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初回公開日2013/2/16
藤本蓮風さん=奈良市の藤本漢祥院
鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。歴史地理学者の川口洋・帝塚山大学教授と、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の5回目です。今回は東洋医学の考えを知るキーワードともなる「生気論」についての話題から始まります。「生気論」と聞くと、古代ギリシャの哲学を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょうが、実は東洋医学の思想と通底しているというわけです。身体をめぐる様々な考え方をもとに生命について思いをはせてみてはいかがでしょうか。(「産経関西」編集担当)
川口 「生気論」とはどういうものですか? 簡単に教えてください。
蓮風 簡単に言いますとね。「生気論」の反対が「機械論」なんですね。人間の身体はメカニックで、部品が寄り集まってできてるから、その部品をひとつずつ点検…。つまり検査ですね。部品をひとつずつ点検して問題がなければ異常は「ない」とするわけです。これが「機械論」。これに対して「生気論」は、そんなバラバラに、生命ちゅうのはできないんやと…。元々ひとつの、つながった全体で、もっとこう、エネルギッシュな何かが動いて、人間の身体を動かしてるという考え方ですね。で、この生気論というのは元々ギリシャの哲学者アリストテレスあたりが、既にそういうことを言っているんですよ。
川口 なるほど。
蓮風 はいはい。現代もね、生物学上では「機械論で説明できる」「否、生気論でしか説明できない」とする連中同士が論戦しています。現代、医療現場では機械論のほうが勝っているのが現実です。だけど、我々の方から見ると、先生がおっしゃったように「肩が痛い」「頭が痛い」「腰が痛い」…。だのに、なんぼ検査をやっても(原因が)出てこない。それは、部品を見てるからですね。ところが我々は「生気論」全体の「気」という、ひとつのプシュケーみたいなもの考えてるわけです。それに歪みがあると考えると、説明つくんです。だからそれに対して治療すると実際、楽になったでしょ? 先生?
だから、この事によって「生気論」ちゅうのはやっぱり間違いはないんです。だけど、もっと公平に見ていくと確かにね、いま心臓の移植などの臓器移植なんかに見られるようにですね、機械論の部分もある程度あると思うんですよ、公平に見てね。東洋医学はもっぱら「生気論」ですけども、全体として生命を見た場合に、やはり「生気論」の方が本当に生命の実像に迫っているんじゃないかというのがまぁ、僕の考え方なんですがね。こういう事でどうでしょうか?
川口 「機械論」と「生気論」は、スタンダードが違うわけですね。
蓮風 そうそうそう、土台が違うわけです。
川口 出発点から違うということですね。
蓮風 はいはい。それが実は、西洋医学と東洋医学の違いというか、根幹的、根本的な違いになる。我々、臨床家から見ますとですね、癌(がん)で西洋医学では「絶対ダメだ」と言われた患者さんが、私の治療を受けてますが、例えばね、乳癌で骨転移してもうだめだと医者から言われていたのに、鍼を併用して疼痛も緩和されてもう7年保っているんです。抗癌剤もやってるけど、抗癌剤だけではそれだけの効果はふつうは出ないそうです。これは生気論の有効性を証明していると思うんです。
川口 人間の身体も、心も含めてトータルに診て、体調の改善を図るということでしょうか。
蓮風 その場合のトータルも部分部分を寄せ集めてのトータルじゃなしに、元々ひとつだったんだと、分ければこうだという発想と、バラバラのものがひとつになって統一だという考え方の大きな違いだろうなと思うんですがね。どうですか、こういう考え方?
川口 地理学は英語で「Geography(ジェオグラフィー)」と言います。「Geo(ジェオ)」が地球とか大地という意味で、「graphy(グラフィ)」が叙述する、描写するという意味です。2つの言葉からできているんです。グラフィという語尾がつく分野には、他に「Bibliography(ビブリオグラフィー)」、書誌学ですとか、「Demography(デモグラフィー)」、人口学ですとか、そういう分野があります。同じGeoが付いても「Geology(ジェオロジー)」、地学のように、「logy(ロジー)」という、理性や真理を意味するギリシャ語のlogos(ロゴス)を語源とする言葉が語尾に付く分野があります。グラフィの方は、先生がおっしゃることにつながるかどうかわかりませんが、百科全書的に総合的に見たいという分野です。地理学では、その場所に住んでいる人々の暮らしを総合的に見なければ、その場所の特色がわかりません。逆に、分析的な科学には語尾にロジーがつきます。西欧の学問分野のスタイルにも、大きく2つか3つくらいあるのかなという気がします。私の専門は地理ですので、先生が御著書の中で詳しく書いておられる、総合的につながりを見たいというお考えに親近感を覚える気がいたします。
蓮風 そうですね。私ね、ここ6年ほどね中国語を学んでるんですわ。年寄りがね(笑)。その中で、この間、面白い言葉を教わりました。「離不開」。中国語では「リーブカイ」と言いますが、離そうとしても離すことができない。いい言葉ですね。バラバラのように見えても、実際は切っても切れない関係。こういう中国語があるんですよ。これは生命というものは「機械論」の部分もあるけれど、最終的にはこれだろうと私は思うんですよね。非常にいい言葉で、もう物忘れのひどい年寄りですけれど、これ忘れることが出来ないんですわ。ええ言葉を教えてくれました。はい。
川口 ちょっと話が変りますが、私は学生さんの発表や様々な会議で研究発表を聞く機会が多いわけです。同じ分野の方だと10年以上の付き合いになります。同じ方でも、身体からエネルギーがバーっと出ているような発表される時と…。
蓮風 いわゆるオーラのある?(笑)
川口 ええ、同じ方でも、丁寧なご報告ではあっても、あまりエネルギーを感じない時があります。この発表は素晴らしいと思う時には、その方からオーラが出ているように感じます。
蓮風 ああ、そうですか。中身もあるんだけども、なんかその言葉とかそういうもの超えて、なんかこう光り輝くもの感じると?
川口 はい。そういう時があるんじゃないかと思います。若い院生や若い先生からも、すごい迫力が伝わってくるような時があります。同じ人でも、場面によって気迫が変わりますね。<続く>
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