「鍼(はり)」の力について藤本蓮風さんと九州大学大学院医学研究院教授(麻酔・蘇生学分野)の外須美夫さんが対談する企画の第3回目をお届けします。今回も前回に続いて「痛み」がテーマです。痛みの“正体”や痛みに対する東洋と西洋の考え方の違いについても話が及んでいます。医療の文化論としても興味深い展開になっていますよ。(「産経関西」編集担当)
外 いやいや癌(がん)の痛みはなかなかですよ。
蓮風 で、この前もあれ(『鍼灸ジャーナル』vol.15)に書いとったと思いますが、歯医者さんで、前立腺癌も骨転移の激痛で、鎮痛剤が効かないんで困っとったやつに、かなりこれ(拳をつくると小指の根元にできるしわのあたりにある「後谿」への鍼)やりましてですね、驚くことなかれ、痛みが数回でとれて、でひと月もたたん間に本業の歯医者さんに戻れたんですね。一瞬の間やけど。
外 へぇー。
蓮風 ひと月やふた月ね、自分の仕事ができだした。そのことによって本人はものすごい自信がついた。いや俺やっぱり治るかもしらんて。ま、結局最終的に亡くなったけども、しかしそれが一つの救いではなかろうかと私は思っております。
外 そうですねぇ。それは凄いですねぇ。
蓮風 それもねぇ、実は(治療に鍼灸を取り入れている医師の)藤原昭宏先生が連れて来たんですよ。
外 そうですか。
蓮風 あそこ行ったらひょっとしたら助けてくれるかもしらんので。一回やってみてくれへんか、ということで。
外 先生は痛みの治療はやっぱりもういろんなところを使っていますか?
蓮風 やってますね、はい。でも最終的にこの「心神」というもの、心(しん)の神(かみ)ですねぇ。この心神が最終的に痛みを知覚するかどうかを支配してるから。で元々、痛みのメカニズムというのは、東洋医学では気血の不通。気血は十分にあっても気血がうまく流通しない、あるいは気血両方とも弱るから、弱りすぎて通じない。だから先程の鍼麻酔が効くのは気血の流通を良くするだけなんです。気血が弱ったケースには鍼麻酔は効かないんです。
外 はぁ、なるほど。そうなのですねぇ。痛い痛いという患者さんも多いですけど、痛みの種類によって違いますよねぇ。
蓮風 違います、違います。でねぇ、私もいろいろ診てきたんやけど、結局、心(こころ)からでた痛みは一番とりにくい。
外 うんうん、そうですねぇ。
蓮風 東洋医学で痛みというのは痛苦。痛みを苦しみの一つと考える。痛苦という考え方。はい、だから最も人間的な苦しみの一つが痛みではなかろうかと思って。
外 癌の患者さんは特に身体が痛いということと同じように心の痛みを持っています。
蓮風 そうそう。むしろね、痛みに対する恐怖心、死に対する恐怖心がきつい人はね、これは戻しにくい。
外 うーん。
蓮風 やっぱり逆に居直って、俺はもう死んでもいいんだという人はね、意外と痛みも本当はあるんだろうけど、あんまり感じてない。そして多少痛みがあってもそれはもう鍼で簡単にとれるということはたくさん経験してるんですがねぇ。だからあれはやっぱり非常にこう人間的な、一つの現象かいなと思っております。
外 先生の所に来られた患者さんは心の苦しさや心の悩みとかを持った方も来られていますね。
蓮風 たくさん来ます。
外 そういう方には心に効くような治療をされるのですか。
蓮風 うん、だからそれはですねぇ、私達は心と身体と魂は一体だと言っておりますよね。で鍼をしてなぜ、人が救われるか言うと、身体を通じて心を動かす。で結果として魂にまで響くんだと、そういう考え方を持っております。弟子の中にもいろいろ私の治療を受けながらやってる人おるんですけども、もう常にこう迷って、イライラして、毎日を苦しみととらまえてる。それは間違いだぞと。ブログ(「鍼狂人の独り言」)の中にも書いとるんですけどね、毎日が苦しみでは本当の人生じゃないっちゅうようなこと言っとるんですけども。鍼をしますと、今言うように身体の気が調い、心の気が調うということ、本当の自分が現れるんですよ。だから鍼をしてぐっすり寝るんですよ、そういう人は。ほんでパッと、おい終わったぞって。ほら、今何も考えてなかった時のあんたが本当のあんたなんだと。いつもあれこれあれこれ思い悩んで苦しんでるのは本当のあんたじゃないんだと。いうこと言ってやることよくあります、はい。
外 その身体と心の結びつきっていうのでしょうか。身体を一括りにすると見えにくいところがあるのですが、身体のどこの部分が心と繋がっているのでしょうか。
蓮風 やっぱりね、東洋医学が元々持ってる心身一如という考え方。心と身体は一つなんだと。だからあのー古くはギリシャでしたかね。健全な肉体に健全な精神が宿るという、あぁいう発想はやっぱり東洋医学にも元々あったわけなんで。だからこそ身体を鍛えると精神も鍛えられて、例えば武道なんかでは精神状態も変えられるということを言ってます、はい。あれは単なる心の鍛えじゃなしに、肉体の鍛えなんですね。それを鍼でもしやれるとするならば、それはねぇ、よく神経衰弱みたいになった人でクヨクヨしてる。で鍼をしていきますとだんだんだんだん肩こりとれて楽になったと。どうや、昔みたいにクヨクヨ考えるのはどうやって言うたら、もうあれは不思議なことに鍼をしてもらってからあんまりくしゃくしゃ考えんようになったとかね。これは明らかに身体を通じて心の方にアプローチして、その心を動かした証拠ではなかろうかと、いう風に思います。
外 先生が(病の状態を表す)「証(しょう)」をみて身体を診ますよね。その中の歪みは心の部分と関連するのですか。
蓮風 うん、だからそれが身体にも反映されているわけです。だから心から身体、身体から心へというこう相互浸透というか、そういうもんがあるみたいで、我々は鍼を持つとその部分を利用して身体からまず心を素直にするというか、そうしてから「実は本当はこういう風に物事を考えんとあんたまた同じ病気するよ」という話しを致します。
外 そうですねぇ。
蓮風 ほんであの、鍼に来ても最も鍼がその力を発揮する状態にして置いてやるから効くんであって。
外 ほー。
蓮風 ほいでそこから身体を支配して、身体から今度は心を知らん間にね、悪く言えば盗み取ると言うか。ハハハ。そうすると素直に、私の言うことを聞いてくれるようになります。
外 うーん。なかなかでも素直になれない患者さんがおりますよね。
蓮風 おりますおります。「あんたな、身体が歪んでるけどもやっぱり同時に心も歪んどるぞ」ということも言います。やっぱり状況ですね。最初からそう言われへんし、ある程度良くなってからどうやと言ったら「確かに先生、考え方間違ってました」って。それを私は根性直ししたんよというようなことをよく言うんですがね。えぇ、だから先生この前僕が統合失調の患者を良くしたって言ったら、「そんなもん治るんですか!?」っちゅうようなことおっしゃったけども、かなり成果上げます。なかなか難しいのもありますけども。えー今日も来とったけども、彼もちょっとほんとにおかしい行動とっとったんですけど、鍼すると良くなってきてます。
外 それも結局身体のバランスをとることによって心のバランスをとる?
蓮風 そうですね。まぁ言うたら五臓六腑のバランスが心の方まで整える。実際肉体から心の問題っちゅうのは卑近な例が、食べ過ぎたり飲みすぎたりした後、やっぱり気分が悪いでしょ?精神的に不安定になりますね。で、寝ると変な夢みますね、怖い夢を。これも、肉体から心への問題ですね、はい。
外 そうですよねぇ。西洋医学では、脳を非常に重視して、脳の病気は脳に何かが起きているという考え方です。身体と脳を分けて考えるやり方です。私もそこに限界があるような気がするのです。
蓮風 でそこでちょっと話を変えましてですね。先生どうですかね、この医療というのは一つの文化と捉えますか?それとも医療と文化は別なんでしょうかね。
外 うーん。
蓮風 これはこの間民族学者と話しとったらまさしく「医療は文化だ」という話しされますし、別の先生によると医療と文化は別なんだと。
外 医療は文化に含まれると思います。
蓮風 はいはいはいはい。
外 医学は、科学の一分野と考えられています。科学の中に医学がある。ただ医療は人を相手にする。人がそこにいて、あるいは患者さんがそこにいて医療がある。ですから、決して人との関係が切れる事はないわけです。そしてその人には家族がいて、村があり、地域があり、自然があり、文化がある。文化の中から人は出ることできないですから、人を治そうとする限りは、医療がそういうものである限りは、必ず文化と接点があります。
蓮風 そうですねぇ。
外 私は痛みの患者さんを診ることが多いですが、痛みそのものも文化によって違いがあり、影響も大きく受けます。元々痛みという言葉が日本語の痛みと、西洋人の痛み(pain)、は異なった語源を持っています。日本語のいたみは、「いたく」なんとかというように、ある心持ちが極端な状態をいいます。英語の痛みpainはpoenaというラテン語からきており、それは、punishmentという罰の意味に繋がっています。
蓮風 はぁー。
外 痛みは神の罰を意味します。痛みは神の罰であるという風に自分を責めてしまう。日本人はもっと大らかで、痛いというのは自分の身体が極端な状態にあるということです。それは罰として苦しむのではなく受け入れやすかったのではないかと思います。西洋人は罰である痛みから遠ざかろうとする。無痛分娩に対しても、日本人は分娩時の痛みを割と受け入れられる。西洋人はどの痛みであれ、痛みは神に背いた罰だから取り除かなきゃいけない。
蓮風 そうですね。
外 痛み一つとっても文化とは離れられない。
蓮風 うーん。なるほどね。
外 だから日本は東アジアにあって、明治以降西洋医学が日本を支配していますけれども、元々あったアジア的身体感が戻ってきてもいいのじゃないかと思います。
蓮風 そうですね。
外 そこに救いみたいなものがあるのではないかと思います。〈続く〉
2019年05月
九大大学院医学研究院教授・外須美夫さんとの対話(2)
「鍼(はり)」の力をさまざまな視点から探る「蓮風の玉手箱」は前回に続いて九州大学大学院医学研究院教授(麻酔・蘇生学分野)の外須美夫さんと藤本蓮風さんとの対談をお届けします。今回は「痛み」が話題にのぼっています。患者さんにとって検査の数値がいくら改善しても楽にならなければ、しょうがない。反対にいくら数値が悪くても楽になるのならば救われる。そんな素朴な考えからおふたりの話は「病」を局所ではなく身体全体の「歪(ひず)み」に広がり、患者本位の医療について考えるヒントを与えてくださっています。対話に出てくる局所を“叩く”という治療からモグラ叩きの際限のなさを思い起こす方もいるかもしれません。(「産経関西」編集担当)
蓮風 ペインクリニックということでは、大阪医科大学の故・兵頭(正義)教授、それから鍼を(理学療法の)「良導絡」というかたちでもっていった中谷義雄先生(故人、医学博士)。中谷先生に鍼を教えたのがうちの親父なんです。中谷先生が兵頭教授に話をして、ペインクリニックに使えないかと。当時、京都大学でそういう東洋医学をもうちょっといい方向に持っていけないかと、笹川久吾先生(生理学者、故人)らが集まって、「東洋医学談話会」というのを作った。その中にうちの親父がいれてもらっていろんな話をした。
外 兵頭先生はペインクリニックの大御所です。
蓮風 私も大阪医科大学で講演したことがあります。
外 東洋医学に強く興味を持ったひとつのきっかけはですね。痛みの患者さんをみる中で、石田秀実という人が書いた「気のコスモロジー」という本に出会ったことです。
蓮風 石田秀実さん、はいはい。
外 これはなかなかすごい本だと思いました。身体が発する声というのでしょうか。私たちは脳に心がある、脳がすべてをコントロールしていると思っているけれども、そうではなくて、身体そのものが心というものを表出する。この本や、彼の他の本の中には、鍼のことや経絡のことや、東アジアの身体に関する考え方が書かれています。そんな本との出会いから、私自身も東洋医学の神秘や、現代における意義を感じるようになりました。
これまで西洋医学をずっとやってきましたが、なんでも薬、薬になってしまいます。製薬会社の言いなり、といってはいけませんが、あまりにもお金がかかるし、患者さんの負担も大きい。そういうこともあって、もっと違う世界があるのではないかと思っていました。
蓮風 たしかに西洋医学の医療手段としては薬の位置が大きいですよね。あまりにもね。
外 多くの医者は、診断までは考えながらやりますが、それから先、ある診断が下れば、治療薬が並べられて、それで治療することになります。その薬が病気を本質的に治すというよりも、ある悪影響を与える物質の作用を抑えようという目的で薬を使うことになります。医療は進歩しているのは事実で、昔治らなかった病気が治るようになりました。癌(がん)の治療もだいぶ進んでいます。高血圧の治療薬もあります。
しかし、あまりに薬に頼っている世界があります。たとえば、ある物質の作用を抑えようという目的で薬を投与すると、そこだけに効くのではなくて他のところにも影響が出ます。だから全体的に見ると、ある機能を変化させると他の所までに歪みが生じてきます。部分では治療できているようでも、全体からみると歪みはもっと大きくなっている。そういう要素を西洋医学は持っています。
蓮風 先生に一本取られたような感じで、あの、身体の歪みという考え方、局部がどうのというより、全体の歪みという考え方自体が、気の医学につながっていくんですよねぇ。
今日もあるお医者さんと話していたんですけれど、インターフェロンがC型肝炎の治療法だということですけれど、インターフェロン自体が人間の身体の中で生産される物質だと。ところが、人間の身体の中で生産されて動いている限りは、一種の免疫として働くんだけれど、薬として注入した場合には、いい面もあるけれども、先生のおっしゃるように、いらんところまで行って、身体を歪ますという面がある、ということを聞きました。
そこでC型肝炎の患者さんに鍼をしましてね。ほかの方法をなにもやらずに、鍼をしたところ、C型肝炎ウイルスが消えていく現象があるんです。あるいは全く消えなくても、減少する傾向にあるという西洋医学的なデータもあるんですわ。
外 不思議ですよね。
蓮風 だから、もしね、無理なく、人間の身体から出てくるとするならば、いま先生がおっしゃったように、薬剤として投与した場合とは意味が違ってくる。いらん所へ行っていたずらして、歪みを大きくすることはまずない。もし鍼が関与するということになると、大変なことなんですよね。
外 そうだと思いますよ。先生の診療現場を見ると、不思議なことが起きていますよね。それは人間にそもそも備わった力というものを鍼が導いているということになります。西洋医学はそういうところを叩こう、叩こうとしている。本来持っている力を叩こうとするところがあります。
蓮風 結局は、自然治癒力というか、漠とした概念かもしれないが、そういうものが働かないと、実際、人間の身体は治らんのですよね。
外 そうだと思います。
蓮風 まさしくもう、なんか、先生に最初から一本取られた感じで。気という医学は、そういうことが根本命題なんですよね。だから局部が治っても、全体がダメになるとまたダメなんだと。そういう発想からいうと、面白い現象があるんです、臨床をやっていると。あの例えば鍼をやっとっていろんな病気を良くしていくわけですけども、患者本人の自覚症状はかなり改善してきているのに、西洋医学のデータでは全然良くなっていないという結果が出ることもあるんですよ。
外 ほう。
蓮風 例えば今日来とった、あのおばあちゃん。肺の非常に重い病気。その人なんかはもう西洋医学ではもうまぁ言うたらデータが全然悪い。
外 肺の機能としては悪いけれども元気なのですか。
蓮風 ところが、ちゃんと診たてて鍼を頭へ1本するとねぇ、脈が良くなって。もうどんどん咳がでて痰が出てたのがうんと減ってきとるんです。
外 はぁ。
蓮風 だから西洋医学の基準とズレてても実際にある部分でまた改善できているんですよねぇ。
外 うん。そうだと思いますよ。それはデータには表れない。
蓮風 はい。逆に言えばデータ中心とする西洋医学から見るとまさしく珍奇な現象で。
外 うん。そう思いますね。
蓮風 ところが患者さんは「救われるか救われないか」という点から言うと、先生がさっきおっしゃったように、もうとにかく「痛みとってくれ」と言った場合に、とれればそれは一つの患者さんの救いになりますよねぇ。
外 まさしくそうだと思いますねぇ。患者さんが何を求めているかということですよね。そこに合致するかどうかが大事だと思います。
蓮風 このカルテの人は緑膿菌肺炎。
外 結構重症じゃないですか。
蓮風 重症ですよ。それでもう本人は死ぬ死ぬ言うからね、「ちょっと待てよ」て。舌診て脈診て、「あんたまだまだそんな簡単に死なんで」て。「残念やったなぁ」という話をするんですがね。で、鍼するとやっぱり良くなる。ところが西洋医学の検査受けるたびにまた肺が白なったとか(炎症反応を表す値の)CRPが上がったとか言われてね、でもそれを十何年やってきて落ち込んでいったんやろうって。せやけど今僕があなたに、別の方法で助かるかもしれないって言ってるんだからいっぺんこっち(東洋医学)の方に向けたらどうやということ言って今がんばって治療には来てるんですがね。
外 おーそうですか。
蓮風 はい。
外 なんて言うのですか、免疫力の低下とかいろんな病気になる基の身体の具合っていうのがあるのでしょうね。そういうところを気で説明できるのかもしれません。
蓮風 そうですね。
外 不思議ですね。それも頭に。
蓮風 (頭のてっぺんにあるツボの)百会に1本。おもしろいです。
外 その辺がね。
蓮風 だからまたね、お忙しいだろうけども、時々診療所へ来てこの怪奇現象を見て頂いて。ハハハ。
外 それが不思議でならないのですね。
蓮風 先生はそういうところに関心を示されて北辰会で勉強なさる気持ちになったと思うんですけど、でも実際は鍼の勉強はどうなんですかね、先生の…。
外 実を言うと昔に西洋鍼というか、とにかく背中の圧痛点に鍼を刺す方法をやったことがあります。
蓮風 はいはいありますねぇ。
外 そういうトリガーポイントに似たようなことをしたことはあります。
蓮風 それとまぁ先生の今のお話しから言うと、魅力的なのは癌でどうしょうもない痛みが、(拳をつくると小指の根元にできるしわのあたりにある)「後溪」というツボを使いますとですねぇ、かなり…。
外 それはどうしてでしょう?
蓮風 だからこれは東洋医学の五臓論から言うと、五臓には木・火・土・金・水の五臓でそれぞれ各臓に神さんがあるという。「五神」と言うんですがね。で一番それを統轄するのが「心神」ですわ。まぁ西洋医学で言うと脳みたいな働きをするやつがあるということを言っとるわけで。でその心神が最終的には支配するから、痛みに関してもその心神が痛くないと思えば痛くないんです。
外 ほぉー。
蓮風 「神主学説」といいます。
外 ほぉ。
蓮風 こういう考え方があるんです。
外 うんうんうん。
蓮風 「神主学説」。でそれを思うとこの後溪がなぜ効くかいう説明ができます。それと、これを昔の人もやっとったかもしらんけど、直々にやりだしたのは私なんです。なんでか言うと、私の娘が急性悪性リンパ腫でもうここ(のどの辺り)が痛い痛い言うてもう夜これまたひどかったんですよ。半年かかって亡くなったんですけども、朝・昼・晩と治療しとったんですよ。せやけど、夜になって治療院を出て帰ったら「痛い痛い」と言う。もういろいろやったけど治らんで、最後にこれ(後溪)にやることによって、最初は鍼を捻るからちょっと「響く響く」※と言うとったんですけど、やがてスヤスヤ寝だしたんですよ。※註:「響く」というのは刺鍼部位にズンズンとした刺激感(人によっては軽い痛みに感じる場合もある)を覚えることがあり、これを「鍼の響き」という。
外 そうですか。
蓮風 自分の娘だからやってみたんですが、これは凄い事を発見したと。それが「神主学説」概念の応用のあの鎮痛法なんです。
外 そうなのですか。〈続く〉
九大大学院医学研究院教授・外須美夫さんとの対話(1)
医学ランキング
初回公開日 2011.12.4
華岡青洲のことも東洋医学に興味を持つひとつの理由でしたが、私は麻酔科で手術の麻酔をしながら、痛みにずっと興味を持っていました。手術の痛みは、麻酔薬を吸わせたり、意識をなくせたりすることで取れますが、ペインクリニックや緩和ケアで長く続く痛みをどう治療したらいいのか、西洋医学だけでいいのか、東洋医学の力はないか、そういう気持ちもずっと持っていました。そういうなかで今回、北辰会のことを、去年のペインクリニック学会で(医師の)藤原昭宏先生との出会いがあって、知ったわけです。
蓮風 いまの先生のお話を伺っていると、まず麻酔を使っての手術で、日本の偉大な科学者といいますか、西洋と東洋の折衷というか、そういうことから麻酔術を使って乳がんの手術をやった華岡青洲先生に非常に感動なさった、ということですけれども。私どものほうから言いますと、中国の唐の時代に、(中国・後漢時代の伝説的名医の)華陀が、麻沸散(まふつさん)というのを使って全身麻酔をやっているんです。また、「内科と鍼灸でもって治らんやつを、外科術でやるんだ」と。そのことは実は華岡青洲先生もおっしゃっているんです。で、意外かもしれませんが、華岡先生は舌診の専門書を遺しておられます。華岡青洲の口授とされる『舌診要訣』という書物が存在するようです。我々臨床家のほうから言うと、身体の全身の状態がよくわかるんですね、舌1枚で。たとえばショック状態で、もう意識が朦朧としているが、でも意識があるという場合に、脈が触れないんですよ、私が診たのでは。ところが舌出すと、これは助かるか、向こうへ行くかというのがわかるんです。だから、おそらく、華岡先生も舌診を術後の判定に使ったのではないかと。
外 そうですか。
蓮風 だからそういう東洋医学の、単なる麻酔とか、外科術ではなしに、総合的に診断学を見事に使っているのではないかと。当時の西洋医学の診断学いうのは、まぁそうたいしたことはないですよね、実際のところ。そうするとまぁ脈診たり舌診たりするのがせいぜいだと思いますが、その中で舌診を使ってられたことに、まず感動しました。それとやはり、彼がやったのは、(江戸時代に広がった蘭方医学の)カスパル流の外科学ですかね、西洋では。それをやってしかも、漢方専用の外科学があるんですよ。たとえば戦で矢が刺さった、引っこ抜いて傷を治す。それから刀傷なども。そういうことを漢方でもやってるんですね。だけれど先生のおっしゃるように、乳がんのような、とんでもない病気を外科術においてやる。内科でも治らない、鍼灸でも治らないものをなんとか治らんか、命を助ける立場から他の方法がないかといったときに、あの人ははっきり、外科が適用になる、そのために麻酔というのが必要なんだ、とおっしゃってたと思うんです。そういうことを外先生もお気づきになってたとのお話を伺うと、もう感動しますね。
外 以前、ニクソン大統領が訪中して、鍼麻酔のことが話題になりましたが、その後、脚光を浴びなくなりました。最近、私は100人位の中国人の麻酔科医の前で講演する機会があって、その中で鍼麻酔を実際に臨床で使っている先生はおられますか?と質問したのですが、手を挙げたのは1人だけでした。ただ最近、医学雑誌に心臓手術の麻酔を鍼で電気刺激して行う方法が紹介されていました。西洋の麻酔薬と少量一緒に使いますが、呼吸を残したまま行うという特殊な麻酔法です。左右6所の経穴を電気刺激していました。
蓮風 それは鍼に電気を通すんですか?
外 はい。
蓮風 麻酔科の先生からすると、西洋の薬、エーテルとかを使うより、安全度は高いですか?
外 私たちから見ると、麻酔薬を使ったほうが安全ではないかと思います。気道確保を行った方が安全ですし、患者さんにも負担は少ないと思います。ただ、鍼麻酔は医療費が安く済みます。
蓮風 それは非常に重要な部分でしょうね、特に中国では。
外 そうですね。しかも術後の経過が良い。集中治療室にいる期間も、入院の期間も短いし、術後の経過も良かったと書かれています。ですから、鍼麻酔もまだ使われているということですね。
蓮風 鍼麻酔というのは、ある意味で政治的に中国が巧みに使った術なんであって、日本の鍼灸師がまたワッと乗ったんですよ。「我々は麻酔だ」とかなんとか。そんなん、なるわけないんであって。ただ中国がアメリカと外交をやりかけ、日本と外交をやりかけたときの、ひとつのセンセーショナルな出来事をうまく使ったんだろうと思うんです。
外 そうですね。
蓮風 麻酔と鍼とはもともと関係ないかというと、「止め鍼」というのがありまして。痛みをなんとかして止める術を研究した学派もあるんですわ。ですからあながち根拠のないことではないんですけれども。あの当時は、テレビで、頭を開いてね、(開いたまま)物を言ったりして、もうびっくりするようなことをやったけれども。ちょっと解剖を学んだ人間にとっては、実は、ここ(頭)を開けても、なんともないんですよね、ものを喋 が、患者さんを幸せにしているかというと必ずしもそうでもありません。
蓮風 その点に関してね、また、先生に数時間、聞いていただかないといけない臨床事実があるんです。ただ時間がないので、1例だけ。脊柱管狭窄症あるでしょ。
外 あれも難しい病気です。
蓮風 それで間歇性跛行(かんけつせいはこう)あるでしょ。ある人がひどい場合はブロック注射するんだけれども、もうひとつ効果がない。それを私がやりましたら、数回で痛みが取れてきた。そのあたりをもしよかったら先生に伝授して、先生が直々にやっていただけたら…。
外 いや、僕にできますか。
蓮風 できます、できます。
外 そうですか?
蓮風 ほんとにちゃんとやればできると思う。それがまた鍼の魅力なんです。
外 僕は先生の診療風景を見て、ほんとうに奥深いと思いましたね。北辰会との出会いは、ペインクリニック学会で藤原先生のお話を聞いてからですけれども、その時も「本当に効くのかなぁ」と半信半疑でした。印象的だったのは、「帯状疱疹後神経痛は鍼で治せる」と藤原先生がおっしゃった。私は帯状疱疹後神経痛で自殺された方を知っています。それぐらいつらい痛みです。藤原先生の発表を聞いた後、すぐ藤原先生をつかまえて、「どうしてできるのですか。先生の診療を一回見せてください」とお願いしました。そうしたら「私の診療より、蓮風先生の所へ行かれたらどうでしょう」と紹介していただきました。
蓮風 それが北辰会との出会いということでしょうね。
外 そうです。 〈続く〉
中国を研究する杉本雅子・帝塚山学院大教授との対話(10)完
中国を研究する杉本雅子・帝塚山学院大教授との対話(9)
医学ランキング
「鍼の力」をさまざまな方向から語ってきた杉本雅子・帝塚山学院大学教授と蓮風さんの対談も終盤に近づいてきました。今回は患者が育った風土で治療の仕方も違ってくるという話が出てきます。不思議な印象も受けますが、心身は生活する環境に影響を受けるので当たり前のことかもしれませんね。蓮風さんの診察の段取りの説明も出てきますが、舌をみたり脈をとったりもしますが、一番大事なのは…? それはおふたりのお話をお読みくださいね。(「産経関西」編集担当)