松田博公(まつだ・ひろきみ)氏 1945(昭和20)年、兵庫県生まれ。鍼灸師、鍼灸ジャーナリスト。元東洋鍼灸専門学校副校長。2005年1月まで共同通信編集委員として医療や女性運動、子ども、宗教などを取材。在職中に同専門学校で学んだ。主な著書に『鍼灸の挑戦』(岩波書店)、『日本鍼灸へのまなざし』(ヒューマンワールド)など。
鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回も鍼灸ジャーナリスト、松田博公さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談です。東洋医学のバイブルとされる『黄帝内経』をめぐる議論は熱を帯びてきたようです。おふたりの近いけれど、微妙に違う見解を聞くと、鍼の微妙さと東洋医学の深遠さを象徴しているようにも感じます。蓮風さんが「単なる医学書ではない」と強調し松田さんは「生き方の書」だと、おっしゃる。意見が対立しているわけではなく、大きな視点からは同じのようにも思えるのに、さらに深くて広い立場からはうまく噛み合わないようです。でも、それは人間本来の在り方かもしれません。(「産経関西」編集担当)
蓮風 『黄帝内経』は非常に古い古い時代にできた医学書やけども「真理」のようなものですよ。
松田 バイブルなんですね。僕は『内経』(=『黄帝内経』)は中国、日本共通の「原理論」だと考えています。
蓮風 だから中国の、その時代の哲学書では皆あれを引用するんですよ、ご存じのように。そうしてみると、単なる医学書ではないんだ。
松田 生き方の書なんですよ、生き方の。っていうのは、『黄帝内経』は養生の書だという議論がまるで事実であるかのように、まことしやかに広がっていて、これトンデモハップンなんですよ。養生っていうのは要するに健康の問題ですよね。『黄帝内経』はそうじゃないです。精を養う、生命力を養う、そして天地宇宙のリズムに合わせて生きよということだから、単なる健康の問題じゃない。生きることも死ぬことも含めて、天地のリズムにあわせろと、『黄帝内経』は言ってるわけです。それが養生の書だとなるのは、唐の時代以降で、『内経』の理解の仕方としては、小さい。唐代はもう漢代よりも人間が小さくなってしまったんでしょうね。
蓮風 健康で死にゃいいです。
松田 まさにそうです。
蓮風 健康で死ねという教えですよ。先生がおっしゃる、「日本文化によって変わった」という部分、これ否定はしません。ただ伝統医学というからには、そのバイブルからですね、やっぱり何といっても大きな影響を受けている。我々のようなへっぽこ鍼灸師でも(『黄帝内経』にある)「九鍼十二原」が言った世界を再現できるというこの真実が医学書としての凄さを立証している。
松田 いや先生の言葉をね、たった一言、僕は補足したいんですよ、一言だけ。僕にとっても、あるいは日本の鍼灸にとっても黄帝内経は「原型」なんですよ。一番のルーツであって、それと無関係に日本の鍼灸が存在しているわけではなくて、たどっていくと当然そこに行くし、最大の教典、最大の聖典、バイブルなんですよ。原型だからそれを無視することなんて出来ないんです。
蓮風 ところが、まぁ、あなたは学校(東洋鍼灸専門学校)の校長先生までやられてわかってると思うけど…。
松田 いや、前副校長です(笑)。
蓮風 (学校では)関係ないこと教えてる。『黄帝内経』の教えを仰いで『黄帝内経』に基づいた教育で、『黄帝内経』に基づいた治療がなされにゃいかん。これ本筋ですよね? ところが現実にはそうなっていない。なんでか? やっぱり明治以来のね、西洋医学に対するコンプレックス。やっぱり自分らが本当に治したんだったら治したと言やぁいいし、アカンかったらアカンかったと正直に言やぁええのに、格好ばっかりつけて鍼灸学とかなんとか偉そうなこと書いて中身なんにもあらへん。私はそれ一番いかんなぁと思うんですわ。
蓮風 ねぇ。だから日本鍼灸というのはあるだろうし、あらにゃいかんと。しかしその前に、なんかせにゃいかんことはないかと。それは何を言うてもいいですよ。現代派でも、西洋医学のあのナントカ療法でもいいんですよ、治れば。
松田 トリガーポイント。
蓮風 はい。だけど実際、治らんでしょう?
松田 治る病態はあるんですよ。
蓮風 まぁ、あるんだけど。『黄帝内経』がいってるような病気を治してないじゃないですか。そうなってくるとねぇ、やっぱり、もっともっと自信を持てば、いい。「鍼灸師に自信を持て!」じゃなしに『黄帝内経』という教本、バイブルを持っている文化に我々は大いに自信を持つべきだと思うんですよ。そうなってくると、日本鍼灸というものはもっともっとその先に、あるんじゃないかというような気がしてね。
松田 先というか、その末流というか、現在ですよね。僕は、3つないし4つの段階で鍼灸の流れを考えています。一番の原型として、漢代に黄帝内経の鍼灸があった。それがその後、唐・宋・元・明・清と、段階的に中国でも変わっていきます。そして現代中医鍼灸になる。だから「原型的」な流れと「段階的」な流れがあって、その段階的な流れの途中から朝鮮に行ったり日本に入って来ていますよね。日本に入って来た鍼灸は、平安・鎌倉・室町・江戸を経て明治以降の日本の今の鍼になっている、というように「原型」「段階」…。そして「現状」と、この3つを経て鍼灸は変化して今に至っているんだから、この3つを包含した日本鍼灸がある。
一番末流は現在の日本鍼灸ですけど、どの流派も日本鍼灸学を作ることを一度真面目に考えてみればいいと思うんですよ。そうすると、足りないものがわかってくる。今の自分たちの技術論だけで、総合的な日本鍼灸学を打ち立てようと思っても、これは無理だと。つまり『黄帝内経』のところまでたどらないと思想も技術も歴史も含めた鍼灸学は成立しない。だから日本鍼灸学を構築しようと、一旦考えてみれば、ほとんどの流派が足りないものが見えてくる。その中で、これはカットしたほうがいいかもしれないけれど「北辰会※」ですよ、総合性を持ってるのは。
※補註:北辰会方式のこと。藤本蓮風氏が提唱し啓蒙している鍼灸治療大系。
蓮風 まったくもってカットですね、これは(笑)。
松田 仏教でいえば平安末から鎌倉にかけて、密教を軸として、密教から顕教から全部包含し、神道まで包含した神仏習合の日本的な宗教システムがありました。それと北辰会の位置が非常に似てると思うんですね。この総合的な宗教システムの中から鎌倉仏教のシンプルなものが出てくるでしょ。そうすると、今の各流派は鎌倉仏教なんですよ。こういう関係で僕は考えているんです。だから効いてないわけじゃないし、それぞれがいいことやってる。でもそれぞれの部分から日本鍼灸学を作り出すことは出来ない。いま出版やこういうインターネットの活動を通じて、思想や文化にまで精力的に発言している北辰会には、その材料が揃っていると僕は見ているんですよ。
蓮風 いや、そないに言われてしまうとね(笑)。なんかこう発言が出来ないけどね。
松田 僕は、北辰会はやがて総合的な日本鍼灸学を作るための準備をしてるんじゃないかなという気がしてます。
蓮風 そうですね。<続く>
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