鍼灸師の藤本蓮風さんが「鍼(はり)」の本当の姿を伝える「蓮風の玉手箱」をお届けします。春日大社の権宮司をつとめる岡本彰夫さんとの対談の5回目となります。今回は一言でいうといつも以上に「生きるコツ」が満載です。岡本さんの意外な過去の思いや名人芸にまつわる話…。もしかして悩みが思ってもみなかったことで解決するヒントになるかもしれませんよ。岡本さんの名人芸ともいえる話術が文字では、うまく伝わらないのが残念です。(「産経関西」編集担当)
蓮風 よく患者さんでおるんですよ。「私は無駄な人生を送ってきました」っていう人が…。「あんた何を考えてんや。もし本当に無駄って思ったらもう全てあんたの人生何もないんやで」っていうんですどね。
岡本 (対談の場にいる蓮風さんの弟子達に向かって)本当にね、皆さんもせいぜい寄り道せなあきませんで。最短距離っちゅうのは一番遠いねん。誰でも楽な方向に行こう思てる。最短距離行ったらえぇ思てるけど、最短距離はどう考えても失敗する。だからあっちで頭打ち、こっちで頭打ちした方がね、最終的にはえぇとこいきまっせ。えぇお弟子さん揃てはりますね。
蓮風 素直な子達です。
岡本 私ね、50(歳)過ぎたとこでね、いっぺん神主辞めよかな思たんです。
蓮風 あーそうですか。先生何年生まれですか。
岡本 (昭和)29年なんです。
蓮風 はぁそうですか。
岡本 ほんでね、だいたい50までにやらんないかん仕事ってひと通りしてますわ。50過ぎてね、してへん奴は60になっても70になってもでけへん思いますねん。ところがね、振り返ってみたらね、さほど他人様のお役に立てる事できてないしね、いっぺん50でね、仕切り直してもう一回人生歩めるなと思たんです。70まででもあと20年あるしね。自分はもうこの道を歩んで来ていっぺん卒業さしてもろて、今も道半ばですけど、全然違うことやってもえぇなと思たことあるんですね。せやけどなんやかんやしててグズグズしてて、よう飛びませんでね。結局今思てますのはね、後進の育成しかないなと思うんですよ。人材を育成していきませんとね、いろいろな勉強したかて、伝わっていきませんもんね。
蓮風 そう、それなんですよ。だから我々の方では伝統医学、伝承医学を伝えてきています。特に今言いたいのは、我々のバイブルは『素問』『霊枢』。2500年前の書物です。それが未だに我々の周りにおる人達の病気を治す原理なんです。凄いですよねぇ。そういう医学なんですよね。
岡本 だからそういう点ではね先生、えぇお弟子さん育てておられるのでね、お幸せやなぁと思て。
蓮風 でも、頭も打ちます。いろんな意味でね。こういうことなんだがなぁ…、違うんだけど…っちゅうことがありますけどね、しかしそういうことも含めて、まさしく私自身が"おかげ"を受けてるという風に思います。はい。ほいで50歳で道を変えようと思ったけどまた思い留まりはった。
岡本 はい。よう飛びませんでした。いや私もね、よう知ってる人で飛んだ奴がおるんですよ。それが某新聞社のね、企画部長を目の前にして、「企画部長になれ」って言われてんのに辞めた人がおってね。それがずーっと展覧会の世界におった人なんです。お金のあるとこはね、展覧会せんでもえぇっちゅうたんですよ、その人は。それよりね、そのお金もなくて困ってはるとこの展覧会をして、いかにこういうものが世の中に守り伝えられてのこっててと、いうのを出してあげたい、と言うてその人は会社を辞めました。同い年でしてね。ちょうど50の時に辞めてね、自分で会社立ち上げてやってますわ。せやからだいたいね、人生50年って言いますのは、一つの節ですね。うん、やっぱり寿命でなくて仕事の節目。だから50過ぎたら、ものの考え方を変えていかなあかんねんなってずっと思ってますねん。とにかく今私も及ばずながら後進の育成をさして頂けたらこんな有り難いなと思てますねん。
蓮風 なるほどね。
岡本 せやから先生らこないして実践してはるから大したもんやな思てます。
蓮風 「鍼狂人」と自分でも言うてるように、鍼の事しか考えとらん単純な頭やから、他が見えないんですよ。その中でね、2500年も続いてきて、その原理で未だに人を治せるっちゅうので、毎日が愉快で仕方がない。
岡本 一芸と言いますか、ひとつの道をずーっと来はった人の生き方とか、哲学っちゅうものはものすごく面白いですな。
蓮風 そうですか。
岡本 そういう意味では、これは余談ですけれどね。芸談読んだら面白い。
芸人さんの話。こんな話がある。鶴沢道八っていう三味線弾きがおる、文楽に。
蓮風 それは東京ですか?
それが(仇討ちものの)『田宮坊太郎』の話。お辻っていう乳母が坊太郎を育てる。その子になんとか(親の)仇討ちをさせてやりたいっていうので、お辻が寒い寒い時に水かぶって「南無金比羅大権現」、「その子に仇討ちさせていただきたい」っていう場面、それ弾きながら死ぬ。その豊沢団平のところに道八は弟子入りするんですわ。
『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』っていう芝居があるんです。それは、奈良の五条に半七っちゅう男がおって、大坂(大阪)の酒屋の娘のお園のところへ入り婿する。お園が16なんです。半七は入り婿するねんけど、女がおる。新町に三勝っちゅう芸者がおる。そこに入りびたって帰ってきませんねん。それで有名な「酒屋の段」というのがあって、店先に行灯が灯っていて、お園が出てくるわけ、それでなんぼ待っても半七が帰って来いひんさかいに、お園の口説きっていう有名な一節でね、「今頃は半七さん。どこでどうしてござろうぞ」って有名なところがある。
「今頃は半七さん」ってところで、三味線が「ツーン」ってひとつ、それをね、道八は団平の前で何万回弾いても、師匠は「うん」とは言わへん。「あかん」って言う。もう、気狂う程弾いたって、一つだけやで、「ツーン」っていうだけ。「うん」って言わへん。何年も経っても「うん」って言わへん。それで、もうあかんってことで旅に出るわけ。九州を巡業に歩いた。くたくたになって帰ってきてね、木賃宿の煎餅布団の中に潜り込んで寝ようと思ったんです。寒い寒い時に。そしたらね、どこからともなくね「チョビーン」っていう音が聞こえてくるねん。それが、身の毛もよだつほど寂しい音やった。それがどこにあるのか探し出したら、裏庭から聞こえてくる。裏には大きな古井戸があって、つるべがかかっとった。ひとつ上に跳ね上がっとって、ひとつは下にある。この上のつるべにたまった水が深い井戸に落ちていきよる。その音が「チョビーン」っちゅう音や。「これや!この音や!」と思ったらしいわ。それを帰って師匠の前で「ツーン」って弾いたら、それからは「あかん」とは言わんようになったっちゅう。この名人同士のせめぎ合い。ひとつのことをずーっと追求してきた人っちゅうのはね、神業を起こすんやわ。
それはな、とんでもないところに気づきがあるっちゅうこっちゃ。だから、算数の答えは国語にあるかもわからん。国語の答え算数にあるかもわからん。私だってそうや、今日ここに来させて貰って、藤本先生と話してたら、神道の答えが鍼にあるかもわからない。で、東洋医学の答えが神道にあるかもわからない。関係ないと思ったらあかんねん。我々だってキリスト教の人と話していてわかることだってあんねん。「あぁ、なるほど!」って。せやから勉強の中に無駄なんてない。それだけに常にやね、問題意識をもって歩いてなきゃあかんねん。問題意識を持って。そしたら、どこかで気づくんやわ。
蓮風 これは先生、うちの弟子どもにいいお話聞かせて貰って(笑)。
岡本 先生、うちの息子も言うこと聞きよらへん。よその人の言うことは聞くんやわ。いつもこのお弟子さんらも、ありがたみがわからんのや、先生の。だけどな、たまによその人の言うことを聞いたら頭に入ってくる。そんなもんやで。いっつもおったら、つい甘えがある。聞きゃあ教えてもらえる、見せてもろうたらわかるって思うさかいに、そこが甘いんやな。どないしたって、そこにゆるみが出てくる。だから、たまにこういうような全然違う世界の人の話を聞いたら、勉強になることがある。
蓮風 まったくそうですね。
岡本 すごいですよ先生。名人や。
蓮風 とにかく毎日ね、鍼を持って患者さんに対応するのが、ものすごい嬉しいんですわ。
岡本 まさに一芸や。
蓮風 いやいや。なんで先生そんなに面白いんかっていうと、毎日同じようなツボで、同じような鍼をするんやけれど、そこには新しい発見がある。それが面白い。それでずっときました私。若いとき喘息一つ治せなかったんですよ。
岡本 若い頃から鍼を目指さはったわけですやろ?
蓮風 それがな、14代も続いてまんねや。古い古い家なんです。
岡本 お父さんも鍼師ですな?
蓮風 そうです。代々そうなんです。代々つなぐDNAは、酒飲みやゆうことです(笑)。
〈続く〉