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杉本一樹さん=奈良市の藤本漢祥院

 鍼(はり)の力を探る「蓮風の玉手箱」は、宮内庁正倉院事務所長の杉本一樹さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の8回目をお届けします。1200年以上前から数々の宝物を伝えてきた正倉院は気候の変化だけでなく時代の風雪にも耐えてきました。つまり苛酷とも言える時期もあったはずですが、それはどのように影響しているのでしょうか?今回はそんな話題からお話が始まります。

(「産経関西」編集担当)

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 杉本 苛酷な時期を含めて、正倉院が恵まれていたところとなる訳です。ひとつは関心があんまり向かなかい時は100年以上、蔵が開かなかったという時もあるし。かといって、あんまりほったらかしにしておかれると、例えば建物が雨風でやられて、雨漏りして、最後には、中の物が全部なくなっちゃったとか…。

 蓮風 うん。

 杉本 そういうこともなく、適度に放っておかれ、適度に関心を持たれてというようなことを、恵まれた、と表現できるっていうことです。

 蓮風 正倉院には年に何回か虫干しみたいなものを…?

 杉本 今は鉄筋コンクリート造りの倉庫に入ってますので、風入れという意味ではしなくていいんですけれども、やはり宝物の無事を確認するために点検を…。毎年毎年、蔵を開けて全部の物に風を当てていたんですね。

 蓮風 昔は、あの…校倉造式の、いわゆる上手く自然と調和して、板間のようになっとったからやっぱり、虫干しみたいなものはあんまりやらなかったんですかね?

 杉本 いえ。

 蓮風 やっぱり、やったことはやったんですかね?

 杉本 ええ。あれは明治の10…何年からか後はね。明治16年だったかな。

 蓮風 はい、明治以降は…。

 杉本 ええ、明治16年以降は、毎年一回定期的に。

 蓮風 定期的にされていると。

 杉本 ええ。

 蓮風 それ以前はあまり分からないですね。

 杉本 そうですね。その前はむしろ、開ける時のほうが珍しかったんですよ。開けるタイミングは何かって言うと、やはり雨漏りがしだしたとか、雷が落ちたとか、盗賊が入ったとかそういうようなとき。

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 蓮風 正倉院も色々な御物、遺物を運んで現代に伝え、そして未来に伝えていく訳なんですけども、東洋医学も一つの医療文化として、単なる過去のものではなく、現実に今に生きて未来に伝えることが非常に大事なんです。

 杉本 そうですね。

 蓮風 はい。そういったものをなんとかね、我々は何とか世に広めたいという願いでおる訳なんですけども。先生がおっしゃるようにやっぱり宣伝というか、外へもっともっと、こうなんだよ、という動きを強めないかんですかねぇ?

 杉本 宣伝というと聞こえがちょっと…。

 蓮風 ははは(笑)。聞こえが悪い?

 杉本 いや(笑)。世の中に、大して価値のないものを…こう…ちょっと吹っかけて、というようにも聞こえますから…。そうじゃなくて、これだけいいものですからね、必要としている人達っていうのが、潜在的には多いと思うんですよ。そこに向けて、情報として届きやすくする手法は必要かと思いますね。<続く>