蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

タグ:医療

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松田博公さん(写真右)と藤本蓮風さん(同手前)

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は、鍼灸ジャーナリストの松田博公さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の4回目をお届けします。鍼灸といえば、マッサージと同じような“慰安”の手段と考えている方は多いようで、そこが正面から病に取り組もうとしている鍼灸師のジレンマにもつながっているようです。一方、それには日本の鍼灸界にも責任があるようで…。今回はそんな話題もまじえておふたりが熱い討論を繰り広げています。(「産経関西」編集担当)

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 松田 (蓮風さんが代表をつとめる「北辰会」が「総合的な日本鍼灸学を作るための準備をしている気がする」と自身が発言したことを受けて)ぜひともそれは、やっていただかないと困るんですよ。誰かが日本鍼灸学を作り出さないといけない。僕が柳谷素霊(故人、素霊鍼灸塾=現・東洋鍼灸専門学校=を創立)を持ち上げていることに、先生は異論がおありになるんではないかなと思うんですけど、僕が柳谷素霊を評価しているのはどういうことかというと…。彼は70年前に、「日本に鍼灸学が存在しないのは鍼灸人の怠慢である」と言い切ってるんです。
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 蓮風 うーん、まったくその通りですね。

 松田 僕はそこにおいて柳谷素霊を評価しているんです。柳谷素霊は、こう言っちゃなんだけど、蓮風先生と似てますよ、志向性において。

 蓮風 ああ、そうですか。

 松田 哲学思考、歴史や伝統への関心、総合的な視野。僕が彼を評価してるのはそこです。

 蓮風 いや、亡霊を呼び起こしてね、何を騒ぐんかなと、思ったんですが…。まぁ似たところがあって、それは非常に深い意味があるということが、分かってきたんですけれども。実は、僕は鍼を持って一番最初に、うちの先代(和風さん)に教わったのは、柳谷素霊の考え方が一番いいんだということです。あの弟子たちはアカンから、あれ読むなと(笑)。先代もまた端的にもの言う男で。僕は21歳で開業したんですけど、柳谷素霊については、その頃から尊敬は申し上げている。ただもう亡くなったね、亡霊ですからな。

 松田 彼はなにしろ52歳で亡くなったでしょう。未完成なんですよね。彼が残した箱の中には、玉手箱みたいに色んな物が、ごちゃごちゃ…。おもちゃ箱ですね。玉手箱じゃない、おもちゃ箱みたいにごちゃごちゃーと入っている、その未完成の可能性っていうか、それがあるような気がするんです。

 蓮風 それはあるでしょうね。私はもう68で、まもなく70歳になりますけどね、未だに血気盛んすぎてね、人に迷惑かけている(笑)。でも、鍼に対しては本当に深い思いがあります。

 松田 いやーもう、鍼を愛しておられますよねぇ。

 蓮風 はい。

 松田 日本鍼灸界に足りないのはその愛ですよ。

 蓮風 そうですかね? まぁ、みんなそれなりには鍼灸をやっているとは思うんだけど、ただ、なんで今この鍼灸がこの世の中に存在せないかんかとかね、そういうことがとても私は気になる。電気治療でも治ることをね、やっとってもダメなんであって、西洋医学がバンザイ(降参)したやつをね、なんとか治らんか、と挑むことに存在意義がある。(東洋医学のバイブルとされる)『黄帝内経』はそういうことまで含めて治ると言ってる。特に、(『黄帝内経』を構成する)『素問』の「陰陽応象大論」のごときは「病を治すにはその本を求む」と書いてある。これは陰陽の問題であって、21歳で『内経』(=『黄帝内経』)を読んだ時に、あー、これは鍼でなんでも治るなと僕は信じました。信じられました。あの文言で。結局、陰陽なんだから、その陰陽を整えるには鍼が一番いいんだという事、分かりましたよ。

 (情熱を持ったのは)それからですね。もともとそんなに鍼に情熱を持っとったわけじゃなくて、今から50年前のね、鍼灸家の姿といったら、ショボショボしたもんですよ。今は、そこそこね、ビルでやったりなんや、形だけは非常に華やかになっておりますがね、あの当時はやっぱり薄暗い感じでしたな。医者はあないして同じ病気治しとんのに、華やかで、なんで鍼灸はこんなに暗いかなと(笑)。

 松田 鍼灸師になるって言ったら、親から勘当されたりね。親族会議開いて反対されたり(笑)。
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 蓮風 そんな時代でしたからね、当時、そんなに漢文は読めたわけじゃないけども、やっぱり『黄帝内経』の文言はドキッときましたよ。陰陽応象大論「病を治すにはその本を求む」。陰陽さえ整ったらなんでも治るんだなと思った時もう嬉しくて。うちの親父はいろんな助言をしてくれたけどね。何よりもその文言が嬉しかった。それからですわ、鍼狂人になっていくのは(笑)。

 松田 やはり皮膚に施術するということの大きな意味があるんでしょうねぇ。
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 蓮風 ありますねぇ。はい。

 松田 皮膚の可能性というか、ブラックボックスで、どういうメカニズムで、どういうように機構が働くのか、部分的にしか分からないけれども、結果から見れば確実に治癒する力が働いて、それが引き出されてるわけですからね。

 蓮風 そうですね。そういうことはもう、ちょっと敏感な先生(鍼灸医)とか、敏感な患者さんはみんな(自分の身体を指し示し)「ああ、ここからこう入って、こう来てこう抜けました」って言いますねぇ。だから、それはもう昔の人もたぶん経験してると思うんですよ。で、まぁブラックボックスと仰ったけど、気とか経絡なんちゅうのはやっぱ、大した発見ですな。まぁね私は、極端に言えば、臓腑経絡もかなり勉強したから、それを乗り越える気の世界はないかなって、見つめたのが実は「上下左右前後の法則」※になっていくわけ。まだもうひとつ見えそうなんです。

※藤本蓮風氏が臨床実践の中から導き出した診断治療の理論。生体の空間的な気の偏在を診て治療していく。詳しくは『鍼灸治療 上下左右前後の法則』(メディカルユーコン刊)参照。

 松田 また!? 次のですか? ほう!

 蓮風 はい。だから、楽しみですなぁ、一言で言ったら。今日の対談は、ちょっと目的通り動かないことが…。これはこれでまた面白いんじゃないですかね。

 松田 先生の所に来られる、西洋医学のお医者さんで、お弟子さんになる方は西洋医学の限界を実感して来られてるわけですよね? 何か自分は西洋医学の小児科医・内科医として上手くやっていて、プラスアルファでもうちょっといいのを足してやろうという、こういうことじゃないでしょ?そしたらほかの流派に行きますよ。わざわざ先生の所に来ないでしょ。

 蓮風 まぁ、縁があるというかね。病気治しに真摯に向き合って、本質を見抜くことのできる人がうちに集まってきていますよ。(患者を総合的に診る)プライマリ・ケアの学会で重要な役割をになっているらしい医師もいます。

 松田 ほう。僕も、今日その話をしなきゃいけないと思って来たんですが、鍼灸こそ本来、プライマリな医学ですよね?

 蓮風 だから、この間も話したけどね、プライマリ・ケアというものは立派な事やと思う。全人的医療だけども、西洋医学が言うプライマリ・ケアっていうのは元々個別に見ていたものをもう一回統一して見ようという試みであって。しかし東洋医学の場合、先ほど先生がおっしゃったように大宇宙も含めて気というものを見ている。だからプライマリ・ケアというならば全宇宙と人間の関係の中から人間を見つめている。だからちょっと違うと思うんですよ。だけどそういうことに気づく医者はいいですよ、まだ。彼らは面白いことに「先生、どうして鍼一本でこれだけ効くのでしょうか?」という。あんた何を言っているんだ。人間の身体は完成品なんだ。完成品だからちょっとした歪みを治すだけで治るんだ。宇宙も完成品だけど我々の身体も古代の中国人は宇宙とみている。だから完成品なんだと。

 松田 まさにそうです。

 蓮風 大宇宙と小宇宙は構造的に同一性を持っている。だから治って当たり前で治らなかったらおかしいんだと言いましたら、ギャフンとしてました。

 松田 ほんとに、古代の中国人は宇宙は未完成なものだ、欠陥があるものだとは考えていなかった。天人地の三層構造も完成された形で人間の身体に映し出されていて、人間の身体も構造が同じなんだから、先生もおっしゃったとおり、完成されているものなんだ。それが何らかの形で欠陥を生じる。気血の乱れあるいは足りないとか多過ぎるとか出てくる。それを調整するのが鍼だ。

 蓮風 だからね、治って当たり前なのであって。それを治すどころか悪化させる輩もいるのは実にけしからん事だと思う。これは後で削ってもらって(笑)。<続く>

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 松田博公(まつだ・ひろきみ)氏 1945(昭和20)年、兵庫県生まれ。鍼灸師、鍼灸ジャーナリスト。元東洋鍼灸専門学校副校長。2005年1月まで共同通信編集委員として医療や女性運動、子ども、宗教などを取材。在職中に同専門学校で学んだ。主な著書に『鍼灸の挑戦』(岩波書店)、『日本鍼灸へのまなざし』(ヒューマンワールド)など。

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回も鍼灸ジャーナリスト、松田博公さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談です。東洋医学のバイブルとされる『黄帝内経』をめぐる議論は熱を帯びてきたようです。おふたりの近いけれど、微妙に違う見解を聞くと、鍼の微妙さと東洋医学の深遠さを象徴しているようにも感じます。蓮風さんが「単なる医学書ではない」と強調し松田さんは「生き方の書」だと、おっしゃる。意見が対立しているわけではなく、大きな視点からは同じのようにも思えるのに、さらに深くて広い立場からはうまく噛み合わないようです。でも、それは人間本来の在り方かもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 『黄帝内経』は非常に古い古い時代にできた医学書やけども「真理」のようなものですよ。

 
 松田
 バイブルなんですね。僕は『内経』(=『黄帝内経』)は中国、日本共通の「原理論」だと考えています。

 蓮風 だから中国の、その時代の哲学書では皆あれを引用するんですよ、ご存じのように。そうしてみると、単なる医学書ではないんだ。

 松田 生き方の書なんですよ、生き方の。っていうのは、『黄帝内経』は養生の書だという議論がまるで事実であるかのように、まことしやかに広がっていて、これトンデモハップンなんですよ。養生っていうのは要するに健康の問題ですよね。『黄帝内経』はそうじゃないです。精を養う、生命力を養う、そして天地宇宙のリズムに合わせて生きよということだから、単なる健康の問題じゃない。生きることも死ぬことも含めて、天地のリズムにあわせろと、『黄帝内経』は言ってるわけです。それが養生の書だとなるのは、唐の時代以降で、『内経』の理解の仕方としては、小さい。唐代はもう漢代よりも人間が小さくなってしまったんでしょうね。

 蓮風 健康で死にゃいいです。

 松田 まさにそうです。

 蓮風 健康で死ねという教えですよ。先生がおっしゃる、「日本文化によって変わった」という部分、これ否定はしません。ただ伝統医学というからには、そのバイブルからですね、やっぱり何といっても大きな影響を受けている。我々のようなへっぽこ鍼灸師でも(『黄帝内経』にある)「九鍼十二原」が言った世界を再現できるというこの真実が医学書としての凄さを立証している。

 松田 いや先生の言葉をね、たった一言、僕は補足したいんですよ、一言だけ。僕にとっても、あるいは日本の鍼灸にとっても黄帝内経は「原型」なんですよ。一番のルーツであって、それと無関係に日本の鍼灸が存在しているわけではなくて、たどっていくと当然そこに行くし、最大の教典、最大の聖典、バイブルなんですよ。原型だからそれを無視することなんて出来ないんです。

 蓮風 ところが、まぁ、あなたは学校(東洋鍼灸専門学校)の校長先生までやられてわかってると思うけど…。

 松田 いや、前副校長です(笑)。

 蓮風 (学校では)関係ないこと教えてる。『黄帝内経』の教えを仰いで『黄帝内経』に基づいた教育で、『黄帝内経』に基づいた治療がなされにゃいかん。これ本筋ですよね? ところが現実にはそうなっていない。なんでか? やっぱり明治以来のね、西洋医学に対するコンプレックス。やっぱり自分らが本当に治したんだったら治したと言やぁいいし、アカンかったらアカンかったと正直に言やぁええのに、格好ばっかりつけて鍼灸学とかなんとか偉そうなこと書いて中身なんにもあらへん。私はそれ一番いかんなぁと思うんですわ。

 松田 その通りです。
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 蓮風 ねぇ。だから日本鍼灸というのはあるだろうし、あらにゃいかんと。しかしその前に、なんかせにゃいかんことはないかと。それは何を言うてもいいですよ。現代派でも、西洋医学のあのナントカ療法でもいいんですよ、治れば。

 松田 トリガーポイント。

 蓮風 はい。だけど実際、治らんでしょう?

 松田 治る病態はあるんですよ。

 蓮風 まぁ、あるんだけど。『黄帝内経』がいってるような病気を治してないじゃないですか。そうなってくるとねぇ、やっぱり、もっともっと自信を持てば、いい。「鍼灸師に自信を持て!」じゃなしに『黄帝内経』という教本、バイブルを持っている文化に我々は大いに自信を持つべきだと思うんですよ。そうなってくると、日本鍼灸というものはもっともっとその先に、あるんじゃないかというような気がしてね。

 松田 先というか、その末流というか、現在ですよね。僕は、3つないし4つの段階で鍼灸の流れを考えています。一番の原型として、漢代に黄帝内経の鍼灸があった。それがその後、唐・宋・元・明・清と、段階的に中国でも変わっていきます。そして現代中医鍼灸になる。だから「原型的」な流れと「段階的」な流れがあって、その段階的な流れの途中から朝鮮に行ったり日本に入って来ていますよね。日本に入って来た鍼灸は、平安・鎌倉・室町・江戸を経て明治以降の日本の今の鍼になっている、というように「原型」「段階」…。そして「現状」と、この3つを経て鍼灸は変化して今に至っているんだから、この3つを包含した日本鍼灸がある。

 一番末流は現在の日本鍼灸ですけど、どの流派も日本鍼灸学を作ることを一度真面目に考えてみればいいと思うんですよ。そうすると、足りないものがわかってくる。今の自分たちの技術論だけで、総合的な日本鍼灸学を打ち立てようと思っても、これは無理だと。つまり『黄帝内経』のところまでたどらないと思想も技術も歴史も含めた鍼灸学は成立しない。だから日本鍼灸学を構築しようと、一旦考えてみれば、ほとんどの流派が足りないものが見えてくる。その中で、これはカットしたほうがいいかもしれないけれど「北辰会※」ですよ、総合性を持ってるのは。

 ※補註:北辰会方式のこと。藤本蓮風氏が提唱し啓蒙している鍼灸治療大系。

 蓮風 まったくもってカットですね、これは(笑)。

 松田 仏教でいえば平安末から鎌倉にかけて、密教を軸として、密教から顕教から全部包含し、神道まで包含した神仏習合の日本的な宗教システムがありました。それと北辰会の位置が非常に似てると思うんですね。この総合的な宗教システムの中から鎌倉仏教のシンプルなものが出てくるでしょ。そうすると、今の各流派は鎌倉仏教なんですよ。こういう関係で僕は考えているんです。だから効いてないわけじゃないし、それぞれがいいことやってる。でもそれぞれの部分から日本鍼灸学を作り出すことは出来ない。いま出版やこういうインターネットの活動を通じて、思想や文化にまで精力的に発言している北辰会には、その材料が揃っていると僕は見ているんですよ。

 蓮風 いや、そないに言われてしまうとね(笑)。なんかこう発言が出来ないけどね。

 松田 僕は、北辰会はやがて総合的な日本鍼灸学を作るための準備をしてるんじゃないかなという気がしてます。

 蓮風 そうですね。<続く>

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鍼灸師の藤本蓮風さん=奈良市学園北、藤本漢祥院

 鍼(はり)の力を探る「蓮風の玉手箱」をお届けします。鍼灸ジャーナリスト・松田博公さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対話の2回目。東洋医学のバイブルと言われる『黄帝内経』に焦点が当たっています。一読すれば、静かな対話のようですが、おふたりの考えは微妙に違うようです。静かで、なごやかなのに熱い“気”のようなものを感じるかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 「蓮風の玉手箱」に来ていただいた方のなかで、あなただけですよ、患者じゃないのは。みんな患者さんなんですよ。はははは(笑)。だからあなたを呼んだ意味は非常に深いと思う。(前回の話を受けて)日本と中国の鍼灸の違いは、文化の違いだ、いうわけですね。

 松田 本質的には、それがあると考えますね。

 蓮風 そうするとね。伝統医学として考えた場合、『内経』(=『素問』『霊枢』をもとにしたと言われる医学書『黄帝内経』)とのつながりはどうなんでしょうね。

 松田 『内経』はまさに中国の古代思想が創り出した医学書です。古代の中国思想というのは、基本にまず「気一元論」という、気についての根源的な洞察があります。その気の洞察がなければ、中国医学どころか、中国文化そのものが成立しない。

 蓮風 それはそうですよね。

 松田 では、その気はどういう構造になっているのか。ということで、混沌として捉えきれない気を2つに分けて、その関係から捉えようとする「陰陽論」が出てくる。さらに5つに分けてその関係から全体の運動過程を見ようとする「五行論」が出てくる。というように論理が複雑化していきますよね。

 さらに宇宙に遍満している気が人間との関係でどうなのか、ということで、天地宇宙の気と人間の気は繋がっていて、宇宙の構造も人間の身体の構造も同じだということで、「天人合一論」が、人間の身体にも当てはめられていく。こういう古代の中国思想がなければ『黄帝内経』も、鍼灸医学そのものも成立しなかった。だから中医学の教科書は、当然、中国の古代文化、古代思想から記述が始まっているわけです。それが日本に入ってきて変容した。じゃあ何が変容させたのか。日本の鍼灸家はほとんどそれが日本文化との関係から変容したとは考えないわけです。それじゃあ、日本仏教について考えたらどうか。これはものすごい考えやすいわけです。

 中国仏教が日本に入ってきて変わります。どんどんシンプル化していきます。膨大なお経が仏教とともに入ってきたのに、いまのたとえば浄土真宗、日蓮宗、禅宗にしても、それぞれ少数のお経、経典で足れり、とする。あるいは経典なんてなくてもいいと、ただ座れと、いうようにどんどんシンプル化していく。

 蓮風 それはやはり歴史的に言うと、鎌倉新仏教からですね。

 松田 その通りです。

 蓮風 それ以前はやはり貴族仏教であって、天台にしても、弘法大師の密教にしても、どちらかというと鎮護国家に使われていたんですよね。

 松田 そうですね。

 蓮風 鎌倉時代になると、ご存じのように武士が台頭して政権を取っていく。庶民はどうして救われるかというと、平安時代に末法思想が流行って、そしてなんとか我々も救われんかという発想、そこらあたり親鸞や道元あたりも出てきたんだと思いますね。

 松田 シンプルに、やさしく語りかける…。生活感覚から…。

 蓮風 先生の考えでは、鎌倉時代から大体、日本文化と考えられますか?

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 松田 いや、それ以前から、古代の「古事記」にまとめられている神話の時代、あるいは縄文時代から日本列島固有の海洋性照葉樹林文化が生んだ混沌とした命の感覚があり、それが日本文化の基層としてずっと流れてきたと思います。だから、一番大きな問題は…。これは鍼灸界でまだ語られていないんですけど、日本の気の感覚と、中国の気の感覚は違うのではないかと僕は思っているんです。

 中国の場合、非常に論理的に気を捉えています。さっき言ったように、2つや5つ、あるいは「天人地」というように3つに分けて、その図式を天地宇宙から身体にまで一貫して当てはめて、全体を認識しようとする。非常に構造的です。気をある種、物質に近いような…。物質というと命がない感じですけれど、でも気には命がありますよね。方向性もあって、行きたい所に行ったりして、それで意思に従って“気がやる”ということもありますから、気にもやはり命がある。だからそういう意味では命を持った物質という感じの根源的な精細な生命体として捉えている。

 日本にそれが入ってくると、気が精神的、心理的というか、雰囲気というか、情緒的なものに変わっていくのは何故なのかについて、鍼灸師はもっと考えるべきなんです。でないと、日本鍼灸の特質が理解できない。中国の場合、理詰めで構造的に考えていくんだけれど、日本人の場合はどうして情緒的に流れていくのか、いい意味でも、また悪い意味でも流れていくのは何故なのか。それは、気の感覚に違いがあるんですね。幸田露伴なんかも言ってるんですが、中国から「気」の概念が入って来る前から、日本には「チ」「ヒ」「イ」など、生命力を表す固有の言葉があった。その感覚的、感性的な表現と中国の「気」が結び付いて、日本語の「気」という概念が出来たために、日本の「気」は、ずいぶん情緒的で感性的、心理的なんだというわけです。日本文化が背景となって中国鍼灸の日本的変容が起きたと考えるなら、日本語の要素を抜きには語ることはできないのです。

 蓮風 なるほどね。僕は臨床家ですので、やっぱり『素問』『霊枢』というのは臨床に直結してると考える。特に「鍼経」と言われる「霊枢経」の中の鍼の操作に関しては見事につかまえてますねぇ。これ、あの中で「気至りて效あり。效の信は、風の雲を吹くがごとく、明らかに蒼天を見るがごとし、刺の道終わるかな」と。

補註;『霊枢』九針十二原に「刺之要.氣至而有效.效之信.若風之吹雲.明乎若見蒼天.刺之道畢矣.」とある。

 松田 素晴らしい表現ですよねぇ。

 蓮風 はい。邪気が来るときは緊にして疾、速くて固く、非常に緊張した気が来るのであると。「穀気」「正気」ですね。「穀気の來たるや徐にして和」。ゆっくりとジワーっと集まってくるどというわけです。あれはもう、いまだに再現できますね。2500年前の話やけどね、見事に再現できます。
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 松田 気至る感覚もやっぱりそうですか?

 蓮風 全く一緒です。だから、それを後代になって「あーだ」「こうだ」言う、はっきり言って鍼を知らん者がモノを言っていかん。私はそう思う。その『霊枢』の、特に「九鍼十二原」あたりに書いてあることは、もうつぶさに暗記してもらって考えてもらわないと、本当は学校で教えとけば良いのにと思うのに、てんで外れとるような感じするんですけどね。

 松田 『霊枢』の第1篇ですからね。一番最初に「微鍼宣言」が来てるんですもんねぇ。

 蓮風 そうです。そこへね、だから、「余、毒藥を被らしむるなく、●石を用うることなからしめんと欲す。微鍼を以て、其の經脉を通じ、其の血氣を調え、其の逆順出入の會を營しめんと欲す」。あのあたりはね、やっぱもう鍼の革命の時代だろうね。<注記:●=砥のつくりが「乏」>

 松田 まさにそうですね。進化論ですね。

 蓮風 つまり現在、つかわれているような(非常に細い)毫鍼という患者があまり痛みを感じない楽な鍼で治すにはどうしたらいいのかというと、気を通じさすという論があるんですよね。このことはね、まぁ松田さんの意見とちょっと違うんですけども、(江戸時代に幕府につかえた鍼医の)石坂宗哲がはっきり言ってるんですよね。彼は、『鍼灸茗話』という書物の中で、鍼の極意は霊枢九鍼十二原は気を通じさすことにあるという。今、補瀉とか何とかいうけど、気を通じさせればあらゆる病気が治ると、言っとんですよ。これがねやっぱり、違う土地で違う時代の人が同じことを言うんですよ。今、先ほど私が「霊枢九鍼十二原」を再現できると言いましたがね、だから『内経』というのは素晴らしい教えだなと思います。

 松田 その通りですね。

 蓮風 はい。そして、そのことをまた裏書きするように、江戸・元禄時代の杉山和一<鍼の施術法「管鍼(かんしん)法」を創始し視覚障害者のための鍼・按摩の教育施設を開いた>がいた。あの人なんかもやっぱり見るべき古典はもっぱら『内経』なりと、言っておりますね。だから結局、日本的なものもあるだろうし中国的なものもあるけど、それを乗り越えて脈々と伝えられた伝統の力、そういうものを感じるんですよね。もちろん日本と中国の違いということも大事なんだけど、むしろ私は、時代を超え、地域を超えて、それでもやっぱり貫く真理みたいなもの、やっぱり『内経』ですわ。ほんでね、中国のね、大きな本屋行くと、1階の一番目立つとこに哲学書がある。その中に『黄帝内経』を置いてあるんですよ。<続く> 

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初回公開日 2012.9.29
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鍼灸ジャーナリストの松田博公さん


 「鍼(はり)」の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は、今回から鍼灸ジャーナリストの松田博公(まつだ・ひろきみ)さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談をお届けします。松田さんは1945(昭和20)年、兵庫県生まれで、2005年1月まで共同通信編集委員として医療や女性運動、子ども、宗教などを取材されてきました。在職中に東洋鍼灸専門学校で学んで鍼灸師の資格も取得されています。主な著書に『鍼灸の挑戦』『日本鍼灸へのまなざし』などがあります。

(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 「蓮風の玉手箱」へようこそいらっしゃいました。ありがとうございます。(関東から)遠い所、来ていただいてほんとに感謝いたしております。いろいろ考え方は違うと思うけれども、鍼灸のことを真剣に考えているという点は一緒だと思うんです。私は臨床家ですので、ひとつずつ治しながら、しかも鍼はこんなものだぞということを、外へ出来るだけ訴えていくために、このような(「蓮風の玉手箱」)試みもしています。まぁ「鍼狂人」ですから、何言うやわからない。狂人ですから(笑)。まぁそこら辺りは許していただいて…。

 じゃあ早速、鍼灸ジャーナリストとして、権威ある鍼灸家、医家との対談をなさっておられますが、その活動の中で日本鍼灸としての共通項を見出されたでしょうか。そもそも日本鍼灸とは何なのでしょうか。中医学とはどこが共通で、何が違うのでしょう。これは主なテーマになると思うんですけれどね。まず好きに喋っていただいて…。

 松田 そんなにたくさんの鍼灸家に会っているわけではないです。蓮風さんとお話しするのは大変苦しいんですよ。なぜかというと、僕が話すことは釈迦に説法みたいなことになっちゃうから…。

 

 蓮風 いやいやそんなことはない。
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 松田 喋りにくいんですが、とにかく、いろんな方にお会いして、ある一定の印象はあります。まだまだ分析というより、印象の段階なんですけれど。この間の(月刊鍼灸専門誌)『医道の日本』で、関西医療大学(大阪府)に1年間、留学された金春蘭さんという中医師の方が、日本の鍼灸と中国の鍼灸を比較して、話しておられました。金さんは以前、北京に行ったときにお世話になった方で、知り合いなんですが、彼女曰く、鍼灸というのは「理法方術」だと。これはもう先生よくご存じですが、一般の読者のために言いますと、理論の「理」、方法の「法」、どの穴に処方すべきかという「方」、そして「術」。その「理法方術」のうち、中医学は「理法方」が得意で、日本鍼灸は「術」が得意なんだと言っておられて、なるほどと思ったんです。

 たしかに日本の鍼師を訪ねて歩きますと、鍼の技は非常に繊細です。それに比べて理論の方はシンプルです。手で触って、全体を見て、バランスの失するところに鍼を刺していく。結果としては(気を補ったり出させたりする)補瀉になっているわけでしょう? そういう中で、一貫して日本の鍼灸師が持っておられるのは、日本人特有のある種の生命感覚といいますか、命の状態に対する敏感な感受性といいますか…。突き詰めていきますと、我々が施術するけれど、最終的に鍼が効くか効かないかを決めているのは、患者さん自身の生命力であって、それを自然治癒力と言ってもいい。で、我々は患者さんが治っていく自然治癒力の働きを支援しているのだ、と。そこに我々の技の決め手があるので、その技が下手であれば自然治癒力を助けることができないし、上手くいけば助けることができるというように、自分をちょっと退かせて、患者さんとの関係を語る。

 こういう生命観が日本鍼灸のある種の共通項であると、思想のレベルでは言えるのではないか。で、そのための技としては、強引にぐいぐい患者さんの身体を動かして、自分の望む方向へ持っていく先生はいるんですけれども、どちらかというと繊細な、患者さんの身体の気の動きが流れる方向に沿って、上手く調整していく、補瀉を使って調整していく、というような繊細な技がかなり目立つんじゃないか。そのためにもどこに配穴すべきかを触って確認する、ということが一つの特色になる。

 中医学の場合は、「理法方」に重点を置くために弁証して、陰陽虚実を明確にして、その結果、配穴が決まっていく。まぁ、中医学といっても、いろんな方がおられて、一概には言えないのですけれども、スタンダードな、中医薬大学で教えているような鍼ですと、患者さんの個体の違いをそんなに見ないで、かなりパターン的に配穴して「得気」という、これまたパターン化された手法でやっている。そのようなところが、かなり違っているのではないかなと思います。どうしてそうなるかというと、背景には中国と日本の古代以来の文化の違い、論理的、構造的思考性と感性的、実感的指向性の差異があるのではないか、という気がしているんです。
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 蓮風 この話とは必ずしも関わるかどうかわかりませんが、この間も内科小児科でね、ある有名大学出の医者で、今は私の弟子になったと本人が言ってるんですけれど、その人に質問したんです。「今、西洋医学から抗生剤とステロイドを取ったら、どれだけ治せる?」と。そうしたら、賢いからね。「先生、なんとか6割くらい治せるんじゃないですか」と言ったんです。6割治せるということはどういうことかというとね、その医者が、もともと治す力があるから、ちょっとやれば効くんだ、抗生剤とステロイドがなくてもやれますよ、と言ったけれど、ちょっと強弁してるんですよね。西洋医学も、内科、外科いろいろあるけれども、その中で抗生剤とステロイドを取ってしまったら、はっきり言って、諸手を取られたようなもんだと私は認識しているんです。これ現実だと思うんですけれども、賢いからね、6割だと言われた。

 松田 そうですよね。今の、たとえば小児科なら、抗生剤とステロイドを抜くということ自体が考えられないので、この6割というのも…。

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 蓮風 この間、医者が名古屋の小児病院というところから患者を送ってきたんですけれど。その送ってきた医者は、もともと学生の頃から天疱瘡という病気で、治らなかったやつを僕が治しちゃった人で。ステロイドやなんやで色々使ってて、確かに急性期は良かったんですが、慢性期に入ると全然ダメで、どうかするとまた悪化する。それを私が鍼一本で治してね。だから私の信者みたいなもんなんです、若いけど。で、自分のネフローゼの小児患者にステロイドから免疫抑制とかいろいろやったけど、ムーンフェイスになって、むくんでしまって全然治らん。「先生どないしたらいい?」と言うから、「連れて来い」と。

※ネフローゼ:大量のタンパク尿と低タンパク血症(あるいは低アルブミン血症)が認められる腎疾患で、高脂血症や浮腫が2次的に発症する。特に、浮腫は、ひどい場合には、尿量が減少し、1日に1キログラムも体重が増えることもあり、胸水や腹水に至ることもある。(『今日の診断指針 第5版』より)

 松田 患者さんを?

 
 蓮風 はい。打鍼用の金の鍼と銀の鍼を当てるだけで、良くなっていった。少なくとも、降圧剤を飲んで、上が110~120、下が90台。

 松田 子どもさんですか?

 蓮風 はい。私がその鍼をやってから、その降圧剤を飲み忘れても、いま、上が80、下が40になった。これ、現実なんです。そして汗がどんどんどんどん出ます。まだ2週間しか経たないのに、余分な水が抜けて、体重が500グラム減った。むくみが治ってきた。ちなみにその子は、3歳くらいです。

 松田 そんなに小さいんですか。

 蓮風 3歳の子がね、2週間以内で500グラム減るというのは大きな意味がある。

 松田 その子、そのまま薬漬けになってたら、やばいですよね…。

 蓮風 だからね、そういう現実を見ると…。ほんとに鍼灸はしっかりせんといかんぞと、あらためて身が引き締まるような思いをしました。

 松田 出来ることはあるんですよね。鍼でしか出来ないことがある。

 蓮風 だからそういう部分を本当にわかってやれば、素晴らしいことになると思う。さっきの話に戻すと、日本鍼灸は「理法方術」と仰った。「弁証論治」という一番のメイン・タイトルがあるんだけれども、いま仰ったのは、「弁証」の部分は希薄であって「論治」の部分は感覚でやっているという、そういうことですよね。

 松田 そうです。

 蓮風 これが日本鍼灸の特徴だと、仰っている。

 松田 現実がそうだということですね。

 蓮風 しかしながら、いま我々が(東洋医学のバイブルといわれる)『素問・霊枢』を見たときに、そういう感覚的な部分を非常に重視はしているけれども、同時に、理論がよく出来ていますね…。もう(先生は)『内経』(=『素問・霊枢』をもとにしたと言われる医学書『黄帝内経』)の専門家やから、どっちかいうと。我々以上に『内経』をよく読んでらっしゃる。

 松田 そんなことないですよ。僕は感覚で大づかみに読んでいるだけですよ。

 蓮風 いやいや。僕も感覚ですよ。臨床家だから。漢文がよく読めるわけじゃない。ただ(『中国医学の起源』などの著書があり東アジア科学史を研究している京都大学名誉教授の)山田慶児さんが、試しにちょっと僕の書いた本を見て、「読めてますよ」と仰ったんで。まぁまんざらじゃないなと(笑)。

 松田 いやぁ、あの怖い先生がねぇ。厳しい方で、滅多に人を褒めないんだそうですよ。<続く>


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薬師寺で執事をつとめる大谷徹奘さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談も今回でひとまず最終回となります。「生」「老」「病」「死」などをめぐって、それぞれの立場から率直な考えが示され、宗教と医療の関係への見方が変わった方もいらっしゃるのではないでしょうか。大谷さんの口からは仏教への厳しい言葉も出ています。時代の岐路に立っているといわれる現代社会で、自分が所属する「場所」の在り方を否定するのも大切な試みかもしれません。現状に安住せず、あえて破壊することによって本来、組織や団体が持っていた「力」が再発見される可能性もあるからです。長い歴史を持った東洋医学も現在の医療体制のなかで本領が発揮できているのか、どうかを考えるヒントも与えてくれそうです。(「産経関西」編集担当) 

大谷42
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 大谷 人間って言うのは、自分は死なないと思っている。自分は病にならないと思っている。で、いつ無常観を感じるかって言ったら、やっぱり死に出会った時です。

 蓮風 そうなんです。
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 大谷 その死に出会った時に、お坊さんが説法するようになった。それが葬儀の時のお坊さんの話だったのに、今は忙しい。火葬場の時間もあるからって、それをやめちゃったから、お坊さん達はもう、死んだ人だけを扱うっていう風に思われるようになってしまったんです。

 蓮風 葬式仏教。

 大谷 はい葬式仏教です。もう死人仏教かもしれません。

 蓮風 生きている人間こそが、非常に大事なんであって、人の命のありがたさ、そういったものに対する、洞察というんかな、この深い理解が今の世にも必要だと思います。だから私は、自分の仕事で鍼を持って、こういう風に捉まえるべきだと弟子や患者さんらに諭しているんです。

 大谷 うん。

 蓮風 それも僕の仕事やと思う。だから、鍼は苦痛を取るから、薬を持っていくのと一緒。でも苦痛を取っただけでいいのでしょうか。

 大谷 違います。

 蓮風 そうですよね。

 大谷 その昔はですね、先生。人間は例えば家族が病気になった、好きな人が病気になった時にですね、手が出せない訳ですよ。医学も発達していないし。だから祈ったんだと思いますけどね。今は違うと思うんですよ。僕は凄く沢山のお医者さんを知っているんですね。それは、なぜかって言うと、自分は医学的なことはできないけども、名医と呼ばれるような人が薬師寺には来るから(病の)悩みのある人には、その医師を紹介するんです。薬の代わりに。

 蓮風 なるほど。

 大谷 僕は自分の子供を誰も坊さんにしようとは思っていないんですね。何故かって言ったら、僕は、その宗教者は一代で、もし息子のうちの誰かが、大人になって坊さんなりたいって言ったら、良い先生につけて勉強させたらいいと思っているんです。やっぱりね、人間は肉親に弱い。

 蓮風 うん。

 大谷 特に、人の前に立って指導しなければならない者が、甘やかされて育つとですね、甘やかしたこと言っちゃう。やっぱり僕らでも、厳しいこと言われて先輩から殴られたからこそ、自分があると思っているんですよ。

 蓮風 うんうん。

 大谷 その時は凄く辛かったけれど…。自分が、育てたいと思うお弟子さんがあれば別に僕は自分のすべてをその人に投げてもいいと思っているんですね。

 蓮風 なるほどね。

 大谷 それこそですね、やっぱり血脈の世界だと思います。
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 蓮風 うちは14代も続いて来て、で、私のおじいさん、「てっぷう」っていうんですけど「鉄」の「風」と書いて、やはりこの名前の通りごっつい人なんですね。で、その息子が私の親父。穏やかな風、「和風」というんですよ。その息子が私(蓮風)です。代々同じことをやって、伝統の部分もあるけどね、僕の代で大きく変えているんですよ。

 大谷 そうですか。
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 蓮風 それは何故かというとね、ウチの親父はどっちかというと名人芸的な鍼を打っておった。それだけど、時代が変わったし、名人芸はその人間ひとりのものじゃないですか。

 大谷 そうですよね。

 蓮風 だけど、今の世の中に東洋医学を広めようと思えば、限りなく名人に近いものをたくさん育てるということが重要になってくる。粗製濫造で終わったらいかんわけやけども、ある程度の能力はある者を、こう出来るだけ名人に近づける、それが大事やと思う。というわけで私は独特の自分の医学を作り上げてきたんです。うちの親父はそれをちゃんと認めましたね。今、おっしゃっていることと、近いことだろうと思います。

 大谷 僕は今、仏教は凄く世間から距離があいてしまったと思っています。お寺には葬式の時しか行かないみたいな。または仏様を観光で見に行く。僕はそれを求めないんですよね。僕は弟子なんか無くてもいいと思っているんですよ。

 蓮風 うん。

 大谷 その代わり、自分の持っている精神性を講演で自分が大事だと思っていることを、どんどん、どんどん伝えていこうと思っているんですよ。それがキッカケで学ぶ人が出たらいいんです。

 蓮風 非常に大事なことだと思いますね。

 大谷 だから、最終的にはですね、坊さんだけが悟っても仕方ないんです。街を歩いている人達を皆幸せにすることが僕の務めであって、特殊な訓練をしたとか、特殊な場所にいたとかっていうんだったらば、それはですね、本当にストイックな人達の集まりでしか無いと思うんですよ。薬師寺でですね、座ってたらね、普通の人より良い生活できますよ。

 蓮風 うん。

 大谷 薬師寺のお坊様というだけで。だけど、僕は全然そんなこと望んでないんですね。

 蓮風 うん。それ、それが先生のいいところなんですよ。それもう手に出てますやん。

 大谷 そうですか。

 蓮風 もうとにかく人を救おうというその手というものがね、やっぱちゃんと出てますね。だから、もう先生の思いの通り。ただお身体を気をつけて頑張って頂きたい。今日はどうもありがとうございました。

 大谷 ありがとうございました。<終>

 

 

次回からは春日大社権宮司の岡本彰夫さんと蓮風さんの対談をお届けします。

 

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