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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」
鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんが各界の方々と「鍼(はり)」について語る「蓮風の玉手箱」をお届けします。今回から対談のお相手は、滋賀・西照寺(浄土真宗)の住職で医師の佐々木恵雲さんです。佐々木さんは「玉手箱」では2012(平成24)年6月2日から同年7月28日まで9回にわたって登場されていて、今回は対談の“第2幕”となります。今回は医師との対談シリーズの流れのなかで、医療現場からの視点に重きを置いて語っていただきます。(「産経関西」編集担当)
蓮風 先生は僧侶でありながら医師でもありますから、宗教との関わりについても深く聞いていきたいと思っています。まず、医師と僧侶の、どちらが先でどちらが後ということになるんですか?
佐々木 先生にはそういう生い立ちのことはお話していなかったかもしれないですね。私は、寺としては13代目の住職なんですけれども、実は僕の父親、先代の住職も内科医でして。
蓮風 先代からお医者さんとお坊さんと両方やっておられるというわけですね。
佐々木 お寺の裏に小さな内科の医院を開業していたんです。
蓮風 ああそうですか。
佐々木 世の中に僧侶と医師の両方を仕事としている人は結構おられるんですよね。ただ2代続けて僧侶と医師、住職と医師をやっているというのは少ないですね。
蓮風 確かに少ないですね。
佐々木 ほとんど聞いたことがないですね。この生い立ちというのが僕にかなり影響を与えています。つまり産まれた時から、仏教と医療というのが当たり前のようにあった。
蓮風 違和感なく。
佐々木 違和感なく。変なプライドといいますかね、ドクターにたまにありますけれど、そういう変なプライドなしに自然にその中にあったんですね。ただまあ、小さい時はよくいじめられたというか、一番堪(こた)えたのは、友達から「お前は線香くさいし薬くさい」と言われたことでした。
蓮風 (笑)
佐々木 うちの祖父…先々代の住職だったんですが、これがなかなか凄い人で。
蓮風 おじいちゃんですね。
佐々木 おじいちゃんに育てられたというか、父親が忙しかったんでね。明治20年から30年ぐらいの生まれの人ですけれども。あの頃の明治の人は凄い。先生のお父様は何年ぐらいですか?
蓮風 大正5年ですね。
佐々木 何でも自分でやらなくちゃいけなかった。当然家事とか、すべてできますけれども。漢方といいますか、熊の胆(くまのい)とかをですね、檀家さんの調子が悪くなったら持って行ってあげる。自分でお灸もやっていましたし、そういうお灸、漢方…民間療法的なことかもしれませんが、そういうことの知識もあったんですね。
蓮風 その方は、お医者さんではないんですね。
佐々木 ではないんです。
蓮風 仏教徒のお布施というか、ご奉仕が。
佐々木 ものすごい熱心な仏教徒ですね。ただ非常にそういう仏教的な、僕は東洋の目と言っているのですが、それだけじゃなく非常に合理的な部分もあって、僕の父親にドクターになれ、仏教と医療をやれと勧めた。強引に父親を医師にしたというところもあるんです。
蓮風 そういう風にしむけたのはおじいちゃんなんですね。
佐々木 小さい時は、僕は仏の子、光の子になると言っていたらしいですけれどね、ただ中学・高校ぐらいになってくると、もう寺が嫌で嫌で。
蓮風 そういう時代ありますよね。<続く>