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藤本蓮風さん(写真左)と松田博公さん(同右)

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。鍼灸ジャーナリストの松田博公さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談も7回目となり終盤が近づいてきました。鍼治療のグローバルスタンダードについての議論が続いています。時の流れ、時代の背景、気候、風土…。さまざまな要素で構成される人々の生活環境は千差万別で、さらに人間の身体もそれぞれ違います。「スタンダード」とは何かという線引きも難しそうです。しかし、治療が名人の“技”にとどまるならば超能力になってしまい、コンスタントな継承は不可能になってしまいそうです。そんなことも意識しながら読んでいただくと、一層おふたりのお話が面白くなってくるはずです。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 私は治療するには(患者の)全生活を把握する必要があると思っています。しかも子供のころから、どのような環境で育って、どういう精神的な生活を送ってきたか、食べ物はどうだったかとかね。こういうことをやらなくちゃ。脈があぁだからこうだとか、それは、単なる“考え”。『素問』の「三部九候論」だったかな、人の気色から脈からそれらを総合検討して初めてこの病気はどうだという事を決定せよ、と書いてある。私はそれを「多面的観察」と呼んでいます。それを実行しなければ、いけないですよ。なるほど脈診も重要です、急性病は非常に変化が早いからね。しかし、それだけで何でもかんでもっていう訳にはいかんのですよ。

 特にここ20年ほどやってきてる「舌診学」がもの凄い有効です。日本人だけどアメリカで現地の医師免許を取って精神科の医者をやっている女性がいます。彼女は「東洋医学こそ本当の医学じゃないか」と言って中国の四川まで行ったんですよ。でもあれで本当に治るのかと…と思ったし見てきたけど駄目だったそうです。その先生は、僕と同じ年で、ここの近くの医師の妹さんなんです。(兄弟)みんな医大を出ていて。(私のことを)ちょっと変わった男だが鍼に夢中になっているからあそこ行けっていうことになったらしい。で、(帰国中に)来たんですよ、彼女が。「先生(蓮風さん)の鍼こそ本当の東洋医学なんだろうな」と思ったそうです。それでアメリカに帰ってから、白血病の患者の治療をやっているから診てくれ、ということで、その患者の舌の写真を送ってきたんですよ。地球の裏からネットで送ってきました。便利な時代ですね。その舌の色と状態を診て、「先生、これもう半日以内であかんで」って伝えました。すると、その通り、亡くなりましたね。

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 松田 そうでしたか。

 
 蓮風 舌一枚で。「二枚舌」やったらあかんけど…(笑)。で、『鍼灸Osaka』という雑誌がありますな。そこに載ったんですよ、そのことが。

 松田 はい。

 蓮風 ちゃんと残っていますよ、記録に(2003年発行の『鍼灸OSAKA』=Vol.19、No.2=に「舌診がどれくらい有効か」として掲載されている)。で、それを広州中医薬大学の鄧鉄涛先生のお弟子さんの士英先生が見て、「凄い舌診学者が日本におる」ってということで、評価してくれたんや。それが、鄧鉄涛先生主編の『実用中医診断学』(人民衛生出版社刊)という中国で出版された専門書にその症例が引用紹介されとるんです。それからおふたりと仲良くなった。そういうこと一つずつ取り上げてみると、東洋医学はほんま宝の山なんですわ。

 松田 そうですよね。

 蓮風 それをもっと、もっと気づいてやれば鍼は効きまっせー。

 松田 本当にそうですね。

 蓮風 だから、そういう『黄帝内経』の根本の根本を踏まえながら、そういう色んな時代に色んなこの学問が発達したから、それをやっぱり生かさなくちゃ。

 松田 グローバルスタンダードというと何か難しい話のように感じる鍼灸師さんもいるかもしれないけど、基本的には『内経』(=『黄帝内経』)の「陰陽論」なら「陰陽論」をちゃんと踏まえるということですよね。『内経』の「陰陽論」は、単に陰陽を概念的に語っているだけでなくて、天地宇宙がまず陰陽の構造になっているんだから、じゃあ天の健康な状態はなんなのかというと、カラッと晴れていて涼やかで、何の憂いもなく雲一つない青空だっていう状態です。大地の健康な状態っていうのは、あらゆる生命を包んでどっしり重く温かいという状態なんだから、それに合わせて身体も陰陽に分けて、陽である上半身はカラッと晴れて涼やかで、鬱の状態がないと、雲一つない。陰の下半身はどっしりと落ち着いて温かい、すべてを包んで生命の宿っているところだ、と。天地の構造に合わせて身体を養って、そしてそれが、逆転して頭寒足熱じゃなくて、頭熱足寒、上実下虚になっているのだったら、鍼や灸で元へ戻してやればいい。これがグローバルスタンダードの一番のベースです。それがわかれば、後はより複雑に「経脈論」や「病因論」を考えて、じゃあ「温病論」を入れようとか、そういうことになっていくわけだから。
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 蓮風 そうそう。大体ね、その中医学がその現代中国によってまとめられたのは色んな歴史的背景があるんだけど、僕が歓迎しているのは非常にスッキリした論理。もともと私は数学好きやから、キチッとせんと気分が悪い。そういう意味では、日本の鍼灸、漢方というのはもうひとつ解せなかった。ずばり言ってね。で、中国の医療政策の中で、毛沢東が応援した事もあって、素晴らしい医学の宝庫やから研究せないかんということになり、それをまとめた時のね、一番の基本は明代の張景岳※にあるんですわ。張介賓ですわ。
 ※補註:張介賓とも言う。中国・明代の名医で、『景岳全書』や『類経』といった書物を遺した。

 
 松田 『類経』ですね。

 蓮風 うん。それから『景岳全書』とかね。歴史的にはあれを基本にして現政府がまとめたのが現代中医学。ところが、そこの一番根底のところを唯物史観でやっちゃった…現代中国の。だから気というものに対する解釈は、現代中国がやった、言わば中医学の建設事業の中の、大きな問題点ですね。だけど、ひっくり返せばいいんですよ。ちょうどヘーゲルがやった弁証法を…。

 松田 マルクスが継承したように…。

 蓮風 うん、マルクスがひっくり返してやったようにね。もう一回戻してやればいいわけ。だけどね、(現代中国が)あそこまでまとめたというのはね、大変な我々にとってはプラスでしたね。特に北辰会のみんなに、そこそこの教養を身につけさせて、腕を持たすためには、非常に重要なもんになっています。昔は、あるグループに名人が一人おれば良かったんやけどね、(今は)そうはいかんですよ。で、たくさんの患者さん抱えてね、治すには、どれだけの名人であっても一人では限界がある。だから、限りなく名人に近い人達を作るにはどうしたらええかということが、私の心の中にあった。中医学にベースを求めたのはそこなんです。

 松田 なるほど、そうでしたか。

 蓮風 これまでも言ってきたように中医学にも問題点はあると思うんですが全てじゃないけど、とりあえずここまで、現代において、学問をまとめてくれたというのは大きな功績じゃないでしょうか。これからグローバルスタンダードの中での中医学の位置づけは、やっぱり僕は依然として大きいと思います。はい。だから柳谷素霊(故人、素霊鍼灸塾=現・東洋鍼灸専門学校=を創立)が「鍼灸は素晴らしいけど、鍼灸師がそれをやっておらん」と仰ったのは、誠に我が意を得たり。はぁ。鍼灸は悪くないんですよ。鍼灸は最高なんやけど、やってる人間がもうひとつだね。<続く>