蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

タグ:竹本喜典


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奈良・山添村国保東山診療所での竹本喜典さん

 奈良・山添村の診療所で医療に取り組む竹本喜典さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談も今回で最後となります。僻地ならではの体験が竹本さんの眼を鍼灸に向かせる理由となったようですが、これは少子高齢化が進む日本全体にとっても示唆深いことではないでしょうか。医療費が国の財政に大きな負担となっている現状を考えても、西洋医学を軸とした現代の医療に、もっと東洋医学を取り入れるのはコストを下げる意味でも有効なことかもしれません。おふたりの対談では、病気を癒やすのは「医学」だけでなく社会や人間関係、環境、家庭も大きく関係していることがあらためて浮き彫りになった気がします。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 僕も鍼を持ち始めて半世紀ですけど、ある意味では失敗だらけですよ。だけど、それを何とか成功にするように努力をしていく。その中で段々と自分の医学、医療に対する考え方が豊かになっていく。これもありがたいことやなぁと思います。

 竹本 蓮風先生熱いですから(笑)。

 蓮風 ちょっとクーラー入れますか(笑)?

 竹本 いやいや(笑)。いつも先生の話を聞かせてもらっていて、熱いなぁと思って聞いております。

 蓮風 理想とする病院ができるとしたらどのような病院を作られますか? ご自身がね、ここまで西洋医学を知って、漢方鍼灸もわかって、僻地医療の中から人間とか病気とかが見えてきた。その中から自分が患者さんとして入りたい病院はこういう病院だということを聞かせていただければ。

 竹本 そうですね、病院を作ることなんて考えてもいなかったんですけども、僕としては…。治療とか形とかではなくて、人が集まる〈場〉みたいなものが作れたらいいなと思います。病気でしんどい人、病気を克服した人、何となく助けてあげたい人、その家族、何でもいいんです。通りすがりでもいいんですけど、そういう人たちが集まってそこで話をしたりとか、コミュニティとして成り立つような、そんな〈場〉ですね。

 蓮風 昔の床屋さんとかお風呂屋さんみたいな?

 竹本 そうなんだろうと思います。何となく人が集まれる場みたいなもので。そこに何となく人がいるだけで、癒やされるとか。

 蓮風 ホッとする?

 竹本 そうですね、面白い人が居たりとか、話をしてもしなくてもホッとして帰れる。別に医療でなくてもいいと思うんですけども。そんな場ができるのがいいと思うんです。どうしたらそうできるかわからないですけども、人の集まる場を。そこには命とかを考えられるようなパーツもあればいいなと思っています。具体的じゃないんですが。

 蓮風 いやいや。我々も色々理想を持っているわけですけども、いずれは「鍼灸病院」みたいなものをね、考えていますんで。その折にはぜひ先生にも参加していただいて。

 竹本 なかなか面白いと思います。

 蓮風 できるだけ薬を使わんとやっていく。東洋医学には「食養」というものがありますよね。本当の意味で陰陽を使ってね、「食養」などができれば一番いいし。それからね、僕が今まで診た患者さんの中ではほとんどがね、まず食べ過ぎ、いらんこと思い過ぎ、それから運動不足。これが三大悪というか、今の人間が病気になる原因の3大柱ね、そういうふうに思うんで、それを解消するようなことをしたい。私は乗馬をやっておりますんで。患者さんをそこそこ治療したら馬に乗せてね、楽しく運動させてあげたい。やっぱり田舎に行かんとあきませんかね(笑)。
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 竹本 そうですね、これからの田舎の役割みたいなものがもうちょっと出てきて、いい形で田舎が活き活きしてくれば、いいなと思います。田舎の人は都会から見た田舎の魅力をあまり知らないんじゃないかと。まだ都会に追いつきたいとの思いが強いように思います。そういうのがちょっとずつ変わってくれば田舎も生まれ変わると思うんですけども。

 蓮風 そうですね。それからやっぱり「食養」という面から言うと、新鮮なお野菜が必要だろうし、やっぱり田舎に行かんとあかんのでしょうなぁ。大体、東洋医学をやるっちゅうのはね、大自然の中に囲まれて自然の動きが分かるということが大前提になりますから。この間から異常気象がどんどん起こってますね、地震とか竜巻とかが。異常気象が起こるということは、当然、人間の身体にも影響出ます。まさしく東洋医学は「人と自然は一体だ」っていうことを言っているわけで、そういうのを大都会ではちょっと分からんのですよね。大都会で実際開業している鍼灸師が多いんで、私はもうせめて植木鉢を置いて四季折々に変化することを悟らないかんということをよく言うんですがね。田舎だとそういうことを考えんでもまさしく自然が教えてくれますよね。そういう自然の動きと、先生どうですか? 患者さんを診とって感じられることはありますか?

 竹本 やっぱり東洋医学でいうように病気の時期とか…。春にめまいが多いとか、きれいにハマっていきますね。湿気が増えてきたら湿気っぽいのが増えてきますし、上手いことできているなと本当に思います。ようできたもんやなと思います本当に。

 蓮風 田舎に行くと色んな水があるんですけども、水と人の病気との関わりについてはどうですか? 先生今まで経験なさったこと。

 竹本 それも東洋医学のことですけども、やっぱり湿気で悪くなるケースは大いにありますよね。山添村ではお酒もものすごい呑まはるんですよ。だから酒を飲んで悪くなる人も多いですね。甘いもの食べて湿気を呼び込んでいる人も多い。

 蓮風 赴任された僻地はこれまでに2カ所ですかね?

 竹本 あぁ、そうですね。

 蓮風 だからあっちもこっちも見たわけじゃないからあれだけども。

 竹本 場所によって違います。(以前、赴任した奈良の)下北山村は凄く海に近いんですよ。病気として上手いこと捉えることはできていないんですけど、すごく大らかで暖かい日を浴びて大きくならはってんなぁっていうのを感じますね。そういう意味ではちょっと山深い所になってくると、またちょっと違った感じであるように思います。

 蓮風 草木と一緒で育つ環境、日当たりとかね、それから水とか養分とか違うように、人間も育った場所でね。
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 竹本 (竹本さんが卒業した栃木県の)自治医科大は学生が各都道府県から2、3名ずつ来ますんで、言葉もですけど、凄く気質の違いってあります。北の人はやっぱりきっちりしてる印象ですね。相対的に南の方がのんびりした人が多かったような。みんなそれでまとめると怒られそうですけど(笑)。

 蓮風 私も若くして開業したんですけれど、けっこう遠くからも患者さんが来たんです。とはいえ関西が中心なんですけど、同じ関西でも地域によって言葉が違いますね。

 竹本 言葉が全然違いますよね。

 蓮風 高野山(和歌山県)の方から来る人の言葉、それから紀州でも南と北で全然違うし、だいぶね、方言がいい勉強になりました。その方言がね、実は人間をある程度規定しますね。そういうことが分かってよくモノマネしたんです。(ものまねタレントの)コロッケがね、形態模写っちゅうのをやるでしょ?

 それもね、何でやり出したかというと最初はね、膝が痛いとか腰痛とかが多いじゃないですか。それ、どこに力が入っているのかな?って研究するのにはね、真似するんですよ。こういう形で動いているのは股関節やな。これは膝へ来て、しかも膝の内側の方へきているなというふうなことを研究しとったんですよ。それから発展して訛りがね、意外と人間を規定しているなぁと思ってね。有名な「よろがわのみるのんれ、はらららくらりや」っちゅうの…。

特に和歌山地方でダ行やザ行がラ行に変化するようで、「ヨロガワのミル飲ンレ、腹ララクラリや」は、「淀川の水飲んで腹だだ下りや」の意味。

 竹本 知りません(笑)。

 蓮風 いや、あるんですよ。言葉や方言はやっぱり人間を規定していますね。ダラダラした言葉やけど、あの辺りが大らかさもあるだろうけどだらしなさ、そんなんがあるしね。

 竹本 温かいですよね。方言って雰囲気がみんなそれぞれのなにか。

 蓮風 先生は温かいっちゅうの好きやな(笑)

 竹本 好きですねぇ。そういう感じ。

 蓮風 そうかと思うと喧嘩腰に喋る、いわゆる河内の方言もあるし。河内も北河内、中河内、南河内とあって、それも全部違うんですよ。面白いなと思ってね。一生懸命研究しとったんですよ。一つずつモノマネしましてね(笑)。

 竹本 そうですか。先生がそんな訛りの研究までされているとは。

 蓮風 先生も色んなところからこられるなら是非モノマネしてみてね。

 竹本 下北山は南北朝時代の関係で、お公家さんの言葉が残っているんですよ。

 蓮風 あぁ、そうですか、例えばどんな?

 竹本 「先生、膝の注射してたもれ。」って言われましたね。そういう感じ。山添村はどっちかっていうと、三重県の方の訛りとか入っていますね。「やれこわい」とか言っています。びっくりしたら皆。

 蓮風 だから言葉というのはやっぱり生活と密着しているから、そこらの人間を規定しますね。あるいは人間がそういう言葉にしていくのかもしらんけども。非常に方言というのは勉強になりますね。

 竹本 懐かしいですね。その言葉を聞いたら「あぁっ!」て思い出しますよね、人の事とかも。

 蓮風 そうですか。いやぁ今日はなかなか面白い話を沢山して頂いて、それも短時間の間に相当濃厚な話を頂きました。僻地であれ、都会であれ、人間まるごと観察して、自然の状況にも合わせてきっちり治そうとする“温かい”医療が大事ですね。鍼灸医学は、本来、そういう医学であり医療です。ありがとうございました。

 竹本 ありがとうございました。<終わり>

回からは、医師で、公益社団法人京都保健会・吉祥院病院在宅医療部長の沢田勉さんとの対談です。

 

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奈良・山添村の風景=2013年10月11日

 鍼(はり)の可能性を探る「蓮風の玉手箱」は、鍼灸学術研究会「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんと、医師で山添村国保東山診療所長の竹本喜典さんとの対談の9回目をお届けします。これまで8回にわたり、おふたりのやりとりをお伝えしてきて、医療に従事する人々は「病気」ではなく患者さんそのものと対峙することの大切さを再認識したように思います。みなさんはいかがですか。現代の医療現場では木を見て森を見ないような状態が普通になっていないでしょうか。これは患者の側にとっても大切なことで自分の病巣や痛みだけを考えるのではなく自身全体の見直しも必要のようです。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 50年も(鍼灸師を)やってると、相当いろんなものに当たります。夫婦喧嘩の仲裁に入ったり(笑)、袋だたきにあったり、ヤクザが殴り込みに来たりね…。もう命懸けの事がたくさんありましたね。でも、そういうことも含めて、全体として人間を見た場合に、人間というのは可愛い存在だなというふうに思えてきたんですよね。だから先生がおっしゃったように患者さんが痛みや病気に逃げ込んでいる場合もあるというのは、推察なさった通りだと思いますわ。

 竹本 いろんな人がいて、いろんな性格とか、生き方があって良いんですよね。病気であってもいい時期もあるんだと言うことが、少しは腑に落ちるようになりました。(患者の行動や発言に対して)怒らんでもようなったいうのは、その辺に理由があるのかなとは思います。

 蓮風 なるほどね。で、まぁどうですか? 端的に患者さんとはどんなもんやと、それから人とは何なのか、これから医者を志す人とか、鍼灸を志す人に「自分はこういうふうに思うけどどうだ!?」っていう話があったら、お伺いしたいんですが。

 竹本 僕ね、南方熊楠が大好きなんです。ちょっと読んだ本に、熊楠さんが、「因」があって「結果」があるんだけど、そこに「縁」がないと起こらないというような考え方を書いていたように思うんです。

 蓮風 要するにその、種があるから発芽するとは限らない。そこには一定の条件が…。

 竹本 そうそう。その「因」が結果に変化するための条件である「縁」というのが、別の因果から起こっている。因果同士が複雑に重なってそれぞれが「縁」となっているって言ってはるんです。結局、何が言いたいか言うたら、患者さんと診療で交わるというか、それが、その患者さんの「因果」でもあり、自分の中で自分のまた成長の「結果」にもつながるものだ、というふうなイメージ…。

 蓮風 それは仏教的にまとめると、「因・縁・果」ですね。つながりと、いうことなんですね。

 竹本 そうそう、そうなんです。患者さん一人一人を診るというのは、患者さんを良くするということでもあるんですけれども、自分がやっぱりひとつずつ変わっていくための、その一つ一つの「因果」の重なりというような考えで生きたいなと思っています。

 蓮風 そうですね。私もね、この鍼灸をやりだしたのが21歳。で、それまではね、もうしょっちゅう病気してた。もう病気だらけで、今から思うと自律神経失調症もあるし、胃潰瘍みたいなのもあって、血吐いてた。だから親父にしょっちゅう鍼してもらって、まぁ、それはそれで助かっとったんやけど、なかなか治らん。

 開業して半年ですわ、元気になってきた。今の話聞いてるとね、患者さんを治すと言いながら、実は自分が癒やされとった(笑)。医療というものの不思議さというんか、「因・縁・果」の関係で患者さんとの関わりの中で互いに「因」となり「縁」となり、そして「結果」を作っていく。なんかこれがね、すごい、医療のね、本質を言い当ててるように思うんですよ。うんうん、素晴らしい! 先生、お悟りを持っておられる!

 竹本 医療じゃなくても、そうなんだろうと。いや、そんな宗教家みたいに…(笑)。

 蓮風 いやいや、そういうことでしょうね。

 竹本 そうやって関われたらいいかなと思います。

 蓮風 そうですね(笑)。わかりました。で、もうだいぶ終わりに近づいてきたんやけど、医療やってて、何が楽しみで、何が幸せなんですかね?

 竹本  やっぱり元気になってもらって「ありがとう」とか「ああ、ようなったわ」って言って、喜んでもらうのは幸せですね。というのと、また釣りの話になりますけど、「してやったり、よっしゃー」みたいなのがすごく楽しいです。「あれ?なんで治ったんやろ?」みたいな…釣れてしまった大物みたいなのは面白くないです。一所懸命考えて、狙って釣った魚っていうのは、大物じゃなくてもうれしいものです。同じように、自分の組み立てとか自分の仮説がうまくいった治療っていうのが、ものすごく嬉しいです。
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 蓮風 なるほどね。僕は『鍼灸医学における実践から理論へ いかに弁証論治するのか』という本をシリーズで4冊書いてるんですけど、あれ、お読みになりました?

 竹本 もちろん読みました。

 蓮風 ああ、そうですか。「もちろん…」ですか(笑)。 あの中で私がひとつ言ってるのは、医療とは結局「苦痛に歪んだ顔を喜びに満ちた顔に変えることなんだ」っていうこと。要するに、痛みもあり、それから病気で苦しんでいる姿もあるんだけれど、それがホッと救われる。病気によって治らんやつもありますやん、ねぇ? だけど「先生にここまでやってもらったから嬉しい」って言われた時にもう、猛烈な喜びが起こってきますね。

 竹本 頼りにされて、喜んでもらったら嬉しいですね。

 蓮風 まぁ、究極は同じこと言ってるんだろうと思いますけれども、先生はそれを魚釣りに例えておられるわけで、大物は大物で面白いけれども、小物であっても良いんだと。

 竹本 そうですねやっぱり。遊びと同じにしたら悪いですけれども…。

 蓮風 結果的に、喜びを与えたということ。それが大であろうが小であろうが構わんのやと、いうことですよね。同じこと言っておられると思います。

 竹本 喜んでもらって、必要としてもらえるっていうことと、その過程が面白いということですね。

 蓮風 そうですね。だから、医療の中にそういう心情的な側面と、何とかして治そうといった時にそのメカを考える。それは、我々は「弁証論治」というんですけど、弁証論治がうまくいった時にやっぱりとても嬉しいですね。

 竹本 はい、嬉しいです。

 蓮風 で、うまくいかんこともあります。例えば私の娘がね、悪性リンパ腫で、もうホント苦労して…。結局、向こうへ逝っちゃったんだけど、その同じ悪性リンパ腫でね、徳島からきている50歳代の女性をほぼ治した段階に入ったんですよ。だから、敵(かたき)とったように思って、非常に自分では嬉しいわけです。不可能を可能にする喜びみたいな…。先生はどうですか?

 竹本 まだまだ遠いんですが(笑)。もちろん不可能を可能にしたいです。魔術でもええから治したいとも思います。でも現実はそうはなかなかいかないので。

 蓮風 それはこれからですわ。

 竹本  そうですね。積み上げていく中で、そこまで、たどり着けたらいいと思います。〈続く〉

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竹本喜典さんが所長をつとめる診療所がある山添村の一角

 鍼(はり)の可能性を探る「蓮風の玉手箱」をお届けします。医師で山添村国保東山診療所長の竹本喜典さんと、鍼灸学術研究会「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談も終盤に入ってきました。毎回、読者としては「発見」があるのですが、8回目となる今回は特に興味深いことが語られています。先に“ネタばらし”をしてしまうと「治してはいけない病気がある」という考え方で、おふたりの意見が一致しています。意外な言葉ですよね。詳しくは本文で、ご覧ください。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 僻地で内科的な疾患ではどのようなものが多いですか? 高血圧の問題が出ましたけれども、他には?

 竹本 はい。色んな統計もあるんですけれども、やっぱり高血圧、糖尿病、高脂血症とか心不全とか慢性の肺疾患だとか、あとは整形外科的な問題とかいうのが多いんじゃないかと思います。

 蓮風 内科的な疾患というのはある程度限定されるわけですか?

 竹本 いや、そうではないんですけども、イメージよりはたぶん整形外科疾患が多いんじゃないかと思います。僕が整形外科というのももちろんあるんですけれども、ニーズとしては大きいです。

 蓮風 やっぱりこう農作業をする関係ですかね、生活環境とか。

 竹本 そうですね。(農作業をやっているので)ちょっとくらいは腰も痛くなるやろ、というのは、もちろんあるんですけれども、やっぱりあちこち痛くて辛がってはる人は多いと思います。

 蓮風 痛みですか。人間やから痛みはあるわけで、最も人間的な苦しみのひとつですね。苦しみというと宗教での救済も考えられますけど、先生は医学と宗教との問題には、どのような考えを持っておられますか。

 竹本 難しい質問なんです(笑)。もともと僕、宗教とか大っ嫌いだったんですよね。なんかこう、うまいこと人を束ねるために使うとるわと、そんな思いを昔は持っていたんですけど、今は必要なもんなんだろうと思っています。ただ頼ることで安心できて、うまいこと変われたり、安定したりする人が多くいると思います。自分の中での価値観とか倫理観みたいなものが、形となれば、ひとつの宗教なのかなと思ってます。

 宗教と痛み、苦痛がどうとは、あまり考えたことがなくて良い答えがありませんが、痛みがなぜ起こってくるかとか、それはメカニズムとしてじゃなくて、文脈的に考えるというんですかね。「こうこうこうやったから、こうならないと、しゃぁなかったんちゃうかぁ?」とか。「ブツブツがなんで顔にできるのかいうたら、それは外に見せなあかんから、できるのとちゃうかぁ?」とか(笑)。まぁ、なんかそういう物の捉え方みたいなのも、どっかではあってもいいのかなとか、そういう因果関係みたいなものをいろんな方面から考えてみたいなとは思います。全然宗教の話じゃないですけど(笑)。

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 蓮風 そういったことは結局のところ、病める人とは何か、患者さんとは何か、それから人とは何か、というところに関わってくると思うんですよね。ですから、まさに人さまざまで、もう色々ありますよね。極端な場合は、病気に逃げ込んだ方がその人の人生にとって楽なこともある。

 竹本 はい、治してはいけない病気があるってことですね?

 蓮風 そうそう「緩衝地帯」というかね。

 竹本 治らないんですよね、そういう人。

 蓮風 治しちゃいけない。で、そういう疾患に対してはどうですかね、先生だいぶ診られましたか? そういう人。

 竹本 引きこもっちゃう人とか、なんかいろんな理由があるんだろうというような人っていうのはありますし、確かにその人の一つの言い訳になってんのかなと思うこともあります。で、そういう人に対しては「そんなんやったらあかんやんか!」と、昔は思ってたと思いますし、今でもそう思っちゃう時もあります。だけども、そうじゃなくて、その人の生き方としての現時点での「形」かなというように思うようになりました。

 蓮風 そうですね、その「形」を病気として捉えるっていうことが必要か、どうかっていうことがありますね(笑)。生き方の「形」に向き合う場合は病気とは違うアプローチが大切になってきますけど、患者本人は病気ということで来るわけですし…。

 竹本 でも、それも含めて治したろと思うんですけど、まあ現実は難しいというか・・・。

 蓮風 難しい…。

 竹本 ちょっと目標として置いとこかっちゅー感じです。

 蓮風 そうそう。で、僕らも若い頃はね「コノやろ、なんだ、お前の考え方が間違っとるからそういうことになるんだー」いうようなことを常々思っとったけども、事実、そういう部分もあるんだけれども、しかし同時にね、こう幅広く人間を見つめた場合に、やっぱこういう苦痛があって、そこに逃げ込んでいるのが楽かなという人生訓みたいなね。人間理解においてそういう幅がないと、患者さんを本当の意味で救うことができない。

 私が宗教と医学の問題を取り上げた理由はそのあたりにあるんですよね。結局、病気も治さないかんけど、人間が救われないかんのですよね、それなりに安心立命が得られないといけない。医学的には、いろんな理屈はあるけど、救いとか、安心立命っていう部分には無縁ではいられないと思うんですわ。だからその部分は、単なる医学じゃなし、単なる宗教でもない、そういう部分がね、やっぱり患者さんを診る場合に大事やなというのがつくづく思うところなんですけども。

 竹本 なかなか、宗教家にはなれないですけど…(笑)。でも、段々そういうことを考えるようになったと思います。

 蓮風 そうですね。やがてそれがまた先生の人生を深くしていくし、医者としての深みも出てくると思うんですけれども。〈続く〉

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対談する竹本喜典さんと藤本蓮風さん=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の可能性を探る「蓮風の玉手箱」は、鍼灸学術研究会「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんと、医師で山添村国保東山診療所長の竹本喜典さんとの対談の7回目をお届けします。大学の医学部で漢方の授業が行われるようになって東洋医学への理解も進んできています。とはいえ、まだまだ様々な「壁」があるようです。終盤に入ってきた今回は、そんなお話が中心。僻地でトータルに患者さんと向き合う竹本さんは東洋医学の有効性を実感していらっしゃるようですが、現代日本の医療のなかで大きな存在感を獲得するには色々な課題があるようです。(「産経関西」編集担当)

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診察中の竹本喜典さん=2013年10月11日、奈良・山添村国保東山診療所

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 蓮風 大工さんが憧れだということをおっしゃってましたけど、先生の場合、単なる大工じゃなくてもっと有機的な全体をみておられるんだろうなという感じがしましたがね。

 竹本 田舎では(有機的な全体を)見ざるをえなかったので、そういう意味では、いい形だったのかなと思います。

 蓮風 感性的にもそういうものをもっておられると思いますね、先程からずっとお話を聞いていると。

 竹本 ありがとうございます。みんな持ってるんじゃないかなあと思うんですけれども、なんか世知辛い世の中でどうしても「マニュアルだけやっといたら問題ないねん」とか「余計なことやったら仕事増えるだけやん」とか、そういうのですごく足踏みしてるんやろうなと思います。

 蓮風 今、どうですかね。鍼を中心にやっておられる疾患はどういう疾患…?

 竹本 僕がもともと整形外科というのは、患者さんたちは知っていますので、田舎のメジャーな疾患としてあちこち痛いというのが多いんです。

 蓮風 痛みの疾患をね。

 竹本 痛みの疾患が多いので、その痛みをなんとかしてあげたいということで、鍼をすることが多いんですけども、実際には心の問題みたいな部分をターゲットにする方が、鍼も効きやすいような気がします。それが自分の中ではまりやすいパターンかなあと思っています。

 蓮風 うーん、なかなか面白いなあ。どんどん鍼をやっていただくとね…。まあ儲からんかもしれんけどね。鍼というのは儲からないんですよね。

 竹本  漢方・鍼は、儲からないです。時間かけて丁寧にやってもお金にはなかなかならないので。

 蓮風 ならないですね。えー、どうですかね。「北辰会」と関わっていろんなことを教わっておられると思うんですけれども、教育の仕方なんかどうですか? 先生なんかはシステムがきっちりした医大の中で生理学を学んでこられたと思いますけれども、東洋医学の教育はどうですか?

 竹本 東洋医学の教育は、まだなかなかちゃんとできていないのが実情だと思います。やっと(医学部に)授業のコマができて、まずは喜んでいる所ですね。それでも東洋医学なんて怪しいと思てる人も沢山いらっしゃいます。(非西洋医学的なものに対する)アレルギーをとるというんですかね、そういう役には立っているかなあと思います。東洋医学の教育としては、中医学の教科書なんかはしっかりしているので、あれを基礎としてとても優れていると思うんですが、小さいコマ数の中では絶対できないんですよ。

 蓮風 できない、できない。

 竹本 できないんですよ。入り口として、僕は東洋の哲学的なところがおもしろいと思うので、興味をもってもらえる人が増えてほしいんです。地域医療実習というのがありまして、診療所にも研修医とか医学生が来るんです。鍼とか漢方とかやっている診療所なんてほとんどありませんので、興味もってきてくれた人には、どういうものかを見てもらって、魔術的なものじゃあないねんよと。

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 蓮風 そうそう。我々がもう今から50年程前に鍼をもった時は、ほとんど魔法みたいに思われてた。まじないとかね。だから重い病気を患ってやって来て「先生、鍼を以前に受けたけど治れへんかった」と言うので、「何回やった?」と訊くと、1、2回しかやってない。まじない程度に考えている人が多かったですね。さすがに今はそうでなくなってきましたね。

 竹本 マジカルとしか思えないような技も見せてもらうんですけど、そうじゃないねん、ちゃんと理論があって、考えてやるとちゃんとできる学問なんやということをなんとか伝えたいなあと思って、お話させてもらって持って帰ってもらうようにはしてるんです。

 蓮風 そうですね。今、国公立の特に国立の医学部では、漢方の講義ができましたね、講座が。ところが鍼灸の講座ができていない。

 竹本 そうですね。

 蓮風 それだと偏っているんですよね。漢方やったら鍼灸もあるわけで。「北辰会」では、それにあった教科みたいなのをボツボツ書いているんですがね。

 竹本 すごいのができますよね。

 蓮風 そういうことでなんとか世の中に普及させたいと思うんですけれども…。

 竹本 政治的なものですかね…。それも大きいように思うんですけども。

  少し話が飛びますが…。

 蓮風 どうぞ。

 竹本 学生の時に実習先で「トリガーポイント」って言うて、「ここ痛いねん」という所に麻酔を打つわけですよね。何カ所か打って、痛いのとれたということが起きるんですよね。そら麻酔打ってるからやんかということなんですが…(笑)。僕は「え?、こんなにひどいことすんねや」と思ったんですね。関節への注射でもそうですよね。そのころは、基本的には麻酔は入れないですけれども、入れている時もあったんですよね。「そら痛いのとれるわ。麻酔やし…。それで治療やというのはどうなのよ」と思ってたんです。

 でもだんだんやっていくと、確かにトリガーポイントでも麻酔は数時間で切れるはずやのに、1週間ぐらい楽やったりするわけですよね。なんでかなあと思ってると、中に麻酔やのうて、生理食塩水でもええねんて言うて、薬効はない生理食塩水を注射する人もいる。水でもええんか!、ほんだらもうこれ刺激だけでもええんやんかという風になって、麻酔科の先生がちょっと鍼に興味もたれたりとか、痛みのペインクリニック的な部分で鍼にだんだんシフトしていくという方向性が鍼としては入っていきやすいのではないかなあと思っています。〈続く〉

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対談中の竹本喜典さんと藤本蓮風さん=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の知恵を探る「蓮風の玉手箱」は医師で山添村国保東山診療所長の竹本喜典医師と鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の6回目です。今回は竹本さんが実際の現場で、鍼灸を取り入れる難しさについて語ってくれています。やはり患者さんが受け入れてくれるきっかけが大切なようです。そして一般の人々も何でもかんでも医師に頼るのではなく自分の健康観をもって適切な治療や検査を受けるための心がけも必要なようです。医療に向き合う姿勢が個々の人生観の反映でもあるようですよ。(「産経関西」編集担当)

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 竹本 癌(がん)でターミナルケア(終末期医療)を受けているような方に対して、多少の心の安定やとか、痛みやとか、食べられないとか、そういうことに関して何とか関わりたいな、という意味では、漢方も鍼もがんばってます。でも、なかなか打ち勝つというとこまではいかないですね。

 蓮風 はぁ、今日はおもしろい話になりそうやね。そうですか。そうすると、今のとことりあえず西洋医学を中心に漢方・鍼灸を適宜取り入れながらされてると。

 竹本 そうですね。治せなかった時、怒られますんで。

 蓮風 ははは(笑)。

 竹本 最終的には患者さんにデメリットがないようにと思っています。

 蓮風 まぁ、これから先のことだろうけど、先生がビジョンとして持っておられる理想的な医療というのはどういう世界なんでしょうね?

 竹本 実際はバンバン治したいんですよね。それは一番の目標だと思うんですけど、現実にはなかなか難しい部分もたくさんあるかなと思いますし、何か意味があって病気になる人っていうのが実際にはあるのかなと思います。東洋医学的な視点も含めてですけども、この人のこうなっている意味みたいなものをフィードバックして、その人の生き方に上手く反映できるような関わり方というか、治療をしていきたいと思うんです。その中で東洋医学的な弁証で治療をする、効果を感じてもらう。そこから動機づけとなって、生き方とか考え方とか患者さんに良い変化が起きたらいいなと思っています。(漢方・鍼灸を理解してもらう)良いきっかけとして関わっていきたいです。

 蓮風 そうですか。

 竹本 僕も東洋医学とか中国哲学みたいなものとか、少しづつ勉強する中で何かこう自由に考えてもいいんだなというのがわかってきて楽に生きれるようになったという風に思います。

 蓮風 そうですか。楽になった。

 竹本 こうでないとあかんのんちゃうのかとか、こういう風にしていかなあかんゆうようなことたくさんある訳ですけど、実はそうでもないのかなと。で、患者さんに対しても「こうしてください」とか「塩分あかんで」とか、「これこんなもんばっかり食べたらあかんで」とかいうようなことをこっちも怒って言うてたと思うんです。少しは年を取ったのかもしれませんが、今は、患者さんのそういう生き方もあるなとか、いろんなパターンを許容出来るようになりました。それでも上手いこと患者さんに変って欲しいんですがね。

 蓮風 なるほど、なるほど。

 竹本 患者さんにももっとゆとりのある考えとか、楽に生きてくれたらいいのにという人、沢山いらっしゃいますよね。もう90に近いのに「1年前にMRI撮ったんやけど脳ドックに行った方がええかな。半身不随になったら怖いし」とか…。薬もいっぱい飲んではるんやけど、また新たに病院へ行くとか。それは、それで(余計に)しんどいんと違うかなと思うんです。「そんなん大丈夫やで。これ飲んどいたら」と言っても、その人の不安はなかなかとれないんですよね。その人の根本的な物の考え方とか、そんなんが90になって変わるのは難しいんでしょうね。図々しいかもしれないんですけれども、変わるきっかけになるようなお手伝いがしたいと思います。それが僕の中の理想です。
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 蓮風 先生は、ドクターになって僻地での医療を中心にやってこられたわけやけれども、いわゆる医療を初めて何年になられるのですか?

 竹本 15年…。16年目ですかね。

 蓮風 いいとこですね。ああ、なるほど・・・。

 竹本 そうですね。最初は一生懸命。こんな病気には、こうやっといたらいいよ。こうやっといたら問題ないよ。今で言うスタンダードというかマニュアルみたいなのを、やってきたと思うんです。このマニュアル治療でかなりの部分がカバー出来るんですが、実際に僻地でいろんな問題にあたると、(マニュアルだけでは対応できないケースがあるので)どうしたらいいのかというのを考えていくようになりましたし。

 蓮風 その部分ですよね。教科書通りをはずれてそういうものが見えたと。その延長線上で漢方・鍼灸もやられたということですね。

 竹本 教科書の奥にはもっと詳しいものが書いてあったかもしれないんですけど、僻地診療ではそういう原点みたいなものを勉強させてもらったと思います。

 蓮風 非常に大事なことだと思いますね。で、あの、鍼とのなれそめみたいなものは…?

 竹本 はい。その(診療所に置いてあった)ノイロメーター(前回参照)と、「北辰会」に入会したということも大きな所ですね。確かに、体表観察でいつも綺麗に分かるとは言えないんですけれども、問診や診察から病態を想定して鍼を打って、思った通りに上手く行った時は「よっしゃー」と思いますよね。これ面白いんですよね。

 藤本先生も釣り好きですけども、釣りもこの時期 この風…なら、あの辺に行けば、きっと釣れるやろう、餌はどうするとか、流す深さはとか、いろいろ考えますよね。そして、最終的に大物が釣れる。こういうのが面白いですね。鍼や漢方も、釣りと同じように、作戦の組み立て、そこに技術もあって、同じだと思うんです。こういうことが、楽しみというか、面白くてはまるというか。

 蓮風 なんか感性的に先生は漢方・鍼灸になんちゅうか十分なじむものをもっておられるみたいですね。

 竹本 それだったら嬉しいです。<続く>

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