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佐々木恵雲さん(写真右)と藤本蓮風さん(同左)=奈良市「藤本漢祥院」
鍼の知恵を語る「蓮風の玉手箱」は僧侶で医師の佐々木恵雲さんと、鍼灸学術団体「北辰会」代表で鍼灸師の藤本蓮風さんとの対談(第2弾)の5回目をお届けします。今回は宗教と医療との関わりが、佐々木さんと蓮風さんの経験をもとに語られます。それは「最高の医療とは何か?」を探る試みにも通じるようです。まもなく死を迎える方々に対して何ができるのでしょうか。おふたりの考えをぜひ読んでください。(「産経関西」編集担当)
蓮風 宗教と医療との関わりについて先生のご意見をうかがってきました。で、実際の現場の実践面ではどうなんでしょう。具体的な話があれば教えてください。
佐々木 そうですね。これまた難しくてですね。僕も、大学病院で、研修医の指導医という立場の時に、ひとりの肺癌(がん)の患者さんがおられました。終末期で、手のほどこしようがない状態だったんですけれど、最後「死にたくない、死にたくない」と、もうずーっと言っておられるんです。研修医が、もうお手上げ状態ですね。
私も何回も呼ばれたんですが、話を聴くだけしかできませんでした。ただ、その方の看護日誌の記録に、宗教の欄があったんですよね。そこに浄土真宗の熱心な門徒であると、書いてあったんです。そのころには少し仏教に興味を持ち出していたんで、ちょっと、そんな話もしてあげたらいいのかなと一瞬思ったんです。
ただ目の前でそんな時に、たとえば、お念仏がどうのとか、仏教がどうのこうのという話がね、やはり僕にはできなかったですね。だからもう結局、話を聴くだけ。話といいますかね、そこにいって、手をこう握ってあげるといいますかね、そういうことしかできなかったですね。
そういうことで、宗教を持ち出すドクターもいるかもしれませんけど、僕は…できなかったですね。
蓮風 なかなか難しいことですよね…。
佐々木 難しいですよね。
蓮風 下手にやるんやったらやらない方がマシやね。
佐々木 本当にそうです。
蓮風 この前ね、NHKでやっとったんだけど…。確か龍谷大学のね、大学生や大学院生が授業の一環だと思うんですが、寒いのに駅前に座って、通りがかる人に「何か愚痴を言ってください」と…。何でもいいから愚痴ってくれと言っているんです。で、学生は聴くだけです。聴くだけじゃなしに答えた方がいいんじゃないかなと言う学生もおるんだけど、教授は「いやいやそうじゃない、ただ聴くだけでいいんや」とやらせてみる。これもひとつのあり方ですね。
佐々木 そうですね。
蓮風 で、「なぜ意見を言っちゃいけないか?」というと、その教授は(愚痴を言う人が)自分で頭を打って、気づくための「壁」になって、反射する「鏡」のようになりなさいと説明するんです。「それが救いなんだ」と言っている。なかなか良いこと言うなと思って、まあ、視とったわけですけどね。それに通じるところがあるかもしれません。いやぁ死にゆく人を簡単には慰められませんね。何人か会ったけどね、僕の場合は摩(さす)ってあげる。
佐々木 ええ。
蓮風 どこか辛(つら)いとこあるかと聞いて、もう全体…手から足から腰から全部摩る。それだけでね、ほっとするんですね。顔つきが変わりますね。あれも、やっぱりひとつの宗教だと思うんですね。もう鍼も打てない状態になってるんで、摩るしかないですよ。家族も家族で見つめとって何かしてやってくれっちゅう顔するでしょ。でも何もできない。
そんなときに「宗教とは何か」ということを考えてみますと、ひとつひとつの宗教・宗派や教義の問題ではなく、生きるということは「支えられている」ということに行き着く。人生の中で自分を支えている“後ろ”が見えないかん、ということを確かおっしゃった偉い人がおったんやけどね。そうすると結局、みんな支えられて生きているわけです。自分が身体を摩っているのも、なんかこう、押されてやっているような感じで…。
佐々木 ありますね。
蓮風 はい。
佐々木 まあ、先生が前におっしゃっていた手当てということですね。
蓮風 そうですね。手当て。
佐々木 ですから、それ僕もありますね。それから、その時もやっぱり手を握ってあげる肩を抱いてあげるとかですよね。
蓮風 そうですね。
佐々木 そういうことは、通じますね。
蓮風 言葉以上に。
佐々木 言葉以上に。
蓮風 言葉以上にね。それこそ、医療としては最高の医療じゃないですかね。
佐々木 ええ。
蓮風 もうそれしかないですね。
佐々木 ないですね。だから、欧米のようにですね、キリスト教が生活の、非常にこう、基礎に明らかにあるような文明と、やっぱり日本はちょっと違うかなと。
蓮風 そうですね。〈続く〉