蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

2019年06月

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 松田博公(まつだ・ひろきみ)氏 1945(昭和20)年、兵庫県生まれ。鍼灸師、鍼灸ジャーナリスト。元東洋鍼灸専門学校副校長。2005年1月まで共同通信編集委員として医療や女性運動、子ども、宗教などを取材。在職中に同専門学校で学んだ。主な著書に『鍼灸の挑戦』(岩波書店)、『日本鍼灸へのまなざし』(ヒューマンワールド)など。

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回も鍼灸ジャーナリスト、松田博公さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談です。東洋医学のバイブルとされる『黄帝内経』をめぐる議論は熱を帯びてきたようです。おふたりの近いけれど、微妙に違う見解を聞くと、鍼の微妙さと東洋医学の深遠さを象徴しているようにも感じます。蓮風さんが「単なる医学書ではない」と強調し松田さんは「生き方の書」だと、おっしゃる。意見が対立しているわけではなく、大きな視点からは同じのようにも思えるのに、さらに深くて広い立場からはうまく噛み合わないようです。でも、それは人間本来の在り方かもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 『黄帝内経』は非常に古い古い時代にできた医学書やけども「真理」のようなものですよ。

 
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 バイブルなんですね。僕は『内経』(=『黄帝内経』)は中国、日本共通の「原理論」だと考えています。

 蓮風 だから中国の、その時代の哲学書では皆あれを引用するんですよ、ご存じのように。そうしてみると、単なる医学書ではないんだ。

 松田 生き方の書なんですよ、生き方の。っていうのは、『黄帝内経』は養生の書だという議論がまるで事実であるかのように、まことしやかに広がっていて、これトンデモハップンなんですよ。養生っていうのは要するに健康の問題ですよね。『黄帝内経』はそうじゃないです。精を養う、生命力を養う、そして天地宇宙のリズムに合わせて生きよということだから、単なる健康の問題じゃない。生きることも死ぬことも含めて、天地のリズムにあわせろと、『黄帝内経』は言ってるわけです。それが養生の書だとなるのは、唐の時代以降で、『内経』の理解の仕方としては、小さい。唐代はもう漢代よりも人間が小さくなってしまったんでしょうね。

 蓮風 健康で死にゃいいです。

 松田 まさにそうです。

 蓮風 健康で死ねという教えですよ。先生がおっしゃる、「日本文化によって変わった」という部分、これ否定はしません。ただ伝統医学というからには、そのバイブルからですね、やっぱり何といっても大きな影響を受けている。我々のようなへっぽこ鍼灸師でも(『黄帝内経』にある)「九鍼十二原」が言った世界を再現できるというこの真実が医学書としての凄さを立証している。

 松田 いや先生の言葉をね、たった一言、僕は補足したいんですよ、一言だけ。僕にとっても、あるいは日本の鍼灸にとっても黄帝内経は「原型」なんですよ。一番のルーツであって、それと無関係に日本の鍼灸が存在しているわけではなくて、たどっていくと当然そこに行くし、最大の教典、最大の聖典、バイブルなんですよ。原型だからそれを無視することなんて出来ないんです。

 蓮風 ところが、まぁ、あなたは学校(東洋鍼灸専門学校)の校長先生までやられてわかってると思うけど…。

 松田 いや、前副校長です(笑)。

 蓮風 (学校では)関係ないこと教えてる。『黄帝内経』の教えを仰いで『黄帝内経』に基づいた教育で、『黄帝内経』に基づいた治療がなされにゃいかん。これ本筋ですよね? ところが現実にはそうなっていない。なんでか? やっぱり明治以来のね、西洋医学に対するコンプレックス。やっぱり自分らが本当に治したんだったら治したと言やぁいいし、アカンかったらアカンかったと正直に言やぁええのに、格好ばっかりつけて鍼灸学とかなんとか偉そうなこと書いて中身なんにもあらへん。私はそれ一番いかんなぁと思うんですわ。

 松田 その通りです。
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 蓮風 ねぇ。だから日本鍼灸というのはあるだろうし、あらにゃいかんと。しかしその前に、なんかせにゃいかんことはないかと。それは何を言うてもいいですよ。現代派でも、西洋医学のあのナントカ療法でもいいんですよ、治れば。

 松田 トリガーポイント。

 蓮風 はい。だけど実際、治らんでしょう?

 松田 治る病態はあるんですよ。

 蓮風 まぁ、あるんだけど。『黄帝内経』がいってるような病気を治してないじゃないですか。そうなってくるとねぇ、やっぱり、もっともっと自信を持てば、いい。「鍼灸師に自信を持て!」じゃなしに『黄帝内経』という教本、バイブルを持っている文化に我々は大いに自信を持つべきだと思うんですよ。そうなってくると、日本鍼灸というものはもっともっとその先に、あるんじゃないかというような気がしてね。

 松田 先というか、その末流というか、現在ですよね。僕は、3つないし4つの段階で鍼灸の流れを考えています。一番の原型として、漢代に黄帝内経の鍼灸があった。それがその後、唐・宋・元・明・清と、段階的に中国でも変わっていきます。そして現代中医鍼灸になる。だから「原型的」な流れと「段階的」な流れがあって、その段階的な流れの途中から朝鮮に行ったり日本に入って来ていますよね。日本に入って来た鍼灸は、平安・鎌倉・室町・江戸を経て明治以降の日本の今の鍼になっている、というように「原型」「段階」…。そして「現状」と、この3つを経て鍼灸は変化して今に至っているんだから、この3つを包含した日本鍼灸がある。

 一番末流は現在の日本鍼灸ですけど、どの流派も日本鍼灸学を作ることを一度真面目に考えてみればいいと思うんですよ。そうすると、足りないものがわかってくる。今の自分たちの技術論だけで、総合的な日本鍼灸学を打ち立てようと思っても、これは無理だと。つまり『黄帝内経』のところまでたどらないと思想も技術も歴史も含めた鍼灸学は成立しない。だから日本鍼灸学を構築しようと、一旦考えてみれば、ほとんどの流派が足りないものが見えてくる。その中で、これはカットしたほうがいいかもしれないけれど「北辰会※」ですよ、総合性を持ってるのは。

 ※補註:北辰会方式のこと。藤本蓮風氏が提唱し啓蒙している鍼灸治療大系。

 蓮風 まったくもってカットですね、これは(笑)。

 松田 仏教でいえば平安末から鎌倉にかけて、密教を軸として、密教から顕教から全部包含し、神道まで包含した神仏習合の日本的な宗教システムがありました。それと北辰会の位置が非常に似てると思うんですね。この総合的な宗教システムの中から鎌倉仏教のシンプルなものが出てくるでしょ。そうすると、今の各流派は鎌倉仏教なんですよ。こういう関係で僕は考えているんです。だから効いてないわけじゃないし、それぞれがいいことやってる。でもそれぞれの部分から日本鍼灸学を作り出すことは出来ない。いま出版やこういうインターネットの活動を通じて、思想や文化にまで精力的に発言している北辰会には、その材料が揃っていると僕は見ているんですよ。

 蓮風 いや、そないに言われてしまうとね(笑)。なんかこう発言が出来ないけどね。

 松田 僕は、北辰会はやがて総合的な日本鍼灸学を作るための準備をしてるんじゃないかなという気がしてます。

 蓮風 そうですね。<続く>

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鍼灸師の藤本蓮風さん=奈良市学園北、藤本漢祥院

 鍼(はり)の力を探る「蓮風の玉手箱」をお届けします。鍼灸ジャーナリスト・松田博公さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対話の2回目。東洋医学のバイブルと言われる『黄帝内経』に焦点が当たっています。一読すれば、静かな対話のようですが、おふたりの考えは微妙に違うようです。静かで、なごやかなのに熱い“気”のようなものを感じるかもしれません。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 「蓮風の玉手箱」に来ていただいた方のなかで、あなただけですよ、患者じゃないのは。みんな患者さんなんですよ。はははは(笑)。だからあなたを呼んだ意味は非常に深いと思う。(前回の話を受けて)日本と中国の鍼灸の違いは、文化の違いだ、いうわけですね。

 松田 本質的には、それがあると考えますね。

 蓮風 そうするとね。伝統医学として考えた場合、『内経』(=『素問』『霊枢』をもとにしたと言われる医学書『黄帝内経』)とのつながりはどうなんでしょうね。

 松田 『内経』はまさに中国の古代思想が創り出した医学書です。古代の中国思想というのは、基本にまず「気一元論」という、気についての根源的な洞察があります。その気の洞察がなければ、中国医学どころか、中国文化そのものが成立しない。

 蓮風 それはそうですよね。

 松田 では、その気はどういう構造になっているのか。ということで、混沌として捉えきれない気を2つに分けて、その関係から捉えようとする「陰陽論」が出てくる。さらに5つに分けてその関係から全体の運動過程を見ようとする「五行論」が出てくる。というように論理が複雑化していきますよね。

 さらに宇宙に遍満している気が人間との関係でどうなのか、ということで、天地宇宙の気と人間の気は繋がっていて、宇宙の構造も人間の身体の構造も同じだということで、「天人合一論」が、人間の身体にも当てはめられていく。こういう古代の中国思想がなければ『黄帝内経』も、鍼灸医学そのものも成立しなかった。だから中医学の教科書は、当然、中国の古代文化、古代思想から記述が始まっているわけです。それが日本に入ってきて変容した。じゃあ何が変容させたのか。日本の鍼灸家はほとんどそれが日本文化との関係から変容したとは考えないわけです。それじゃあ、日本仏教について考えたらどうか。これはものすごい考えやすいわけです。

 中国仏教が日本に入ってきて変わります。どんどんシンプル化していきます。膨大なお経が仏教とともに入ってきたのに、いまのたとえば浄土真宗、日蓮宗、禅宗にしても、それぞれ少数のお経、経典で足れり、とする。あるいは経典なんてなくてもいいと、ただ座れと、いうようにどんどんシンプル化していく。

 蓮風 それはやはり歴史的に言うと、鎌倉新仏教からですね。

 松田 その通りです。

 蓮風 それ以前はやはり貴族仏教であって、天台にしても、弘法大師の密教にしても、どちらかというと鎮護国家に使われていたんですよね。

 松田 そうですね。

 蓮風 鎌倉時代になると、ご存じのように武士が台頭して政権を取っていく。庶民はどうして救われるかというと、平安時代に末法思想が流行って、そしてなんとか我々も救われんかという発想、そこらあたり親鸞や道元あたりも出てきたんだと思いますね。

 松田 シンプルに、やさしく語りかける…。生活感覚から…。

 蓮風 先生の考えでは、鎌倉時代から大体、日本文化と考えられますか?

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 松田 いや、それ以前から、古代の「古事記」にまとめられている神話の時代、あるいは縄文時代から日本列島固有の海洋性照葉樹林文化が生んだ混沌とした命の感覚があり、それが日本文化の基層としてずっと流れてきたと思います。だから、一番大きな問題は…。これは鍼灸界でまだ語られていないんですけど、日本の気の感覚と、中国の気の感覚は違うのではないかと僕は思っているんです。

 中国の場合、非常に論理的に気を捉えています。さっき言ったように、2つや5つ、あるいは「天人地」というように3つに分けて、その図式を天地宇宙から身体にまで一貫して当てはめて、全体を認識しようとする。非常に構造的です。気をある種、物質に近いような…。物質というと命がない感じですけれど、でも気には命がありますよね。方向性もあって、行きたい所に行ったりして、それで意思に従って“気がやる”ということもありますから、気にもやはり命がある。だからそういう意味では命を持った物質という感じの根源的な精細な生命体として捉えている。

 日本にそれが入ってくると、気が精神的、心理的というか、雰囲気というか、情緒的なものに変わっていくのは何故なのかについて、鍼灸師はもっと考えるべきなんです。でないと、日本鍼灸の特質が理解できない。中国の場合、理詰めで構造的に考えていくんだけれど、日本人の場合はどうして情緒的に流れていくのか、いい意味でも、また悪い意味でも流れていくのは何故なのか。それは、気の感覚に違いがあるんですね。幸田露伴なんかも言ってるんですが、中国から「気」の概念が入って来る前から、日本には「チ」「ヒ」「イ」など、生命力を表す固有の言葉があった。その感覚的、感性的な表現と中国の「気」が結び付いて、日本語の「気」という概念が出来たために、日本の「気」は、ずいぶん情緒的で感性的、心理的なんだというわけです。日本文化が背景となって中国鍼灸の日本的変容が起きたと考えるなら、日本語の要素を抜きには語ることはできないのです。

 蓮風 なるほどね。僕は臨床家ですので、やっぱり『素問』『霊枢』というのは臨床に直結してると考える。特に「鍼経」と言われる「霊枢経」の中の鍼の操作に関しては見事につかまえてますねぇ。これ、あの中で「気至りて效あり。效の信は、風の雲を吹くがごとく、明らかに蒼天を見るがごとし、刺の道終わるかな」と。

補註;『霊枢』九針十二原に「刺之要.氣至而有效.效之信.若風之吹雲.明乎若見蒼天.刺之道畢矣.」とある。

 松田 素晴らしい表現ですよねぇ。

 蓮風 はい。邪気が来るときは緊にして疾、速くて固く、非常に緊張した気が来るのであると。「穀気」「正気」ですね。「穀気の來たるや徐にして和」。ゆっくりとジワーっと集まってくるどというわけです。あれはもう、いまだに再現できますね。2500年前の話やけどね、見事に再現できます。
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 松田 気至る感覚もやっぱりそうですか?

 蓮風 全く一緒です。だから、それを後代になって「あーだ」「こうだ」言う、はっきり言って鍼を知らん者がモノを言っていかん。私はそう思う。その『霊枢』の、特に「九鍼十二原」あたりに書いてあることは、もうつぶさに暗記してもらって考えてもらわないと、本当は学校で教えとけば良いのにと思うのに、てんで外れとるような感じするんですけどね。

 松田 『霊枢』の第1篇ですからね。一番最初に「微鍼宣言」が来てるんですもんねぇ。

 蓮風 そうです。そこへね、だから、「余、毒藥を被らしむるなく、●石を用うることなからしめんと欲す。微鍼を以て、其の經脉を通じ、其の血氣を調え、其の逆順出入の會を營しめんと欲す」。あのあたりはね、やっぱもう鍼の革命の時代だろうね。<注記:●=砥のつくりが「乏」>

 松田 まさにそうですね。進化論ですね。

 蓮風 つまり現在、つかわれているような(非常に細い)毫鍼という患者があまり痛みを感じない楽な鍼で治すにはどうしたらいいのかというと、気を通じさすという論があるんですよね。このことはね、まぁ松田さんの意見とちょっと違うんですけども、(江戸時代に幕府につかえた鍼医の)石坂宗哲がはっきり言ってるんですよね。彼は、『鍼灸茗話』という書物の中で、鍼の極意は霊枢九鍼十二原は気を通じさすことにあるという。今、補瀉とか何とかいうけど、気を通じさせればあらゆる病気が治ると、言っとんですよ。これがねやっぱり、違う土地で違う時代の人が同じことを言うんですよ。今、先ほど私が「霊枢九鍼十二原」を再現できると言いましたがね、だから『内経』というのは素晴らしい教えだなと思います。

 松田 その通りですね。

 蓮風 はい。そして、そのことをまた裏書きするように、江戸・元禄時代の杉山和一<鍼の施術法「管鍼(かんしん)法」を創始し視覚障害者のための鍼・按摩の教育施設を開いた>がいた。あの人なんかもやっぱり見るべき古典はもっぱら『内経』なりと、言っておりますね。だから結局、日本的なものもあるだろうし中国的なものもあるけど、それを乗り越えて脈々と伝えられた伝統の力、そういうものを感じるんですよね。もちろん日本と中国の違いということも大事なんだけど、むしろ私は、時代を超え、地域を超えて、それでもやっぱり貫く真理みたいなもの、やっぱり『内経』ですわ。ほんでね、中国のね、大きな本屋行くと、1階の一番目立つとこに哲学書がある。その中に『黄帝内経』を置いてあるんですよ。<続く> 

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初回公開日 2012.9.29
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鍼灸ジャーナリストの松田博公さん


 「鍼(はり)」の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は、今回から鍼灸ジャーナリストの松田博公(まつだ・ひろきみ)さんと、鍼灸師の藤本蓮風さんの対談をお届けします。松田さんは1945(昭和20)年、兵庫県生まれで、2005年1月まで共同通信編集委員として医療や女性運動、子ども、宗教などを取材されてきました。在職中に東洋鍼灸専門学校で学んで鍼灸師の資格も取得されています。主な著書に『鍼灸の挑戦』『日本鍼灸へのまなざし』などがあります。

(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 「蓮風の玉手箱」へようこそいらっしゃいました。ありがとうございます。(関東から)遠い所、来ていただいてほんとに感謝いたしております。いろいろ考え方は違うと思うけれども、鍼灸のことを真剣に考えているという点は一緒だと思うんです。私は臨床家ですので、ひとつずつ治しながら、しかも鍼はこんなものだぞということを、外へ出来るだけ訴えていくために、このような(「蓮風の玉手箱」)試みもしています。まぁ「鍼狂人」ですから、何言うやわからない。狂人ですから(笑)。まぁそこら辺りは許していただいて…。

 じゃあ早速、鍼灸ジャーナリストとして、権威ある鍼灸家、医家との対談をなさっておられますが、その活動の中で日本鍼灸としての共通項を見出されたでしょうか。そもそも日本鍼灸とは何なのでしょうか。中医学とはどこが共通で、何が違うのでしょう。これは主なテーマになると思うんですけれどね。まず好きに喋っていただいて…。

 松田 そんなにたくさんの鍼灸家に会っているわけではないです。蓮風さんとお話しするのは大変苦しいんですよ。なぜかというと、僕が話すことは釈迦に説法みたいなことになっちゃうから…。

 

 蓮風 いやいやそんなことはない。
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 松田 喋りにくいんですが、とにかく、いろんな方にお会いして、ある一定の印象はあります。まだまだ分析というより、印象の段階なんですけれど。この間の(月刊鍼灸専門誌)『医道の日本』で、関西医療大学(大阪府)に1年間、留学された金春蘭さんという中医師の方が、日本の鍼灸と中国の鍼灸を比較して、話しておられました。金さんは以前、北京に行ったときにお世話になった方で、知り合いなんですが、彼女曰く、鍼灸というのは「理法方術」だと。これはもう先生よくご存じですが、一般の読者のために言いますと、理論の「理」、方法の「法」、どの穴に処方すべきかという「方」、そして「術」。その「理法方術」のうち、中医学は「理法方」が得意で、日本鍼灸は「術」が得意なんだと言っておられて、なるほどと思ったんです。

 たしかに日本の鍼師を訪ねて歩きますと、鍼の技は非常に繊細です。それに比べて理論の方はシンプルです。手で触って、全体を見て、バランスの失するところに鍼を刺していく。結果としては(気を補ったり出させたりする)補瀉になっているわけでしょう? そういう中で、一貫して日本の鍼灸師が持っておられるのは、日本人特有のある種の生命感覚といいますか、命の状態に対する敏感な感受性といいますか…。突き詰めていきますと、我々が施術するけれど、最終的に鍼が効くか効かないかを決めているのは、患者さん自身の生命力であって、それを自然治癒力と言ってもいい。で、我々は患者さんが治っていく自然治癒力の働きを支援しているのだ、と。そこに我々の技の決め手があるので、その技が下手であれば自然治癒力を助けることができないし、上手くいけば助けることができるというように、自分をちょっと退かせて、患者さんとの関係を語る。

 こういう生命観が日本鍼灸のある種の共通項であると、思想のレベルでは言えるのではないか。で、そのための技としては、強引にぐいぐい患者さんの身体を動かして、自分の望む方向へ持っていく先生はいるんですけれども、どちらかというと繊細な、患者さんの身体の気の動きが流れる方向に沿って、上手く調整していく、補瀉を使って調整していく、というような繊細な技がかなり目立つんじゃないか。そのためにもどこに配穴すべきかを触って確認する、ということが一つの特色になる。

 中医学の場合は、「理法方」に重点を置くために弁証して、陰陽虚実を明確にして、その結果、配穴が決まっていく。まぁ、中医学といっても、いろんな方がおられて、一概には言えないのですけれども、スタンダードな、中医薬大学で教えているような鍼ですと、患者さんの個体の違いをそんなに見ないで、かなりパターン的に配穴して「得気」という、これまたパターン化された手法でやっている。そのようなところが、かなり違っているのではないかなと思います。どうしてそうなるかというと、背景には中国と日本の古代以来の文化の違い、論理的、構造的思考性と感性的、実感的指向性の差異があるのではないか、という気がしているんです。
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 蓮風 この話とは必ずしも関わるかどうかわかりませんが、この間も内科小児科でね、ある有名大学出の医者で、今は私の弟子になったと本人が言ってるんですけれど、その人に質問したんです。「今、西洋医学から抗生剤とステロイドを取ったら、どれだけ治せる?」と。そうしたら、賢いからね。「先生、なんとか6割くらい治せるんじゃないですか」と言ったんです。6割治せるということはどういうことかというとね、その医者が、もともと治す力があるから、ちょっとやれば効くんだ、抗生剤とステロイドがなくてもやれますよ、と言ったけれど、ちょっと強弁してるんですよね。西洋医学も、内科、外科いろいろあるけれども、その中で抗生剤とステロイドを取ってしまったら、はっきり言って、諸手を取られたようなもんだと私は認識しているんです。これ現実だと思うんですけれども、賢いからね、6割だと言われた。

 松田 そうですよね。今の、たとえば小児科なら、抗生剤とステロイドを抜くということ自体が考えられないので、この6割というのも…。

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 蓮風 この間、医者が名古屋の小児病院というところから患者を送ってきたんですけれど。その送ってきた医者は、もともと学生の頃から天疱瘡という病気で、治らなかったやつを僕が治しちゃった人で。ステロイドやなんやで色々使ってて、確かに急性期は良かったんですが、慢性期に入ると全然ダメで、どうかするとまた悪化する。それを私が鍼一本で治してね。だから私の信者みたいなもんなんです、若いけど。で、自分のネフローゼの小児患者にステロイドから免疫抑制とかいろいろやったけど、ムーンフェイスになって、むくんでしまって全然治らん。「先生どないしたらいい?」と言うから、「連れて来い」と。

※ネフローゼ:大量のタンパク尿と低タンパク血症(あるいは低アルブミン血症)が認められる腎疾患で、高脂血症や浮腫が2次的に発症する。特に、浮腫は、ひどい場合には、尿量が減少し、1日に1キログラムも体重が増えることもあり、胸水や腹水に至ることもある。(『今日の診断指針 第5版』より)

 松田 患者さんを?

 
 蓮風 はい。打鍼用の金の鍼と銀の鍼を当てるだけで、良くなっていった。少なくとも、降圧剤を飲んで、上が110~120、下が90台。

 松田 子どもさんですか?

 蓮風 はい。私がその鍼をやってから、その降圧剤を飲み忘れても、いま、上が80、下が40になった。これ、現実なんです。そして汗がどんどんどんどん出ます。まだ2週間しか経たないのに、余分な水が抜けて、体重が500グラム減った。むくみが治ってきた。ちなみにその子は、3歳くらいです。

 松田 そんなに小さいんですか。

 蓮風 3歳の子がね、2週間以内で500グラム減るというのは大きな意味がある。

 松田 その子、そのまま薬漬けになってたら、やばいですよね…。

 蓮風 だからね、そういう現実を見ると…。ほんとに鍼灸はしっかりせんといかんぞと、あらためて身が引き締まるような思いをしました。

 松田 出来ることはあるんですよね。鍼でしか出来ないことがある。

 蓮風 だからそういう部分を本当にわかってやれば、素晴らしいことになると思う。さっきの話に戻すと、日本鍼灸は「理法方術」と仰った。「弁証論治」という一番のメイン・タイトルがあるんだけれども、いま仰ったのは、「弁証」の部分は希薄であって「論治」の部分は感覚でやっているという、そういうことですよね。

 松田 そうです。

 蓮風 これが日本鍼灸の特徴だと、仰っている。

 松田 現実がそうだということですね。

 蓮風 しかしながら、いま我々が(東洋医学のバイブルといわれる)『素問・霊枢』を見たときに、そういう感覚的な部分を非常に重視はしているけれども、同時に、理論がよく出来ていますね…。もう(先生は)『内経』(=『素問・霊枢』をもとにしたと言われる医学書『黄帝内経』)の専門家やから、どっちかいうと。我々以上に『内経』をよく読んでらっしゃる。

 松田 そんなことないですよ。僕は感覚で大づかみに読んでいるだけですよ。

 蓮風 いやいや。僕も感覚ですよ。臨床家だから。漢文がよく読めるわけじゃない。ただ(『中国医学の起源』などの著書があり東アジア科学史を研究している京都大学名誉教授の)山田慶児さんが、試しにちょっと僕の書いた本を見て、「読めてますよ」と仰ったんで。まぁまんざらじゃないなと(笑)。

 松田 いやぁ、あの怖い先生がねぇ。厳しい方で、滅多に人を褒めないんだそうですよ。<続く>


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藤本蓮風さんと(写真手前)と対談する小山揚子さん=藤本漢祥院

 鍼(はり)の力を伝える「蓮風の玉手箱」は今回が関西外国語大学名誉教授の小山揚子さんと鍼灸師の藤本蓮風さんの対談の最終回になります。小山さんは長年、患者の立場で蓮風さんと接してこられて自身の体験で鍼に高い信頼を寄せていることが伝わってきます。背景にあるのは鍼の治療が理にかなっているという安心感かも。その気持ちは「鍼を知らないのはもったいない」と言い換えられるかもしれません。お二人の口からは現代医学への辛辣な批判も出てきましたが、今回は東洋と西洋の医学がうまく融合すれば患者さんはもっと楽な治療を受けられるはず、というお話です。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 「東洋医学と西洋医学の両者の関係は患者さんにとってどうあるべきであろうか」という、問題なんですが。

 小山 理想的に言えばこの間の、シンポのドクターのように、西洋医学を当然知っていて、東洋医学にも理解があるという先生がいて下さって、西洋医学ではこういう治療法があります、だけど、オルタナティブ(代替手段)にはこういう風なのがありますってキチンと説明をして、患者にどちらかを選ばせるというのが、理想的だと思います。しかし、それはある意味では患者に対して非常に厳しい選択を迫るのではないかと思う。だから、患者の方もどちらかを選ぶより医者にまかせてしまう、もう、手術をしちゃいました、はい、抗癌(がん)治療しました、はい、もうこれ以上期待できないから、ハイさようならというように。それで慌てて、東洋医学の方に行くと、東洋医学の先生はもうちょっと早く来てくれればと(笑)…。もうちょっとラクに手の打ちようがあったのにということになるんだろうと思うので、そういう意味で、理想的には両方の医学を知っている先生が増えればな、と思います。

 蓮風 僕は内科のドクター達とたくさん付き合って意見交換していますが、西洋医学と東洋医学は両方必要なのはわかる。だけど、ひとつの発想として、東洋医学を中心にやっておいて、何ぞの時にちょっと手伝いしてくれるのが西洋医学やったら、面白い病院ができるんじゃないかなって思っています。

 小山 発想の転換ですね。

 蓮風 「鍼灸病院」なるものを考えているんです。僕のひとつの発想としては、東洋医学を中心にやっておいて、どうしてもいかんときは西洋医学にお手伝いしていただくというシステムの病院です。

 小山 そうですね。主人(小山修三・国立民族学博物館名誉教授)が虫垂炎になったときに先生が診てすぐ手術のできる病院に送り込んでくださった、あの時の判断の適確さに感銘を受けました。先生のおっしゃる鍼灸病院ができれば理想的ですね。

 蓮風 はい。そうですね。 あんまり患者さんに苦痛じゃない診方をして、苦痛でない治療をやってもらって、それでいかん時は西洋医学に「ちょっと手伝ってよ」って、できればいいなっと思ってるんですよ。某国立大学の地震専門の学者がここへ来とるんですがね。この人は勉強よくできるから一生懸命やるんだけど、心臓が悪くなって、多分あれ狭心症か心筋梗塞まで行ってると思うけど、冠状動脈にステント入れてるんですね。それで何とかこう拡張して、心筋を助けたわけやけど、それから後でも発作がしょっちゅう起こるんです。

 小山 うん。

 蓮風 どうにもならんからって言うて、その、ご家族の方は私のところに何十年来てる方だったんで、お前あれ(鍼灸に)行ってみてってことで来院されました。

 小山 うん。

 蓮風 そして、鍼やったら難なくもう、発作起こらんようになった。

 小山 ふーん。

 蓮風 ただ最近は、無理するんで、何か貧血様の症状が起こると言うけど、もう心臓は全然何ともないですね。

 小山 うん。

 蓮風 で、こうしてみると、やっぱりこの東洋医学はもっとね、前に出て患者さん救わなあかん気がします。だから東洋医学で本当のプロの診立てのできる者と、で西洋医学の腕のある人とが組んだ時にどういうことになるんかなぁっちゅうこともひとつ考えているんです。

 小山 そうですよね。

 蓮風 手術して(体内に)水が溜まることがある。水が溜まるっていうのは、やっぱり、理由があるんだ。膝もそうなんですが、(小山)先生も膝で苦労されたんですよね。

 小山 えぇ(笑)。

 蓮風 もう僕がお手上げの時があって、先生も整形外科で手術した方がいいじゃないかって仰って、で、行ったら実際、もう、あの、骨がガサガサになってるからどうしようもないって…。で、人工関節かって話まで出ましたね。

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 小山 出ました。私はわりと活動的なのにあんまり出歩けないので、出歩かないっていうのがストレスになるんですね。3カ月くらいしたら、もうこんなストレスは嫌だから先生もう手術しますって言ったら「ちょっと待ってくれちょっと待ってくれ、もうちょっと僕に任せてくれ」って仰られて、刺絡を始めたんです。

 蓮風 そうそう。

 小山 おかげさまで、痛みが無くなった。長い間歩くとやはり、まだ途中で休みますけれど。

 蓮風 それぞれの医療の考え方についてどうですか。一方は、あの、骨がダメだから人工関節。で他方は気血の流れが悪いから、でまぁ刺絡を通じて、気血を流れるように。で、それでもまだ不便なところあるけど、まぁ、あの、そこそこ…。

 小山 私としては人間の身体っていうのは完成品だから、パーツ取り替えても、絶対そう上手くいかないんじゃないかなっていうのは、頭の片隅にありました。先生が「ちょっと待ってくれ」って仰ったので、あぁ助かったって思っていたんです。

 蓮風 医療人として、治らんものを引き止めるんも、かなり神経使うんですよ。

 

 小山 えぇえぇ。そうだと思います。

 

 蓮風 だけどね、小山先生は、西洋医学よりも東洋医学を選んでずっと鍼ばっかりやってきて、今更ね、西洋医学いうのはおかしいし、やっぱり酷だなって思ったんで、何とか工夫して。

 

 小山 歩くとかそういうことに関しては手術の方が回復したかもしれませんけど、体全体のバランスとしては、どうなのかなぁっていうのが私の、正直な疑問でした。

 

 蓮風 そうですね。まぁハッキリ言ってその、古くなれば痛みますからね。

 

 小山 そうですそうです。もう何十年も使っているから。

 

 蓮風 どの程度改善するかって問題ですよね。で、西洋医学のとにかくパーツやからということでその部分を取り替えようと人工関節にしたからって100パーセント上手くいくかっていうのは、これはまた、色々ありますしね。

 

 小山 そうですね。

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 蓮風 我々の方で治せたらそれが一番、患者さんにとってはね、良いことだなって気はするんですけども。そのほかどうですか、西洋医学と東洋医学はどういう関係にあった方が患者の立場として良いと思われますか。

 小山 どうでしょうね。

 蓮風 「この病気には、この東洋医学の方がいいですよ」とか「この病気だから西洋医学行った方がいいですよ」とアドバイスできるコンサルタントの役割ができる人がいれば、どうでしょう。

 小山 うーん。でも、万一私がそういうコンサルタントになったら、やりにくい仕事ですよね。

 蓮風 ははは(笑)。

 小山 コンサルタントの方が、ストレスで倒れてしまいそう。

 蓮風 (大笑いして)なるほどね、なかなか難しいですね。

 小山 えぇ。だからそれが、まぁ、患者がどちらか選ばなくてはいけない、患者のリスクとして選ぶというのは、それはそれで大変ですけど、一回で済みます。ところが、そのコンサルタントっていうのはそういう方を何人も相手にするわけだから、えらいことだと思います。

 蓮風 そうですね。

 小山 うーん、だから現実的にどうなんでしょうか。

 蓮風 コンサルタント自体の問題がありますよね。なるほど。

 小山 だから、私としてはやはり、もう、何十年も先生のお世話になったので、あぁ鍼灸あたりで、ちょっとそれで、手に負えないとか、こっちの方が効果的という時に、西洋の医学が、お手伝いに入ってくれるような、そういう医療施設があったらいいですね。

 蓮風 そうですね。やっぱり鍼灸病院ですね、結局。

 小山 えぇ。

 蓮風 さっきの話にちょっと戻るんですけど、水が溜まるという現象は膝でも心臓でも、それから癌でも胸とかお腹に水が溜まる。これは原理は一緒だと思うんです。水が溜まるというのはね、中に熱がこもるということなんですよ。

 小山 うんうん。

 蓮風 熱を冷やそうとして水が溜まるんです。ドクターのところ行くと、水を抜く。(膝などの場合)抜くと確かに歩くのは楽なんだ。そやけど、すぐにまた溜まるんですね。

 小山 うん。

 蓮風 何でかというと、いろんな薬液を注射したりするようですけども、その熱をとりきる治療になっていないんでしょうね。

 小山 うん。

 蓮風 そういう考え方を持つと、癌の胸腹水に対しても、この頃、それを解消する術がわかってきまして、やってるんですけども。あの、水が溜まること自体がやっぱ、身体の異変を示しているわけですね。本当に長時間ありがとうございました。

 小山 いいえ、全然たいそうな話ができませんで、申し訳ありません。

 蓮風 充分です。患者さんの立場で語って貰ったのは、蓮風の玉手箱で初めてですので、非常に参考になりました。

 小山 とにかく未病の状態を保って、どうにかその、大騒ぎにならないで済むというのも、非常に患者として助かります。<終わり>

 

 

次回は鍼灸ジャーナリストの松田博公さんとの対談をお届けします。

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     小山揚子さん(写真右)と藤本蓮風さん=奈良市学園北の藤本漢祥院

 鍼(はり)の知恵を語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。関西外大名誉教授の小山揚子さんと、鍼狂人・藤本蓮風さんの対談も終盤になってきました。長年にわたって蓮風さんの治療を受けている小山さんの体験談は実感がこもっていて、鍼の力を患者の立場から再認識させてくれます。また病院での治療に疑問を持ってもなかなか言い出せない思いも代弁してくださっています。高齢化の進行を見込んで新たな医療のかたちが模索されていますが、おふたりの対談を参考にして今後の医学の在り方を考えてみませんか。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 東洋医学には鍼灸、按摩、漢方がありますが、なぜ鍼灸を選ばれたのか。先生はたまたまご縁ですか。

 小山 そうですね。最初、私が飛びついたのはその漢方でした。

 蓮風 あ、漢方ね。
 
 小山
 こういう方法もあるんだってその時に知って、藤本先生のところへ通うようになった今でも結構、旅行の時とかちょっと体調が悪い時に利用させて貰っています。

 蓮風 はい。

 小山 ここ(藤本漢祥院)でもお灸をやってもらっていることもありますし。

 蓮風 お灸と鍼は私自身、実際使っていますけれど、中心はやっぱり鍼なんです。今後鍼灸が進んでいく場合に、鍼が中心になるべきか、それともお灸が中心となるべきか、これ患者さんの立場からどうですかね。

 小山 そうですね。なんとなくお灸っていうのは、めったにやらないから効くような気がしますね。先生はどういう風に分けているんですか。

 蓮風
 いや。お灸でないといかん場合もあります。だけどほとんどが鍼で応用ができるんですね。

 小山 うん。

 蓮風 やっぱり患者さんの立場で考えると、やっぱり、お灸っちゅうのは刺激がキツくて、もう「あぁ!」(嫌がっている表情をする)っちゅう感じなんですね。さらに灸痕がつく…。特に女性の場合は、鍼灸に行ったら急にお灸をやられて痕が残ったから医療訴訟を起こしているケースがあるんですよ。

 小山 あぁ。ありえますね。

 蓮風 うん。勝手にやられて私は傷ついたと。時代と言いますか、今後発展すべきはやっぱり鍼なんだろうなと思います。しかし、万病を治すということになると、お灸のお手伝いが要りますね。


 小山
 以前、私が本当に起き上がれないで、主人もどっか行っていない時に、どうしたらよろしいかって、電話で先生にご相談したら、お臍(へそ)の上に和紙をひいて、その上に粗塩を盛って、その上からお灸をしなさいって…。粗塩があるから最初は全然熱くない。そこで熱さを感じた時にやめたら少しは良くなると言われて…。

 蓮風 (弟子に向かって)お臍の上って言ったらな、間接的にやらないかん。一応効きましたか?

 
 小山 だいぶ良くなりました。
 
 蓮風
 で、特にね。体が冷えて、それから疲れがひどい。抵抗力が非常に落ちた場合に、温める温灸なんっちゅうのは非常にいい方法なんですね。

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 小山 うんうん。まぁそういう意味で、確かに鍼が中心になっていただいた方が患者としては楽ですね。でも「鍼に行けば」ってすすめたら「痛いでしょ?」とか(笑)。鍼という意味ではね、そういう風に反応する方は結構います。

 蓮風
 これはもう、全く技術の問題ですね。全く無痛で刺す事できますから。「痛いでしょ?」っていうのは西洋医学のね、注射針のようなものを想像する人がどうしてもいるんですね。

 小山 ええ。大学で仕事をしていた時は健康診断があったんですが、藤本先生のところへ通うようになって行ってなかったんです。顔なじみになっている保健師にも「先生、このごろ全然(健康診断に)来てないじゃない。来なくちゃいけない」と言われても「まぁまぁまぁ」ってごまかしてたんですけど、ある時とうとう捕まって、検査の血をとられたら、それまではピンピンしてたのに、もう気分が悪くなって、授業して部屋帰ってきて寝て、また授業に行ってという感じで、以来「絶対私は、あなたにどう言われようとも健康診断」をしないと言ったんです。注射の位置が悪かったと思うんですけど。

 蓮風 あのねぇ、こういう話があるんですよね。私の弟子のお父さんなんですけどね、50歳ぐらいの。胸が苦しいって。で、まだ元気やから歩いて病院行ったんですよ。注射やった途端に心臓発作で亡くなっちゃった。

 小山 はぁ。

 蓮風 これ、あんまり表に出さん方がええかもしれないけども、そういうことも実際あります。だから、先生が気分が悪くなったっていうのはね、かなりあると思うんですよ実際は。ここは(手の内側の真ん中を指す)ね、手の厥陰心包経(けついんしんぽうけい)っていってね、非常に大事な経絡が流れとって、しかもこの曲沢(きょくたく)というところ(曲沢穴、肘関節のツボ)から血取ったりするんや。あれ心気虚とか心の臓の気や血が弱ってる人には危険ですわ。

 小山 だから(大学に)20何年間いて、1、2回位しか健康診断受けてません。「私がリスクを負って行かないだけなんだから、あなた心配しなくていいのよ」って言って、いつもその保健師さんを説得してました。

 蓮風 注射針にも敏感に反応を起こしてしまうような患者さんもおって、そういうこと無視して一律にやりますからね。あれは医療として問題あるなぁって思うんですよ。

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 小山 しかしそんなに強く言えない。

 蓮風
 うん、言えない立場に置くでしょ、あれ、いけませんわ。だからそういう意味では、東洋医学の方にもっと目を向けて受けてみるというのは正解だとは思うんだけどね。

 小山 うちの母も92歳で、一人で元気に生活してますけど、やはり、医者に行っているから色々な薬を飲まされて苦しんだことがあります。大きな病院で、人工股関節の手術をしました。その時に、たぶん、血栓か何かがあったのが、ちょうど入院している間に、ちょっと悪さをして、病院の方が慌てて、その血栓を流す薬を処方したんです。大きな病院で、内部の連絡がうまくいかず整形外科がその薬をずっと処方していたらしいんですね。

 蓮風 うんうん。

 小山 で、それは発作がある時に飲めばいいよっていう薬なのにずっと飲んでいたから、まぁ体中はかゆくなるわ、まぁ大変な思いをしました。それで母は、血圧が少し高いけど、医者から処方されても「私のリスクで飲まないですから先生には関係ないです」という感じで、自分の考えを押し通してます。割と強く言える母親の娘でしたので、私の方も「私のリスクだからあなたは心配しなくていい」ということで。

 蓮風 いつも思うんですけどね。その、歳いったら血圧上がるの当たり前なんです。

 小山 え、そうなんですか。

 蓮風 なんでかというと、諸臓器が皆弱るでしょう、そしたら血液をようけ送ることによって、栄養と酸素をようけ送らないかん、そうすると心臓のこれ(鼓動)がはっきり大きく動いて、脈管を流れる、その為に血圧が上がるんですね。

 小山 うん。

 蓮風 それを、ただもうこのレベルやったら高血圧や、これがそうじゃないっていう、あの数字で決めつけるのは絶対におかしいと思うんですよ。みんな身体の出来具合いが違うからね。先生の場合かなりデリケートな身体で、それを体感しておられるから、非常に大事なことやと思うんですね。そういう意味では個人医学という、こういう東洋医学みたいなんがね、もっともっと発達するべきやと思うんです。

 小山 そうですね。〈続く〉

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