蓮風の玉手箱

このサイトは、2011年8月7日~2015年8月29日までの間、産経関西web上において連載された「蓮風の玉手箱」を復刻したものです。鍼灸師・藤本蓮風と、藤本漢祥院の患者さんでもある学識者や医師との対談の中で、東洋医学、健康、体や心にまつわる様々な話題や問題提起が繰り広げられています。カテゴリー欄をクリックすると1から順に読むことができます。 (※現在すべての対談を公開しておりませんが随時不定期にて更新させていただます・製作担当)

2019年12月


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対談する竹本喜典さんと藤本蓮風さん=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の可能性を探る「蓮風の玉手箱」は、鍼灸学術研究会「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんと、医師で山添村国保東山診療所長の竹本喜典さんとの対談の7回目をお届けします。大学の医学部で漢方の授業が行われるようになって東洋医学への理解も進んできています。とはいえ、まだまだ様々な「壁」があるようです。終盤に入ってきた今回は、そんなお話が中心。僻地でトータルに患者さんと向き合う竹本さんは東洋医学の有効性を実感していらっしゃるようですが、現代日本の医療のなかで大きな存在感を獲得するには色々な課題があるようです。(「産経関西」編集担当)

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診察中の竹本喜典さん=2013年10月11日、奈良・山添村国保東山診療所

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 蓮風 大工さんが憧れだということをおっしゃってましたけど、先生の場合、単なる大工じゃなくてもっと有機的な全体をみておられるんだろうなという感じがしましたがね。

 竹本 田舎では(有機的な全体を)見ざるをえなかったので、そういう意味では、いい形だったのかなと思います。

 蓮風 感性的にもそういうものをもっておられると思いますね、先程からずっとお話を聞いていると。

 竹本 ありがとうございます。みんな持ってるんじゃないかなあと思うんですけれども、なんか世知辛い世の中でどうしても「マニュアルだけやっといたら問題ないねん」とか「余計なことやったら仕事増えるだけやん」とか、そういうのですごく足踏みしてるんやろうなと思います。

 蓮風 今、どうですかね。鍼を中心にやっておられる疾患はどういう疾患…?

 竹本 僕がもともと整形外科というのは、患者さんたちは知っていますので、田舎のメジャーな疾患としてあちこち痛いというのが多いんです。

 蓮風 痛みの疾患をね。

 竹本 痛みの疾患が多いので、その痛みをなんとかしてあげたいということで、鍼をすることが多いんですけども、実際には心の問題みたいな部分をターゲットにする方が、鍼も効きやすいような気がします。それが自分の中ではまりやすいパターンかなあと思っています。

 蓮風 うーん、なかなか面白いなあ。どんどん鍼をやっていただくとね…。まあ儲からんかもしれんけどね。鍼というのは儲からないんですよね。

 竹本  漢方・鍼は、儲からないです。時間かけて丁寧にやってもお金にはなかなかならないので。

 蓮風 ならないですね。えー、どうですかね。「北辰会」と関わっていろんなことを教わっておられると思うんですけれども、教育の仕方なんかどうですか? 先生なんかはシステムがきっちりした医大の中で生理学を学んでこられたと思いますけれども、東洋医学の教育はどうですか?

 竹本 東洋医学の教育は、まだなかなかちゃんとできていないのが実情だと思います。やっと(医学部に)授業のコマができて、まずは喜んでいる所ですね。それでも東洋医学なんて怪しいと思てる人も沢山いらっしゃいます。(非西洋医学的なものに対する)アレルギーをとるというんですかね、そういう役には立っているかなあと思います。東洋医学の教育としては、中医学の教科書なんかはしっかりしているので、あれを基礎としてとても優れていると思うんですが、小さいコマ数の中では絶対できないんですよ。

 蓮風 できない、できない。

 竹本 できないんですよ。入り口として、僕は東洋の哲学的なところがおもしろいと思うので、興味をもってもらえる人が増えてほしいんです。地域医療実習というのがありまして、診療所にも研修医とか医学生が来るんです。鍼とか漢方とかやっている診療所なんてほとんどありませんので、興味もってきてくれた人には、どういうものかを見てもらって、魔術的なものじゃあないねんよと。

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 蓮風 そうそう。我々がもう今から50年程前に鍼をもった時は、ほとんど魔法みたいに思われてた。まじないとかね。だから重い病気を患ってやって来て「先生、鍼を以前に受けたけど治れへんかった」と言うので、「何回やった?」と訊くと、1、2回しかやってない。まじない程度に考えている人が多かったですね。さすがに今はそうでなくなってきましたね。

 竹本 マジカルとしか思えないような技も見せてもらうんですけど、そうじゃないねん、ちゃんと理論があって、考えてやるとちゃんとできる学問なんやということをなんとか伝えたいなあと思って、お話させてもらって持って帰ってもらうようにはしてるんです。

 蓮風 そうですね。今、国公立の特に国立の医学部では、漢方の講義ができましたね、講座が。ところが鍼灸の講座ができていない。

 竹本 そうですね。

 蓮風 それだと偏っているんですよね。漢方やったら鍼灸もあるわけで。「北辰会」では、それにあった教科みたいなのをボツボツ書いているんですがね。

 竹本 すごいのができますよね。

 蓮風 そういうことでなんとか世の中に普及させたいと思うんですけれども…。

 竹本 政治的なものですかね…。それも大きいように思うんですけども。

  少し話が飛びますが…。

 蓮風 どうぞ。

 竹本 学生の時に実習先で「トリガーポイント」って言うて、「ここ痛いねん」という所に麻酔を打つわけですよね。何カ所か打って、痛いのとれたということが起きるんですよね。そら麻酔打ってるからやんかということなんですが…(笑)。僕は「え?、こんなにひどいことすんねや」と思ったんですね。関節への注射でもそうですよね。そのころは、基本的には麻酔は入れないですけれども、入れている時もあったんですよね。「そら痛いのとれるわ。麻酔やし…。それで治療やというのはどうなのよ」と思ってたんです。

 でもだんだんやっていくと、確かにトリガーポイントでも麻酔は数時間で切れるはずやのに、1週間ぐらい楽やったりするわけですよね。なんでかなあと思ってると、中に麻酔やのうて、生理食塩水でもええねんて言うて、薬効はない生理食塩水を注射する人もいる。水でもええんか!、ほんだらもうこれ刺激だけでもええんやんかという風になって、麻酔科の先生がちょっと鍼に興味もたれたりとか、痛みのペインクリニック的な部分で鍼にだんだんシフトしていくという方向性が鍼としては入っていきやすいのではないかなあと思っています。〈続く〉

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対談中の竹本喜典さんと藤本蓮風さん=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の知恵を探る「蓮風の玉手箱」は医師で山添村国保東山診療所長の竹本喜典医師と鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の6回目です。今回は竹本さんが実際の現場で、鍼灸を取り入れる難しさについて語ってくれています。やはり患者さんが受け入れてくれるきっかけが大切なようです。そして一般の人々も何でもかんでも医師に頼るのではなく自分の健康観をもって適切な治療や検査を受けるための心がけも必要なようです。医療に向き合う姿勢が個々の人生観の反映でもあるようですよ。(「産経関西」編集担当)

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 竹本 癌(がん)でターミナルケア(終末期医療)を受けているような方に対して、多少の心の安定やとか、痛みやとか、食べられないとか、そういうことに関して何とか関わりたいな、という意味では、漢方も鍼もがんばってます。でも、なかなか打ち勝つというとこまではいかないですね。

 蓮風 はぁ、今日はおもしろい話になりそうやね。そうですか。そうすると、今のとことりあえず西洋医学を中心に漢方・鍼灸を適宜取り入れながらされてると。

 竹本 そうですね。治せなかった時、怒られますんで。

 蓮風 ははは(笑)。

 竹本 最終的には患者さんにデメリットがないようにと思っています。

 蓮風 まぁ、これから先のことだろうけど、先生がビジョンとして持っておられる理想的な医療というのはどういう世界なんでしょうね?

 竹本 実際はバンバン治したいんですよね。それは一番の目標だと思うんですけど、現実にはなかなか難しい部分もたくさんあるかなと思いますし、何か意味があって病気になる人っていうのが実際にはあるのかなと思います。東洋医学的な視点も含めてですけども、この人のこうなっている意味みたいなものをフィードバックして、その人の生き方に上手く反映できるような関わり方というか、治療をしていきたいと思うんです。その中で東洋医学的な弁証で治療をする、効果を感じてもらう。そこから動機づけとなって、生き方とか考え方とか患者さんに良い変化が起きたらいいなと思っています。(漢方・鍼灸を理解してもらう)良いきっかけとして関わっていきたいです。

 蓮風 そうですか。

 竹本 僕も東洋医学とか中国哲学みたいなものとか、少しづつ勉強する中で何かこう自由に考えてもいいんだなというのがわかってきて楽に生きれるようになったという風に思います。

 蓮風 そうですか。楽になった。

 竹本 こうでないとあかんのんちゃうのかとか、こういう風にしていかなあかんゆうようなことたくさんある訳ですけど、実はそうでもないのかなと。で、患者さんに対しても「こうしてください」とか「塩分あかんで」とか、「これこんなもんばっかり食べたらあかんで」とかいうようなことをこっちも怒って言うてたと思うんです。少しは年を取ったのかもしれませんが、今は、患者さんのそういう生き方もあるなとか、いろんなパターンを許容出来るようになりました。それでも上手いこと患者さんに変って欲しいんですがね。

 蓮風 なるほど、なるほど。

 竹本 患者さんにももっとゆとりのある考えとか、楽に生きてくれたらいいのにという人、沢山いらっしゃいますよね。もう90に近いのに「1年前にMRI撮ったんやけど脳ドックに行った方がええかな。半身不随になったら怖いし」とか…。薬もいっぱい飲んではるんやけど、また新たに病院へ行くとか。それは、それで(余計に)しんどいんと違うかなと思うんです。「そんなん大丈夫やで。これ飲んどいたら」と言っても、その人の不安はなかなかとれないんですよね。その人の根本的な物の考え方とか、そんなんが90になって変わるのは難しいんでしょうね。図々しいかもしれないんですけれども、変わるきっかけになるようなお手伝いがしたいと思います。それが僕の中の理想です。
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 蓮風 先生は、ドクターになって僻地での医療を中心にやってこられたわけやけれども、いわゆる医療を初めて何年になられるのですか?

 竹本 15年…。16年目ですかね。

 蓮風 いいとこですね。ああ、なるほど・・・。

 竹本 そうですね。最初は一生懸命。こんな病気には、こうやっといたらいいよ。こうやっといたら問題ないよ。今で言うスタンダードというかマニュアルみたいなのを、やってきたと思うんです。このマニュアル治療でかなりの部分がカバー出来るんですが、実際に僻地でいろんな問題にあたると、(マニュアルだけでは対応できないケースがあるので)どうしたらいいのかというのを考えていくようになりましたし。

 蓮風 その部分ですよね。教科書通りをはずれてそういうものが見えたと。その延長線上で漢方・鍼灸もやられたということですね。

 竹本 教科書の奥にはもっと詳しいものが書いてあったかもしれないんですけど、僻地診療ではそういう原点みたいなものを勉強させてもらったと思います。

 蓮風 非常に大事なことだと思いますね。で、あの、鍼とのなれそめみたいなものは…?

 竹本 はい。その(診療所に置いてあった)ノイロメーター(前回参照)と、「北辰会」に入会したということも大きな所ですね。確かに、体表観察でいつも綺麗に分かるとは言えないんですけれども、問診や診察から病態を想定して鍼を打って、思った通りに上手く行った時は「よっしゃー」と思いますよね。これ面白いんですよね。

 藤本先生も釣り好きですけども、釣りもこの時期 この風…なら、あの辺に行けば、きっと釣れるやろう、餌はどうするとか、流す深さはとか、いろいろ考えますよね。そして、最終的に大物が釣れる。こういうのが面白いですね。鍼や漢方も、釣りと同じように、作戦の組み立て、そこに技術もあって、同じだと思うんです。こういうことが、楽しみというか、面白くてはまるというか。

 蓮風 なんか感性的に先生は漢方・鍼灸になんちゅうか十分なじむものをもっておられるみたいですね。

 竹本 それだったら嬉しいです。<続く>

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竹本喜典さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の力を探る「蓮風の玉手箱」をお届けします。医師で山添村国保東山診療所長の竹本喜典さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の5回目です。西洋医学だけでなく、そして東洋医学だけでもなく両方をうまく併用すれば、もっといい結果が出るはず…。これは「玉手箱」でいつも出る話ですが、なかなか現実にはうまくいかないのは、医療制度の“壁”だけではなく、患者側の意識や治療をする人間の力量にも問題があることが今回の対談で浮き彫りになっています。そのなかで、蓮風さんは積極的に「鍼灸救急医」活動を提唱しています。(「産経関西」編集担当)

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 蓮風 先生の今の時点での漢方、鍼灸、それから西洋医学の薬との関わりというか、位置づけというかそういったものはどうなんですかね?

 竹本 やっぱり西洋医ですので、その立場を崩すのはなかなか難しいなと思っていて、特にですね、超緊急を要する場合とか西洋医学的な判断基準で動いている病気、たとえばコレステロールであるとか、糖尿病であるとか、漢方もつけ入る隙はもちろんあると思うんですけど、できあがっているスタンダードな治療からは離れにくいと思っています。血圧を下げる漢方薬もあるし、ちゃんと下がることもあるんですけども…。けども、降圧薬を使えば下がります。これと対抗しようと意地をはってもしゃあないかなということもあります。

 西洋的治療が優先されるが副作用で西洋薬を続けにくい、漢方でなんとかしたいというようなオーダーがあれば、「よっしゃ、漢方で!」というようなスタンスがひとつ。不定愁訴とか自律神経だとか慢性疼痛だとか、西洋医学的に良い治療が確立できてないような疾患に対しても、漢方の出番だと思っています。ただ、よく分からない訴えの中にも、もしかしたら西洋医学的に見逃してないかってことをいつも気にはしています。やっぱり最低限のチェックというんですかね、忘れないようにはしなきゃな、と思っています。

 蓮風 そうですね。じゃあ、西洋薬と鍼灸それからあるいは、漢方と鍼灸といった場合、鍼灸の役割は何だと思いますか?

 竹本 鍼灸の役割、僕の中では鍼灸でうまいこと治るときもあるんですが、まだまだ“勝率”が…。

 蓮風 はいはい(笑)。先生、鍼を持って何年になりますか?

 竹本 山添村に行ってからですから、3年か4年くらい(前から)少しづつさせてもらってます。実は山添村に行ったときにノイロメーターがありまして。

 蓮風 あぁ、はいはい「良導絡」の

良導絡とは、20世紀半ばに発明された、自律神経を調整する治療法で、ノイロメーターという良導点の測定器械を使って患者のツボを探るようである。

北辰会方式は、あくまで「手当て」の原点を重要視しており、この器械は用いることはしない。術者の手、指の感覚で、患者のその時点におけるツボのさまざまな反応を“衛気”という体表に流れている気の状態をも意識して察知する。専門的な内容の詳細は、藤本蓮風著『体表観察学~日本鍼灸の叡智~』(緑書房)を参照ください。(北辰会)

 竹本 そう「良導絡」のノイロメーター。ずっと前に赴任していた先生が使ってまして、患者さんが希望されるんですよ。これしたら次こっちもせい、あっちもせい、こっちも痛いといって。結局、痛いとこに鍼するばっかりになって全身鍼になっていくので、おもしろくなくて。それを何とか縮めたろうと、北辰会で勉強もちょっとさせてもらうようになっていましたので、ノイロメーターするのなら「弁証」して少数鍼で効かそうと、少しずつそういう練習的なことも兼ねつつ鍼をさせてもらうようになってます。

症状の原因をつきとめて、どの経絡・臓腑に問題があるのか、東洋医学的に「虚実(弱っているのかそうでないのか)」、「寒熱(冷えているのか熱が盛んになっているのか)」、「表裏(浅い位置で外邪が関与しているのか、深い部分の問題なのか)」を弁別し、陰陽の状態を把握すること(このことを「弁証」という)で、結果として様々な複数の症状があったとしても、少数のツボに施術するのみ(少数鍼)で、一度に多くのツボへ鍼するよりもはるかに気の流れが改善し、時に劇的に効を奏すことができる。(北辰会)

 蓮風 うんうん。
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 竹本 でまぁ、何でも治せれば一番いいなと思ってやってるんですけど、まだまだです。実際には「弁証」の一つの助けというんですかね。体表観察も含めて弁証して、鍼をしてみてどうなのか、それで上手いこといくんか、これでいいのかっていうのを次の証とか「弁証」にフィードバックできるものにしていきたいなという風には今思ってます。

 蓮風 今、そういう段階なんですね。なるほどね。

 竹本 あと、鍼って変化が速いというか。

 蓮風 そうです、そうそう。

 竹本 効く時には効くので、これやって“ほらな”というのがあると、患者さんも心が動くというんですかね。ぐっとこう信じてもらえるというか。

 蓮風 そうですね。

 竹本 あっ、そうかこの先生に懸けて、先生のいうこと聞いて、こういうことを変えていこうという意識づけになるので、そういう意味でも鍼をうまいこと使って患者さんの気持ちを変えていきたいなと思っています。鍼でハッと変わったら養生とかの動機づけにも大いに役に立つと。

 蓮風 そうですね。実は私も来年、臨床50周年です。

 竹本 50周年ですか。

 蓮風 半世紀、鍼と共に生きている。でまた、ブログ「鍼狂人の独り言」で見られたら分かるように「鍼狂人」と書いてありますが、ほんとに鍼の神様になりたいけどなかなかなれないので…。

 竹本 遠慮ですね(笑)。

 蓮風 「鍼狂人」というぐらいで許して頂いとるんですが。鍼がねやっぱり一番面白いのは急性の疾患にかなり効くということですね。これまぁ、先生も僻地におられるから急性の疾患の時かなり慌てはると思うし、これはどこかへ送らないかんなという場合がある。

 竹本 そうですね。あります。

 蓮風 あるでしょ? そういった時に巧みに鍼を使うと意外と大病院でなくても治る例があるんですね。例えば、村井和先生(和歌山・和クリニック院長)も鍼をもってあまり時間経ってなくて、和歌山の生協病院で、ある患者さんが何で起こるか分からんけど喀血するんですよ。喀血が止まらんので仕方がないから大きい病院へ送って救急車に一緒に乗って、でも自分医者やから何かせなおかしいということで…。

 竹本 刺絡されたんですよね。

 蓮風 そう、救急車に乗る前に刺絡してその場で喀血が止まった。それでその大きな病院まで無事にたどり着いて、結局手術せずに済んだ、という話です。

 竹本 そうですか(笑)。

 蓮風 …ということは、いかにそういう救急という場合でも、鍼は有効な手立てだと。実際、昔は漢方医は鍼・灸・漢方を使って、一般に急性の場合は鍼・灸を中心に使ってますね。ですからそういう意味でこれから先生は鍼・灸をされる場合に救急のものをできるだけやっていただくと面白いんですがね。

 竹本 だいぶハードルが高いですけど。

 蓮風 いやいや。

 竹本 できるようになりたいです。

 蓮風 できると思います。僕の考えでは救急鍼灸医というか、救急内科というのがあるでしょ? 西洋医学では。あれとよく似た感じで救急の時に何とか西洋医学でやるんだろうけど、どうしようもない、そういう時にパッパッと鍼打ったら…。

 竹本 (西洋医学と)併行してもいいと思うんですよ。

 蓮風 そうそう。そういう医療を僕は非常にありがたいなと思うし。死ぬ間際になったらそういうことやらさせて頂きたいなと思います(笑)。…というぐらいに思ってます。〈続く〉

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竹本喜典さん(写真右)と談笑する藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」

 「蓮風の玉手箱」は、鍼灸師で鍼灸学術研究会「北辰会」代表の藤本蓮風さんが山添村国保東山診療所長の竹本喜典さんを招いて行った対談の第4回目をお届けします。今回は「病気だけでなくて、人生とかそういうものも併せて診られるような医者になりたいなぁ」とおっしゃる竹本さんが「鍼」に関心を持ったきっかけについて語られています。病気の「部分」だけを診ても治療には限界があることを目の当たりにされたことも影響しているようです。(「産経関西」編集担当)

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 竹本 往診先の患者に孫がいれば一緒に診るんです。大家族が多いので、けっこう子供がいるんです。

 
 蓮風
 それは大切なことですよね。今の子供は、ほとんど人が死んでいく姿を見てないですね。ほとんど病院で亡くなる。家族が亡くなる時、おじいちゃんが…いつの間にか死んじゃったっていう、人が生き死にする大事を見ていないですね。

 竹本 文化やと思うんですね、「看取る」ということ自体。それをちゃんと伝承していかないと、さぁ看取りとなった時にアレルギーになっちゃいますよね。

 蓮風 そうですね。死は忌まわしいもので、生まれた事はめでたいか…。つらいことを言うけども実際は同じことなんで、人の生き死には一つなんだという事は早めに知っとくのは、いろんな面で大事やと思います。どうですかね、家庭医みたいなことをやっとって、やっぱり一般の病院でやってるのとは違って、おもしろいということがありましたか?

 竹本 そうですね。病院のテンポの速い仕事も、おもしろいんですよ。整形外科やってましたので。

 蓮風 整形外科ご専門でしたか?

 竹本 はい。元々大工が憧れやったんです(笑)。

 蓮風 大工、そりゃ~面白い(笑)。

 竹本 大工が好きで、大工っぽいっていうか、合わせてくっつけてとかステキやな~と思ってたんですよ。ホゾを作って合わすみたいな感じじゃないですか(笑)。自分の出来上がった“作品”がレントゲンで出てきますし、その結果がはっきり見えますので。それはそれで面白いです。ただ、病院で素早く患者さんをさばくことが日常化されるようなことをしていると、精神的なこととか、(病気の)背景とか、どんな人だろうとか、細かいことですね…。(それが後回しにされて)効率が優先されるみたいに感じられて…。

 鍼灸とか東洋医学やったら腰痛は精神的なもので起こるっていうのは大昔から当たり前のことです。整形外科でも、もうだいぶ経ちますかね、『腰痛は〈怒り〉である』っていう本が出てちょっと話題になったんです。「怒り」なんて考えていなかったですから。(そうすると)患者さんの悩みも愚痴も聞いたらなあかんし。いやいや、だから腰どこが痛いのよ?じゃあ注射しとこか、みたいなんが僕はちょっと、おもしろくなくなってしまったんです。田舎は逆に言うと、どうでもいい話もたくさんできます。診断治療の大事な部分を押さえておいて、人間観察がゆっくりできるんです。患者さんも僕も楽しんでいます。そういうとこが田舎の面白いとこかなって思います。

 蓮風 実際その、なんでもトータルに診ていくというか、一般の医学では見過ごしているようなところも、実は人間の営みとして非常に重要なんだってことをおっしゃったと思うんです。実は漢方・鍼灸っていうのはそういう目線が常にあるんですね。だから昔の漢方医、鍼灸医っていうのは全科ですわ。目が痛いって言ったら目を診るし、肩が痛かったら肩を診るし、それこそ「背中が熱い」って言ったらなんでかいなって(笑)。

 竹本 ほんと、背中が熱いなんて。

 蓮風 人間っていうのは色々な表現で広く症状を訴えますが、西洋医学やったら、教科書にないことを言われても困る…というような切り捨てが…(笑)。

 竹本 心がおかしいってなるんですよ。

 蓮風 そうそう。それをね、認めない傾向にあるけど、教科書に出ていないことにも向き合わなければ患者を治すことは難しい。否応なしにトータルに診ていかざるを得ないんですよ。

 竹本 興味を持って診られるようになりました。東洋医学勉強して。

 蓮風 やっぱりこれ、漢方・鍼灸に関わってこられたのは、そこらあたりがやっぱり背景にありますか?

 竹本 そうですね。やっぱり問題解決のために何をすべきかっていうのを探る中で漢方とは出会えたように思います。

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 蓮風 鍼灸より漢方の方が先ですか?

 竹本 そうです。田舎の診療所に在庫であったんです、漢方が。

 蓮風 はっはは(笑)。在庫で?

 竹本 こりゃ、こんなんほっといたら期限切れるし、使わなあかんやろということもありました。最初の患者さんは、よう分からんけど夜中に決まって山に登りに行こうとする、おばあさんというのがいまして…。睡眠薬を出したりするとふらつくし、飲めば寝るようやけど、また起きて、どこかへいってしまうし。そんなんどうしたらいいか分からへんわぁ、というので、なんか漢方でどうかというのが、たまたま当たったんです。今思えば本当に漢方で効いたか分かんないんですけど、何かおもろいやないかと。で、勉強しだすと、これまたおもしろいんですよね。

 蓮風 やっぱり勉強はほとんど書物から?

 竹本 そうですね。書物で勉強しつつ(医薬品)メーカーさんが勉強会をたくさん企画されてますので、そういうのに片っ端から行きましたね。片っ端から行っていると、いろんな人と繋がってきます。少しマニアックな勉強会もあるんですよね。徐々に入門編から深くなっていきまして、そういう中でだんだん漢方を一生懸命される先生ともお友達になりましたし、だんだん火ついてきたっていう感じです。

 蓮風 なるほどね。じゃあ、漢方を先やってそれから鍼灸に来られたわけですね。

 竹本 そうですね。漢方をやってる中で、だんだん中医学の方がやっぱり、おもしろくなってきました。

 蓮風 うんうん。中医学がね。

 竹本 そうですね。日本漢方といっても合理的なとこもあって、おもしろいし実際効果的なんですけども、やっぱりいろんな人と話をしようとか、これこうやからああやでとか、効かんかったらどうしようとか、そういう時にやっぱり(中医学の方が合理的で共通の)言語として整理されているぞ、と思って勉強し始めていました。ちょうどその時期に、患者さんの行かれていた院外薬局の薬剤師の先生から、「こんなところあるから行ってみない?」と声をかけていただきまして、で、一遍見せてもらおうと行ったのが「北辰会」との出会いですね。そしたら、すごく色々なことを勉強してはるんですよ。鍼灸師さんなのに漢方も詳しくて。

 蓮風 いえいえ。

 竹本 漢方の先生方にもすごい方たくさんいらっしゃるんですけど、“あっ、ここで中医学勉強させてもらおう”と、それが一番のきっかけですね。そうなったら自然と鍼の話にもなってきますので。

 蓮風 そうですね。

 竹本 それで、鍼も面白いなと。〈続く〉

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藤本蓮風さん=奈良市学園北「藤本漢祥院」

 鍼(はり)の力を広く知らせる「蓮風の玉手箱」をお届けします。医師で山添村国保東山診療所長の竹本喜典さんと鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談の3回目です。前回は医療に直接かかわることだけでなく地域づくりにも関わる僻地の医師の仕事が語られました。今回は患者さんが亡くなったあとの家族とのつながりなど「病気そのもの」だけを診ていても成立しない医療従事者の在り方に話が及びます。これは僻地だけの課題ではないことが浮き彫りになっています。(「産経関西」編集担当)

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 竹本 救急のとき以外は、数回の診療の中で判断する余裕があることも多いので、慌てる必要はないんです。分からんものはメールでいろんな先生に相談するとか…。デジカメで撮った写真データも送ることもできますので。

 蓮風 僕ね、若いころから開業してるんです。21歳ですよ。恐ろしいことに(笑)。そのころも、おじいちゃん、おばあちゃんがたくさん来てました。「よくこける」って言うから足を見たらやっぱり爪が伸びとるんですよ。けつまずくからよく爪を切ってあげました。

 竹本 今(私)もよく切ってます。

 蓮風 そうですか。一般に医療でないように思うけど、けがをするとか生活のなかで支障があればね、それはカバーしてあげないといけない。

 竹本 そうですね。「その靴危ないで!」って言ったりとか。実際の診療ってそういう部分が多いです。今日あったのは、おばあちゃん(の例)ですが、家族から「畑に行ったらあかん」言われてる。どうも、仕事したら後であちこち「痛い痛い」って言うらしい。でも、ご家族に「いやいや、これは、ばあちゃんの生き甲斐やから、とられたら、つらいんちゃうかな」とかそういう話をしました。あまり医療じゃないような部分で、患者さんの問題を何とかちょっとずつ良くするような努力というか…。

 蓮風 これこそが実は医療の一部分なんですよね。僕もこないだ認知症、いわゆる昔で言う「ボケ」。非常に活発に動いとったのに、急になんか舌で正しく味を感知できないとか、ちょっとボケた事をするっていう事で来られたんです。よく診てよく問診してみたらほんとは身体よく動くのに「もう年やから動くな、こんなしたら危ないからやるな」って言われてからだんだん萎縮してね。本人もそれが気になったんや。それを私が、その家の方に「この人は体力があるから動ける」って説明したんです。そうして身体を動かせるようにしてもらって、鍼もしたんですけどね、そう時間かからんと普通の人並に治ってきましたね。

 竹本 生きがいは大事です。何もするなって、存在の否定ですね。

 蓮風 そう。決めつけてやらんとね、やっぱり認知症っていったかていろいろあると思うんですよね。だから本当はそんなにボケてないんだけど、こういう風に周囲が押し込めてしまって。

 竹本 家族は厳しいんですよ。遠慮がなくて、娘とか息子とかがまた…。

 蓮風 そうそう。

 竹本 自分の親やと思ったら好きなこと言いますから。
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 蓮風 そのあたりが面白いところで、ちゃんと聞いて治療に生かすことがもっと広がれば、いいと思うんです。先生(の活動)は、家庭医としてとか、訪問診療が主になるんですか?

 竹本 そうですね。どこから家庭医でどこからが僻地診療かとか、(総合的・全人的に対応する)プライマリ・ケアやとか、このへんの定義は僕もよう分からへんのです(笑)。まぁ結局みんなおんなじ様なことをめざしてやってて、小さな問題も含めて一つ一つなんとか解決しようという方向性やと思います。

 また、訪問診療として「看取り」っていう問題があります。だんだんお年寄り増えてきますし、だんだん亡くなる方も増えるんですけど、戦前戦後はお医者さんに診せることもできずに死んでいった人がほとんどで、そういうかわいそうなことをするのではなく、最後は病院で看取ってあげるのがベストやと、そういう価値観が大きくなったと思うんです。しかし今は、だんだん病院もいっぱいになるし、それには医療費もかさんでくるし、患者さんも病院で死ぬ事がそれほど幸せでもないぞという事がみえてきたというか、出てきた。なので、だんだんまた在宅という方向に進んで来ています。

 蓮風 我々がね子供のころっていうのは、病院で死ぬよりも家族に看取られて逝った人が多かったように思いますね。

 竹本 多分そういう経験がなくなっているんですよ、今。(若い内弟子たちを見て)お家でおじいちゃん亡くなったのを一緒に見てた方とかがあまりないと思うんです。病院に呼ばれたらおじいちゃん死んでたとか。そういう感じが多いんだと思うんですけど。まぁ山添村っていうのはそういう意味ではちょっと古い時代が残っているんです。良い意味で遅れてる。大家族が多くて看取りの文化が残っている。

 蓮風 そうか。田舎やからね。

 竹本 そうですね。家で死ぬとか、結構元気に病院にも掛からんと過ごしてはるような人っていうのがまだたくさんいらっしゃったりして。

 蓮風 焼き場がなくて土葬にするとか。

 竹本 本当に今も土葬なんですよ。「あかんようになったら、最後に診断書だけ書いてくれ」って言うぐらいの家もたまにあるんです。こんな所なんで、在宅での看取りには積極的に関わろうと思っています。「癌でもう長くない。痛みもある程度コントロールできたんで後は頼みます」って在宅に帰ってくる方とか、そんな中でいかにこの人のこう最後を…。映画監督みたいな感じかもしれませんけど、周りの人がそういう今の病気の状況を受け入れつつ、良い形で、ありがとう的な雰囲気の中で、見送れる様な環境作りのお手伝いが出来ればと思っています。たとえば、家で死んでいくのを家族が分からない、恐い、どうしたら良いの? みたいなのがありますんで、そういう不安をとっていくような仕事ですね。

 蓮風 病院で、いわゆる集中治療室で亡くなるのと全然意味が違うんで。その辺りの人間同士の温め合いの中で亡くなっていくっていうのは、そういう意味では地域医療の方が勝っているのかもしれませんね。

 竹本 患者さんが亡くなった後も家族とは会うんですよね。会えるというか。やっぱり地域の中で会ったり、患者さんの奥さんが患者さんだったりとか。そういう事もありますので、家族の思いなんかも後々に聞けたり感じられたり。病気だけでなくて、人生とかそういうものも一緒に併せて診られるような医者になりたいなぁと思いますね。

 蓮風 そうですね。<続く>

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