松田博公さん(写真右)と藤本蓮風さん(同手前)
鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は、鍼灸ジャーナリストの松田博公さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の4回目をお届けします。鍼灸といえば、マッサージと同じような“慰安”の手段と考えている方は多いようで、そこが正面から病に取り組もうとしている鍼灸師のジレンマにもつながっているようです。一方、それには日本の鍼灸界にも責任があるようで…。今回はそんな話題もまじえておふたりが熱い討論を繰り広げています。(「産経関西」編集担当)
松田 (蓮風さんが代表をつとめる「北辰会」が「総合的な日本鍼灸学を作るための準備をしている気がする」と自身が発言したことを受けて)ぜひともそれは、やっていただかないと困るんですよ。誰かが日本鍼灸学を作り出さないといけない。僕が柳谷素霊(故人、素霊鍼灸塾=現・東洋鍼灸専門学校=を創立)を持ち上げていることに、先生は異論がおありになるんではないかなと思うんですけど、僕が柳谷素霊を評価しているのはどういうことかというと…。彼は70年前に、「日本に鍼灸学が存在しないのは鍼灸人の怠慢である」と言い切ってるんです。
蓮風 うーん、まったくその通りですね。
松田 僕はそこにおいて柳谷素霊を評価しているんです。柳谷素霊は、こう言っちゃなんだけど、蓮風先生と似てますよ、志向性において。
蓮風 ああ、そうですか。
松田 哲学思考、歴史や伝統への関心、総合的な視野。僕が彼を評価してるのはそこです。
蓮風 いや、亡霊を呼び起こしてね、何を騒ぐんかなと、思ったんですが…。まぁ似たところがあって、それは非常に深い意味があるということが、分かってきたんですけれども。実は、僕は鍼を持って一番最初に、うちの先代(和風さん)に教わったのは、柳谷素霊の考え方が一番いいんだということです。あの弟子たちはアカンから、あれ読むなと(笑)。先代もまた端的にもの言う男で。僕は21歳で開業したんですけど、柳谷素霊については、その頃から尊敬は申し上げている。ただもう亡くなったね、亡霊ですからな。
松田 彼はなにしろ52歳で亡くなったでしょう。未完成なんですよね。彼が残した箱の中には、玉手箱みたいに色んな物が、ごちゃごちゃ…。おもちゃ箱ですね。玉手箱じゃない、おもちゃ箱みたいにごちゃごちゃーと入っている、その未完成の可能性っていうか、それがあるような気がするんです。
蓮風 それはあるでしょうね。私はもう68で、まもなく70歳になりますけどね、未だに血気盛んすぎてね、人に迷惑かけている(笑)。でも、鍼に対しては本当に深い思いがあります。
松田 いやーもう、鍼を愛しておられますよねぇ。
蓮風 はい。
松田 日本鍼灸界に足りないのはその愛ですよ。
蓮風 そうですかね? まぁ、みんなそれなりには鍼灸をやっているとは思うんだけど、ただ、なんで今この鍼灸がこの世の中に存在せないかんかとかね、そういうことがとても私は気になる。電気治療でも治ることをね、やっとってもダメなんであって、西洋医学がバンザイ(降参)したやつをね、なんとか治らんか、と挑むことに存在意義がある。(東洋医学のバイブルとされる)『黄帝内経』はそういうことまで含めて治ると言ってる。特に、(『黄帝内経』を構成する)『素問』の「陰陽応象大論」のごときは「病を治すにはその本を求む」と書いてある。これは陰陽の問題であって、21歳で『内経』(=『黄帝内経』)を読んだ時に、あー、これは鍼でなんでも治るなと僕は信じました。信じられました。あの文言で。結局、陰陽なんだから、その陰陽を整えるには鍼が一番いいんだという事、分かりましたよ。
(情熱を持ったのは)それからですね。もともとそんなに鍼に情熱を持っとったわけじゃなくて、今から50年前のね、鍼灸家の姿といったら、ショボショボしたもんですよ。今は、そこそこね、ビルでやったりなんや、形だけは非常に華やかになっておりますがね、あの当時はやっぱり薄暗い感じでしたな。医者はあないして同じ病気治しとんのに、華やかで、なんで鍼灸はこんなに暗いかなと(笑)。
松田 鍼灸師になるって言ったら、親から勘当されたりね。親族会議開いて反対されたり(笑)。
蓮風 そんな時代でしたからね、当時、そんなに漢文は読めたわけじゃないけども、やっぱり『黄帝内経』の文言はドキッときましたよ。陰陽応象大論「病を治すにはその本を求む」。陰陽さえ整ったらなんでも治るんだなと思った時もう嬉しくて。うちの親父はいろんな助言をしてくれたけどね。何よりもその文言が嬉しかった。それからですわ、鍼狂人になっていくのは(笑)。
松田 やはり皮膚に施術するということの大きな意味があるんでしょうねぇ。
蓮風 ありますねぇ。はい。
松田 皮膚の可能性というか、ブラックボックスで、どういうメカニズムで、どういうように機構が働くのか、部分的にしか分からないけれども、結果から見れば確実に治癒する力が働いて、それが引き出されてるわけですからね。
蓮風 そうですね。そういうことはもう、ちょっと敏感な先生(鍼灸医)とか、敏感な患者さんはみんな(自分の身体を指し示し)「ああ、ここからこう入って、こう来てこう抜けました」って言いますねぇ。だから、それはもう昔の人もたぶん経験してると思うんですよ。で、まぁブラックボックスと仰ったけど、気とか経絡なんちゅうのはやっぱ、大した発見ですな。まぁね私は、極端に言えば、臓腑経絡もかなり勉強したから、それを乗り越える気の世界はないかなって、見つめたのが実は「上下左右前後の法則」※になっていくわけ。まだもうひとつ見えそうなんです。
※藤本蓮風氏が臨床実践の中から導き出した診断治療の理論。生体の空間的な気の偏在を診て治療していく。詳しくは『鍼灸治療 上下左右前後の法則』(メディカルユーコン刊)参照。
松田 また!? 次のですか? ほう!
蓮風 はい。だから、楽しみですなぁ、一言で言ったら。今日の対談は、ちょっと目的通り動かないことが…。これはこれでまた面白いんじゃないですかね。
松田 先生の所に来られる、西洋医学のお医者さんで、お弟子さんになる方は西洋医学の限界を実感して来られてるわけですよね? 何か自分は西洋医学の小児科医・内科医として上手くやっていて、プラスアルファでもうちょっといいのを足してやろうという、こういうことじゃないでしょ?そしたらほかの流派に行きますよ。わざわざ先生の所に来ないでしょ。
蓮風 まぁ、縁があるというかね。病気治しに真摯に向き合って、本質を見抜くことのできる人がうちに集まってきていますよ。(患者を総合的に診る)プライマリ・ケアの学会で重要な役割をになっているらしい医師もいます。
松田 ほう。僕も、今日その話をしなきゃいけないと思って来たんですが、鍼灸こそ本来、プライマリな医学ですよね?
蓮風 だから、この間も話したけどね、プライマリ・ケアというものは立派な事やと思う。全人的医療だけども、西洋医学が言うプライマリ・ケアっていうのは元々個別に見ていたものをもう一回統一して見ようという試みであって。しかし東洋医学の場合、先ほど先生がおっしゃったように大宇宙も含めて気というものを見ている。だからプライマリ・ケアというならば全宇宙と人間の関係の中から人間を見つめている。だからちょっと違うと思うんですよ。だけどそういうことに気づく医者はいいですよ、まだ。彼らは面白いことに「先生、どうして鍼一本でこれだけ効くのでしょうか?」という。あんた何を言っているんだ。人間の身体は完成品なんだ。完成品だからちょっとした歪みを治すだけで治るんだ。宇宙も完成品だけど我々の身体も古代の中国人は宇宙とみている。だから完成品なんだと。
松田 まさにそうです。
蓮風 大宇宙と小宇宙は構造的に同一性を持っている。だから治って当たり前で治らなかったらおかしいんだと言いましたら、ギャフンとしてました。
松田 ほんとに、古代の中国人は宇宙は未完成なものだ、欠陥があるものだとは考えていなかった。天人地の三層構造も完成された形で人間の身体に映し出されていて、人間の身体も構造が同じなんだから、先生もおっしゃったとおり、完成されているものなんだ。それが何らかの形で欠陥を生じる。気血の乱れあるいは足りないとか多過ぎるとか出てくる。それを調整するのが鍼だ。
蓮風 だからね、治って当たり前なのであって。それを治すどころか悪化させる輩もいるのは実にけしからん事だと思う。これは後で削ってもらって(笑)。<続く>
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