蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

タグ:鈴村水鳥


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鈴村水鳥さん=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の知恵を明らかにする「蓮風の玉手箱」をお届けします。小児科医の鈴村水鳥さんと鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の3回目です。難病を発症した鈴村さんが鍼で日常生活を取り戻し、ご自身の患者さんにも勧めて効果があったというのが前回のお話でした。今回はそのエピソードを受けた蓮風さんの質問から始まります。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 いろんな考え方があるけども、普通の生活をしながら治せたら最高ですよね。そういう意味では東洋医学は大きく貢献したと言えると思います。そういう事を通じて先生はいよいよ本格的に鍼を勉強しようという気持ちになられたと思うんです。先生は多くの鍼灸師をご覧になられたわけですが、先生の目から見られてどうですか? いい点も有るだろうし、悪い点もあるだろうし、鍼灸師のために、ぶっちゃけた話をしていただけるとありがたい。

 鈴村 私の存じ上げる鍼灸師の先生は、イコール「北辰会」の先生になってしまいます。ちょっと幅が狭くて(現実と)少しズレがあるかもしれませんが。「北辰会」にいらっしゃる先生方は非常に熱心ですね。

 蓮風 いわゆる(リラクゼーションを主目的にした)慰安鍼も受けていたという話しされていたじゃないですか? そういう先生達も含めて鍼灸師のイメージを、もしお持ちだったらお話し頂きたいのですが。

 鈴村 慰安鍼を行っていた先生も患者さんに優しい先生でした。でも、今は西洋医学がかなりネットとかで浸透している時代になっているので、鍼灸師の先生方がどれぐらい西洋医学に対して知識をお持ちなのかというのが知りたい所にはなります。患者さんからも質問されることが多いと思いますし、西洋医学は全く別物と考えず目の前の患者さんが西洋医学ではどのような治療を受けているかということは知っていらっしゃった方が良い治療に結びつくと思います。

 しかしお人柄とか熱意とかは本当に北辰会の先生方から感じます。堀内齊●龍先生(大阪・鶴橋「天晴堂鍼灸院」院長)=●:醫の酉が巫=も、村井和先生(内科医、和歌山「和クリニック」院長)も「ドクターコース」で、すごく熱心に教えてくださいます。同じ愛知県で開業されている先生方にもすごく細かく丁寧に患者さんのことを教えて頂いています。後はやっぱり内弟子の先生方を(初めて患者として)ここにきた時から見ているんですね。

 蓮風 なるほどね、おっしゃることは分かります。

 鈴村 すごい恩を感じていますし日々変化される様子に刺激を受けます。

 蓮風 これからまた色んな鍼灸の先生と出会って鍼灸といっても、いろいろあるんだなとお感じになって、そこからもう一回見つめ直して頂くと我々は有り難いと思っております。

 ところで、先生が鍼を持つことによって周囲、ことに西洋医学のドクター、看護師さんたちの反響はどうですか? かなりうさん臭く思われますか?

 鈴村 西洋医学のドクターたちからは正直厳しい視線を感じることは多いですけれども、看護師さんや薬剤師さんの方は受け入れがかなりいいようなイメージがあります。先日、簡単な導入ですが、東洋医学の講義みたいなものを病棟で看護師さん向けに行いました。メインは漢方薬の話になったのですが、アピールする良い機会でしたので鍼も持って行って、見せたり実際に少し打ちました。予想以上にレスポンスが良く、みなさん自分も受けてみたいと思われたようでした。

 蓮風 そういう雰囲気がありましたか?

 鈴村 非常に感じましたしその後も治療の質問などを受けます。
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 蓮風 それは味方になってくれますから、大事にせないかんですね。どうしてもドクターたちの場合は「わしらは医学の最先端や!」って、世の中が大いに認めた医学だという誇りがあると思います。西洋医学が大きな貢献していることも事実やけれども、同時にそれが全てかというと、そうではないということを訴えていくのが我々の仕事。その事によって結局、患者さんには色々な選択肢があることが広く知られて、その中で「こういう治療もありますよ」と言えたら、我々はもう納得なんですけれどもね。

 そういう事を知らずにして本当に不幸な最後を迎えたり、一生、薬を飲み続けたり…とかね、そういう問題を私はかなり鍼で克服できると思うんです。先生に頑張って頂いて、世の中にこういう医療もあるんだということを言ってもらえれば非常に有り難い。またそういう先生達を作り出す為に「北辰会」では「ドクターコース」というものがあってそこで(医師と)一緒にやって、鍼はこうなんだよ、ということを伝えたいということでやっているわけですね。

 話はどんどん進んでいきますけれども、ドクターになられて一番最初の感想は何でしたか?
  

 鈴村 すごい本当に嬉しかったんです。すごい幸せでした、本当に。

 蓮風 子供のころから願って来て・・・。

 鈴村 むちゃくちゃ嬉しかったです。

 蓮風 そりゃ、そうでしょうね。

 鈴村 それしか憶えていないんです。嬉しかったことしか憶えていないぐらい、嬉しかったんです。

 蓮風 しかし自然なことじゃないですかね。子供のころからそういう理想を抱いて頑張ってこられた、それが成就したという点では、そういうことだろうと思います。そして、ドクターになられて、もう研修医終わったんですね。

 鈴村 そうですね。5年目になります。

 蓮風 医者としての 今の感想があったらお聞かせ下さい。

 鈴村 正直な所、大変だなと思う所も多々あります。それは仕事の面とか忙しさだけではなくて女性医師として妊娠、出産をしながら仕事を続けていくうえでの大変さも感じることがあります。男性と同じように当直をし、土日も働くことは子供を持つ医師にとって容易なことではありません。大変なことは沢山ありますが、それでもやっぱり天職だと思っています。本当に医者になれて良かったと、特に小児科医になれて良かったと思っています。でもこれは、先生の鍼がなかったらやっぱり無理だったと思いますので、本当に感謝しております。

 蓮風 出会いというか、ご縁があったということだと思います。〈続く〉


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鈴村水鳥さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼の可能性を探る「蓮風の玉手箱」は小児科医の鈴村水鳥さんと鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の2回目です。大学2年生の夏に「尋常性天疱瘡」という難病を発症した鈴村さんは、蓮風さんの鍼で「人生と命」の両方を救われて、とても感謝している、と前回、お話しになりました。今回はご自身が担当された患者さんの症状が鍼による治療のあと、改善した実例を紹介してくださっています。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 ドクターになられて鍼灸を本格的に学ぼうとしておられますが、これからのご自分の医療の中でどのような位置づけをなさいますか?

 鈴村 医師になってから鍼灸の治療をしたいという気持ちはますます強くなってきています。絶対にやりたいと思っています、鍼治療を。これはもう誰に何と言われようが「やるんだ」と思っていますが…。そのためには2つ準備が必要で、ひとつは一人前の医者になる事です。(鈴村さんに蓮風さんの治療を受けるようすすめた)川嶋朗先生(東京女子医大)も、もちろん蓮風先生も私に「まずは一人前の医者になれ」とおっしゃいました。

 「まず西洋医学をきっちり勉強しろ」と。やっぱり小児科医として、ある程度のキャリアと勉強ができてこそ医師が鍼を持つ意味が深まるのだと思います。もうひとつは、鍼治療を行う場所と時間を確保することです。今はまだ臨床として鍼を打つ時間と場所がありませんが、西洋医学をある程度の所までもっていって周りから信用されるようになった時に、病院の中で鍼灸治療か東洋医学の時間を設けることができるように少しずつ確実に準備をしたいと思っています。この2つがそろって初めて医師としてできるようになるかなぁとは思っています。

 蓮風 そうですね。これは大変な事ですわ。先生は今、名鉄病院でしたかね? 名鉄病院はまさしく有名な病院なんで、権威があるわけです。そういう中で、(鍼灸を取り入れることに)好意を持ってくれている先生というのは実際は少ないでしょ?

 鈴村 そうですね。

 蓮風 それを打破するのはなかなか大変な事ですね。これは以前に対談した村井和先生(和歌山・和クリニック院長)も非常に悩まれた事なんで。一時期、私に相談なさってね、病院を辞めようかと言う風におっしゃたんだけども、なんとか残って。先生の力の限り一回鍼でもってやってみてごらんと話して、実際頑張られてここまでこられたわけです。

 色々大変な抵抗があると思いますよ。だけど先生がおっしゃるように非常にすばらしい医学やから、自分もそれで助かったし、それを人に試みて助かっていただきたいという思いでいっぱいだと思うんです。大変な事だけれど頑張ってやっていただきたいですね。こういう思いになったのは今までの経緯から自分の身体を通じて分かったというのもあるんだと思います。先生のところから私のところにA君が治療に来ましたね。あれもアレルギー性の腎炎の一種ですか?

 鈴村 少し異なりますが免疫が関与している腎炎です。

 蓮風 ネフローゼ症候群でしたね。非常に重い状態で。あの患者さんの簡単な経緯を言っていただけたらありがたい。

 鈴村 はい、3歳の時にネフローゼ症候群を発症されて、ご縁があってうちの病院に来院されました。ネフローゼの治療も最初はステロイド投与を行います。ガイドラインに沿って高用量のステロイドを投与していく形になります。ネフローゼ症候群のお子さんたちは初発のステロイドの治療で一旦は尿タンパクが陰性化することが非常に多いです。

 再発を繰り返さない子もいらっしゃいます。ただ彼の場合はステロイドを減量していった初期の段階からもう既に尿タンパクが出始めていました。高用量のステロイドで尿タンパクが抑制できないという事は次の一手として作用機序(薬物が生体に何らかの効果を及ぼすメカニズム)の異なる免疫抑制剤を重ねる事になります。その段階で別の病院に転院されましたが、単一のステロイド治療で緩解に持っていけないほどの難治例だったというふうに言って良いかと思います。
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 蓮風 それで鍼で何とかならんかということでうちに来られたんですね。この本題から少しずれるんやけども、体表観察でね、初診時、最も変だなと感じたのは左の膀胱兪だったんですね。こんだけはっきり出てたら治るわと思った。我々でも非常に難治性の疾患っていうのはあるわけで、もちろん。出るべき反応が出ないのが一番怖いですね。これは先生も勉強になるので覚えておいてほしいけれども。

 先生はもう「これ非常に大変や、これ以上西洋医学をやったら危ない」ということで私に相談なさったと思うんやけども…。特に体表観察で、この病気は大体こういう所に出るというのはあるわけですね。それがちゃんと出てたから、左膀胱兪に躊躇なく私はどんどん治療していったんですね。そうすると、だんだん良くなった。で、次に出てきたのが肝兪、胆兪のあたりに反応が出て「ははぁ?」っと思ったね。結果としては東洋医学で言う腎・膀胱に出たけども、根本はこれやなと。やはり肝鬱は大きく関与しているということでお母さんに指導をしたんですよ。「あんたからしたらそうでないかもしらんけど、実際物凄い(子供が)神経質で敏感やからもうちょっと扱い方変えなさい」と。そういうことを言って治療をやりだしたら、それからもう尿タンパクが出んようになって、徐々にステロイドと免疫抑制剤を減薬する事ができて、今はホンマに元気になりました。それからもう一つBちゃんの件なんですけどね、あれもけっこう西洋医学的には重いんですか?

 鈴村 そうですね、本当に難治性だと思います。癲癇(てんかん)という病気の一つになります。今はあまりに経過がいいので、診断さえも疑わしくなっています。乳児重症ミオクロニー癲癇とか、ドラベ症候群と言われているような癲癇があります。一般的な熱性痙攣ですと、大体1歳くらいから起こってくる事が多いもので、繰り返す事はあっても熱が出るたびに発作になる事は少ないです。

 ただ彼女の場合は生後6カ月から初発の痙攣発作があって、それも両側性ではなくて片側のみの発作から始まって全身に広がるという形でした。その後も発熱の度に痙攣発作を繰り返していた。診断としては発作型とか、脳波とか、遺伝子診断などで決まります。ドラベ症候群という病気で患者さんにとって重要なことは、痙攣発作はもちろんですが、徐々に進行する発達の遅れという問題があります。喋れていたものが喋れなくなったり…。

 蓮風 それは今のところないですね。

 鈴村 ありがたいことに発達も進んでいます。

 蓮風 おまけに遺伝性という問題がありましたね。僕も癲癇はいくつか治したんだけども、そういう点では初めてですね。最初の頃は治療しても「先生、また発作が起こった!」って言う。「あれっ?おかしいな?」って。これもね舌と脈と体表観察やって、間違いない、これで治ると。最初はね、物凄い光に敏感でしたね。どうも発作を起こした時には特殊な光というか太陽の光にも反応したし。最近はね、ペンライトで照らしても何とも反応しない。これは私はイケたと思った。鍼の配穴からしても、確か、肝鬱気滞と肝気逆証だね、と先生にお伝えしましたね。

肝鬱気滞・肝気逆証:東洋医学でいう「肝」の臓が病んで、本来のびやかにめぐるべき「気」が鬱結して停滞するのが肝鬱気滞。そして、それが熱化すると気が上へ上へと昇って、いわゆる「のぼせ」状態となる。これを肝気逆という。治療としては、肝の臓をのびやかにさせ、鬱滞した気をめぐらし、昇った気を下へ下へと向かわせる必要があり、漢方では柴胡加竜骨牡蠣湯がその代表方剤である。

 鈴村 はい。なので、柴胡加竜骨牡蠣湯を処方しました。

 蓮風 あれも当たっとったと思うんです。だからこれまでの話の流れから言うと肝鬱のもう一つキツイやつなんですね、あれは。それを鍼と漢方で解いていったんです。

 鈴村 本当にありがとうございます。おふたりのことはとても大事に思っています。お子さん自身もご家族も治療を頑張っていらっしゃいましたし、どうしても助けたいと思っていました。先生には心から感謝しています。

 蓮風 いやいや。そういう先生からのご紹介の患者さんもそういう経過をたどって非常にうまくいった。そういう事も重ねてこの鍼に対する興味も湧いたと思うんですがどうですか?

 鈴村 もちろん西洋医学でも他の治療の選択肢は残されていたと思います。沢山の免疫抑制剤を重ねるとか、抗癲癇薬を何種類も重ねていくとか、食事の療法でケトン食といわれる治療を行うなど、幾つか選択肢はあったとは思います。ただお母さんから発せられる全身のSOSみたいなものですね。入院中にお話したり、見る雰囲気が「助けてください」って全身で言っている感じがありました。(先に述べた患者さんの)おふたりのお母さんはとても賢い方なので、今後どうなっていくかというのも多分調べられていたと思いますし、予後についてもある程度予測がついていたと思います。西洋医学で薬を重ねていく事によっても治る見込みはもちろんあったと思いますが、彼女や彼が「家で元気に生活する」というところをお母さん方は望まれていたと思います。

 蓮風 入院したまんまで普通の生活ができないのと違ってね、なるほど。

 鈴村 私は先生の鍼治療で日常生活が営めるようになりました。そのことを患者としてとても重要視しています。病気になった時に「5年後に生きている保障がない」気がして泣いていました。当時は「治りたい」と思っていましたが、今は治るのではなく「付き合っていく」ことが必要だと分かりました。

 しかし、患者が病気とともに生きる上で「ただ生かされている」という状況ではなく「実感が伴うように生きている」ということが大切だと思っています。本音を言えば、多量の薬や治療をして何とか生きているという現実を望むのではないのです。生きていればやりたいことが出来て、希望も出てきます。私自身も患者さんに生活制限や運動制限などをすることもありますが、できるだけその子の望みを叶えてあげたいと思います。病気の関係で日光に弱い私が日傘をさせば外を歩けるということと同じことで、少しの助けがあればもっと救われることが多いと思うのです。小さいけれども患者さんにとっては日常を生きることが一番大事でその生活を守っていきたい。

 だから、ただ単に「生かされている」というわけではなくて、実感を伴って「生きている」というところに患者さんの治療のゴールを持って行きたかったのです。〈続く〉


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初回公開日 2014.3.29

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鈴村水鳥さん

 鍼の知恵を明らかにする「蓮風の玉手箱」は今回から新しいゲストの登場です。鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんと、語りあっていただくのは小児科医の鈴村水鳥さんです。医療に取り組む真摯(しんし)で誠実な姿勢が初回からも伝わってくるはず。このシリーズで対談されたメンバーのなかでは最年少です。まずは医師を志した理由からお話が始まります。(「産経関西」編集担当)

鈴村水鳥(すずむら・みどり)さん 
小児科医。1983年(昭和58)年愛知県生まれ。私立滝高校(愛知・江南市)卒業後、2003(平成15)年、東京女子医科大学入学、09年3月、同大学卒。同年4月から名鉄病院で初期研修医のスタートを切り「北辰会」入会。11年4月から同病院小児科勤務し13年10月から名古屋大学医学部付属病院小児科勤務を経て14年4月から名鉄病院小児科に復帰予定。

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対談する鈴村水鳥さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

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鈴村先生、蓮風の玉手箱へようこそ。

 鈴村 よろしくお願いします。

 蓮風 鍼灸を知って治療に取り入れている若いドクターたちに医療・医学のビジョンについてうかがっています。村井和先生にはじまり、竹本喜典先生、沢田勉先生、藤原昭宏先生ときて、本日は鈴村先生にお越し頂きました。まず、どの先生にも聴くのですけれど、そもそも、なぜ、お医者さんを志向なさったのですか?

 鈴村 まず、生まれてくることができて良かったと思っているからです。この世に生を受けて、幸いにも私は家族や友人や周りの人に本当に恵まれて過ごしてくることができて、生まれてくることができたからこその邂逅みたいなものに感謝することが多くありました。その感謝の気持ちを何かの形で還元していきたいと思い、何の仕事に就こうかと考えた時に、人の生命に携わるような仕事に就きたいと思い志しました。

 蓮風 なるほど、お礼という意味ですね。

 鈴村 そうですね。

 蓮風 その中にドクターという道を選ばれたということですね。他にも世の中の役に立つことはいくらでもあると思うんです。どんな仕事でも世の中の役に立たないことはないと思うんですけど、特にドクターを選ばれた理由は?

 鈴村 ちょっと多感な時期だったというのもあると思うんですけど…。

 蓮風 それはいつごろ決心なさったんですか?

 鈴村 小学生のころに。

 蓮風 凄いなぁ!

 鈴村 幼稚園のころから憧れを持ち、小学生から医師になりたいと思っていました。その後、中学に入って本格的に進路を考えた時に、学校の授業でアフリカとかの貧困の中で生きている子供たちの写真を見る機会や、闘病生活をしている子供の写真を見るチャンスが何度かありました。

 その時にこの子たちは「自分たちが今幸せと感じていて、生まれてくることができて良かったと思うことができるのかな」と思ったんですね。ちょっと大げさな言い方かもしれませんが、この世の中には要らない人は誰もいないと思っていて、自分のことを肯定できないような環境にいる子達に、自分は必要な人なんだよというメッセージをおくりたいなと思いました。めざすものは子供だったので、小児科医というものを最初から目標にしていました。

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 蓮風 なるほどね。そういう理由からね。わかりました。先生は我が漢祥院(=蓮風さんが奈良市で開いている「藤本漢祥院」)に来られた患者さんの一人なんですけど統合医療で日本でも有名な川嶋朗先生(東京女子医大)のご紹介で来られましたね。ここへ来るまでの経緯について教えて頂けますか。

 鈴村 まず大学2年生の夏に「尋常性天疱瘡」という病気を発症しました。簡単に言うと自己免疫疾患の一つで、難病指定にも指定されている病気です。身体のあちこちに水疱なり糜爛(びらん)が生じる病気です。私が受けた治療法としては、ステロイドの内服と血液を出して、濾過をして抗体を除いた上でまた元に戻すという血漿交換を受けました。分かりやすく言うと透析と似ています。

 蓮風 そうですね、透析ですね。

 鈴村 はい、それを受けました。やっとなんとか退院に漕ぎ着けて、どうしても学業を続けたかったので、大学に通いながら治療を続けていました。退院後の講義で腎臓内科の川嶋先生の授業が2年生の秋にありました。腎臓内科の透析室で治療を受けていたので、川嶋先生は私のことを噂でご存じでした。授業後に分からないことがあって質問に伺った時に、川嶋先生から「君が天疱瘡の子だね。いつかステロイドをゼロにできるからね」と言って頂いたんです。

 西洋医学のドクターでステロイドをいつかゼロにすることができるなんて言って下さる先生は初めてで、本当に嬉しくて涙が出ました。最初は川嶋先生の漢方の治療とかを受けながら、ステロイドも内服していましたが、どうしても自己免疫疾患なので再発の影がちらついてしまいました。私も半年くらいでやっぱりまた抑えきれずに、水疱がちょっと出たりしていて、根本的な治療を模索していた時に川嶋先生から「奈良にある藤本先生のところに行ってみてはどうか」と言われたのが来ることになった経緯です。

 蓮風 そうですか。西洋医学の治療では、透析とステロイドですか。

 鈴村 血漿交換とステロイドですね。あと免疫抑制剤の投与ですが私の場合は断りました。

 蓮風 そういう治療を受けられて、川嶋先生と縁があって鍼を受けたらどうや、ということで来られたわけですね。これが鍼灸との初めての出会いだったと思うんですけど、どうでしたか、感想は? 西洋医学の殿堂というか、お医者さんを作る学校におって、しかも大学病院もあって、こういう所へ紹介されたということは、率直なところどうでしたか?

 鈴村 学生のころから肩こりは酷(ひど)かったので、慰安鍼としての鍼灸接骨院には通っていました。ただ、こちらに伺って、本当に全く違う鍼灸医学としての医学を受けることができました。問診の長さもそうですし、体表観察の仕方もそうですけど、まず鍼を1本しか打たないということに衝撃を受けました。ただ受けた初日から、口の中に水疱ができて、その日の夜いつもの症状とは違う細かい小さい紅斑が身体中に出て、痒(かゆ)くて一睡もできませんでした。しかし、そういう反応が出たことで「これはいける」という確信めいたものを掴んだ事を覚えています。

 蓮風 そうですか(笑)。普通はそれが副作用と違うか、とかね、そういう風に取るけれど。先生はそうじゃなしに好転反応であろうという風に捉えられたわけですね。

 鈴村 そうですね。

 蓮風 治療はだいぶ続けましたね。

 鈴村 そうですね。今年で約10年になります。

 蓮風 今なお予防も含めてやっているわけですけども、我々の方から言うと非常に敏感なお身体で、それから何でもかんでも皮膚が反応するような印象が残っていますね。その大本(おおもと)は何かというと、我々の病の分析の一つである「肝鬱」ですね。精神的に非常に敏感で、様々な現象が起こる、それが人によっては頭痛であろうし、腹痛であろうし、それから現在であったらアトピー…。アトピーなんかほとんどそうなんですね。そういう類いのお身体であったと思います。それを一生懸命治すようにして、最初は鍼とお灸を使いましたね?

 鈴村 はい。あと漢方薬も内服しました。

 蓮風 川嶋先生が非常に私を信用してくれて、何とかせないかんと思って、悪戦苦闘はしたんですけど、まずまず成功はしたんですね。はっきり言って医学部卒業できるかなという位に思っとったんだけども、先生はちゃんと卒業なさったし、ドクターに実際なられたし、ご結婚もなさった。そういう点では心も身体も非常に素晴らしい状況になられたというふうに思っております。そこで、慰安鍼というふうに先ほど仰っておりましたけども、肩こりはやっぱり子供のころからありました?

 鈴村 そうですね。受験勉強をしていた事も関係あると思いますが、酷い肩こりがありました。

 蓮風 それいくつ位の時からありましたか?

 鈴村 小学生ですね。

 蓮風 やっぱりね。だから、そういうようなものがやっぱり「肝鬱」がきついのを指し示している。だからその時点でもっとキッチリとした手当てをしとったら、ああいう病気も発病しないというふうに僕は思ったんですがね。でも、なってしまったものは仕方ないので、ここへ来られて一生懸命必死になってやったし、あなたも頑張ってね、東京の大学からずっと続けて来られました。よくやって来られたんですけども。

 鈴村 今の私の生活状況とか身体の状況があるのは、本当に先生の鍼の治療のお陰です。この事を本当に今日はちゃんと伝えたくて伺いまして、先生の鍼がなければ今のこの状況は絶対に保ててなかったと思いますし、命と人生を両方救って頂いたと思って心から本当に感謝しています。〈続く〉

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