蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

タグ:藤原昭宏


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藤原昭宏さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」


 現代医療のなかの「鍼(はり)」を考える「蓮風の玉手箱」をお届けします。医師で「藤原クリニック」院長の藤原昭宏さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の5回目です。前回は、痛みと心の問題がテーマでした。今回は、その続き。「魂」という言葉も出てきて、オカルト的な印象を受ける方がいらっしゃるかもしれません。でも一方で、人間を臓器などの“パーツ”別に考えてしまうことが本当に理にかなっているのでしょうか。そんなことを考えながら読んでいただくと、違う視点で身体を考えるきっかけになるかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 藤原 先生は常々、心から魂へつながっている、そこの問題について語られています。ところが、西洋医学(の教科書)では普通一般の内科学・一般の外科学で臓器別にずっーとありますけれども、それを書いているページが1ページも1行もないんですよ。それは精神科なんですよ。だから完全に分離されているんです。

 ところが、内科でも外科でも何科でも患者は主訴を「痛み」として病院に来て、その後も訴えている方がいっぱいいる。臓器別に教科書にしているけれども、慢性疼痛になればなるほど心や魂の問題に絡んできますよね。なのに西洋医学では全く述べられてなくて、ジャンルは全く別…。人間は身体(物質)だけでできているんだというような考え方ですよね。

 蓮風 物質ですね。

 藤原 物質ですね。でも、そうじゃなくて、身体を支える心がないと、人間は絶対、活動もできないし、病むこともないと思うんですよ。ですから、それを一体化させるところに、その意味があるしそれが人間を診るということなんだと思うんです。

 蓮風 面白い女性の患者がいるんです。カルテには名前と住所を必ず書かせますね。彼女の筆跡を鑑定してみたら、それがめちゃめちゃ当たったんです。女性やから結婚したら姓が変わりますよね、一般的に。男女両姓(別姓)でやる時代になってきているけれども、基本的には(入籍したら)男性側の名字をつけて、自分の名前とする。不思議なことに自分の名前のところははっきり書いているけれども、名字のところが薄いんや。おかしいなぁと。聞いたら夫は、そばにおるんだけれども離婚したいんですね。だから早く消したいという意識がでてくる。

 また勉強して下さい。結構あれがヒントになって、この人の心の一番の中心点はどこにあるんかということが見えてくるんですよ。だからそういう心の中でもレベルの高い部分だろうと思うんです。それをまた魂の一部だと考えてもいいんだけれども、そういうものが病んでくるといろんな病気が出てきますね。

 藤原 なるほどね。

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 蓮風 先生はそういう風に西洋医学を、ある意味高いところから見ておられるので、その分人間が少しずつ見えてくると思うんですわ。どうですかね。将来は東洋医学と西洋医学をどんな形で活かしていかはります?

 藤原 それはやっぱりね、先ほど言いました魂という所あたりをもってきますと、やはり人それぞれの宗教観にもつながっていきます。その人その人個人個人を支えるバックボーンのようなものが必要で、それは患者さん自身が非常に強くてバックボーンを自分で立てられる人もおれば、宗教にすがる人もいます。その宗教も神さんを信仰する、とか仏さんを拝むとか、いろいろとありますけど、魂という事まで考えると、そういう領域まで踏み込んで考えていくことになりますね。

 蓮風 そうすると「よろず教」みたいなものを作らんといけませんね。

 藤原 そうですね。だから西洋医学・東洋医学…今まで、その合作っていうかね、2つまとめてそれでどうのこうのというのはあったわけです。やっぱり2つを1つにしてやるんだということはベースにはなると思いますけれども、やはりそこには、人間というのは心があって、その根底をなしているのは魂なんだと。その心と魂を支えるバックボーンというのが必要なんだと。そういう医学というのが絶対に必要なんだということをね、やはりその考え方を医学教育の根底にもってきておかないといけないと思います。

 蓮風 本当はね。

 藤原 本当はそうなんですよ。

 蓮風 それをなんか最近では心療内科とかなんとか、ある意味あれ逃げですよね。

 藤原 逃げですね。全然種類が違いますね。魂のことなんか考えてませんからね。ですからそのことをちょっと考えた上でやらないと行き詰まるし、見捨てられていく患者さんというのがどんどん多くなる。本当に救われないというかね、本当の意味でね。臓器ごとには救われても、人間として救われるかという問題になってきます。難しいんですが、そういう認識で医療をやっていかないとだめなんじゃないかな、と思うんです。

 蓮風 なるほど。より具体的に言うと、病院の中でどういう風にもっていきます?

 藤原 う~ん、その考え方でいうと…。〈続く〉

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藤原昭宏さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の力を探求する「蓮風の玉手箱」をお届けします。医師で「藤原クリニック」院長の藤原昭宏さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の4回目です。今回は「痛み」は身体だけの問題ではなく「心」にも大きく影響されるという話です。西洋医学はそこで「薬」を使いますが、それが本当に患者のための治療になるのでしょうか。おふたりのお話は、そんな問題を私たちに問いかけてきます。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 先生もおっしゃるように西洋医学では痛みを取るんだけども、意識レベルも落とすなど、患者のライフスタイルを変えないと実現できないことがある。そうじゃないとこに鍼灸の魅力はあるし、安全性もある。

 ちょいちょいあるんですけど、お年寄りがね、舌の先が痛い痛いって訴えるけど、何やっても治らない。同じような例を何人か診ましたがね、多分あれはね、お年寄り夫婦2人で暮らしているとね、寂しいんだろうと思うんですわ。寂しくて仕方がない。それを何かぶつけたいんやけどぶつけるものがない。そうすると人間は痛みを覚えた方が心が楽なんですよ。

 子供がたいした傷じゃないのに包帯グルグル巻いて「痛い痛い」言うて大人に大事にされるのをものすごく喜ぶでしょ? お年寄りにそれが見られる。それに関わると我々でもエラい目にあいます。だからよほど客観視して、なぜそういう風になったかっていうことを見極めないといけない。でね、おばぁちゃんに多いんですよね。よく見ると、僕の経験から生まれた法則からすると、おばぁちゃんを物凄い大事にする旦那さんがおるんや。もうほったらかしにすりゃ、それはそれでいけるんやけど、そういう人に限ってね、甘やかす。おばぁちゃんを。そしたらこれが痛いって言ったら、あぁそうかそうかと。しょっちゅう自分の方を向いてくれる。

 藤原 おばぁちゃんからするとね。

 蓮風 だからそういうものについても、実際に鍼はしますけどね、どの程度のもんかというのは、よく冷静に見とらんとね、難しい点があります。

 藤原 私がすばらしいと思うのは、先生のそういう洞察力というんですかね。「あぁ~そういう風に見抜くんや」って何回も感心させられました。そこが難しいですよね。たとえば全然、このような鍼灸の世界を知らないペインクリニックのお医者さんは、そんな場合、すぐ精神科の薬を出すんですよ。ちょっと精神安定剤とかね。

 蓮風 あれをね、素人が悪口上手く言った言葉があるんで一つご紹介申し上げると、「あれは精神安定剤じゃないんだ」と。「じゃあ、何ですか?」と聞いたら「精神固定剤や」と言うんです。これ以上動揺せんようにはしてあるけど、決して安定してないんやと。上手い事言い当てたなと思うんですけどね。

 藤原 固定してしまうと医者は安心なんですよね。

 蓮風 そうそう。一応苦痛を言わんようになるから。
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 藤原 だけども先生おっしゃる通り、全然安定してないんですよね。“凍らせている”から。凍って(固定して)いるなとは思うけども、凍っている下はね、(安定せず)動いていると。

 蓮風 そうそう、表面は凍っているけど(笑)。

 藤原 そういう感じですよね、蠢(うごめ)いているという。

 蓮風 そうなってくると、医学の根本問題に関わって単なる物理的化学的な生命観では説明できない。

 藤原 そうですね。

 蓮風 そういうことですよね。非常に鍼灸はそういう意味で人間の生命とか人間存在みたいなものに非常に関わった医学やと元々私は思うんですけども。
     
 では次のテーマにいきましょう。東西の両医学を修めて、将来、どのような医療を理想とされておられますか? ここが一番のポイントなんですがね、先生は西洋医学もやってこられて、東洋医学も実際に鍼を持ってやっておられます。その中で、今後ももちろん発展していくだろうけども、どんな医療が一番、弱者というか、弱い患者さんを救う医療になるとお考えですか?

 藤原 これはね、この対談で、ちょっとずつお話ししてる通り、麻酔というものは非常に進歩しました。なぜ進歩したかって言うと、まず痛みを訴える患者さんの意識をとる薬を開発したと。

 蓮風 いわゆるオピオイドみたいな?

 藤原 そうですね。意識をとるというような。それが、ガスであったり、静脈麻酔薬であったりしますけれども、とにかく西洋薬でそれは解決したと…。意識をとれば呼吸抑制が来ますけど、それも気道確保という方法でその問題も解決したと。ですから、患者さんが苦痛を訴えないという(状態に)、その意識をとってしまう。でも(普通に来院する患者さんなど)活動している患者さんは意識をとるわけにもいかず、呼吸もしてますんで、そうすると身体の痛みとか意識はその西洋の薬でとれるんだけれども、問題は心。心の問題です。

 蓮風 そうですね。〈続く〉

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藤原昭宏さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 現代医療のなかでの「鍼(はり)」を考える「蓮風の玉手箱」をお届けします。前回に続き、医師で「藤原クリニック」院長の藤原昭宏さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の3回目です。今回は麻酔科を専門とされた藤原さんが“痛み”への無力感を覚えて鍼灸に関わることになったきっかけが語られます。そこからは投薬治療を重視する現代の医療の問題も浮き彫りになってきます。(「産経関西」編集担当)

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「藤原クリニック」のスタッフと談笑する藤原昭宏さん(写真左端)=京都府城陽市

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  蓮風 先生は患者さんの痛みを取ってあげたいということで麻酔科…、その中でも特にペインクリニックに関心を持たれたわけですが、それと鍼灸との関わりはありますか?

 藤原 鍼灸に興味を持ったのは結局、麻酔科のペインクリニックで当時用いてた、いわゆるテクニックというか……。

 蓮風 あの時は、まだ大阪医科大学の兵藤(正義)教授はおられましたか? ペインクリニックの開拓者なんですよね。

昭和38(1963)年に兵頭正義教授(故人)によって大阪医科大学麻酔科学教室が設立された。兵頭教授はペインクリニックの普及、発展に努力され、特に各種難治性疼痛の治療に、神経ブロック療法などの西洋医学だけではなく東洋医学を取り入れたことで有名である。(「北辰会」註)

 藤原 もう兵藤先生は大御所で、どちらかというと引退なさるような年齢でした。ですからペインクリニックはあったんです。当時、痛みを取るテクニックが何パターンかありまして、それの対象となるような疾患ですね、たとえば顔面の痛みについても、場所的にどこだったらどうするというパターンができてました。

 蓮風 そういうパターンがあるわけですか。

 藤原 そういうパターンができてまして…。確かにそのパターンにはまれば、取れるんですね、痛みが。ただ、そのパターンにはまる単純な痛みばっかりじゃなくて、それに当てはまらない、やはりお手上げな部分があって。そうすると鎮痛薬とか、あるいは麻薬とか、あるいは抗精神薬とかね、あるいは睡眠薬に頼るとか、そういう風に流れていって、どうしても限定されるんですよね。(当時のペインクリニックの治療の)対象となる痛みが、あるいは対象となる疾患ですね。

 それとご存じの通り、慢性の疼痛とかでずっと苦しんでいると、(患者さんも)精神的にやっぱり病んでこられますよね。そうすると、精神も絡んだややこしい痛みですね。普通では治しにくい難治性の疼痛、それから精神科の薬を使わなくてはならないような強烈な痛みですね。そういうものに対してやはり無力だというか、そういうものがやっぱりあるんですね。

  そうするとその痛みを取るためにはね、人間である事を、人間の尊厳を傷つけても、その痛みを取らなければいけないというようなね、そういうような除痛法。あるいはさっきも出てきましたけども精神科の薬でもって意識のレベルを下げる(ことも必要になってくる)。だから普通に仕事はできて、にこやかにして、食事も摂れて…。痛みはあるけども痛みと付き合っていける程度にまでなかなかならなかったんです。だから極端に意識レベルを落とすとか、もう寝たきりになっていて、痛みだけ取ってほしい(患者さん側からの望みに対応する)とかね。

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 蓮風 たとえば、座骨神経痛でね、寝ることもできない、寝たら痛くなるとかね、そんな事例もよくあるんですけれど、我々が治す場合は意識(レベル)を落とさんと治していきますんでね。多分ここら辺りも魅力あったんじゃないですか?

 藤原 そうなんですよ。そこがね、ものすごく違いましたね。生活のレベルというかね、スタイルをあまり変えずに仕事もできると。家事もある程度出来てというようなね。そういうQOL(クオリティー・オブ・ライフ、生活の質)を保ったままね、その痛みが取れていくという事が理想ですよね。

 蓮風 そうですよね。それを鍼灸の中に垣間見たと。

 藤原 そうですね。

 蓮風  直接は油谷(真空)くん(元・藤本漢祥院の副院長、現在は独立し奈良市・大和西大寺で開院している)のとこで?

 藤原 そうですね、ほんとはアレなんですよ。こちらにお伺いしたんですけども、私の母が最初、初診を油谷先生にとって頂いた関係で。

 蓮風 お母さんですか?

 藤原 はい。私の初診も、じゃぁ油谷先生にとってもらおうと。油谷先生がね、内弟子をされていた時代ですので、油谷先生に診て頂いて。まぁ余談になりますが、蓮風先生も当然おられて、あまりお話はその当時しなかったですけども、とにかく元気な先生がいるなと…(笑)。こっちはね、24時間の激務で疲れ果てて漢祥院にお邪魔したら、もうとにかく元気な先生がいて…。

 蓮風 私、そんなに元気でした? もう、このごろはね…(笑)。

 藤原 今もお元気ですよ(笑)。

 蓮風 このごろ、身体が弱ってね、身体を鍛えに回らんといかんので(笑)。

 藤原 もうね、なんなん? あの元気な先生! こっちはこんだけしんどいのにとか思って(笑)。〈続く〉

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藤原昭宏さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の力を探求する「蓮風の玉手箱」は、医師で「藤原クリニック」院長の藤原昭宏さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の2回目をお送りします。前回は弁護士志望だった藤原さんが医師をめざした“不純な動機”と、患者さんの根本的な悩みとなっている痛みを取りたいという一心で、麻酔科を選びペインクリニックに取り組むことになった理由をお話しいただきました(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 僕の聞いているところでは、ペインクリニックは麻酔科のジャンルだけど、日本ではかなり後になってできたんですか?

 藤原 そうですね。ずっと後ですね。麻酔というものが、まず根本にあります。手術をするときに、患者さんの痛みを取る、あるいは意識を取る。それから安全な手術がどのようにできるかということが麻酔の根底になっていますので、そっちの方をずっと専攻していました。だから外科手術というのがメインで、それをいかに上手く成功させるか、それを支える意味での麻酔科なんです。

 蓮風 そうですね。だからある意味で主役は外科のお医者さん、しかし、それを支えて主人公にしているのは麻酔科なんですよね。

 藤原 そうなんです。

 蓮風 だから非常に重要な部分に携わる。そういう麻酔を大分やられましたか?「京都きづ川病院」(京都府城陽市)などで。

 藤原 大分やりました。年間で400から500くらいは麻酔しますからね。

 蓮風 それは凄い。そういう中で先生が「痛みを取ってあげよう」「苦痛を取ってあげよう」ということをめざしたり、手術で痛みなく、上手く成功させようと麻酔に携わったりされて、何か思い当たることはありました? 生命とは人間とはちゅうような、ちょっと硬い話にも関わるけれども。

 藤原 手術の麻酔というのは、ほぼ8割方全身麻酔なんですよね。後の2割がいわゆる腰椎麻酔とかね、大体比率から言うとそんなもんなんですね。どちらにせよ痛みを取るということがまずポイントなんですね、まずひとつ、絶対に…。それで全身麻酔は、意識があってはできないような大きい手術、あるいはそういう場所(患部)の手術で、その痛みを取ることがまず第一。患者さんの意識を取るということが2番目になってきます。その2つをいかにして達成するかということが大切なんです。

 蓮風 苦労なさったわけですね。

 藤原 そうですね。それともう一つは、手術で何か合併症があったり、事故があったりというのは、あり得るだろうと考えられますでしょうけど、麻酔での事故というのは、ふつう想定されていませんよね。

 蓮風 そうですよね。

 藤原 患者さんも家族も。

 蓮風 これもし起ったら大変ですよ。

 藤原 もう大変なんです。即、訴訟なんです。患者さんの身体は意識がなくても安定しないケースがあるわけですね。だから、手術中、いかに安定させるかと、それは腰椎麻酔でもそうですし、全身麻酔でもそうなんですね。だからその3本をどうするかということが非常に課題でして。

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 蓮風 そういう中で、生命とは? それから人間とは?…というようなものにぶち当たったことあります?

 藤原 全身麻酔は意識を失って、そこから逆に意識を戻してくるわけですね。ということは、一旦何もわからない状態になってから、そこから意識が戻ってくるいうことですね。それが非常に不思議だなぁと…。

 蓮風 そうですね。

 藤原 そういう感じを常に持っていましたね。たとえば、心臓の手術ですと、一旦心臓止めますよね?

 蓮風 止めますよね。そして人工心肺にしますね。

 藤原 …ということはその間患者さんは、完全に心停止するわけで、その間、人工心肺で人工的に生かすわけです。そうするとその間、患者さんはどうなっているんだろうって。結局心臓が止まっているんだから、物理的には死の状態ですよね。そこからもう一回心臓を動かしてそれとともに意識を戻していくんですね。そういう凄いことをやってるなって。
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 蓮風 なるほどね。

 藤原 そういう気持ちはずっとありましたね。

 蓮風 実に神秘的な生命に関わっているんだと。

 藤原 だから患者さんの心臓止まっているけど、患者さんの精神とか心というのはどこにあるんだろうとかね…。

 蓮風 僕もそういう事をもの凄く考えますわ。いわゆる心臓が止まっても意識がちゃんとあったとかね。後から息戻った人が言うんでね、どないなっとったんかなって。

 藤原 臨死体験とかね。そういうのに繋がってきます。その間、患者さんの心、精神、魂はどこにあるんだろうとかね。

 蓮風 そうですねぇ。それとですね、歯医者さんでね、もの凄い恐がりの人が全身麻酔を受けてやるっちゅう話を聞いたんですがね(笑)。

 藤原 あります、あります。
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 蓮風 ありますねぇ。ところで、今でも(鍼麻酔は)現役なんですが、僕がかなり若かりし頃鍼麻酔で脳の手術を意識があるままにやっとった。見られました?…テレビで。

 1971年、中国を訪れた米紙「ニューヨーク・タイムズ記者団が鍼麻酔での手術を報道。現在でも中国では、麻酔薬が使えない状況の患者などに対して鍼麻酔を用いた外科手術が行われる場合がある。(「北辰会」註)

 藤原 いや、それは見た事ないんです。

 蓮風 あぁそうですか。あれ、一時話題になったんですよね。

 藤原 話題になったみたいですね。

 蓮風 はい。私あの当時、解剖学教室の方に携わっとったんですよね。一見魔術みたいやけど実際は頭皮を切っても、あれは脳の方は直接、痛みとかは感じないみたいですね。

 藤原 脳とそれから肝臓ですね、そういうものは感じないんです。

 蓮風 それが、中国が鍼麻酔を宣伝する時に大いに使ったんですよ。頭を開けているのに意識があるってどうですか、とか言って。具合悪くないとかかんとか言ってね。

 藤原 だから頭開けるまでは痛いですよ(笑)。いわゆる皮膚の表面、それから骨の骨膜と言われる部分ですね。

 蓮風 そこら辺りまでは痛い?

 藤原 そりゃ痛いですよ。むちゃくちゃ痛いです。

 蓮風 だから何らかの形で麻酔をやっとるわけやけども。

 藤原 そうですね。開けてからは痛くないです。

 蓮風 開けてからの部分をね、テレビで嫌っていうほど我々は見せられた。すごい事やってんなぁって。

 藤原 もうマジックですね。

 蓮風 素人はね、ビックリしたわけです。

 藤原 だから痛くない臓器、触っても痛くない、引っ張っても何しても。痛くないというとこを当時は利用したんでしょうね。

 蓮風 ある意味で我々も関わりがあるんで、鍼の威力を宣伝してくれた事に対してはね、非常に我々も感謝はするんだけども。あれはショー的な部分が多分にありますよね。

 藤原 そうでしょうね、プロパガンダにね、上手いこと使ったんでしょうね。〈続く〉


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初回公開日 2014.1.18
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藤原昭宏さん=2014年1月10日「藤原クリニック」

 鍼(はり)の力を探求する「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回から医師で、「藤原クリニック」院長の藤原昭宏さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんの対談が始まります。蓮風さんと北辰会ゆかりの医師の方々の対談は「和クリニック」院長の村井和さんから始まって藤原さんで第4弾となります。お医者さんが鍼灸に関心を持たれた理由はさまざまでしたが、その背景で現代医療の問題が浮き彫りにもなってきました。藤原さんはどうだったのでしょうか。まず初回は医師を志したきっかけからです。(「産経関西」編集担当)

藤原昭宏(ふじわら・あきひろ)さん

藤原クリニック(鍼灸・漢方・ペインクリニック)院長。兵庫県尼崎市出身。大阪星光学院高校卒業後、京都府立医科大学医学部へ入学。昭和62年同大学卒業、同年4月から同大学附属病院の麻酔科研修医、京都第一赤十字病院麻酔科、同大学附属病院麻酔科助手、京都きづ川病院麻酔科部長などを経て平成16年10月、京都府城陽市に同クリニックを開業。

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対談する藤原昭宏さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

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 蓮風 「蓮風の玉手箱」のドクターとの対談シリーズも先生で4人目となります。よろしくお願いします。まず、なぜ、お医者さんになられたか、というところからうかがいたいと思います。

 藤原 元々ね、私は文科系というか、できたら弁護士さんになりたいなと思っていたんです。それで文科系の勉強をずっとしていたんですが、たまたま当時ロッキード事件で、田中角栄さんが捕まった。で、大物弁護士をつけてですね、何億か払って、保釈されてしまうということがありました。当時は真っ直ぐやったんでね(笑)、なんで弁護士は、そういう人を弁護するのか、なんかおかしいじゃないかってね。

 で、単純ですから何か嫌になりましてね。じゃあ何をやりたいというものがないし、就職してサラリーマンになりたいという気もなかった。これは困ったなと思っていると、当時、医学部ブームがね、始まりつつあったんです。自分で言うのもなんですけど成績がイマイチの人達が次々医学部コースみたいなのに挑戦するんです。あの人らが行くんやったら医学部受けようかみたいな。文系やったんで、理系の勉強が必要やったにもかかわらず、無謀にも…。法学部に行くのをやめたのは正義感溢れてたみたいなところはあるんですけど、医学部を目指そうと思ったのはそういう不純な動機でした。

 蓮風 元々、法律の専門家になって弱い人を助けたいということが希望やったんやね。

 藤原 そういうことだったんです。

 蓮風 そんなイメージが崩れてしまったわけですね。じゃあ何が残っているかということで医学部に行きはったんですね。

 藤原 医学部ブームがあってね。そっちに行ってしまったという感じでね。だから患者さんを助けたいとかという具体的なことじゃなくて。

 蓮風 助けるということではね。

 藤原 弱者をね、助けるという気持ちはあったんでしょうけど…。
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 蓮風 なるほど。で、どうですか? 実際に医者になって。先生もう何年になられるんですか? 臨床やりだしてから。

 藤原 臨床15年ですね。

 蓮風 15年ですね。「きづ川病院」に長いことおられたみたいですが。

 藤原 そうですね。大学も長かったですし「きづ川病院」も10年以上いました。計らずもというか、当然臨床をやっていると、結果的にはね、お助けすることができた患者さんもいますし、助ける手術の手伝いもできました。ペインクリニックを通じて痛みで苦しんでいる人を助けることができる。そういう仕事に就けたのは、非常にありがたいですね。

 蓮風 良かったですね。

 藤原 良かったです。

 蓮風 そういう中で、最終的に専攻なさったのは麻酔科なんですね。これは何か理由があったんですか。

 藤原 これはですね、痛みの治療に凄く興味がありまして。

 蓮風 麻酔というよりもペインクリニックですね。

 藤原 そうなんですよ。とにかく麻酔が何者かというのは、大学でサラッと研修しているだけですので、実際はやったこともない。だから麻酔そのものがどういうものかというのは全然わからずに、ただただ患者さんの痛みが取れるんだと…。痛みというのは患者さんの悩みの根本の問題ですからね。そこに携わることができるんであったらこれはいいんじゃないかと。だから僕は麻酔なんかいいから、その痛みの治療をやりたいという一心で麻酔科を選んだということですね。〈続く〉

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