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鍼灸師の藤本蓮風さん=奈良市学園北、藤本漢祥院

 鍼(はり)の力を探る「蓮風の玉手箱」をお届けします。鍼灸ジャーナリスト・松田博公さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対話の2回目。東洋医学のバイブルと言われる『黄帝内経』に焦点が当たっています。一読すれば、静かな対話のようですが、おふたりの考えは微妙に違うようです。静かで、なごやかなのに熱い“気”のようなものを感じるかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 「蓮風の玉手箱」に来ていただいた方のなかで、あなただけですよ、患者じゃないのは。みんな患者さんなんですよ。はははは(笑)。だからあなたを呼んだ意味は非常に深いと思う。(前回の話を受けて)日本と中国の鍼灸の違いは、文化の違いだ、いうわけですね。

 松田 本質的には、それがあると考えますね。

 蓮風 そうするとね。伝統医学として考えた場合、『内経』(=『素問』『霊枢』をもとにしたと言われる医学書『黄帝内経』)とのつながりはどうなんでしょうね。

 松田 『内経』はまさに中国の古代思想が創り出した医学書です。古代の中国思想というのは、基本にまず「気一元論」という、気についての根源的な洞察があります。その気の洞察がなければ、中国医学どころか、中国文化そのものが成立しない。

 蓮風 それはそうですよね。

 松田 では、その気はどういう構造になっているのか。ということで、混沌として捉えきれない気を2つに分けて、その関係から捉えようとする「陰陽論」が出てくる。さらに5つに分けてその関係から全体の運動過程を見ようとする「五行論」が出てくる。というように論理が複雑化していきますよね。

 さらに宇宙に遍満している気が人間との関係でどうなのか、ということで、天地宇宙の気と人間の気は繋がっていて、宇宙の構造も人間の身体の構造も同じだということで、「天人合一論」が、人間の身体にも当てはめられていく。こういう古代の中国思想がなければ『黄帝内経』も、鍼灸医学そのものも成立しなかった。だから中医学の教科書は、当然、中国の古代文化、古代思想から記述が始まっているわけです。それが日本に入ってきて変容した。じゃあ何が変容させたのか。日本の鍼灸家はほとんどそれが日本文化との関係から変容したとは考えないわけです。それじゃあ、日本仏教について考えたらどうか。これはものすごい考えやすいわけです。

 中国仏教が日本に入ってきて変わります。どんどんシンプル化していきます。膨大なお経が仏教とともに入ってきたのに、いまのたとえば浄土真宗、日蓮宗、禅宗にしても、それぞれ少数のお経、経典で足れり、とする。あるいは経典なんてなくてもいいと、ただ座れと、いうようにどんどんシンプル化していく。

 蓮風 それはやはり歴史的に言うと、鎌倉新仏教からですね。

 松田 その通りです。

 蓮風 それ以前はやはり貴族仏教であって、天台にしても、弘法大師の密教にしても、どちらかというと鎮護国家に使われていたんですよね。

 松田 そうですね。

 蓮風 鎌倉時代になると、ご存じのように武士が台頭して政権を取っていく。庶民はどうして救われるかというと、平安時代に末法思想が流行って、そしてなんとか我々も救われんかという発想、そこらあたり親鸞や道元あたりも出てきたんだと思いますね。

 松田 シンプルに、やさしく語りかける…。生活感覚から…。

 蓮風 先生の考えでは、鎌倉時代から大体、日本文化と考えられますか?

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 松田 いや、それ以前から、古代の「古事記」にまとめられている神話の時代、あるいは縄文時代から日本列島固有の海洋性照葉樹林文化が生んだ混沌とした命の感覚があり、それが日本文化の基層としてずっと流れてきたと思います。だから、一番大きな問題は…。これは鍼灸界でまだ語られていないんですけど、日本の気の感覚と、中国の気の感覚は違うのではないかと僕は思っているんです。

 中国の場合、非常に論理的に気を捉えています。さっき言ったように、2つや5つ、あるいは「天人地」というように3つに分けて、その図式を天地宇宙から身体にまで一貫して当てはめて、全体を認識しようとする。非常に構造的です。気をある種、物質に近いような…。物質というと命がない感じですけれど、でも気には命がありますよね。方向性もあって、行きたい所に行ったりして、それで意思に従って“気がやる”ということもありますから、気にもやはり命がある。だからそういう意味では命を持った物質という感じの根源的な精細な生命体として捉えている。

 日本にそれが入ってくると、気が精神的、心理的というか、雰囲気というか、情緒的なものに変わっていくのは何故なのかについて、鍼灸師はもっと考えるべきなんです。でないと、日本鍼灸の特質が理解できない。中国の場合、理詰めで構造的に考えていくんだけれど、日本人の場合はどうして情緒的に流れていくのか、いい意味でも、また悪い意味でも流れていくのは何故なのか。それは、気の感覚に違いがあるんですね。幸田露伴なんかも言ってるんですが、中国から「気」の概念が入って来る前から、日本には「チ」「ヒ」「イ」など、生命力を表す固有の言葉があった。その感覚的、感性的な表現と中国の「気」が結び付いて、日本語の「気」という概念が出来たために、日本の「気」は、ずいぶん情緒的で感性的、心理的なんだというわけです。日本文化が背景となって中国鍼灸の日本的変容が起きたと考えるなら、日本語の要素を抜きには語ることはできないのです。

 蓮風 なるほどね。僕は臨床家ですので、やっぱり『素問』『霊枢』というのは臨床に直結してると考える。特に「鍼経」と言われる「霊枢経」の中の鍼の操作に関しては見事につかまえてますねぇ。これ、あの中で「気至りて效あり。效の信は、風の雲を吹くがごとく、明らかに蒼天を見るがごとし、刺の道終わるかな」と。

補註;『霊枢』九針十二原に「刺之要.氣至而有效.效之信.若風之吹雲.明乎若見蒼天.刺之道畢矣.」とある。

 松田 素晴らしい表現ですよねぇ。

 蓮風 はい。邪気が来るときは緊にして疾、速くて固く、非常に緊張した気が来るのであると。「穀気」「正気」ですね。「穀気の來たるや徐にして和」。ゆっくりとジワーっと集まってくるどというわけです。あれはもう、いまだに再現できますね。2500年前の話やけどね、見事に再現できます。
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 松田 気至る感覚もやっぱりそうですか?

 蓮風 全く一緒です。だから、それを後代になって「あーだ」「こうだ」言う、はっきり言って鍼を知らん者がモノを言っていかん。私はそう思う。その『霊枢』の、特に「九鍼十二原」あたりに書いてあることは、もうつぶさに暗記してもらって考えてもらわないと、本当は学校で教えとけば良いのにと思うのに、てんで外れとるような感じするんですけどね。

 松田 『霊枢』の第1篇ですからね。一番最初に「微鍼宣言」が来てるんですもんねぇ。

 蓮風 そうです。そこへね、だから、「余、毒藥を被らしむるなく、●石を用うることなからしめんと欲す。微鍼を以て、其の經脉を通じ、其の血氣を調え、其の逆順出入の會を營しめんと欲す」。あのあたりはね、やっぱもう鍼の革命の時代だろうね。<注記:●=砥のつくりが「乏」>

 松田 まさにそうですね。進化論ですね。

 蓮風 つまり現在、つかわれているような(非常に細い)毫鍼という患者があまり痛みを感じない楽な鍼で治すにはどうしたらいいのかというと、気を通じさすという論があるんですよね。このことはね、まぁ松田さんの意見とちょっと違うんですけども、(江戸時代に幕府につかえた鍼医の)石坂宗哲がはっきり言ってるんですよね。彼は、『鍼灸茗話』という書物の中で、鍼の極意は霊枢九鍼十二原は気を通じさすことにあるという。今、補瀉とか何とかいうけど、気を通じさせればあらゆる病気が治ると、言っとんですよ。これがねやっぱり、違う土地で違う時代の人が同じことを言うんですよ。今、先ほど私が「霊枢九鍼十二原」を再現できると言いましたがね、だから『内経』というのは素晴らしい教えだなと思います。

 松田 その通りですね。

 蓮風 はい。そして、そのことをまた裏書きするように、江戸・元禄時代の杉山和一<鍼の施術法「管鍼(かんしん)法」を創始し視覚障害者のための鍼・按摩の教育施設を開いた>がいた。あの人なんかもやっぱり見るべき古典はもっぱら『内経』なりと、言っておりますね。だから結局、日本的なものもあるだろうし中国的なものもあるけど、それを乗り越えて脈々と伝えられた伝統の力、そういうものを感じるんですよね。もちろん日本と中国の違いということも大事なんだけど、むしろ私は、時代を超え、地域を超えて、それでもやっぱり貫く真理みたいなもの、やっぱり『内経』ですわ。ほんでね、中国のね、大きな本屋行くと、1階の一番目立つとこに哲学書がある。その中に『黄帝内経』を置いてあるんですよ。<続く>