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藤本蓮風さん(写真左)と川嶋朗さん(同右)=奈良市「藤本漢祥院」
鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は東京有明医療大学保健医療学部鍼灸学科教授の川嶋朗(かわしま・あきら)さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表の藤本蓮風さんとの対談の2回目です。前回は川嶋さんが子役をしていた少年時代に足の痛みに悩みながらも“医者恐怖症”で、それなら自分で自分を診察できるように医者になろうと思ったという医学の道を志すきっかけが話の中心でした。さらにもう一つ医学部に進学した動機があったようです。(「産経関西」編集担当)
川嶋 もう一つの理由は、僕が中学生のときに母がリウマチを患いまして…。当時の医療というのは、かなり今よりもプアーで、なかなか痛みがおさまらない日々が続いていたので、それをなんとかしたいという思いもありました。医者になってしまえば、医者にかからなくてすむし、母の病気もなんとかできる。いっそのこと、一番嫌いなものになってしまおうと思ったわけです。
蓮風 あー、そういうことがきっかけやったんですね。
川嶋 はい。
蓮風 何人か若手のドクターたちと話したんですけど、やっぱり自分が子供のころから身体が弱かったとか、それから、まぁ中には代々お医者さんやってるから問題なく医者になったという人もおりますがね。やっぱりその、きっかけが子供のころの自分ないしは周辺の人々の病気がなんとかならんかということが多いみたいですね。
川嶋 そうですね、ですから最初は整形外科医になるつもりで、大学(北海道大学医学部)へ入ったんです。
蓮風 うん。
川嶋 そのころから診断技術が進歩してきて、在学中に全身を撮れるCTスキャンが初めて札幌市に入り、「撮るか?」と先輩から言われまして…。「ではお願いします」と…。そこで(痛みの)正体が“バレました”。右足に腫瘍が見つかった。20年以上経ってますから、さすがに悪性ではないだろうと…。
「これを取ったらどうなりますか」と質問したら「お前のは相当に周りの組織に食い込んじゃっているから、いっぺんにガバッと取ることになるのでしばらく歩けなくなる」と言われました。僕はテニス部にいて、痛いながらも、普通に運動はできていたので「だったらいいです」と。「将来どうにもならなくなった時には切ってください」とお願いをして、結局、現在に至っちゃいました。ですから、昔、今みたいに診断技術が進歩していれば、たぶん子供の時にも分かって(医者になっていなかったかも知れず)今の僕はなかったかもしれません。
蓮風 (それまでは痛みの正体が腫瘍だということも切ってないから、はっきりとはわからなかったんですね。)うんうん、なるほど。私も小池(弘人)先生※から、ちょこちょことは聞いておったんやけれども。※小池統合医療クリニック院長。群馬大学医学部非常勤講師。川嶋さんの教え子。(「北辰会」註)
川嶋 はい。
蓮風 先生が腎臓内科の非常に優れた先生だということを聞いておりましてね。
川嶋 いやいや。
蓮風 そうすると、そこからなぜ「統合医療」が出てくるのか、どういう結びつきがあったのか。ここらあたりについてちょっとお話ししていただければ。
川嶋 これは今の話とも関係してるんですが、やはり医学に対する不信感が当然最初からあるわけです。どこ行っても、どんな著名な先生に診ていただいても僕の(足の痛みの)診断はつかなかったわけですから…。
蓮風 うん。


川嶋 それからもう一つは、母のリウマチがコントロールできない。夜間泣きながら痛みを訴えることもありました。もちろん色々な民間療法などにも手を出しましたが、良くならず。ところがある日、一人の女性の鍼灸師に出会い、治療した日から夜スヤスヤ眠ったんですよ。
蓮風 ほーう。
川嶋 いや、これは侮(あなど)れないなと。
蓮風 (笑)
川嶋 ですからもう中学校のころに、鍼の良さを…。
蓮風 それが鍼灸との最初の出合いですか?
川嶋 そうなんです。
蓮風 はぁ~。
川嶋 これは何だ?というところからなんですね。
蓮風 (笑)
川嶋 で、まぁ僕もそこを訪れましてね。足が痛かったので、治療してもらった。僕は治るわけはないんですけど、腫瘍ですから。
蓮風 はい。
川嶋 ですけど、鍼は痛くないことがわかりました。鍼を刺すなんて、僕は大っ嫌いな注射みたいなものか、と思っていたんですが、そんなことはなくて。足そのものの痛みや腫瘍は取れないんですけども、なんとなく身体は軽くなる。これは侮れるものではないなと、そう思いながら医学部に進学したんです。僕はテニス部に所属していまして、その向かい側の部屋が文科系のサークルの部屋だったんです。2年生の時だったと思うんですが、帰ろうと思っていたら、ちょうど向かいの部屋の扉が半開きになっていて、覗いたら、鍼が見えたんです。
蓮風 ほう。
川嶋 なんだろうと思って入って行ったところ、麻酔科のドクターが、市民を相手に鍼のデモンストレーションをやっているところだったんです。中国鍼です。入って行った僕に、その麻酔科のドクターが「君は興味あるのか?」と質問してきました。当然僕は「はい」と答えたところ、ならサークルでも作ってしまえと言われまして。先輩後輩と一緒に北大医学部に「東洋医学研究会」を作っちゃったんです。
蓮風 はぁー。それは先生が学生の時にですか。
川嶋 専門に入る前です。
蓮風 はぁー。
川嶋 まだ教養にいるころで。
蓮風 そうですか。
川嶋 ですから西洋医学を学ぶ前ですね。
蓮風 前に!
川嶋 ええ、鍼の勉強始めちゃったんです。
蓮風 かなりインパクトがあったわけですね。
川嶋 ありましたね。その麻酔科のドクター…先生は中国鍼を主にやっていたので、結局中国鍼を使って(鍼を左右に回転させながら刺す)捻鍼を覚えて。彼が、週に一度ずつ、静内(しずない。当時:静内町で現在は三石町と合併して新ひだか町)というところに治療に行っていたので、たまーに付いて行って、そこで実際に患者さんの身体に触れ、ツボを探すための指導を受けました。そのうち触ればなんとなくツボの位置もわかるようになりました。ただ僕の師匠は目が鋭くて「ほらここは光が吸い込まれてるだろ」「ここが虚してるツボだ」と…。僕は全然分かりませんでした。いまだにそんな眼力は持っていませんので、見ただけでツボの位置がわかるなんてことはまずないです。
蓮風 (笑)〈続く〉