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歴史地理学者で、帝塚山大学教授の川口洋さん=奈良市の藤本漢祥院
啓蟄も過ぎて日増しに春の気配が強まってきています。四季のある日本でも季節感が薄れてきているといわれますが、やはり春夏秋冬それぞれで人々の装いは違いますし街の表情も変化します。今回の「蓮風の玉手箱」は季節と健康についての話題も出てきます。歴史地理学者の川口洋・帝塚山大学教授と、鍼灸師の藤本蓮風さんがそれぞれの視点から身体に言及する会話を楽しんでください。(「産経関西」編集担当)
川口 今、お寺の過去帳を整理しています。過去帳には、亡くなった方の死亡年月日が書いてあるわけです。ひと月ごとに整理して、いつ頃亡くなる方が多いのか、季節によって亡くなる方がどのくらい
あるのかということを調べますと、19世紀いっぱいは、夏場と冬場に2つの山がありました。
蓮風 ああ、そうですか。どっちかいうと穏やかな時にはあんま死ななくって、暑いか寒いか、極端な時に亡くなる人が多かったということですね。
川口 そうです。20世紀に入って夏場のピークはなだらかになってきましたが、1960年代の高度経済成長まで冬場の山は健在でした。1年の中で冬場の寒い時に、比較的多く亡くなるんです。地理学にしても、人口学にしても、自然環境と人間の病なり苦しみといった関係を知りたいのですが、とてもそこまでは至っていない、というのが本当のところだと思います。
蓮風 西洋医学との対比で見ますとね、西洋医学は病名が決まったら同じ治療なんですよ、基本的には。春夏秋冬に関係なくね。
川口 そうですか。
蓮風 ところがね、東洋医学は季節によっても治療法が違ってくる。それは人と自然は一体であって、自然が春であれば春の身体にならないかん。夏であれば夏の身体にならなくちゃいけない。これは秋、冬も然りなんですね。ですから同じ人物であっても身体の状況が季節によって変わるという発想があるんです。ところが、西洋医学の場合はほとんどそれはないですね。気温が高いから、ちょっと今日はこうしようか、というようなことはやるかもしれませんが…。
だから東洋医学の場合には、春には春の脈、「弦脈」というんですけど、ピーンとこう、ギターの弦を張ってそれを震わさすと、ビーンと響きますね。弓の弦のような、これ弦脈と申します。で、夏場は「鈎脈(洪脈)」いうて溢れるような脈。夏は暑く陽気は盛んやから身体の方も陽が活発になって血流も旺盛になるので洪脈になります。で、秋になるとこう力が抜けて、今度、脈が全体に浮いてくるというんですね。これを「毛脈(浮脈)」と申します。冬場はその陽気が一気に隠れちゃうから、脈も隠れちゃうというんですよ。これを「石脈(沈脈)」といいます。そういう脈が人間の本当の健康、それに逆らうのはみな病気なんだと…。こういう見方するわけですよね。
川口 同じ人間でも季節によって、脈の打ち方が変わるのですか?
蓮風 変わるんですよ。そうなんですよ。だから、それが変わらないと、今度は病気だということになる。面白いですねぇ。季節による、その人間の移ろい、自然の移ろいに従っとらないかん。自然と人間は一体だという考え方が根底にあるわけです。だからこういう医学っちゅうのはね、もっともっと僕は研究されていいと思うんですけどね、なかなか、わかってもらえないんです。
我々の東洋医学というのは2500年の歴史があるわけです。東アジア、特に中国に起こりましてね、朝鮮半島それから日本と伝わってきた伝統医学なんです。この伝統は非常に深い意味があります。やっぱり東アジアという地域ということにも限定されるわけですけれども、そういったいろんな民族がこの数千年にわたって色々と医学実験をやって、その中で本当に効果のあるものが残ってきた医学なんです。その中で、先生もお調べになってわかるように、明治以降っちゅうのは西洋医学が日向になって、東洋医学は相対的に日陰になって、全然ダメになった。まぁ最近ちょっと西洋の方でも、ああ東洋医学っていうのはやっぱりすごいことやるんだなという、雰囲気にはなってきておりますね。
川口 アジアの中でも日本は、春夏秋冬の四季がはっきりしています。アジアでも雨季と乾季しかないような場所もあります。年柄年中、季節が不安定といいますかね、乾燥地帯なんかは、季節というよりも一日の間に冬から夏まであるようなところもあります。
蓮風 はいはい。チベットなんか特にそうですね。
川口 そこで暮らしている方がおられるわけですのでね、身体の調子もその場所その場所で…。
蓮風 違いますね、はい。
川口 出てくる病気というか、身体の不調も住んでいる場所でずいぶん違うんじゃないかと思うのですが、いかがでしょう。
蓮風 はい、それはね我々の聖典である『素問』という本の中に「異法方宜論」という篇がありまして、そこには海辺に住む人、山に住む人、平地に住む人、みな違う。食べ物も生活様式も違うから、それに合わせろと、書いてあるんですね。すごい考え方だと思うんですよ。この医学の源泉は中国にあるわけですけど、特に華中ですね、華中のあたりは今はもう砂漠に近いですが、2500年前はかなり…緑なす大地だったと言われております。これはもう、ちゃんとした学問でわかるみたいです。だから日本と同じように四季があった。
だからこの「陰陽五行」というんですけど…。「五行説」という四季の移ろい、場所によって変わるんだという考え方が出てきたみたいですね。これは西洋医学は同じ人間で同じように生活しとったら同じ身体やっちゅうこと前提にやってるわけですが、東洋医学はやっぱり緑なす大地における人間のこう、センスというか、ある意味で芸術性だと思うんですけど、そういったものがものすごく研ぎ澄まされて出来た医学。だから先ほど言ったように春の脈とか夏の脈、こういうきめ細かなことをね、観察しながら、人間の身体、健康、病気っちゅうようなことを考えたみたいですね。
川口 サラリーマンや大部分の職業の人間は、あんまり季節性ということ考えずに仕事しています。しかし、家で飼ってる犬にしても猫にしても鳥にしても、季節で大きく変わりますでしょ。
蓮風 そうそうそう。少なくとも夏毛、冬毛という風にね、あらゆる動物そうですよね。
川口 はい。猫なんか夜明けに、オスもメスも元気に鳴く季節というのは、年に1回ですか、2回ですか。決まってますでしょ。
蓮風 そうそう、そうです、そうです。
川口 人間だけは、ほかの動物とは違う部分があるのかもしれません。
蓮風 それは自分たちの作った文化がそうしたんでしょうね。
川口 犬とか、猫とか、鳥のように、人も季節、季節で身体に変化があったのでしょうね。本来は人間の社会にも、それぞれの季節ですべきことが、細かくあったのでしょう。それが段々、仕事の変化といいますか、世界の変化で…。
蓮風 平均化された世界に入っていくんですよね。
川口 季節性のないような過ごし方に変わってきたんでしょうね。ここ暫くの間に季節性がなくなってきたような気がします。
蓮風 そうですね。確かに人間の発展の中で理知という世界が大きく働いて、それによってまぁ、ある意味で自然に逆らった生活をね、やるようになって、それが実はまた病気の素にもなっていくわけなんですけどね。そういう意味でまぁ、東洋医学っちゅうのはある意味で「自然に帰れ」という発想にもつながると思うんです。<続く>