蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

タグ:岡本彰夫

「鍼(はり)」本当の姿をできるだけ多くの方に知っていただく「蓮風の玉手箱」をお届けします。春日大社・権宮司の岡本彰夫さんと、伝統鍼灸に基づく研究や後進の育成を進めている一般社団法人「北辰会」代表の藤本蓮風さんの対談もひとまずは今回で終わりになります。これまで、おふたりが強調していらっしゃることを一言でまとめてみると「偏りはいけない」ということに尽きるかもしれません。最終回も「偏り」を戒める言葉がたくさん出てきます。世の中がおかしかったり体調が悪かったりするときは、どこかに「偏り」があるのではと問いかけてみるのがいいのかもしれません。(「産経関西」編集担当

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 岡本 明治の漢方の立役者と言ったら、やっぱり浅田宗伯ですか?

 蓮風 そうですね。

 岡本 宮内省の侍医でしょ?
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 蓮風 そうです。素晴らしい学問と技術持っているけども、前にも言ったように政治が「西洋医学じゃないとあかん」という流れを作っていったんです。

 岡本 ふーん。

 蓮風 軍人医学を中心に据えたためです。富国強兵ですね。

 岡本 はいはい。

 蓮風 そういったものを背景にしてね、医学が歪(いびつ)な方へすすんだ。もちろん西洋医学入れていいんですよ。入れていいんだけど、少なくとも何千年の日本国民の体を守ってきた実績を無視したんです。

 岡本 そうですね。

 蓮風 そこから問題がおこるんです。だから今我々ここで今叫ばないかんわけです。

 岡本 うん。そうですね。

 蓮風 現実に治す力を持っているからこないして、生き残っているわけなんであって。

 岡本 そうそう。

 蓮風 はい。

 岡本 浅田宗伯の処方をもとにしたのが「浅田飴」。

 蓮風 そうです。そうです。

 岡本 あれだけですもんな、残っているの。

 蓮風 そうなんです。

 岡本 うーん。

 蓮風 浅田宗伯先生はね、年若くして、(漢方医学のバイブルの)『素問』『霊枢』とかね、それから『傷寒論』をそらんじておられた。

 岡本 あぁ。

 蓮風 たしか7歳か8歳で、お父さんにお前あそこに風邪で熱を出している患者がおるから見てこいって言われる。ほいで、薬籠持って出かける。帰ってきたらお父さんから「お前どういう治療したか」って聞かれる。宗伯先生は「脈は浮いて、首頭が痛いし、食欲もあるし、便通もある。だから『傷寒論』にいうその太陽病の一番浅い病気」やと答える。

 岡本 はぁ。

 蓮風 だから「葛根湯を処方した」というわけです。

 岡本 うん。

 蓮風 それを7、8歳でやっているんですね。

 岡本 凄いですな。
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 蓮風 昔の漢方医の子弟っちゅうのは、『傷寒論』などを全部そらんじられたんです。たぶん岡本先生達の祝詞もそういうことだろうと思いますがね。

 岡本 昔は意味わからんでもええさかい「とにかく暗記せぇ」っていうの、あれ大事なことですな。

 蓮風 大事なこと。理屈なしにね。

 岡本 理屈なしに覚える。

 蓮風 後から噛み締めて出していくとね、「あぁこういうことやったんだ」と分かる。そういうことをしないとあきませんねん。

 岡本 素晴らしいことですね。

 蓮風 そうですね。だから僕もやがては死んでいくだろうけどね、万葉集をね、丸暗記して亡くなる前に、体が弱ったら何もできないから、それを頭の中へ入れておいて復唱してたら退屈せんやろなって思ってます。

 岡本 うん、面白いですねそれ。

 蓮風 はい。多少ボケるやろうけどね。しっかり覚えておいたらね、出てくるんじゃないかと。

 岡本 でもね、江戸時代までの寺子屋いうのはね、『論語』とか『大学』とか、人間どないして生きていったらいいかっちゅう道を丸暗記させますわな。

 蓮風 そうそう。

 岡本 あれがやっぱり人生の岐路に立ったとき、言葉が出てくるんですわな。そやからね、正々堂々と生きられたと思う。だから、あんな千年二千年かけた人間どないして生きたらええかっていう書物を教科書にするっていうことは凄いことですわね。

 蓮風 そうですね。本当に、今、今の時代下手に持ってくるとね、思想の偏ったものが教えると批判される。

 岡本 うん。

 蓮風 学校の先生自体がそうなってきてるでしょ?

 岡本 そうです。大体その教師が自分を「聖職」やと思わん人がおりますわね

 蓮風 そう、そうなんです。

 岡本 聖なる職ですからね。

 蓮風 「君が代」を斉唱してね、やっぱ日本人やったら、そら敬礼するのが本当ですよ。

 岡本 だと思いますね。

 蓮風 「そっぽ向いていいや」っちゅうような発想がね、日本の国がどないなってるんかね。

 岡本 うん。そうですね。

 蓮風 まぁまぁそういう意味でも、神道の方でも頑張って頂いて、で我々漢方医学の方も、どんどん実績によってね、必要な医学であることを叫んでいきたいと思います。

 岡本 よろしくお願いいたします。私もまた時々鍼に来させて頂こうと思います。

 蓮風 是非是非。<終わり>

 

次回からは蓮風さんと医師で僧侶の佐々木恵雲さんとの対談をお届けします。

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「鍼(はり)」の可能性を探る「蓮風の玉手箱」をお届けします。春日大社権宮司の岡本彰夫さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談も終盤が近づいてきました。今回は歴史への言及です。原子力発電所の問題をめぐって今夏の電力不足が危惧されたり、欧州の債務危機克服は困難さを増しているようだったり…。おふたりの話をうかがって現在の「歴史」の経緯は将来どのように理解されるのか、が気になりました。(「産経関西」編集担当)

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 岡本 この頃、歴史を(ちゃんと)教えませんでしょ?

 蓮風 うん。

 岡本 これはねぇ、民族が滅びますね。

 蓮風 うん、そうそう、全くその通り。それを気にしてるんです。

 岡本 でね、歴史っちゅうのは簡単に言うたら「経緯(いきさつ)」ですわ。

 蓮風 うん、そうそう。

 岡本 で、経緯知ってないとね、なんでこうなったのかっちゅうのが分からないから、価値判断できませんわね。大体幕末くらいで歴史(の授業のおおかたが)終わってしまって第1次世界大戦からこっちあまり習いませんよね。そうすると何で日本が(戦前)あんなことしたかっていうのは(わかりにくい)ですな。一方的に悪い悪い言われるわけでね。

 蓮風 そうそう。

 岡本 けんか両成敗としてもですな、(互いに)なんかわけあってそれしてる…と。

 蓮風 そうなんですわ。

 岡本 だからそこらの事を、ちゃんとした歴史的判断をしなければ、分かりませんわ。

 蓮風 そうですね、何かなしに軍閥と財閥が結託してなどとかで、戦争を勝手に起こしたっちゅうような。

 岡本 それから戦後教育は進駐軍の政策でね、家長制度を崩し、家はバラバラにし、歴史を教えないていうことになると、これもう50年60年かかって日本の国が崩されてきていますからね。

 蓮風 そうです。

 岡本 元へ戻そうと思ったら最低50年60年かかって元へ戻していかないと。
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 蓮風 そうですね。漢方医学がね、この明治の時代に否定されて民間医療に落とされる。医療やるもんは医師免許持ったもんじゃないとダメだっていうことになったものね。そこらと関連があるんですわ。

 岡本 はーん。

 蓮風 要するに西洋医学をやって漢方や鍼灸を使うのはいいけど、西洋の医師免許持たん者がやっちゃいかんという、その根源は「軍人医学」の考えがあるんです。けがをしたり、大勢の兵隊が伝染病にかかったりする。確かにね、そういう分野に関しては、向こう(西洋医学)の方が上ですわ。だから西洋医学じゃないとあかんという風に持っていったんですわ。

 岡本 はーん。

 蓮風 数千年の歴史があって古い古い時代から、漢方鍼灸で日本人の体を救ってきたのに、いったん否定されて伝統が崩壊すると元に戻すにはすごい時間と労力が必要になってくる。僕は鍼をやっていてそれを痛感しています。

 岡本 はいはい。

 蓮風 国のリーダーって言われた政治家らが勝手なことを言って、それで庶民はそれに騙されてしまったんだな。

 岡本 うーん。

 蓮風 うん。それが非常に残念なんです。〈続く〉

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大型連休も終盤となってきました。有名な神社に行かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。「蓮風の玉手箱」は春日大社・権宮司の岡本彰夫さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の9回目をお届けします。今回は前回の最後に出た「お札(ふだ)」の話から始まります。お札やお守りというのは積極的に「悪」と戦ってくれるわけじゃなく「悪」を吸収してくれるそうです。欧米型の鋸(のこぎり)が押して切るのに対して日本のは引くということを思い出しました。(「産経関西」編集担当)

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 岡本 お札(ふだ)って言うのは色々種類があってね。

 蓮風 うん。

 岡本 (お札に関係が深いのですが、)お祓っていうのは非常に長い言葉があるんです。「中臣の祓(なかとみのはらへ)」っていってね。世界に誇る日本の古代韻文ですわ。

 蓮風 ほう。

 岡本 伝承では神様から中臣氏の先祖が頂戴したものやっていうて、祝詞が未だに残っていて今朝も私3回あげて来たんですけどね。

 蓮風 ほう。
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 岡本 昨年の東日本大震災と紀伊半島水害のためなんですけど、何でそんなことをしているかというと…。中臣の祓を別名、大祓詞(おおはらえのことば)って言うです。それをね、数あげる事によって神様にご加護を頂く。今日で3万4千巻あがっているんです。例えば今日、7人で3巻ずつあげたら21巻になるでしょ。

 蓮風 うん。

 岡本 そういう計算していくわけ。皆であげて、毎日そこへ足していくわけ。それが千回あげたら「千度祓」。万回あげたら「万度祓」。それを、数勘定せなあきませんやろ。その時に大麻(おおぬさ)ちゅうもんで勘定していかはるわけや。1回、2回って。ところがこの大麻ていうものには、千遍あげたら千遍の祝詞が染みこんでいるわけ。この中に。で、これをあげた証拠に皆に分けはったんです。お守り代わりに。これが元々の伊勢のお祓いさんっちゅうんや。ところが祓うもんやから一年中の悪い事全部吸い取ってくれるわけや。そして1年経ったらこれ納めて、また新たなもん受けるわけ。だからこれを容れた箱を「お払い箱(=お祓い箱)」っていうわけ。

 蓮風 はぁ。お払い箱。

 岡本 うん、お払い箱っていうのは1年間でそれはもう満杯に悪いもん吸い取ってくれはるさかいに、これをお返しして今度は新たなのを受ける。

 蓮風 あぁそうですか。

 岡本 これが昔のお祓いさんっていう。

 蓮風 そうするとやっぱり、お祓いとお守りっちゅうのは繋がっているわけですね。

 岡本 元はね。

 蓮風 元は?

 岡本 お祓いにした証になるものを分ち与えたのが、その、お札の始まりですわな。だからお札っちゅうのは大体携帯しません。家の神棚にお祀りするもの。で、お守りっちゅうのは携帯用のものですわな。

 蓮風 そうです、そうです。

 岡本 ちょっと小型で自分が絶えず持って歩くっていうのは、そういうことですわな。

 蓮風 はい。

 岡本 それは身につけてあらゆるものを祓って頂く為に持つわけですわ。
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 蓮風 僕はね、日本的な宗教の中にこのお守りという考え方が最もあるように思うんですけどね。西洋の神様とか、あれは、もう極端に言ったら、もう悪いやつはもう殺してもええとかね。殺さんとこれは上手くいかんという発想があるみたいなんですけど。日本の場合は相手を叩くというよりも、むしろ守るという方に力点が置かれているように思うんですがね。

 岡本 相手を殲滅(せんめつ)するっちゅう思想は無いですね。だからある人が世界中で戦争した相手方の敵を祀ってるのは日本人だけやって言いました。(豊臣)秀吉の時の朝鮮出兵。あの時にね、やっぱり敵方の供養してますわな。それね、かなり古い時代からあるんですわ。あの宇佐にね、宇佐神宮。大分県の。「放生会」っちゅうお祭りがあるんですね、9月の15日に。そのお祭り済んでからね、蜷(にな)をね、流すんです。蜷っていう巻貝を。

 蓮風 あっあの川蜷みたいなんを?

 岡本 川蜷みたいなんを。あの海の蜷をね。流すんです。それは隼人の霊を弔うためやっていう。
 
 蓮風
 隼人。

 岡本 隼人の乱が起こるんですわ、薩摩隼人の。

 蓮風 はいはい。

 岡本 乱が起きて、で、その時にえらい戦争になってね。隼人がたくさん命落とすんですわ。

 蓮風 うん。

 岡本 で、その隼人の霊を慰めよと八幡さんが仰ったので、その隼人の霊を蜷に見立てて、あの海へ流すっていうのがあってね。これもう非常に古い時代から、放生会っちゅうのが日本でやられている。一旦、敵になったけども、敵も供養をするっていうのは非常に日本の考え方ですね。

 蓮風 そうですね。

 岡本 ですね。大名家でも例えば豊臣秀吉の家っていうのは殲滅しませんね。徳川幕府は。一軒だけ残すんですね。それが九州の日出のお殿様ですわ、城下カレイ来るとこの。

 蓮風 はい、城下カレイね。美味しい。

 岡本 なんであんだけ嫌った豊臣家を、殲滅せずに一軒残すかって言ったら、先祖の供養さすためです。

 蓮風 うん。

 岡本 チンギスハンなんて全部殺しまっせ。で、日本はそういうのはあらへんですわ。

 蓮風 まぁ古くは秀吉なんやけど。近代で起こった戦でね、

  岡本 はい。

 蓮風 みな日本が悪かったっていう発想、今多すぎるでしょ。

 岡本 はい。

 蓮風 誤った歴史がね、僕は客観的に見直さないかんと思うんですよ。

 岡本 うん。その通り。

 蓮風 なんでもかんでも「日本人が悪いことをした」というて中国や韓国は特にヤァヤァいう。〈続く〉
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「蓮風の玉手箱」をお届けします。春日大社の権宮司、岡本彰夫さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の7回目です。岡本さんは先人が遺した工芸品に光を当てた著作『大和古物散策』や『大和古物拾遺』などでも知られます。今回は岡本さんがそのような文筆活動を始めるようになった動機も語られています。また2006年から07年にかけて行われた高松塚古墳の石室解体に挑んだ職人の覚悟を伝えるエピソードには心を動かされる方も多いでしょう。では、おふたりのお話をお楽しみください。(「産経関西」編集担当)

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 岡本 なんで骨董をやろうかって思ったかというと、まぁ好きだっちゅうのが一番ですけどね。人間国宝だからええとは限りませんわ。本当に貧乏してね、名のない人でも、こんな素晴らしいもん作ったんかっていう人いっぱいおるんですわ。そんな人のもんをね、世に出したいなって思ったんがきっかけなんです。こんだけの仕事をしてるのに、なんでこの人一生貧乏でね、しかも説曲げずになんでこれ作ったんかっていうのにものすごい尊いものがありましてね。

 そういう人の供養なんですわ。供養は仏教用語で、日本の大和言葉ではね、「トブラフ」なんですわ。「とむらう」。弔うの語源はね、「トブラフ」なんですよ。トブラフいうことはね、訪問するということなんですよ。死んだ人の所には訪問できしません。だから絶えず亡くなった人のことを思い、忘れず、語るっちゅうことがね、一番の弔いなんですな。だからね、これ弔いじゃないかなって思う。

 蓮風 私もね、先生の『大和古物拾遺』を読ませてもらったんですが、はっきり言ってね、一般に言われてる骨董とちゃいますな。もうそこらの昔のお年寄りが持っていた、タバコ入れみたいな、そんなところに細工したり、そんなん多いですな。

 岡本 そうなんです。

 蓮風 古物と骨董は違うんですか?

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 岡本 一緒なんですけどね。要は日本人は真心の塊なんですわ。で、本物っちゅうのは真心の塊で、先生のやってはることも真心の塊や思うねんな。いわゆる手を抜いていいかげんなやつは効きゃしません、感動もない。せやけども、わざわざ今みたいにね、マスコミが上手に宣伝して、患者集める人じゃなくて、そんなことせずにこつこつとやってはる。しかし、やっぱりそういう人が本物だって、世に出さんといけない。今はいっぱい情報が溢れていてね「これがええのか」「あれが悪いのか」ってわかりませんですやん?

 蓮風 そういうことを紹介して、弔う人もおらないかんということですね。

 岡本 それをしたいなって思ったんがきっかけなんですな。せやけども、あんな本売れやしません。その代わりに古本屋で出たら10倍くらいの値段ついてますわ。スッとしますけどね。わかるやつが見たらわかる、わからんやつは「どうでもええねん」って思って書いています。

 蓮風 先生がおっしゃるように、弔うという意味で古物を紹介するっていうことがここにも書いてありましたな。

 岡本 本物はやっぱり世に出すべきやしね、間違ったもんは違うって言うべきやし、それが今はわからなくなっていますでしょ?

 蓮風 僕が拝見するところ、一般に言われている骨董学と、先生のはちょっと違いますな。

 岡本 どっちかと言うと、私は資料集めなんです。遺さないかん資料を集めるっちゅうのが宿題なんですよね。

 蓮風 骨董に対する考え方が違うんだな。

 岡本 もう一つ、技術の話させてもらえますでしょうか?

 蓮風 どうぞどうぞ。
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 岡本 うちの神社には20年ごとに「式年造替」っていう制度があって、御殿を建て替えるんですわ。国宝、重要文化財は約半額の負担金が国から出るんですね。文化庁から。ある時に会計検査院が来ましてね。「春日さん、これ20年で御殿が傷まなかったら、30年にしたらどうなんですか?」って言うたアホなやつがおるんです。日本の文化が全くわかっていない。20年ごとになんで御殿建てるかっていうのがね。人間の寿命に合わせているわけです。20歳の息子、40の親父、60のじいさん。20歳で初めて体験して、2回目に本番を40で迎える。そして、3回目の60のおじいさんが指導すると。これで、1200年間、間違いなく日本の技術っちゅうのが遺ったんですよ。これを30年ごとにしますとね、30、60、90ってありえないんですわ。どうしても20年にせないかん。これ日本人の知恵ですね。だから、建物を残す、これ一番大事ですけれども、それともう一つ大事なことは、人を遺すっていうこと。これ巧みな計画なんですな。ただ金を出すのが惜しいということで30年にしたら、日本の文化が消えてしまうんですね。

 そうしますとね、さっきの私が申し上げた「世に出る技術」と「世に出ない技術」っちゅうのがあって、たとえば人間国宝や芸術院会員になる人もおる。美術や工芸の人は恵まれています。ところがね、奈良国立博物館に私の知り合いがおって、子供が生まれた、親が群馬県から出てくるんで会ってくださいよって言われて会いましてん。そこのお父さんっちゅうのがね、3代続いた散髪屋さんの主人やったんですわ。それで「近頃の散髪屋さんは道具作りませんからね」って言わはったんです。初めて聞きました。まぁその時は忙しかったから別れたんですけどね。

 (奈良の)西大寺に「ヒロ」っていう行きつけの散髪屋があって、岩沢っていう主人がおって、そこにいつも行く。ほんで「岩沢さん、散髪屋って自分で道具を作るのか?」って言うたら「ちょっと待ってくれ、40年、散髪屋してるけど、こんなことを聞いてくれたのはあんたが初めてや」って「ちょっと、かまへんか」ってかけたまま20分間ずっと話を聞いて、そんで奥から櫛を持ってくんねん。「この櫛はベッコウで、実はこれ1本10万円するんや」と。「えっ!櫛10万もするんか」というわけですわ。今度は「これ、水牛ですねん。これは安い。ただしこれで頭突いたらな、お客さんの頭痛いから、砂買ってきて半日打つねん」って、するとね、先が柔らこうなって初めてこれでお客さんに櫛通すねんって。それにびっくりして、それからね、あの、和剃刀。
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 蓮風 うん。

 岡本 女の人の産毛と、赤ちゃんの産毛は和剃刀じゃないと当たれないんですね。洋剃刀じゃ剃れない。

 蓮風 うん。

 岡本 ところが、あれは技術やと。

 蓮風 はぁ。

 岡本 研がないかんしね。それ色々聞いててね。3つ気づいたんですわ。1つはね、自分の仕事に誇り持ってはるねん。「俺は散髪屋や」と。2つ目はね、どんだけ自分の技能を高めるかっちゅう向上心、これは2つ目や。3つ目はね、どんだけ優れた技能をお客さんに与えることができるかっちゅう真心や。この3点ですわ。しかし日本人ていうのは凄いなと、散髪にこれだけの技術を投入していって、磨き上げていったというのは素晴らしいなと…。散髪で一番難しいのは角刈りなんですって。

 蓮風 何?

 岡本 角刈り。

 蓮風 あっ角刈りね。

 岡本 これがね。高倉健の映画やっている時は角刈りの人がよく来た。

 蓮風 はい。

 岡本 今、角刈りみたいなする人誰もおらん。

 蓮風 あっはっはは(笑)。

 岡本 「俺が何十年かけてやってきたこの磨いてきた技術を伝えるものがおらん」ちゅうのです。

 蓮風 はぁ。
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 岡本 それがね、色々考えていたら、このね、さっき言った3つ。私はこれを「路傍の技術」やって言うてるんですわ。もうそこらにあるもんやから誰も見向きもせんけども、その路傍の技術の中にね、散髪は(断髪令から)140年間の汗と油と血が滲んだ技術の結晶や、これをもっと世に出す方法は無いのかと。そしたらある時ね、今度あの、高松塚古墳があのカビ生えた、あれ解体したのがね、左野勝司(さの・かつじ)さん。うちの神社の近くで飛鳥建設っていう会社をやってはる。で、この人が学校あがって(=中学を卒業して)すぐにね、丁稚奉公で石屋になって、叩き上げです。

 蓮風 はぁ。

 岡本 ほんで見事大成功してね。文化庁長官表彰と吉川英治文化賞をもらったん。

 蓮風 ほほう。

 岡本 で、ホテルで祝賀会するっちゅうわけや。

 蓮風 はい。

 岡本 で、「あんたもすまんけど発起人になってくれ」っていうさかい。喜んで行きました。

 蓮風 はいはい。

 岡本 これが段取りの悪い会でね。行った時にね、その場で挨拶せぇっちゅうわけですわ。そんなん挨拶みたいなことは2、3日前には言うとけや…と。

 蓮風 あっはは(笑)。

 岡本 今言うてすぐにはできへんがな。ふっと見たら文化庁の連中がいっぱい来とったんですわ。あっ、これはいいわ!と思って、散髪屋の話をしました、さっきの。

 蓮風 なるほど。

 岡本 散髪屋っていうたら誰も見向きもせんやろと。せやけど、もの凄い知恵と技術と力と日本人の真心と凝縮やと。

 蓮風 うんうん。

 岡本 こんな人らが何で人間国宝になったり、芸術院会員みたいな優遇を受けられへんのやと。日の当たる場所がいるのとちゃうかと。で、私は何よりも嬉しいのはね、今までただの石屋と思っていたオッサンの技術を国が認定したのと一緒やないか、こんな嬉しい事はございませんって言って降りてきたんですわ。

 蓮風 あー。はは。

 岡本 そしたらあくる日にね、左野さん饅頭持って飛んで来はったんです。「あんたの話が一番良かった」って。

 蓮風 あはは(笑)。

 岡本 でもその時聞いたらね。奈良からその飛鳥へ毎日解体に通いますわな。途中にね、枝振りのいい松の木あるそうでんねん、道に。失敗したら絶対この松の木で首つって死んだろうと思うて通ったって言いますねん。だから、左野さんは命がけで解体したんですわ。そやから私ね。この日本みたいに資源の無い国はね、これから世界に冠たる国として行くにはやっぱり知恵と技術が無いとあかんと。で、それにはね子供の頃から日本の技術やとか知恵っちゅうのは素晴らしいもんやっちゅう日本人の誇りをね、国粋主義になれっちゅうんじゃなくて、自分の生まれた家に誇りを持つ、自分の育った郷土に誇りを持つ、自分の学校に誇りを持つ、自分の師匠に誇りを持つ。

 蓮風 本当にいいものがあるのに、外ばっかり見て。

 岡本 外ばっかり。

 蓮風 はい。〈続く〉
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鍼灸師の藤本蓮風さんが「鍼(はり)」を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。春日大社の権宮司をつとめる岡本彰夫さんとの対談も6回目。今回は蓮風さんが若かったときの葛藤も打ち明けてくれています。目に見えないものは私たちにさまざまな影響を与えてくれているようです。お二人の話をうかがっていると、「目に見えないもののほうが大きな力を持つのではないか」「形とは一体、何なんだろう」という疑問が浮かんできます。私たちに見えるものなんて世界を構成するホンの一部なのかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 岡本 (蓮風さんが)こんだけ抜きん出てくるには、この道を究めて、きはった過程があると思うんですな。(具体的には)何を勉強なさったんですか?

 蓮風 最初は抵抗なんです。鍼を打ったり、お灸をすえたりしてね。治すのは治してる。それはわかるんだけど、華やかさがなかった。僕はどっちかというと派手な世界が好き。西洋医学がやってる、切った、はい治ったぞっていう世界が華やかに見えたんです、当時は。ところが、自分の方向と違う方向に行きかけたら、運命が止まってしまった。思うようにならん。今までは思うようになってた。やっぱり、先祖の力でしょうな。背いたとたんに全然患者に対する神通力のようなものがなくなった。それで、これは間違いやったんやなって。17、8の時までずっと病気がち。しょっちゅう先代に鍼してもらって助かった。そういう人間が、患いをもった人をどうして助けることができるか。悩みましたよ。それが無駄じゃなかった。それこそ、宗教とか哲学書をよく読みました。嫌っちゅうほど読みました。

 岡本 悩まんやつほど、どうしょもないの、おりませんもんね(笑)。悩んだやつは必ずどっか殻を破って出てきますからね。

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 蓮風 患者さんをね、1人、2人、10人と診ていく内に、「ははぁん、病気っちゅうのは、これの部分だな」ってちょっと見えてきたんですわ。今、先生がおっしゃったように、心や魂の問題から起こってるのが多いんです。本人は気づいていないけれども。それに気づいたとたんに私は元気になりました。そして、32歳から馬術をやりだしてもう一つ元気になった。人は“なんとか本願”と言うけど、私は“馬力本願”やなって(笑)。

 岡本 ふつう鍼の学校行ってみな鍼医者になりますやん。でも、鳴かず飛ばずの人がいっぱいおりますでしょ? せやけども、抜きん出て先生の鍼が効くっていうのは何が一番の理由だと思いますか?

 蓮風 やっぱり若い頃は自信がないですからね。その頃の患者さんまだ来てますねんけど、「先生若かったで。私、子供の頃喘息治してもらったで」って言うてくれますねん。それなりに道を求めてなんか、腕以上に効いたんとちゃいます?

 岡本 そこで先生ね、会得しはるもんてありますやん?

 蓮風 会得したものは、病気は治るということです。はい。鍼一本で必ず良くなるんだって信念みたいなもんができてきましたな。だから、難病だって聞いたらむしろ、チャレンジ精神が旺盛になって。

 岡本 職業に誇り持たんと絶対にダメですね。自信と誇りと確信とを持つっちゅうことがまず大切。せやけど、それ持とうと思ったらそんだけここ(腕)に自信がないと持てないですよね。

 蓮風 そうですね。やってもやってもダメやったらそれはできませんね。だからある程度できると、先生のおっしゃるように誇りとか、プライドみたいなもんができてくる。確かに人間は努力っちゅうんは大事なんやけれど、それだけじゃない。今、先生がおっしゃったように、背後にある目に見えないもんが大きく作用していて、自分が10の力だったら100の力まで持っていってくれるんですわ。だから、そういうことに知らん間に手を合わせていくという、そういうことに気づきましたね。

 岡本 それはわかる人やないとわからんですね。ここが難しいところです。わからんやつはなんぼしゃべってもわからない。

 蓮風 昔から教えている相当学問の出来る人に「お前、なんでも自分でやっていると思っているけれど、実は目に見えんもんがたくさんあって動いてるんや」と言ったことがあります。「お陰」ということに気づかないもんですから…。

 岡本 そこを会得するにはどうするか…。これは今言うてはる中に、ものすごくいっぱい秘訣がありますね。下手に聞いたら「なんかこの先生、宗教的にかぶれてはるな」と思う人がおるわけや。そうでないわけやな。せやから、なんか知らんけど、神と言うやら仏と言うやら、先祖と言うかわからんけど、人間の力の及ばぬものがあるんやわ。

 蓮風 前向いて歩いてるんやけれど、背中押してくれますわ。

 岡本 そうすると、後ろから押してくれるさかいに、追い風になる。せやから10の力が100にもなる。

 蓮風 ところが、ちょっとはずれたことを考えたりすると、力がいっぺんになくなります。ちょうど車のガソリンがなくなるように、アクセルなんぼ踏んでてもダメ。

 岡本 それには一つに「感謝」やな。それから「謙虚さ」っちゃうことやろうね。それと「腕に自信を持つ」こと「誇りを持つ」こと。こんだけつながったら先生みたいになれるけど、これがなかなかなれん。
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 蓮風 まぁでも、形のないものに目を向けろという話はものすごく大事なことで、東洋医学の世界は全く形のない世界で「気」という形のない世界が中心ですね。

 岡本 これがね、頭でわかっている人はいっぱいおるんです。ところが、会得するっちゅうことは「腑に落ちる」っちゅうこと。「腑に落ちる」ってことは「内臓に入る」っちゅうことやから、これはいっぺんやってこんとわからんちゅうことやな。

 なんで「神道」って「道」つくんかなって思ってましたけれど、日本は「剣道」「柔道」「茶道」「華道」ってみんな「道」つきますねん。なんで「道」つくんかなって思います。「医道」ってのもありますな。これね、いっぺんやって来いっちゅうことやっちゅうことに初めて、この頃になって気づきましてん。いっぺんやってきてね、踏んでこんとわからん。たとえば、ここにめちゃくちゃ熱い鉄板があって、真っ赤に焼けて、見ても熱いさかい触らへん。せやけど、これ、いつか触るんですわ。人間って悪いことすんなっていっても悪いことするんやから、ところが、いっぺん大火傷して「熱っ!!」って水膨れできたら二度と触らへん。これが「腑に落ちる」っちゅうことやね。今はみんな頭ではわかっとる。「あっ、そうやろな」って、せやけど腑に落ちてへん。自分がいっぺんえらい目にあってないからわからへん。藤本先生は下から這い上がってきはったわけや。だから腑に落ちた。だから心底鍼は効くって思ってはるねん。実践したけど間違いない。だから鍼は効く。

 蓮風 先生、これね、また自慢話になるかも知らんけど、北海道から肺癌で、血痰を吐いてね、息苦しくて息切れする患者さんが来たんですわ。最初は車椅子で来て、2日間治療を朝昼晩やって、うんと楽になったって言うて、ご飯が食べられる。最初の日、おにぎりを1つ食べて、昨日なんか2つ食べて、今日は他のをぼつぼつ食べられる。だから、形から見ると癌はあるんですけれど、形のない医学が形を制覇する。

 岡本 それすごいですな。

 蓮風 そういうのが、体感できるのでありがたい。普通のもんだったら怖がって触りません。

 岡本 せやから、毎日の治療でね、目に見えない偉大な力があるっていうことの証明を先生は体験してはるわけですね。

 蓮風 だから「よく見とけよ」って(弟子に言います)。よそではたぶん見れないからこれを見とけと。今すぐわからんかっても、必ずどっかで「先生はあぁいうことをほんまにやって見せたな」と、それが私の伝承ですわ。

 岡本 本当に教えることは至難なことやけれど、ほんまにこれこそ、腑に落ちて、会得してもらないかんから、この人ら(=蓮風さんのお弟子さんたち)も下から這い上がってもらわなあきませんわな。
岡本6-6
 蓮風 一種の修行ですな。それで、話が変わるんですが、私、春日大社のお祭りのNHKのハイビジョンで撮ったやつ、2時間かな、先生も出てこられて、あれを見て非常に感動しました。

 岡本 あれ、実はね、NHKにね、川良(浩和)さんっていうプロデューサーがおって、この人がNHKスペシャルを150本以上撮った人なんです。この人のやり方は違うんです。半年間勉強にくるんですよ。

 蓮風 神道の?

 岡本 はい。とにかくものを読む、それから体験する、これを半年やるんです。その次に…。

 蓮風 先生等と一緒にですか?

 岡本 そうです。泊まりがけで。それで、いろいろな体験をするんです。それからね、今の世の中でなぜこれをやる必要があるのかを求めるんです。その時点で初めて台本を書きはる。ただね、川良さんが来られたとき私は申し上げたのはね、神様ってのは目に見えない御存在だと、見てはならないものであると。それを映像で記すことは至難の業やと、けども神の気配というものはあると。それを川良さんはお撮りになりますか?って言ったら、やってみますって言ったのがあの番組の出発点なんです。

 蓮風 あれはね、真夜中。真夜中の1時、2時、3時、ずっと春日大社にあるいろんなお宮さんに全部挨拶に行って、お供えものをして、僕は詳しいことはわからないけど、敬虔な祈りがずうっと続くんや。そしたら、白々と空が明けていく。

 岡本 それもね、人に一切宣伝せぇへんかった。1200年間密かにやっているわけ。まぁね、遣唐使が持ってきた菓子をね、未だに作ってるんです。月に3回。「唐菓子」と言って。せやけども、1200年間ずうっと伝わっているわけです。その川良さんって人の偉いのはね、撮影しに歩くわな、その時にコード持って走っているお兄ちゃんまでそこに座らす。ふつうは担当者出てこいと、責任者にこうこうこうだから、みんなに言っとけよってこれで終わりますわな。あの人は全部座れって、そこで1時間半から2時間しゃべってくださいと。コード持って走っているお兄ちゃんまで、なぜこの映像を撮らないかんかっちゅうことが腑に落ちるねん。そしたらね、映像を普通の3倍撮ってね、始末書出しはったらしいです。ところが、聞いたらね、あの人は毎回始末書出してはるみたいなんです。その中からエッセンスだけを取る。
 ※注 1947年生まれの川良さんは現在もフリーランスの作家兼ドキュメンタリープロデューサーとして活動中で、ご本人に確認したところ「(映像は)普通の基準が難しいですが、3倍というか…。3倍から5倍は撮ってました。始末書を書いたというのは伝説で、正確には、なぜこんなに撮影しなくてはいけなかったかという説明のようなものを書かなければならなかったんです」と笑ってらっしゃいました。(「産経関西」編集担当)

 蓮風 映画監督の黒澤明って人がいましたね、あの人もものすごい撮るみたいですね。西洋でやってた、古典劇の、なんやったかな、馬の競走シーンありますやん? 戦車に乗って。あのシーンをね、実際映像を流すの15分ほどなんですよ。勝った負けた言うのはね。それを何時間も撮る。そん中で一番良いのを使う。黒澤明もそうみたいですわ。だから、あまり金にならんからね、「椿三十郎」をやった三船敏郎も仕舞いには逃げて通ったらしい。

 岡本 (費やす金が)安いってのはろくなもんにならんのですわ。でき上がりはやっぱり悪いですわ。

 蓮風 安もんですね?

 岡本 安もんですわ。本物はやっぱりね、時間も費用もかかってるんです。それだけに、ええ結果出てきますわ。

 蓮風 それはやっぱり「まこと」が通じるからですな。〈続く〉
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