ですから、それ僕もありますね。それから、その時もやっぱり手を握ってあげる肩を抱いてあげるとかですよね。

 蓮風 そうですね。

 佐々木 そういうことは、通じますね。

 蓮風 言葉以上に。

 佐々木 言葉以上に。

 蓮風 言葉以上にね。それこそ、医療としては最高の医療じゃないですかね。

 佐々木 ええ。

 蓮風 もうそれしかないですね。

 佐々木 ないですね。だから、欧米のようにですね、キリスト教が生活の、非常にこう、基礎に明らかにあるような文明と、やっぱり日本はちょっと違うかなと。

 蓮風 そうですね。〈続く〉

 


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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の4回目。ここでお話の最初のクライマックスを迎えたと言えるかもしれません。医療を語る文脈で「魂」という、ある意味、非科学的な言葉が登場してきます。しかし、現代医学の行き詰まりを説明するのに、これほど的を射た言葉はないかもしれない…。今回の対談を読み終えたあと、そう思われる方も少なくないはずです。

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 蓮風 「緩和医療」をわずかに勉強したんですけれども、肉体だけではなくスピリチュアルな部分での救いがないと「緩和医療」ではないということのようですね。あれは、結局(現代の医療の)足らない部分を補うために強調されているのではないかと思うんですがね、どうですか?

 佐々木 スピリチュアル、スピリチャリティという問題は、僕も少し勉強していますけれども非常に難しくてですね、ただそのスピリチュアルという言い方をするのか、魂という言い方をしたほうがいいのか…。

 蓮風 どっちかというと魂だろうと思うんですがね。

 佐々木 魂というか心というか…。きょう、お話しておきたいなと思ったことがあります。宗教の問題と医療の問題につながってくると思うのですが、一応明治から政府のスローガンは、よく言われているように「和魂洋才」でした。

 蓮風 明治のころの概念ですね。それ以前は、菅原道真の「和魂漢才」というのがありますね。それを展開したんですね。

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 佐々木 僕が思いますに、たとえば先生がふだんから、おっしゃっているように明治になって東洋医学を完全に捨て去っていますよね。

 国家の原点…国家を作り直すのに一番大事なことは、今でもそうですが、医療と教育、これに軍事的なものも入るかもしれません。国家の根本的なものから東洋的なものを全部捨て去っているのですね。教育も西洋的な教育方法を取り入れている。

 実は明治以来、日本は「洋魂洋才」ではないかと…。ただ明治から第二次世界大戦までは、日本人、うちの祖父でもそうですが、ある世代までは日本の「大和魂」といいますか、悪い意味ではなく日本人独特のものを持っていたと思うんです。こういう形で「洋魂洋才」にしても日本人の魂は保たれていた。これが世代が変わって増々「これ」(=「洋魂洋才」)ですよね。

 実は、日本人が西洋を理解するのはまだ難しいんですよ。ただし日本人が東洋を理解することも非常に難しくなっているんですね。今の日本人は残念ながら中途半端な西洋人といいますか、西洋の目で東洋をみてしまうし、日本をみてしまう。若い人は特にそうなんです。科学というのは西洋的なものですから。今の日本人が東洋を理解するのは非常に難しくなっている。

 蓮風先生や先生が主宰する「北辰会」が非常にすごいなと思うのは「魂」の部分だと思うんです。今、西洋医療が行き詰まっている、ひとつの理由は…実はこうは言ってはいるけれども、やっぱり日本人は日本人ですから。日本人という原点というか、心の奥底には日本人固有の魂というのはあるんですね。若い人でもね、桜をみて、ものの哀れを感じるでしょうし、大震災の時の人々の繋がりをみても、日本人独特の魂というのはあるんですね。

 ただし西洋医学は日本的な要素は捨て去っていますので、そこに西洋医学の行き詰まりがあるんですね。僕は先生が治療の中でここ(白板の「魂」を指して)に働きかけている人だと思うんです。だから、先生がよくおっしゃっている治療の土台に東洋哲学というものを置くべきだという理論は、実践からいえば、日本人としての魂に働きかけてるんだろうなと思うわけですね。だからこそ、あれだけ先生の鍼が効くんじゃないでしょうか。技術的なことは分からないんですけれど…。ただおそらく日本人の魂に触れるような治療をされているんだろうと…。それは、僕が非常に感銘した先生の『数倍生きる』などに結実しているのではないかと思っているんです。〈続く〉


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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」


 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回は僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の3回目です。宗教と医療は本来、不可分のものだったのに、なぜ“住み分け”をするようになってきたのか? 対談では、その理由を分析しながら終末期ケアを行う「ホスピス」の問題点にも迫っていきます。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 宗教と医学医療との役割みたいなものについて聞かせていただきたい。本当は一つの融合した世界で、先生の、お話を聞いていても、どこからどこまで(が宗教で、どこまでが医学医療)という境界はないんだと思うんです。けれども役割分担していると考えるほうが自然ですよね。

 佐々木 長い歴史から言いますと、医療の発端は宗教であることは間違いないですね。いわゆるキリスト教でもキリストが信者さんを治しておった。あるいは仏教でもお釈迦さんが呼吸法を使って治しておった。仏教医学といいますか。医療の原点が宗教であることは間違いない。西洋医学の場合、それが分かれて専門化していく上であまりにも高度化してる点で(原点から)外れてきている所はあるんですね。それに対して反発するというか、原点も見直すという意味で生まれてきたもののひとつがホスピスですね。

 蓮風 あの発想はだいたいあれはアメリカ医学ですか?

 佐々木 あれはヨーロッパです。

 蓮風 ヨーロッパですか。

 佐々木 特にイギリスです。あれは、どういうことかというと、医学をもう一度教会に…。つまり原点に戻ろうではないかという、教会の運動なんですね。

 蓮風 そういう発想のもとにホスピスというのが出てきたわけですね。

 佐々木 すべてを病院に任せるというのはおかしいではないかと…。つまり教会のルネサンスといいますか、もう一回医学を、医療を教会の側に取り戻そうという発想です。ホスピスというのは基本的にはキリスト教の思想がないとホスピスではないわけで、「緩和医療・イコール・ホスピス」とするのはおかしいんですけどね。

 今の時点ではただ大きく言うと宗教というのは精神的に心の問題にタッチしている。それと医学医療…西洋医学ですけれども身体的な問題に主に関与している。精神科は心を扱いますけれども…このように住み分けている状況であるかもしれませんね。ただ後でお話しできるかもしれませんが、原点は一緒なんです、源流は…。そこをちょっと考えないといけないかなと思っていますね。
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 蓮風 父親から聞いた話なんですけれども、お釈迦さんの場合は耆婆大臣(ぎばだいじん)がついておられて、この人はお釈迦さんの主治医というか、鍼と薬の袋を持って産まれたという伝説のある方なんです。お釈迦さんが人々を救うにはどうしたらいいか、という話をなさる時は耆婆大臣が傍らで聞いています。人の身体を病気から守るにはどうしたらいいか、また病気を治すにはどうしたらいいかという話の時には耆婆大臣が表に立ってお釈迦さんが逆にお話を聞いておられたというような話を父親が言うてたんですけれども非常に面白い。

 子供の時から聞かされておって不思議な話やなあと思っとったんです。やはり根本は一つなんだけれども、そこに徐々に分化というかそういうものが表れて、それぞれの専門的なものが成り立った。医学の歴史というのは西洋医学でもそうでしょうけれども、東洋医学ではシャーマニズムが原点なんですね。

 だから、医学の医は「醫」。現在に伝わる原点なんですけれども、もっと古いものになるとこういうふうに(「●(=醫の酉が巫)」を黒板に書く)なってるんですね。“巫”が下にあるということはシャーマニズムが根底にあって、箱構えの中に矢があるというのは、人間が矢を受けて、ルマタ(●の殳の部分)でもって矢を抜くんだという字で医療そのものですね、そういうことを祈りながらやるんだと。こっち(「醫」)の“酉”は、サンズイをつけると酒、すなわちアルコール(消毒)になりますね。進化というと進化なんだけど、根底に「●」があるというのが大事なんですね。

 先々代住職だった佐々木先生のおじいさんの話を聞くと、お坊さんでありながら檀家さんなんかが病気になったら「これがいいで」「あれがいいで」と世話をするというのは「●」こっちなんですね。
    

 佐々木 そうなんです。浄土真宗では祈りという言葉はあまり使わないとは言っていますが、基本的に祈りというのは医療の原点ですね。

 蓮風 口はばったいですけれども、浄土真宗の場合は、祈るというよりは祈られている立場なんですよね。

 佐々木 願われているというんですね。

 蓮風 主体的に見るか客観的に見るかというだけの違いで、祈りと言えますよね。これものすごく大事なんですよね。浄土真宗の場合は、一面ではきざに見えるし、一面では本音を言っているんですよね。一番いいのは、やっぱり融合した世界がいつまでも保たれることですよね。

 そうなってくると先程のホスピスの話にしても、本来は治すためにやっている。結果として亡くなることはある。だけど、死にゆく医学という風に分けてしまう所に非常に僕はちょっと矛盾を感じるんですよね。

 昔の漢方医や、鍼医師は、周辺の者がこれあかんなと思っても必ず治療したというんですよ。これを止めて薬籠の蓋を閉めて帰ってしまったら、患者さんが見捨てられる。それをさとられないためにも、最後まで投薬し最後まで鍼をしたという話を聞いているんですね。そこにはホスピスなんかないんですよ。結果的にはホスピスみたいになっているかもしれないけれども。そこには混沌としたもっぱら医療として治そうという努力が前提にあって、治らないからこっちに行きなさいというのではないということは非常に重要な部分だろうと思うんですがね。

 佐々木 それは非常に重要な指摘でして、この時点で先生がおっしゃるように緩和医療をあまりに強調しすぎるのも注意が必要です。極端な言い方をすれば、具合が非常に悪いからといって、死なせていいのか、やはり医療の本質は患者さんの命を救うということですから、死なせていい命はありませんよね。

 蓮風 命を救うんですよね。

 佐々木 死なせる命ではなく、見守る命という視点が大切なんです。(生死については)見守るという継続性の中で判断すべきなんだと思います。〈続く〉



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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は、僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の2回目をお届けします。前回は親子2代で浄土真宗の寺の住職で医師の佐々木さんは寺が嫌で嫌でしかたなかったという、お話でした。では、なぜ結局、住職を継がれたのか…。今回はそんな話題を交えながら、蓮風さんが鍼の世界に入った理由の一端も語られます。おふたりに共通するキーワードは「運命」のようです。(「産経関西」岡崎秀俊)

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 佐々木 父親も医師だし「ドクターになれ」というプレッシャーもあったんでしょうね。だから、大学は医学部に入りましたが、大学に入ってから、本当に寺が嫌で…。寺は継ぎたくなかった。

 蓮風 もっぱらドクターでいこうと。

 佐々木 ええ。だけども、得度だけはしてくれと言われましてね。

 蓮風 おじいちゃんがですか。

 佐々木 父親も母親も。

 蓮風 檀家さんもいらっしゃいますからね。

 佐々木 それで得度して僧侶にはなったんですが、実際ずっと医学一本でほとんど家にも帰りませんでした。それが、40歳前ごろですかね、父親の身体の具合悪くなりましてね、いわゆる認知症がちょっと出て来たんです。

 蓮風 認知症が…。その時は、お父上はおいくつぐらいですかね。

 佐々木 70歳はすぎてましたね。ちょっとお寺の仕事が…「法務」という言い方をしますが、それができない。

 蓮風 嫌でもやらなければ仕方ない。

 佐々木 やらざるを得ない。それで大学の医学部を非常勤になったんですね。その時ちょうどたまたま西本願寺の診療所に…。

 蓮風 西本願寺の「あそか診療所」ですね。

 佐々木 そこに勤めることになったのです。ちょうどその変わり目の時、先生の所(奈良市の「藤本漢祥院」)に僕、初診で参ったんです。

 蓮風 ああそうですか。治療に来られたんですね。ちょうどその頃なんですね。


 佐々木 大学辞めて、ちょうど39歳の時でした。
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 蓮風 先生も長く、漢祥院に通われているんですね。

 佐々木 15年です。

 蓮風 うちの患者さんの“主”みたいな感じになってきている(笑)。今の話を聞いていて私の中に非常に共感が産まれました。うちも先祖伝来、浄土真宗で、その教えが根底に流れています。そういう発想の原点みたいなものが一緒で、そういう点でも以前から共感していたんですけれども、そういうわけなんですね。

 佐々木 まあ独特の生い立ちですね。

 蓮風 どちらかというと、お医者さんになって、それだけで終わろうとしたけれど逃げられなかった、極端に言ったら。

 佐々木 先生がおっしゃるように根底に仏教といいますか、浄土真宗があったんでしょうね。それが自分でも…。

 蓮風 それはね、僕も抵抗しました。鍼医者みたいに薄暗い世界は嫌いやと言ってね。一回は抵抗するんですわ。しかし、色んな大学を受けようと思ったんですがね、そこで僕は運命があるんやったら、これはもう、ひとつ諦めて…断念じゃなしに明らかにするという意味での諦める。18、19歳の時に、悟ったというか、やるんやったら一流になりたい。もう極端な話が、父親が「おまえはこういうふうにやれ」っていうから、反抗したんですよ。あんたに学んでばっかりいたらあんたを乗り超えることでけへんから一流一派を立てるんやって。そういう反感でやったんですが、先生もそういう所を通っておられるわけですね。

 佐々木 父親に対する反発というか対抗意識というのはずっとありましたね。一応職業としては同じ医師と僧侶ですからね。性格もタイプも考え方も全く違いましたけれども、非常に意識はしていました。反発していましたね。

 蓮風 分かりました。非常にめったにない状況の中でドクターとお坊さんをやっておられる。お医者さんをめざしたのは、やっぱり、おじいちゃんのおやりになったお布施の行とか、それからお父さんの影響もあるんですか。

 佐々木 あるでしょうね。そういう風にしむけられたかも分かりませんね。

 蓮風 そうですね。運命と言えば運命ですね。

 佐々木 運命と言えば運命ですね。〈続く

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