藤本蓮風さん(写真左)と松田博公さん(同右)
鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。鍼灸ジャーナリストの松田博公さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談も今回で、ひとまずは終了。「鍼だけに可能な治療あり」「東洋医学に足りないもの」「世界標準の鍼灸は可能か」…。これまでの見出しをざっと見ただけで、松田さんと蓮風さんのお話の幅広さ、奥の深さがうかがい知れます。現場での治療から、医療の歴史やグローバルスタンダードの問題まで、縦横無尽でした。日本の鍼灸界への厳しい見方もあり、最終回でも辛口の指摘がなされていますが、そこから、おふたりの鍼灸への信頼や愛着がにじみ出てくるようです。(「産経関西」編集担当)
松田 中国の強みはねぇ。これはマイナスの面もあるんですけど、中国革命の時に、毛沢東を中心とする人達が、中国式のマルクス主義を定着させ、その唯物論的哲学を国家公認の学問にしましたよね。中国の知的エリート、共産党エリートは、鍼灸界にも勢力を占めるわけですけど、彼らは弁証法的な哲学を英才教育で身につけているので、中医学の論文書くときもエンゲルスの自然弁証法だとかを引用する、この鍛えられた頭脳の論理性が強みなんです。日本の鍼灸家の場合、戦後、マルクス主義の影響を受けた世代は柳谷素霊の周辺にも、竹山普一郎がいましたし、丸山昌朗、藤木俊郎、島田隆司もそうだし、福島弘道もそうでした。けれど、そういった思想性、哲学的スタイルは今、どんどん風化してしまって、日本的な、ただただ情緒的な、感性だけというような事になってしまっている。
もともと日本人は古代以来、論理的思考が弱く、理論不信と実感主義、実用主義の傾向が強かったというのは、山田慶児さんが(日本で現存する最古の医学書の)『医心方』の研究を踏まえて言っていることなんですが、戦後は特にアメリカ文化の影響もあり、更に過剰な感性主義、技術主義に流れ、鍼灸家自身の中から、論理構築がしにくくなっている。先生はマルクスだけじゃなく、老子、荘子も含め、いろんな思想家を押さえて、哲学的な表現をされる。それが多くの鍼灸師には出来なくなっているという弱さがやっぱりあるんですね。
蓮風 だからそこら辺りもね、やっぱり、どっちを愛するかですな。鍼灸を愛するのか、鍼灸師を愛するのか。だからこの間の、若手の医師を集めてシンポジウムやった時、(医師に)「あなた方の方がずっと勉強のプロや。だからこれから鍼を持って治療するのはあなた方ですよ」って言った。もう鍼灸師はいらないかもしれない、って、極論を言ってやった。そしたら、彼らは、やっぱり鍼灸の先生はおってもらわないかんと言った、僕らは確かに勉強のプロやけど、だからといって鍼がうまいわけじゃない、ということを上手に言いましたね。その通りだと思うんだけど、鍼灸師を発奮させようと思ってわざと言ったわけです。
松田 いやぁ。西洋医学のお医者さんと話をするとね。彼らの好奇心というのかな、向学心というか、レベルが違うと思わざるを得ない方がおられるんですよ。彼らは日ごろ、死に直面していますから、死亡診断書書かなきゃいけないしね。それだからかな。
蓮風 そうそうそう。
松田 命についても、死についてもね、考えている人は考えている。その気迫と好奇心の幅が、イマイチ鍼灸界には乏しい。
蓮風 うん。それはね、やっぱり鍼灸を医学と考えてないということです。一番の根源はそこにあるんですわ。鍼をもって医学と思っている人が何人おるか。私はね、自分の家族を最後まで看取っています。医者にかからなかった、うちの親父に「おい、あんたの命もらったぞ」って言った。「どういうことや」って訊くから「あんたを鍼で看取ってやるからな、安心しろ」って。そしたら、さすがですな、先代も。「わしはな、鍼のおかげでここまで来れたから、鍼の供養になるから是非そうやってくれ」と言った。どうですか?これ藤本の鍼は偽もんじゃない、医学なんや、あくまで医者なんや、鍼を持った医者なんや、という意識をずっと植え付けられてるわけ。だからそういう本当の医者たる鍼灸師、鍼灸医がやっぱ出ん事にはダメじゃないんですかね。
松田 そういうことですね。僕はね、やっぱり柳谷素霊をなぜ評価するのか、もう一言だけお話ししたいんですけど。
蓮風 はい。
松田 彼は、哲学なくして鍼灸医学なし、と思っていた人なんです。じゃあ今の日本に、哲学的な医学としての鍼灸について語れる鍼灸師が何人いるか。
蓮風 うん。
松田 藤本先生はそうですよ。
蓮風 いやいや。
松田 もちろん小林詔司先生とか、何人かの方はいらっしゃいますが、数少ないでしょ。じゃあ過去に誰がいたのか。戦前、戦中、戦後、誰がいたか。さっきあげた丸山ほかの人たちの中心にいたのが柳谷素霊です。臨床家としての柳谷については、批判があるかもしれないが、少なくとも彼は、当時、時代を席巻した西田幾多郎の生命論哲学や西洋の宗教学や量子力学などの先端科学にも目を向けながら、鍼灸を基礎づけようとした。彼は大学院まで行って集中して6年間くらい宗教学を勉強した時期がありましたし、そういう思想的苦闘と鍼灸学構築の作業とを一緒にやった人物として、そのスタイルは、引き継がなきゃいけないなと思うんですよ。
蓮風 そうですね。それは全くそうですね。ただね、私も酒飲みで、このごろ、三種混合。ビールと泡盛と、それからこの頃はウィスキーでやりますな。
松田 そうですか(笑)。
蓮風 で、柳谷素霊さんも大酒飲みで、胃潰瘍で亡くなったっていうけど、やっぱり飲みが足らんかったんちゃうかと…。
松田 胃潰瘍から胃癌(がん)にまでなった。あれはねやっぱり、酒に殺されたんですね。
蓮風 そうでしょ。飲まれちゃったんだ。結局。僕から酒を取ったら何も残らん。
松田 (笑)
蓮風 で、酒を飲んだうえで、元気になって鍼を持つと、面白いことができる。だからそれもね、やっぱり人生哲学ですよ。やっぱり、今死ねない。とにかく俺の思っている事、ひとつずつ活字に直していかんと絶対に死ねないという強い意図があるんですよ。うん、だから恐らく死なないと思いますよ。
松田 (笑)
蓮風 まぁ、90歳くらいまで馬で障害飛ぶっていうのが私の考えですから。その力をね、なんとか鍼にね、向けてやりたいなと。ちょっと様々な話になってあっちこっちに散ってしまったけど、長くなったから、また続きは後日ということにしましょ。こういう対談は今後も何回かやったほうがいい。これからさらに開拓される世界ですしね。先生にはがんばってもらわないと。
松田 いやいや、もうだいぶへこたれてるんですわ。
蓮風 酒飲むんやったらしっかり飲んで下さいよ。三種混合くらいやると一番良く効きますからね。ということで、どうもありがとうございました。
松田 先生には益々ご活躍してもらわないと困るんですよね。幸い(蓮風さんが代表をつとめる)「北辰会」はずいぶん、いろんな方が、頭角を現しておられて、頼もしいですね。
蓮風 そうです、そうです。
松田 人材生産力といった意味でも「北辰会」は天下一だと思いますよ。
蓮風 いや、やっぱりね、(文章を)書かなダメなんですよ。結構みんな賢いから、こういう方向で書きなさいと言ったら書きますよ。一冊ずつ、みんな。「藤本先生も偉いけど、お弟子さんが偉いね」って言われてます。「うん、そうやな俺はあんまり大した事無いけど弟子が偉いからここまで引き上げられたんかもしらん」って(笑)。
松田 師の偉さは弟子によって測られるわけですよね。それ以外に測りようがないです。<終>
★次回は児童文学作家、ひこ・田中さんとの対談をお届けします。
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