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初回公開日 2012.1.21

「鍼(はり)」の力をさまざまな視点から探る「蓮風の玉手箱」は今回から薬師寺執事の大谷徹奘さんにご登場いただき、鍼灸師の藤本蓮風さんと、宗教や医学について語っていただきます。仏教にしても医療にしても人を救うことが根本にあるわけですが、日本の社会では病院の次に行くのがお寺…というブラックジョークのような構造が印象として定着していることは否めません。今回のご両人の対談を機会に鍼だけでなく仏教への印象が変わったという読者がいらっしゃれば、その方の「自分」という存在への見方も広がるのかもしれません。(「産経関西」編集担当)
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大谷徹奘(おおたに・てつじょう) 薬師寺執事。1963(昭和38)年、東京・江東区の浄土宗・重願寺住職の次男として誕生。17歳で故・高田好胤薬師寺住職に師事、薬師寺の僧侶に。龍谷大学文学部仏教学科卒業、同大学院修士課程修了。1999年から「心を耕そう」をスローガンにして全国を法話行脚。2003年、同寺執事となり、04年、茨城・潮来市の薬師寺東関東別院水雲山・潮音寺副住職に就任。特定の場所ではなく心を学びたいと思う人々が集う「こころの学校」活動を展開しており、宮城、福島、東京、大阪などで定期公開法話会を開いている。主な著書に『静思のすすめ』『「愛情説法」走る!』など。 

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 蓮風 大谷先生、お忙しい中お越しいただき、とても嬉しく思っております。

 大谷 いえいえ。私はですね、医学と宗教については非常に興味があるところなので。ですから、逆にお誘いをいただいて嬉しく参上いたしました。

 蓮風 あの、このコーナーはですね、一口に言えば、世間にどうも正しく知られていない「鍼」について、正確な情報を伝えたり、誤解を解いたりして、本当の姿を知っていただこうという趣旨で進めてきています。大谷先生も仏教について知らない人たちに一生懸命かみ砕いてお話しなさっていると思いますけれど、我々も鍼について、もっと世間の人たちに知っておいていただきたいと思っています。

 やっぱり、知っておって(鍼を)受けないのは自由だと思うんです。何かのきっかけで知って、実際に鍼をしてみて、そのお陰で助かる人もたくさんおります。鍼のことを全く知らずに、鍼を受けるチャンスもなく病気が良くならなかったり、そのまま亡くなったりする場合がある。そういう人たちがおられるのが非常に僕としては残念。そういう意味で、啓蒙運動の一環としてやっているんです。このコーナーは、ご存じのように、国立民族博物館の小山修三名誉教授が第1回目ですね。それから、2回目に帝塚山学院大学の杉本雅子教授で中国文化の専門家。その次が九州大学の麻酔科の外須美夫教授です。その次が、先生。そういう順番できております。

 そこでですね。私も先生に鍼をさせてもらって、ご縁があったわけですけれど(初めての来院の際に)問診事項ありましたね? いろんなことを聞いたんですよ。ああいう問診の中から何かお感じになったことがありますか?

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 大谷 すごく細かな項目で、たくさんの質問を受けました。私は少年刑務所の面接官をやらせていただいているんですね。平成13年から自分で望んでなったんですけれどもね。罪を犯した子供たちと初めてたくさんの接点を持った時にですね、僕の心の中は「こいつらは悪い奴らだ」と正直に思いました。だけれども、そこにですね、どっぷり浸かって話をしていきますと、実際の彼等と、私が描いている彼等とが一致しないんです。極端にずれている人がいるんですね。中には何でこんなにいい子がいるのかという子供に出会うんです。

 その時に私は、例えばおできができたとするじゃないですか?そうすると私たちはおできができたことを悪いと言うけれども、そのおできは一体、何が原因でできたのか? 腎臓が悪かったのか、肝臓が悪くてできたのか。だから私は子供たちとたくさん付き合ってわかってきたんですけどね、やっぱり彼らは追い込まれて罪を犯しているんです。その追い込んだものから探っていかないと、実は表面的に彼等は嘘をつくんです。人間ってね、自分の評価を下げられることがすごくかなわないんです。正直なことを言わない。この顔も、この声も。だから、その時にリラックスしながら、彼等がどんな家庭環境を持って、どんな精神活動をしてきた結果、罪を犯して入ってきたかっていうことをですね、すっごく時間をかけて聞くんです僕は。

 蓮風 問診ですね?(笑)。

 大谷 そうなんです。そうしないと、彼等が罪を犯しましたっていうその区分だけをみても答えは出てこないんですね。ですからここへ来て、例えば本当に普通の人にだったら言いにくいようなことも、例えば性的な問題なんかも先生がはっきり質問表の中に持っておられて、そういうことなんかでも、やっぱり聞かないと人間ってそう部分を言いたがらない。そこに大きな種が隠れているかも知れないので、最初に僕が先生のところに来たときに、すぐに鍼を打ってくれるのかなって思ったら、長い時間の問診があって(笑)、「これは一体なぜなんだろう?」と思ったんですけど、やっぱり先生が肉体を診ることは、もちろんプロだからおわかりになるんだと思うんです。けれど、精神性とかその人の持ってきた過去を暴いてみないと、ほぐしてみないとわからないという手法をお取りなんだろうということはすごく感じました。

 蓮風 そういう意味では共通する部分がありますね。

 大谷 一緒ですね。はい。で、先生ね、まず、この言葉だけ先に聞いていただこうと思います。それが「身心安楽(しんじんあんらく)」。ちなみに「心身(しんしん)」の場合は心が先で身が後なんですね。でもお経の場合は身が先なんです。私どものお寺はお薬師さんの寺でしょ。お薬師さんのお経の中に、お薬師さんが人を救う、自分が如来となるまでの修行を12の項目を立てるんですね。

 蓮風 ほう。

 大谷 その中に、第7番目に「身心安楽」という教えが出てくるんですね。この語は「楽身」と「安心」に分解できます。この「楽身」が「らくちん」に変わるんです。

 蓮風 なるほど。

 大谷 で、仏教の「安心(あんじん)」というのが、これが「安心(あんしん)」になるんですね。で、仏教の究極の教えの中には、「幸せ」という言葉が出てこないんです。これは「happy」とか「happiness」の当て語ですね。それに対して、仏教の究極の目的は「安心(あんじん)」。安らかな心。安らかな心と身の楽。だから、私はわかりませんが、先生がおやりになっている治療はたぶんね、「楽身」。それに対して問診は「安心」。これが先生がおやりになっている東洋医学のような気がいたします。
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 蓮風 なるほど。面白いことが一つあるんですけれどね、ものすごく、くよくよしてノイローゼのような形で、爽やかにおれない。実は私の弟子にそんなのがようけおるんですが、それに鍼をしてくれって言うから鍼をする。そうすると、「先生なんかこう、今までのなんか、全てが吹っ切れた」という。で、身体を楽にするということは一体どういうことか? 実は心の問題と大きく関わるんです。心の負担に関わる。だから、我々は身体の方から楽にしてあげる。身体の解放の後、心も、まさに「安心(あんじん)」ですね。はい。そういう方向で我々はやっているわけですがね。

 先ほどおっしゃるように、結果だけみてはだめなんだと、必ず原因があるんだと。我々それを「病因病理」といいますけれどね。原因が結果ではないです。病因から時系をたどって、症状としてあらわれた原因や心も含めた患者さんの状況全体との関係のようなものを探るわけです。結果としての病の本質は「証」という字を書きます。「あかし」ですね。我々東洋医学ではそういうものを最終的に求めて治療をするわけですね。その過程が非常に重要なんです。ですから、患者さんの話をずっと聞いていくと、賢い人は、自分ここが間違っとったな、生活のここが間違っとったと。食べ過ぎた、いらんこと考え過ぎた、仕事し過ぎた、いうことをね、わかっていただけるんです。で、それがわからんかったら我々の方が逆に問診から、なんでこうなったという話を申し上げます。それでわからん人もようけおりますけど、わかる人もおります。

 大谷 そうですね。
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 蓮風 最終的に鍼をするということは、身体を通じて心の方に作用する。まぁいったら身体は器だと私は思います。器の中に「心」という生命の本心っていうのが僕はあると思うんです。それから、もう少し先に行くと今度は魂という問題と僕は関わっていくと思うんですが、とりあえず、わかりやすいのは身体が器で心が中の本心だと。だから、いくら中をしっかりやっても、まぁ受け皿の入れ物が悪けりゃどうにもならんという考え方があるわけで、もちろん身体を良くしていってもいつまでたっても心ができない人がおる。これはねぇ、私は説得じゃなしに、納得という言葉を使います。説教は外的な力であるのであって、納得は「あっ、そうか」というわけです。

 大谷 インサイドの問題ですね。

 蓮風 そういうことですね。それが起こるようにね、いろんな話を私もいたします。ただね、忙しくしてるとね、なかなか時間がとれないんです。まぁその人の性格とか仕事によってですね。私は馬術やっているんですよ。馬術に誘っていろいろ話を聞いたり、いろいろ工夫いたします。
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 大谷 先生の今おっしゃった納得というのはね、僕らの世界で言うと「気づき」なんです。人間っていくら言っても、その人が気づかない限り変わらない。今先生がおっしゃった、肉体は入れ物であるというのは、今から2200年前に初めて文字になった、『法句経』というお経にも説かれています。

 蓮風 はいはい。知ってます。

 大谷 その『法句経』の中にですね、お釈迦様は、ものすごい健康なお方だったと思うんですけどね、晩年は一番最後にですね、病気になって80歳で亡くなられるんですが、その『法句経』の節を読んでいると、肉体についてはですね、これをですね、街の城郭のようなものだって書いてますね。

 蓮風 あぁ、そうですか。

 大谷 で、その中側にですね、人間というものの心があって、その中でですね、ものすごくお釈迦様は人間に厳しいから、説いてあるのは、そこに偽りと高ぶりが隠されてあるって書いてあるんです。

 蓮風 ほう。

 大谷 心の中にはすごくいい精神も隠されてあるけれども、その半面それと同居して私たちの汚い心もその中に隠れている、それをうまくコントロールしなければならないということが説かれるんですね。

 蓮風 私の父が非常に敬虔なる仏教徒でございまして、まぁ在家ですけれども、子供の頃からそういう影響を受けております。先生のおっしゃったことで私の頭に浮かんだのは父がよく話していた徳本上人という方のことです。

 大谷 はい。

 蓮風 その方がお説きになった話の中に、「幼子(おさなご)の 次第に次第に知恵付きて 仏に遠く なるぞ悲しき」という歌をうたった。人は本来、仏やと思うんですよ。本当はそうなんだ。だけど、この器を持っているがためにあらゆる願望や欲望が出てくる。それが汚(けが)れてくるということになるんでしょうか。だから神道じゃないけど、清め祓うという、あれは非常に大事な意味を持っていますね。で、ご存じのように、邪気を祓うのに、昔から先の尖ったものを使いますね。事実、破魔矢というのがある。それから、源氏物語に出てくる光源氏が邪気を祓うのに弓の弦を、とんとんとするのは矢を放つことを意味するんだと、思うんですよね。そういう中で、鍼というものは一つは邪気を祓うという意味があると思うんですよね。ですから、今言いますように、身体と心の問題は非常に微妙で、先生がおっしゃったように、『法句経』の城郭と中身の話が非常におもしろく感じました。〈続く〉