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藤本蓮風さん(写真左)と関隆志さん=奈良市「藤本漢祥院」
鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。東北大サイクロトロン・ラジオアイソトープセンター(CYRIC)高齢者高次脳医学研究部門講師の関隆志さんと鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の4回目です。前回は「鍼灸・漢方とは?」という質問に対して、関さんは、まず、すでに病気になっている人ならば、治る能力を引き出すように持っていくというのが非常に得意な治療法だとお答えになりました。今回は、あともうひつのご回答から始まります。(「産経関西」編集担当)
関 はい。あともうひとつは、健康な人の中にもやはり(健康な身体を保つための)能力をすべて出し切っている人ってあまりいらっしゃらないと思うんですね。
蓮風 そうですね。
関 ですから、いわゆる病気じゃない人でも、さらにその人の能力を引き出せる、それもやはり西洋医学にはない伝統医学のすばらしさではないかなあと思います。
蓮風 そうですね。僕もたくさん経験しました。もともと身体が弱くて、大きな病気じゃないんやけど、しゅっちゅう身体がしんどい、という方がいます。きょうは小山(修三)先生(国立民族学博物館名誉教授)も、こちらにお見えになってますが、小山先生の奥さん(揚子さん=関西外国語大学名誉教授)がそうやったんです。それを治療していくとだんだん元気になって、今はもう旦那さんより元気になっているんですよ。だからまさしく張景岳※が言ってるように、先天的に弱いからといって、そのままじゃないんだと。後天的に養生の仕方と治療をやると、うんとその先天のエネルギーを引き出すんだと張景岳はおっしゃっているんですけども、そういうことですね。
※張景岳:16世紀後半~17世紀前半の中国明代の医家。張介賓。景岳は字名(あざな)である。『景岳全書』や『類経』を著し、後世に多大な影響を与えた。(「北辰会」註)
関 そうですね。
蓮風 僕は、そういう意味での何か人間の持っているポテンシャルエナジー、潜在能力をかなり引き出すと思いますね。特に鍼灸師の方でね、感覚の鈍い人がおります。鍼してね、身体を良くしてやると潜在能力が出てくるんですよ。だから結局、鍼灸師も健康でないとダメなんですね。そういうのはもういくつか経験しました。そういうのも引き出すひとつのキーワードというか、ポイントは「気」という概念で説明していくわけですが、先生はどうですか。この「気」という概念について何か…。
関 やはり漢方とか鍼灸をやってますと、「気」という概念なしでは成り立たないですから。
蓮風 (笑)
関 確かに何なのかというのは、正直分かりませんけど、少なくとも人間の生命力とかあるいは内臓の働きとか、そういったものが「気」だと思うんですけど。漢方・鍼灸やっていれば、その概念なしで治療はできないので…。
蓮風 そうですね。直接どうですか。体感的に私はこういう風に「気」を捉えているというのがありましたら。
関 それは私、すごく鈍い人間なので(笑)。
蓮風 (笑)。これはねえ先生、鈍いんじゃなしに、さっきちょっと軽く身体を診せてもらったけども、だいぶお疲れで、運動はできてないし、多分飲食の摂生もかなりできていない。問診はしてないけど分かるんですよ。それをお治しになるとね、先生まだまだすごいところまでいくと思いますよ(中国最古の医学書といわれる)『黄帝内経 素問』の中に健康な人が診るから本当に病人のことが分かるんだということが書かれています。
私は大酒飲みですから、理想にはなかなか近づけんのです。でもお陰様で、70歳になりますけども、運動はやるし、それから考え方の“もつれ”を持たない。どういうことかといいますとね、『素問』の中には「恬淡(てんたん)虚無なれば、真気これに従い、精神内に守らば、病いずくんぞ従い来たらん」という言葉があります。心のさばきが良いの、悪いのという新興宗教がありますけど、あれはある意味で当たっていますね。そうするとね、やはりこれも『素問』でいっているけど「道至れるものは肌肉初めのごとし」…赤ちゃんのように身体が柔らかい、ということをいっていますね。非常に含蓄のあることをいっているわけで。まあ年のわりにはどっちかというと身体の方も柔らかいほうだと思います。頭もいつまでも柔らかくないとね。先生も是非元気で長生きして頂いて。
関 ありがとうございます。
蓮風 時々私の鍼を受けていただいて。
関 ありがとうございます。
蓮風 良かったらいつでもいらしてください。おそらく先生も健康になられたら、そういう気の感覚を感じられると思います。あんまり感じすぎると怪しいといわれるんでね。ちょっと怪しいところへいくかも知れないけれど、そういう部分があるのも事実です。「気の去来」といいますけど、50年も臨床をやってきて鍼を刺していると本当の補瀉(ほしゃ)※というものはそういうものが分からないとできないと思うんですよ。単なるテクニックじゃなしにそういう感覚のもとにテクニックが生きてくるという風に思うんです。〈続く〉
※補瀉:補法と瀉法のこと。補法とは気や血や津液(しんえき)=水分=が足らない場合にそれを補うような治療処置の事。反対に瀉法とは、有り余っている物を取り除く治療処置のことを指す。(「北辰会」註)